信仰に関するメッセージ

死ぬるもまた益なり
山室軍平による説教


山室軍平(1872−1940)

明治時代の、日本を代表する伝道者。
「救世軍」
(慈善事業にも力を入れるキリスト教の伝道団体)
の日本支部司令官であった。16歳の時、
活版印刷所の職工であった彼は、
初めてキリストの福音にふれ、その救いを体験した。
そののち身も魂も一切をあげて、伝道に従事し、
婦人ホームの設立、免囚保護事業、労作館の創設や、
廃娼運動、そのほか社会事業の面でも多くの業績を残した。

〔説教〕
(語句は現代文に直してあります)

 昔、ある国に、ひとりの王様がいました。
 彼は退屈な時の暇つぶしにと、ある人物を王宮に召しかかえました。召しかかえられたこの人は、その地方の人々から「馬鹿」だとか、「アホ」だとか言われていました。
 王は暇さえあれば彼を呼び出し、冗談を言ったり、言わせたりして、喜んでいました。
 ある日、王は一本の杖を、彼に与えて言いました。
 「お前にこの杖をあげよう。大事にしまっておくのだ。しかしもし、どこかでお前よりもっと"馬鹿な者"に出会ったら、その時はこの杖を、その者にあげなさい」。
 彼はかしこまって王の言葉を受け、以来、寝るにも起きるにも、かた時も杖を離さず、始終携えていました。そして自分より馬鹿な者がどこかにいないかと、探しまわっていました。
 しかし数カ月たっても、そんな人は見つかりませんでした。
 そうこうするうちに、王は病気になってしまい、容体はだんだん悪くなり、今度はもう助かるまいということで、ある日彼も呼び出されました。王は彼に会い、こう言いました。
 「お前もこれまで長い間、わしの所に出入りしておったが、わしも今度は、いよいよ十万億土(死後の世界)に旅立つだろう。お前にも別れを告げねばならぬわい」。
 それを聞いて、彼はあきれ顔をし、
 「へー。して、十万億土へ行って、いつ頃お帰りになるのですか」
 と尋ねました。王は答えて、
 「その十万億土というのは、たいへん遠い国なのじゃ。一度そこへ行った者は、昔から誰も帰ってきたためしがない」
 と。彼はますます驚き、
 「王様はそういうたいへん遠い国へ行かれますのに、どのようなお支度をなさいましたか」。
 王は答えました。
 「別に何も支度はない。ただ目を閉じて、このまま行くのじゃ」。
 これを聞いた彼は、しばらく考えていましたが、やがてそばに携えていた例の杖を取り上げて、
 「それではこの杖は、おそれながら今日、王様にさしあげます」
 と言ったとのことです。
 という意味は、ちょっとした用事のために五キロや一〇キロ先に出かける時でさえ、小遣い銭や弁当を用意しない者のいない世の中なのに、一度行っては二度と戻って来れない遠い十万億土へ旅立つ時に、何一つ支度することもなく、ただ目を閉じてそのまま行くというのは、あまりに馬鹿げた話だ、ということなのでしょう。
 彼は、自分よりよほど勝った大馬鹿者と考え、かねてから言われていた通り、その杖を王様に渡したのです。


王は暇つぶしに、
彼を呼びだしては楽しんでいた。



「地獄の沙汰もカネ次第」か

 学者の説によれば、世界には毎年三二二〇万人の死人があるといいます。つまり一時間あたり三六七四人、一分間には六二人ずつの死人が、どこかにあるはずだといいます。
 そうすると、柱時計がコチコチ響くたびに、たしかに一人以上の人間が、世界のどこかで死んでいるわけです。またその順番は、いつなんどき、私どもにまわってくるやも知れません。人間の命はまことにはかないもの、と言わなければなりません。
 「あすありと思う心のあだ桜
 よわにあらしの吹かぬものかは」
 「ついに行く
 道とはかねて聞きしかど
 きのうきょうとは思わざりしに」
 私どもは達者な間に、死の時のための用意をしなければなりません。かねてから、いつなんどき死んでも恐ろしくないだけの覚悟を、決めておかなければなりません。ところが、
 「地獄の沙汰もカネ次第」
 と、金さえ持っていてこの世で栄華をきわめれば、死のことや先の世のことなどどうでもよいと、自分で自分の心を欺こうとする人々が、多くいます。しかし、
 「たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである」(ルカ一二・一五)
 金銭や、名誉や、この世の浮いた栄華というものは、決して人の死の恐ろしさを取り除くものではありません。
 英国のある女王は、死の間際になって、家来に向かいこう言いました。
 「今しばらく、私の命を延ばしてくれる者があれば、褒美は願いのままに取らせよう」。
 しかし、だれもその望みをかなえられる力を持たないので、女王は悲しみつつ死んでいったとのことです。
 また太閤秀吉は、尾張(おわり)の片田舎から出世して摂政関白の位にのぼり、朝鮮征伐(せいばつ)もすれば、聚楽第(じゅらくだい)は築く、天下の功名富貴(こうみょうふうき)はただその心のままでしたが、それでもその辞世(じせい)には、
 「露と起き
  露と消えぬるわが身かな
 なにわのことは夢のまた夢」
 と嘆いて死んだのです。


秀吉の辞世の句は、
「露と起き露と消えぬるわが身かな
なにわのことは夢のまた夢」
であった。

 芸州広島に、一人のおばあさんがいて、子どもも親類もいませんでしたが、ただわずかばかり蓄えた金を力に、その日その日を送っていました。
 ある時このおばあさんが大病にかかり、苦しんでいる様子を隣のおかみさんが見つけて、見舞いに来ました。
 「何か用事はありませぬか」
 と尋ねると、おばあさんは答えて、
 「はばかりながら、どうか私に、餅を二つ三つ買ってきてくだされ」
 という。もう物の一〇日ばかりも、ろくにおかゆさえすすらない者が、今さら餅をどうするのかと大層不思議に思いましたが、ともかく言われるとおり大福餅を買ってきました。
 そしてこれを病人の枕もとに置き、すぐにいとまを告げて家に帰るふりをしながら、そっと戸の中、節穴から、のぞいて見ました。するとおばあさんは起きなおり、ふところの財布からいくらかの金貨、銀貨を取り出して、やがてそれを餅の中に包み込みました。
 そして目玉をシロクロしながら、飲んでいた、というのです。
 「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者は、この通りです」(ルカ一二・二一)
 とはそれです。


クリスチャンにとって死は故郷に帰ること

 また、この世は浮世(うきよ)だ、人間の生命ははかないものだ、
 「妻子も、宝も、王の位も、死ぬときにはついて来ない」
 と言って、死ぬことを、ただあきらめようと努める人々がいます。
 しかし、一休和尚(いっきゅうおしょう)のように世の中を二足三文に見くびった人でさえ、いまわのきわに、
 「死にたくない、死にたくない」
 と繰り返したというではありませんか。
 昔ギリシャに、七賢人のひとりと呼ばれたソロンは、ある時自分の子に先立たれて、ほとんど目を泣きつぶすほどに嘆いていました。ある人がこれをいさめて、
 「なんぼうそんなに嘆いても、死んだ子どもが再び生きて帰るものではなし、大抵なところであきらめたがよろしいでしょう」
 と言うと、ソロンは答えて、
 「左様(さよう)、もし私が泣いたために死んだ子どもが再び帰るものならば、こんなに取り乱しはしまいが、もはや泣いてもわめいても、子どもは帰ってこないゆえ、私はただ悲しくて仕方がない」
 と答えたとのことです。
 俳人一茶(はいじんいっさ)は、ずいぶん道理のわかった人でしたが、ある時可愛い子どもを、ほうそうで取られて、どうしてもあきらめがつかず、
 「露の世は露の世ながらさりながら」
 と、その悲しい心のうちを表したことがあります。
 しかし、私どもキリストの兵士たる者にとって、死ぬということはそうわけもなく、ただ悲しくて恐ろしいものでもありません。
 私どもがこの世にいる有り様は、たとえば田舎のオヤジが、息子を都に修行に出しておくようなものです。修行に出ている若者は、学校でも卒業すれば、やがて家に帰っていきます。
 そのように、私どもはこの世で三〇年か五〇年の修行をすまし、やがて天の父上がいます魂の故郷――すなわち天国に帰っていくべき者です。
 都で修行中、不勉強で道楽ざんまいの日を送った若者は、家に帰るのがこわく、実際帰れば親からそれなりの懲罰を受けるでしょう。そのようにこの世で神様に逆らい、わがままな振る舞いをしている者は、神様が審判してのち地獄の刑罰にあわせられるでしょう。
 しかし油断なく勉強し、にしきを着て故郷に帰る息子を、親は喜んで、ほとんど珍客同様に迎えるように、神様もまた、この世で御心を行ない、忠実に職分をつくした者を、喜んで天国に迎え入れ、限りなき幸いと平安をお与えになるのです。
 聖書に、
 「罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである」(ロマ六・二三)
 また、
 「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じる者が、ひとりも滅びないで、永遠のいのちを得るためである」(ヨハ三・一六)
 とあるのは、このことです。


死はちょっと薄暗い階段を通って明るい見事な2階に上がるようなもの

 本気でキリストを信仰する者にとって、死ぬとは、ちょっと薄暗い階段を通って、明るい見事な二階に上がって行くようなものです。それゆえ使徒パウロは、
 「わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である」(ピリ一・二一)
と言いました。また、
 「たとい私たちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。なぜなら、このしばらくの軽い患難(かんなん)は、働いて永遠の重い栄光を、あふれるばかりに私たちに得させるからである。
 私たちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くのである」(Uコリ四・一六〜一八)
 と言ったのです。


クリスチャンにとって死は、
ちょっと薄暗い階段を通って、
明るい見事な二階に上がるようなもの。

 使徒ペテロは、敵が自分を十字架にはりつけにしようとするのを拒んで、
 「何ということだ。われらの救い主キリストさえも、十字架にかかって死なれたのではないか」
 と言い、自らすすんで"逆(さかさ)はりつけ"(十字架に頭と足を逆さにはりつけになる)になり、殉教したとのことです。
 昔、英国に熱心な一キリスト者がいて、よからぬ役人のために迫害を受け、
 「もし信仰を捨てないなら、生きながら袋に入れて、テームズ川に投げ込むぞ」
 とおどされました。しかしそれでも屈せず、
 「いずれ天国に帰る道中ですから、水陸どちらでも、その道に別段の好き嫌いはありません」
 と答えました。
 バッカス博士という人は、いま三〇分もたてば自分は息を引き取るであろう、と医者から聞いて、
 「それではその三〇分を、世界の一日も早く救われるために祈りましょう」
 と言い、寝台からおりてひざまずき、祈りをしながら死んだとのことです。


バッカス博士は、自分が死ぬまでの30分を、
人々の救いのために祈りに費やした。

 (救世軍の)ブース大将夫人は、いまわの床から、
 「私は今、この救世軍の血と火の旗じるしのもとに死にます。兄弟よ、あなたがたもまたこの旗のもとに生き、また戦ってください。神様はわが救い、あらしの時の避け所です」
 と言い残して死なれました。
 新島襄(にいじまじょう)氏は、最期が近づいた時、人に『エペソ人への手紙』三章を読ませ、その第一二節、
 「この主キリストにあって、私たちは、彼に対する信仰によって、確信をもって大胆に神に近づくことができる」
 という句を二度まで繰り返させました。また、その第二〇節、
 「私たちが求めまた思うところの一切を、はるかに越えてかなえて下さることができるかた……」
 の句にいたっては、
 「左様、この力である。この力に頼られよ」
 と、弟子や家族に伝言して死なれた、ということです。
 このように、生きては神様の前につとめを尽くし、死んでは天国に帰って御栄(みさか)えを受ける――キリストの兵士の身の上こそ、世の最も幸いなる身の上ではありませんか。
 「今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである」(黙示一四・一三)
 これは、まことの人間たる者の生き死にの道です。このように大いなる御恵みを、私どもにお与えになる天の父なる神様、および救い主イエス・キリスト、また御霊(みたま)の神様を、ほめまつれ。


〔聖書の言葉〕

 「私(使徒パウロ)は、すでに自身を犠牲としてささげている。私が世を去るべき時はきた。
 私は戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や義の冠が私を待っているばかりである。
 かの日には、公平な審判者である主が、それを授けてくださるであろう。私ばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも、授けてくださるであろう」
(Iテモ四・六〜八)。
山室軍平著『平民の福音』より


                                        (レムナント1998年10月号より)

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