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 3−4.優生学

 

○優生学年表

 

参考文献

米本昌平他著「優生学と人間社会 生命科学の世紀はどこへ向かうのか」(講談社学術新書)2000年、二文字理明著「福祉国家の優生思想」(明石書店)2000

 

1859年  ダーウィン「種の起原」

1883年  ゴルトン「人間の能力とその発達の研究」優生学を提唱

1885年  メンデル遺伝学発表

1900年  メンデル遺伝学再発見

1901年  ゴルトン 既存の法と感情の下における人種の改良の可能性(人類学会)

1907年  アメリカ インディアナ州議会「断種法」世界初 1913年まで16州、1923年

      まで32州

1907年  日本「癩予防にかんする件」制定ハンセン病患者の収容開始 男性患者の断種手術

1912年  第1回国際優生学会議 イギリス

1921年  第2回国際優生学会議 アメリカ

1924年  アメリカ連邦議会「絶対移民制限法」欧州人種の間に優劣があることを前提

1929年  デンマーク「断種法」左翼政権が制定 性犯罪の恐れのあるもの、精神病院や施設で

      暮らす異常者に不妊手術を合法化

1931年  日本「癩予防法」全ハンセン病患者の隔離推進

1933年  ドイツ ナチス政権誕生 「断種法」

1934年  スウェーデン「断種法」左翼政権が制定 福祉国家の確立のため 精神病患者、知的

      障害者に不妊手術合法化

       自己決定能力が期待できないため本人の同意は不要

1938年  日本 厚生省創設 予防局優生課設置 「民族優生」を提唱 「逆淘汰と民族毒の影響

      を排除して民族の変質を阻止し、

      一方優良健全者の産児を奨励し、以つて民族素質の向上と人口の増加を図り、国家永遠

      の繁栄を期する事」

      優良健全階層(少子)の出生率向上、劣悪者(多産)の出生防止

1939年  ドイツ ヒトラー安楽死計画 障害児、精神病患者など殺害開始1945年まで 

      「低価値者」の社会からの抹殺

1930年代 ノルウェー、フィンランド、スイス、エストニアで「断種法」制定

1940年  日本「国民優生法」「悪質なる遺伝性疾患の素質を有するものの増加を防遏する」不妊

      手術認める ハンセン病は別法のまま

1948年  世界人権宣言 国連本会議

1948年  日本「優生保護法」 米軍占領下 法の目的「優生上の見地から不良な子孫の出生を

      防止する」

       12ほどのおそらくは遺伝的に受け継がれる病気や異常のうちどれか一つでも持つ

      ものがたとえ遠縁の血縁者であれ存在する場合には、不妊化を認める。都道府県の優生

      保護審査会が承認した場合、強制的な不妊手術を認める。

       1996年までに強制例1万6500件、総不妊手術84万5000件

       「不良な子孫」という目的の語は社会党の3名の女性衆議院議員により発案、優生保護

      法を社会党が国会に提出

       「国民優生法」より優生条項が強化、対象にハンセン病患者も含まれる

1970年代 前半 アメリカ 230万人の女性が不妊手術(ほとんどが非白人種)

1974年  スウェーデン「中絶法」女性の自己決定に基づき中絶を自由化

1976年  ドイツ「刑法」改正 出生前診断に基づく優生学的中絶が合法化

1996年  日本「癩予防法」廃止

1996年  日本「母体保護法」 「優生保護法」の改正法 優生条項削除

 

1980年代 遺伝子治療 遺伝子診断 出生前診断

1990年代 着床前診断

 

 

 

○優生学 遺伝子病との関係

 

 遺伝子に優劣はない。有害な遺伝子という概念は本来ないはずです。

 

 ところが、ある基準を作って有害な遺伝子を定義し、それを排除しようとするたくらみがあります。

 

 感染症の根絶は感染源である病原体などの撲滅で可能です。

遺伝子が絡んだ病気は、その遺伝子を持った人の断種で根絶が可能との考えがあります。

よい形質を発現する遺伝子のみ残すためです。

医療行為というのはある意味この考えに逆行します。

 

本来生き延びることができない、あるいは生殖年齢にまで生きられない病気であったとしても、医療の力で生きることができ、子孫も残せるようになった。

そうなると、その遺伝子が残ることになります。

自然選択が働いたならば消えていく突然変異も、医療行為により残ってしまう。

医療行為により悪い遺伝子を残してしまう。

これを逆淘汰ともいいます。

医療が発達すればするほど人類全体の遺伝子プールに悪い遺伝子がたまってしまう。

このまま放置していけば、人類は退化し滅亡してしまう。そういった考えがあります。

 

 病気の発症に関与する遺伝子の変異が多数見つかってきたことから、遺伝子やその産物であるタンパク質をターゲットにした治療方法がその診断方法と相まっていくつか開発されてきています。

単一の遺伝子がきっかけとなっておこる単一遺伝子病は約4000種類あるとみられています。

これに対して、多遺伝子病も見つかっています。多遺伝子病の場合、その原因に関与する遺伝子が多数あり、しかも複雑に絡み合っていることなどから、全容が解明された多遺伝子病はあまりありません。

そのことから遺伝子やその産物のタンパク質をターゲットにした治療法の開発も遅れています。

 

 単一遺伝子病の例として、ハンチントン病がよくあげられます。

優性遺伝子ひとつで発症する優性遺伝病で中年以降に発症する恐ろしい病気です。

筋ジストロフィーのような劣性遺伝病の場合は、劣性遺伝子2つ揃ったとき初めて発症する原因が揃います。

優性遺伝子病であっても、劣性遺伝子病であっても、あるいは多遺伝子病であっても、ある遺伝子が有害と決めつけるのは危険な考えに結びついてしまう。

 

 最近では予防医学の観点から、治療の難しい病気の発見や出生後の早期治療の確立などの観点で、出生前診断、あるいは受精卵診断が行われるようになってきました。

これは、つまるところ、胚や胎児に悪い遺伝子が見つかれば、その時点で胚や胎児を破棄することで、悪い遺伝子を持った子を産まないようにする方策です。

診断結果の判定は基本的にはその両親に任されるが、中絶との関係で難しい判断を迫られることになります。

 

 しかし、このような考え、動き、変ではないでしょうか。

本当に、よい遺伝子、悪い遺伝子と簡単に線引きをし、分類することなど可能なのでしょうか。

 

 

 

○人種と優生学

 

 人種という言葉があります。

言葉があるからにはその概念があります。

そして、これも遺伝子を悪用して不当分類されています。

 

 一般に人種という言葉から思い浮かべるのは、肌や髪の毛の色のちがいや体型など、見た目のちがいであり、人類を外観で分類できると思いがちです。

あるいは、人類の分類法に言語、宗教、部族といったちがいを基準にする人もいるかもしれません。

 

 人種の分け方は大雑把に言ってアフリカ人、白人、アジア人といった分類から始まったといわれています。

その後、肌の色のちがいから、黒人、白人、黄色人、赤色人、褐色人といった分類から一時は60分類法まで唱える学者まで出てきて混乱した時代もありました。

未開人といった不当な分類もありました(いまでも不用意に用いる人がいる)。

 

 しかし、現在の科学的人類学者は人を人種に分けることをしません。

人種は人類学や生物学・遺伝学の分野では死語になって久しいです。

 

 なぜなら、2万もあるヒトの遺伝子のうち、人種の分類根拠としてよく使われる肌の色を決定する遺伝子は数個しかなく、肌の色のちがいが「人種」間の他の遺伝的なちがいと関係しているという証拠はありません。

 

 「人種」間の遺伝的な違いが肌の色を決める遺伝子で代表できるわけではありません。

遺伝子レベルでみて、いわゆる人種の差と個人差にちがいはみられません。

たとえば、黒人と白人のゲノムを比べてみても、それぞれの中での多様性は非常に大きく、一般に人種のちがいと考えられている肌や髪の毛の色や体格などの外見のちがいを決定する遺伝子は10個程度しかないことから、2万個ほどある遺伝子全体=ゲノムの観点からみれば、外見のちがいなど取るに足らない程度のちがいでしかないことになります。

 

 このようなことから、遺伝学的にみて単に肌の色のちがいだけで人類を人種に分類するのは不適切であることがわかるでしょう。

遺伝子全体の中の数千分の1のちがいだけを大きく取りあげ、それを根拠に人種という概念を作り、差別の材料にするなどということがいかにナンセンスなことであるかもわかると思います。

しかし、ゲノムの解析がまだ不十分だった頃、あるいは、現在であってもその認識が不充分な人たちにとっては、差別意識は払拭されていません。

 

 「人種」を差別的な意味で使うということは、たとえば、白人は優秀で黒人は劣っているなどというとき、白い肌を作る遺伝子を持っているグループは他の2万ほどの遺伝子は優秀であり、黒い肌を作る遺伝子を持っているグループは他の遺伝子は劣悪である、といっていることになります。

こう書けば、ナンセンスさは際立つでしょう。

しかし、差別したがるグループは根絶しません。その差別の最たるものが優生学です。

 

 

 

○優生学の歴史

 

 優生学はいわゆる白人種の間で広まりました。

1869年、イギリスのゴルトン「遺伝的天才」を著し、「人種の生来の質を改良するあらゆる影響、また、それらを最大限有利な方向へ発達させるすべての影響にかんする科学」と提唱しました。

イギリスのダーウィンが「種の起原」を発表したのが1859年、メンデルが遺伝学を発表したのが1865年、そのメンデル遺伝学が再発見されたのが1900年です。

ゴルトンはダーウィンの従兄弟です。

 

 この時代背景をみれば、ゴルトンが提唱した概念は、まさに先駆的なものであったことがわかります。

すなわち、遺伝の法則は全く知られておらず、まして、遺伝物質がなにかなど全く不明の時代です。

ダーウィンにより、進化の法則が提唱されたが、遺伝性の物質を想像するだけでした。

進化の概念を考えるのに、当時までに多数いた家畜の品種改良が考慮されました。

 

 ゴルトンは著書の中で、「最新の選抜育種を行うことによって、走ったり、何か他のことをしたりする能力に恵まれたイヌやウマの恒久的な品種を得ることはやさしい。

ならば、何世代にもわたって賢明な婚姻を実行することによって、優れた才能に恵まれた人種を作り出すことは、大いに実行可能であろう」と述べています。

もっとも、ゴルトンは人間の改良が自由にできると考えたわけではありません。

家畜の改良に限界があるように、人種の改良にも限界があることを考察しています。

 

 さらに、ダーウィンが進化論を考えるきっかけになった白人種だけを念頭において書かれたマルサスの「人口論」も、ゴルトンが優生学を考えるのに役立ちました。

当時のダーウィン自身は進化論を人間社会に当てはめるのに慎重でしたが、ゴルトンはそれを積極的に推し進めました。

 

 当時であっても、あるいはメンデルの遺伝学が再発見された時代であっても、遺伝学の研究は動植物を材料にした動植物学者が行っており、人間の科学的研究者というのは医学者の領分でした。

動植物学者は人間のことをあまり知らず、医学者は遺伝のことを知らず興味を示さないという時代でした。

そんななかで、ゴルトンは両者を融合した人類遺伝学という新しい領分を開いたことになります。

人間の遺伝を調べることにより、優生学が誕生し、優生運動の基礎ができあがりました。

 

 優秀な遺伝子を持つものと劣悪な遺伝子を持つものが交雑すると、優秀な遺伝子が薄まり、結果的に人類の退化が進むとも考えられました。

優秀な遺伝子を持つものとは、もちろんそれを考えた白人種のものであり、劣悪な遺伝子を持つものはそれ以外の人種をいいます。

よりすぐれた人類を作り出したい。

優れた子孫のみ残したい。遺伝的原理を適用することによって人間集団の質を改善しようと試みられました。

よりすぐれた人類とは白人種の中から遺伝病の原因となる遺伝子を根絶させることも含まれていました。

すなわち、身体的・精神的障害のある個人を除去する、あるいは不妊にします。

人口の数割は遺伝的欠陥を持っていると考え、そうであるなら、人類全体の遺伝的な劣化を防ごうと思えば、その数割の人々が子孫を残さなければその欠陥遺伝子をなくすことができる。

結果的に人間社会をよりよいものにできる。そう考えた集団がありました。

 

 全くナンセンスな考えですが、この優生学は科学の衣を着て、説得力を持って世に迎えられました。

白人種の改良というだけでなく、白人種と黒人種の結婚も白人種の優秀な遺伝子資源の浪費という観点から厳しく規制されました。

この考えはアメリカにおいても積極的に広まりました。

不良な子孫を残さないようにするためにも、該当する人たちに不妊手術を施すことで、子孫を残せないようにするという方策、つまり断種が積極的に取り入れられ、多くの州で断種法が制定されました。

 

 ヨーロッパにおいては、現在福祉大国と呼ばれている北欧が中心になって、断種法を制定するなど優生政策が積極的に実行に移されました。

一番悲惨な例は、第二次世界大戦時におけるナチスがおこなったユダヤ人の大量虐殺でしょう。

優秀な純粋なドイツ人の血を守るためと称して、断種ではなく大量殺戮が選ばれました。

 

 

 

○日本における優生学と優生運動

 

 差別される対象であったにもかかわらず、日本にも優生学が導入されました。

日本においては、当然日本人種の改良に力が入れられました。

1938年、厚生省が創設されました。

現在の厚生労働省の前身です。厚生省の設置には優生学の普及と深くかかわっています。

 

 その厚生省の中に予防局優生課が設置されました。

 

「民族優生」を提唱し、「逆淘汰と民族毒の影響を排除して民族の変質を阻止し、一方優良健全者の産児を奨励し、以つて民族素質の向上と人口の増加を図り、国家永遠の繁栄を期する事」

と高らかに宣言されています。

 

 逆淘汰というのは、たとえば、遺伝的に優良健全階層は一般的に少子であり、遺伝的に劣悪者は一般的に多産であるから、この傾向が続くと、日本人種全体の劣悪化が進んでしまうという考えです。

したがって、その逆淘汰を防ぐためには、優良健全層どうしの婚姻を推奨し、その出生率向上につとめ、劣悪層には不妊手術を合法化し、その出産を防止することが推奨されました。

 

 戦後、米軍占領下の1948年、「優生保護法」ができました。

その法の目的として、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」と明記されています。

12個の遺伝的に受け継がれる病気や異常のうち、どれかひとつでも持つものがたとえ遠縁の血縁者であれ存在する場合には、不妊化を認める、というものです。

都道府県の優生保護審査会が承認した場合、強制的な不妊手術が認められました。

 

 「不良な子孫」という優生保護法の目的にある語は、当時の社会党の3名の女性衆議院議員により発案されたものです。

優生保護法自身も社会党から国会に提出されました。

一度は審議未了で成立にはいたりませんでしたが、翌年には一部修正しただけで超党派で提出された案が可決、成立しました。

 

 この法律は戦前の法律より優生条項が強化されており、日本人種の逆淘汰防止に対してより強力な武器を手に入れたことになります。

 

 この「不良な子孫」という文言の入った法律は、1996年、「母体保護法」と名前を変えた改正法ができるまで生きていました。

優生保護法が有効であった期間、厚生省の衛生統計課により、優生手術数や人工妊娠中絶数など詳しい統計情報とその解説が報告されました。

その内容は年齢階級、性別、事由別に都道府県単位の詳しい統計情報です。

優生手術数は統計のある昭和30年(1955年)以降、一貫して減少しているものの、最後の年であった平成7年(1995年)まで優生手術は施されており、30歳代の女性が多数を占めています。

昭和62年(1987年)から平成7年(1995年)までの統計情報は今でも市販されており、書店で手に入れることができます。

1996年までに強制例16500件、総不妊手術845000件もありました。

 

 法律ができた頃には遺伝性と思われていたが、その後はっきりと遺伝性でないとわかった病気に対しても、断種や隔離が公然とおこなわれました。

精神病や精神薄弱といった遺伝とは関係のない患者が多くの犠牲になりました。

ハンセン病の患者はもっと悲惨でした。

当時は「らい」と呼ばれていましたが、戦前の国民優生法にはなく戦後の優生保護法にこっそり組み込まれ、断種、中絶、隔離が強行されました。

 

 この病気は早くから感染性とわかっていて、さらに完治する治療法がわかっていたにもかかわらず、法律があるからといって、強制隔離は続けられました。

非常に悪質なものでした。

「優生保護法」と「らい予防法」が廃止されたのは1996年です。

 

 国のハンセン病患者に対する隔離政策は、世界的に見ても例を見ない悲惨な政策でした。

彼らによる国家賠償請求訴訟は大きな社会問題にもなりました。

2001年、この訴訟による一審で国は全面的に敗訴しました。

これを受け、当時の小泉首相の英断により、控訴が断念されました。

国が敗訴し控訴や上告を断念するのは異例のことです。

この英断により、和解への道が開け、次々と和解が成立しました。

2004年、まだ賠償請求訴訟―和解、が継続中です。

まだ終わったわけではありません。

 

 「優生保護法」が「母体保護法」に改正され、「らい予防法」が廃止され、数年たっても、たとえば、ハンセン病の患者たちへの差別は根強く残っています。

2003年には、かつてハンセン病と診断されていた人がホテルに泊まろうとすると、ホテル側から宿泊を拒否されるという痛ましい事件が起こりました。

このホテルは、この事件以来社会的非難にもあい、廃業に追い込まれています。

 

 2005年、新年早々に当時の南野法相がハンセン病にかんする話で「らい」を使った、と報じられました。

政治家の質が問われる「事件」でしたが、単なる言葉狩りだけで解決する問題ではありません。

 

 

 

○新しい優生思想

 

 優生保護法とは関係なしに、古来より「慣習的な」人殺しは行われてきました。

間引、中絶、安楽死などです。

つまり、誕生時の殺人や死亡時の殺人です。

 

 死亡時の殺人には姥捨てなどが知られています。

いまなら「安楽死」や「尊厳死」でしょうか。

誕生時の殺人の多くは産婆さんがかかわっていました。

そのため産婆さんの手はケガレていると畏れられ、産婆さん自身も代々引き継がれ、その家系があったほどです。

いずれの殺人も、いまは医者や医療行為が代行しています。

 

 「こけし」という人形があります。

「こけし」には手がありません。

ケガレた手はもがれています。

その手がない人形のモデルは「子消し」です。

すなわち、子殺しをする産婆さんでした。

現在、「産婆」という言葉は「不快用語」に指定されていて、公然と使ってはならないことになっており、「助産師」と言い換えなければならないことになっています。

「助産婦」も同様に消えました。

 

 優生保護法はなくなったが、その思想までなくなったわけではありません。

現在においても、優生思想は根強く生き残っています。

すなわち、遺伝子治療、遺伝子診断、出生前診断および着床前診断などにおいてです。

これらの診断の目的にフェニールケトン尿症のように早期発見による早期治療により治療効果がはっきりと現れるものもありますが、多くの場合、治療法がないことなどから、妊娠中絶が選択されています。

 

 優生保護法が生きていた時代は、親の病状を把握することで差別されてきたが、現在では出生前の胎児や着床前の胚の段階で様々な診断が可能です。

「異常」があるかどうかの診断、「異常」とわかれば産まない、つまり、いのちの選別であり、既存の障害者・病人への差別助長です。

「障害」者を産むべきでないとし、「障害者」の人権を否定するこの考え方は優生学そのものです。

単にテクノロジーの進歩により、差別の手段が変わっただけです。

優生思想は100年前となんら変わっていません。

しぶとく残っています。

 

 よい遺伝子、悪い遺伝子と簡単に線引きをし、分類することなど、本来できないはずです。

ところが、現在は、神に成りかわって、親がその選別をすることになります。

生まれるべきでない子を親が排除することができる手段を手に入れてしまったのです。

 神の仕事がなくなり、神は死にました。

 

 

 

○1970年代の優生思想

 

厚生省や教科書にみられる優生学に対する当時の考えを端的に表している文章を抜き出しました。

 

 

1971年度「厚生白書」

――遺伝による先天異常を防ごう――

 

 先天異常の子や親の不幸は測ることができぬほど大きいものであり、先天異常についてはその発生を未然に防止することに全力をあげる必要がある。

 (遺伝性疾患を出現させないための優生結婚および出産を、教育的指導によって誘導すべきだと主張

 

 

1971年「人口問題審議会最終答申」(厚生省)

――優生対策と保健教育 遺伝病等の予防――

 

 わが国は欧米諸国にくらべて、いとこ婚をはじめとする近親婚の率が高く、そのために流死産や劣性遺伝子による疾患の危険が大きく、また、その他の遺伝性の疾患や好ましからざる形質も、環境における電離放射線や突然変異誘起物質の増加、治療技術の進歩によっては、むしろ増加する恐れが少なくない。人類集団の中のこれら好ましからざる遺伝的荷重を減少させるような方策を講ずることは極めて重要である。したがって、人類の発展に災いするかごとき悪質遺伝病を事前に防止するために優生保護法の活用による遺伝相談の普及、これにあたるカウンセラーおよびその教育担当者の養成、人類遺伝学の教育研究施設の拡充、保因者発見法と出生前診断法の開発は緊急を要する方策である。

 

 

1974年「人口白書」(厚生省)

――優生と優境の諸問題――

 

 (優生の概念)を軌道に乗せたのはゴルトンで、1883年命名されたものである。しかし、当時は遺伝のメカニズムが今日ほどはっきりしなかったため、発達が遅れたが、1956年に染色体の数が確定されてから、急速に人類遺伝の分野は開発されてきた。

 

 

1974年「人類遺伝学将来計画」(日本学術会議)

 

 (遺伝性疾患の集団調査、新生児のスクリーニング、保因者診断、出生前診断、遺伝相談の拡充)

 さらに深刻な問題は、個々の症例に対する医療水準が向上した結果、かつては自然淘汰によって集団から除かれていた有害遺伝子が子孫に伝えられ、遺伝子プールにおけるその頻度が上昇する機会が多くなったことである。

 

 

1973年「母親学級指導者必携 母性編」(厚生省児童家庭局母子衛生課監修)

――優生結婚――

 

 遺伝的な欠陥をもった子どもが生まれないことを目的とする。

 

 

1971年「保健体育 改訂版」(一橋出版) 教科書

 

 国民の遺伝的素質を改善し向上させること、すなわち、次の世代の国民に、肉体的にも精神的にもよりすぐれた民族的素質を伝えてゆくことが国民優生である。わが国では1948年に優生保護法が制定され、とくに悪質な遺伝性疾患が伝えられることを防止するため、精神分裂病・そううつ病・全色盲・血友病・遺伝性奇形などの遺伝病を有する場合や、出産により母胎に危険がある場合には優生手術や人工妊娠中絶が実施できることになった。(中略)国民の素質を向上させるという優生結婚の立場から、結婚をするにあたって、みずからの家系の遺伝病患者の有無を確かめるとともに、相手の家系についてもよく確認することが重要である。家系の調査範囲は、両親・兄弟姉妹はもとより、祖父母やいとこまでおよぶことが望ましい。

 

 

1975年「標準高等保健体育」(講談社) 教科書

 

 優生上問題になる疾患や異常の遺伝を防ぐために、優生保護や優生結婚が必要となってくる。

 相互の家系に遺伝的欠陥や疾病がある場合には、なるべく結婚を避け、不健全な子孫が生まれたり、その家系だけでなく社会的にも不幸を招くような疾病のある人は、子孫を残さないようにしなければならない。

 国でも、優生の問題を重視し、その対策として1948年に優生保護法を制定し、優生上問題となる疾病のある場合には妊娠中絶や優生手術を認めている。このようにして、母体の生命・健康を保護するとともに、国民全体の遺伝素質を改善し、向上させるために、国民優生に力をそそいでいる。

 

 

1973年「幸福への科学」(兵庫県衛生部 不幸な子どもの生まれない対策室)

 

(不幸な子どもは次のように定義された)

一、生まれてくること自体が不幸である子ども。例えば遺伝性精神病の宿命をになった子ども。

二、生まれてくることを、誰からも希望されない子ども。たとえば妊娠中絶を行って、いわゆる日の目を見ない子ども。

三、胎芽期、胎児期に母親の病気や、あるいは無知のために起こってくる、各種の障害を持った子ども。たとえば、ウイルス性性感染症・トキソプラズマ症・性病・糖尿病・妊娠中毒症・ある種の薬剤・栄養障害・放射線障害など。

四、出生前後に治療を怠ったため生涯不幸な運命を背負って人生を過ごす子ども。たとえば分娩障害・未熟児・血液型不適合や、新生児特発性ビリルビン血症に起因する新生児重症黄だんによる脳性マヒなど。

五、乳幼児期に早く治療すれば救いうるものを放置したための不幸な子ども。たとえばフェニールケトン尿症などの先天性代謝障害による精神薄弱児や、先天性脱臼、先天性心臓疾患など。

(こうした不幸を背おったこどもを、ひとりでも新たにつくらないために設置)

 

 

 

1975年 文部省検定済「標準高等保健体育 改訂版」(講談社) 教科書 pp189-193

 

第5章 生活と健康

 人生を充実させ、有意義なものとするためには、毎日の生活が健康でなければならない。それには、生活の場である家庭や地域社会、仕事の場である職場などにおける健康生活の設計と確立が必要となる。健康な生活をおくるための理解を深め、これを実践する能力を養成しよう。

 

1 家庭生活と健康

 家庭は、私たちの生活のよりどころであり、同時に社会の一つの単位でもある。

 したがって、家庭生活を充実させることによって、そのまま家族ひとりひとりの生活を豊かにするとともに、このような家庭によって構成される地域社会も、また健全な発展をつづけることができる。

 しかし、他面において、家庭生活は地域社会の構成や環境によって影響されることも多い。

 私たちは、健康な個人生活や家庭生活を築きあげることによって、健康な地域社会をつくる努力をつづけるとともに、健康な地域社会からの恩恵を得て、健康な家庭生活をつくるようにしたいものである。

 

●1 ――――― 結婚と優生

 成人した男女は、やがて結婚して家庭生活を営むようになる。家庭がしあわせで、心身ともにすぐれた子どもが生まれ、末永く繁栄するためには、私たちは、結婚と優生について正しい理解を持たなければならない。

 

<1> 結婚

 結婚する男女は、互いに身体的にも精神的にも、じゅうぶんに発達し、結婚にふさわしい状態にまで成熟していることが欠くことのできない条件である。よい結婚は健全な家庭をつくり、誤った結婚は、家庭生活をこわすだけでなく、自分の人生をみだし、子孫にも悪い影響を残すようになる。

 そのため、結婚しようとする場合には、どのような人が自分の配偶者としてふさわしいか、自分の意思を明らかにするとともに、両親や目上の人と相談して選ぶのがよい方法である。

 さらに重要なことは、優生上問題になる点がないかどうかということである。

 それには、信頼できる医師に相談し、健康の程度、アルコール中毒や性病、遺伝性疾病の有無などを検査してもらい、健康診断書を取りかわしてから結婚生活にはいるのがよい方法である。

 また、同じ家系の人は、同じ遺伝子を持っている可能性が高いので、血族結婚の場合には、劣性の遺伝病や潜在性の疾病があらわれやすい。

 そたのめ、わが国では3親等以内の血族結婚を禁止している。いとこ同士のような近親間の結婚も避けた方がよい(図1)。

 

図1(略)

 

 

<2> 優生

 われわれの子孫に、不良な遺伝子を残さないようにすることを優生という。

 優生上問題になる疾病や異常の遺伝を防ぐために、優生保護や優生結婚が必要となってくる。

 相互の家系に遺伝的欠陥や疾病がある場合には、不健全な子孫が生まれたり、社会的にも不幸をまねくようなことがないように、結婚や出産に際しては専門家の指導を受けることがたいせつである。

 国でも優生の問題を重視し、その対策として1948年に優生保護法を制定し、優生上問題となる疾病のある場合には妊娠中絶や優生手術を認めている。このようにして、母体の生命・健康を保護するとともに、国民全体の遺伝素質を改善し、向上させるために、国民優生に力をそそいでいる。

 

●2 ――――― 家族計画

 文化的で、明るく健康な生活を営むためには、家族構成や出産についての知的な配慮が必要である。

 

<1> 家族計画の意義

 母体の健康や生活能力に応じ、あるいは遺伝性疾病の有無によって、妊娠や出産を計画的に調節することを家族計画という。

 家族計画が正しい認識のもとに行われ、心身ともに健康な夫婦から、望ましい数の健康な子どもが、母親の年齢、出産の間隔などを考慮して生まれてくれば、その家庭は幸福であり、ひいては国の人口問題の解決にも役立つ。

 

<2> 受胎調節

 受胎調節は、家族計画のもっとも望ましい方法であって、適当な時期に妊娠するように受胎の時期を調節することである。

 (略)

 

<3> 人工妊娠中絶

 (略)

 

<4> 優生手術

 優生保護法に定められた遺伝子の疾病がある場合、不良な遺伝子が残らないよう、妊娠を不能にするため、男、女どちらかに手術を行うことがある。この手術を優生手術といい、生殖腺(性腺)を切除することなく、男子では精管を女子では卵管を結紮(けっさつ)して行う。この手術は、個人にとっては重大なことなので、医師の診断により、本人や家族の同意を得て行われる場合と、都道府県の優生保護審査会が、手術の適否を決定して行なわれる場合がある。

 

 

 

○人類の起源と人種

 

 先に人種と遺伝的多様性について触れました。この点をもう少し補足します。

 

 現代人の起源を解明するにあたって、古くは「多地域起源平行進化説」と「アフリカ単一起源説」が激しく争っていた時期がありました。

多地域起源説はいろいろな地域から現代人が生まれたと主張するもので、たとえばオセアニア人やアジア人はジャワ原人や北京原人の子孫であり、ヨーロッパ人はネアンデルタール人の子孫というものです。

いずれもその起源は数百万年前のアフリカです。

現在、この説は弱い立場に追い込まれています。

 

 それに対してアフリカ単一起源説は、名前のとおり現代人はアフリカで誕生し、これが世界に広まったとする説です。

アフリカ単一起源説が勝った根拠として、考古学的な発掘成果も大きいですが、分子生物学的な解析結果も大きく貢献しました。

各地域に住んでいる現代人のミトコンドリアのDNAを調べることにより、現代人の起源グループは東アフリカで約20万年前に誕生したと推測されています。

ミトコンドリア・イヴと呼ばれています。

 

 ミトコンドリアは母性遺伝します。

ミトコンドリアには小さなDNAが含まれています。

このDNAがある一定の速度で変異することが推定されています。

多地域に住んでいる現在人のミトコンドリアDNAの塩基配列を比較することで、最初の現代人がいつ頃誕生したかを推定することができます。

塩基配列の多様性が多い地域は古くからいたことになり、多様性の小さい地域は比較的新しく住みついたと考えられます。

さらに変異している配列を詳しく解析することにより、どの地域でいつ頃分かれてきたかがわかります。

こういった研究から、現在人の祖先はすべて20万年程前のアフリカ人にたどりつくことがわかりました。

つまり、分子遺伝的な研究結果は、世界中の現代人の変異は多地域進化説が唱えている100万年前以上も前に分かれたにしてはあまりにも小さすぎることも意味しています。

 

 さらに、現代人のゲノムDNAの多様性を調べることで、ゲノム全体の変異を調べることもできます。

先にも述べたように、肌や目の色や体型などを決める遺伝子は少数しかなく、ゲノム全体に占めるこれらの遺伝子はほんのわずかです。

いわゆる黒人・黄色人・白人といった人種の分類はこのわずかの違いだけを強調した分類であり、ゲノム全体を見ると、たとえば黒人種間のゲノムの多様性のほうが黒人種と白人種のゲノムの多様性より大きい例もあり、人種のこの3つに分類することはゲノムのレベルで見れば全くのナンセンスであることがわかっています。

 

 いわゆる人類の起源論争で出てきた多地域起源平行進化説は、この人種の考え方にとらわれすぎた説ともいえます。

一応、この説はヨーロッパで見られるクロマニョン人やネアンデルタール人、オーストラリア、アジアで見られるジャワ原人や北京原人と呼ばれていた化石人骨の特徴と、現世の土着の人々の骨格との比較から出てきたものです。

実は、2000年までに日本の東北地方で「発見」され続けた前期旧石器の存在も少なからず多地域起源平行進化説に影響を与えています。

この前期旧石器の「発見」は70万年前までさかのぼったところで頓挫しましたが、計画では100万年前までの旧石器が「発見」されることになっていたらしい。

 

 多地域進化説は骨格の違いという一見科学的に見えますが、きわめて主観的な分類を根拠にしていました。

そのなかで、現在の外観上の違いで分ける人種の違いを過大評価してしまったため、外観上の違いで人類の祖先もつかめると考えたところにまちがいが生じたことになります。

 

 白人だ、黒人だと騒いでいますが、せいぜい20万年程度のちがいでしかありません。

その時間は生命の38億年の歴史から見れば、ほんの一瞬です。

 

 

 

○人類の進化

 

 ついでに、人類の進化について少しだけ補足しておきます。

教科書の「人類の進化」の項目をみてほしい。

われわれヒトに一番近い隣人は類人猿です。

すなわち、チンパンジー、ボノボ、ゴリラ、およびオランウータンです。

彼らは遺伝的にもヒトに非常に近いので、頭数を数えるとき、敬意を表してヒトと同じようにひとり、ふたりと数える研究者もいます。

1匹、2匹と数えるいわゆるサルとは厳密に区別されています。

 

 類人猿の中でもヒトに一番近いのはチンパンジーとボノボです。

ネアンデルタール人を含め、ヒト以外のヒト科の生物はすべて絶滅しているため、生きている生物でヒトと比べられるのはチンパンジーやボノボが最も近いことになります。

遺伝学的な解析や考古学的な発掘例から、ヒトとチンパンジーやボノボが分かれたのは700万年前頃と推定されています。

その後、ヒトに進化する方の枝には、猿人、原人、旧人などと呼ばれている、われわれヒトの親戚(直接の祖先ではない)と思われる化石が発掘されています。

 

 チンパンジーやボノボと化石人類との解剖学的な大きな違いは二足歩行であるとよく言われる。

ここでは、この点はとりあえず置いておいて、言葉について考察します。

現生のチンパンジーやボノボはいわゆる言語というものを持っていません。

ヒトがヒトとして進化してきた原動力のひとつに言語の発声があげられます。

チンパンジー、ボノボとヒトと発声器官を比べると、おもしろいことがわかります。

教科書の図を見ながら解説します。

 

 一見して両者の一番大きな違いは、咽頭の部分であることがわかると思います。

すなわち、チンパンジーは咽頭蓋と軟口蓋が接していますが、ヒトではそれらが大きく離れています。

喉頭蓋というフタは食物が気管に入らないようにするためのものです。

教科書にはこのおかげでヒトは発声できるようになったと指摘しています。

 

 しかし、これには大きな代償があります。

 

 チンパンジーは食物を呑み込みながらでも呼吸を止めることはないし、食物を食べながらでも声帯を震わせて音を鼻から発することができます。

つまり、食物の入るルートと空気の入るルートが別々に設定されています。

ところが、ヒトの場合、咽頭で鼻からの空気と口からの食物が一緒になるため、声を出しながら食べることはできないし、それをやると、気管に食物に引っかかり、あるいは誤嚥(誤って嚥下すること)の危険もあります。

 

 チンパンジーには誤嚥はありません。

このように、ヒトへの進化の過程で、生きていくためにあきらかに有利であったチンパンジーのシステムを不利な構造に転換させていることがわかります。

これは適者生存の例に漏れると指摘する学者もいます。

 

 もうひとつ、チンパンジーなどの類人猿とヒトとの大きな違いは、ヒトには体毛がないことです。

教科書に載っているように、現在地球上にいるすべてのサル、類人猿はふくよかな毛皮を持っています。

ヒトだけ裸です。

教科書には中途半端な体毛を持ったアウストラロピテクスが描かれていたり、化石人類の紹介では同じアウストラロピテクス以下すべての化石人類は裸として描かれています。

しかし、化石人類に体毛がなかったかどうかは化石などの考古学的な発掘からはわかりません。

 

 裸化は突然変異で起こることがマウスなどでわかっています。

いわゆる体毛のないヌードマウスが偶然発見され、これを飼い慣らして実験によく使われています。

ヌードマウスには胸腺がないため、免疫システムを持たない。

そのため、種々の移植などによく利用されます。

 

 ひとつの仮説として、われわれヒトの直接の祖先であるクロマニョン人だけが無毛であり、あとの化石人類はすべて毛皮を持っていたというのがあります。

すなわち、ミトコンドリア・イヴが受けた突然変異は裸化と喉頭蓋の変化が同時に起こったというものです。

いずれの突然変異も生存にとって大きく不利な面ばかりです。

 

 サルなどの生態を観察すると、どんな嵐の時であっても、天気の時と同じように行動することが知られています。

つまり、彼らは豪雨が降っても何ら苦にならず、普通に暮らすことができます。

それに対し、ヒトは少しの雨に濡れても体力を消耗し、体温の低下などを引き起こし、雨天下の野外で暮らすことは生命の危機にさらされることになります。

それほど毛皮は有用なものです。

 

 この有用な毛皮を失うかわりに、ヒトはその発達した知能により風雨をしのげる家を持つようになった。

あるいは、風雨をしのげる家をもつことができたために、生存にとって全く不利であるはずの裸化を受け入れることができるようになったともいえます。

サルやチンパンジーなどでは、毛皮そのものが家になります。

 

 ヌードマウスは、無毛になると同時に胸腺を失うという突然変異で産まれました。

かれらは野生の状態では生存できません。

人が飼育環境を管理することでやっと生きることができます。

20万年程前、ヒトは、無毛化と同時に喉頭蓋の変化という突然変異で産まれました。

食べ物を誤って気道に嚥下してしまうという危険性や、そのままでは野外で生活できなくなることに結びつく毛皮を失うという、全く適応的でない突然変異が同時に起こりました。本来なら生き延びられないところが、声を自由にあやつるという形質を獲得し、家や火の利用という工夫を強いられたおかげで、野生では生きていけないいわゆる家畜化あるいは実験動物化への道を歩むことで進化してったという考えもできます。

 

 人類がいつ、どこで、どうやって進化したかというのは大きな謎です。

この考えはそのひとつの答えです。

この説のように裸化はヒトにだけおこったとするならば、ネアンデルタール人は教科書に書いてあるような無毛ではなく、チンパンジーのように全身立派な毛皮で覆われていたことになります。

もちろん、原人も猿人もすべて毛皮を持っていたことになります。

ヒトの無毛化、裸化というのは、じつは非常に興味深いことなのです。

 

 

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無断転載を禁じます。 ashida@msi.biglobe.ne.jp・芦田嘉之

200738() 更新

 

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