創造論(科学的創造論) 創造科学

科学の説明が聖書に近づいた

地球の誕生

地球の誕生に関する科学上の説明は、しだいに聖書の記述内容に近づいてきている


 「神は・・・・地を何もない上に掛けられる」(聖書 ヨブ二六・七)

 現在、科学の分野で、地球や大気、海洋、大陸などの起源に関する説は、ひと昔前と大きく変わってきています。それに伴い、しだいに科学の説明が聖書に近づきつつある、との感があります。
 本書の目的は、それらに関する最近の科学の説を紹介し、聖書と科学の問題に関する一つの考え方を提供することにあります。読者が本書を通して、科学的創造論(創造科学)とその考え方を知り、聖書がどのような書物であるかということについて、理解を深められることを心より期待いたします。

科学を徹底的に研究すればするほど、科学は無神論
というものを取り除いてしまうと、私は信じている

ケルビン卿
(英国の物理学者。絶対温度の単位である
『ケルビン』は彼の名をとったものである)


何もない所に掛けられた地球

 私たちの住んでいる地球が、何もない宇宙空間に浮かんでいて、目に見える何かで支えられているのではないことは、現代人なら誰でも知っていることでしょう。
 私たちは、宇宙飛行士が人工衛星から写した、地球の写真を見ることができます。
 しかし古代人には、地球がそのように何もない空間に浮かんでいるとは、考えられなかったようです。例えば古代インド人は、地球は一頭の象の背に乗っており、その象は一匹の亀の上に、その亀はコブラの上に乗っていると考えていました。では、そのコブラを支えているものは何なのか・・・・ということになります。
 また、古代エジプト人は、地球は五本の柱で支えられていると考えていました。では、何がその五本の柱を支えているのか、ということになるでしょう。
 しかし世界で最も古い書物――キリスト教の教典である聖書は、次のように述べています。
 「神は・・・・地を何もない上に掛けられる」(ヨブ二六・七)
 これは、聖書の「ヨブ記」というところに記されている言葉で、今から約三千年も前に書かれたものです。当時は、もちろん人工衛星もなく、地球の外に出て、地球の姿をながめることも不可能な時代でした。
 しかし聖書は初めから、地球が「何もない所」に掛けられているのであり、目に見える何かで支えられているのではないことを、知っていたのです。
 聖書の中にこのようなことが書かれてあることを、驚く人も少なくないでしょう。しかしこれは、聖書が地球について述べている数多くの驚くべき記述の一つに過ぎません。
 聖書を単なる"宗教の経典"だとか、あるいは"神話"が書かれている書物だと思っている人は多いようです。しかし、そうした人々は案外、聖書の中に実際はどのようなことが書かれているかを、よく知りません。読者の中にも、本書を読みながら、
 「聖書には、このようなことも書かれていたのか」
 と思う人も、おそらく少なくないでしょう。


科学上の学説は変化した

 聖書の創世記一章の万物創造に関する記述は、かつて「非科学的」と言われ、人々の潮笑の的とされてきました。しかし今では、だいぶ事情が変わってきています。
 以前は、科学上の学説が、一般に原始の地球の状態や、海洋、大気、大陸などの形成の問題に関して、聖書の創世記一章の記述を否定する傾向にありました。しかし、そうした科学上の学説も、最近の様々な目覚ましい研究成果によって、大幅にぬり変えられるようになっています。
 実際、こうした科学上の変化について、たとえば名古屋大学水圏科学研究所の北野康教授は、こう述べています。
 「(地球、海洋、大気、大陸などの起源に関する研究は)科学的というよりは、むしろロマンチックなムードが強いと、数年前までは、しばしば私ども仲間は言い合ったものである。しかし近頃は、むしろ科学的である、と言いたいムードである」(『水と地球の歴史』二一四頁)。
 このように地球、海洋、大気、大陸などの起源に関する研究は、しばらく前までは、「科学的」というより、むしろ空想的なものに近かったのです。しかし最近では、かなりしっかりした科学的根拠をもつようになりました。
 こうした科学上の発展・変遷とともに、今では、これらの事柄に関する学説のかなりの部分が、聖書の記述内容を否定する方向よりは、それに近づき、それを裏付けるような方向に向かっています。
 科学は、人間のたゆみない努力によって進歩し、また変遷してきました。また、これからも進歩し、変遷していくことでしょう。そのため過去においては、その当時の科学が聖書を否定したが、現在においては、科学の成果がかえって聖書を裏付けるかたちになった、という例が数多く見られるようになっているのです。
 そこで、そうした最近の科学的成果を紹介しつつ、地球がどのようにしてでき、またどのようにして水圏(海洋)、気圏(大気)、土壌圏(陸地)ができていったのか、ということを考えてみたいと思います。
 ただし読者は、本書が科学の成果を用いて聖書の正しさを"証明"しようとしている、とは思わないようにして下さい。
 なぜなら、科学は変わるものであって、一方、聖書は変わりません。変わるものを用いて、変わらないものを"証明"することはできません。
 本書は、聖書を科学によって"証明"しようとするものではなく、むしろ、科学の説明が聖書の記述内容に次第に近づいてきている、という事実に関するリポートです。


地球を形成した「ちり」

 「地球はいかにして誕生したか」に関する説は、今までに数多くのものが提出されてきました。
 その中で、かつて人々の間でながく信じられてきたものとしては、「地球は太陽から飛び散った高温の物質によってできた」という説があります。
 この説は、地球は初め、太陽から飛び散った高温のガス体として生を受け、それが収縮して"火の玉"となり、やがて冷え固まって現在の地球になった、という考えです。この説によれば、地球は灼熱の物質をもとにしてでき、その後に冷えたわけです。
 しかしこの説には、多くの科学的難点があり、その後、地球は最初高温のガス体として生を受けたのではなく、もともと冷たい固体が集まって出来たものだ、という説にとって代わられました。井尻正二博士(東大)、湊正雄博士(北大)共著『地球の歴史』には、こう述べられています。
 「地球の誕生にまつわるこの『火の玉・冷却』説は、サルからヒトへの進化論と同じように、いつしか人々の常識となってしまい、いまさら疑ってみる者もないありさまであった。
 ところが戦後になって・・・・地球のできはじめは、冷たい固体の集まりで、その後に地球は暖かくなったのだ、という地球の成因説が生まれてきた」(六頁)。
 また、竹内均博士(東大)、上田誠也博士(東大)共著『地球の科学』には、こう書かれています。
 「火の玉地球説は、一九四〇年頃から、だんだん形勢が不利になってきた。そして・・・・チリ・アクタ説(低温起源説)にとって代わられるようになってきたのである」(二〇九頁)。


地球を形成した物質は、もとは宇宙空間に散在する無数の冷たいチリだった

 地球は、かつて高温のガス体だったのではなく、一番はじめは無数の冷たいチリ・アクタだったというこの説は、聖書の、
 「この世の最初のちりも造られなかった時・・・・」(箴言八・二六)
 という言葉を思い起こさせます。聖書によれば、はじめに「最初のちり」が造られ、そののち無数のちりが造られて、それらの「ちり」をもとに地球が造られました。
 聖書は、地球は太陽から飛び散った高温物質によってできたというように、太陽の落とし子的な存在としては描いていません。地球を形成した物質は、もとは宇宙空間に創造された無数の冷たい「ちり」だったのです。


微惑星の衝突・合体

 では、宇宙空間に存在し始めたチリ・アクタが、どのようにして地球を形成するようになったのでしょうか。
 地球の起源に関する論文で、最近世界的な注目をあびた「松井理論」(東大・松井孝典博士)によれば、地球は次のような過程を経て誕生しました。
 まず、チリ・アクタの漠然とただよう雲であった原始太陽系は、重力のために次第に収縮し、偏平なものになっていきました。ちょうど、雪が地面に向かって静かに降り積もるように、チリ・アクタは、太陽系の回転面に向かって、上下から静かに堆積していったのです。そして、それまで雲のように広がっていた原始太陽系は、偏平な円盤形になっていきました。
 そして、その堆積がある程度の所まで来ると、そこに劇的な変化が生じました。積もり積もった物質粒子の層は、突然壊れたように分割されて、数多くの塊と化し、そこに直径十キロメートル程度の無数の「微惑星」が誕生した、とされています。
 こうして誕生した無数の「微惑星」は、そののち互いに衝突を繰り返すことになります。その衝突の際に、あるものは砕け散り、またあるものは運よく合体して、雪だるま式に大きくなっていったことでしょう。
 そのような過程を経て、「天体」と呼べるほどまでに大きく成長したものが、地球や、その他の惑星だと言われているわけです(『地球・宇宙・そして人間』一一七〜一三八頁)。
 このような惑星の成長過程は、コンピューターによるシミュレーション(模擬実験)等によって、研究されています。


無数の冷たいちりがもとになって、各惑星を形成した

微惑星が成長していく過程のシミュレーション

 また、現在の月面に見られる数多くの「クレーター」や、地球にも存在する幾つもの「大隕石孔」は、微惑星衝突期のなごりであると考えられています。
 微惑星の衝突・合体が盛んだったときは、おそらく衝突の際に生じるものすごい熱のために、地球の表面はどろどろに溶けて、混沌としていたでしょう。聖書にも、
 「山もまだ定められず、丘もまだなかった時」(箴言八・二五)
 「まだ海も……なかった時」(同八・二四)
 があった、と記されています。聖書も、原始地球は混沌としていたことを、示しているようです。創世記一・二にも、
 「地は形なく、むなしく」(口語訳)
 あったと記されています。そのときは、「山」も「丘」もまだ定められてはおらず、地球は混沌としていたのです。
 しかし、微惑星の衝突がおさまると、地球の表面も冷えていきました。そしてその過程で、地球は形を整えていくことになるのです。


月面には「多くのクレーター」がる。これは微惑星衝突期のなごりであると言われている。地球にも多くある「大隕石孔」も同様のものだが、地球には大気と海があり浸食があるので、その多くは当初の形をとどめていない。

地球の内部が温められた

 現在の地球は、一番外側に「地殻」があり、その内側に「マントル」、中心に「核」というように、層構造をもっていることが知られています。
 地球のこの構造は、よく"ゆで卵"にたとえられます。卵の"殻"が「地殻」にあたり、"白身"が「マントル」、"黄身"が「核」にあたるわけです。
 「マントル」においては、物質は長い時間をかけてゆっくり対流していると言われ、そこのマグマ(岩石や鉱物の溶けたもの)が地上に噴き出してきたのが、火山の熔岩です。さらに「核」においては、非常な高温になっているため、鉄やニッケルなどの物質がドロドロに溶けていると言われています(ただし外核は液体だが、内核は固体)。
 このように、地球は内部に行くほど高温になりますが、「核」においては三千度以上の温度になっています。


地球は内部にいくほど温度が高くなる

 では地球内部は、いつ、どのようにして、高温になったのでしょうか。
 地球は成長し、大きくなるにつれ、中心部に行くほど重力による圧力で、物質が圧縮されるようになりました。現在、地球の中心は「三百万気圧」という、ものすごい圧力を受けていると言われています。
 圧力を増すと、物質の温度は高くなります。読者は、自転車の空気ポンプを何回も押すと、ポンプが熱くなるということを知っているでしょう。これは空気が圧縮されたために、熱が発生したからです。地球の内部が熱くなったのも内部が重力のために、非常な圧力を受けるようになったというのが、一つの原因です。
 また、地球の内部にある放射性元素も、地球を温めています。放射性元素は、少しずつ崩壊して、他の元素に変わっていきますが、この時に熱を出すのです。創造当初、地球内部に置かれた放射性元素は、地球内部を温め続けるのに充分なものでした。放射性元素は、地球を温める一つの熱源となっているのです。
 地球の内部はこのような理由で、きわめて早いうちに温められた、と思われます。実際、東大の小嶋稔博士によると、地球の「核(コア)」は、地球の歴史のきわめて初期に、すでに形成されていました。
 「大気の起源を、モデル計算した結果からは、地球コアの誕生は、地球自体の誕生のすぐ後に起こったことが推測されている」(『地球史』六三頁)
 と博士は述べています。このように、地球自体の誕生のすぐ後に、核はすでに形成されていました。すなわち地球内部は、極めて初期に温められたのであり、その温度上昇によって、核・マントル・地殻という層構造ができ上がっていったのです。
 地球は、定められた大きさにまで成長し、内部には層構造ができ上がり、言わば"生きている星"としての基礎が整えられていきました。こうして、
 「地の基が定められた」(箴言八・二九)
 のです。


地球は球形に造られた

 聖書は、地球は"丸い"ものとして造られた、と述べています。
 「主は、地球のはるか上に座して、地に住む者を、いなごのように見られる」(イザ四〇・二二口語訳)
 ここに「地球」と訳された言葉は、原語のヘブル語の直訳では「地の円」です。聖書は、地は「円」形であって、丸いと述べているのです。地球は、はるか上からながめると、円形に見えます(新改訳では「地をおおう天蓋」と訳していますが、「おおう」は原語にありません。「地球」と訳すのが適切です)。
 聖書の別の箇所には、こうも書かれています。
 「神が天を堅く立て、深淵の面に円を描かれたとき・・・・」(箴言八・二七 新改訳)
 「深淵」と訳された原語は、創世記冒頭の一章二節にも出てくる言葉で、原始地球をおおった「大いなる水」をさしています。すなわち、
 「地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水のうえにあり、神の霊は水の上を動いていた」(創世記一・二新改訳。口語訳では「やみが淵のおもてにあり・・・・」)
 の「大いなる水」と、「深淵」は、ヘブル原語で同じ言葉なのです。したがって、「深淵の面に円を描かれた」は、原始地球をおおった「大いなる水」に関するもので、その水平線の形が円形になるように定められた、ということを意味しているのでしょう。
 「大いなる水」は、原始地球全体をおおったものなので、ここで水平線の形が問題にされていることは、理由のないことではありません。こうして、地球の形は"丸く"定められ、球形になったのです。同じことは、聖書のヨブ記二六章一〇節にも記されています。
 「水のおもてに円を描いて、光とやみとの境とされた」。
 これもやはり、地球の創造のことを言っている箇所です。
 太陽が水平線の上にあると昼となり、水平線の下に沈むと夜となります。水平線は「光とやみとの境」であり、この水平線が「円」形になるように、地球の形が定められたのです。
 しかし、聖書は決して、地球は"丸くて平たいもの"と考えているわけではありません。それは二次元的平面ではありません。聖書のヨブ記三八・九に、こう記されています。
 「そのとき(地球創造の時)、わたし(神)は雲をもってその着物とし、黒雲をそのむつきとした」。
 神は地球創造の時、黒雲を地球の「むつきとした」というのです。「むつき」とは、古代ユダヤ人などが、生まれたばかりの赤ん坊の体をグルグル巻きに包む、産着のことです。
 神は誕生したばかりの地球に、黒雲を産着のようにグルグル巻きに包まれた、というのです。つまり「地の円」は、単なる"円い平たいもの"ではなく、むしろ球形をさしていることがわかります。
 このように、地球が丸く球形に造られたことについて、聖書が今から約三千年も前に述べていたという事実は、まったく驚くべきことと言うほかありません。


聖書は地軸の傾きを述べている

 また聖書は、地球の地軸の傾きについても述べています。私は、本書冒頭において
 「神は・・・・地を何もない上に掛けられる」
 という聖書の言葉を引用しました。これは聖書ヨブ記二六・七の後半部の言葉で、じつはこの句の全体は、一般に次のように訳されています。
 「神は北を虚空に張り、地を何もない上に掛けられる」
 (新改訳。口語訳聖書は「北の天」と訳していますが、「の天」は原語にはありません)。
 この句の前半の「神は北を虚空に張り」は、一体どういう意味でしょうか。きっと読者は、この訳では何の意味かさっぱりわからないでしょう。意味がわからないというのは、良い訳ではないからです。
 「張る」と訳された言葉は、原語のヘブル語ではナーター(natah)といい、これは聖書の別の箇所では「傾ける」とも訳されている言葉です。たとえば「水がめを傾けて私に飲ませて下さい」(創世二四・一四)、「日が傾く」(士師一九・八)など。
 また、「かたよる」「下げる」「曲がる」等とも訳されています。これらは「傾ける」の派生的意味です――「権力者にかたよって」(出エ二三・二)、「彼はその肩を下げてにない」(創世四九・一五)、「右にも左にも曲がりません」(民数二〇・一七)。
 ですから、「張り」を「傾ける」と訳し直すなら、この句は次のようになります。
 「神は北を虚空に傾け・・・・」。


「神は北を虚空に傾け」――地球の地軸の傾き

 これは、地球において「北」の方角が、軌道面に垂直な方向から二三・五度傾いていることを示しているもののように思えます。地球の地軸は、宇宙空間の中で、軌道面に垂直な方向から二三・五度傾いているのです。
 よく知られているように、地球において春夏秋冬の四季があるのは、地軸のこの傾きがあるからです。
 つまり、先のヨブ記の言葉は、地球が何もない宇宙空間に浮かんでいるということだけでなく、地球の地軸が傾いた状態に置かれているということをも、見事に言い表しているのです。


地球は「水の惑星」になった

 ある科学者は、
 「地球が、ほかの惑星とまったく違う点は、液体の水がたくさんあることである」(カール・セーガン著『コスモス』第三巻七〇頁)
 と述べていますが、地球には、ひじょうに豊富な水が存在します。現在の地球表面の七割は海洋であり、水におおわれています。
 また地球上に住む私たち人間の体も、八〇%は水でできていて、水は生命に欠くことのできないものです。科学者は、地球を「水の惑星」と呼んでいます。
 はじめ科学においては、海の水は「長い時間をかけて、徐々に増えていった」のではないかと、考えられていました。しかし今では、地球の歴史のきわめて初期に、すでに大規模な海洋が形成されていたことは、確実と見られています。東大の地球物理学教授・小嶋稔博士はこう述べています。
 「近年における新たな地球科学的データの多くは、現在とほぼ同様な規模の海水が、(地球の歴史のきわめて初期に)すでに存在していたことを示唆している」(『地球史』一五〇頁)。


海洋は、地球の歴史のきわめて初期に形成された

 地球の歴史のきわめて初期に、すでに大規模な海洋が存在していたというこの結論は、聖書の記述と一致しています。聖書によれば、天地創造「第二日」には、すでに「大空の下の水」と呼ばれる広大な海が存在していました(創世一・七)。
 この海洋は、聖書の記述によれば、当時地表の全域をおおっていました。当時の地表は、なだらかだったので、充分な海水量があれば、地表全体を広大な海がおおうことが可能だったのです。このように、地球の歴史のきわめて初期に、すでに現在とほぼ同様な規模の海水が存在していました。
 また以前は、誕生当時の海洋の化学的組成は、現在と大きく異なっていた、と考える科学者が少なくありませんでした。しかし小嶋博士は、化学的組成も、誕生当時から現在に至るまでほとんど変わらなかったことを、明らかにしています。
 「堆積岩(水中の溶解物質などが沈澱堆積することによってできた岩石)は、化学的組成から見て、年代のずっと新しい堆積岩と本質的な差異はまったく認められず、(初期の)海の性質が、その後現在に至るまでの海とほとんど変わらなかったことを示している」(『地球史』一五〇頁)
 と述べています。


大気は「ほぼ一気に」生じた

 では、「大気」についてはどうでしょうか。
 大気は、地球の歴史の中で、徐々に増えてきたのでしょうか。それとも地球の歴史のきわめて初期に、"ほぼ一気に"生じたのでしょうか。
 このことについては、大気も海と同様に、地球の歴史のきわめて初期に"ほぼ一気に"生じたことを示す、明確な証拠が存在します。
 現在の地球の大気は、七八%が窒素で、二一%が酸素です。大気の大部分は、このように窒素と酸素ですが、残りの一%のほとんどを、「アルゴン」という気体が占めています。その他、二酸化炭素、水蒸気、ヘリウム、水素なども含まれていますが、これらはほんのわずかです。
 アルゴンは、無色で、においもないので、私たちはふだんはその存在に気づきませんが、空気中に含まれる三番目に多い気体です。このアルゴンについての研究は、大気の起源について重要なことを示しています。
 アルゴンについての最近の研究によると、アルゴンは地球史のかなり初期に、地球を形成した鉱物内部から「ほぼ一気に」生じたに違いない、ということがわかったのです。東大の小嶋稔博士(地球物理学教授)は、こう述べています。
 「私たちはいろいろな実験結果から、地球内部(具体的にはマントル)における平均的なアルゴン同位体比の値は、現在の時点で、少なくても五千よりは大きいだろうと推定している。こうした条件を満足するのは、地球史のかなり初期に、ほぼ一気に脱ガス(鉱物から気体が分離すること)した場合に限られることを、計算によって示すことができる。この時の脱ガスは、かなり激しいもので・・・・」(『地球史』一五五頁)。
 このように、大気の一成分アルゴンは、「地球史のかなり初期に、ほぼ一気に」生じたのです。


大気はほぼ一気に生じた

 さらに小嶋博士は、この結論はアルゴンに限らず、大気の他の成分(窒素など)についても言えるとしています。
 「大気の他の成分、窒素や水(水蒸気)についても、同様な結論が期待されよう。・・・・アルゴンの八〇%以上を一気に脱ガスさせたような激しい過程においては、当然大気を構成している他の揮発性物質も、程度の違いこそあれ、かなり脱ガスさせた、と考えるのが妥当であろう」(『地球史』一五六頁)。
 大気が、地球史のかなり初期に、ほぼ一気に生じたというこの結論は、やはり聖書の記述によく一致しています。
 「神は大空を造り・・・・。第二日」(創世一・六〜八)
 と書かれています。「大空」は、創造「第二日」には出来あがりました。地球の大気は、地球史のきわめて初期である「第二日」までには、すでに形成されていたのです。


海と大気の起源は同じ

 では、海や大気は、いかにして「ほぼ一気に」生じたのでしょうか。
 東大の松井孝典博士によれば、海と大気の起源は同じで、両者は次のようにして誕生しました。
 まず、誕生したばかりの原始地球は、膨大な量の「水蒸気大気」におおわれました。
 この「水蒸気大気」とは、現在の大気とは大きく異なるもので、成分のほとんどを水蒸気とする大気です。しかし現在の大気のもととなった成分の多くは、この原始の「水蒸気大気」の中に含まれていました。
 「水蒸気大気」は、微惑星の衝突・合体によって、地球が成長していく過程で生じたものです。微惑星の鉱物から抜け出た揮発性物質の大部分は、水蒸気であったからです。そうやって生じた膨大な量の水蒸気が、誕生したばかりの地球を厚くおおったのです。
 このことは、隕石の調査結果から容易に想像されます。
 科学者は、隕石を調べてみた結果、隕石の平均的な元素組成と、地球全体の平均的元素組成は同じであることを、見いだしました。つまり、隕石も地球も元は同じもの、ということです。
 また、「隕石」というと、固くて、一見とても水を含んでいるようには見えませんが、よく調べてみると、鉱物に取り込まれたかたちで、しばしば若干の水分を含んでいることがわかります。
 質量にして平均〇・一%前後の水を含んでいるのです。意外にも、隕石は"水っぽい"のです。
 この数値は、じつは地球(表面と内部)に存在する水の総量の、地球全体の質量に対するパーセンテージにほぼ等しいことが、わかっています。
 つまり、地球はもともとこうした隕石、またはもっと巨大な隕石とも言える微惑星が寄り集まってできたものではないか、という考えに私たちは至ります。
 先ほど述べたように、微惑星が衝突・合体を繰り返して地球を形成したのだとすれば、その衝突熱のために、微惑星の鉱物に取り込まれていた水分は蒸発して解き放たれたでしょう。
 それは原始地球の表面に、膨大な「水蒸気大気」を形成したはずです。松井博士は述べています。
 「水が(鉱物からの揮発性物質の)八〇%以上を占めるので、原始地球の大気は水蒸気でできた大気といってもいい」(『地球・宇宙・そして人間』一九一頁)。
 松井博士の計算によると、このとき原始地球の表面に形成された水蒸気大気の総量は、約一・九×一〇の二一乗キログラムと算出されました。この数値は、じつは現在の地球表面にある水の総量――そのほとんどは海ですが――に、ほぼ等しいのです。
 (地球表面地殻にある水の総量は、一・五×一〇の二一乗キログラム。『地球・宇宙・そして人間』二一〇ページ)。
 すなわち、現在は海洋として地表に存在している水は、もとはと言えば、原始地球においては「水蒸気大気」であったことがわかります。
 原始地球は、膨大な量の水蒸気を主成分とする大気におおわれていました。そして、この水蒸気大気の大半は、後に冷えてその水蒸気成分が地上に降り注ぎ、広大な海洋を形成したのです。
 すなわち、まず水蒸気大気が存在し、それが後に分離して、(窒素やアルゴン等からなる)大気と、その下の海洋とになったのです。
 このことは、聖書の記述によく一致しています。聖書によれば、地球はでき始めの頃に、「大いなる水」におおわれていました。
 「初めに、神が天と地を創造した。(別訳『神が天と地を創造し始めたとき』、)地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり・・・・」(創世一・一〜二)。
 原始地球をおおったこの「大いなる水」こそ、「水蒸気大気」に違いありません。


水蒸気大気が原始地球をおおった

聖書によれば、この水蒸気大気から、大空と、その下の海洋とが生まれました。
 「ついで神は『大空よ。水の間にあれ。水と水との間に区別があるように』と仰せられた。こうして神は、大空を造り、大空の下にある水と、大空の上にある水とを区別された。……第二日」(創世一・六〜八)
 「大空の上の水」が何であるかについては後述しますが、「大空の下にある水」は海洋を意味しています。「大空」とは大気です。聖書によれば、まず「大いなる水」が存在し、のちにそれが「大空の上の水」、「大空」(大気)、「大空の下の水」(海洋)とに分離したのです。
 つまり現在の大気と海洋は、原始に存在した「大いなる水」が分離した結果生じたものです。このことは、原始に存在した膨大な量の"水蒸気大気"から、現在のような大気と海洋とが生まれた、という現代科学の結論とよく一致しています。
 このようにして、地球の歴史のきわめて初期に、すでに地球をおおう厚い大気と、現在の規模に近い大量の海水が存在するようになりました。
 しかし今日も、火山ガスや温泉は、大気や地表の水の量を、わずかずつですが増やしています。
 たとえば水については、よく知られているように火山口から放出されるガスは、その大部分が水蒸気です。また海底のいたる所に、高温水を吹き出している海底火山が存在します。
 つまり海の水は、もとはと言えば微惑星の鉱物、あるいは地球にとり込まれた鉱物に含まれていた
水が、内部から解き放たれて出てきたものです。聖書にも、
 「海の水が流れいで、胎内からわき出た」(ヨブ三八・八)
 と記されています。聖書も、水は、地球を形成した鉱物の「胎内」から出てきたものであることを、示しているようです。


地球が大気を持つことができたのは、地球が充分な質量を持っていたから

 ところで、地球が大気を持っていることは、当たり前のように考える人もいるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。大気を持っていない星はたくさんあります。
 例えば、地球の衛星である月は、大気を持っていません。月の直径は質量も小さく、地球の一七%の重力しか持っていません。そのため月がもし大気を持っても、弱い重力のために大気を引きつけておくことができず、すぐ散ってしまうのです。
 地球が大気を持つことができたのは、地球が充分な質量を持っていて、大気をとらえておくだけの重力を持ち合わせていたからです。ですから、もし地球がもっと小さいものとして創造されていたら、地球は大気を持つことができなかったでしょう。米国バークレー校の生化学教授デュアン・T・ギッシュ博士は、こう言っています。
 「地球の大きさを見る時、その質量や大きさは、実に理にかなったものであることがわかる。もし、地球の直径が一万二八〇〇キロでなくて一万一五〇〇キロだったとすれば、大気圏の減少によって、ほとんど地球全体が雪や氷の荒野と化していただろう」(デュアン・T・ギッシュ著『もう洗脳されてしまいましたか』 新生運動トラクト)。


地球がほんの一〇%小さくなるだけで、この地球上にほとんどの生命は住めなくなる。
新生運動トラクト「もう洗脳されてしまいましたか」より

 すなわち、地球がほんの一〇%小さくなるだけで、この地球上に生命が生息することは、まずできなくなるのです。聖書は言っています。
 「あなたは知っているか。だれがその大きさを定め、だれが測りなわをその上に張ったかを」(ヨブ三八・五)
 このように、地球の大きさや質量一つをとってみても、そこに創造者の遠大な御計画があったことがわかります。


大陸は海の中から現われた

 大陸は、いつ、どのようにして出来たのでしょうか。
 大陸の形成については、"陸が先か、海が先か"という問題があります。つまり、
 「地球の表面には、もともとかなりの起伏があって、水蒸気大気が大雨となって落下したとき、水は低い所にたまって海を形成し、残った高所の部分が陸地となった」
 と考えることができるでしょうか。それとも、
 「海は、かつて地表の全域をおおっていて、のちに海底が盛り上がって、海面上に現われた所が陸地となった」
 と考えるのが正しいでしょうか。前者の考えによれば、現在の大陸は、海ができる前から存在していたものであり、後者によれば、大陸は海ができて後に、海の中から現われたものということになります。
 この問題について、井尻正二、湊正雄共著『地球の歴史』には、こう記されています。
 「大陸には、海洋の謎を解く、幾多の秘密がかくされている。というのは、大陸はかつての海洋以外の何物でもないからである」(六頁)。
 大陸は、かつては海の底だったのです。


大陸は海の中から現われた

同書は、さらに次のように述べています。
 「一つの造山運動がおこるためには、その場所がながいあいだ海になっていて、底深く海底が沈降し、その場所に泥や砂やれきが数千メートル、ときには数万メートルもたまることが、欠くことのできない条件になっている。こうした海域は・・・・つづく地質時代に激しく盛り上がって褶曲の場となり……そのあとは、この盛り上がった地域は、造山作用の舞台となることのない安定した地塊、つまり大陸塊(安定地塊)になるのである」(二五頁)。
 すなわち大陸は、かつて海であったところが地球内部の物質の対流などの影響を受けて、海底が盛り上がり、海面の上に現われたものだと考えられているわけです。
 聖書によれば、やはり、大陸は海の中から上昇してきて現われたものです。創世記一章の記述によると、地球が出来たばかりの時には、まだ大陸はなく、地球の表面全体を、海がおおっていました。そしてその後、創造第三日に、海の中から大陸が現われたのです。
 「神はまた言われた。『天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現われよ』。そのようになった。神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた」(創世一・九〜一〇)
 と記されています。
 まず海がありました。そしてその後、大陸は隆起して海面の上に現われ、「かわいた地」となりました。そのため低地となった地に水が集まり、こうして陸と海との分離がなされたのです。
 このように聖書によれば、明らかに大陸は海の中から現われたものであり、海の水およびその下の地球内部の物質の動きの影響などを受けて、上昇して現われたものと解釈されます。聖書のペテロの第二の手紙三・五にも述べられているように、
 「地は・・・・水から出て、水によって成った」
 のです。


酸素が生じた

 私たち人間にとって、酸素は欠かせないものです。酸素がなければ、人間も動物も生息できません。地球の大気には、遊離状態にある酸素が約二一%含まれています。この酸素は、どのようにして生じたのでしょうか。
 科学者たちは、地球の大気は、初めは酸素を含んでいなかったと考えています。先に、大気は微惑星や地球内部からの"脱ガス"によって生じたと述べましたが、微惑星(隕石)を調べても、その中に酸素はほとんど含まれていないのです。
 また、太陽系の他の惑星である金星、火星、木星、土星、天王星、海王星などは、多少なりとも大気を持っていますが、これらの惑星の大気は、酸素を含んでいません。
 酸素は、大気の他の成分と違って、微惑星や地球内部から生じたのではなく、他のところから生じたのに違いありません。竹内均、都城秋穂共著『地球の歴史』には、こう記されています。
 「注意すべきことは、この大気(原始の大気)のなかには、酸素(化合していない酸素)が実際上なかったことである・・・・酸素は、地球上に植物が出現して、光合成作用を営むようになって後に、多量に生じたものなのだ。その点で、大気中の他の成分とは、全く起源が異なっている」(一六三頁)。


植物の働きによって酸素が多量に存在するようになった

 このように両博士によれば、地球の大気に多量に含まれる酸素は、"植物起源"であり、私たちが酸素を吸うことができるのは、実に植物のおかげです。聖書によれば、創造第二日に大気が造られ、第三日には陸地が造られました。そしてその陸地と海底に、植物が創造されたのです。
 「神はまた言われた、『地(地表)は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを、地の上にはえさせよ』。そのようになった」(創世一・一一)
 と記されています。植物には、二酸化炭素を吸収し、酸素を放出する働きがあります。植物による酸素の放出は、創造の第三日に植物が創造された時に始まりました。こうして、大気の中に酸素が多量に存在するようになったのです。
 また植物自体は、様々の有機物質から成り立っているため、後に動物や人間が食べる食物として、ふさわしいものでした。動物や人間が生息できるための条件は、このようにして整えられていったのです。


大気はきわめて初期に、現在の大気と同じような成分を持つようになった

 一九五三年、生命の起源に関する有名な実験が、アメリカのS・ミラーによって、なされました。
 彼は、メタンガス、アンモニアガス、水蒸気、水素ガスなどの気体を混ぜ合わせて、これに放電を続けたところ、数日後にはアミノ酸や脂肪酸が合成されたと報告しました。ソ連でもその合成が追試され、その実験結果が正しいことが認められました。
 このように無機物の中から、生命にとって基本的な有機物質が合成されたということで、生命の起源について研究している人々の間に、大きな反響を巻き起こしました。そしてこのことから、生命が誕生した頃の地球大気は、メタンガス、アンモニアガス、水素ガスなどを豊富に含む大気であった、という主張が生まれました。
 このような成分からなる大気を、科学者は「還元型大気」と呼んでいます。また、「生命が誕生した頃の原始大気は、還元型大気であった」とする説は、「還元型大気説」と呼ばれます。
 しかし、このような成分の大気は、現在の大気とはおよそ異なるものです。現在の大気は、窒素、二酸化炭素、水蒸気、また酸素、アルゴンなどから成っており、こうした大気は、「酸化型大気」と呼ばれます。還元型大気説をとる人々は、大気は時代とともに、現在のような酸化型大気に移り変わってきたと、考えているのです。
 しかし、生命が誕生した頃の大気が「還元型」であったか、あるいは当初から「酸化型」であったかという問題は、科学者の間で大きな議論の的となっているようです。名古屋大学水圏科学研究所の北野康教授は、そのことについてこう述べています。
 「アメリカなど(の進化論に立つ人々の中)には、依然として還元型大気説を支持する人も多い。生命の起源を研究している日本人を含めた生物学者の多くは、還元型大気説をとっている人が多いように、見うけられる。その理由は、二酸化炭素、窒素、水蒸気のような酸化型の系からは、アミノ酸の合成が大変困難だからというようである」(『水と地球の歴史』二一四頁)。
 このように、「生物が無機物から進化によって生じた」という考えに立つ人の多くは、生命が誕生した頃の原始大気が還元的であったという考えに、固執したがる傾向があるようです。
 しかし、その証拠は薄弱です。実際、北野教授はこう述べています。
 「私を含めた松尾禎士、清水幹夫、小嶋稔、そしてさらに江上不二夫らの日本の物理、化学を背景にもつ科学者の多くは・・・・酸化型大気説を支持する」(同二〇〇頁)。
 教授はこう述べて、生命が誕生した頃の原始大気は還元型ではなく、酸化型であったことを支持する有力な証拠を、幾つか提示しています。
 例えば、最古の部類に属する岩石から「石灰石」が発見されたことにより、原始大気中に二酸化炭素が存在していたことが、確認されています。「石灰石」は、二酸化炭素がないと出来ないのです。
 またその他、様々な理論的考察が、大気が酸化型であったことを支持しています。生命が誕生した頃の大気は、現在の大気と同様、酸化型であったと考える方が、無理のないようです。
 聖書の記述からも、生命が誕生した頃の原始大気が、還元型であったとは到底考えられません。様々の科学的証拠は、「大気の成分は、きわめて早いうちに現在の大気の成分と同じようなものになった」という考えを支持しているのです。

久保有政

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