その他

聖書に基づいて
エホバの証人と論ずる(最終回)
キリスト教会、また、ものみの塔について


キリスト教会は大バビロンであって1914年に滅びる、
と主張していた、ものみの塔「聖書研究」第3巻153ページ。

 本シリーズでは、エホバの証人(ものみの塔)の教理を、聖書的キリスト教の教理と比べて論じてきました。最終回となる今回は、「キリスト教会」「ものみの塔」に関してです。


キリスト教会は神のものではないというものみの塔の主張

 ものみの塔は、キリスト教会に関して次のように教えています。

 "キリスト教会は、中世における堕落に見られるように、その背教によって、もはや神のものではなくなった。以来、キリスト教会は神による是認を受けていない。今日、神が用いておられる真理の経路は、ものみの塔の組織のみである"
 "聖書・黙示録に言われる「大バビロン」(黙示一八・二)は、キリスト教会やキリスト教国、また異教の全宗教のことであり、終末の日に滅ぼされる"

 たとえば、ものみの塔発行一八九一年版『聖書研究』第三巻一五三ページ(英文)に、こう記されています。
 「神によって『大バビロン』と呼ばれ、人々によって『キリスト教国』と呼ばれているものは、預言に示されている通り、やがて一九一四年の終わりには滅びる」。
 また、一九一七年版『聖書研究』第七巻四八五ページ(英文)には、こう記されています。
 「やがて一九一八年に、神は教会、および多くの教会員を滅ぼされる。そのときそこから逃れた者たちは、ラッセル会長(ものみの塔初代会長)の働きのもとに来て、"キリスト教会の滅亡"の意味を学ぶであろう」。
 ものみの塔においては、キリスト教会は「大バビロン」とみなされ、終末の日に滅ぼされる、とされているのです。


1918年にキリスト教会は滅びるとした、
ものみの塔「聖書研究」第七巻1917年版485ページ。

 キリスト教会は、中世の堕落に見られる背教によって、もはや神のものではなくなった。以来、教会は神の是認を受けておらず、もはや真のキリスト教ではなくなったため、神から切り捨てられているのだ、と「ものみの塔」は教えています。
 さらに、神はキリスト教会の代わりに、終末が間近になったこの時代に、ご自身の真の証人を起こされた――それがエホバの証人と呼ばれる「ものみの塔」である、というわけです。
 この主張について、キリスト教会はどう答えるのでしょうか。


キリスト教会は今日も神のものである

 キリスト教会は、ある意味では"ひとりの人"にたとえることができます。
 この人は、幼い頃(初代教会の時代)に信仰を持ち、素直でしたが、やがて青年期になって(中世)、堕落し、さまざまの悪に傾きました。そしてクリスチャンにあるまじき行為も行なったのです。
 しかし、神は彼に、大きなあわれみをかけてくださいました。もう一度回心する時がやってきたのです。彼は、一五一七年の宗教改革の時に"回心"しました。
 そしてそれ以来、彼は、次々に自己改革を行なってきました。一六世紀には、ルターやカルヴァン、一八世紀にはウェスレー、ホイットフィールド、一九世紀にはスポルジョンやフィニー等の真のクリスチャンが現われ、自己改革を進めてきました。
 二〇世紀になっても、多くの真のクリスチャン指導者たちが現われ、改革を進めています。
 こうして宗教改革以来、福音は次第に回復しつつあります。これは、神がキリスト教会を見捨ててはおられないことを、示しています。
 福音が回復するにつれて、神の祝福も大きくなっています。キリスト教会がもし大バビロンであるなら、なぜ神はこのように今のキリスト教会を祝福しておられるのでしょうか。
 アフリカで人々のために尽くしたシュヴァイツァー、国際赤十字をつくったデュナン、奴隷解放をなしたリンカーン、非暴力運動を展開したキング牧師、死にゆく人々を看護するマザーテレサ、貧民のために尽くした賀川豊彦、また山室軍平――もしキリスト教会が大バビロンだというなら、彼らキリスト教会のクリスチャンたちも、大バビロンの一員であるというのでしょうか。
 いったい、誰がそのように言うことができるでしょう。神は今日、キリスト教会を用いておられるのです。


キリスト教会が大バビロンなら、キング牧師や、
シュヴァイツァー博士等も、大バビロンの一員であるというのか。

 もちろん、これは必ずしも、現在のキリスト教会が完全だという意味ではありません。しかし、回復が進むにつれて、神の祝福も大きくなっているのです。
 キリスト教会は、世の終わりまでに完全に回復するでしょう。黙示録一九章に、キリスト再臨の時のことに関して、こう述べられています。
 「小羊(キリスト)の婚姻(キリスト再臨によってなされる救いの完成)の時が来て、花嫁(キリスト教会)その用意ができた。花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである」(一九・七〜八)
 世の終わりに、キリスト教会は完全に回復し、完成し、キリスト再臨を迎える用意ができるのです。
 初代教会から約一千年たった一〇世紀頃には、教会の堕落はピークに達していました。
 しかしその後、教会はしだいに自己改革を進め、その結果、堕落のピークからさらに一千年を経た現在、この二〇世紀において、教会は本来の姿を取り戻しつつあります。
 今、教会は、完全な回復への途上にあるのです。それは、神の祝福があるからです。イスラエル民族が多くの罪過にもかかわらず、神から捨てられなかったように、教会も捨てられてはいません。今も、キリスト教会は神のものです。
 中世の暗黒時代について考える際に、私たちが注意しなければならないことがあります。それは、当時キリスト教会のすべてが堕落していたわけではない、ということです。
 当時においても、グレゴリウス七世(一一世紀)、ベルナルドゥス(一一世紀)、フランチェスコ(一三世紀)、ワルドー(一三世紀)、ウィクリフ(一四世紀)、フス(一四世紀)、サヴォナローラ(一五世紀)など、多くの真のクリスチャンたちが彗星のごとく現われ、闇夜に光を放ちました。
 忠実な信仰者である「残りの民」(レムナント)は、いつの時代にもいたのです。
 当時の社会は、全般的に見れば"聖職売買"が横行する暗い時代でした。キリスト教会が堕落したというよりは、堕落した人間が、教会の指導的立場を奪い取っていたのです。
 そうした暗い時代においても、真のキリスト教とレムナントの流れは、底辺で連綿と続いていました。だからこそ、それがやがて、一五一七年の宗教改革につながったのです。
 プロテスタントは、その宗教改革の時に誕生しました。そして以後、いつの時代にも、初代教会の精神に回帰することを目指して努力してきました。
 一方、カトリックのほうも、一六世紀以来、幾度かの自己改革を経て今日に至っています。
 今日のプロテスタント、また今日のカトリックは、中世の教会とは大きく異なるものなのです。


「キリスト教国」の「キリスト教徒」が真のクリスチャンだとは限らない

 また、ものみの塔は、キリスト教会が「大バビロン」であると例証するために、これまでキリスト教国がなしてきた植民地支配や、侵略戦争、キリスト教国同士の戦争などをあげます。
 これについては、どうでしょうか。
 「キリスト教国」ということを考える際に、私たちが注意しなければならないことは、キリスト教国と呼ばれる国の人々のすべてが聖書を読んでいるとは限らない、ということです。
 たとえば、そのいい例が、中世のヨーロッパです。その多くは「キリスト教国」と呼ばれましたが、ほとんどの国民は聖書を読むことがありませんでした。彼らは聖書を、持っていなかったからです。
 また持っていたとしても、読むことはありませんでした。彼らのほとんどは、字が読めなかったからです。また、字が読める者でさえ、読むことはまれでした。
 なぜなら、当時のカトリック教会はなんと、一般庶民が聖書を読むことを禁じていたのです! 聖書を読むことは、一部の聖職者たちだけに許されたことでした。
 今日の「キリスト教国」においても同様です。「キリスト教国」と呼ばれる国民のすべてが、聖書を持っているとは限りません。また持っているとしても、それを読んでいるとは限りません。
 さらに、読んでいるとしても、それを自分の信仰として実践しているとは限りません。単に学問や教養として聖書を読んでいるだけの者も、大勢いるのです。
 ですから、「キリスト教国」と呼ばれているからといって、その国が真にキリスト教の精神を行なっているとは限りません。
 また、「キリスト教徒」と呼ばれる人々が、みな真のキリスト教精神の持ち主であるとも限りません。
 単に家が伝統的にキリスト教だったというだけで、自分を「キリスト教徒」と呼ぶ人々は、世界に多いからです。
 真のキリスト教徒であるか否かは、その人が真に神とキリストを愛していること、またその生活によって知られます。
 真のクリスチャンは、「キリスト教国」と呼ばれる国々にもいますが、むしろ、しばしば"非キリスト教国"に多くいます。仏教国や、共産主義国、イスラム教国などに、私たちは真のクリスチャンたちの群れを発見します。
 今日、真のクリスチャンは、「キリスト教国」にいるのではありません。彼らは全世界にいるのです。


キリスト教会の教理の不一致はなぜか

 ものみの塔はまた、キリスト教会が神のものでないと例証するために、キリスト教会の持つ教理がしばしば不一致であることをあげます。
 イエスに従う組織は、同じ教えで一つになっていなければならず、教えにおいて不一致があってはならない、というわけです。これについて、キリスト教会は何と答えるでしょうか。
 たしかに、同じ教えで一つになっていることは、理想でしょう。しかし、単に同じ教えであればいい、というものでもありません。
 今日、キリスト教会にはおもに、カトリックのような画一的な教理を持つ教会と、プロテスタントのように多様性によって成り立っている教会とがあります。
 これは現在の状況のもとでは、教会の不完全さを補うための配慮である、と思われます。
 たとえば、カトリックのマリヤ崇拝はカトリック内では一致している教理ですが、それは到底、聖書的な教えだとは思えません。
 ですから、真実が明らかにされるためには、マリヤ崇拝を否定する勢力が必要になります。
 プロテスタント内の「不一致」については、どうでしょうか。
 プロテスタント内には今日、自由主義神学の影響から、進化論を受け入れ、聖書を文字通りには信じない勢力が存在します。
 しかし一方では、聖書はすべて神の霊感を受けて書かれたもので文字通りに信じるべきだ、と主張する私たちのような勢力も、当然存在してよいはずです。
 それは、真実が追求され、明らかにされるためです。真実が明らかにされるために、今日の状況ではある程度の多様性が、むしろ必要でしょう。
 現在のキリスト教会は、完全な教えが説かれる場所ではなく、むしろ、完全な教えを皆で追求するための場所、と見るべきでしょう。すべての教会員は、信者であるとともに、ある意味では今も、求道者なのです。
 私たちは、信仰に入れば求道の生活をもうしない、というものではありません。信仰に入った後も、私たちは完全な教えに到達するために、求道と努力を続けるのです。
 私たちはキリスト再臨の時に、完全な教えと一致に到達します。それまでは、私たちは不完全さをまぬがれることはできません。
 ものみの塔も、不完全さをまぬがれることはできません。実際、ものみの塔にも不一致が存在します。
 たとえば輸血について、塔はそれを一九四五年まで奨励していました(たとえば「なぐさめよ」誌一九四〇年一二月二五日号参照)。しかしその後「ものみの塔」誌一九四五年七月一日号で、初めて輸血が禁止されました。
 米国ピッツバーグにある、ものみの塔ベテル指導者の共同墓地には、十字架がはっきりと刻印されています。
 しかし今日、ものみの塔は、キリストが処刑されたのは一本の杭の上であった、と主張しています。
 また、ものみの塔は、信仰について異なる意見を持つ者を、これまですべて「排斥」処分にしてきました。追放してきたのです。つまり、ものみの塔も常に一致を保ってきたわけではありません。
 今日、キリスト教会においては、キリスト教における本質的教理が一致しているなら、たとえ細かい点において若干の意見の相違があったとしても、なるべく協力して伝道していこう、という考え方が主流になっています。
 たとえば、携挙について、それは患難時代の終わり頃だと考える人々もいれば、患難時代の開始時に起こると考える人々もいます。しかし両方とも、クリスチャンであることに変わりはありません。
 キリストの贖罪を信じているなら、みなクリスチャンです。携挙の時期に関する問題などは、キリスト教にとっては本質的なことではなく、末梢的なことなのです。
 たとえば、携挙を信じないから救われない、というようなことはありません。本質的な教え以外の事柄では、多少の考え方の違いは、あってもよいのです。
 多くのクリスチャンは、教会における多様性は、現在の段階ではむしろ必要なことと考えています。「キリストのからだ」(教会)は、私たちが自分で考えている以上に、大きなものなのです。
 「キリスト教会は、このようでなければならない」
 と自分で考え、自分の考えだけを絶対視し、キリストのからだを自分の頭の中に閉じこめてしまおうとすること自体、誤っている、と言わなければなりません。


キリスト教会では、信徒も牧師も、個人個人が
キリストへの信仰によって神に結びついている。
牧師は信徒の代表であり、リーダーであって、統治体ではない。

 キリスト教会は今、成長段階にあり、完成と統一に向かっています。やがて私たちは、キリストの再臨の時、完全な教えと一致に到達するのです。
 キリスト教会の現在の多様性は、それに至るための過程状況である、ということができるでしょう。

 つぎに、ものみの塔が自分たちのことをどう教えているかについて、検討してみましょう。


ものみの塔は神の預言者か

 ものみの塔は、自分たちについて次のように教えています。

 "ものみの塔、すなわちエホバの証人は、神の預言者である"


自分たちを「預言者」と呼ぶ、『ものみの塔』誌。

 たとえば、一九七二年七月一日付『ものみの塔』誌は、こう述べています。
 「エホバは、彼らに警告する預言者を持っておられました。その『預言者』は一人の人間ではなくて、一団の男女で構成されていました。
 それは当時、万国聖書研究生として知られた、イエス・キリストの追随者の小さな群れでした。今日彼らは、エホバのクリスチャン証人として知られています」。
 また、一九五九年五月一日付『ものみの塔』誌は、こう述べました。
 「エホバの証者は、ずっと諸国民に対するエホバの預言者であった」。
 ものみの塔は、自分たちを神の「預言者」と呼んでいるのです。
 しかしもし、ものみの塔、とくにその統治体の人々が神の「預言者」であるなら、その「預言」は真実で、偽りと間違いのないものでなければなりません。聖書には「預言者」の基準について、こう記されています。
 「あなたが心の中で、『私たちは、ヤハウェが言われたのでない言葉を、どうして見分けることができようか』と言うような場合は、
 預言者がヤハウェの名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、それはヤハウェが語られた言葉ではない。その預言者が、不遜にもそれを語ったのである。彼を恐れてはならない」(申命記一八・二一〜二二)


モーセは言った。「預言者がヤハウェの名
によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、
それはヤハウェが語られた言葉ではない。
その預言者が不遜にもそれを語ったのである。
彼を恐れてはならない」。

 つまり、その「預言者」が語った事柄が、その通り実現するようなら、その者は"真の預言者"であり、一方、実現せず、その通りにならないなら、その者は"偽預言者"である、ということです。

 ものみの塔は、はたしてこの基準から見て、真の預言者でしょうか。
 一九一四年に、ものみの塔初代会長ラッセルは、
 「ヨーロッパの目下の大戦(第一次大戦)は、聖書のハルマゲドンの開始だ」
 と"預言"しました(ラッセル牧師の説教集 一九一七年版六七六ページ)
 また一九一八年に、ものみの塔の出版物はこう"預言"しました。
 「私たちは確信をもって、一九二五年を待ち望むことができる。一九二五年には・・・・アブラハム、イサク、ヤコブ、および忠実な預言者たちが、完全な人間の状態で戻ってくる」(現存する万民は決して死することなし」八八〜八九ページ)
 さらに一九二二年に、『ものみの塔』誌はこう"預言"しました。
 「一九二五年という年の方が、一九一四年より、聖書によってより一層明確に指摘されている」(英文 一九二二年九月一日号)
 しかし、これらの"預言"がすべてはずれたとき、一九三一年のものみの塔出版物はこう述べました。
 「地上のエホバの忠実な僕たちにとって、一九一四年、一九一八年、一九二五年に関しては、測り知れない失望がありました。この失望は当分続くでしょう。・・・・そして日付を合わせることをやめる教訓を学びました」(英文「立証」三三八ページ)
 けれども、その後も「日付を合わせる」ことは、なくなりませんでした。一九六八年の『ものみの塔』誌は、
 「一九七五年を待ち望むのはなぜか」
 という記事を載せ、再び"日付合わせ"を行なって、はずれました(一九六八年一一月一五日号)
 このように、先の聖書の基準から見る限り、ものみの塔の統治体の指導者は到底「預言者」と呼べるような人々ではありません。彼らは「預言者」という自称を、人々の間から取り下げるべきでしょう。
 キリストの再臨やハルマゲドンの日付に関して、ものみの塔の統治体の指導がこのようであったなら、他の教理の指導に関してはどうでしょうか。
 たとえば、三位一体を否定する教理、死後の魂の消滅を説く教理、キリスト教会を「大バビロン」と説く教理、ものみの塔の組織への信仰を説く教理などが、はたして真実であると言えるでしょうか。それらが真実であるという証拠は、一体どこにあるのでしょうか。


ものみの塔では、キリストと会衆の間に「統治体」
というものを設ける。これは指導組織である。
そしてその組織への信仰を求める。

 本シリーズで述べてきたように、これらの教理は到底、聖書的と言えるものではありません。
 ものみの塔の方々が、もう一度聖書をよく調べ、このシリーズで述べた事柄が真実かどうか、よく検討されるようお祈り致します。
 そして、組織への信仰ではなく、主イエス・キリストへの個人的な信仰によって、神に近づくことができますように。


    ――参考文献・資料――
練馬凛著『聖書に基づいて彼らと論じる』および『ものみの塔文書資料集』(CJI「エホバの証人問題対策協議会」発行)


                                 久保有政(レムナント1994年5月号より)

キリスト教読み物サイトの「その他」へ戻る

感想、学んだこと、主の恵みを掲示板で分かち合う

レムナント出版トップページへ 関連書籍を購入する