振替休日  遺伝子をめぐる冒険


 今西説は、賞賛と罵声の中で、今も進化論の中で生き残って、隠然たる影響を与えています。

 今西説で有名な台詞は「進化の単位は種である」ということですが、総合説も中立説も、いまや負の選択の蓄積が、正の選択になることを認めています。つまり種を保ちながら、種全体が歩調を合わせて進化することが、ほぼ認められたのです。この、種という言葉を嫌って「遺伝子交流集団」などと呼んだりしますが、いわゆる今西説の種と同様のものと考えてよいでしょう。

 進化の流れが生態系→種→個体と影響していくことも、いまや環境の影響により形態レベル(表現型)の進化が発生すると中立説が主張しています。環境の変化がなければ進化は起こらないのです。

 生物は競争よりも共存によって生き残ったというのも、現在では生態系のバランスの重要性として常識になりました。

 確かに、ダーウィニストには未だに漸進論(進化は絶えず連続して進んでいるという説)を主張している人が多いのですが、中立説やダーウィニズムの一部は既に、少なくとも形態レベルでは進化は飛躍的に進み、そして長く静止することを認めています。

 適応という概念を適応度として数式にした総合説の功績は少なくはありませんが、適応によって生き残るのではなく偶然によって進化は誕生することを、中立説は主張しています。もちろん、そのあとの自然選択による淘汰を否定している訳ではありませんが、適応は証明できないし生存は運であるという今西説に近づいたとはいえるでしょう。

 しかし、今西説の説得力もここまでです。進化そのものを説明してはいません。なぜ進化するのかという疑問に答えてはくれないのです。「種は変わるべくして変わる」だけじゃね。