摂理論

神の国はこうして来る
天国はすぐ近くにある。それはいかにして地上に来るのか。




 私たちの主イエス・キリストは、かつて、
 「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」(マコ1:15)
 と言われました。
 今や多くの聖書研究者は、このキリストの御言葉に従い、現在の世界の「終末」の時と、「神の国の来臨の時」が近い、と感じています。
 神の国は、一体どのようにして来るのでしょうか。それはどのようなかたちで、地上に臨むのでしょうか。
 聖書から学んでみることにしましょう。





 「領土は土地」という感があるが、神の国の領土
は「土地」ではない。「人」である



「神の国」の領土は人

 先日、ソ連のゴルバチョフ大統領の来日を前に、日本では「北方領土」返還に対する期待が、にわかに高まりました。日本政府も、他の国々と同様、領土に対しては強い執心があります。
 「北方領土」とは、北海道の北東に位置する歯舞(諸島)、色丹、国後、択捉の4島です。日本政府は、「これら4島は日本固有の領土です」と主張しています。
 実際4島は、第2次世界大戦直後にソ連によって占領されたもの、という経緯があります。
 戦争はもう終わっているのに、その数日後の1945年8月18日にソ連が乗り込んできて、奪ってしまったのです。
 では、本当に4島は「日本固有の領土」なのかというと、そこには曖昧なものがあります。
 日本は、かつて日露戦争の際に、樺太の南半分まで日本の領土として奪いましたから、それ以後は確かに日本に属していました。
 しかしそれ以前はというと、国境がどうだったか、あまりはっきりしていません。つまり国境とか、領土とかいうものは、歴史をどれだけさかのぼるかによって、違ってくるのです。
 世の中では、とかく国の領土が問題になります。「日本の領土は狭い」とか、「ソ連は領土拡張主義を押し進めてきた」とか。
 そのため国の領土とは「土地」のことだ、という感覚が人々にあります。国の領土=土地、または地面、という感覚です。
 しかしクリスチャンの信じる「神の国」は、「土地」でも「地面」でもありません。神の国の領土は、人間自身なのです。
 聖書のヨハネの黙示録1:5-6は、原語に忠実に訳せば、
 「イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また私たちを王国とされた(新改訳聖書、黙示5:10も参照)
 です。
 神の国(神の王国)の領土は「私たち」――クリスチャンたちなのです。クリスチャンたち自身が「神の国」です。神の国の領土は「人」であり、人の「魂と体」なのです。
 じつは、神の「国」という言葉の原語(バシレイア)には「支配」という意味があります。
 「神の国」は、「神の支配を受けている領域」ということで、神の支配を受けているクリスチャンたちのことなのです。
 「クリスチャンたち」という「神の国」は、地上でそのかたちを自由に変え、動きまわることのできる「国」です。土地のように決まりきった「形」を持っているわけではありません。
 その意味で「神の国」は、この世の諸々の国々とは多分に異なっています。


地上のクリスチャンたちは天の神の国の大使館

 しかし、現在地上にいる「クリスチャンたち」という「神の国」は、「神の国」の全体ではありません。
 それは、いわば本国から離れた場所にある「大使館」のようなものです。





 地上のクリスチャンたちは神の国の大使館である





 神の国はやがて、地上世界を吸収合併する(写真はドイツ・ベルリンの壁崩壊)

 たとえば、東京にアメリカ大使館があります。アメリカ大使館の中は、いわば「アメリカ本国から離れたアメリカ」です。
 同様に地上のクリスチャンたちという「神の国」は、本国である天の神の国から離れた場所にある「大使館」のようなものです。
 アメリカ大使館の敷地内では、「治外法権」が認められています。治外法権とはどういうことかというと、大使館の敷地内では、日本の法律は適用されないのです。そこではアメリカの法律が適用されます。
 大使館の中に、日本の法律は及びません。大使館内はアメリカだからです。これは、どこの国の大使館でも同様です。
 以前、東西ドイツが統合される前、東ドイツの人々が、東ドイツ国内にある西ドイツ大使館に、たくさん押し寄せたことがあります。
 共産主義下の束縛された暮らしに見切りをつけ、また西側の豊かな生活にあこがれて、西側への亡命(他国への避難)をはかったのです。
 逃げ込んだ大使館の中はもう、西ドイツです。東ドイツの法律もそこには及びません。大使館内は西ドイツであり、西ドイツの法が支配しているのです。
 同様に、「神の国」は、本国を天に置き、その「大使館」を地上に置いています
 神の国の大使館の中では、地上の法ではなく、神の国の法が支配しています。そこは治外法権なのです。その中を支配している法は、天国の法であって、神の恵みと祝福の法です。
 誰でもこの大使館に入った者は、神の国の法の支配下に置かれます。地上の法である「罪と死の原理」(ロマ8:2)が、その人に及ぶことはありません。
 その人を支配するのは、「永遠の生命」の法なのです。神の祝福と永遠の生命が、その人を支配するようになります。
 私たちが神の国の大使館に迎え入れられるためには、一つの条件を満たさなければなりません。
 その条件とは「信仰」です。私たちは神の国に入るために、地上の悪と罪を嫌い、神の国の王(神)に仕える意思を表明する必要があります。
 王なる神に対する信仰を表明するなら、だれでも、即座に、神の王国の大使館に迎え入れられます。
 迎え入れられた人は、やがて「火の審判」を下されることに定められている地上世界から、すでに神の国へと「亡命」したのです。
 神の国の「大使館」とは、別の言葉でいえば、「教会」です。
 聖書でいう「教会」とは、建物のことではなくクリスチャンたちの集まりのことなのですが、教会という神の国の「大使館」に入れられた人々は、地上にいながらにして、すでに天の「神の国」に生きているのです。
 「私たちの国籍は天にある」 (ピリ3:20)
 とあります。クリスチャンはすでに、天の神の国の国民なのです。
 ですから、だれでもクリスチャンとなった人は、二重の国籍を持っているわけです。あなたが日本人のクリスチャンであれば、あなたは日本の国籍と、天の神の国の国籍の二つを持っています。
 日本の国籍は地上においてだけですが、天の神の国の国籍は、永遠に続きます。
 また、あなたはすでに神の国の国民となったわけですから、体は地上にあっても、神の国の国民に授けられる全ての恩恵を受ける権利があります
 「神の国」という国家が、その国民に与える恩恵には、おもに3つあります。
 その第1は、あなたの人生のすべての罪に対する「特赦」です。
 キリストが、私たちの罪のために十字架上で「贖い」の御わざを成し遂げてくださったので、神の国の王の命令により、そのすべての国民には、人生のすべての罪に対する特赦が与えられます。
 また、神の国の国民に与えられる恩恵の第2は、「永遠のいのち」です。
 イエス・キリストは言われました。
 「わたしの言葉を聞いて、わたしを遣わしたかた(神)を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死から(永遠の)いのちに移っているのです」(ヨハ5:24)
 この「永遠のいのち」は、幸福の源泉を自分の内部に持っている生命です。
 さらに、神の国の国民に与えられる恩恵の第3は、祝福に満ちた人生です。
 クリスチャンは、他のすべての人々と同様、「試練」にあうことはあります。しかしそのすべてが、結局は祝福へと変えられるのです。
 聖書は言っています。
 「神を愛する人々、すなわち神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ロマ8:28)
 またこう言われています。
 「わたし (神) は、わたしのもろもろの善をあなたの前に通らせる(出エ33:19)


神の国は人間の努力で来るか

 このように、地上のクリスチャンたちは天にあ





 クリスチャンは、地上の国の国籍と、神の国の国籍の双方を持っている
 る神の国の「大使館」であり、「天国」が神の国の「本国」です。
 では、この「大使館」「本国」は、将来どうなるのでしょうか。
 キリストが、
 「神の国は近づいた」
 と言われた時、その「神の国」とは、天にある神の国(天国)をさしました。天にある神の国は、やがて定められた時に、地上に降りてくるのです。
 天の神の王国は、やがて地上に降りてきて、地上世界と一体になり、地上世界を「吸収合併」するでしょう。
 かつて東西ドイツが統合した時のように、天の神の国は、地上世界を吸収し、統合するのです。
 現在西ドイツは、共産主義政権のもとで荒廃してしまった東ドイツを建て直そう、と盛んに努力しています。
 同様に天の神の国は、罪と悪で荒廃してしまった地上世界を、たちまち清い恵みに満ちた世界に建て直すでしょう。
 東西ドイツの統合の場合は、まだまだ多くの困難をかかえていますが、天の神の国と地上世界の統合は、完璧に行なわれます。
 全能の神は、ご自身の国と地上世界を統一し、至福の世界を築かれるでしょう。東西ドイツの統合は、人間の努力が実を結んだ一例です。
 しかし天の神の国と地上世界の統合は、





 召使が見ると、天の火の馬と戦車が、彼らを取り巻いていた
 決して人間の努力によって実現するものではありません。
 天の神の国の来臨は、その時が、神によって定められているのです。
 天の神の国は、神の国の大使館に迎え入れられるはずの人々の数が満ちた後に、やって来ます。
 また、地上の悪が最高潮に達し、もはや神の国が来なければ地上世界の自滅はさけられないという状況になった時、神の国は、力を帯びて栄光の中に下って来るのです。


神の国はすぐ近くにある

 では、天の神の国は、いかにして地上に来るのでしょうか。
 宇宙のどこかの星から飛んで来るのでしょうか。宇宙の果てからやって来るのでしょうか。
 いいえ、そうではありません。神の国は、もっと、ずっと近いところにあるのです。
 旧約聖書の列王記から、それを学びましょう。
 B.C.9世紀、イスラエルの国が混沌としている頃、イスラエルに「エリシャ」という預言者が現われました。
 ある日、イスラエルの敵国の軍隊が、エリシャのいた町へやって来て、その周囲を取り囲みました。
 預言者エリシャの召使が朝早く起きて見渡してみると、馬と戦車の軍隊が、ぐるりと町を包囲しているではありませんか。
 若い召使は震えおののき、エリシャに言いました。
 「ああ、ご主人さま。どうしたらよいのですか」
 しかしエリシャは、
 「恐れるな。私たちと共にいる者は、彼らと共にいる者よりも多いのだ」。
 そう言って、エリシャは天を見上げて祈りました。
 「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください」。
 すると、
 「主がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと(天の)火の馬と戦車が、エリシャを取り巻いて山に満ちていた(U列6:17)
 のです。
 天の軍勢は、彼らのすぐ近くにいました。ただ肉眼では見えなかっただけなのです。
 預言者エリシャが神に祈って、召使の霊の眼を開いてやると、たちまち天の軍勢がすぐ近くで守ってくれているのが見えました。
 このように「天国」は、決して遠い宇宙の果てにあるのではありません。
 天国はすぐ近くにあるのです。ただ、それは私たちの物質的世界とは次元が異なるので、現在、肉眼では見えないだけなのです。
 来たるべき天国の来臨は、「遠い宇宙の果てからやって来る」というかたちで起こるのではなく、ある日、「天国が私たちの眼に見えるかたちで出現する」というかたちでなされるでしょう。
 使徒ヨハネは黙示録の中で、やがて
 「天が開かれる (黙示19:11)
 時のことを、神の幻のうちに見ています。
 私たちの眼の前に「天が開かれ」、栄光とともに天国が現われる時が来るのです。
 最近、科学者らは、宇宙のどこかに「ワームホール」という他宇宙への「穴」があるのではないか、という議論をしています。
 その「穴」から、私たちの宇宙の一部が流れ出たり、他の宇宙の一部が私たちの宇宙に流れ入ったりする可能性がある、というのです。
 これは物質的世界の話ですが、天国の来臨は、幾分かそのイメージに似ています。
 定められた時が来ると「天が開かれ」、神の栄光に包まれたその開口部から、天国が出現するのです。





 やがて「天が開かれ」キリストが再来される


神の国の本体はキリスト

 ここで、聖書のさらに深遠な教えに、耳を傾けてみましょう。
 聖書によれば、この来たるべき天国=天の神の国の本体は、キリストご自身なのです。
 こう書かれています。
 「あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。これらは、来たるべきもの(神の国)の影であって、その本体はキリストにある(コロ2:16)
 この聖句の意味はこうです。
 ユダヤ人には、神の命令によって、過越の祭やそのほか多くの祭、新月、安息日等に関する律法が与えられていました。
 じつはこれらの事柄はすべて、「来たるべきもの」を予表する「影」なのです (ヘブ4:9,イザ66:22-23)
 「来たるべきもの」とは神の国、および神の国の事柄です。
 そして、





 人々は贖われた体で、新しい地を継ぐ
 「その本体はキリストにある」と言われています。
 つまり、神の国の本体はキリストにあります。神の国を成り立たせているもの――それがキリストなのです。
 神の国という至福の世界の持つ生命力、愛、善は、みなキリストのうちにあります。
 聖書は言っています。
 「万物は彼 (キリスト) にあって成り立っている」(コロ2:17)
 またキリストは、
 「神に造られたものの根源であるかた」 (黙示3:14)
 であると。神の国の根源は、キリストの内にある生命力、人格、真理、善、愛なのです。それらによって、神の国が造られました。
 ですから、いま神の国は、キリストと共に「天」にあります。そしてやがて、キリストの再来(再臨)と共に、地上に下って来るでしょう。
 「キリストの再来」と「神の国の来臨」とは、同時に起こるのです。
 それはキリストのおられる場所が神の国であり、神の国の本体がキリストだからです。
 キリストが再来され、その姿を現わされる時、神の国の「永遠の生命」もその姿を現わします
 ですからその時、主イエスにあって死んだ人々は復活し、「永遠の生命」の体を受けます。
 こう言われています。
 「主は・・・天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、 (地上に) 生き残っている私たちが、たちまち彼らと一緒に雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。
 このようにして私たちは、いつまでも主と共にいることになります」 (Tテサ4:16-17)
 キリストの再来とともに、キリストにあって死んだ人々がまず初めに復活する、というのです。
 これは神の国の「永遠の生命」が、キリストの再来とともに、世界に出現するからです。
 キリストにある死者は、魂の上に永遠の生命の体を着せられて復活し、キリストと共に現われるでしょう。「死者は朽ちないものによみがえる」 (Tコリ15:52)のです。
 これが、
 「主は千万の聖徒を引き連れて来られる(ユダ14)
 という聖句の意味です。
 また、キリストにある死者の復活が起こると、次に、そのとき地上にいるキリスト者が一挙に天に引き上げられます。これが「携挙」と呼ばれる出来事です。
 地上のキリスト者は、そのとき一挙にその体が「変えられる」(Tコリ15:12)でしょう。
 朽ちる肉体に、上から「朽ちない体」 (永遠の生命の体)を着せられ、新しい体を持つようになるからです。
 こうして、「朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、
 『死は勝利にのまれた
 と記されている、みことばが実現します」(Tコリ15:54)
 私たちが現在持っている肉体は、そのとき、上から着せられた「朽ちない体」の中に呑み込まれ、消え失せてしまうでしょう。
 私たちは、神の国の「永遠の生命」が具体化された新しい体を与えられ、主のもとへ引き上げられるのです。
 このように、神の国の出現は、キリストにある死者たちの「復活」また地上にいるキリスト者たちの「変貌」をともないます。
 神の国の出現は、神の国の「永遠の生命」の出現にほかならないからです。
 現在私たちが持っている体の上に「永遠の生命」の体が着せられ、私たちが変えられるのと同じく、そのとき、地上世界も、大きく変えられるでしょう。
 地上世界は、上から「神の国」を着せられ、古い汚れたものは、すべて中に呑み込まれ、消え失せてしまうでしょう。地上世界は、栄光に輝く「神の国」を上から着せられて、新しく生まれ変わるのです。
 神の国は地上世界に下りてきて、地上世界をおおい、それを「吸収合併」するのです。地上世界のすべての事柄を建て直し、そこを神のみこころが実現した世界となすでしょう。
 自然界は生まれ変わり、かつて神が創造された「エデンの園」のような麗しい世界が、世界的規模で広がるでしょう。神が人のわざを喜び、人もまた神の恵みを喜ぶ世界が、現われるのです。


 この至福の時を来たらせることこそ、神が長い歴史を通じて、一貫して追求してこられたご目的です。そのご目的の実現の時は、近づきました。
 なぜなら、今や「神の国」の福音は、全世界に宣べ伝えられているからです。
 「御国の福音は・・・全世界に宣べ伝えられるであろう。それから最後が来るのである」 (マタ24:14)
 と主イエスは言われました。
 神の国の福音が全世界に宣べ伝えられた後、現在の世の終末と、神の国の来臨が起こるのです。
 ですから、神の国の来る時まで、私たちはこの地上で、神の国の国民にふさわしい歩みをしなければなりません。 

久保有政

キリスト教読み物サイトの「摂理論」へ戻る

感想、学んだこと、主の恵みを掲示板で分かち合う

レムナント出版トップページへ 関連書籍を購入する