いろは歌のキリスト
いろは歌に隠された文「いちよらやあえ」(イーシ・エル・ヤハウェ・・
神ヤハウェの人)と、「とがなくてしす」(咎なくて死す)の謎。
キリストの死を示した歌か
すべての人は草、その栄光は、
みな野の花のようだ」(イザ40-6)。
謎に満ちた「いろは歌」
みなさんは、「いろは歌」をご存知でしょう。まことによく出来た歌です。音の異なる四七文字のひらがなを、一字も重複することなくすべて収めて、しかも一つの歌にしているのです。
「いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせ す」
これに漢字を当てはめると、一般には次の文になるとされています。
「色は匂えど散りぬるを
我が世誰ぞ常ならむ
有為の奥山今日越えて
浅き夢見じ酔ひもせず」
すなわち意味は、
「花は咲き、良い匂いを放つが、やがて散ってしまうものだ。同様に、わが世の中で誰が常に栄えていることがあろう。
諸現象の奥山を今日越えて、もはや、はかない夢を見たり、酔ったりはすまい」
ということになるでしょうか。
「いろは歌」は、一般に平安時代の作と考えられています。作者は不詳ですが、弘法大師・空海の作との説があります。この説は、空海か空海ほどの天才でなければ、これほどの歌は作れなかった、との単なる憶測によるものです。
この歌は一見するところ、仏教的な思想を歌ったものにも見えます。それで仏教界では、いろは歌は『涅槃経』の次の言葉の和訳、と主張しています。
「諸行無常(すべては移り変わるものだ)
是正滅法 (涅槃こそ真理である)
生滅滅已 (生死を脱し)
寂滅為楽 (滅ぼして真の楽を得よ)」
たしかに一部は、いろは歌に内容が似ているようにも見えます。しかし他の部分は、ほとんど似ていません。
国文学者の宮嶋弘氏や岡田希雄氏らは、いろは歌は、涅槃経の言葉とは意味において関係がないとしています。
つまり、いろは歌=仏教説は、決して確実なものではありません。この歌はその起源に関して、多くの謎を持っているのです。
じつは「有為(諸現象)の奥山今日越えて」の部分は、「憂ゐ(悲しみ)の奥山・・・・」なのではないか、と解する学者もいます。そうすると「いろは歌」は、
「色は匂えど散りぬるを
我が世誰ぞ常ならむ
憂ゐの奥山今日越えて
浅き夢見じ酔ひもせず」
となります。こうなると、もはや仏教的な色彩はほとんどなくなり、ごく普通の歌とも取れます。
また、クリスチャン的な感覚にもピッタリする、と言ってもよいのではないでしょうか。聖書に、次のような御言葉があります。
「すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ」(イザ四〇・六)
「むなしいものを見ないように私の目をそらせ、あなたの道に私を生かしてください」(詩篇一一九・三七)
いろは歌は、これらの聖句に符合する部分が多いと言えないでしょうか。
いろは歌に組み込まれた暗号文
いろは歌の謎は、作者に関してだけではありません。この歌には、二つの"暗号文"が隠されているのです。
昔、戦前の小学校では、「いろは歌」は、その最後に「ん」または「京」の字をつけて、習字の手本にされました。
その際いろは歌は、七文字ずつに区切って記されました。「いろはにほへと」で区切り、次に「ちりぬるをわか」・・・・といった具合です。
しかし七文字ずつに区切るのは、文の流れからいって、きわめて不自然です。にもかかわらず、古来いろは歌は、七文字ずつに区切って記されてきました。
たとえば、1079年の『金光明最勝王経音義』に記されたいろは歌も、七文字ずつに区切られ、七行で記されています。つまり「いろは歌」は、もともと七字ずつの区切りで七行になるように作られた、と考えられるのです。
そこで、もう一度、七字ずつ区切ったいろは歌を見てみましょう。
「いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせ す」
ここで、上部と下部の太字で記した部分を読むと、上が、
「いちよらやあえ(ゑ)」
下が、
「とかなくてしす」
となることがわかります。「いちよらやあえ」は後で解説するとして、下の「とかなくてしす」は、「とがなくてしす」(咎なくて死す)と読めます。ひとつの文章になっているのです(歌の中では清音と濁音は区別されない)。
「咎」は"とがめるべきこと"の意味で、罪のことです。つまり"罪がなくて死んだ"の意味になります。はたして、いろは歌に組み込まれたこれら二つの言葉は、一種の"隠された暗号"なのでしょうか。
現存で日本最古のいろは歌。
『金光明最勝王経音義』にあり、万葉がなで
記されている。各行の末尾の字を読むと
「とかなくてしす」(咎なくて死す)、
各行の初めの文字を読むと
「いちよらやあえ」となる。
じつは、平安時代等においては、歌人の間に、一種の暗号遊びが流行していました。一見何でもない歌の文句の中に、別の通信文を隠したのです。
たとえば紀貫之の歌に、こうあります。
「小倉山 峯立ち鳴らし なく鹿の へにけむ秋を 知る人ぞなき」(古今集 巻十)
これには別の意味の言葉が隠されています。それは次のように五七調に区切るとわかります。
「をぐらやま
みねたちならし
なくしかの
へにけむあきを
しるひとぞなき」
この頭の文字を横に読むと、「をみなへし」つまり女郎花となります。「秋の七草」の一つの名になるのです。
何か重大な用件を暗号的に組み込むといったものではありませんが、このように文の中に花の名や鳥の名を折り込んで、雅やかな遊びとして愛好したのです。こうした歌のよみ方を、「折句(おりく)」と呼びました。
また、暗号を各句の頭に置くことを「冠(かむり)」、末尾に置くことを「沓(くつ)」といいました。さらに、頭と末尾の双方に暗号を折り込むことを、「沓冠(くつかむり)」といいました。
「沓冠」のおもしろい例として、次のようなものがあります。
「よもすず し
ねざめのかりほ
↓たまくら も↑
まそでも秋 に
へだてなきかぜ」
これは、兼好法師が友人の頓阿法師に送ったもので、頭で「米たまえ」(コメをください)、末尾で「銭も欲し」(お金も頂戴!)となります。これに対する頓阿法師の答えは、
「よるもう し
ねたく我せ こ
↓はては来 ず↑
なほざりにだに
しばし問ひませ」
でした。これは、「米は無し」「銭少し」となります。当時の人々はこのように、しばしば歌の中に別の文を入れて、楽しんだのです。
そうであれば、いろは歌も同様の「折句」であるとも考えられます。そして頭の「いちよらやあえ」、および末尾の「とがなくてしす」が、共に意味を持った言葉であると、考えられるのです。
「いちよらやあえ」はイーシ・エル・ヤハウェ?
末尾の「とかなくてしす」が"咎なくて死す"の意味であるとすると、頭の「いちよらやあえ」は、一体何の意味でしょうか。
現在の日本語或いは古語の中に、それに当てはまる言葉はあるでしょうか。いろいろ調べてみても、どうもありそうにありません。
そこで、唐突に聞こえるかもしれませんが、ここでヘブル語(ヘブライ語)の言葉を取り上げたいのです。「ヘブル語がなぜ昔の日本の歌に関係するのか」という疑問については、後でお答えすることにしましょう。
ともかく、そのヘブル語とは、
「イーシ・エル・ヤハウェ」
という言葉です。これは「イチ・ヨラ・ヤアエ」に、発音的によく似ていないでしょうか。「イーシ・エル・ヤハウェ」は、じつは、
「神ヤハウェの人」
を意味する言葉です。「イーシ」は人、「エル」は神、「ヤハウェ」は聖書に出てくる神の御名です(詩篇八五・八、イザ四二・五、申命三三・一等参照。または、イーシ・ハーエローヒーム・ヤハウェともいいます――申命三三・一、出エ一〇・七等。なお「いちよらやあえ」をペルシャ語と解する人もいますが、根拠はないようです)。
したがって、いろは歌に隠された言葉は、
「神ヤハウェの人」
(すなわちイエス・キリスト)
「咎なくて死す」
となります。
さらに左上、左下、右下の文字を続けて読むと「イエス」となります。
するとこれは、
「神ヤハウェの人イエス、咎なくて死す」
のメッセージを折り込んだ歌ということになるわけです。
まさにキリスト教の思想です。
私は、これは古い時代の日本にもやって来ていた景教徒(ネストリウス派キリスト教徒)がつくったものと考えています。
景教徒たちは、シルクロードを東に向かい、そのあちこちでキリスト教を熱心に伝えた人々です。唐の時代の中国で景教が栄えたことは、「大秦景教流行中国碑」などで、知られます。
景教徒たちは、医療のない国に行っては医療を与え、教育のない国に行っては教育を与え、また文字のない国に行ってはその国の言葉に合わせて文字をつくって与えることまでしました。聖書を読んでもらうためです。
じつは、日本のひらがな、カタカナがつくられた背景にも、古い時代の日本にやって来ていた景教徒の影響があったと私は考えています。そうした中、いろは歌もつくられ、またその中にキリスト教思想が折り込まれた、というのが最も考えられることです。
いろは歌はまさに、古代日本にやって来ていた景教徒たちの伝道メッセージなのです。
景教徒について詳しくは、拙著『仏教の中のユダヤ文化』をご覧ください。
久保有政著
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