同様の記述が「やさしいバイオテクノロジー」(サイエンス・アイ新書)に書いてあります。

見やすいイラスト入りでわかりやすいです。参考にしてください。

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第2章 前期の講義内容

 

2−1生物の基本

 

○生命とはなにか

 

生物の三大特徴

細胞を持つ。細胞膜で仕切られた構造物。

代謝機能を持つ。エネルギー代謝。ホメオスタシス。

自己増殖ができる。

 

ウイルスの特徴

 細胞を持たない。細胞膜がない。

 代謝機能がない。

 自己増殖できない。

 

 

生物学は生命とはなにかを問い、その答を見つけようとする学問でもあります。

しかし、その答は容易に見つかるものではなく、解明途上です。

 

生きものと生きもの以外の区別は難しくないようにみえます。

栄養分からエネルギーを取り出して、いろいろな反応を起こし、環境の変化に積極的に対応し、成長し分化する、中でもはっきりしているのは自分と同じものをつくる、すなわち増殖する、など生きものには共通の性質がたくさんあるからです。

 

しかし、生きものと生きもの以外の境界線上のものになると、とたんに曖昧になってきます。また、生と死の生物学的な境界線も実ははっきりせず、生も死も生物学的に定義されていません。

 

生命の形態上の基本単位は細胞です。

生命は水中で誕生したと考えられています。

生物は多くの場合水に溶ける物質から構成されています。

水に溶ける物質が広い大洋に溶けているだけでは構造物は作れません。

水に溶けない物質による「しきり」があることにより、「しきり」の中に水に溶ける物質を閉じこめることができます。

それが細胞膜の起源です。

ウイルスは細胞よりずっと簡単で代謝系をもたず、宿主細胞の外では増殖できないから、生きものの仲間に入れません。

ウイルスは本質的には分子の集合体で粒子です。

結晶化も可能です。

 

ヒトをはじめほとんどの生物は必ず死にます。

死ぬということに関しては、万人にとって悲劇的に平等です。

生を受けたものは必ず死を迎えることになっています。

ヒトなら、普通120年以上は生きられません。

 

普通、死は必ず訪れるものであるから、人間の死の判定はそれほど難しくないようにみえます。

しかし、個体レベルで死んでいても、生命の形態上の基本単位である細胞は、すべて死んでいるわけではありません。

死後取り出した精子に受精能力があることが確認されていますし、最新のクローン技術を使うと、死体の体細胞からクローン個体を再生させることも充分可能です。

心停止、呼吸停止しても、全身の細胞が一斉に死ぬわけではありません。

 

また、生命誕生の瞬間もあいまいで、発生のどの段階から生きものとするかも定義されていません。

すなわち、受精卵の段階か、ある程度胎児の形が整ってからか、あるいは出産してから生命と認めるのか。

法律的に定義してあっても、生物学的な定義はありません。

法的に決まりがあり、あるいは新しい決まりを作るのは、中絶の是非や胚の操作にかかわるからで、医療行為による合法的な殺人を認めるためです。

 

この授業では、便宜的に先にあげた生物の三大特徴を採用します。

これは生物の定義ではありません。

あくまで特徴です。

以降の授業では、それぞれの特徴について詳細に講義することにします。

 

 

参考:脳死について

脳死という、死んでいるのか生きているのかわからない状態もある。

実際に脳死状態の患者はどのような状態なのであろうか。

脳死とはすなわち全脳死であるといわれているが、深層部の脳波ははかれないため、本当に全脳死しているか判定するすべは実はない。

意識がなくなっているかの判定も、実はできない。

自発呼吸は止まっているが、心臟は自律的に動いている。当然、温かい血液が流れているので、全身は温かく、多くの細胞は生きている。全身のホメオスタシスは保たれているため、成長もするし、妊婦であれば胎児が成長するし出産も可能である。髭も髪の毛ものびる。

脳出血などで突然脳死状態になる例が多いため、前日までの元気な状態と何ら変わりなく、ただ眠っているだけのようにみえ、心臟が動いているわけだから脈があり血色もよい。

脳死患者から臓器を摘出するとき、血圧が上昇したり筋萎縮がおこったりと、通常の手術のときに見られるような現象が起こるため、通常の手術と同様、麻酔をかけてから臓器摘出される。

また、脳死判定で必要な無呼吸テストのとき、すなわち自律呼吸が止まっているかを判定するために人工呼吸器をはずしたとき、一般にラザロ徴候と呼ばれる不気味な現象がみられる。腕や足が自力で動き、上体を反らしたり時には上体を起こしたりする。単なる脊髄反射で説明しようとされているが、本当のところはわからない。このとき意識がないとは医学的に言い切れない。

脳死になればまもなく心停止するといわれているが、10年以上生きている脳死患者もいる。

 

日本の法律では脳死患者は生きています。移植する場合のみ同じ状態でも死んでいると見なされます。

移植のためだけに作られた新しい死の概念です。

 

はたして、これでも死んでいるといえるのでしょうか?

このような患者を見舞いに行くとき、花束ではなく香典を渡せますか?

家族がこのような状態になったとき、家族の死をすなおに受け入れられますか?

また、メスを入れて臓器を取りだしてくださいといえますか。心臟を取り出せば確実に死にます。

ドナーカードを持つときは、よく考え、よく話し合ってください。

 

 

 

○生命の起源と進化

 

 2002年度から、中学校で進化を教えなくなりました。

2003年度から、高等学校でも進化の記述が大幅に減らされました。

新課程の高等学校では生物Tと生物Uがあります。

「進化」は生物Uにのみ記載されています。

生物Tに少しでも進化の概念が記載されていれば、これは生物Uの範囲だということで、検定に通らなかったらしい。

ほとんどの高校生は生物Tのみを選択するか生物をまったく選択せず、生物Uを選択する生徒は1割ぐらいといわれています。

ということで、中学校でも高等学校でも、まともに進化を学んだ学生はほとんどいないことになります。

 

 2004年末、日本の生徒の学力が国際的に見ても低下したとの結果が出て、あわてて指導要領を見直そうとの動きがありました。

 

 

生命の誕生

 生命の基本単位である細胞は細胞膜で覆われています。

つまり、細胞膜を持つものが生物ともいえます。

細胞膜は水に溶けない物質からできており、水に溶ける種々の生物に欠かせない物質を包み込むものでもあります。

 

 地球上では約38億年前に生命が誕生したといわれています。

当時の生物の形態は明らかでなく、地球環境もまだ謎が多い。

現在地球上に存在する生物に共通の化学物質が多数あります。

たとえば、遺伝子の本体であるDNA4種の塩基からできています。

タンパク質は20種類のアミノ酸からできています。

このアミノ酸のうち19種は不斉炭素を持つことから立体異性体が存在します。

しかし、タンパク質に取り込まれるアミノ酸はすべて共通のあるひとつの型のみが使われており、別の型はいっさい使われていません。

純粋な化学反応であれば、両者の混合物(ラセミ体)になりますが、生命はそのうちのひとつだけを選択しています。

同じようなことが糖類にもいえます。

いまのところ、このような生命を構成する化学物質に大きな例外は見つかっていません。

このことからも生命の誕生は一度であり、すべての生物はその子孫であるともいえます。

 

化学進化

 上記の化学物質はすべて水に溶けます。

したがって、化学反応によって生命の元になる化合物ができたとしても、その反応の場である海水中に溶けているだけです。

生命の第一歩はその化学物質を包み込む膜の生成でしょう。

膜物質ができたおかげで、その化学物質を囲い込むことができるようになりました。

化学反応には当時の地球環境がおおいにかかわっています。

当時の環境を推定し、再現し、あるいはシミュレートし、細胞の基礎ができあがるまでの化学進化の段階がある程度議論できるようになってきました。

 

進化を理解するのに、次のエピソードが適切かもしれません。

トレフィル著 「人間がサルやコンピュータと違うホントの理由」(日本経済新聞社)

より引用(156ページ)

 

二人の狩人が森の中を歩いていて、獰猛な(そして腹を空かした)クマに出会った。

狩人の一人は装備を外して地面に置きはじめた。

「どうするつもりだ?」ともう一方が尋ねた。

「逃げるんだ」

「馬鹿なことを言うな。クマより速く走るなんてできっこない」

「クマより速く走る必要はないさ。おまえさんより速く走りさえすればいいんだ」

 

 

 

○進化論とキリンの首

 

 進化のしくみを説明する進化論は19世紀に相次いで発表された。

その中で、フランスのラマルクによる「用不用説」とイギリスのダーウィンによる「自然選択説」が対比する形でよく取りあげられます。

 

 ラマルクは1809年「動物哲学」をダーウィンは1859年に「種の起原」を著しています。

ラマルクの説では獲得性質が遺伝するとし、ダーウィンの説では適者生存による自然選択説として説明されます。

それぞれの詳細は教科書に譲るとして、ここでは教科書などによく書かれている伝説「キリンの首」について取りあげます。

 

 両者の違いを説明するとき、またラマルクは間違っていたがダーウィンは正しいという説明をするとき、「キリンの首」を題材にして説明されることが多くあります。

実際、副読本にしている「図説」にも書かれていますし、他社の「図説」(たとえば東京書籍のダイナミックワイド図説生物、数研出版の視覚でとらえるフォトサイエンス生物図録など)でも同様の記述が見られます。

ちなみに、第一学習社の教科書「高等学校生物U」(新課程用2004年)の本文にはキリンの首は記載されていません。

いずれの図説も用不用説と自然選択説を簡単に要約し、絵入りでキリンの首を使ってふたつの説の対立点を説明しています。

 

 図説によれば、少し逃げが見られるが、一見すると、ラマルクもダーウィンもキリンの首を使って自説を主張したようにも見えますし、現在の進化論でもキリンの首を題材に使うことで進化論を語ることができると読み取れるようになっています。

しかし、これらは実は真っ赤なウソです。

ダーウィンは「種の起原 初版」でキリンの首にまったく触れていなませんし、ラマルクもキリンの首にかんする記述はわずか1段落だけに留まっています。

 

参考文献

 ダーウィン著、八杉竜一訳「種の起原 上中下」(岩波文庫)

 ラマルク著、小泉丹、山田吉彦訳「動物哲学」(岩波文庫)

 ラウファー著、福屋正修訳「キリン伝来考」(ハヤカワ文庫)

 

 ラマルクはおそらくキリンを見たことがなかったのでしょう。

キリンの前肢が後肢より長いなどといった記述が見られ、当時は動物園などなかったことから、おそらく文献からの知識のみで書かれたものと思われます。

キリンがそれほどポピュラな生き物ではなかったこともあって、ラマルクが自説の説明にあまりキリンを使わなかったこともうなずけます。

 

 一方、ダーウィンはちょっと事情が複雑です。

「種の起原」の初版ではキリンの首にまったく触れていませんが、最後の改訂版に加えた1章のかなにキリンの首の記述が見られます。

岩波文庫の上中下三冊版の「種の起原」では(中)の「付録」章である「自然選択説にむけられた種々の異論」という章がそれに該当します。

「種の起原」に異を唱えているマイヴァート氏の反論の節にキリンが登場する(先の本 p238以降)。

ここでの記述も「図説」などに見られる説明とはかなり異なります。

なんと、自然選択説を説明する項目ではなく、むしろラマルクの「用不用説」との融合した説の例としてキリンの首が取りあげられています。

 

 実は、ダーウィンはラマルク説を完全否定していません。

ダーウィンはある意味ではラマルク主義者でもあります。

つまり、副読本や多くの入門書などにみられるキリンの首にかんする記述は、原著者のラマルクもダーウィンも取りあげていないことから、いつ伝説になったのかわかりませんが、創作であることは確かです。

さらに両者の対立も創作です。

 

 現在の進化論でもキリンの首をうまく説明することができない事情も考えあわせると、ダーウィンとラマルクの説をキリンの首を題材にして説明することは、捏造までとは言わないがかなり危険な考えであることは確かです。

ダーウィンは正しいがラマルクは間違っていた、といった単純な話ではありません。

最近の遺伝学、生物学でも、獲得形質の遺伝と思われる現象が数多く発見されており、ダーウィンとラマルク間の対立はそれほど鮮明ではありません。

 

 

 

○進化に関する誤解

 

 教科書などに記載されている「誤解」や「誤記」はキリンの首だけでなくまだいくつかあります。

進化の証拠として化石がよく取りあげられます。この化石の取扱について、誤解を受けやすい記述がよくみられます。

 

 たとえば、有名な話として「ウマの進化」があります。

第一学習社の図説によれば、「北米におけるウマの進化」と題し、北米大陸において第三紀から第四紀にかけて、ウマの化石を並べることによりウマが大型化し骨格の変化がよく分かるように解説されています。

図説によればその進化は直線的であり、一世代前のウマが次の世代の原型であるように描かれています。

これを見ると、進化によって、記載された生物種が次々と置き換わって誕生したように勘違いしてしまいます。

同じような例が、人類の進化にも見られます。

猿人から原人、旧人、新人へとこれまた同じように直線的に進化し、前世代の種が現世代の種の原型であるかのように誤解しやすい。

 

 もちろん、この記載に見られるような直線的な進化や、進化により種が置き換わるような事実は確認されていなばかりか、実際に起こっていなません。

ウマ類にしても人類にしても、発見された化石以上の種分化が実際に起こっていたことがわかっています。

ウマ類にいたっては、教科書に載っている北米大陸に限っても、記載の種以外の化石が多数見つかっています。

北米にいたすべてのウマ類は進化の枝の途中の更新世における哺乳類の大絶滅の時に他の大型哺乳類とともに絶滅しています。

現在の北米のウマはスペイン人が16世紀に持ち込んだといわれています。

 

 化石をその発見された地層の年代順に並べることで、全体の進化の様相を知ることはできますが、多くの化石は種分化後に安定して存在した種の化石であろうし、またその多くは絶滅していることから、たとえば、発見されている化石が原生種の直接の祖先である可能性は非常に低いことがわかります。

アメリカの博物館などにおいて「図説」にあるようなパネルを使って説明するところが以前はありましたが、今はその間違いに気付き、すべて訂正されているといわれています。

その間違いをそのまま掲載し続けているのは、日本の教科書ぐらいでしょう。

 

 また、進化には「進歩」というような、たとえば下等なものから高等なものへ、よりよくなる、といった誤解もあります。

もちろん、そのような概念が進化にはありません。

進化の方向性や進化の目的もありません。

何かに向かって進化するということはありません。

 

 このような進化の考え方を誤って理解してしまうと、たとえば、創造説を信じている人たちがよく言う「ヒトがサルから進化したのなら、なぜサルがまだいて、サルが絶滅していないのですか?」といった疑問に結びついてしまいます。

現在の生物で進化的にヒトに一番近いのはチンパンジーとボノボです。

そのことから、ヒトとチンパンジーやボノボを比較することで、人類の進化を理解しようとする考えがあります。

もちろん、化石で解析できることは限られますし、生きた生物で比べる最良の生物がチンパンジーとボノボですから、この方法論はそう悪くありません。

しかし、誤解してはならないのは、ヒトとチンパンジーやボノボの祖先が別れたのは700万年前であり、ヒトもチンパンジーもボノボもいずれもその間、進化し変化していることです。

チンパンジーやボノボをヒトの原型として解析することはできませんし、共通の祖先が今のチンパンジー的であることもあり得ません。

 

 進化を否定し創造のみを信仰している人で、たとえば、「あなたは、自分をサルの子孫だと思っているかもしれないが、わたしはそうは思わない」と公言するアメリカの政治家などの公人は多数いるそうです。

完璧な誤解です。

進化論で「人間はサルの子孫である」とか「サルがヒトに進化した」などまったく言及していません。

現在地球上に存在する生物はすべて38億年の進化に耐えて生き延びたものです。

 

 「生きている化石」という言葉も誤解を呼びやすいです。

この言葉、残念ながら高校までの教科書には生き残っています。

現在地球上に生きているシーラカンスやゴキブリやカブトガニは生きた化石では決してありません。

現在生きている生物は全て進化のなれの果てであり、何かの生物の原型であることはありませんし、変化しないで永久不変などということはありえません。

 

 たとえば、ゴキブリが数億年も前から存在し、長い間存在し続けていたので、進化の勝者であって絶滅に耐えるだけの強い生命力が備わっていて、将来的にも環境の変化に強く、しぶとくこれからも生き続けるであろう、といった俗説がはこびっています。

 

もちろん真っ赤なウソです。

 

サメもカブトガニもゴキブリもシーラカンスも現在生きている種と一見よく似ているような化石種が見つかりますが、同じものはひとつとして存在しません。

恐竜が栄えていた頃のカブトガニと現在のカブトガニは形態的にもまったく別の種です。

現在のカブトガニが特に絶滅に強いといった証拠も得られていません。

 

 現在生きているすべての生物種は、38億年分の時間の洗礼を受けています。

ある種は時間が止まっているということはあり得ません。

すべての現生種は38億年間「生命」をリレーしてきた果てに存在するものであり、常に変化しています。

 

 もうひとつ教科書にみられる「誤記」にヘッケルの「個体発生は系統発生をくりかえす」という理論があります。

中学の教科書にも見られる有名な理論です。

しかし、そもそもこの理論を作り出したヘッケル自身が捏造した図により唱えた説であることを告白していることなどもあり、現在、この説をまともに取りあげられることはほとんどありません。

ヘッケルが捏造した説がそのまま注釈もなく紹介されるのは中学や高校の教科書の中だけです。

 

 進化の考え方は一見やさしいように見えるため、他の科学分野に比べて俗説がはびこりやすい。

注意しないと、トンデモを信じてしまうことになります。どんな学説も常に正しいわけではありません。

 

 

 

○生物の分類

 

先にみたように、すべての生物は細胞からなり、単細胞か多細胞のいずれかである。

また、すべての細胞は原核細胞か真核細胞に分類できる。

 

原核細胞からなる原核生物には核膜がない。つまり核がない。すべて単細胞生物である。

一方、真核細胞からなる真核生物には核膜で包まれた核がある。真核生物には単細胞のものもあるが多くは多細胞生物である。

 

原核生物のおもな仲間には細菌類とラン藻類がある。いずれも細胞膜の外側に細胞壁を持っている。

真核生物のおもな仲間には菌類や植物と動物がある。植物と動物にはミトコンドリアがあり、植物にはさらに葉緑体がある。

ミトコンドリアと葉緑体は細菌の性質とよく似ていることから、進化の過程で真核細胞の祖先に原核細胞が共生し、その結果できたものと考えられている。

 

地球上で現在生きている生物種の数は推定数千万種から数億種ぐらいと考えられている。

ほとんどは種として記載されておらず、多くは未知の生物である。

種として記載されている数は約150万種にすぎず、その内訳は、動物が約100万種、植物が約30万種である。動物のうち、昆虫が70万種と特に多い。哺乳類は5千種ほどである。

地球上にこれまでに出現した動物の数は10兆種ともいわれており、そのほとんどは絶滅している。

人類が絶滅させたと思われる種の数はこのうち何分の1であろうか。

 

生物は生物から誕生し、新しい種も進化により誕生したことは今や理論ではなく事実である。

しかし、過去には生気論というそれとは対立する理論もあった。歴史的にはパスツールがその理論を実験により論破した。

 

また、宗教的立場から創世記の記述を信じ、創造論、創造的進化を唱えるグループもある。

特にアメリカでは聖書に記載されている内容は一字一句そのまま事実であると考える原理主義者が多く、大統領選挙の焦点になったりその勝敗を左右したりするほどの一大勢力を誇っている。

一般的な日本人にとってにわかには信じがたいことであるが、生物進化を完全に否定し、全ての生物は神がお作りになったと信じられている。

そのため、アメリカの教育現場では生物進化と創造「論」とを同等に教えているところもある。

 

 2006年 のサイエンス誌(Science, 313, 765-766 (2006))によると、Jon D. Millerらは、”Public Acceptance of Evolution”というタイトルの論文で、“Human beings, as we know them, developed from earlier species of animals”という問に対してどう思うかの統計をとっています。

データはヨーロッパ32カ国、アメリカ、日本から集められました。

先の問に対して絶対的に正しいと答えた人の割合は、アイスランド、デンマーク、スウェーデン、フランスでは80%を越えており、日本は78%4位でした。

アメリカは40%しかおらず、絶対的に間違っているという割合も40%近い数字でした。

 

日本では生物進化のみを教えている。この授業でも当然「科学的思考力」を身につけるのが目標でもあることから、進化論の立場のみにたっており、創造説は取りあげない。

なぜなら、創造説は検証も反証も不可能であるため、科学で取り扱うことはできないからである。

 

科学的であるためには必ず反証可能性がなければならない。反証できないものは科学の範囲外である。

したがって、全能の絶対神がこの世と生物などありとあらゆるものをお作りになった、というのであれば、そうですかと受け入れるしかなく、反証しようがない。科学的創造説というのは成り立たない

 

なかには、科学的インテリジェント・デザイン運動という活動があり、創造説に進化の概念をとりいれ、創造説を科学的に説明しようとする動きもある。しかし、この説でも創造神の絶対性は崩れていないため、インテリジェント・デザイン運動は科学的にはなり得ない。

 

 

 

○種とはなにか

 

今までなんどか出てきた「種 (しゅ、species)」というのは、生物の命名法上のひとつの階級であって、生物の基本的な分類学上の単位である。

その定義ははっきりしていないが、生物学的にみて、お互いに交配し合うことができ、またその子がその集団の中で交配でき、また、他の集団からはそのような生殖的に独立し隔離されている自然にできる集団と考えられている。しかし、生殖を基準に定義するにはあまりにも例外が多すぎる。

 

ペットのイヌには多くの犬種があるが、すべてのイヌどうしは交配可能であるから小さなイヌも巨大なイヌもすべてひとつの種である。いろいろな犬種は人間の都合で作ったものである。

 

家畜のブタも野生動物のイノシシから作られたものである。イノシシとブタは交雑可能でイノブタができる。イノブタには生殖能能力があり、イノブタどうしやイノブタとイノシシ、イノブタとブタとも交雑可能で生殖能力を持った子ができる。

したがって、イノシシとブタは同一種である。

 

ウマとロバも交雑でき、両者の中間的な性質を持ったラバが生まれる。

しかし、ラバには生殖能がなく一代限りである。

したがって、ウマとロバは別種である。

 

植物はちょっと複雑である。

野生のアブラナから作られた野菜のブロッコリ、キャベツ、カリフラワー、ケールなどは形態が大きく異なるように見えるが、当然同一種である。

別の野生アブラナから作られた野菜のハクサイ、コマツナ、カラシナ、野沢菜、京菜なども同じく形態が異なるように見えるが、同一種である。

 

生物は生殖のみで繁殖するわけではないので、生殖可能性だけで種を定義することはできない。

 

また、生物の分類方法として、よく性質の似たグループ種を属としてまとめ、さらに科、目、綱、門、界と分類するのが一般的である。

 

種は固定的なものではなく、充分な時間がたつと種の集団全体が変化するし、新しい種に変化する。

これが進化である。

そもそも地球上に生命が誕生したときは種はひとつしかなかった。これが38億年の歳月をかけて現在の多種多様な種が誕生した。進化の途中で絶滅した種も、現在生きている種の数よりはるかに多い。

 

一説には、かつて地球上に生息していた種の99.9%はすでに絶滅しているといわれている。

そうであれば、現存する生物にかなりの多様性があるようにみえるが、絶滅の総数にくらべれば、現存種の数は非常に少ない。

 

将来的にはっきりとした定義ができるアイデアが考案されるかもしれないが、現在のところ、普遍的な種の定義はできない。

 

ひとつの方法論として、ゲノムの遺伝情報により生物種を分類することが可能になるかもしれない。

多くの生物の分類は形態に頼ってきた。たとえば、植物は裸子植物か被子植物かで大きく分け、さらに被子植物は発芽時の子葉の数により単子葉か双子葉かで分類されている。

しかし、近年、植物が持つ葉緑体のゲノム遺伝情報を解析することにより、新しい分類学が誕生しつつあり、その解析結果によると、子葉の枚数はそれほど根幹の分類には使えないことが明らかにされている。

このように、遺伝情報を分類に利用するのは可能かもしれないが、種を定義するのに遺伝情報をどのように使うかはまだはっきりしていない。

 

 

 

○ウイルス

 

ウイルスは先にあげた「生物の三大特徴」をすべて持っていない。

独自の代謝機能もなく、自己複製能もない。なにより、細胞構造をしていない。

ウイルスの種類は多種多様であるが、一般に遺伝子の本体となる核酸(DNAまたはRNA)を持ち、そのまわりに若干のタンパク質がまとわりつき、さらに外側を包み込むタンパク質からなる粒子である。

 

しかし、その構成成分であるタンパク質や核酸の素材、すなわち使われているアミノ酸や塩基の種類は生物のものと共通である。

ウイルスタンパク質も生物と同じ20種類のアミノ酸からなり、核酸も生物と同じ塩基からできている。

 

生物のゲノムはすべて2本鎖DNAである。しかし、ウイルスのゲノムにRNAを持つものもある。

DNA、RNAともに1本鎖タイプも2本鎖タイプもある。

すなわち1本鎖DNA、2本鎖DNA、1本鎖RNA、および2本鎖RNAの4種類である。

 

SARS、AIDS、インフルエンザ、白血病などのおなじみの病気の原因ウイルスはすべてRNAウイルスである。

 

ウイルスゲノムには遺伝子が含まれている。すなわち、タンパク質に翻訳される領域がある。

ウイルスを構成するタンパク質の遺伝子はウイルス自身が持っている。

ゲノムやその中の遺伝子を持ち、タンパク質からなるという点では、生物と共通の特徴であるが、自身で複製増殖することはできない。

 

ウイルスは単体では存在できない。ウイルス粒子のままでは生きていけず、宿主の細胞が必要である。

宿主細胞に潜り込んだウイルスは、宿主のゲノムに取り入るなどして、宿主の持つ転写・翻訳機構を利用してウイルス粒子に必要な核酸やタンパク質を宿主に作ってもらい、それを再構築することでウイルスは増殖する。

 

ウイルスが好む宿主細胞は限られている。ウイルスの外側のタンパク質と宿主細胞の細胞膜とが出会い、両者の相性がよい場合のみウイルス粒子はその宿主細胞に侵入する。

この特異性はかなり高い。細菌ウイルス(ファージ)、植物ウイルス、動物ウイルスのように宿主で大別できる。

 

たとえば、鳥インフルエンザウイルスは鳥の細胞に侵入するが、ヒトの細胞には鳥と共通の細胞表面タンパク質を持っていないため、感染しない。同じ鳥であったとしても、細胞の種類によって感染する細胞(臓器)と感染しない細胞(臓器)がある。

 

ウイルス粒子がタンパク質からなることより、一般にウイルスは熱に弱い。アルコールなどの有機溶媒にも弱く、消毒することで簡単に殺せる。

しかし、糞便中などのように感染した細胞がある場合は、その宿主細胞を殺す必要がある。

 

ウイルスは基本的にはタンパク質と核酸の塊である。したがって、簡単なものであれば完全な化学合成のみでウイルスをつくることができる。しかし、細胞は人工的につくることはできない。細胞もどきに近づくことすらできない。この点だけを見ても、ウイルスと細胞(生物)の境界ははなはだしく大きい。

 

ウイルスも細菌も病原性を持つものが少なからずある。

たとえば、インフルエンザはインフルエンザウイルスが原因であり、ときおりその後肺炎を併発するが、肺炎の原因は細菌である肺炎菌である。

ウイルスと細菌の生態はまったく異なるため、これらが原因となる病気の予防・治療などはまったく異なる。

 

エイズウイルスはRNAウイルスで、さきに述べたような方法で増殖する。

輸血血液中のエイズウイルスは、以前はエイズウイルスに対する抗体の有無の検査で検出していた。この方法では、ウイルス感染から抗体産生までのタイムラグが大きいことから、エイズウイルスに感染していても抗体がまだできていない期間に献血された血液では、感染の有無を検出することができなかった。

そこで、ウイルス粒子のゲノムをPCR法などで直接調べる方法がとられるようになった。

エイズウイルスは血液中の白血球の中でもヘルパーT細胞(CD4+細胞)に特異的に感染する。この感染により、ヘルパーT細胞が破壊される。ヘルパーT細胞はリンパ球の関与する免疫機構の中心的役割を果たしている重要なリンパ球である。このヘルパーT細胞が破壊されることにより、免疫機構が充分な機能を持たなくなる。つまりエイズのフルネームの通り「後天性免疫不全」症候群になる。症候群であるのは、免疫不全そのもので障害が発現するのではなく、免疫機構が弱ってきたことにより、種々の病原体などの感染による抵抗力が低下し、結果的に種々の病原体などによる感染症を発病し、多くの場合は死にいたるからである。このような感染症を日和見感染ともいう。

 

献血を検査目的でするのは論外である。

エイズウイルスの宿主はヒト(あるいは霊長類)のヘルパーT細胞のみである。したがって、昆虫や霊長類以外の哺乳類などから感染することはない。

エイズはウイルスによる感染症であるから、遺伝はしない。感染したヘルパーT細胞がもとで、他人に感染させることはできるが、この遺伝情報が生殖細胞系列に入ることはないため、親から子への遺伝的な伝達はあり得ない。ただし、親から子へ血液を介して感染することは当然あり得る。

 

 

 

○代謝

 

生物の特徴のひとつとして、「代謝」がある。

 

生物は常に外界と応答して、恒常性(ホメオスタシス)を保っている。

生物は外部からエネルギーや食料として化学物質を獲得し、それを分解し、また合成反応やエネルギー化合物の生成反応を常に行っているシステムである。

これらの化学反応を代謝という。

 

代謝における化学反応の主役は酵素である。酵素の本体はタンパク質で、化学反応の触媒として働く。酵素の働きはその反応出発物質である基質に特異的である。

代謝により、生命活動の維持に必要な物質の合成や分解反応だけでなく、化学的エネルギー化合物であるATP(アデノシン三リン酸)の合成も起こる。エネルギーが必要な合成反応などにはそのエネルギー源としてATPが使われることが多い。

 

たとえばヒトの場合、体温は外気温より高い37℃弱に保たれている。

このためだけでも莫大なエネルギーが必要である。

ヒトの体の構成成分の約70%は水である。例えば40Lの水を室温から37℃に暖める、それを維持するのに必要なエネルギーを計算してみるとわかる。

これを死ぬまで70-80年間続けるわけである。

 

呼吸が停止し、心臓が止まるとやがて冷たくなる。代謝が止まるからである。

 

生きているときのエネルギー源のほとんどは食べるものである。

食べるもののほとんどはヒト以外の生物である。

 

我々は他の生物と空気中の酸素と水を主原料として代謝による自己組織化を行う装置である。

その活動を通じてコピーをつくり子孫を残す。

その活動に最小単位が細胞である。

 

つまりこれが生物の特徴である。晴れてこの節の最初に戻ることになる。

 

 

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無断転載を禁じます。 ashida@msi.biglobe.ne.jp・芦田嘉之

200738() 更新

 

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