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 3−3.クローン技術の人への応用と生命倫理

 

○クローン技術規制法 人へのクローン技術の応用

 

 先に述べたように、日本にはクローン人間を作ることを規制する法律があります。

では、なぜクローン人間を作ってならないのでしょうか?

クローン人間を否定するひとたちの代表的な意見をみてみよう。

 

 技術的に未熟だから、成功率が低いから、異常を持って生まれるケースが多いから、死産や出産直後に死ぬケースが多いから、老化して生まれることもあるから、巨大胎仔になることがあるから、安全性を考慮しない危険な人体実験だから、などといった意見があります。

しかし、これらの問題点は現時点では真実であったとしても、将来にわたって有効な問題点とはなりません。

なぜなら、このような技術的な問題点はいずれ解決される可能性が高いからです。

 

 交通事故死の原因になるから自動車に乗るのを禁止する、ということにはならないのと同じで、クローン技術に技術的な弊害があるから、それを理由に禁止することはできません。

クローン反対論法に弊害を理由に禁止するのが多いのも気になります。

 

 別の理由に、個人の独自性をおかすことになるから、人格の尊厳を侵害するから、人権侵害にあたるから、といった意見もあります。

しかし、これは大きな誤解でしょう。

そのような意見がまかり通るなら、一卵性双生児の存在はいったいどうなるのでしょうか。

こんな差別は許されるものではありません。

 

 生物としての人類集団の多様性が損なわれるので望ましくない、という意見もあります。

しかし、これは論外でしょう。

 

 神の領域を侵すのはよくない、クローン人間を作ろうと企てるのは邪悪な精神の持ち主だけだ、といった意見もあります。

このように考えるのは自由でしょうが、たとえば人工授精はよくて、クローンは邪悪で神に対する冒涜だというのも変です。

 

 固定したパートナーを作らずにカタログで精子を選んで子供を作るのはいいが、愛するパートナーとの子どもを望みながら叶えられず、最後の手段として相手のクローンを妊娠するのは非倫理的でしょうか。

 

 1990年、アメリカのカリフォルニア州で次のような事件が実際に起こりました。

43歳の女性が主人公です。

20歳の娘が白血病になり骨髄移植が必要になった。

一致するドナーが見つからないため、なかなか移植手術ができない。

そこで新たに子供を作ってその子をドナーにしようと考え、なんと出産しました。

この夫婦の場合、夫は精管結紮術をうけて永久避妊をしていたので、娘を救うため精管開通手術までして、自然妊娠して適合する妹を無事出産。

その子から骨髄移植をして姉は回復したという例がありました。

この例では、人工授精もクローン技術も使われていません。

しかし、この例のほうがクローン技術より倫理的に許されるでしょうか。

 

 先に生まれた子供を治療するために体外受精と受精卵診断を組み合わせて適合する子供を作るというこの方法はイギリスでは200112月公式に許可されています。

20022月、白血病の男児を救うため女児が誕生しています。

先に生まれた子供の命を救うためだけの目的で妊娠することは許さることでしょうか。

新たに生まれてくる子供をひとりの独立した人格を持つ人間として育てる心構えがあれば、子供を作ろうと決めた動機が移植のためであっても許容される、というのが米英の考え方です。

体外受精と受精卵診断の組合せで、望ましい子供をもうけるという人為的な方法は許されます。

しかし、とにかくクローン人間は許されない、といった考え方です。

 

 もちろん、移植用のドナーとしては、クローン人間のほうが効果は抜群です。

移植の成績がいいだけでなく、術後に免疫抑制剤も不要になります。

 

 健康な生体にメスを入れるのは権利か?

 生体間移植は本当に医療行為といえるのか、といった事例も真剣に考える必要があります。

サッカーで人気のベッカム選手の第二子が帝王切開で産まれました。

これは医学的な適用ではなく、サッカーの試合を犠牲にすることなく妻の出産に立ち会えるようにするとの配慮だけのために、出産の時期を調整し、母体にメスを入れて出産しました。

いつ出産するかを決めるのは両親の権利なのでしょうか?

 

 遺伝子操作による肉体改造はいいのでしょうか。

筋ジストロフィーのような病気の遺伝子治療ならいいのでしょうか。

 

 法律で、人の臓器を持った動物はつくってはいけないことになっています。

逆に、動物の臓器を持った人もつくってはいけません。

つまりキメラ作成はダメです。

しかし、動物の臓器を移植した人はつくってもかまわない、すなわち異種移植はいいことになっています。

 

 しかしながら、どんな場合であっても出産を禁止することはできません。

どんな子供を産んでも、生んだことを罪には問われないし、生まれてきた子供に罪はありません。

どんな過程で生まれてきたとしても、生まれてきた子供の人権は100%守られるべきです。

 

 胚の培養は可能で、受精から6日目の胚盤胞までは人工的に培養できます。

胎児の人工培養はいまのところ不可能で、人工子宮はまだできていません。

胎児の成長には必ず生体の子宮が必要です。

ヒトの胎児をヒト以外の動物の子宮で成長させられるかは検討中です。単なるクローン人間をつくろうという人はあまりいないでしょう。

 

 問題は胚の操作です。

培養可能な細胞では遺伝子組換えができます。

天然金髪日本人もつくることはできます。

 

 頭の形成を促す遺伝子というのが見つかっています。

ということは、この遺伝子を欠損したゲノムをつくることができます。

じっさい、ノックアウト技術を使い、前頭葉のないネズミがつくられています。

これを応用すれば、前頭葉のないヒトの作成も可能です。

臓器移植用の貯蔵庫として同一のゲノムをもった、脳のない個体をつくることもできます。

この個体はゲノムが同じであることから、免疫拒絶反応が全くない臓器を提供してくれます。

頭だけない個体といったグロテスクなものより、同一ゲノムの各臓器を個別につくる方がよい。

そんな理由で、ES細胞を利用して、同一ゲノムのあるひとつの臓器にのみ分化させた移植用臓器をつくる試みもあります。

 

 ヒトクローンをつくっていいか? との議論はもう終わっています。

改変していいかどうか?に移っています。

 

 ゲノムを加工していいのかどうか?先にあげたグロテスクな例でなくても、遺伝子治療も遺伝子の加工です。

自分のES細胞から遺伝子治療してからつくった臓器を移植することも可能です。

このような遺伝子治療を認めてもいいのでしょうか?

 

 遺伝子がかかわる病気を治すために行う遺伝子治療は、一応認められています。

しかし、遺伝子改変した子を作ることは認められていません。

この両者の間に根本的な違いがあるのでしょうか?

 

 

 

○移植医療と脳死 脳死移植の現状と問題点

 

 臓器移植でしか助からないという病気がある(らしい)。

 

 らしい、と書いたのは、実ははっきりしないからです。

ドナーが不足していることから、臓器移植を待つレシピエントは多い。

ドナー待ちの時間と移植した場合の相関関係を調べた結果があります。

ドナーを待つ時間が長くなればなるほど、移植をすることによる延命効果がなくなり、時には逆の結果になります。

 

 人体はいつから生を受け、いつから死を迎えるのでしょうか。

生は受精卵からか、胚になってからか、胎児になってからか、出生してからか。

死は心臓死で考えられています。

しかし、組織は生きています。

組織が全部死んでから死か。

組織が機能しなくても細胞は生きています。

細胞が全部死んでから死か。

脳死状態、昏睡状態は死か。

痴呆性老人は死か。

植物状態は死か。

無脳症児は生きているのか死んでいるのか。

 

 植物状態は脳死とは異なります。

脳死のような全脳死ではなく、脳幹や小脳は機能しています。

したがって、自発呼吸ができます。

心臟はもちろん自律的に動いています。

臓器移植は臓器のリサイクルであり、共食いでしょう。

カニバリズム(人食い)の一種ともいえます。

 

 ヒトの幹細胞などを利用した移植は、倫理的な問題だけでなく技術的にも乗り越えなければならない問題が多く、実際に臨床応用されるのはまだ先です。

そのつなぎの技術として異種移植が注目されています。

異種移植に使われる動物は、種々の理由でミニブタが使われています。

なぜなら、ブタは生後八ヶ月で妊娠可能と早熟であり、妊娠期間も150日と短い。

1回の出産で313頭の子ブタを生み、年2回出産可能、とかなりの多産です。

さらに、家畜化にあたって、性格もおとなしいものに改良されています。

 

しかし、ブタは本来食用の家畜として品種改良されてきました。

そのブタから移植するのは共食いにあたらないか心配です?

 

 移植にはつねに拒絶反応の問題があります。

人同士であっても、たとえ親子や兄弟であっても他人の臓器は遺物であるため、一卵性双生児の間でない限り臓器移植にともなって拒絶反応が起こります。

したがって、ヒト以外の生物を使った異種移植には、人同士の間に起こる拒絶反応とは比べものにならないほどの激しさがあります。

その問題もいくつか改善されるようになっています。

 

 なるべく超急性の拒絶反応を少なくするためにも生物学的にも近い霊長類を使うほうが成功率は増します。

しかし、たとえばチンパンジーなどの類人猿やヒヒなどのサルを使ったとしても、別の意味で難しさが出てきます。

たとえば、霊長類の繁殖率は悪く、妊娠期間が長く、成長にも年月がかかります。

霊長類を飼育するのは技術的にも経済的にも難しい。

霊長類を使った多くの実験では野生の動物が使われていますが、野生の場合、どのような感染性の病原体を持っていますか把握できず、ヒトへの移植に使うのにはあまりにもリスクが大きすぎます。

霊長類の生物とヒトとの間で共通の病原体もあるかもしれず、共通でなくても、移植にともなって、ドナーが持っていた病原体がレシピエントに感染する確率は非常に高くなります。

ドナーの調達の面からも、感染症の面からも、霊長類を使うのはあまりにも問題点が大きすぎます。

 

 そこで目が付けられたのがミニブタです。

ミニブタは繁殖力が強く、妊娠期間も短く、多産であり、長年飼い慣らしてきただけに性格もおとなしく、飼育しやすい。

また、臓器の大きさもヒトにちょうどよい。

このようにメリットの多いミニブタであるが、ミニブタを使うときにも、問題点もいくつかあります。

 

拒絶反応の問題点

 急性の劇症拒絶反応はヒトの遺伝子を導入したトランスジェニックブタの開発で一応の回避は見た。

しかし、その後の定着にとって必要な措置はまだなされていません。

 

感染症の問題点

 どんな動物でもそのゲノムにウイルスを抱えています。

そのウイルスが宿主にとって無害であったとしても他の生物にとっては有害なものになることもあります。

ミニブタにもミニブタ特有のウイルスをそのゲノム内に持っています。

このウイルスが移植にともなってヒトに移る可能性が否定できず、その結果、ヒトに有害なウイルスとして働くことも充分考えられます。

 

 ミニブタは飼育できるとはいえ、その飼育法は簡単ではありません。

一切の感染症にかかっていない臓器を移植に使う必要があるため、その誕生から厳しい管理下におかれます。

通常の出産で産まれたのでは、出産時に親から多くの感染症にかかるため、帝王切開のような技術で産まれます。

親は生存できないため、一度の出産で殺処分されます。

取り出された胎児は完全な無菌状態の飼育室で移植に使われるまで飼育されることになります。

特別な飼料だけでなく、空気や排泄物などの環境も徹底的に管理されます。

一部の成長にとって必要な菌は特別に移植されます。

 

 現在の技術では、体内に臓器丸ごとを埋め込むまでにはいたっていません。

しかし、ミニブタの肝臓を用いて、その肝臓を体外におき、ヒトにつないで灌流させるという移植はすでにおこなわれています。

この場合、免疫反応は少し回避されますが、感染症の危険性は残っています。

また、永続的な治療法ではなく、ヒトからの臓器移植にそなえてのつなぎの治療です。

 

 ミニブタの細胞を移植するという臨床応用のすでに試みられており、よい成績が納められています。

パーキンソン病などの脳の疾患で、脳細胞を補うのにミニブタの胎児の脳細胞が使われています。

トランスジェニックミニブタの胎児から調製した脳細胞を人の脳に直接移植するもので、驚異的な回復を見せている例がいくつか報告されています。

この場合、まだ感染症の危険性は残っています。

 

移植されてヒトは一生監視下におかれることになります。

豚臓器からヒトへの感染経路はエイズのようにセックスや出産時の親子間、体液の接触などにより感染すると想定されており、どのような感染性を持つのか全くで未知であるため、移植されたレシピエントだけでなくその家族や医療に携わった人を含め多くの周辺の人々が生涯監視下におかれることになります。

生活の自由はかなり奪われることになります。感染症の問題は移植に携わった人たちだけの問題ではなく、人類全体の問題です。監視を怠ると、エイズ以上に恐ろしいエマージング感染症が生じる危険性が増すことになります。

 

 拒絶反応の抑制には多くの戦略により、改善されつつありますが、ヒトへの臨床応用にまでいくつかの難関があります。

ブタ臓器を仮想レシピエントであるヒヒに移植することで、移植医の技術が磨かれ、拒絶反応などの問題点がモニターされるなど研究は進んでいます。

しかし、拒絶反応がどの程度であるかなどを知るためには最終的にはヒトで試す必要があります。

そこである臨床医から恐ろしい臨床試験の方法が提案されています。

それは脳死体を利用する方法です。

 

 生体間移植は日本でよくやられています。

死体移植もあります。

通常の心臓死(三徴候死、呼吸停止・心臓停止・瞳孔散大)の判定後、移植される。

しかし、心臓移植はできません。

脳死移植は全脳死した患者から移植される。

心臟は自力で動いています。

肺は人工呼吸器により動かされています。

心臟が動いているため、あたたかく、身体はやわらかく血色がよい。

心臓死でみられる硬直は起こりません。

 

 脳死者以外に、胎児細胞や臓器の利用も試みられています。

中絶胎児だけでなく、無脳症児の利用も実はひそかに行われています。

無脳症児は先にマウスの例でみた脳を作る遺伝子が先天的に欠陥を持った例であり、日本でも年間に600人ぐらい誕生するといわれています。

脳以外は多くの場合正常で、出産するまで胎児は成長します。

しかし、出産後長くて一週間、多くは24時間以内に死亡します。

脳の中でも脳幹はあるため、心臟は動いています。

多くの臓器は移植に使える。

脳幹のないものは妊娠が継続できないため、途中で死にます。

 

 乳幼児の脳死判定は非常に難しく、例も少ない。

したがって、臓器移植が必要な乳幼児のためのドナーはほとんどなく、不足しています。

そこで、無脳症児利用が考えられました。

日本では1981年に実施されました。

その後、表向きは自粛されています。

無脳症児には利用できる臓器が多数あるので、1億円ぐらいの商品価値があるともいわれ、闇取引されています。

この無脳症児は先天的異常で生まれてきましたが、偶然生まれてくる無脳症児を待たなくても、遺伝子を改変することで、無脳症児を人工的につくることも可能です。

 

 臓器移植医療は「自己決定」できなければ、医者のいいなりになりやすい。

日頃から家族で話し合う必要があります。

突然交通事故に遭うこともあり得るし、脳死移植の臓器提供者の多くは事故死です。

 

 臓器売買というくらい現実もあります。

プロレスラーのジャンボ鶴田氏は末期の肝臓がんで、日本では移植の対象にはならないため(免疫抑制剤に耐えられない)、マニラで肝臓移植を受けました。

残念ながら移植中に失敗、出血死しました。

フィリピンでは臓器売買が盛んで、斡旋業者も公然と活動しています。

臓器移植目的で人身売買、誘拐がおこり、余った子や私生児を売ったり、死産であると告げて乳児を売買したり、それらがカタログ化されデータ付きで品定めできるシステムまであります。

 

 かつて日本でも商工ローンの日栄で、「臓器や目玉を売って金作れ」と、借金のかたに臓器を売れと恫喝する事件もありました。

臓器のリサイクルといえば聞こえがいいですが、要するにカニバリズムです。

他人の臓器を横取りしてまで生き延びることがいいことなのか、単に生き延びるだけでなく、よく生きるとはどういうことなのかも含めて、臓器移植医療に関してよく考える必要があります。

 

 

 

○日本の脳死移植にかんする新しい動き

 

 脳死者から臓器移植ができるようになってから、20063月末までに42例が実施されましたが、当初の予想より実施例は少ない。

脳死移植数が多くならないのは種々の制約があるからということで、より脳死移植を促進させるため、与党などから現行の臓器移植法の改正案が検討されています。

 

 現行法にもとづく脳死移植では、脳死者と思われる患者が出た場合、その患者本人がドナーカードを所持し、臓器提供を書面により承諾していて、かつその家族も臓器提供に承諾した場合に限られ、この条件が揃ってはじめて臓器移植を前提とした脳死判定が行われます。

新しい法案では、この制約をなくすため、臓器提供を拒否していない場合を除いて、脳死者と思われる患者が出た場合、ただちに脳死判定を行い、脳死と判定されれば家族の同意のみで基本的には脳死移植が可能にするような改正案が検討されています。

 

 ドナーカードがもてるのは民法で決められた遺言ができる15歳以上に限られています。

この規定により、現行の臓器移植法では15歳以下の子どもは臓器の提供者にはなれません。

移植医療が必要な子どもがいた場合、サイズの合う臓器が必要なことから、特に心臟などはサイズが合わないとうまく移植できないため、当然同年齢の子どもの臓器が必要になります。

したがって、脳死でしか移植できない心臓などの移植では、現行の法律では子どもの心臓移植は閉ざされています。

 

 このような理由で、多額の資金を募金などで調達し、海外で移植する例が後を絶たちません。

海外でできる場合はまだいいが、多くの場合、移植しないで亡くなることが多い。

それ以前に、その国で助かるはずのレシピエントを押しのけてドナーから臓器を資金力にものを言わせて横取りするわけであるから、日本に対する風当たりも強い。

 

 これを打開するため、15歳以下でもドナーになれるようにする法改正が検討されています。

すなわち、子ども自身の同意がなくても、その家族の同意があれば移植可能できるように検討された。

しかし、これも子どもに対する差別だとクレームがつき、大人も含め、どのケースであっても本人の同意がなくても家族の同意さえあれば移植できるようにすることで打開しようとしています。

 

 もし、この案が通れば、本人はいやでも、生前に移植拒否の書類を残していない限り、脳死になった場合、家族の同意さえあれば移植に使われてしまうことになります。

したがって、移植拒否したければ、積極的にその旨の書類を残しておかなければ、脳死になってからでは本人の意向は伝えることはできないので、当然のことながら本人の意思に反して移植されるケースも出てくることになります。

 

 

 

○脳死者は患者かそれとも死体か

 

 脳死の人を見舞いに行った。何を持って行くか。

 脳死患者なら花束か。脳死体なら香典か。どっちだ?

 交通事故、あるいは突然の脳梗塞で倒れた知人を見舞いに行った。

 血色もよく、体に触れると温かい。

 心臟も自力で動いています。

 脈ももちろんある。

 人工呼吸器をつけているが、寝ているだけで、目をあけたら今にも話をしそうなくらい元気に見える。

 がん患者のようにやつれていない。

 骨と皮だけのような姿でもない。

 昨日まで元気であった頃と何ら変わらぬ体格のままベッドに横たわっている。

 はたして、これは死体なのか。

 香典を渡さないといけないのか。

 

 脳死判定をやることになった。判定マニュアルに従って、無呼吸テストが行われた。

人工呼吸器をとることになっている。

とって2分後、突然腕が動いた。

持ち上がった。後背がそって起きあがろうとした。

両手が胸の当たりで組むような格好をした。

涙を流し、額に玉の汗が浮き上がってきた。

 

そんなラザロ徴候と呼ばれる現象が目の前で展開されている。

 

死者が自力で動いている。

とても脊髄反射のような動きには見えない。

これが死者か。

生きているじゃないか。

ひょっとして、まだ意識があるのではないか。

脳波が平坦といっても、脳の奥深くの脳波まで測定できないというではないか。

脳の新皮質がダメになれば、内側の組織が代用するようになるともいうではないか。

見た目、とてもじゃないが、意識があるようにしか見えない。

これは生きている。

 

絶対に生きている。

 

 臓器を取り出すためにメスを入れれば、通常と同じように血圧が上がったりする反応を示す患者に対して、通常の患者と同じように麻酔をし、麻薬を投与し、そして、まだきれいに鼓動している心臟を取り出す行為。

 

 惡魔の仕業としかいえません。

 

 脳死とはいっても、脳がコントロールを失っていたとしても、全身の有機的な統合性は保たれています。

なぜなら、脳死状態でも成長するし、妊娠中であれば、立派にホルモンのコントロール、栄養のコントロール、胎児の成長を正確にコントロールし、ちゃんと出産までできます。

もちろん、髪の毛や髭ものびるし、爪ものびます。

フケもたまるし、他の病気にもなります。

自身の成長もでき、胎児を成長させ出産までできる状態が、どうして死といえるのか。

 

 脳死移植に関しては、このようにいろいろな問題点があります。

矛盾なく説明することができないでいます。

一番大きな点は、本当に死んでいるのかということ。

死そのものではなく、死の判定方法に関して問題点が多すぎます。

すくなくとも、死んでいるのか生きているのかの生物学的・医学的な判定は今の科学ではできません。

 

 意識がなくなっているかといった判定ももちろんできません。

先に書いた、身体の有機的統合性の消失といった判定も厳密にはできません。

したがって、何らかの基準を作り、その判定基準を満たしているかどうかだけが問題になります。

完璧なものでなくても一応客観的に判定可能な項目をあげ、その試験をすることで一応の客観性を持たせた判定は可能です。

しかし、それはある限られた脳死の判定をしているだけであって、本当に死であるかどうかを判定しているわけでもないし、死かどうか誰にもわからない。

 

 そんな中で、従来は三大徴候をもって死を判定していた。

死の瞬間はもちろんそれでもわからないが、少なくとも自発呼吸がなくなり心臓が止まって脈もなくなり、やがて身体が冷たくなっていき、あるいは硬直しています。

そういう現象が見られたならば人々は死だと認識できるでしょう。

しかし、今の基準で脳死と判定された患者は、傍目には普通に眠っているのとそう大差ない状態に見えます。

何よりも身体が温かい。

脈があり心臟もどくどくと動いています。

なにゆえに、心臟が動き温かい体を目の前にして、ご臨終ですといえるのか。

香典を渡すことができるのか。

反射かもしれないが自力で動くこともできる身体を目の前にして、死んでいるといえるのか。

 

 家族がその状態を見て死を納得するのは難しい。脳死では看取りの時間はない。

 

 

 

○アメリカにおける新しい脳死移植医療の動き

 

 アメリカにはもっと変わった考え方があります。

脳死の判定には確かに問題があります。

どう見てもやはり生きています。

死んでいるとは言い切れない。

 

 これをいろいろと検証し、脳死状態は人の死だとの判定は無理だとの結論に達します。

 

 その結果、脳死移植を反対する、という話になるわけではありません。

全く逆です。

脳死者は死んでいると判定するのはできないと認めた上で、それでも脳死者からの移植はやはり必要であり、できるならば植物状態の患者からの臓器も使いたい。

何とか人体資源を有効に活用したい。

 

 そうなれば、発想を180度転換しないといけない。

 

 すなわち、脳死者は生きていると認める。

 

 しかし、ある判定基準を満たしていれば脳死者と認定します。

その上で移植のための合法的な殺人を認め、それにともなう移植も合法的に認めるようにします。

これにより、脳死者は生か死かといった議論は避けることができます。

 

 どのような判定にするか、どんな患者を認定するかは問題ですが、とにかく脳死判定基準を決め、その基準に従って判定し、脳死と認定します。

その上で生きた人からの心臟などの臓器移植を認めるわけですから、本来殺人になりますが、これを合法的な殺人にします。

脳死移植のためには、その後の殺人行為も合法化します。

そうしてしまえば、脳死がほんとうに死であるかどうかなどの議論は避けることができ、判定基準によってはこれまでよりドナーが増え、移植例も増えることになります。

 

 現時点では、このような考え方になるまで、暴走が始まっているわけです。

しかし、この方向は本当にそれでいいのでしょうか。

これは命の選別につながるのではないのか。

必要な生と不必要な生が選別され、そのためには殺人も合法化してしまうというおぞましい考え方です。

発想そのものもおぞましいが、さらに問題はその判定基準にあります。

意識障害やいわゆる植物状態の人までドナーの対象者に含めるのであれば、また本人の意思に反しても移植のドナーになれるような制度であるなら、ドナー数は爆発的に増えることになるでしょう。

 

 いまのところ、この考えにもとづく法律を持つ国はない。

しかし放っておくとどこかの国でこの考えにもとづく法律ができてしまうかもしれません。

そうなれば、脳死移植医療にとっては何でもありで、怖いもの知らずということになります。

 

 では、日本の現状はどうなのか。

2006426日、厚生労働省の第22回厚生科学審議会疾病対策部会臓器移植委員会で厚労省研究班による調査結果が報告されました(朝日新聞、共同通信などの記事より)。

脳死からの臓器提供が可能な病院にいる医師、看護師などに調査した結果、下表の通り、「脳死は死の妥当な診断基準」と考えているのは4割で、この数字は欧州7カ国の同様の調査の半分以下でした。

 

 この調査結果を受けて、厚労省研究班員の大島伸一国立長寿医療センター総長は「これほど低いとは思わず、がくぜんとした。

医療従事者がこれでは、とても一般の人に理解は深まらない。

教育が必要だ」と話したという。

この調査結果と脳死移植推進医師のコメントをどう考えますか?

 

調査結果:

大学病院など300余りの臓器提供病院のうち31病院を対象

回答:7456

脳死は死の妥当な判断基準:約39%

妥当ではない:      約15%

分からない・無回答:   約47%

 

参考結果

欧州7カ国での同様の調査

脳死は死の妥当な判断基準:約82%

妥当ではない:      約8%

分からない・無回答:   約11%

 

資料:

日本臓器移植ネットワーク「脳死での臓器提供についての記録」

http://www.jotnw.or.jp/datafile/example.html

 

「脳死」臓器移植に反対する関西市民の会「臓器移植法施行後、「脳死」ドナー、レシピエントの概要」

http://fps01.plala.or.jp/~brainx/

 

厚生労働省関係審議会議事録等 その他(検討会、研究会等)健康局

http://www.mhlw.go.jp/shingi/other.html#kenkou

 

 

 

○脳死移植におけるドナー側の問題点

 

 さらに、ドナーの問題として、本当に死んでいるのか、といった判定理由だけでなく、本当に助からないのか、治癒の見込みはまったくないかといった見極めです。

他に治療法がないのか、低温療法などの新しい医療が適応できないのか、といった問題があります。

助かる治療法があるにもかかわらず、殺してしまっていないのか。

脳死と判定する前から医療を放棄し、移植の準備に走るようなことはないのか。

 

 実際に日本の第1例目に限って多くの情報が公開されたことから、治療方針に疑問点が噴出しています。

適切な治療など行わず、ひたすら移植するために臓器の保全に精を出し、たとえ脳の状態には悪影響があったとしても移植用臓器を守るための措置をとっていた疑いがもたれています。

たとえば、事故や脳出血などで突然倒れ、救急入院し、その状態で医者から素人である家族に向かって切迫脳死であるとか限りなく脳死に近いだとかそのように脅かされ、あるいはよく持って2時間だとか、そのようにまだ確定もしていないうちに脳死であるかのようにいわれたならば、多くの場合は突然のことで動転しているわけだし、その状態でいろいろと脳死移植の話まで出てくるならば、普段からよく話し合っていなければ、言いなりになることも充分に考えられます。

 

 実際に他の治療法があるかもしれないし、同じようなステージの症状で生還例が全くないわけではない状態も、かなりあるでしょう。

そんなとき、治療の説明よりまず移植の説明があったならばどうでしょうか。

ドナー側にはまだまだ問題点が多いように見受けられます。

 

 

 

○脳死移植のおけるレシピエント側の問題点

 

 さて、移植を巡ってはドナー側の問題点だけでなく、レシピエント側にも問題点があります。

すなわち、本当に移植以外に助かる見込みはないのでしょうか。

最終的な治療法が移植しか残っていない状態なのでしょうか。

 

 この問題点は大きい。

実際、移植の必要がない患者に移植された例もあります。

脳死に限らず、臓器移植を必要な人は重症であることが多いわけですが、しかし、臓器を交換するというかなりストレスのかかる体力の必要な手術をやるからには、ある程度状態のいい患者である必要があります。

これはドナーにもいえ、多臓器不全のような患者からは移植できないし、なにより癌患者からの移植も転移の有無が完璧に判定できない以上、できない。

重い感染症にかかっている場合も同様でしょう。

そうなると元気のいいドナーから元気のいいレシピエントに移植する必要があることになります。

こうなると何のための移植かわからないし、医療成績を増すためだけとの非難を受けてもしかたがない。

 

 実際、移植待ちの時間の長さと移植を受けた場合、受けなかった場合の予後について比較した例があります。

移植待ちが1年ぐらいの場合、移植をしてもしなくても1年生存率などの予後は余り変わらず、また移植待ちが1年を超えるようであれば、移植しない方ほど予後がいいとのデータがあります。

すなわち、待機時間が長い患者に対する移植のメリットというのはあまりなく、むしろ死期を早めることになりかねない。

 

 

○日本臓器移植ネットワーク「脳死での臓器提供についての記録」

 

資料:

日本臓器移植ネットワーク「脳死での臓器提供についての記録」

http://www.jotnw.or.jp/datafile/example.html

 

「脳死」臓器移植に反対する関西市民の会「臓器移植法施行後、「脳死」ドナー、レシピエントの概要」

http://fps01.plala.or.jp/~brainx/

 

厚生労働省関係審議会議事録等 その他(検討会、研究会等)健康局

http://www.mhlw.go.jp/shingi/other.html#kenkou

 

 

 

○脳死移植の例

 

 前項のサイトなどの情報を元に、脳死移植例をまとめてみました。

 

 1999228日、脳死移植が始まって以来、200610月末までに50例の脳死判定があり、ドナー側からみて49例の脳死移植が行われました。

 

 レシピエント側からみると、同月までに、187例の脳死移植例があり、臓器別では腎臓の56例(死亡例8)が最も多く、ついで心臟が38例(死亡例2)、肝臓が34例(死亡例8)、肺が29例(死亡例9)などとなっています。

死亡例は全体で28例あり、16%にあたります。

 

 50例の脳死判定を行った施設別でみてみると、24都道府県47施設あり、重複施設はわずかに2施設で、日本医大病院3例、帝京大病院2例です。

45施設は一度きりの脳死判定となっています。

 

 

 臓器移植法施行後、20069月末までの48例の脳死判定(47例の脳死移植)時点での統計をみてみると、亡くなった人が臓器提供意思表示カードやシールを持っていたことがわかった件数は1,154件ありました。

そのうち41%にあたる475件は臓器や組織の提供にはいたりませんでした。

残り631件の内訳は、組織のみ提供が497件、心臓が停止後に腎臓と組織が提供された例が106件、心臓が停止後に腎臓のみが提供された例が28件です。

腎臓移植例をみてみると、いわゆるドナーカードを持っていて結果的になくなった人から、脳死下で56件、心臓が停止後に134件の移植が行われました。

 

 1,154件のドナーカード所持例のうち、脳死下での提供を明確かつ正当に意思表示していたのは64%にあたる737件だけでした。

のこり417件の内訳は、不明、記載不備がそれぞれ225件、113件、心停止下での提供に同意した例が77件、提供しないと意思表示した例が2件でした。

737件の正当な意思表示のあったドナーのうち、脳死判定のできる施設以外の例が374件もあり、363件の脳死判定が可能施設の例でも、141件は心停止後にドナーカードが判明しており、結果的に脳死移植が続行可能な例は222件だけでした。

 

 222件の脳死判定が可能な例で、77%にあたる172件で法的脳死判定が行われませんでした。

その内訳は、脳死と診断できなかったり医学的理由で適応外になったりした例が多く、家族の同意が得られなかった例も36件ありました。

実際に法的脳死判定が行われたのは50件で、うち2件は中止されています。

脳死移植が行われたのは結局47件だけでした。

 

 

 次に、臓器移植法施行後、200610月末までの50例の脳死判定(49例の脳死移植)時点でのドナーおよび心臟レシピエントの性別・年齢の統計をみてみましょう(独自集計・次項)。

年齢が公表されている中で、30代以下のドナーは全員心臓を提供しており、逆に60代以上のドナーは全員心臟の提供者になっていません。

 

 

○臓器提供者ドナーの年代(No.50まで49件)

     心臟            心臟以外

     男性   女性   不明  男性 女性 不明  合計

1519歳  0     2(18)  0    0   0  0   2

2029歳  3(23 29) 3(23 27) 0    0   0  0   6

3039歳  6(35)   1    0    0   0  0   7

4049歳  4     5(44)  0    1   2  0   12

5059歳  3     5(54 58) 0    3   1  0   12

6069歳  0     0    0    2(64) 1  0   3

70歳以上  0     0    0    1   0  0   1

不 明   3     2    1    0   0  0   6

合 計  19    18    1    7   4  0   49

( )内の数字は公表されている年齢。その他は50歳代などと公表。

 

○臓器提供者ドナーの性別(No.50まで49件)

    合計 心臟 心臟以外

男性  26  19  7

女性  22  18  4

不明   1   1  0

合計  49  38  11

 

○心臟受取者レシピエントの年代(No.50まで38件)

      男性 女性  合計  死亡例(すべて男)

 019歳  2(8)  1    3    0

2029歳  3   4    7    0

3039歳  9   2   11    0

4049歳  8   2(49) 10    1

5059歳  5   1    6    1

6069歳  1   0    1    0

70歳以上  0   0    0    0

合 計  28  10   38    2

( )内の数字は公表されている年齢。その他は50歳代などと公表。

 

○心臟受取者レシピエントの性別(No.50まで38件)

    合計  死亡例

男性  28   2

女性  10   0

合計  38   2

 

 

 

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2007221() 更新

 

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