創造論(科学的創造論) 創造科学

生物進化はなかった

進化したことを示す中間化石などは全く発見されていない


最も原始的と言われる単細胞生物アメーバでさえも、
非常に複雑な組織から成っている。

生命はただ生命より出ずる
                  
 生命は、一体どこから生まれるのでしょうか。生命のないところから、生命は生まれるでしょうか。生物が生き延びるための条件さえ整えば、そこに何かの偶然で、生命が生まれるのでしょうか。
一九世紀に至るまで多くの人々は、"生命は無生物の中から自然に発生してくる"という「自然発生説」を受け入れていました。当時の人々はよく、
 「雨水が集まった水たまりには、すぐに何億もの微生物が現れる」
 という事実を引き合いに出しました。それらの微生物は自然に発生したではないか、というわけです。また、
 「腐敗した死体には、すぐにウジ虫がわいてくる」 
 という事実も引き合いに出しました。人々は、生命は無生物の中から自然発生するものだと思っていたのです。
これらの論理は、進化論の正当化にも用いられました。しかし一八六四年に、有名なフランスの細菌学者ルイ・パスツールは、この考えが間違いであることを証明しました。
 つまり完全に殺菌し、かつ外部から菌が入らない状態にしたところからの生物発生は決してないことを、実験的に示したのです。彼は、
自然発生説は、この実験によって受けた致命的な打撃から、決して立ち直れないであろう
 と述べました。
これは、今日でも事実です。実際、医者はこのことに信頼して、手術のときなど外科器具を殺菌するのです。生命のない物質から生命が自然発生することは、決してありません。
 自然発生説が崩壊したとき、進化論者は別のタイプの自然発生説を唱えました。彼らは「長い時間」に望みをつないだのです。
たとえ数年や、数十年の間に生命が無生物の中から自然発生することはなくても、何億年もの間には生命が発生することもあるだろう、という漠然とした"信仰"に立った新しい「自然発生説」が唱えられました。
 しかし最近、分子生物学の研究が進むにつれ、細胞や、細胞の構成物質のことがよくわかるようになってきました。それによって、無生物の中から生命が発生することは何億年かかっても起こり得ないことが、わかってきました。
 細胞の構成物質である「アミノ酸」程度のものは、自然界でもふつうに形成されることがあることは知られています。しかしアミノ酸と一個の細胞とでは、砂粒と超高層ビルディングとの差ぐらい、複雑さの点で大きな差があるのです。
生命の最小単位である一個の細胞でさえ、それが形成されるためには、想像を絶するほど多くの幸運が重なり合わなければなりません。無生物の中から一個の細胞が自然発生することは、大地の中から東京タワーが自然に出現することより、もっと難しいのです。
 たとえ大地に風が吹き、雷鳴がとどろき、何億年もの時間が過ぎても、大地の中から自然に東京タワーが出現することはないでしょう。同様に、無生物の中から生命が自然発生することはあり得ない、と言わなければなりません。
「長い時間」に望みをつないだ進化論者の新しい自然発生説も、今日では全く根拠を失いました。しかし一度持った"信仰"は、なかなか捨てられないものです。今も進化論者は、生命の自然発生を信じています。けれどもそれは、もはや"根拠なき信仰"なのです。
 生命は、無生物から発生することはありません。生命は、ただ生命より出ずるのです。聖書は、
 「いのちの泉は、あなた(神)のもとにあります」(詩篇三六・九)
 また、
 「いのちの息は、わたし(神)がつくった」(イザ五七・一六協会訳) 
 と述べています。最初の生命は、生命の根源である神から来たのです。
 神は、はじめに「種類にしたがって」(創世一・二一) 生物を創造し、それぞれに生命を吹き込まれました。私たちの生命は、神によって与えられたものなのです。


ユーレイ・ミラーの実験は生命の自然発生を証明しない

 生命の自然発生に関して、進化論者がなした有名な実験として、「ユーレイ・ミラーの実験」というものがあります。これは今も、進化論の教科書にはみな載っているものです。これは、生命の自然発生を証明するものなのでしょうか。
 この実験は、ガラスのフラスコの中に、水、メタンガス、アンモニアを入れ、その単純な混合ガスに火花放電を加えるものです。その後それを冷却し、そこに出来る生成物を集めるのですが、アミノ酸が生じたことがわずか一週間で確認されました。
 アミノ酸は生命の基本的構成要素なので、このことから生命の自然発生は可能だったのではないか、との一縷の望みが進化論者の間で持たれました。


ユーレイ・ミラーの実験で生成されたアミノ酸は、
生命を構成するアミノ酸とは異なるものだった

 しかし、ユーレイ・ミラーの実験で生成されたアミノ酸は、生命を構成するアミノ酸とは異なることが、そののち明らかにされました。ウィルダー・スミス博士はこう述べています。
 「アミノ酸には、光学的に見て左旋性(左巻き)のものと、右旋性(右巻き)のものとがある。生命の発生は、アミノ酸が左旋性のときのみ可能である。もし、ほんのわずかでも右旋性タイプの分子が混ざっていると、新陳代謝のできない異構造のタンパク質に変わってしまう」。
 じつは、ユーレイとミラーの実験で生成されたアミノ酸は、この、左巻きのものに右巻きのものが混じり込んだアミノ酸だったのです。
 こうしたアミノ酸は、「ラセミ体」と呼ばれます。ユーレイ・ミラーの実験は、その後何度も追実験されましたが、生成されるのはいつもラセミ体のアミノ酸でした。
 ラセミ体のアミノ酸からは、生命は絶対に発生しないのです。それは生命を形成するタンパク質とはなり得ません。
 また、ユーレイとミラーがフラスコ内につくった混合ガスの状態は、原始大気の状態とは全くかけ離れているとも指摘されています。そのほかこの実験に関しては、多くの問題点が指摘されており、今ではこの実験は生命の誕生に何の関係もないとされるようになりました。
 進化論の崩壊についてわかりやすく解説をしている、ジェレミー・リフキン著『エントロピーの法則2』には、こう述べられています。
 「ミラーとユーレイの実験は、大騒ぎのすえ、生命の起源については何の科学的価値もない、というところに落ち着いたのだった」。
 結局ユーレイ・ミラーの実験は、生命の自然発生の可能性を示すどころか、むしろ反対に、生命の自然発生はあり得ないという、創造論者の考えを強めるものとなっています。
 生命の自然発生は、あらゆる点から見て不可能です。イギリスの有名な天文学者フレッド・ホイルは、こう述べています。
 「進化の確率は、ちょうど屑鉄置き場を襲った竜巻によって、ボーイング七四七型機が偶然に出来る可能性と同じだ。進化によって生命がこの地上に発生する確率は、まさにこのようで、この地上で生命は絶対に偶然によっては誕生できない」。
 彼はまた、地球と同じ条件の星がこの宇宙にたくさんあると仮定して、他のどこかの天体に二百億年のうちに生命が誕生する可能性を調べました。その結果はゼロでした。
 日本創造科学研究会会長・宇佐神正海博士が述べているように、
 「進化論者は、確率ゼロのことを必ず起こると信じている」
 のです。


エントロピーの法則は進化論を否定する

 熱力学には、有名な「エントロピーの法則」というものがあります。これは確実な科学的真理とされているもので、一言で言えば、「覆水盆に返らず」という諺の意味するものと同じです。
 すなわち、盆から水をこぼしてしまったとき、その水は決して自然に元へ戻ることはありません。また花瓶を壊してしまったとき、その花瓶は決して自然に元へ戻ることはありません。
 リンゴの木から切り離されたリンゴの果実は、時間と共にしだいに腐っていきます。バナナでも、ミカンでも、野菜でも、必ず腐っていきます。そしていずれは、完全に分解して土に帰るのです。逆方向の変化が起きることはありません。
 人間もそうです。人が死に、肉体から生命が去ると、肉体はしだいに腐敗していき、ついには完全に分解して土に帰ります。
 このように物は、次第に、より低い質のエネルギーの状態に、必ず移行して行く傾向を持っています。これを「エントロピーが増大する」といいます。
 「エントロピー」とは、"無秩序さ""でたらめさ"のこと、と考えたらよいでしょう。それが時間と共に増大するのです。物は、高度な秩序形態から、しだいに"無秩序さ""でたらめさ"を増して、より低い秩序形態へと移行していくのです。
 自然な状態では、エントロピー(無秩序さ)は必ず増大の方向へ向かいます。エントロピーが減少するのは、外部からエントロピーを減少させるような"働きかけ"がある場合だけです。
 たとえば、水は自然の状態では必ず上から下へ落ち、エネルギーの低い状態へと移行し、エントロピーは増大します。しかし、もしポンプを使えば、水を低い所から高い所へ上げることもできます。この場合、エントロピーは減少したことになりますが、これは外部からそのような働きかけがあったからです。
 また、壊れた花瓶は、自然には元へもどりませんが、人がもし土から様々な技術を用いて新たな花瓶を製作するならば、新たな花瓶を誕生させることができます。この場合もエントロピーは減少したことになりますが、それは外部からの働きかけがあったからです。
 また、生きている生物は、ものを食べながら、しだいに体を大きくし、成長していきます。この成長において、エントロピーは減少しています。しかしそれは、そこに生命からの働きかけがあるからです。
 このように、エントロピーは減少することもありますが、それは外部からエントロピーを減少させるような働きかけがあった場合のみです。これが、「エントロピーの法則」と呼ばれるものですが、これは進化論に有利でしょうか、それとも不利でしょうか。
 エントロピーの法則は、進化論には全く不利であり、進化論を完全に否定するものです。なぜならエントロピーの法則は、「無生物から生物への進化」を、全く不可能とするからです。
 今日、科学の発達により、生物の細胞は、きわめて高度な秩序形態を持っていることが明らかにされました。数百倍の顕微鏡しかなかった時代には、細胞の構造は単純なものと見られましたが、以後の研究により、細胞はたとえ単細胞生物のものでも、きわめて微細で複雑な構造を持っていることがわかったのです。それはちょうど人間の都市のように、きわめて高度な秩序形態を持っているのです。
 このようなものが、無生物から自然の過程を通して生じたとする進化論は、全くエントロピーの法則に反しています。無生物から、細胞という高度な秩序形態へと移行することは、自然の過程では決して起こり得ないのです。
 そのような移行が可能となるのは、ただ、外部からそれを可能にする"働きかけ"があった場合だけです。「偶然」は、このような働きかけとはなり得ません。すなわち各種の生物は、ただ創造主からの働きかけにより、土という無生物から形造られました。
 聖書には、たとえば動物の誕生について、こう記されています。
 「神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたとき・・・・」(創世二・一九)
 また植物の創造についても、
 「神である主は、その土地から・・・・すべての木を生い出させた」(創世二・九)
 と記されています。動植物は、神からの創造的働きかけを受けて、「土」から形造られました。土→細胞という過程におけるエントロピーの減少は、神からの働きかけがあって初めて可能だったのです。
 このようにエントロピーの法則は、進化論を否定するものであり、むしろ創造論を裏づけるものであることがわかります。
進化論は、健全な科学に全く反しているのです。大英自然史博物館の世界的に有名な古生物学者コーリン・パターソン博士はこう言っています。
 「進化論は科学的事実でないばかりか、むしろその正反対のもののように思えます」。


生物の種の「中間型」はない
                   
 進化論者は今日まで、生物は単細胞生物→無脊椎動物→魚類→両生類→ハ虫類→鳥類やホ乳類→人間というように、下等なものから次第に進化してきたのだと主張してきました。
 しかし、もし本当にそのように進化してきたのだとすれば、これら生物の各種類の間に、「中間型」(移行型)の化石が、数多く発見されるはずです。すなわち、明確にその移行を示すような化石です。
 中間型の化石は二、三見つかる、という程度では充分ではありません。進化の理論は、おびただしい数の中間型が発見されなければならないことを、予期しているからです。
 では、中間型と見られる化石は、何か発見されたでしょうか。
 今日、世界中で様々な種類のおびただしい数の化石が発掘されていながら、真に「中間型」であると認められている化石は、一つも見出されていません。たとえば、アメリカの著名な古生物学者キッツ博士は、次のように述べました。
 「古生物学者は、中間型がないのが事実であるということを認める状態に、いよいよ傾いている」。(一)
 創造論を支持する科学者として有名なギッシュ博士およびブリス博士も、次のように述べています。
 「化石記録上、種の間には整然とした間隔があります。進化モデルに基づいて期待される中間型の化石は、単細胞生物と無脊椎動物の間、無脊椎動物と脊椎動物、魚類と両生類、両生類とハ虫類、ハ虫類と鳥類またはホ乳類、または下等なホ乳類と霊長類のいずれの間にも見出されません」。(二)
 長い間進化論者は、「中間型」であるという幾つかの化石を示唆してきました。しかし、今やそれらも皆、真の中間型ではなかったことが明らかにされています。
たとえば数少ない中間型の例として、進化論者はよく「始祖鳥」を引き合いに出してきました。始祖鳥は多年にわたって、ハ虫類から鳥類への中間型であると、主張されてきたものです。しかし、アメリカの科学誌「アクツ・アンド・ファクツ」の一九七七年一二月号では、
 「始祖鳥は最近、中間型として失格しました」(三)
 と言われ、その証拠が解説されています。


「始祖鳥」は、"始祖の鳥"ではなかった

 始祖鳥が出土した地層よりも、ずっと下の層から、よりトリらしいトリの化石が発見されたのです。この化石を発見したテキサス大学の古生物学者サンカル・チャテジー博士は、それは、
 「飛ぶためのいろいろな特徴が備わっており・・始祖鳥よりも現在のトリに近い」(四)
 と述べています。始祖鳥は、もはや「始祖の鳥」でも、ハ虫類と鳥類の中間型でもなかったのです。(五) それは大洪水以前に生息し、のちに絶滅した動物の一種でしょう。
 また、生物の形態が進化移行してきたという例として、進化論者がよく引き合いに出してきたのは、「馬の進化図」です。
 しかし著名な生物学者ノーマン・マクベス博士は、最近のアメリカのテレビ番組の中で、「馬の進化図」について、次のような事実を明らかにしました。
 「一九〇五年、進化論を証明しようと、馬の化石を全部展示する展示会が計画されました。アメリカ自然史博物館において、馬は鮮やかに並びました。
 誰も彼も、これを"進化論的系統樹"だと思いました。しかし実は違ったのです。別々の時に、別々の所で集めた馬の化石を、単に大きさの順に並べただけのものだったのです。
けれども、今さら教科書からはずすことはできません。そのために多くの生物学者自身、この事実を知らないでいます。
 実際、数年前に、ある古生物学者とラジオ討論会を行なったとき、『系統進化などない』と私が言ったところ、彼は『博物館に行って馬を見ろ』と言うのです。彼は、あれが単に大きさ順に並べられただけのものであることを、知らなかったのです」。(六)
進化論者が「進化の証拠」とした「馬の進化図」は、このように全くのデタラメだったのです。


「馬の進化図」は全くのデタラメだった

 さらに、類人猿とヒトの中間型として進化論者が主張してきた幾つかの化石・・「猿人」とか「原人」とか呼ばれたものも、今では真の中間型ではなかったことが証明されています(本書前章)。
このように、多年にわたって中間型として主張されてきた幾つかの化石も、じつは真の中間型ではありませんでした。今や、膨大な化石記録は中間型の存在を否定しており、進化の事実はなかったことを、証明しています
 生物は当初から、魚類は魚類、鳥類は鳥類、ホ乳類はホ乳類・・・・だったのであり、種類ごとに存在していたのです。


「突然変異」は進化を妨害するだけだった
                   
 進化論において、「突然変異」は進化の主役とされてきました。進化論においては、生物は「突然変異」の積み重ねによって、次第に複雑で高度な機能をもつ生物に進化してきたとされているのです。
 ですから、突然変異は、実際上、進化の唯一の原動力です。より高度な生命形態への突然変異が起こり得たならば、進化も可能だったことになり、起こり得なかったとすれば、進化は不可能だったということになります。
 しかし、多くの科学者が指摘しているように、突然変異は進化を押し進めるどころか、進化を妨害し、生命の存続を危機に追い込むものでしかありませんでした。突然変異は、その生物に有利な変化をもたらすのではなく、不利な変化しかもたらさないのです。
 あの「ショウジョウバエ」の突然変異を観察した結果も、突然変異によってもたらされたのは、「異常に短いハネ、変形した剛毛、盲目や他の重大な欠陥」に過ぎませんでした。
 ヒトにおいて、障害児が生まれたり、遺伝病がおこったりすることがあるのも、突然変異の結果です。突然変異とは、「異常」であり、「障害」であって、生命の歴史において生命体を改悪することはあっても、改善し「進化」させることはできなかったでしょう。
 進化論の教科書などではよく、
 「突然変異はほとんどの場合有害だが、長い時代の間には、いくつか有益な突然変異も出てきて、それが進化の原動力となったに違いない」
 というような教え方がなされます。しかし、アメリカの著名な科学者ゲーリー・E・パーカー博士は、数多くの有害な突然変異のなかで、たとえ万一、その生命体に一つ、あるいは幾つかの「有益な」突然変異がおこったとしても、結局それも生命体を進化させることは不可能だったことを、明らかにしています。(七)
 というのは、突然変異によって引き起こされた欠陥や障害は、歳月とともに遺伝子の中に重い「遺伝荷重」を負わせ、積もり積もっていくからです。「遺伝荷重」とは、言わば生命体にかかる負担であり、それは遺伝的に次の代に伝わっていくので、代を重ねるごとに重くなり、ついには致命的なものとなります。
 したがってその過程で、有益とみえる変異がたまたま起こったとしても、積もり積もった数多くの障害の中で、それも役に立ちません。歳月がたてばたつほど、その傾向は強くなり、結局突然変異は進化を妨害し、「種」の存続を脅威にさらすだけなのです。
また、生命体に真に有利な突然変異、あるいは他の種に移行し得るような突然変異を実際に観察し得た人は、誰かいるでしょうか。ひとりも、いません。
 また実際に、一つの種から他の種に移行した生物を見た人も、ひとりもいません。理論も観察も、他の種への突然変異はなかったことを示しています。進化は、あり得なかったのです。
 すべての生物は、聖書の述べているように「種類にしたがって」(創世一・二一)創造され、同時期に存在し始めたと考えたほうが、事実によく適合していると言えます。


人類の歴史の始めにおいては、近親結婚に支障はなかった
                   
 ここで、「遺伝荷重」の問題と、人類誕生の頃の近親結婚との関係について、述べておきましょう。
 突然変異によって遺伝子の中に積もり積もっていく「遺伝荷重」は、時間とともに悪化していきますが、人類の歴史の始めにおいては、「遺伝荷重」の問題がなかったために、近親結婚にも支障がありませんでした。
 聖書をみると、人類の歴史の始めにおいては、近親結婚がなされていたことがわかります。
 アダムとエバは、初め「カイン」を生み、次に「アベル」、次に「セツ」を生みました。セツを生んで後も、
 「生めよ。増えよ。地に満ちよ」(創世一・二八)
 との神の命令に従って、多くの「男子と女子とを生み」(創世五・四)ました。はじめは、これら少数の人々から人類が増え広がっていったわけで、当初の結婚は近親結婚でした。たとえば、カインやセツの妻となった女性は、彼らの妹、あるいは姪であったと思われます。
 パーカー博士は、このことについて次のように述べています。
 「人類の歴史のはじめに、近親間での結婚は、はじめのうちは遺伝荷重がほとんどなかった為に、問題を起こしませんでした。しかし現在では、時間とともに遺伝荷重は突然変異によって増加しているので、近親間での結婚は、あまり賢明でないと考えられています」。(八)


ウイルス進化説は正しいか

 最近、進化論者の中には、従来のダーウィン流進化論がもはや機能しないのをみて、新たに「ウイルス進化説」なるものを唱え始めた人々がいます。これは、日本人の医学者と科学評論家が著書『ウイルス進化論─ダーウィンへの挑戦』の中で唱えた説です。ウィルス進化説は、「進化は伝染病である」と主張します。
 つまり、ウイルスによって運ばれた遺伝子が、ある生物の遺伝子の中に入り込み、それを変化させることによって進化が起きるのだといいます。進化は、ウイルスが引き起こした一種の伝染病というわけです。
 これは従来のダーウィン流進化論の適応進化の考えを否定する、新しい考え方です。
 たとえば、「キリンの首はなぜ長い?」という疑問に対し、ダーウィン流進化論では、キリンの首はしだいに長くなったとしてきました。ところが、しだいに長くなったのなら「中間の首の長さ」のキリンの化石が見出されるはずですが、そんなものは一切発見されていません。だからキリンの首は瞬間的に長くなったとし、それをもたらしたのはウイルスの伝染病による進化だ、という主張なのです。
 しかし、具体的証拠があるわけではなく、それを裏づける報告は一切ありません。その主張は想像の域を出ていません。つまり、進化は伝染病であると主張しても、実際には具体的な仕組みを何も述べることができないのだから、空想科学小説と何ら変わりはないのです。
 ウイルスは、生物や人間に伝染病を引き起こすものです。それは生命に危険をもたらし、生存をあやうくします。そのウイルスが、生物をより高度な生命体に進化させたというのは、どうみても無理な話でしょう。
 実際、ウイルスは現代においてもあちこちに存在するが、それが生体機能に障害を与えたという話は聞いても、遺伝子にまで影響を与えて生物を「進化させた」(単なる変化ではない)、発展させたという例は観測されたことがありません。
 ウイルス進化説は、初心者向けの解説書などでは、あたかも有力な学説であるかのように紹介されたりすることがあります。しかし、生物進化論の専門家からは認められていません。ほとんど相手にされていないか、似非科学と批判されているものです。
 またウイルス進化説は学術雑誌に投稿した論文でもないため、学問的な審査も経ておらず、それゆえ科学学説としても認知されていません。ウイルス進化説は、進化論者からも、
「自然選択説への誤った批判。観察や研究例を無視したもので、非論理的な考察である」
 と批判されています。またウイルス進化説を唱えたところで、ウイルスも何もない無生物状態の原始地球において、いかにして最初の生命が誕生したかについては、何も解答を与えるものではないのです。
 このように進化論者は、ダーウィン流の進化論がもはや機能しないことがわかると、ウイルス伝染病による進化説を唱えたりして、何とか進化論を持ちこたえさせようとしているのが実状です。
 しかし、これは進化論の末期症状ともいえるでしょう。生物誕生の背後には創造者がいたということを認めない限り、人間をはじめとする生物の成り立ちを説明することは不可能なのです。


【註】
(一) 『インパクト』(聖書と科学の会)三九号、一ページ
(二) 同五五号、四ページ
(三) 『マハナイム』(聖書と科学の会)三号、四ページ
(四) 『インパクト』一一八号、四ページ
(五) 『インパクト』五三号、三ページ
(六) 『インパクト』ジェレミー・リフキン著『エントロピーの法則2』(祥伝社一九八三年)、一三  
  三ページ
(七) 『インパクト』四一号、二ページ
(八) 同四一号、二ページ

久保有政

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