終末論

終末の時代に起こること 第2章

患難時代

世界が最も末期症状を呈する時代――それが患難時代だ


末期症状を呈した世界に対し、神の裁きと救いが始まる

末期症状を呈する時代

 終末が近くなった時代の出来事に関する預言は、聖書の「ヨハネの黙示録」「ダニエル書」また「マタイ・マルコ・ルカ福音書」および使徒パウロの「手紙」、その他に記されています。
 これらの中で、多くの人が最も興味を抱いているのは、やはり「ヨハネの黙示録」の預言でしょう。これは多くの象徴が用いられている書物なので、難解とされますが、最も詳しいものであり、また最も興味深いものを含んでいます。
 そこで、この書の預言を中心に、終末の時代の出来事について調べてみることにしましょう。
 ヨハネの黙示録には、終末の「患難時代」の様々な出来事、およびイエス・キリストの再臨(再来)、千年王国、またその後の万物更新と、新天新地の創造等が記されています。
 本章では、「患難時代」に起きる様々の出来事に目を向けてみましょう。
 患難時代についてイエス・キリストは、それは「産みの苦しみ」の時代だと言われました(マタ二四・八)。それは一種の"陣痛"に似た時代であって、多くの苦難が起こりますが、来たるべき至福の時代を産み出すために、世界がどうしても通過しなければならない時代なのです。
 ちょうど妊婦が、次世代の生命を産み出すために産みの苦しみを経験するように、この世は、次の世を産み出すために産みの苦しみを経験しなければなりません。
 また、この時代はある意味で、"末期症状"の時代でもあります。ガンにかかった人は、末期になると体のあちこちに苦痛を感じるようになります。ちょうどそのように、世界はこの時代になると、自己のかかえる矛盾が一斉に噴き出すために様々の末期症状を呈するようになり、悪が栄え、出口を失って苦悶するようになるのです。
 この様々の末期症状的苦難、および世界が経験する産みの苦しみを、「患難」と呼んでいます。患難時代には、地に住むすべての人々の上に多くの患難が及びます。
 聖書は患難時代を、「全世界に来ようとしている試練の時」(黙示三・一〇)とも呼んでいます。それは多くの人にとって、生き方や信仰が試される時となるでしょう。


第七の封印の中に七つのラッパがある
また第七のラッパの中に七つの鉢がある


 黙示録においては、患難時代の出来事は、「七つの封印」「七つのラッパ」「七つの鉢」という預言的表徴をもって記されています。
 これについて多くの人々は、まず七つの「封印」の出来事が地上に起こり、それが終わると、つぎに七つの「ラッパ」の出来事があり、その後、七つの「鉢」の災害が起こる、と思っています。事実、そのように解釈している聖書講解書も少なくありません。
 しかし、黙示録を注意深く読んでみると、じつはそうではないことがわかってきます。
 「七つの封印の出来事」が終わってから、「七つのラッパの出来事」があるのではなく、「第七の封印」の内容として「七つのラッパ」があるのです。こう記されています。
 「小羊(キリスト)が第七の封印を解いたとき、天に半時間ばかり静けさがあった。それから私(ヨハネ)は、神の御前に立つ七人の御使いを見た。彼らに七つのラッパがあたえられた」(黙示八・一〜二)。
 第七の封印が解かれて後、第一のラッパが吹かれるまでの間に、とくに何か地上に出来事が起こるわけではありません。第七の封印が解かれると、七つのラッパすべてが現われるのです。
 つまり、「七つのラッパ」は、第七の封印の"内容"です。第七の封印が終わった後に七つのラッパがあるのではなく、第七の封印の中に七つのラッパがあるのです。これは小さなことと思うかも知れませんが、じつは大きな違いで、あとで重要な意味を持つことがわかってきます。


 第7の封印の出来事の"あとに"7つのラッパの出来事が、第7のラッパの出来事の"あとに"7つの鉢の出来事があると思いがちだが、そうではない。第7の封印の"内容として"7つのラッパがあり、第7のラッパの"内容として"7つの鉢がある.。

 同様に、「七つのラッパ」の終わった後に「七つの鉢」があるのではなく、第七のラッパの内容として七つの鉢があります。こう記されています。
 「第七の御使いが吹き鳴らそうとしているラッパの音が響くその日には、神の奥義は、神がご自身のしもべである預言者たちに告げられた通りに成就する。・・・・
 第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。・・・・地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時が来た。・・・・私(ヨハネ)は、天にもう一つの巨大な驚くべきしるしを見た。七人の御使いが、最後の七つの災害(鉢で表現される)を携えていた」(黙示一〇・七、一一・一五〜一八、一五・一)。
 このように、第七のラッパの内容として、七つの鉢が現われています。黙示録をよく読んでみると、第七の封印の内容として七つのラッパがあり、また第七のラッパの内容として七つの鉢があることが、わかるのです。
 もしこれを、七つの封印が終わってから七つのラッパがあり、七つのラッパが終わってから七つの鉢があるように思ってしまうと、黙示録はわからなくなってしまいます。


巻き物の外側の預言が封印の預言
内側の預言がラッパの預言


 黙示録は、キリストの使徒ヨハネが、キリストから示された預言的な幻や、預言の言葉を記した書物です。
 このとき使徒ヨハネは、それらの預言的幻や預言の言葉を、「巻き物」によって示されました。神の「巻き物」によって示された預言的幻と言葉を記したものが、「ヨハネの黙示録」なのです。
 じつは黙示録には、「巻き物」が二つ出てきます。"大きな巻き物"と"小さな巻き物"です。
 まず、"大きな巻き物"について見てみましょう。こう記されています。
 「私(ヨハネ)は、御座にすわっておられる方(神)の右の手に、巻き物があるのを見た。それは内側にも外側にも文字が書き記され、七つの封印で封じられていた」(黙示五・一)。
 この「巻き物」が、大きな巻き物です。それは神の巻き物であって、預言の巻き物なのです。これには「内側にも、外側にも」預言の言葉が記されていました。
 この巻き物は、「七つの封印」で封じられています。七つのシールが貼られているのだ、と思えばいいでしょう。あるいは、七つの紐がかけられているのだ、と思えばよいでしょう。
 その一つ一つを解いていくたびに、いわゆる「封印の幻」・・預言の幻が、ヨハネに見えていくのです。
 「巻き物」というものは、封印の全部を解いてしまうまでは、決して開かれません。一つでもシールが残っていると、開けることができないのです。


7つの封印全部を解いたときに
初めて巻き物が開かれる

 第六の封印の時までは、まだ巻き物は開かれていません。第七の封印が解かれて、はじめて巻き物が開かれるのです。
 したがって「封印の幻」は、巻き物の「外側」に記された文字による幻、ということができます。巻き物の封印を一つ一つ解くたびに、巻き物の「外側」に記された預言の幻と言葉が、ヨハネに示されるのです。
 そして「第七の封印」が解かれ、巻き物が開かれると、「七つのラッパ」の預言が開始されます。七つのラッパの預言は、巻き物の「内側」に書かれている文字によるものなのです。
 「封印の幻」が巻き物の外側の文字によるものであるのに対し、「ラッパの幻」は、巻き物の内側の文字によるものです。
 つぎに、もう一つの巻き物・・小さな巻き物について見てみましょう。
 これは、「第七のラッパ」の内容を詳しく記した巻き物です。黙示録では、第七のラッパは特別なラッパとされ、「神の奥義」が成就する時を示すものとされています。
 そこで、第七のラッパの内容を詳しく預言するために、もう一度、今度は「小さな巻き物」がヨハネに与えられるのです。
 「私(ヨハネ)は、御使いの手からその小さな巻き物を取って食べた。すると、それは口には蜜のように甘かった。それを食べてしまうと、私の腹はにがくなった。
 そのとき彼らは私に言った。『あなたはもう一度、もろもろの民族、国民、国語、王たちについて預言しなければならない』」(黙示一〇・一〇〜一一)。
この「小さな巻き物」も、やはり預言の巻き物なのです。ヨハネは、これを「食べ」ました。
 「食べる」という行為は、聖書では、自分の内に"展開"していくことを意味しています。
 かつてアダムとエバは、善悪を知る木の実を「食べ」ました。すると、彼らとその子孫の内に、善と悪が展開していきました。
 預言者エゼキエルも、あるとき預言の巻き物を、「食べ」させられました。すると、巻き物に記された預言が彼の内に展開し始め、彼の口から次々に預言の言葉が出てきました(エゼ二・八〜四)。
 使徒ヨハネも、「小さな巻き物」を与えられて、それを「食べ」ました。すると、彼の内に預言の言葉が展開し始め、神のご計画の完成する特別な「第七のラッパ」の時のことについて、新たな預言を始めたのです。


封印の幻は一種の予告編

 私たちは、第七の封印の内容として七つのラッパがあり、第七のラッパの内容として七つの鉢があることを見ました。
 ここで、「封印」「ラッパ」また「鉢」の関係はどうなっているのかについて、もう一度詳しく見てみましょう。
 封印の幻は、預言の「巻き物」の外側の文字によるものであり、ラッパの幻は、内側の文字によるものです。つまり、封印の幻は"予告編"のようなものであり、ラッパの幻が"本編"なのだと言うことができるでしょう。
 封印の幻は、ちょうど映画の"予告編"のようなものなのです。映画館では、よく近日上映の映画の予告編が見せられます。
 予告編は、映画の幾つかの場面を人々に見せることにより、実際の映画がどのような雰囲気を持ったものかを示します。それと同様に、封印の幻という"予告編"は、終末の時代に関するラッパの幻の"本編"に入る前に、その幾つかの場面を見せるものとなっているのです。

 封印の幻について、詳しく見てみましょう。
 第一の封印に表徴される預言的幻は、"勝利"です。
 「小羊(キリスト)が七つの封印の一つを解いたとき・・・・私(ヨハネ)は(預言的幻のうちに)見た。見よ。白い馬であった。それに乗っている者は弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上にさらに勝利を得ようとして出て行った」(黙示六・一〜二)。
 この「勝利」は、終末の時代における福音宣教を象徴するものと思われます。イエス・キリストは、
 「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから終わりの日が来ます」(マタ二四・一四)
 と言われました。患難時代の苦難の中でも、福音は勝利をおさめていくのです。

 つぎに、第二の封印の幻は、戦争の多発です。
 「第二の封印を解いたとき・・・・別の火のように赤い馬が出てきた。これに乗っている者は、地上から平和を奪い取ることが許された。人々が互いに殺し合うようになるためであった」(黙示六・四)。
 この幻は、地上における戦争の多発を表徴しているものです。イエス・キリストは、
 「戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょう。・・・・民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がります」(マタ二四・六〜七)
 と言われました。

 第三の封印の幻は、ききんです。
 「第三の封印を解いたとき・・・・私は見た。見よ。黒い馬であった。これに乗っている者は量りを手に持っていた。すると私は、一つの声のようなものが・・・・こう言うのを聞いた。『小麦一枡は一デナリ。大麦三枡も一デナリ。オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない』」(黙示六・五〜六)。
 「一デナリ」は、日雇い労働者の一日分の給料に相当します。これは、極端な食糧不足で価格が上昇したことを言っているのです。これについてイエス・キリストは、
 「方々にききん・・・・が起きます」(マタ二四・七)
 と言われました。

 第四の封印の幻は、多くの"死"です。
 「第四の封印を解いたとき・・・・私は見た。見よ。青ざめた馬であった。これに乗っている者の名は死といい、そのあとにはハデス(よみ=死者の世界)がつき従った。彼らに、地上の四分の一を剣とききんと死病と地上の獣(独裁者)によって殺す権威が与えられた」(黙示六・七〜八)。
 患難時代には多くの人々が、戦争や、ききんや、死病や、世界的独裁者(象徴的に獣と呼ばれる)の圧政によって死ぬのです。


「これに乗っている者の名は死といい……」


 第五の封印の幻は、患難時代中のクリスチャンへの迫害と、殉教者たちに関する幻です。
 「第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々の魂が祭壇の下にいるのを見た。彼らは大声で叫んで言った。『聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか』。
 すると彼らの一人一人に白い衣が与えられた。そして彼らは、『あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数の満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい』と言い渡された」(黙示六・九〜一一)。
 これについてイエス・キリストは、
 「人々は、あなたがたを苦しい目に会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。・・・・しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます」(マタ二四・九〜一三)
 と言われました。

 つぎは第六の封印の幻ですが、私たちはこれにとくに注目すべきでしょう。この幻は患難時代のあと、千年王国も終わって、天地が過ぎ去り、最後の審判の法廷が開かれる時のものだからです。
 「第六の封印を解いた時・・・・天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された」(黙示六・一二〜一七)。
これは明らかに、天地が過ぎ去る時・・万物更新の時のことを言っています。「患難時代」の後に「千年王国」があり、そののち天地は過ぎ去り、最後の審判の法廷が神の御座において開かれるのです。
第六の封印の幻は、その時のことまで垣間みさせているわけです。これは「封印の幻」が、"本編"預言に入る前の、いわば"予告編"だからなのです。
 先に、もし封印の幻が七つ終わった後にラッパの幻の出来事に入ると考えてしまうと、何がなんだかわからなくなってしまうと書きましたが、その理由はここにあります。
 六つの封印の幻は、本編預言に入る前の、一種の"予告編"なのです。予告編では、終末の時代のおもなトピックスを、いくつかかいま見させています。ですから第六の封印の幻では、万物更新の時のことまで垣間みさせているのです。

 最後に、第七の封印が解かれると、いよいよ巻き物が開かれます。封印が全部解かれるので、はじめて巻き物が開くのです。
 巻き物が開くと、"本編預言"が開始されます。患難時代について、さらに詳しい預言がなされるのです。
 第七の封印が解かれるとともに、巻き物の内側に記された「七つのラッパ」の預言が解き放されます。この七つのラッパの幻が、"本編"の預言なのです。


ラッパの幻が本編

 本編預言である七つのラッパの幻を見てみましょう。

 まず、第一のラッパに表徴される預言的幻は、地上に対する災いの幻です。
 「第一の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、血の混じった雹と火とが現われ、地上に投げられた。そして地上の三分の一が焼け、木の三分の一も焼け、青草が全部焼けてしまった」(黙示八・七)。

 つぎに第二のラッパの幻は、海に対する災いです。
 「第二の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると火の燃えている大きな山のようなものが、海に投げ込まれた。そして海の三分の一が血となった。すると海の中にいた命のあるものの三分の一が死に、舟の三分の一も打ちこわされた」(黙示八・八〜九)。

 第三のラッパの幻は、川に対する災いです。
 「第三の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が天から落ちてきて、川々の三分の一とその水源に落ちた。この星の名は苦よもぎと呼ばれ、川の水の三分の一は苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ」(黙示八・一〇〜一一)。
 これら第一、第二、第三のラッパの幻に示された災害は、たとえば直径数キロ〜十キロ程度の大隕石、または小惑星が地球に衝突したような際に引き起こされる災害を想起させるものです。大隕石または小惑星が地球に衝突すると、それは大気圏突入の際に火だるまになって落ちてくるので、巨大な火、または血の塊のように見えるでしょう。
 それが「地上」に落ちれば、巨大な地震を引き起こし、さらには落下地点からかなり広い範囲にまで、猛烈な熱によって多くのものを焼き尽くすのです。それが「海」に落ちれば、巨大な津波を引き起こすほか、猛烈な熱が多くの海洋生物を死に至らせるはずです。
 さらに、落下地点の付近に原子力発電所があるような場合は、それが破壊されて放射能が漏れだし、多くの「川の水を汚染」するでしょう。
 かつてロシアで、「チェルノブイリ原子力発電所」が爆発事故を起こして放射能が漏れだしたとき、川が汚染されて多くの人が死にました。この「チェルノブイリ」は、ロシア語で「苦よもぎ」の意味です。


チェルノブイリ原発の事故。
「チェルノブイリ」とは「苦よもぎ」の意味だ

 もし将来、大隕石または小惑星の地上への落下により、原子力発電所が破壊され、放射能が漏れ出すことがあれば、人々はかつての「チェルノブイリ発電所」の記憶に従い、それをチェルノブイリ(苦よもぎ)と呼ぶに違いありません。
 実際、今日多くの自然保護団体は、原子力発電所の事故を心配して、「第二、第三のチェルノブイリを起こしてはならない」と言って運動を展開しています。
 これらが、第一、第二、第三のラッパで言い表されている災害であるとも考えられます。

 第四のラッパは何でしょうか。
 科学者によれば、もし大隕石あるいは小惑星が地球に衝突すると、その衝撃により莫大な量のチリが空高く舞い上げられ、大気上空の成層圏にまで達するといいます。それは上空で広い範囲をおおい、長い間地上に暗黒をもたらすはずです。
 そのため、その期間は太陽や月や星が、地上からはよく見えなくなるでしょう。「第四のラッパ」の幻で言われていることは、そのことかも知れません。
 「第四の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると太陽の三分の一と、月の三分の一と、星の三分の一が打たれたので、三分の一は暗くなり、昼の三分の一は光を失い、また夜も同様であった」(黙示八・一二)。
 このように第一〜第四のラッパの災いは、陸・海・川・空における自然災害です。これらの自然災害で被害を受ける人々も少なくありません。
 しかし、第五のラッパ以降、その災いはさらに直接的に人間に及んでいきます。

 第五のラッパの幻は、「額に神の印を押されていない人々」に対する災いです。
 「彼らは、地の草やすべての青草や、すべての木には害を加えないで、ただ、額に神の印を押されていない人間にだけ害を加えるように言い渡された」(黙示九・四)。
 額に神の印を押されていない人々には災いが下り、一方、印を押された人々は、この災いの中でも守られるのです。聖書によると、すべてのクリスチャンは、「聖霊による証印」を押されています(エペ一・一三)
 額にこの神の印を押されていない人々に対して、災いが下るというのですが、それはどんな災いでしょうか。それはおそらく一種の疫病のようです。
 「人間にだけ害を加えるように言い渡された。しかし、人間を殺すことは許されず、ただ五か月の間苦しめることだけが許された。その与えた苦痛は、さそりが人を刺したときのような苦痛であった。その期間には、人々は死を求めるが、どうしても見いだせず、死を願うが、死が彼らから逃げて行くのである}(黙示九・四〜六)。
 この人間にだけ与えられる苦痛は、おそらく一種の疫病によるものでしょう。そしてその疫病が猛威をふるう期間は、「五か月間」です。

 第六のラッパの幻は、人類の三分の一の人々の死滅と、異邦人によるエルサレム蹂躪(じゅうりん)に関する幻です。
 「これらの三つの災害、すなわち彼らの口から出ている火と煙と硫黄とのために、人類の三分の一は殺された」(黙示九・一八)。
 黙示録が記された当時(一世紀)、人類の三分の一が一度に死ぬなどということは、ほとんど考えられないことでした。しかし、核爆弾を持つ現代世界にあっては、それも充分あり得るようになっています。
 またこれに続いて、聖都エルサレムが三年半にわたって踏みにじられる、という出来事が起きます。
 「彼ら(異邦人)は、聖なる都を四二か月の間踏みにじる」(黙示一一・二)。


聖都エルサレムが3年半にわたって踏みにじられる

 しかし、異邦人に踏みにじられているこの四二か月=三年半の間においても、神の二人の預言者がエルサレムに現われ、預言活動をします。二人の預言者はその三年半の最後に、その頃世界に台頭する独裁者(獣)に殺されます。しかし三日半の後によみがえり、人々の見ている中を昇天します(黙示一一・一一〜一二)。

 最後の第七のラッパの幻は、患難時代のクライマックスに関するものです。
 第七のラッパは、使徒パウロが「終わりのラッパ」(一コリ一五・五二)と言い表したものであり、最も重要なものです。
 第七のラッパが吹かれると、次々に驚くべき出来事の預言的幻が示されます。三年半にわたって最後の活動をする「獣」(悪の独裁者)のこと、キリストの再臨、キリスト者の携挙(黙示一四・三)、そしてキリストによって地上の悪に対して下される審判(黙示一四・一九)などに関する預言的幻です。
これらのことが、第七のラッパの時・・すなわち患難時代の末期に起きます。
 「七つの鉢の災害」は、この第七のラッパの出来事の一部です。地上の悪に対するキリストの審判は、「七つの鉢の災害」として示されているのです。
「七人の御使いが、最後の七つの災害を携えていた。神の激しい怒りは、ここに窮まるのである」(黙示一五・一)。


地上の悪に対する神の裁きを実行する天使たち

 「七つの鉢の災害」は、第七のラッパの幻の中で起きることであって、"本編"預言のクライマックス部分なのです。
 このように、まず封印の幻という"予告編"があり、つぎにラッパの幻という"本編"の預言に入り、最後に、鉢の幻という"クライマックス"の記述があるのです。


鉢の幻は患難時代のクライマックス

 「鉢」で表徴される預言的幻について見てみましょう。

 第一の鉢は、獣(独裁者)を拝む人々に対する悪性のはれものの災いです。
 「第一の御使いが出て行き、鉢を地にむけてぶちまけた。すると、獣の刻印を受けている人々と、獣の像を拝む人々に、ひどい悪性のはれものができた」(黙示一六・二)。

 第二の鉢は、海への災いです。
 「海は死者の血のような血になった。海の中のいのちのあるものは、みな死んだ」(黙示一六・三)。
 かつて第二のラッパの時には、海の中で死んだのは「三分の一」でした。しかし第二の鉢の時には、その残りもすべて死ぬのです。

 第三の鉢は、川と水の源への災いです。
 「第三の御使いが、鉢を川と水の源にぶちまけた。すると、それらは血になった」(黙示一六・四)。

 第四の鉢は、太陽の炎熱です。
 「太陽は火で人々を焼くことを許された。こうして人々は、激しい炎熱によって焼かれた。しかも彼らは、これらの災害を支配する権威を持つ神の御名に対してけがしごとを言い、悔い改めて神をあがめることをしなかった」(黙示一六・八〜九)。
 これは炎天下のもと、何らかの要因が重なって、気温が激しく上昇することを意味しているように思えます。

 第五の鉢は、暗黒です。
 「獣の国は暗くなり、人々は苦しみのあまり舌をかんだ。そしてその苦しみと、はれものとのゆえに、天の神に対してけがしごとを言い、自分の行ないを悔い改めようとしなかった」(黙示一六・一〇〜一一)。
 炎天下の次には、黒雲が何日も覆う日が続きます。そのため、気温が極度に下がり、人々は苦しみもだえるでしょう。

 第六の鉢は、ハルマゲドンの戦いの準備です。
 「(大ユーフラテス川の)水は、日の出るほうから来る王たちに道を備えるために、かれてしまった。・・・・彼ら(悪霊)は、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に、王たちを集めた」(黙示一六・一二〜一六)。
 ハルマゲドンとは、メギドの丘という意味で、イスラエル北部の地です。そこに多くの軍隊が、イスラエルに攻めいるために集結します。しかし、やがてキリストが再臨し、彼らを滅ぼされます。それが有名な「ハルマゲドンの戦い」です。
 それはいわゆる"人類絶滅の核戦争"のことではありません。キリスト対地上の悪の勢力の戦いなのです。これについては、あとでまた見ましょう。

 第七の鉢は、巨大地震、その他の天変地異、および大バビロン(終末の時代に世界を支配する都)の滅亡です。
 「大きな地震があった。この地震は、人間が地上に住んで以来、かつてなかったほどのもので、それほどに大きな強い地震であった。また・・・・大バビロンは、神の前に覚えられて、神の激しい怒りのぶどう酒の杯を与えられた。
 島はすべて逃げ去り、山々は見えなくなった。また一タラント(約三五キログラム)ほどの大きな雹が、人々の上に天から降ってきた。人々は、この雹の災害のため、神にけがしごとを言った」(黙示一六・一八〜二一)。


大バビロン(世界支配の都)の滅亡

 こうした天変地異については、イエス・キリストも次のように預言されました。
 「その時には、世の初めから今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。・・・・太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます」(マタ二四・二一、二九)。

 第七の鉢が終わると、続いて天が開かれ、キリストが地上に再臨されます。彼はハルマゲドンの地で、獣とその軍勢を破られます(黙示一九・一一〜二一)。キリストは彼らに審判を下し、地上から悪を一掃されます。

 このように患難時代には、とくに末期になると、激しい天変地異も起きるようになります。患難時代の苦難は、初期から末期にかけて、だんだんと激しいものになるのです。
このような苦難の中で、クリスチャンは一体どうやって守られるのでしょうか。
 それは、あとで詳しく見たいと思います。ここではただ、主イエスが語られた次の約束だけを見ておきましょう。
 「あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう」(黙示三・一〇)。
 「もし(苦難の)日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者(クリスチャンたち)のために、その日数は少なくされます」(マタ二四・二二)。
 「あなたがたの髪の毛一筋も失われることはありません。あなたがたは忍耐によって、自分のいのちを勝ち取ることができます」(ルカ二一・一八〜一九)。
 「あなたがたは、やがて起ころうとしているすべてのことからのがれ、人の子(キリスト)の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい」(ルカ二一・三六)


患難時代は前兆期・第一期・第二期・第三期からなる

 私たちは黙示録を中心に、患難時代の様々な出来事について大ざっぱに見てきました。さらに私たちは、イエス・キリストが「福音書」において語られたことや、「ダニエル書」その他の預言をもふまえ、最後にもう一度、患難時代について検討を加えてみましょう。
 これらの聖書の預言をすべて総合してみると、患難時代は前兆期、第一期、第二期、第三期というように4つの時期に分けて考えられることがわかります。
 まず、患難時代はその主要な期間に入る前に、長い「前兆期」と呼べる時代があります。第一〜第四のラッパの出来事も、この前兆期の中に含まれます。
 そして第五のラッパ以降が、患難時代の主要部となります。なぜなら黙示録に、
 「第五の御使いがラッパを吹き鳴らした。……第一のわざわいは過ぎ去った。見よ、この後なお二つのわざわいが来る」(黙示九・一二)
 と記されています。第五のラッパが「第一のわざわい」と呼ばれているのです。すなわち、これが患難時代の第一期です。
 一方、第六のラッパは第二のわざわいと呼ばれ、第七のラッパは第三のわざわいと呼ばれています。
 「第二のわざわいは過ぎ去った。見よ。第三のわざわいがすぐに来る。第七の御使いがラッパを吹き鳴らした・・・・」(黙示一一・一四〜一五)。
 このように、黙示録において患難時代の主要部は、「第一のわざわい」〜「第三のわざわい」という三つの時期にわけて記されています。これら三つが、患難時代の第一期、第二期、第三期ということになります。すなわち、

前兆期:第1〜4のラッパ ある程度長い期間
第1期:第5のラッパ(第1の災い)   5ヶ月
第2期:第6のラッパ(第2の災い)   3年半
第3期:第7のラッパ(第3の災い)   3年半

 という対応関係になっています。詳しくみてみましょう。

前兆期
 まず、患難時代前兆期についてです。
 前兆期には、イスラエル国家の再建(一九四八年)、世界大戦等の全面戦争、偽キリスト、偽預言者の出現、疫病、ききん、地震、不法の増加、福音の世界宣教、その他のことが起きます。
 これらのことは、とくにイエス・キリストが、マタイ福音書二四章の一〜一四節などで語られていることです。これらはすでに、現代社会において成就していることでもあります。
 またこれらに加えて、上で述べた第一〜第四のラッパのわざわいも起こってくるでしょう。すなわち陸・海・川・空に、自然界のすさまじい災害が発生します。
 しかし、これらはまだキリストが言われた「産みの苦しみの初め」、すなわち前兆期の出来事なのです。
 前兆期は、数年や数カ月の短い期間ではなく、ある程度の長い年月でしょう。方々に戦争や、ききんが繰り返し起こり、またこれから起こるべきことも残されているので、それはある程度長い年月となります。 
 そののち時代は、患難時代の主要部――すなわち第一期、第二期、第三期へと入っていきます。


患難時代第一期

 第一期は、黙示録でいう第五のラッパの出来事、すなわち先に述べた「五ヶ月間」におよぶ特殊な疫病の期間です。
 すなわち、このことが起こったなら、患難時代はすでに前兆期を終え、主要部の第一期に突入したと考えなければなりません。
 これはまだ起きていないので、私たちはまだ第一期には入っていません。
 さらに、前兆期〜第一期のあいだに成就しなければならないことが、まだ幾つか残っています。
 その一つは、エルサレムにユダヤ人の神殿が再建されることです。なぜならユダヤ人の神殿は、患難時代第二期以降において踏み荒らされるはずなので、第一期までの間に再建され、しばらくの間ユダヤ人はそこで祭儀を続けると予想されるのです。
 また、第一期までに、かつてのローマ帝国の末裔の国々から、"十か国の軍事的同盟国"が現われるはずです。十か国の同盟国は、第二期以降において、世界を揺るがす存在となるでしょう。
 さらに、彼らの頭として、「獣」と象徴的に呼ばれる独裁者が出現します。「獣」は、第一期までの間に世界に誕生するはずです。そして、すでにある程度の力はすでに持ち始めるでしょう。


患難時代第二期
 つぎに、患難時代が第二期に入ると、エルサレムが異邦人によって踏み荒らされます。イエスは言われました。
 「しかし、エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、そのときには、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。・・・・人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れていかれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます」(ルカ二一・二〇)。
 エルサレムが軍隊に包囲されたときから、患難時代第二期が始まるのです。エルサレムは「異邦人の時」と呼ばれる期間、異邦人に踏み荒らされますが、この「異邦人の時」は黙示録によれば三年半です。こう記されています。
 「彼ら(異邦人)は、聖なる都を四二か月の間踏みにじる」(黙示一一・二)。
 四二か月すなわち三年半の間、エルサレムは異邦人によって踏み荒らされるのです。「異邦人の時」とは、終末の時代の特定のエルサレム蹂躙期間をさしているのです。
 すなわち患難時代第二期は、三年半です。
 黙示録においては、エルサレム蹂躙は第六のラッパの出来事として語られています。
 第六のラッパは、「第二のわざわい」とも呼ばれています。
 「第二のわざわいは過ぎ去った。見よ。第三のわざわいがすぐに来る。第七の御使いがラッパを吹き鳴らした・・・・」(黙示一一・一四〜一五)。
 第六のラッパは「第二のわざわい」と呼ばれ、第七のラッパは「第三のわざわい」と呼ばれているのです。第二のわざわいは患難時代の第二期に、第三のわざわいは第三期に相当します。


患難時代第三期
 最後に、患難時代は第三期に入ります。
 第三期は、イエスが次のように語られた時代です。
 「これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。そのとき人の子(キリスト)のしるしが天に現われます。
 すると地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。
 人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民(クリスチャン)を集めます」(マタ二四・二九〜三一)。
 これは、黙示録でいうと、第七のラッパの出来事として語られていることです。
 患難時代第三期には、「獣」(世界的独裁者)の最後の活動が行なわれます。そして天変地異、「獣」の国への災い、キリストの再臨、大バビロンの滅亡、ハルマゲドンの戦い等が次々に起きます
 黙示録でいう七つの鉢の出来事も、みな第七のラッパの中の出来事ですから、それらも第三期の出来事として起こります。
 第三期は、「神のさばきの時」(黙示一四・七)、「御怒りの日」(黙示一一・一八)と呼ばれています。人類の悪は第一期、第二期にかけて増大しますが、ついに第三期に至って神の御怒りが現わされ、キリストが再臨して、地上に裁きが下されるのです。


キリストは天使たちと共に天から再臨される

 黙示録によれば、この第三期は約「三年半」にわたって続きます。
 すなわち患難時代が最も激しくなる第二期と第三期の期間を合計すると、七年です。

久保有政

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