ノアの大洪水
大洪水以前の地球環境は、現在とは大きく違っていた
大洪水以前には上空に水蒸気層があった
私たちは第一章で、原始地球が膨大な量の「水蒸気大気」におおわれたことを見ました。
この「水蒸気大気」は、現在の大気の成分である窒素やアルゴン等も含みますが、その大部分は水蒸気から成っていました。これら水蒸気、窒素、アルゴン等は、地球を形成した鉱物からの「脱ガス」によって生じたものです。
原始地球をおおったこの「水蒸気大気」こそ、聖書の創世記一・二で原始地球をおおったと言われている「大いなる水」でしょう。
「はじめに神が天と地を創造した。地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた」(一・一〜二)。
この水蒸気大気、すなわち「大いなる水」は、創造第二日になって、「大空の上の水」、「大空」、「大空の下の水」の三つに分かれました。
「神は『大空よ。水の間にあれ。水と水との間に区別があるように』と仰せられた。こうして神は大空を造り、大空の下にある水と、大空の上にある水とを区別された。するとそのようになった。・・・・第二日」(創世一・六〜八)。
最初にあった「大いなる水」(水蒸気大気)は、創造第二日において、「大空の上の水」「大空」「大空の下の水」の三つに分離したのです。
「大空」は大気、「大空の下の水」は海洋のことです。
では、「大空の上の水」とは何でしょうか。創造論に立つ科学者らは、それはノアの大洪水以前の地球上空に存在していた「水蒸気層」(water
vapor canopy)のことだと考えています。米国ミネソタ大学の水力学博士であるヘンリー・M・モリス博士はこう述べています。
「上の水は、現在空中に浮かんでいる雲とは異なります。聖書は、大空の上にあったと言っています。・・・・「大空の上の水」は、おそらく対流圏や成層圏の上で・・・・広大な水蒸気層を形成し、さらに空間へと広がっていたことでしょう」。
ノアの大洪水以前の地球の上空には、膨大な量の水蒸気からなる「水蒸気層」が存在していたのです。
じつは、この「水蒸気層」の考えは、これから述べる「創造論」の柱ともなる重要な概念です。
「創造論」とは、生命は、進化によってではなく、おのおの独自に創造されて出現したと考えた方が、様々の科学的証拠をよく説明できる、とする科学理論です。創造論によれば、世界は計画に従って創造され、生物の各種類は、「種類にしたがって」(創世一・一一)おのおの独自に創造されて出現しました。
この立場に立つ人々が創造論者であり、創造論者になる人は、科学者や知識人の間で次第に増えています。
水蒸気層の考え、および聖書に記されたような世界的大洪水が過去に実際にあったことを認めると、これから見ていくように、地球の歴史の中で謎とされていた多くの事柄が、明快に解明されるようになります。
以下、創造論の考え方を見ていきましょう。
上空の水蒸気層は無色透明
創造第一日の「大いなる水」と呼ばれた水蒸気大気は、創造第二日になって、一番上の「水蒸気層」、真ん中の「大空」、また一番下の「海洋」の三つに分かれました。聖書によれば、原初の水蒸気大気は、その水蒸気成分のすべてが落下して海洋となったわけではなく、水蒸気の一部は地球上空に残って、「水蒸気層」となったのです。
そして、水蒸気層はノアの大洪水の日に至るまで、地球環境を好適なものにするために、非常に重要な役割を果たしていました。
「水蒸気」というと、読者の中には"白いもの"と思うかたもいるかもしれません。実際、ある中学校で理科の先生が、
「水蒸気は白いものと思う人は手をあげて」
と言うと、ほとんどの生徒が手をあげました。生徒達は、やかんから出る白い湯気などを思い起こして、水蒸気は白いものだと思っていたのでしょう。
しかし、やかんから出る白い湯気は、じつは水蒸気が外気にふれて冷え、小さな水滴に戻ったものが白く見えているのです。それは気体状態の水蒸気ではなくて、小さな水滴に戻った液体状態の水です。
水蒸気と呼ばれる気体は、無色透明です。たとえば、鍋に水を入れてそれを沸騰させると、鍋の底から無色透明の気泡がぶくぶく発生するのを見ることができるでしょう。あれが水蒸気です。
このように水蒸気は無色透明ですから、ノアの大洪水以前の上空にあった水蒸気層は、太陽の光をよく通し、地上にサンサンと光を届けていました。
大洪水以前の地球上空には膨大な水蒸気層が存在していた。
これが聖書でいう「大空の上の水」(創世1:7)である。
また、水蒸気は空気より軽いので、ノアの大洪水以前に水蒸気層は、上空に安定して存在していることが可能でした。
今日の大気を見てみると、地表から上空に行くに従って、しだいに気温が低くなります。高い山に登ると寒くなることは、誰でも経験したことがあるでしょう。
一〇〇メートル上がるごとに約〇・六度、気温が下がります。
しかし、それも高さ一〇キロぐらいまでで、地表から約一三〇キロ以上離れると温度は逆に非常に高くなり、摂氏一〇〇度を越え、高いところでは一〇〇〇度以上にも達します。これは「熱圏」と呼ばれています。
また、上空五〇キロ前後のところも、オゾンの出す熱のために、比較的温度が高くなっています。大気というのは、高さによって、思いのほか複雑な構造になっているのです。
ノアの大洪水以前の地球の上空には、厚い水蒸気の層がありましたから、それによる気圧をも加えて、当時の地表における気圧は現在よりも高い状態にありました。また大気全体の構造も、現在とはかなり異なったものになっていたはずです。
しかし、当時の大気においても、ある程度の高さのところに高温帯があったでしょう。そして水蒸気層は、そこに安定して存在していたと思われます。
水は、一気圧のもとでは摂氏一〇〇度で沸騰し、盛んに蒸発して水蒸気に変わります。しかし、もっと低い気圧下では、もっと低い温度でも水蒸気になります。
したがって、当時の大気における各高度の圧力と温度のバランスが水蒸気状態を許す場所で、膨大な量の水蒸気層が存在することが可能でした。この水蒸気層が、ノアの日になって、「四〇日四〇夜」の大雨となって地表に降り注いだのです。
プテラノドンは水蒸気層の存在を示す
では、ノアの大洪水以前の地球の上空に水蒸気層が存在したという、何らかの科学的証拠は存在するのでしょうか。
存在します。そのよい例は、空飛ぶ爬虫類プテラノドンの化石でしょう。
プテラノドンの化石の中には、翼を広げると、その幅が六メートル、あるいは大きいものでは一〇メートルを越えるものさえあります。古代世界においては、そのような大きな動物も空を飛ぶことができたのです。
プテラノドンの中には翼を広げると10メートル以上にもなるものがあった。
このように大きく重い動物が空を飛べたのは、大洪水以前の大気圧が、上空の水蒸気層
の存在のために高く、現在の2倍以上あったからである。
しかしこのように大きな動物は、現在の一気圧(一〇一三ミリバール)の大気圧のもとでは、とても飛べません。現在の大気圧のもとでは、翼の幅がせいぜい五メートル前後が限度なのです。
それ以上大きくて重い動物になると、よほど強い風でもない限り飛行は困難になり、とくに平地から飛び立つことは不可能と言える状態になります。
では古代世界において、なぜ翼の幅が一〇メートルもある巨大なプテラノドンが、飛ぶことができたのでしょうか。それは当時の大気圧が現在よりも高く、約二倍あったからなのです。
創造論に立つ科学者らの計算によると、ノアの大洪水以前は、上空にあった水蒸気層のために地表の気圧は現在よりも高く、約二気圧ありました。約二倍の気圧があったのです。
それでプテラノドンのような巨大で重い動物も、ゆうゆうと空を飛ぶことができたのです。
過去の地球は暖かかったという事実も水蒸気層を示す
また"過去の地球は緯度の高低にかかわらず温暖だった"というよく知られた事実も、上空の水蒸気層の存在を示しています。
今は氷に閉ざされている南極大陸にも、「延々と続く石炭層」が発見されています。北極圏にも、同様に石炭層が発見されています。
南極大陸には「延々と続く石炭層」が露出しているところがある。
石炭は、植物の死骸でできたものです。ですから石炭層の存在は、今は極寒の両極地方もかつては植物が生い茂っていた温暖の地だったことを、雄弁に物語っているわけです。
また、サンゴの化石が南極、および北極付近で発見されます。サンゴは、摂氏二〇度以上の水温がないと生育できません。つまり今は極寒のこの地方も、昔はたいへん温暖だったことがわかります。
過去の地球が温暖だったということは、地球史上、疑い得ない事実なのです。読者の中には、
「これはもしかすると、当時の太陽が今よりも明るかったからではないだろうか」
と思うかたも、いるかも知れません。
ところが、過去の太陽は現在よりも若干暗かったことが、科学的に知られています。現在太陽は、しだいに明るくなる途上にあるのであって、過去の太陽は今より暗い状態にありました。
昔、太陽は暗かったのに、地球の表面は暖かかった――進化論者はこの謎に、いまだに首をかしげています。
進化論者はしばしば、両極地方が昔暖かかった理由として、今は極地となっている地方も昔は大陸移動によって別の所にあったからではないか、等と言います。
しかし、こうした考えだけでは、証拠の数々をよく説明できません。なぜなら、たとえば「古生代」とされている木には、ほとんど年輪がないのです。山形大学の月岡世光・講師も書いているように、これは、
「(過去の地球においては冬と夏の)寒暖の差がなかったからで、一年中温暖であった証拠です」。
また、現在は暖かい地方にしか住まない動物の遺骸が、実際には地球上いたるところで見いだされます。温暖な気候を必要とするはずの恐竜や、その他の変温動物の遺体が、世界中どこにでも発見されるのです。
フランスの学者アンリ・デキュジは、こう述べています。
「(地球はかつて)緯度の高低にかかわらず、一様に温暖、湿潤な気候下にあった。・・・・島々と大陸には、間断なく生長する巨大な樹木が茂った。・・・・
当時、夏と冬の気温の変化は少なかったのである。グリーンランドの北緯七〇度地帯でイチジクの木が発掘され、シベリヤでシュロの木が掘り出されている」(『生物界の進歩』一二〜一三頁)。
当時の地球は、冬と夏の寒暖の差があまりなかっただけでなく、緯度の高低にかかわらず一様に温暖で、湿潤な気候下にあったのです。
さらに、当時は全世界に繁茂する多くの植物のために、大気中の酸素濃度が今よりも高かったことがわかっています。
アメリカの地質学者ランディスは、太古の琥珀(こはく)の中に閉じこめられた気泡の空気を調べました。
「琥珀」というのは、おおむね黄色を帯びた蜂蜜のような色をしていて、美しいので装身具にも使われますが、これは太古の樹木のヤニの化石なのです。
琥珀の中に、しばしば昔の空気が気泡として閉じこめられていることがあります。琥珀はまた、外部との遮断性に優れ、内部の気泡から空気がもれたり、外部のものが中に入ったりすることはありません。
そこで琥珀の気泡中の空気を調べてみると、昔の空気の状態がわかります。その結果、太古の大気中の酸素濃度は、約三〇%もあったことがわかりました。
これは現在の酸素濃度二一%に比べ、かなり高い数値です。当時は全世界が暖かく、どこにおいても植物が繁茂していたので、大気中の酸素濃度がこのように高かったのです。
これらの事実は、単なる大陸移動の考えで説明できるものではありません。
すなわち、かつて植物は全世界に繁茂していました。両極地方でさえ暖かく、植物が所狭しと生い茂っていたのです。
進化論者は、これがなぜなのかを説明できません。しかし、創造論に立つ科学者が言うように、当時の地球の上空に水蒸気層が存在していたとすれば、どうなるでしょうか。説明はきわめて単純、明快になります。
上空にあった水蒸気層は、全世界を覆い、地球全体をちょうどビニールハウスの中のように温暖にしていました。それで当時の地球は、緯度の高低にかかわらず、また年間を通じて温暖だったのです。
水蒸気層の温室効果で地球は暖かかった
読者は最近、「炭酸ガスによる温室効果」という言葉を耳にしたことがあるかも知れません。
現在の世界では、自動車の排気ガスや、工場から出るガス等により、大気中に炭酸ガス(二酸化炭素)が増加しつつあることが知られています。それに伴い、全世界の平均気温がしだいに温暖化しつつあるのです。
これは、炭酸ガスに「温室効果」があるからです。炭酸ガスは、暖まった地表から出る熱線が宇宙に放出されるのを、遮断する働きを持っているのです。
じつは、温室効果を持っている気体は、炭酸ガスだけではありません。水蒸気も、温室効果にすぐれています。
ノアの大洪水以前の地球においては、上空に膨大な量の水蒸気層があったために、その温室効果によって、地球全体がビニールハウスの中のように温暖になっていました。
また、こうして地球全体が温暖になっていたので、大気上空にあった水蒸気層自体も、高い温度に保たれていました。
大気とその上の水蒸気層の境界面あたりは、おそらく地表よりも高い温度になっていたでしょう。
というのは、たとえば読者の中には、お風呂に入るときに、お湯をかき混ぜないで入って、上のほうは熱いのに下のほうは冷たかったという経験をしたことのある方が、きっとおられるのではないでしょうか。
熱は、上へ行くのです。実際、今日の大気においても、成層圏(上空一〇〜五〇キロメートルの高さ)、中間圏(五〇〜八〇キロ)、熱圏(八〇〜五〇〇キロ)においては、それぞれ上に行くほど気温が高くなっています。
同様に、温室効果によって温まった大気の熱は、上部に行き、上部の水蒸気層を水蒸気状態に保つために適切な温度に保っていたでしょう。
このように、ノアの大洪水以前の地球においては、原初の「大いなる水」と呼ばれた水蒸気大気から分離して出来た厚い「水蒸気層」が、上空に存在していました。この水蒸気層は、動植物や人間のために、全世界にわたって非常に好適な環境をつくり出していたのです。
大洪水以前は泉が豊富だった
ノアの大洪水以前の地球においては、地下水が多く、泉が多かったでしょう。
エデンの園について記した創世記二・六は、原語を直訳すると、
「地から地下水がわきあがって、土の全面を潤していた」
です(新改訳脚注参照)。当時は地下に、大量の「地下水」が存在していました。それはエデンの園の一部において、巨大な泉となってわきあがり、大河を形成していました。こう記されています。
「一つの川がこの園を潤すため、エデンから出ており、そこから分かれて四つの源となっていた。第一のものの名はピションで、それはハビラの全土を巡って流れ、そこには金があった。・・・・
第二の川の名はギホンで、クシュの全土を巡って流れる。第三の川の名はヒデケルで、それはアシュルの東を流れる。第四の川、それはユーフラテスである」(創世二・一〇〜一四)。
エデンにあった巨大な泉から流れ出た大河の分流は、四つの川となっていました。それらは四方向へ広がり、非常に広い地域を潤していました。
今日で言えば中東地域全体に匹敵するような大変広大な地域を流れていたのです。ですから、それら四つの分流は、それぞれに大きな川でした。
決して"小川"などではなく、今日の中国の黄河や、インドのガンジス河のような"大河"だったでしょう。
エデンから流れ出た四つの川は、第一が「ピション」、第二が「ギホン」と呼ばれています。また第三の川「ヒデケル」は、ギリシャ語に直せば「ティグリス」です。
さらに「第四の川、それはユーフラテスである」と記されています。しかしこのティグリス川、ユーフラテス川は、大洪水後の世界のものとは違うので、注意する必要があります。
大洪水前の地表は、大陸の形をはじめ、地形が全く異なっていました。エデンから流れ出た四つの川は、そうした大洪水以前の地表を流れていたものなのです。
大洪水後のティグリス・ユーフラテス川の名は、おそらく大洪水前の大河の記憶をもとに、大洪水後の世界の人々が再度命名したもの、と考えてよいでしょう。
このように、エデンの園では膨大な量の地下水が泉となってわき上がり、そこから四つの大河が形成されているほどでした。
同様のことは、エデン以外の地域においても多く見られたに違いありません。地球内部の地下水は、あちこちで泉となってわき上がり、全世界に大小様々の多くの川や、池、湖を形成し、全地を潤していたのです。
大洪水以前に虹はなかった
また大洪水以前は、降雨や霧などがあった場合でも、「虹」は見られなかったでしょう。それは、当時の大気の状態が今日とは異なっていたからです。
今日、雨のあがったあとなどに虹が見られることがあるのは、空気中に浮いている水滴に太陽の光があたるとき、水滴がプリズムのような働きをして、光の屈折が起こるからです。
その屈折率は光の色によって違い、このために七色の光に分かれて見えます。しかし現在の大気においても、太陽の高度が四二度以上になる真昼には、虹は出ません。屈折した光が地上に達しなくなってしまうからです。
水滴において光の屈折が起こるか否か、また屈折が起きた場合の屈折率は、水滴の密度と大気の密度の差によります。
大洪水以前の大気圧は今日の二倍ほどあり、そのために当時、大気と水滴の密度の差は今日ほどは大きくありませんでした。したがって虹を生じさせるような光の屈折が起こらず、虹は見られなかったでしょう。虹は聖書によれば、
「すべての肉なるものは、もはや大洪水の水では断ち切られない」(創世九・一一)
という神の契約のしるしとして、大洪水後になって見えるようになったものなのです。
大洪水以前には今より多くの植物が生い茂っていた
大洪水以前は、どこも温暖かつ湿潤な気候だったので、みずみずしい多くの植物が所狭しと生い茂りました。当時の世界にはどこにも、不毛の砂漠や万年氷原はなかったのです。
全世界に繁茂する植物は、大気中の酸素濃度を押し上げていました。先に見たように、当時の酸素濃度は、約三〇%もあったのです。当時の世界に今よりも多くの植物が生い茂っていたことに関して、次のような証拠も提出されています。
米国バージニア工科大学・原子核工学のホワイトロー教授は、世界各地から無作為に一万五〇〇〇に及ぶ生物の化石を集め、「炭素一四法」(C-14法)によって、それらの生物が生存していた年代を調べました。
「炭素一四法」は、放射性同位元素による年代測定法の一つで、生物の年代測定などに広く使われています。この調査は、何を示していたでしょうか。
教授によると、紀元前三五〇〇年から四〇〇〇年の間の標本で、人や動物、樹木などの数が極度に少なくなっていました。
ただ、生物激減のこの年代については、その測定結果が本当の年代よりも多少古く出てしまっていると教授は考えており、この年代は実際には「ノアの大洪水」が起きた頃の時代(紀元前二五〇〇年頃)をさしていると思われる、と述べています(トーマス・ハインズ著『創造か進化か』一七〇頁)。
地球の過去には、世界の生物の数が大幅に減少した時が、たしかにあったのです。それはまさしく、ノアの大洪水によってでした。
さらに、教授の調査によると、生物の数はこうして一時激減したものの、その後徐々に増加し、人と動物に関してはキリストの時代頃に元の数に達するようになった、とのことです。
しかし樹木に関しては、徐々に増加はしているものの、以前の数にはまだ達していません。すなわち大洪水以前の地表においては、今日の世界を大きく上回る量の植物が所狭しと生い茂っていたのです。
これによって大洪水以前の大気の酸素濃度は、高い状態に押し上げられていました。
また豊富な植物が存在していたので、果実は豊富に実り、動物や人間に豊かな食物を提供していました。
好適な環境は生物の巨大化に貢献した
これら充分な食物、年間を通じて温暖・湿潤な気候、高い酸素濃度等――当時の好適な環境は、生物の巨大化に、少なからず貢献したに違いありません。
好適な環境は生物のストレスを軽減し、成長ホルモンの分泌をうながしたでしょう。酸素の高濃度に関しても、生物の巨大化や長命に有益であることは、実験的にも確認されています。
羽を広げると八〇センチから一メートルにもなる巨大トンボや、三〇〜四〇メートルの丈にもなる巨大なシダ植物、また巨大な貝などの化石も、各地で発見されています。
巨大な体を持つ恐竜たちが生存することができたのも、こうした好適な環境があったからです。恐竜は、大きいものでは全長三〇メートル程度もありました。
進化論者は、恐竜は今から六五〇〇万年前に滅び、その後多くの時代を経て、今から二五〇万年ほど前になって初の人類が出現した、と主張してきました。すなわち、恐竜と人類が共存した時代はない、と主張されてきたのです。
しかし実際には、恐竜と人類が同時代に生きていたことを示す証拠は、数多く見いだされています。これについては後述しますが、大洪水以前の世界には、各種の恐竜たちも生息していたのです。
恐竜には、草食恐竜と肉食恐竜がいます。
草食恐竜は、体が大きくても性質が比較的おとなしいため、人間が危害を受けることはあまりありません。また肉食恐竜はどう猛ですが、大洪水以前の世界の人口はまだあまり多くはなかったので、人々は肉食恐竜たちの生息地を避けて住んでいたでしょう。
また、人間は火を使ったり、やりなどの武器を作る知恵も持っています。それで人間は、恐竜たちの住む世界においても、それほどの困難を感じることなく生存することが可能でした。世界的生物学者・今西錦司氏の言うように、当時は、生物の「棲み分け」がなされていたでしょう。
大洪水以前には、多くの巨大生物が存在しただけではありません。人間にも巨人がいました。
聖書は、当時地上には「ネフィリム」と呼ばれる巨人がいた、と記しています。
「(大洪水以前)ネフィリムが地上にいた。これらは昔の勇士であり、名のある者たちであった」(創世六・四)。
「ネフィリム」は、昔のユダヤ人が使った旧約聖書のギリシャ語訳「七〇人訳」では、「巨人」です。
米国のパルクシー川の近くでは、昔のヒトの足跡が発見されていますが、その多くは大きさが四〇〜五〇センチ、歩幅が七五〜九〇センチと巨人サイズのものであると報告されています。また、この近くで身長二・一三メートルの女性の骨格も発見されています。
聖書を見てみると、「巨人ゴリアテ」の話や、
"長さ四メートル、幅一・八メートルの特注ベッドに寝ていた男"(申命三・一一)
の話なども出てきます。これらは、大洪水後の話で特殊な例として語られているのですが、大洪水前の世界においては、こうした巨人は決して少なくなかったでしょう。
大洪水以前、人は長寿だった
大洪水以前はまた、上空にあった水蒸気層が宇宙からの有害な放射線等を遮断していたので、地上に住む生物は一般に長寿を保っていました。
聖書によれば大洪水以前、アダムは「九三〇年」生き、彼の子や孫、曾孫たちも、平均九〇〇歳程度まで生きました。一番の長寿は、アダムから八代目にあたるメトシェラでした。メトシェラは、「九六九年」も生きました(創世五・二七)。
しかし、ノアの時代の大洪水を境として、そののち人々の寿命は急速に短くなりました。たとえばノアの子であったセムの場合、その一生は六〇〇年で終わりました。
セムの子アルパクシャデは四三八年、そしてその後約三〇〇年、二〇〇年と短くなり、アブラハムの時代になって、アブラハムの一生は一七五年でした。またモーセの時代になって、モーセの一生は一二〇年でした。
しかし、一二〇年生きることは、モーセの時代にはすでに「長寿」と見られていたのです。モーセは、
「私たちの齢は七〇年、健やかであっても八〇年」(詩篇九〇・一〇)
と述べています。モーセの時代にはすでに、人は現在と同じような短い寿命になっていたのです。
ではなぜ、大洪水以前の人々は長寿だったのに、大洪水を境として寿命が急速に短縮されたのでしょうか。
ある人々が言うように、大洪水以前の人々の寿命として記されている数字は、"一か月を一年に換算した"ものなのでしょうか。それとも、単なる誇張なのでしょうか。
いずれでもありません。じつは大洪水以前は、上空の水蒸気層が、宇宙からの有害な放射線等を遮断し、生物の細胞の破壊を防いでいたのです。
よく知られているように、宇宙からは様々の高速の放射線が飛んで来ます。放射線は、遠くの銀河から飛んでくるものが「宇宙線」、またとくに太陽から飛んでくるものは「太陽風」と呼ばれています。
宇宙は、じつは何もない真空の空間ではなく、こうした有害な放射線が四方八方から高速で飛び回っている、大変恐ろしい空間なのです。
私たちの住む地球は「宇宙のオアシス」と呼ばれますが、地球を一歩外に出れば、そこは死の空間です。地球は、太陽風や宇宙線が飛び回っている真っただ中にあります。
当然、宇宙線は地球にも多量に降り注いでいるのですが、大気がそれをかなり遮断してくれています。しかし、現在の大気による宇宙線遮断率は、決して完全なものではありません。私たちは一生の間、この地表にあって、絶え間なく宇宙線の放射を浴びているのです。
そして、これによる放射線損傷は、細胞の中に刻々と蓄積されています。米国マサチューセッツ工科大学のパトリック・M・ハーレイ教授は、こう述べています。
「われわれは大気中に突入してくる、宇宙線と呼ばれる高速粒子流による放射線から、のがれることはできない。写真に示されている飛跡は、これらがかなり厚いしんちゅうの板を通り抜けることを示している。
人工の放射線源を除いても、天然放射能があるために、われわれが絶えず受けている放射性損傷の約四分の一は宇宙線による、と言われている」(河出書房新社『地球の年齢』)。
しかし、大洪水以前は、現在の大気の上にさらに水蒸気層が厚く存在していたので、当時地表に到達する放射線は、現在よりはるかに低いレベルにありました。
放射線のない環境が、長寿への重大な役割を果たすことは、最近の医学的研究で実証されています。
また上空の水蒸気層は、地球外からの宇宙線だけでなく、紫外線、エックス線などの有害光線の影響からも人々を守り、生命にとって極めて好適な環境をつくり出していました。そのため、当時の人々の寿命は、たいへん長かったのです。
長寿の例
大洪水前の人々の長寿を念頭に置かないと、私たちは大洪水以前の出来事についてよく理解することはできません。
たとえば、アダムは長寿であったので、彼から七代目のエノクが生まれたとき、アダムはまだ生きていました。したがってエノクは、創造や、堕落、またその後の人類の歴史等について、アダムから直接話を聞くことができたでしょう。
ユダヤ人の言い伝えによると、エノクは文字の最初の発明者です。実際、大洪水以前にすでに文字が存在したことは、考古学者が発見した古代バビロニア王の碑文の中に、
「私は大洪水の前の書き物を読むのを好んだ」(ヘンリー・H・ハーレー著『聖書ハンドブック』四五頁)
と記されていることなどからもわかります。
エノクが文字の発明者だったとすれば、エノクは父祖アダムから直接聞いた様々な事柄を、粘土板等の書物に書き記すことができたでしょう。
それらの記録は、大切に保存され、また写本によっても代々伝えられました。またのちの時代になって、モーセが、『創世記』の初めの数章としてこれを編集し、まとめました。
それを、今私たちは聖書として読んでいるのです。聖書の成立に関しても、大洪水前の人々の長寿という理解が必要なのです。
また、次のことはどうでしょうか。アダムの子カインは、兄弟アベルを殺し、神の罰を受けて追放されようとしたとき、
「私に出会う者はだれでも、わたしを殺すでしょう」(創世四・一四)
と言いました。カインがこの言葉を言ったとき、地上には彼以外にはアダムとエバの二人しかいませんでした。にもかかわらずカインが、人々は私を殺すだろうと言ったのは、なぜでしょうか。
理由は単純です。カインは、自分の両親に与えられた神のご命令、
「生めよ。増えよ。地を満たせ」(創世一・二八)
を、両親から聞いて知っていました。人類はこれからたくさん増えていくことを、知っていました。
カインの心にはまた、人間、また自分が短命だというような意識は全くありませんでした。当然カインは、数百年のうちには、自分が多くの人々の中に暮らすようになるであろうと、考えていたはずです。
カインは、しばらくして妻をめとりました。
「さて、カインは妻を知った」(創世四・一七)。
カインは、一体どこから妻を得たのでしょうか。簡単です。彼は自分の妹の中から妻を得たのです。聖書は、
「アダムはセツを生んで後、八〇〇年生き、息子、娘たちを生んだ」(創世五・四)
と記しています。アダムとエバは、「生めよ。増えよ。地に満ちよ」との神のご命令に従い、多産でした。
アダムの娘たち、すなわちカインの妹にあたる人々も成長して、数百年のうちにはかなりの数になり、各地に住むようになりました。
カインはのちに、彼女たちの中から妻をめとって結婚し、家庭を築いたのです。このように、当時の人々がたいへん長生きだったと考えるなら、聖書は全く矛盾していないのです。
しかしここで、
「カインが妹と結婚したのなら、これは近親結婚ではないか」
と言われるかたもいるかも知れません。その通り、人類の創始期においては、結婚は近親結婚でした(近親相姦ではありません)。
しかし、人類の創始期においては、近親結婚は遺伝的には何の問題もありませんでした。
今日、近親結婚は遺伝的に問題が多いので、法律でも禁止されています。モーセの律法の中でも禁止されています。奇形児が生まれる確率が高いからです。
子どもは父親から遺伝子を一つ、母親から遺伝子を一つもらいます。もし片方の遺伝子の一部に欠陥(エラー)があっても、もう片方の遺伝子のその部分が正常なら、子に異常は現れません。正常な遺伝子が、欠陥を補うからです。
しかし、両親が近親の場合は、両者の遺伝子の同じ箇所に欠陥がある確率がたいへん高くなります。それで近親結婚は、奇形児が生まれる確率が高く、避けるべきとされています。
けれども、人類の創始期においてはアダムとエバの遺伝子は完璧な状態にありました。カインやセツの遺伝子も完全でした。
したがって、人類の創始期においては、近親結婚は遺伝的に何ら支障がなかったのです。
また大洪水以前は、たいへん優れた環境であったために、人の遺伝子が世代を重ねる際にエラー(欠陥)を起こすことも非常に少ない状況にありました。
ただしこの状況は、ノアの大洪水の際、上空の水蒸気層が取り去られたときに変わりました。宇宙線の照射も増え、人の世代が重ねられていく過程で、遺伝子にエラーが起きることも少なくない状況になりました。
こうして、近親結婚はしだいに危険になりました。そのためモーセの時代に、近親結婚は、律法の中で禁止されました(レビ二〇・一七)。
そして今日も、多くの国の法律において禁止されているのです。
水蒸気層はなぜ大雨と化したか
ノアの大洪水について、聖書はこう記しています。
「巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた。そして大雨は四〇日四〇夜、地の上に降った」(創世七・一一〜一二)。
こうして、「大空の上の水」すなわち水蒸気層は、「張り裂け」、地上に大雨となって落下しました。
この「大雨」は、普段私たちが経験する雨とは大きく異なるものでした。というのは、私たちの知っている雨といえば、たとえば東京で降っていても埼玉に来ればもうやんでいる、というように局地的です。
また日本で降っていても、アメリカでは晴れている、というように、現在の世界の雨はすべて局地的なのです。しかしノアの大洪水の時の大雨は、全世界的なものでした。世界中で四〇日間にわたって豪雨が降り注いだのです。
けれども、ノアの日まで上空で安定して存在していた水蒸気層が、なぜ突如としてその安定性を崩し、大雨となって落下してきたのでしょうか。
水蒸気層の安定性を崩す要素として一つ考えられるのは、彗星や小惑星が地球に落下してきた場合です。
つい最近も、一九九四年に彗星が、私たちの太陽系の一員である木星に衝突したことは、大きなニュースとなりました。その模様は全世界で観測され、大きな話題となりました。
では、彗星や小惑星が地球に衝突した場合は、一体どのようなことが起きるのでしょうか。
小惑星や彗星は、弾丸の一〇〇倍もの猛スピードで衝突してきます。そして、たとえば直径一〇キロメートル程度の天体が地球に衝突した場合、その衝突時に発生する爆発エネルギーは、TNT火薬一億メガトン分にも相当します。
このエネルギーは、原子爆弾などとも比べものにならないほど、巨大なものです。それが海に落下した場合は、およそ五〇〇〇メートルもの高さの大津波が発生すると言われます。
落下地点から一四〇〇キロ以上離れたところでも、津波の高さは五〇〇メートル近くあります。
一方、大陸に落ちた場合は、発生する衝撃波によって、半径二四〇キロ以内のすべてのものがなぎ倒されます。
さらに衝突地点付近から、膨大な量のチリが一気に空高く吹き上げられます。それは成層圏の上空にまで達し、広がって全世界の大気を漂うでしょう。
もしこのようなことがノアの日に起きたとすれば、どうでしょうか。大気上空に吹き上げられた膨大な量のチリは、上空の水蒸気層にまで達し、太陽光線をさえぎって水蒸気層を冷やし、それを大雨と化すきっかけとなったことは疑い得ません。
また、雨が降るためには、雨滴を形成する心核となる微少物質(チリなど)が必要です。雨滴はそれを中心に形成されるのです。大気上空に吹き上げられた膨大な量のチリは、全世界において雨滴を形成する心核となったでしょう。
では、小惑星または彗星の衝突の証拠はあるでしょうか。
一九七七年、米国カリフォルニア大学の科学者グループは、地層の中の宇宙塵(宇宙から地球に常時降り注いでいる宇宙からのチリ。微少な隕石)の調査をしていましたが、そのとき興味深い事実を発見しました。
宇宙塵の指標としては、地球の物質にはほとんど含まれていないイリジウムが選ばれました。
宇宙塵の、時間あたりの地球への落下量は、ほぼ一定です。ところが、地層の中にイリジウムの量のピークとなるところが三〜四カ所程度あり、多いところでは通常の三〇倍程度にまではね上がったのです。
イリジウムは、全世界に分布していました。地層が形成されたとき、大量の何かが、地球外から地球に訪れたとしか考えられません。
後述しますが、創造論者は、進化論者によって「先カンブリア時代」と呼ばれている最下層の地層の上にある地層はすべて、ノアの大洪水の時に一挙に形成されたと考えています。地層はじつは長い年月をかけて徐々に形成されたのではなく、大洪水のときに一挙に形成されたのです。
地層内の多量のイリジウム分布は、進化論者の言うような「六五〇〇万年前の恐竜絶滅時の小惑星衝突」を示しているのではありません。イリジウム分布はむしろ、ノアの大洪水が起こったときに地球に飛来した物体について語っているのです。
すなわち地層内のイリジウム分布は、小惑星または彗星がノアの時代に地球に衝突した名残に違いありません。
ノアはそのとき中東地域にいました。小惑星または彗星は、そこからかなり離れた場所――たとえば地球の裏側に衝突したと思われます。ノアは中規模の地震を感じたでしょうが、彼の場所では、すぐにはそれ以上の災害は感じなかったでしょう。
しかし、続いて「四〇日四〇夜」にわたる大雨が降ってきました。これは、小惑星または彗星の衝突によって水蒸気層の安定性が崩され、水蒸気層が大雨となって落下し始めたから、と思われます。
局地的洪水ではなく全世界的な大洪水
ここで、ノアの大洪水に関する二つの説を比較検討してみましょう。
一つは"局地洪水説"、もう一つは"全世界洪水説"です。
局地洪水説とは、聖書に記されているノアの大洪水は、チグリス・ユーフラテス川流域に限られる局地的なものだった、という説です。
この説は考古学者をはじめ、多くの人々によって唱えられてきました。この説の人々は言います。
「チグリス・ユーフラテス川流域はたいへん広大な地域で、ノアたちにとっては、それは全世界に等しかった。いわゆるノアの大洪水は、チグリス・ユーフラテス川の大規模な氾濫によって起きたのであろう」。
局地洪水説の人々はさらに、全世界洪水説を批判して言います。
「世界にあるすべての高い山々をも覆い尽くすような大洪水が、現実に起きたなどということは、とても不可能だ。もし全世界をおおうような大洪水があったというなら、その水は一体どこから来たというのか。そしてどこへ行ったというのか」。
しかし、これから述べていくように、私たちは全世界洪水説こそ妥当なものであることを、知ることになるでしょう。
大洪水は局地的なものではなく、やはり全世界的なものだったと考えたほうが、様々の科学的事実をきれいに説明できるのです。大洪水のつめあとは、全世界で見いだされています。
聖書も、洪水が局地的なものだったとは述べていません。もし洪水が局地的なものだったなら、ノアが箱舟を建造する必要は全くありませんでした。
彼は何年もかけて、汗水たらしてあの巨大な船を建造する必要など、全くなかったのです。なぜなら、洪水が局地的なものなら、ノアは単に、洪水の及ばない地域に移動しさえすれば良かったからです。
さて、局地洪水説の人々が全世界洪水説に対して抱いてきた疑問は、次の三点がおもなものでした。
(1) ノアの大洪水の水はどこから来たのか。
(2) 大洪水はどのようにして、当時の世界のすべ ての高い山々を覆い尽くすことができたか。
(3) 大洪水の水はどこへ行ったか。
このうち(1)については、私たちはすでに見ました。大洪水の水は、「大空の上の水」(創世一・七)と呼ばれる上空の水蒸気層から来たのです。
私たちは、(2)(3)の事柄についても、詳しく見てみましょう。
大洪水以前の地表の起伏はゆるやかだった
(2)の"大洪水はどのようにして、当時の世界のすべての高い山々をも覆い尽くすことができたか"を見てみましょう。
現在、世界における最も高い山と言われるヒマラヤのエベレスト山は、標高八〇〇〇メートル以上あります。日本の富士山は、標高三七七六メートルです。
しかし、大洪水以前の地表には、こうした高い山々は存在しませんでした。現在の高山は、じつは大洪水の直後、大洪水に続く地殻変動によって形成されたものだからです。
大洪水以前、地表は比較的、なだらかでした。地表の起伏(でこぼこ)は、ゆるやかだったのです。『サイエンティフィック・マンスリー』誌は、過去の地球には、
「気候や自然条件の面で障壁となる高山は、存在しなかったであろう」
と述べています。後述しますが、聖書によれば大洪水以前の大陸は一つで、大陸の表面や形も現在とは大きく異なっていました(創世一・九〜一〇)
大洪水以前の大陸は、表面に高山がなく、比較的なだらかだったのです。
大洪水以前の地表はなだらかだった
海底山脈の形成が洪水を大規模にした
さて、ノアが六〇〇歳のときになって(創世七・一一)、全地に大雨が降ってきました。このときの降水量は、創造論に立つ科学者ジョセフ・ディロー博士の計算によると、四〇日間の合計で一二メートル、すなわち一万二〇〇〇ミリ程度でした("The
Answers Book" 一二〇頁) 。
これは、一時間あたり一二・五ミリに相当します。気象庁では一般に一時間あたり一〇ミリ以上降れば「大雨」とされますから、これはまさに「大雨」でした。
ノアの時の大雨は一時間あたり一二・五ミリ、一日では三〇〇ミリ降ったのです。
大雨の記録として、インドのアッサム州で一八六一年七月の一ヶ月間に、九三〇〇ミリも降ったという記録があります。これはノアの時と同じくらいの大雨が、一ヶ月にわたって降った量に相当します。
日本では、一九七六年九月七日〜一三日の七日間に、徳島県の木頭村で二七八一ミリも降ったという記録があります。これも、ノアの時と同じくらいの大雨が七日間降った量に相当します。
こうした大雨で、甚大な被害が出たことは言うまでもありません。いずれにしても、ノアの時の大雨はすさまじい最大級のものでした。
しかも、ノアの時の大雨はある地点だけで降ったのではなく、全世界で降ったのです。そして、四〇日間にわたって連続して降り続きました。
とはいえ、総降雨量一二メートル程度だけでは、いかに大洪水以前の地表がなだらかだったとはいえ、地表のすべての山々をも覆い尽くす大洪水とはならなかったでしょう。
では、どうしてこれが、すべての高い山々をも覆い尽くす大洪水となったのでしょうか。聖書はこう記しています。
「水は、一五〇日間、地の上に増え続けた」(創世七・二四)。
水かさは、「四〇日四〇夜」にわたる大雨がやんだ後も、増え続けたのです!
水位は「一五〇日間」にわたって上昇し続けました。これは、全地を激流によって洗った大雨が、地殻のあちこちに巨大な変動をひき起こしたからです。聖書は、大洪水が始まると、
「山は上がり、谷は沈みました」(詩篇一〇四・八)
と記しています。大きな地殻変動が起きたのです。
大洪水の際「山は上がり、谷は沈みました」(詩篇104:8)。
とくに海底山脈の隆起は、大洪水をさらに大規模にした。
この地殻変動は、まず、それまで厚い水におおわれていた海洋部から始まり、海底山脈の形成を引き起こしたでしょう。
海の中に山が形成されたのです。これが、水位の大規模な上昇を引き起こしました。
今日、太平洋や大西洋の海底には、南北に走る巨大な海底山脈が数多くあることが知られています。これらの海底山脈は、大洪水の時に形成されたものと考えられています。
じつは、造山運動は、海洋部のほうが起きやすいことが知られているのです。というのは、地殻というものは、流体であるマントルの上に浮いているかたちになっています。地殻のほうが、下のマントルの流体物質よりも軽いのです。
とくに、海底部に土砂が流れ込み、海底部の地殻が押し下げられて下方に厚くなった場合、そこにマントルからの浮力が高まります。それである時点になると、激しく造山運動が起きます。
ノアの大洪水の時のメカニズムは、次のようだったでしょう。
大雨が全地をおおうと、激流は大陸部から多量の土砂を奪って、海底部へと流し込みました。土砂の流れ込んだ海底では、土砂が堆積するとともに、地殻は下に押しさげられたかたちになり、下方に厚くなっていきます。
そしてある程度まで行くと、マントルからの浮力が上向きに働き、そこは海底山脈の隆起の場となるのです。
このように、造山運動は海底部のほうが、いちはやく起きやすいのです。大洪水が地をおおったとき、「山は上がり」という造山運動は、まず海底において起こったでしょう。
そのため海底山脈が形成され、海面は大きく上昇しました。こうして大雨に始まった大洪水は、ついには地上のすべての山々をも覆い尽くす、世界的大洪水となったのです。
山は上がり谷は沈んだ
つぎに、(3)大洪水の水はどこへ行ったのか≠見てみましょう。
聖書によれば、水位の上がり続けた「一五〇日」の後、水は「しだいに地から引いていき」ました(創世八・三)。それはその頃になると、地表の全域で山々の隆起や、谷の沈降が起きたからです。
「山は上がり、谷は沈みました」(詩篇一〇四・八)。
地表の起伏は激しくなり、水は低い所にたまりました。こうして、海面上に出た所が陸となったのです。
日本海溝のような海底の巨大な谷や、ロッキー、アンデス、ヒマラヤなどの巨大な山脈などは、このときに出来たものです。実際、これらの高山は、比較的最近できた山々であることが知られています。
また、エベレスト山をはじめ、高山の頂上の岩石は水成岩です。そこから海洋生物の化石が発見されることも、しばしばあります。
これは、大洪水によって水面下に沈んだ土地がのちに隆起して山となったから、と考えるのが一番妥当です。
このように、全地が海面下に沈んだり、また陸地が海面上に出現したりするのは、地表の起伏しだいなのです。
地球物理学者によると、もし今日の地表の起伏を全部ならして平らにしたとすると、地表の全域は、約二四〇〇メートルの海面下に沈むとのことです。
地表の起伏しだいでは、全地は簡単に水中に没してしまいます。また地表の起伏しだいでは、大陸の大きさ、形、位置等はどうにでも変わるのです。
ノアの大洪水は人類共通の記憶だった
ノアの時代に起きた世界的大洪水は、当時の全人類を滅ぼしました。生き残った人々は、ノア一家だけでした。すなわちノア夫妻、また彼らの子であるセム、ハム、ヤペテと、その妻たち――計八人です。彼らは箱舟に乗って助かったのです。
生き残ったセム夫妻、ハム夫妻、ヤペテ夫妻の三夫妻から、大洪水後のすべての民族が生まれ出てきました。しばらくして「バベルの塔」の出来事があり、人類は全地に離散していきました。
このとき、人類共通の記憶であった「ノアの大洪水」の話は、その後増え広がっていった人類において、世代を通じて語り継がれ、受け継がれていきました。
ノアの箱舟(模型)
この過程で、ノアの子のセムの子孫たちは、大洪水の記憶を文字を用いて忠実に保存し、後世に伝えました。その記録は、やがて聖書としてまとめられました。
一方、他の民族においては、一般に「口伝」(くでん 言い伝え)を通し、「伝説」という形で語り継がれていきました。そのため、今日も私たちは世界各地の諸民族の間に、大洪水伝説を見ることができます。
しかし、「口伝」というのは、語り継がれる間に内容が若干変わってしまいやすいものです。
読者は、子どもの頃、「伝言ゲーム」をやったことがありますか。
教室で先生が、ある文章を一番前の列の生徒にささやきます。うしろの生徒には聞こえないように、ひそひそ話で、一番前の列の生徒たちにささやくのです。
その生徒たちは、自分の一つ後ろの生徒に、その文章をひそひそ話でささやきます。それを聞いた生徒たちはまた後ろの生徒にささやくというようにして、六〜七人程度を伝わって、順番に一番うしろの生徒にまで話が届きます。
その後、一番うしろの生徒たちは立って、自分の前の人からどんな話を聞いたかを発表し合います。すると、みな元の話とは全く違うものになってしまっていて大爆笑、というわけです。
そのように、口づたえというのは内容がずいぶん変わってしまいやすいものです。
諸民族に見られる大洪水伝説に関しても同様です。それらはしばしば、語り継がれる間に多神教に変質していたり、細部が異なるものに変わっていたりします。
しかし、口づたえでありながら、それらは全く違うものになっているわけではなく、過去に大洪水があったという記憶に関しては、驚くほどみなよく保存しています。
これは、過去の大洪水が、人類にとってよほど強烈な記憶であったことを物語っているのだ、と言えるでしょう。世界の大洪水伝説はすべて、元の一つの共通の記憶に発したものなのです。
世界中いたるところに、
「世界はかつて一度、大洪水によって滅びた」
という伝説があります。
具体的に見てみましょう。まず、有名なバビロニア(チグリス・ユーフラテス地方)の大洪水伝説からです。
バビロニアにある大洪水伝説
バビロニア(オリエントともメソポタミヤともいう)と言えば、かつてノアの住んでいた地域であり、箱舟の漂着したアララテ山もその近くです。また大洪水後の人類が離散したというバベルの塔も、このバビロニア地方にありました。
バビロニアにも大洪水伝説があるが....
バビロニアには、次のような伝説があります。紀元前三〇〇年頃にベロッソスが述べているように、バビロンのマルドゥク神殿には、次のような記録があります。
「キススロス王は、神々のひとりから次のように告げられた。
『舟をつくり、それに友人親族およびあらゆる種類の動物を乗せ、必要な食物を携えよ』。
そこで彼は巨大な舟を建造した。
舟はやがてアルメニアの山(アララテ山はアルメニアにある)に乗り上げた。
大洪水がおさまってきたので、彼は鳥たちを放った。三度目に鳥は帰って来なかった。彼は外に出て、祭壇を築き、犠牲をささげた」。
[聖書の記録においては、ノアははじめにカラスを放った。カラスは箱舟を「出たり、戻ったりしていた」(創世八・七)。その後、ノアはハトを放った。ハトは一度目は、くちばしに何もくわえずに戻ってきた。二度目にハトを放つと、オリーブの葉をくわえて戻ってきた。三度目にハトを放つと、もう戻ってこなかった]。
細部は若干違っているものの、バビロニアの伝説は、大筋において聖書の記す大洪水の記事に酷似していることがわかります。
しかし、無神論者の歴史家の中には、この類似性について、
「バビロニアの伝説がもとになって、聖書の大洪水の話が生まれたのだろう」
というようなことを言う人々がいます。これは、何か根拠があってそう言っているのでしょうか。
いいえ、何もありません。これは単に、聖書の真実性を知らないがゆえの憶測なのです。
実際は、はじめに人類共通の記憶があり、聖書はそれを最も忠実に保存し、伝達しました。一方バビロニアの伝説は、同じ大洪水の記憶に発しているものの、その後に若干変質してしまった記録なのです。
それはどうしてわかるでしょうか。
第一に、バビロニアの伝説は多神教になっており、一方、聖書の記録は唯一神教です。多神教と唯一神教では、どちらが古いでしょうか。
最近の考古学の発達により、人類のはじめにあったのは唯一神教であり、多神教はその堕落した形態であることがわかっています。
有名な考古学者F・ペトリー卿や、S・ラングドン、W・シュミット、W・コッペルスなどの有力な学者たちがみな、唯一神教こそあらゆる宗教に先立って存在したものであることを、明らかにしたのです。
第二に、大洪水伝説はバビロニアだけにあるのではなく、次に見るように全世界にある、という事実です。
全世界に大洪水伝説がある
世界各地にある大洪水伝説の幾つかを見てみましょう。たとえば次のようなものがあります。
エジプト人の伝説
神はある時、大洪水によって地をきよめた。その洪水からはごく少数の羊飼いたちだけが山に逃れた。
ギリシャ人の伝説
「悪が極まったので、地に大洪水を起こそうとしている」という神々からの警告を受けたデューカリオンは、箱舟を造った。それはパルナソス山上にとどまった。一羽の鳩が二度放たれた。
ヒンズー人の伝説
マヌーは警告を受けて舟をつくり、全被造物を滅ぼした洪水から逃れることができた。
中国人の伝説
中国文化の創設者ファ・ヘは、その妻と三人の息子と三人の娘と共に、人間が天に背いたために起こされた洪水から逃れた代表者とされている。
イギリスのドルイド教の伝説
至高の存在者は、悪に染まった人間たちを滅ぼそうとして、大洪水を送った。このとき一族長が大きな舟に乗って助かったが、彼によって人類は再建された。
ポリネシア人の伝説
洪水の物語がある。洪水からは八人だけが逃れた。
メキシコ人の伝説
一人の男とその妻および子供たちが舟に乗って、全地を覆った大洪水から逃れた。
ペルー人の伝説
一人の男と一人の女とが、浮かぶ舟で洪水から助かった。
アメリカ・インディアンの伝説
各種の神話がある。一人、三人、または八人の者が、高山を越す大洪水から舟によって救われた。
グリーンランドの伝説
地球はある時ひっくり返って、一人の男と一人の女を除いて、すべての人間がおぼれて死んでしまい、その二人によって再び人々は増え広がった。
そのほか、アッシリヤ人、ペルシャ人、フルギヤ人、フィジー島人、エスキモー人、原始アフリカ人、インド人、ブラジル人、また実に全人類のあらゆる種族間に、そしてセム語族、アーリア語族、ウラル・アルタイ語族の間に、一家族を除いて全人類が大洪水によって滅ぼされたという伝説があります(ヘンリー・H・ハーレィ著『聖書ハンドブック』七五ページ)。
またこれに関し、『標的としての地球』という本はこう述べています。
「人間の通常の経験において、洪水はそれほど大規模なものではなく、またどこにでも起きるものではないから、一切のものを滅ぼし尽くし、何ものも抵抗できないような大洪水の物語を人間が作り出すことは普通ではない。・・・・
ではなぜ、ほとんどすべての民族に大洪水の伝説があるのか。中央メキシコや中央アジアなど、海浜から遠く離れた山岳乾燥地帯に住む民族までが大洪水伝説を持っているのは、なぜか」(二三九頁)。
それはまさしく、大洪水は実際に過去に起きた歴史的事実であり、人類共通の記憶であったからです。そう考えなければ、全世界に大洪水伝説が存在する事実を説明することはできません。
大洪水直後の人類が持っていた大洪水の記憶は、バベルの塔の人類離散以後、離散した各種族の間で伝説として語り継がれていったのです。
世界中に普遍的に見られる大洪水伝説は、各種族の想像の産物などではありません。それは現実に過去に起きた歴史的事実に発しているのです。
もちろん「伝言ゲーム」と同じく、その細部は若干異なるものに変わってしまっているとしても、
「一家族を除いて、全人類が大洪水によって滅ぼされた」
という内容自体は歴史的事実に違いありません。
大洪水伝説は日本にもあるか
ここで、
「大洪水伝説は日本にもあるのか」
という疑問を持つ方もおられるでしょう。日本にも大洪水伝説はあるのでしょうか。
日本にもあったようです。しかしそれは、天武天皇(八世紀)が天皇家の権力を確立するために『古事記』を書かせ、それまであったもろもろの書物や伝説を破棄したとき、若干別のものに変質しました。
じつは中国などには、人類はかつて「大洪水」によって滅びたが、そのとき「兄妹二人」が助かったという伝説があります。兄姉はそののち、「大木のまわりを回りながら結婚し」、彼らから再び人類が増え広がったとされています。
この話が日本に輸入され、次の神話になりました。
男神イザナギと女神イザナミが、漂っている混沌とした海を矛でかき回し、国土をつくって整え、そののち神聖な柱のまわりを回って結婚した。彼らから、神々や大和民族が生まれていった
この日本の古事記の物語においては、「大洪水」は消されています。が、漂っている混沌とした海≠ニいうあたりは、大洪水の記憶が変質したものともとれます。民族学者・岡
正雄博士(明治大学教授)は、こう述べています。
「イザナギ、イザナミ神話も、少なくともその前半は、洪水神話の断片と考えられはしないか。
『洪水の襲来のために人類は絶滅し、ただ兄妹二人が生き残った。そしてこの二人が結婚することによって、人類または種族が再び繁栄するに至った』という洪水神話の破片と見るべきと思う。
しかもこの神話は、南シナ、東南アジア、また台湾を経て南方に分布の系統を持つことも明らかのように思う」(講談社学術文庫『日本民族の源流』三四ページ)。
日本の神話も、古事記以前には、もとは大洪水伝説であったに違いないのです。
ミャオ族に伝わる驚くべき大洪水伝説
世界の大洪水伝説に関して、もう一つ興味深いものをご紹介しておきましょう。
それは中国のミャオ族(苗族)に伝わる伝説です。ミャオ族は日本人とほとんど同じ顔つきをしています。彼らの一部は古代日本に渡来して、日本人を形成した民族の一つとなった、とも言われています。
ミャオ族。彼らには聖書とそっくりの大洪水伝説が太古の昔から言い伝えられてきた。
ふつうは、伝説は時代とともに変質していくものですが、中国のミャオ族は大昔から今に至るまで、大洪水伝説を、他の諸民族に比べてきわめて正確に言い伝えてきました。
韻律と、二行連句の技法(二行目が一行目の意義付けや補強をする形)を用いることによって、彼らはそれを注意深く受け継いできたのです。
彼らは、大洪水伝説を宣教師から聞いたのではなく、聖書を読んで得たわけでもありません。ユダヤ人から聞いたのでもありません。
自分たちの父祖以来、代々言い伝えられてきた話を、忠実に保持してきたにすぎないのです。
毎年の催し物や、葬儀、結婚式などの重要な場で読み上げることによって、先祖伝来の話を注意深く保存し、後世に伝えてきました。幾つかの相違点を除けば、その物語は聖書の記録に酷似しています。
以下は、ミャオ族に伝わる言い伝えです。
[天地創造]
神は天と地を創造された。
その日に、神は光の門を開かれた。
そして地球に、土と石で山を築かれた。
神は空には天体、太陽と月を造られた。
地には、タカとトビを創造された。
水の中に、ザリガニと、魚を創造された。
原野にトラとクマを造られた。
山々を覆うための草木を造られた。
山々の果て果てまで森で満たされた。
また若草色のトウ(藤)を造り、竹林を造られた。
[人]
神は地上に、ちりから人を造られた。
創造されたその男からは、神は女を形造られた。
それから、土の太祖ダート[聖書ではアダム。以下( )内は聖書の名称]は、石の天秤を造った。
地球の目方をその土台まで見積もった。
天体の大きさを計算した。
そして神の道を深く考えた。
土の太祖ダートは太祖セツ(セツ)をもうけた。
太祖セツは息子ルス(エノシュ?)をもうけた。
ルスはゲーロ(ケナン?)を得た。
ゲーロはラマ(レメク)を生んだ。
太祖ラマは男子ヌア(ノア)を生んだ。
ヌアの妻は女族長ガウ・ボルエンであった(聖書にはノアの妻の名は記されていない)。
彼らの息子は、ロ・ハン(ハム)、ロ・シェン(セム)、そして、ヤフー(ヤペテ)であった。
それで地は民族、家族で満ち始めた。
被造物は氏族と国民によって共有された。
[邪悪な世界]
これらの人々は、神のみこころを行なわず、神の愛に帰らなかった。
かえって神に逆らい、互いに争った。
指導者たちは全能の主に面と向かって反抗した。
すると地球は、
第三の層の深さまで揺り動かされた。
大気を天の果てまで引き裂いた。
神の怒りが燃え上がり、ご自身を満たした。
神が来て人類を滅ぼさなければならないほどに。
神は来て、人で満ちた全地を滅ぼされる。
[大洪水]
それで土砂降りの雨が四〇日間降り注いだ。
その後は霧と霧雨の日が五五日間続いた。
水は山々と山脈を越えた。
山のような大洪水が谷や窪地を飛び越えていった。
地球には逃れる場所はどこにもなかった!
世界には暮らしていけるような足場もなかった!
人々は挫折し、無気力になり、滅びた。
絶望し、恐怖に打たれ、減少し、終わった。
しかし族長ヌア(ノア)は正しい人だった。
女族長ガウ・ボルエン(ノアの妻)は、
高潔な人だった。
彼らは非常に幅の広い舟を造った。
非常に大きな舟を造った。
その家族全員が舟に乗り込み、舟は浮き上がった。
家族全員が無事に大洪水を乗り切った。
彼とともに乗り込んだ動物たちは雄と雌であった。
鳥たちは一緒に入り、それらはつがいであった。
時が満ちたとき、神は水に命じた。
その日が来て、洪水の水が遠くへ退いた。
そしてヌア(ノア)は、
避難の箱舟から一羽のハトを放った。
戻って知らせを告げたカラスをも、
ふたたび解き放った。
大洪水は湖へ退き、大洋を形成した。
泥は、水たまりと窪地に閉じこめられた。
人が居住できるような土地が再び現われた。
ついに地に住居を構えられる所が現われた。
そのとき、水牛が引き出され、
神への捧げ物となった。
肥えた牛が創造者への捧げ物となった。
神は彼らを祝福された。
そして彼らにすばらしい恵みをお与えになった。
(以上のミャオ族に伝わる話は、生涯の大半をミャオ族のために捧げたアーネスト・トラウクス宣教師によって報告された――聖書と科学の会『インパクト』一五九号を参照)
聖書に記されていない事柄も明らかに
こののち、中国のミャオ族の話は、バベルの塔、人類の離散、またミャオ族の系図へと続きます。
彼らの伝説をみると、聖書の記録との間に若干表現上の違いはあるものの、両者の間にとくに矛盾はないことがわかります。
もちろん、聖書のアダムが「ダート」と言われていたり、レメクが「ラマ」、ノアが「ヌア」、ハムが「ロ・ハン」、セムが「ロ・シェン」、ヤペテが「ヤフー」と言われているなど、名前の発音の表記に若干の違いはあります。
しかし、これは言語の違いや、訛りによるものとして理解できそうです。翻訳上の問題もあるでしょう。
私たちはさらに、ミャオ族の話の中に幾つか驚くべき点を見いだします。それは彼らの言い伝えは、聖書が記していない事柄をも述べている、ということです。
たとえば、ノアの大洪水の際に土砂降りの雨が四〇日間降り続いたのち、すぐ晴れたわけではなく、その後の「五五日間」は「霧と霧雨」の状態であった、とミャオ族の言い伝えは述べています。
この状況は、聖書には記されていませんが、充分想像されることです。そしてミャオ族の言い伝えは、それが「五五日間」であったと明らかにしているのです。
また、聖書はノアの妻の名を記していませんが、ミャオ族の言い伝えによれば、ノアの妻は「ガウ・ボルエン」という名前でした。そして「高潔な人だった」とも言われています。
これらの事柄はすべて、
ノアの大洪水は歴史的事実であり、人類共通の記憶であった
という私たちの考えを裏付けるものと言えるでしょう。
初期の人々は地球が球形であると知っていた
さらに、もう一つ興味深いことがあります。
それは、ミャオ族の言い伝えで使われている「地球」という言葉です。これは彼らの言語を直訳すれば「地の玉」であって、地が球形のものとして表現されているのです。
近年になるまで、未開民族であったミャオ族は、地が本当に球形であるとは全く思っていませんでした。ところが彼らが昔から一言一句大切に保存してきた言い伝えは、「地球」(地の玉)という言葉を用いていたのです!
ことにミャオ族の言い伝えの中にあるバベルの塔に関する部分では、こう言われています。
「彼らが労して建てていた塔は、このように未完成のままにならざるを得なかった。そこで彼らは絶望し、全天下に散っていき、互いに分かれ分かれになり、地球(地の玉)を一周した」。
大昔から伝わるミャオ族の話によれば、地は球形であって、「一周する」ことのできるものであるのです。
このようにミャオ族の最初の人々の知識は、完全だったようです。しかし、その後彼らは、地が本当に球形であるとは考えなくなりました。つまり彼らの知識は、進化ではなく退化したのです。
初期の人類は、地が丸くて球形であることを知っていました。もしかすると神は、最初アダムに、地が球形であることを語られたのかも知れません。
人々はその知識を言い伝え、しばらくは保持しました。しかし、それは実証的知識ではなかったので、やがて人々は、本当に地が球形であるとは考えなくなりました。
ようやく、近代になって地が球形であることが実証され、常識として人々に受け入れられるようになりました。それまでの長い間、聖書の正しさやミャオ族の言い伝えの正確さは、理解されないままだったのです。
久保有政著
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