いろんな進化論


最初の進化論はなんですか?

ラマルキズムとか、ラマルク進化説とよばれるものです。非科学的として扱いを受けてきました。

ラマルキズムが非科学的とされるのはなぜなの?

 獲得形質の遺伝が否定されたからです。
 これらの説が否定され続けてきた理由はただ一つ、「では、遺伝子はどのように変わるんだ」ということです。

今西進化論と断続平衡説が進化は静止しているといってますが証拠はあるの?

 進化している証拠が見付からないことが証拠になります。
 そして、集団遺伝学(現在の総合説・中立説の総本山)自体が、あれほど躍起になって探しても進化はおろか、正の自然選択(進化の方向への自然選択)すらも見つけることはできませんと、ため息混じりに告白しているではありませんか。X線や紫外線を使っても、自然界でも、生存競争に有利な突然変異は、なかなか見つかりません。ましてや新種を誕生させる突然変異などは見付かるはずがありません。

 断続平衡説ついては自己組織臨界現象で説明できるのではないかという意見もあります。自己組織化臨界現象とは、ある組織(構造)が複雑に相互作用している場合は、外部の刺激が無くても臨界状態といわれる状態に向かって自ら移行していくというものです。臨界状態になると臨界状態から脱出するために突然その組織の変革が開始されます。地震や、建築物の崩壊がこれにあたります。現在、品種改良などでも、漸進的・連続的ではなく、ある程度の階段状の(断続的な)変化が確認されているという報告もあります。


今西説が進化が種を単位にするといってるけど根拠はなに?
○個体単独の進化では種にはなりません

 遺伝子は、あくまでも、形質を保つためにあり、進化の主役ではありません。それどころか、遺伝子は進化をとめるためにのみ存在するといっても過言ではありません。
 個体の進化は「種の起源」にはなりません。  それは、種は他種と明確に異なり、区別でき、連続的なつながりはないことから推測できます。
 個体の進化が種全体を引っ張るためには個体は種に属す範囲でかつほかの個体よりも繁殖能力が高くなければなりません。しかし、生存に関係のない形質は種の中で増殖することはなく、種を超える能力はほかの個体との交配を難しくします。 
 個体の進化が種になるためには、個体の進化は絶えず種と矛盾しない合理的な適合が必要になります。合理的適合なしにほかの個体よりも子孫を多く残すことは難しいのです。
 そのためには、個体の進化は種が変わるというよりは、種を完成させる方向にしか進むことはありません。自然選択による進化は種の中心に向かうことになります。種の中心に向かって進化しようとする流れが変わることはありません。

○単独の進化は排除されます

病気との判断からほかの個体から隔離される場合も多いでしょう。
 エンジェル・フイッシュでも病気にかかった個体からは、ほかの個体は群で逃げ回ります。
 しかも、捕食者から目標とされやすいのです。群をなす利点は、捕食者が目標を定めにくいこともあげられます。目移りして、獲物を取り逃がします。個体は群の中で目立ってはなりません。
 魚の群でも、同種で集まるのではなく、似た体型と大きさで多種混合の群をなしています。
 熱帯魚で赤と青の線の金属沢を持ったネオンテトラという美しく有名な魚がいます。これによく似た魚で、赤のラインがより長いカージナルテトラがいます。一方、体型は同じだがオレンジのラインが一本だけのグローライトテトラという魚がいます。
 これらを、数10匹ずつ同じ水槽に入れて飼ってみますと、入れた当初は新しい環境に緊張なのかすべてが集まって群を団子状になします。しかし、徐々に群は分かれたりくっついたりとし始めます。
 その結果、わずかな違いしかないネオンテトラとカージナルテトラは群をなしやすいのですが、体型は同じだが色が全く違うグローライトテトラとはそれほどでもありません。
 逆に、その辺の川をのぞいても分かりますが、全くの別種であっても稚魚は稚魚で群をなします。
 首の長いシマウマは、群れに入れてもらえません。
 シマウマの群に首が倍の長さの個体が生まれたとしても交配で排他され子孫を残すことは難しいでしょう。第一、同種と思われるかも疑わしいでしょう。

○単独の突然変異だけでは整合性が保てません

 それに、首だけが長くなっても困ります。足も長く、体も大きくならなければ長い首は支えられません。頭まで血液を流すための強い心臓も必要です。その強い血圧を制御するために、キリンは、首の動脈を枝分かれさせて血圧を下げ、また、特殊な毛細血管の固まりを作り血圧を下げるようにしています。キリンは静脈にも弁があり逆流を防ぎますし、血管壁も厚いらしいです。すべての機能は、整合性と統一性を持って進化します。
 1つの形態を、単独の変異により作ることは不可能です。

進化が連続していない根拠はあるの?
○進化しない生物が存在します

 シーラカンスである総鰓類は、デボン紀中期から後期、およそ6500万年前に恐竜とともに絶滅したとされ、白亜紀より新しい層からは、シーラカンスの化石は見つかっていません。そのため、1938年に最初の個体が発見され、「生きた化石」として大きな話題となりました。
 しかし、シーラカンスの骨格構造にはわずかの適応変化も見られませんでした。
 シーラカンスは肺魚と脊椎(せきつい)動物の先祖の座を争っています。
 一方では、陸上に上がり様々な進化をし、一方では進化をかたくなに拒んだのはなぜでしょうか。
 シーラカンスやイチョウ、カブトガニにムカシトカゲ、オウムガイ、メタセコイア、ヤツメウナギ(ゴキブリも追加しておこう)と多くの種が、「生きた化石」として生き残っているのは、種がいかに強固なものかを物語っています。
 熱帯魚屋に売られている魚にすら古代魚なる1億年から4億年、ほぼ姿を変えることなく生き残った魚がいます。ブラックアロワナやシルバーアロワナ、ナイフ・フイッシュ、エレファント・ノーズ、バタフライ・フイッシュ、ポリブテルス、ガー・フイッシュ、まだ実例が必要でしょうか。
 そして、これらの魚は、水槽でもタフです。アロワナは魚食魚で、そのため水槽の水も汚れやすいのです。それなのに上部ろ過(ろか)装置だけで、何年間も水換えをせずにいても、アロワナは元気に水槽を泳ぎ回っています。タフであれば進化など不必要です。
 では、これらの魚がどの時代でも最適だったのでしょうか。そうではないでしょう。数億年の中には、様々に環境が変化しましたが、タフであるために、耐えられました。耐えられることができれば、進化は発生しないことを意味しています。
 種は必要がなければ進化などという、ギャンブルはしない生まじめ(きまじめ)なサラリーマンです。シーラカンスは必要がないから3億年も進化を拒否し続けました。少々の困難にも負けず、結構、サラリーマンは会社を辞めないものです。

○適応しているとは思えない生物も存在しています

 偶然と淘汰(とうた)の積み重ねであれば、種は進化をとめることなく続けるはずです。より適応したものしか、本当に生き残れないのでしょうか。結構、いい加減な生き物でも人物でも淘汰(とうた)されずに生き残っているように思えるのは、気のせいでしょうか。
 ジャンガリアン・ハムスターは確かに丈夫です。しかし、お馬鹿(ばか)でのろまです。あれほど、とろくてよくぞ生き延びられたなと思います。少なくとも適者生存の中で最適応を目指して進化を続けているとは思えません。