http://shop.sbcr.jp/assets/product_images/4797338903.gif同様の記述が「やさしいバイオテクノロジー」(サイエンス・アイ新書)に書いてあります。

見やすいイラスト入りでわかりやすいです。参考にしてください。

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 3−6.コラム集

 

○科学的とはなにか

 

 科学と技術のちがいがわかりますか?

この授業では、科学に重点を置きます。

科学を重点に置くからといって、科学万能主義を取るわけではありません。

科学は決して万能ではないということも、あわせて理解してもらいます。

 

 科学には絶対否定がなじみません。

科学者は常に可能性を残しています。

科学で「真理」を明らかにすることはできません。

できるのは「真理」に近づくことだけです。

ある科学的な仮説をたて、それを科学的に絶対否定することはできません。

できるのは条件付きの否定だけです。

 

 絶対否定(もちろん絶対肯定も)が科学になじまないわけですから、科学者はつねにどんな仮説にも可能性を残します。

 

 すべての生物の遺伝子の本体はDNAです。

DNA4種の塩基からなります。

といっても、地球上のすべての生物で確認したわけではありません。

分子生物学を勉強しはじめたころ、このような記述にかなりとまどいました。

どうしてそんなことがいえるのか。本当にみんな調べたんだろうか?

もちろん、すべての生物で確認して、すべての生物で、といっているわけではありません。

 

 「科学」であつかえる領域とは何でしょうか。

科学的な仮説とは何でしょうか。

科学が取り扱う仮説には実証可能性が常になければなりません。

どんな形でも検証できない考えは科学的でありません。

さらに、科学的であるためには反証可能性もなければなりません。

つまり、ある仮説が仮説として成り立つためには、その仮説が偽であるとの結果次第では示せる実験方法が考案できなければなりません。

反証可能性が考えられない考えは、仮説にはなりません。単なるアイデアです。

反証可能性を確認し仮説を立て、観察と実験をくり返しても、必ずしも仮説が実証できるわけでもありません。

実証方法を間違ってしまうと誤った結論になってしまいます。

その時点でできるあらゆる反証に耐えうる最善の仮説が残ることになります。

 

 実は、小学、中学、あるいは高等学校で教えられている科学のほとんどはすでに反証されています。

つまり、小中高で学ぶ科学は古典科学であり、その仮説はほとんどすべて反証され間違いとの烙印が押されています。

さらなる最善の仮説が唱えられ、検証されています。

小中高で学ぶ科学が確定した科学的事実というわけではありません。

 

 科学者のいう科学的事実というのは永遠不変の真理というわけではありません。

素粒子の世界では、検証不可能な理論も出てきました。

究極の理論に近づくにしたがって検証が難しい理論もできつつあります。

このような例外を除けば、科学の世界での検証性、反証性は重要です。

もし、将来、宇宙の万物の全てを包括する究極の理論が考案されたなら、この理論は当然反証可能性ではなくなってしまいます。

自己矛盾に陥り、そのとき、科学は終わり、科学は神になります。

人類の科学はそこまでたどりつくことができるでしょうか?

 

 科学は万能ではありません。

 

 このことは、科学の力で「真理」が実証できないことからも明らかです。

科学万能主義という言葉がありますが、当然、科学万能主義者である科学者はいません。

食品に対する100%の安全性を求める声がありますが、100%の安全性を科学の力で検証できません。

科学的な事実というのは真理ではありません。

 

 ポパーは「帰納主義」を精密に検討し、これらを死にいたらせ、あらたに「反証主義」を唱えました。

一般的には科学的といった場合、観測事実と矛盾しない理論で構築されるものだと考えられています。

これが帰納主義です。

黒いカラスを観測します。

これを多数回繰り返す。何度観測しても黒いカラスしか見つからない。

したがって、「すべてのカラスは黒い」という一般法則を導く。

このように帰納主義は観測結果を集めることで一般法則を導くという一見わかりやすいものです。

 

 ポパーがいうには、単称言明(黒いカラスを観測)から普遍言明(すべてのカラスは黒い)という推論をすることが帰納主義です。

しかし、いくら観測を繰り返しても、「すべてのカラスは黒い」という法則は証明できません。

観測した限りにおいては、カラスは黒かったが、明日、白いカラスが観測されることもありえます。

したがって、帰納主義で一般法則は作れません。

できるのは、ある程度の確からしさを確認することだけです。

 

 また、ポパーは「境界設定の問題」を提唱しています。

経験科学と数学・論理学・形而上学的体系の境界のことで、帰納理論ではこの境界は識別できない、と説いています。

さらに、科学と疑似科学を区別する上でも帰納主義は無力ともいっています。

 

 たとえば、今風の話題で見てみると、巨大地震が発生する前には地震雲が観測される、といったトンデモ理論でも、観測結果を集めれば一応理論らしきものはできます。

血液型と性格にかんするアンケート調査を多数集めることで、性格は血液型によってつくられる、など、トンデモ理論をつくることもできます。

テレビゲームをしているとき、前頭前野の脳波(β波)が減少または消失する、という観測(もどき)結果から、トンデモゲーム脳理論を構築することもできてしまいます。

これらが疑似科学であるとの証明は、帰納主義からではできません。

帰納主義には科学的な一般法則は作れないし、科学と疑似科学の境界も設定できません。

 

 ではどうすれば境界設定問題が解決できるでしょうか。

そこで、ポパーは反証主義を発明したわけです。

理論は実証可能ではありません。しかし、験証(うらづけ)は可能です。

反証主義にももちろん問題点はあります。

反証主義が境界設定問題の完璧な答というわけではありません。

 

 長々とポパーの話をしたのは、血液型と性格や遺伝子組換え食品の安全性やアメリカ産牛肉の安全性などを考える上で、基礎的な事実だけでなく科学に対する考え方も重要だと思ったからです。

 

 

 

○男系とY染色体

 

 天皇家の存続が心配されています。

20069月、秋篠宮ご誕生以来41年ぶりに秋篠宮家に男児が誕生しましたが、それでも皇統が細いのは確かです。

 

 日本国憲法第2条によると

「皇位は世襲のものであって,国会の議決した皇室典範の定めるところにより,これを継承する」

と書いてあります。

 

 そこで皇室典範をみると、その第1条に

「皇位は皇統に属する男系の男子が継承する」

と書いてあります。

つまり、皇位継承は世襲であって、男系の男子に限ることになります。

 

 現行法では女性天皇は認められていませんし、女子は結婚と同時に皇族の身分が剥奪されます。

現に、今上陛下の長女は結婚と同時に民間人になられました。

今上陛下の弟や従兄弟にあたる宮家にも皇位継承権が与えられていますが、その子孫は5名とも女性で秋篠宮より若い。

 

 そこで、小泉純一郎元首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」が組織され、2005125日、初会合が開かれました。

その座長には、なぜか専門外のロボット工学者が選任されました。

最終報告書の「皇室典範に関する有識者会議報告書」(pdfファイルで82ページ)は20051124日に発表されました。

しかし、せっかく頑張って議論(お勉強会だったが)したにもかかわらず、首相の気まぐれで空中分解しました。

 

 議論になったのは2点で、女帝と女系です。

 

 女帝にかんしては過去に推古天皇や持統天皇などの例があり、多くの世論調査等でも異論がないため、問題なくクリアされるでしょう。

問題は女系です。

過去に女帝は106方いたが、いずれも男系の女性天皇であり、神武天皇以来男系は維持されています。

これを、遺伝子の立場から見てみるとよく理解できます。

 

 男系というのはY染色体の継承のことです。

Y染色体は他の染色体と違って減数分裂の時に交叉がほとんど起こらないため比較的保存された状態で子孫に伝わります。

つまり男児のY染色体は父親のY染色体をそのまま継承します。

X染色体や常染色体(第1から第22)はいずれも減数分裂の時に交叉が起こり、女系・男系に関係なく組換えられた染色体が継承されます。

 

 このことから、今上陛下が神武天皇以来の男系を維持した状態でその皇統が継承されているという神話が真実であれば、今上陛下や皇太子、秋篠宮のY染色体は神武天皇のY染色体を2666年間受け継いでいることになります。

今上陛下は125代です。

皇統の途中に女帝を認めても、女性にはY染色体がないことから、神武天皇のY染色体は現在にいたるまで維持されています。

 

 これが「天皇」です。

 

 女帝と神武天皇のY染色体を持たない男性との間に生まれた男児は、その男性のY染色体を持つことになるため、もしその男児が即位すると女系の天皇が誕生することになり、2600年以上続いてきた男系は断絶します。

すなわち、女系の天皇は、もはや「天皇」ではありません。

 

 現行の皇室典範の改定では、いわゆる「女系天皇」が焦点になっています。

「有識者会議」の報告書通りに皇室典範が改定されれば、新しいY染色体を持った「天皇もどき」が誕生することになります。

つまり、上に述べたように、2666年間続いてきた天皇家の男系歴史に終止符が打たれ、日本史上はじめて王朝が交代することになります

 

 「天皇制の廃止」を目論んでいる人たちは、いわゆる「女系天皇」を認める意見に積極的です。

なぜなら、一度でも女系の天皇が誕生すれば、皇統の根拠を失うため、「天皇制の廃止」が実現するからです。

 

 「天皇制を維持するために女系天皇を認める」

 

 この授業では、「遺伝子」をはじめとして、多くの術語を正しく理解して使えるようにすることも目標にしています。

上記のフレーズはその練習問題として最適です。

このフレーズには多くの矛盾が含まれていることが容易にわかるでしょう。

 

 まず、「天皇制」という言葉。

これは戦前の日本共産党の造語です。

すなわち「天皇制」という言葉は「廃止」させるために存在する言葉であって、「維持」するために使う言葉ではありません。

「天皇制」は特定のイデオロギーにもとづいた言葉です。

現在の多くの保守主義者の論文を丁寧に読んでみるとわかりますが、「天皇制」という言葉は意識して使っていません。

 

 「皇室典範に関する有識者会議報告書」も「天皇の制度」という言葉は使っていますが「天皇制」は一度も使っていません。

これほど「天皇制」という言葉は気を遣って使われています。

残念ながら保守党のはずの自由民主党の多くの国会議員は首相を含めて「天皇制」という言葉を平気で(無神経に)使っています。

 

 さらに「女系天皇」なる言葉。

これは根源的に存在しえません。

「女系天皇」という天皇は存在しません。

「女系天皇」は天皇もどきであって天皇ではありません。

もし女系の天皇が即位すると、その時点で天皇は不在になります。

 

 そもそも「男系天皇」も「女系天皇」も存在しません。

天皇は天皇であって、それは男系に限られます。

先の「皇室典範に関する有識者会議報告書」もこの点を考慮していて、「女系の天皇」という言葉を使っています。

「女性天皇」は現に存在するので、報告書で何度も使っています。

 

 おもしろいことに、「報告書」の結論(「結び」)のところで一度だけ「女系天皇」という言葉を使っています。

 

「我が国の将来を考えると、皇位の安定的な継承を維持するためには、女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠であり」

とあります。

 

 すなわち、報告書の最後にあらたに「女系天皇」制度を作りましょう、といっています。

新しい王朝をわずかな「有識者」によるわずかな議論で無理やり作ろうと提案しています。

(このテキストでも「天皇制」や「女系天皇」は地の文では使っていません)。

 

 女系の天皇の導入に積極的な小泉さんが女系の天皇に反対する人に向けて、2006127日に、

「女系天皇を認めないという議論は、仮に愛子さまが天皇になられたときに、そのお子さんが男でも認めないということ。それをわかっていて反対しているんですかね」

と言っていた。

 

 わかっていないのは小泉さんです。

この発言から首相の無知蒙昧ぶりが露呈しています。

後に、小泉さんは「女性天皇」と「女系天皇」の区別がついていなかったと一部に報道されました。

もしこの報道が本当であれば、あまりにも無邪気すぎます。

危うく、郵政民営化の二の舞になるところでした。

 

 先の練習問題のフレーズが成立しないことから明らかなように、愛子様と神武天皇のY染色体を持たない男性とのあいだの男児や女児が即位しても天皇を名乗ることはできず、その時点で天皇の制度は終わり、皇統は断絶し、新王朝が誕生します。

小泉さんの論理では、2600年あまり続いた天皇の制度を維持することはできません。

 

 「有識者会議」には別の問題もありました。

「有識者会議」とは名ばかりで、皇室問題に対する有識者はひとりも存在せず、別問題の「有識者」のための皇室問題の単なるお勉強会でした。

そのお勉強会の最終レポートを発表する場で、座長のロボット工学者は「われわれが新しい歴史を作るのだ」と豪語しました。

大変悲しい事件でした。

 

 知の巨人立花隆氏の「滅びゆく国家―日本はどこへ向かうのか」(日経BP社・2006)に「第2章 天皇論―女性天皇・女系天皇の行方」という章があり、氏は天皇とY染色体とミトコンドリアにふれています。

天皇とY染色体をリンクさせる考え方が気に入らないらしく、口汚く罵っておられます。

しかし、その中で知の巨人とも思えないとんでもない誤解をたくさんしています。

 

 神武天皇のY染色体を持つことは天皇になるための単なる必要条件です。

十分条件ではありません。

神武天皇のY染色体さえ持っていれば誰でも天皇になれるわけではありません。

まずこの点を氏は誤解しておられます。

Y染色体は男系を説明するのに都合がいいからよく利用されるだけに過ぎません。

 

 「Y染色体は男性だけに伝えられていくから、男系の直系の天皇なら、神武天皇と同じY染色体が伝えられているはずという主張は半分正しく、半分正しくない。

 正しくない点は、Y染色体といえども、父から息子に伝えられ、代替わりするごとに、少しずつ変異が積み重ねられていくというのが遺伝の法則だから、二千六百年後のいま、皇族につらなる男性といえども、神武天皇と同一の染色体を伝えているということはないということである。

 それにY染色体に、何か人間の価値に直結する形質を示す遺伝情報が含まれているかというと、特別なものは何もないのである。」(同書157ページ)

 

 Y染色体は常染色体やX染色体と違って、減数分裂の時に交叉する部分はわずかしかなく、その部分はY染色体独自の部分ではなくX染色体と共通の部分です。

つまりY染色体に特異的な遺伝子はよく保存されたまま息子に受け継がれます。

「変異」が何を指しているかわかりませんが、単なる突然変異や複製ミスなどであれば、他の染色体と同じ程度しかありません。

 

 立花氏によればY染色体には特別なものがないそうです。

ではなぜ男性化が起こるのでしょうか。

Y染色体を持たないヒトはなぜ女性なのでしょうか。

Y染色体には非常に重要な遺伝子があり、もしその遺伝子のみがX染色体に転移するとY染色体がなくても男性化します。

 

 もっとおもしろいのは天皇のY染色体を持つ人の試算です。

過去のある天皇家から少なく見積もって2人の天皇のY染色体を持つ人が誕生したとすると、膨大な数のY染色体を持つ人がいるはず。

計算を簡単にするため100代として、神武天皇のY染色体を持つヒトは2100乗人、1030乗人いることになる。

「日本の総人口(1億人とする)の1兆倍の百億倍というとんでもない数字になる。子孫の半分は女性だろうからそれを半分にする、子孫同士の結婚によるダブりを差し引くなどの、いろんな条件をつけての割り算、引き算をたくさんしていったとしても、神武天皇のY染色体を受け継ぐ人々が、今の日本にゴロゴロいるはずという意味がわかるだろう」(同書158ページ)

 

 もの凄い計算ですね。

 

 天皇のY染色体を持つ人はそこら中にうじゃうじゃいるので、これを天皇の条件にするのはおかしいとのたまっておられます。

この考え、おかしいですよね。

ひと組のカップルからひとりしか男児が誕生しないのであれば、Y染色体の数は増えも減りもしませんけど。

ダブりそのものが起こりませんよ。

子孫同士の結婚って、男と男が結婚するの?

Y染色体は男にしかありません。

知の巨人、しっかりしてください。

 

 そもそも、側室を置いても男系維持が難しかったとの歴史を述べた後にこの計算です。

計算結果がおかしいと思わなかったのでしょうか。

 

 「こういうばかげた主張を封じるために、女性天皇容認論者は神武天皇のY染色体より、はるかに貴いのは、皇室の祖神とされる天照大神由来のミトコンドリアであり、これは女性にしか伝えられていない、という主張でもするとよい。

細胞生物学の知識がある人はよく知るように、ミトコンドリアは女性から女性にしか伝わらない。だから、人類の起源を調べるときによく資料として使われ、その資料をもとにイブの最初の子孫は何系統いて、そこからどのような人種、民族が生まれたなどという議論も行われている」(同書160ページ)

 

 皮肉をいったつもりでしょうが、滑っています。

ミトコンドリアは女性から子孫(男性も女性も)に伝えられます。

女性から女性であれば、男性のミトコンドリアはどこから来るのでしょうか。

ミトコンドリアは真核生物に共生した原核生物と考えられています。

ヒトとしてのアイデンティティは核ゲノムにあります。

核ゲノムの塩基数に比べ、ミトコンドリアの塩基数は極端に少なく、遺伝子も少なく10個ほどしかありません(核ゲノムは2万数千個)。

この小さなDNAをヒトのアイデンティティに使うという感覚は、「細胞生物学の知識のある人」にはありません。

 

 これらの話をする前に、有識者会議のメンバーに苦言を呈しています。

「この問題で正しい認識に達するためには、もう歴史と伝統の話は十分だから、早く、生物学、遺伝学、DNAの立場から、万世一系だの、性の役割を語ることができる人たちを委員に選んで話を聞くことだ」」(同書123ページ)

と、知の巨人が提案しておられます。

その提案の根拠が上のような計算やミトコンドリアの話でした。

 

 「今上天皇」を使うのもやめましょうよ。

 

 

 

○女系とミトコンドリア

 

真核生物を構成する真核細胞には、核ゲノム以外に2種類のゲノムがある。

植物にのみ存在する葉緑体ゲノムと動物と植物の両方に存在するミトコンドリアゲノムである。

 

ミトコンドリアは女系遺伝する。

 

核のゲノムは両親のゲノムが均等に配分されるが、ミトコンドリアゲノムは母親のもののみが継承される。すなわち、父親のミトコンドリアゲノムは受精とその後の発生の段階で排除されるため、子孫には伝わらない。

家族の中で、母親と子らは同じミトコンドリアゲノムを持つことになる。

 

したがって、ミトコンドリアゲノムの遺伝情報をたどっていけば、女系の系譜がわかることになる。

 

こちらの話は壮大になる。

 

核ゲノムに比べミトコンドリアゲノムは非常に小さい。しかも、核ゲノムのDNAは細胞当たり1分子しかないが、ミトコンドリアは細胞内でコピーされるため、ひとつの細胞内に多数のミトコンドリアゲノムDNAがある。

核ゲノムに比べてコンパクトかつ量が多いことから、ミトコンドリアのDNA分子は単離精製するのに向いている。

 

実際、現在地球上に生きている生物だけでなく、化石からもミトコンドリアDNAは単離され、その遺伝情報が解析されている。

ミイラ化したアメリカ先住民の祖先やヨーロッパアルプスの氷河から発見されたいわゆる「アイスマン」(5千年前のミイラ)からミトコンドリアDNAが単離され、その系統が解析されている。

いわゆる「トリノ聖骸布」にある血痕から「イエス・キリスト」の遺伝子の塩基配列を調べたという話もある。

ちなみに、トリノ聖骸布由来の血痕のゲノム情報の解読から、Y染色体を持つ男性で血液型はAB型だそうである。

さらに、日本の縄文時代の人骨やもっと古いネアンデルタール人の骨からも単離され、塩基配列が解析されている。

 

ミトコンドリアゲノムは人類の祖先を研究する分野でも活躍している。

現在の人類のミトコンドリア遺伝子を解析することで、人類の祖先を推定しようというものである。

現代人のミトコンドリアの遺伝情報の多様性から、人類はアフリカで起源し、その時期は約20万年前であると推定されている。

すなわち、人類の起源は意外と新しく、象徴的な意味で、現代人の全ては20万年前にアフリカで誕生したあるひとりの女性の子孫ということになる。

この女性はミトコンドリア・イブと呼ばれている。

 

Cann RL, Stoneking M, Wilson AC.,

Mitochondrial DNA and human evolution.

Nature, 1987 Jan 1-7; 325(6099): 31-36.

 

Wills C.,

Human origins.

Nature, 1992 Apr 2; 356(6368): 389-390.

 

 

 

○遺伝子くみかえの法則

 

遺伝子「くみかえ」の法則、というのがあります。といってもわたしの造語であるため一般的ではありません。

 

遺伝子組換え:  科学者、政府機関、法律用語で使われる。専門書やまともな教科書など。

遺伝子組み換え: 新聞・雑誌・一部の書籍で使われる。市民運動家も使う。

遺伝子組み替え: 市民運動家や素人が使う。「活動的な」政治家もたまに使っている。

 

 

授業では3者を使い分けています。

 

著作物などにおいて、その記述の科学的な正確さはこの3者の間できれいに比例します。

 

 新聞や雑誌などではかたくなに「遺伝子組み換え」が使われます。

用語集で統一されているから使うのだと思いますが、たとえば、法律や省令などのタイトルに「遺伝子組換え」と書いてあっても、記事の中では機械的にすべて「遺伝子組み換え」と置き換えてあります。

どうしても「遺伝子組み換え」を使いたいのであれば、たとえば、記事の地の文で「遺伝子組み換え」を使うのならまだ許せますが、法律名や条文まで「改悪」して引用するのは狂気の沙汰です。いわゆる、差別用語の言葉狩りと同じです。

 

一時期、元総理の「橋本龍太郎」を「橋本竜太郎」と表記したり(「龍」は新聞用語になかった)、今でも「ら致」と書いたりするのと同根です。

 

 食品に対する表示には「組換え」のみ使うことになっています。

法律の名前もその条文もすべて「組換え」が使われるからです。

科学者もお役所も、すべての公式文書で「組換え」を使います。

 

食品の表示によくみられる「遺伝子組み換え大豆は使用しておりません」は一種の詐欺でしょう。

「遺伝子組み換え大豆」はこの世に存在しませんし、お役所も定義していません。

法的にも存在しません。存在しないものを「使用しておりません」とはいかに?

 なかには「遺伝子組み替え大豆を使用していません」というトンデモまであります。

 

どんな分野でも用語は非常に大切です。

どのように定義された用語か正しく理解するように努めましょう。

用語を大切に扱わない人の書いた文章は信用しない方がよい。

 

「遺伝子くみかえの法則」を実感したければ、「遺伝子組み替えについて」というキーワードでグーグルしてみよう。

充分楽しめるページが多数ヒットします。

どこがまちがっているか、ツッコミを入れながら読んでみよう!

遺伝子とゲノムのちがいさえ理解しておれば、これらを「トンデモ」として楽しめます。

 

 

図書館にある「遺伝子くみかえ」本

図書館の蔵書にもおもしろい本がたくさんあるので、借りて読んでみよう。

「遺伝子くみかえ」関連の本は次の7冊あります(2006年4月現在)。

 

1.天笠啓祐著「フランケンシュタイン食品がやって来た! : 遺伝子組み替え食品Q&A」(風媒社ブックレット), 2000.1

2.天笠啓祐著「遺伝子組み換え稲」(市民バイオテクノロジー情報室ブックレット), 2002.10

3.天笠啓祐編著「遺伝子組み換えGM汚染:多国籍企業モンサントと闘うシュマイザーさんからの警鐘」(遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーン), 2003.10

4.渡辺雄二著「最新食品添加物総点検:環境ホルモン・遺伝子組み換え食品が食卓に!!」(日本消費者連盟), 1999.4

5.安田節子著「遺伝子組み換え食品Q&A」(岩波ブックレット), 1998.1

6.ジャン=マリー・ペルト, ベカエール直美訳「遺伝子組み換え食品は安全か?:ヨーロッパ・エコロジー研究所からの警告」(工作舎), 1999.3

 

7.大塚善樹著「遺伝子組換え作物:大論争・何が問題なのか」(明石書店), 2001.10

 

1の「遺伝子組み替え」はママ。転記ミスではない。

2−6はいずれも「遺伝子組み換え」を使っている。

7だけ「遺伝子組換え」を使用。

図書館の本だけでも「遺伝子くみかえの法則」が成り立っていておもしろい。

図書館に「組み換え」本が多く、「組換え」本が少ないのは寂しい。

 

1、5、6、7はアマゾンなどから手に入る。

2、4は絶版らしく古書から手に入れるしかない。

3は「遺伝子組み換えいらない!キャンペーン」から直接購入するしかない。

1−3の天笠啓祐氏は「遺伝子組み換えいらない!キャンペーン」の代表である。「反遺伝子組み換え」の書籍を多数出版している。

「キャンペーン」サイトの中の「遺伝子組み換え入門」は秀逸である。講義や試験問題に何度も使わせてもらった。感謝!

5の安田節子氏は自身のWebを公開しており、その中にも「遺伝子組み換え食品FAQ」がある。これも試験問題や授業で何度も使わせてもらった。全項目にツッコミを入れよう。

天笠、安田両氏の文章は本当に笑わせてくれます。

 

スライド75

 

 

 

○遺伝子くみかえの法則第2

 

ある私企業の対応:食品科学広報センター

食品科学広報センター」は、「食の安全性や健康・栄養との関わり、食品についての最新の科学知識、食品の規格と表示などに関して、的確で有用な情報を提供しています」というように、遺伝子組換え食品にかんしても「リーフレット」を配布したり、「ホントはどうなの?遺伝子組み換え食品」において情報提供したりして、積極的に活動しています。

 

株式会社であるから、どのような表記にしてもいいが、残念ながら「遺伝子組み換え」を使っています。

そこで、リーフレットを請求した後、次のようなメールを出してみました。

 

=====================================

株式会社 食品科学広報センター

 谷井 佐矢子 様

 

先日、リーフレット4種の送付を希望しました芦田嘉之です。

4月28日、リーフレットを受け取りました。

ありがとうございました。

 

内容に関して1点だけお願いがあります。

遺伝子「くみかえ」表記に関してです。

 

食品科学広報センターではすべて「遺伝子組み換え」と表記されています。

厚生労働省、農林水産省、科学者、法律や省令などにおいて、「遺伝子組換え」で

統一されています。

遺伝子組換え作物に反対しているグループは、ほぼ例外なく「遺伝子組み換え」を

使っています。

新聞などは、各社の用語集によって「組み換え」を使っているのだと思います。

確かに日本語としては「組み換え」が正しいのかもしれません。

 

しかし、読む方にとっては、上記の例からも「組換え」表記の方が格段に内容の

信頼度が高まります。

 

各省庁や科学者が統一して使っている用語を使わず、あえて言い換えをしている

理由は何なのでしょうか?

 

少なくとも私の認識では、「遺伝子組み換え」作物や「遺伝子組み換え」技術は

この世に存在しません。

 

食品表示の場合も「遺伝子組み換え」や「遺伝子組み換え不分別」と表示するのは

存在しないものを表示するという点で違法ではないでしょうか?

#以前は「組み換え」や「組み替え」表示の食品も多かったのですが、最近では

#正しく「組換え」表示する食品が多いように見受けられます。

 

食品科学広報センターとして、より信頼される情報を発信するという点でも

「組換え」表記に統一されることを望みます。

 

芦田嘉之

=====================================

 

 

この問い合わせに対して、わずか1時間後に、超速攻で返事が届きました。

朝日新聞をはじめ新聞社、出版社に同様の問い合わせをしても無視されるだけだっただけに、ある意味驚きました。

 

 

===============================

広島大学大学院 理学研究科 数理分子生命理学専攻

生命理学講座 生物化学研究室

芦田  嘉之様

 

お世話になっております。

 リーフレットの件でご連絡いただきましてありがとうございました。

遺伝子「くみかえ」の表記方法については、行政機関、科学者等で、

「遺伝子組換え」と表記しておりますが、一方、メディアや食品表示

などでは主に「組み換え」と表記しております。 私どもでも大変悩

んだのですが、一般の方が日常生活で、メディアや食品表示などを

通じて、よく目にしている表記方法のほうが、より親しみやすいので

はないかという判断から、「組み換え」という表記させていただいて

おります。

 遺伝子組み換えに関してのネガティブな情報だけではなく、ポジテ

ィブな情報を消費者の方にお届けできるようにつとめてまいりたいと

思っておりますので、今後とも、ご指導くださいますよう、どうぞよろし

くお願い申し上げます。

 

食品科学広報センター  問合せ担当

===============================

 

 

せっかく返事をもらったので、次のような返信をしまいた。

しかし、これに対しては音沙汰がなく、無視されました。

ちょっと書きすぎたか?

 

 

===============================

食品科学広報センター 御中

 

リーフレットを請求し、「遺伝子くみかえ」表記についてお返事しました

芦田嘉之です。

 

お返事ありがとうございました。

いただけるとは思っていなかったので、大変うれしかったです。

#新聞の遺伝子組換え関連の記事で「ご意見をお寄せ下さい」とメール

#アドレスが書いてあって、意見を述べても、すべて無視されます。

 

お返事の中で2点、気になることがありました。

「親しみやすさ」と「食品表示」です。

 

まず「親しみやすさ」についてです。

たとえば「読売新聞 用字用語の手引き」によれば「遺伝子組み換え」と

なっていますので、読売新聞が「遺伝子組み換え」を使う根拠はよく

わかります。

貴社が「遺伝子組み換え」を使われる根拠は「親しみやすさ」とのこと

ですが、マスコミをはじめ多くの市民団体が遺伝子組換え食品に対して

ネガティブキャンペーンを張っており、ネガティブキャンペーンを

張っている組織はほぼ例外なく「遺伝子組み換え」を使っています。

 

「ポジティブな情報を消費者の方にお届けできるようにつとめてまいりたい」

という貴社が、あえてマスコミなどに迎合して「親しみやすさ」を根拠に

マスコミによる造語であるネガティプな意味を含む「遺伝子組み換え」を

使われる理由がよくわかりません。

 

 

次に食品表示についてですが、お返事の内容から見て表示に

「遺伝子組み換え」を使うのが妥当と読めます。

リーフレット「くらし編」にもしっかり「遺伝子組み換え」と

書かれています。

 

ご存じのように、厚生労働省や農林水産省が発表している表示例は

すべて「遺伝子組換え」を使っています。

「遺伝子組み換え」表示を勧める公文書を見たことがありません。

 

「食品表示」では、その目的から考えて、表示内容ばかりでなく、

表示に使う用語も非常に大切なのではないでしょうか。

ちょっとぐらい用語が違ってもいいとの認識では、「食品表示」

制度そのものを軽視しているように受け止められます。

どうしても「組み換え」が使いたいのであれば、「組み換え」表記は

地の文に限定し、食品表示のような重要な内容の時には定められた

正しい用語を使う方がいいと思います。

少なくとも、機械的に「組換え」を「組み換え」に全面的に書き

換える理由がよくわかりません。

 

 

さらに、お返事の中に「食品表示などでは主に「組み換え」と表記

しており」と書かれている点も納得いきません。

 

先のメールにも書きましたように、市販されている食品を見ると

任意表示の『遺伝子組換えでない』表示の場合であっても、いまは

「遺伝子組換え」表記が多数派だと思います。

調査したわけではありませんので確かなことはいえませんが、

私の印象では「遺伝子組み換えでない」や「遺伝子組み替えでない」

といったトンデモ表示が席巻していた頃は「遺伝子組換えでない」

表示はわずかしかなく、しかしいまは、「遺伝子組み替えでない」は

ほぼ絶滅し、「遺伝子組換えでない」が多数派になっていると思います。

 

『遺伝子組換え不分別』表示の食品の場合は調査しました。

たとえば、生活協同組合が販売している食品を見ると、

平成168月末現在  コープ八本松(東広島市

 「遺伝子組換え不分別」表示が28点

 「遺伝子組み換え不分別」表示が2点 でした。

 

平成173月末現在  コープ焼山・コープミニ政畝(呉市

上記以外で新たに見つけた食品15点中、

 「遺伝子組換え不分別」13点

 「遺伝子組み換え不分別」2点 でした。

 

平成184月現在  コープ八本松(東広島市

上記以外で新たに見つけた食品6点中、

6点いずれも「遺伝子組換え不分別」表示でした。

 

該当する食品の製造会社は多岐にわたっています。

 

 

イオングループのジャスコでも調査しましたが、見つけた21点で

いずれも「遺伝子組換え不分別」表示でした。

 

また、大学生協、一般のスーパーで見つけた食品もすべて

「遺伝子組換え不分別」表示でした。

 

 

『遺伝子組換え使用』表示のある食品として、私はA−HITBioの

納豆のススメしか知りません。

当然ながら「遺伝子組換え(大豆)」と正しく表示しています。

 

 

先の問題である「親しみやすさ」とも関連しますが、「食品表示」に

かんして言えば、「親しみやすさ」の根拠にもなりませんし、そもそも

「遺伝子組み換え」と食品表示するのは良くないのではないでしょうか。

良くないと思うからこそ、食品業界で「遺伝子組み替え」「遺伝子組み換え」

から「遺伝子組換え」表示にシフトしているのだと思います。

 

生意気なことを書き連ねてしまいましたが、せっかくいい情報を発信して

おられるのに「組み換え」表記で損をしておられるように見えます。

 

「組み換え」表記が誤用でありマスコミの造語であることは明らかです。

記載内容の信頼度を高めるためには、「親しみやすさ」を理由にするより

専門用語を正しく定義し正しく使用することのほうが、より効果的である

とわたしは思います。

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 日本植物細胞分子生物学会(つくば)大会・シンポジウムの2006730日(日)のシンポジウム「遺伝子リテラシー教育」を聞いていたら食品科学広報センターの人が「遺伝子組換え食品の安全と安心をどう伝えるか 〜メディエーターの立場から〜」という講演をしていました。

 

 この講演で使われたスライドでは気がついた範囲で「遺伝子組換え」になっていました。

なんだ、「メディエーター」の公式発表の場では「組換え」をちゃんと使うのかと思ったら、講演要旨集はちょっと様相が違いました。

くみかえ表記を数えてみたところ、「組換え」4回、「組み換え」5回。

あまりこだわらずに、というかいい加減に使っているようです。

Webでも「組み換え」と「組換え」が混在しているので、要するに、食品科学広報センターの「くみかえ」に深い意味はなく、「市民の目線」など訳のわからない日本語を使うなど、単に荒れているだけのようです。

「親しみやすさ」とかっこよく言ってみただけで、ポリシーはなさそう。

 

 

 

○ふたたび遺伝子とゲノムの違い 遺伝子組換えと交配の違い

 

しつこいようだが、表現を変えてもう一度。

遺伝子というのは、ある特定のタンパク質を作るためのDNAの中のある領域に過ぎない。

ある遺伝子ひとつが生物を作るということにはならない。

 

一般には遺伝子とDNAが混同され、その意味がゲノムと同一に扱われることが多い。

(同じような誤解が放射能と放射線、放射性物質にもみられる)

すなわち、遺伝子が生物を作る情報を担っているとの勘違いである。

しかし、実際に、生物を作るための情報を担っているのはゲノムである。

 

遺伝情報とはすなわちDNAの塩基配列に他ならない。

そのある生物の遺伝情報全体の総和がゲノムになる。

このゲノムと遺伝子の概念を混同すれば、バイオテクノロジーの理解に対して多くの誤解を生じることになる。

 

その最たるものが遺伝子組換え作物であろう。

よくある誤解に、遺伝子をいじくるのは神に対する冒涜であるとか、種の壁を越えて操作するのかけしからんといったものである。

そのような誤解のもとは、やはり遺伝子とゲノムを勘違いしていることからくるのだと思われる。

 

たとえば、遺伝子組換え食品などで使われている技術はあるひとつの遺伝子を組換えるだけであるが、これをゲノムレベルで組換えていると思われている誤解である。もちろんゲノムレベルで組換えることはできる。たとえば、細胞融合であるとか、キメラを作る胚の操作技術などである。しかし、これらは伝統的な古典的技術であり、すでに実用化されていたり、植物であればすでに食品として出回っていたりする。しかもこのような技術で作られたものに対する反対運動など起こらないし、すでに受け入れられているし、厳しい安全性の検査などもやられていないし義務づけられてもいない。まさに野放しである。

 

一方、いわゆる遺伝子組換え作物はあるひとつの遺伝子をある生物に組み込む、あるいはある生物からあるひとつの遺伝子の機能を抑制する、といった技術である。当然、操作した遺伝子はなにかわかっている。このような技術で作られた生物にはなぜか多くの人が反対し、作成段階でも多くの規制があり、また認可にも多くの検査が必要であり、その認可が下りたとしても、なぜか栽培しようと思うとさらなる規制がかけられる。

 

自然にあるものは安全で人工的に加工したものは危険だとの神話も関わっている。しかし、伝統的な野菜や果物に野生のものはひとつもない。すべて人がかかわって初めて誕生した生物種であり、放っておいて自然にできる生物種ではない。つまり人工的な作物である。古くは品種を改良しようという意志はなかったかもしれないが、栽培するということで自然にはない生育状態を作ったことの影響で、自然には起こりにくい交雑を誘発するような状況を偶然作ったりもしていたと思われる。

しかし、このような品種改良が自然であり、組換え作物は自然でないと思っている誤解がなぜかある。

 

種の壁に対しても多くの誤解がある。種の定義は本質的にできない、いちおうお互いに交配が可能で子が残せ、かつこの子が子を残せる能力を有する集団ということになる。

したがって、種がちがえば、たとえば雑種一代目のF1はできるかもしれないが生殖能力がなかったり、そもそも子孫が残せないことになる。

 

その種の壁を越えているのは遺伝子組換え作物であろうか、それとも伝統的作物であろうか。

 

伝統的作物の中には先にあげた細胞融合技術を使って作られたものもある。多くは植物であり、不稔の場合が多い。したがって栽培にはクローン技術を使うことになる。近縁種を掛け合わせたり、品種を改良したりするのに交雑の技術はよく使われる。

異なる種の間で交雑されることから、新しくできた種はもちろん新種になる。

立派に種の壁を越えている。

しかもできたものは親株に比べてどの遺伝子が残りあるいは変異したかわからない。したがって、新種の遺伝的基礎を知ろうと思ったら、そのゲノムを丸ごと解析しない限りわからない。そうであるにもかかわらず、作成に認可は必要ないし、栽培・販売に規制はない。

 

よく、遺伝子組換え作物はフランケンシュタイン作物だとの宣伝があるが、この言葉は伝統的作物によく当てはまる。

 

一方、遺伝子組換え作物の場合、種の壁を越えるのは遺伝子のレベルである。種の壁を越えて別種の遺伝子をある生物に導入することが可能である。

しかし、この技術で一度に組み込む遺伝子の数はすくなく、組み込まれる側のゲノムのターゲットを指定することも現在では可能である。

 

組み込まれた遺伝子由来のタンパク質を新たに作るようになるが、組み込まれた側のゲノムに大きな変化はないことから新種ができるわけではない。もちろん、ターゲットによっては、不妊になったり不稔になったりすることはあるが、種が変わるということはない。このようなことから、遺伝子組換え作物の場合、新種ができるわけではないことから種の壁を越えるという表現があまり成り立たない。

 

新種を作るという点では、人はさまざまな場面で行ってきた。野菜や果物などの植物だけでなく、家畜やペットなどの動物でも改良を重ねて新種を作っている。その行いはたとえば、犬であれば約1万5千年前に作られ始めたということが、現在いる様々な犬の品種とオオカミ、あるいは化石の遺伝情報を読み取ることにより推定されている。穀物の栽培化の時期も同様に推定されている。人によるゲノム操作は有史以来連綿と続けられているわけである。

 

もし、遺伝子組換え操作が神に対する冒涜であり、そのような冒涜行為で作られた作物が認められないのであれば、現在我々が食べている穀物・野菜・果物だけでなく、家畜、ペットなど多くの動植物を否定しないといけないことになる。そうなれば、少なくとも通常食べている食品は全滅に近いことになる。

 

また、新たに開発なども認めないのであれば、食材確保にただひたすら狩猟・採集に頼るしかなくなってしまう。まさに原始社会に逆戻りである。そのような社会が理想であり到来すべきであるとの認識があるのならいいが、おそらくそのような覚悟もなくただ反射的に神への冒涜などと唱えられているのだと考えられる。

 

新しい品種や種を開発する方法にも違いがある。遺伝子組換えの場合はただある遺伝子を挿入または欠失させるだけである。できた新ゲノムに遺伝子がひとつ増えるか、あるいはひとつ減るかだけである。ゲノムから見た場合、大きな変動はなく、なにより、どのような変動があったかが明確にわかっている。

 

一方、伝統的作物を作る場合、単なる交配だけでなく突然変異を誘発させることも行っている。

その突然変異源としては放射線やさまざまな化学物質が使われている。放射線にしろ化学物質にしろ、ターゲットの遺伝子を絞って変異を起こさせることはできない。

変異はランダムに起こるため、どのような変異が起こったかの確認もできず、有用な変異が起こっているものを膨大なスクリーニングを経て偶然作られる有用変異物を見つけ出している。このようにして作られた新品種や新種はひとつだけの遺伝子変異というわけではなく、複数の変異が関わっておりその変異場所を見つけるのは至難の業である。

 

 

 

○情報開示と情報伝達

 

 情報開示はもちろん大切です。

秘密主義はよくないのは確かでしょう。

しかし、それには最低限のルールなり義務があります。

すなわち、開示された情報を正しく理解するための最低限の知識を身につけるための勉強をすることです。

 

 放射線や放射性物質が漏れる事故があった場合、それを正確に報道することは付近の住民の避難する態度にも大きく影響を受けます。

ところが、報道される内容は放射能漏れが起こったと、言葉として全く成り立たないことを報道するばかりであり、事故の実態を知る上で役に立たない事項ばかりが報道されることがよくあります。

なぜこのような事態になるかは簡単です。

報道する側に知識が全くないからです。

したがって、曖昧なよく分からない報道に終始することになります。

 

 マスコミから情報の開示が必要だとの意見もよく聞きます。

しかしながら、開示された情報を正しく理解し、それを正しく報道する能力がないのであれば、いくら開示されてもしかたがないし、また調べも勉強もせず、ただ開示しろと訴えるのもおかしい。

テレビの有名キャスターなど、むしろ科学や技術に無知であることを自慢げに話している例などよくあります。

 

 少なくとも放射能が何であるか、放射線、放射性物質との違いが何であるかを理解した上で主張するのが最低限のルールでしょう。

もちろん、知らないことは恥ではない。

だれもはじめは知らないわけであるから、そのことをもって訴えられることはない。

しかし、知る必要があり、あるいは知る必要に迫られている立場であるならば、それなりに知ることは重要なことであり、それなりに努力することも必要であろうと思われます。

このような努力もせずただ要求するだけなのはやはりよい行いだとは思われない。

 

 バイオテクノロジーにおける理解の現状も原子力開発とよく似ています。

マスコミによる報道であっても、市民団体による講演や勉強会であっても、先端技術にかんする記述に仰天する記載を方々で見つけることができます。

記者やキャスターや講師が理解せずに解説しているのだから、当然もっと素人である一般市民が理解できず混乱するのはあたりまえでしょう。

しかも、もっとたちの悪いのは、記事でも講演でも恐怖心を植え付ける話は一般受けしやすく、理解したつもりにもなりやすいことです。原子力にしても、バイオテクノロジーにしても、恐怖心だけを植え付ける話に持っていくのは実は簡単なことです。

無知をたてに、事実に反する嘘の話をすればいいだけだからです。

 

 安全や環境や平和をことさら強調する話には注意した方がよいでしょう。

放射能と遺伝子を正しく使っているか判定するだけで、記事や講演内容の真偽は簡単に判断できます。

たとえば、放射能を放射線や放射性物質というべきところで使ってみたり、つまり「放射能をあびる」といった表現をしてみたり(放射能は物質ではないのであびることはできません)、遺伝子をゲノムやDNAというべきところで使ってみたりしている内容は要注意です。

 

 上記のような誤った用語の使い方で現状や問題点を指摘したうえで情報公開を求める記事などは、まさに喜劇でしょう。

 

 

 

○利己的な遺伝子

 

 このコラムは、ドーキンスの「利己的な遺伝子」の解説ではありません。念のため。

 

 遺伝子・DNAにとっては、ただひたすらコピーをとることにのみ関心があり、全エネルギーをコピーすることに注いでいる、といった考えがあります。

38億年前、最初に生命が誕生したとき、自己複製が可能な遺伝子DNAが誕生したものと思われます。

最初に誕生して以来、現在に至るまでただひたすらコピーがとられています。

初期のころは、コピーが完全ではなく、また修復機構もなかったため、不完全なコピーや重複など、あらゆる変異体コピーがとられたものと思われます。

この不完全なコピーを繰り返すことにより、多様な生物が進化していったわけでもあります。

 

 生物は生物からしか生み出せません。現在地球上に存在する生物にはすべて親がいます。

その親にもさらに親が必ず存在します。

現在存在する生物がすべて子をなすわけではないので、将来すべての生物のコピーがとられるわけではありませんが、すべての生物は親のコピーです。

 

 すべての生物は個体レベルで見ればかならず死にます。

生物個体で見れば生命は不連続に見えますが、目を個体ではなくDNA分子に向けてみた場合、細胞分裂にしても減数分裂・受精にしても同じようにコピーをとっているだけです。

 

 DNAにとって、生物個体はたんにDNAの乗り物に過ぎないとの考えもできます。

多様なDNAがコピーされるのに都合のいい様に多様な乗り物を利用しています。

乗り物はコピーをとるのに安全かつ多量にとれるものがより優れていることになります。

自分のDNAコピーをとるのにより都合のいい乗り物を作るように進化していったとも考えられます。

すなわち、あらゆる突然変異体の中から、その環境に最も適した個体が生き残り、あるいは最も多産な個体が生き残り、つまり、DNAのコピーをとるということに最も都合のいい個体が淘汰されて生き残ることにより、DNAにとってはより多くのコピーが残せることになります。

 

 現在地球上に存在する生物のDNAはすべて親世代の連続したコピーであり、親世代にどんどんさかのぼっていくと、すべての地球上に現在存在している生物の親は最初に生命が誕生したとこにまで収束してしまうことになります。

 

 ここに、新しい宗教の誕生が考えられます。

人類だけか皆兄弟なのでなく、利己的なDNAの観点から見れば、地球上の生物すべてが兄弟になります。

しかも個体のレベルでの死を考えず、利己的なDNAのレベルで生命を考えたならば、連続してコピーがとれるのであることから、永遠の生命を獲得することも可能になります。

部分的なコピーでいいのであれば、直系の子孫である必要はなく、家族の子孫もコピーであると考えるならば、かなり広範囲に生命の継続が可能となります。

生物愛、永遠の命をキーに新しい「遺伝子教」を誕生させることも可能かもしれません。

人類愛に限定することもなく、死をも畏れることもない、普遍的な宗教を作ることができるでしょう。

 

 ヒトは必ず死ぬことで幸福にはなれません。

これは避けられない宿命です。

ヒトを含め、すべての生物はいずれ必ず死にます。

この死ぬという事実を前にするなら、人間社会でいかなる革命を起こそうともいかなる業績を残そうとも、歴史に名前が残ったとしてもその本人の個体は死んでしまった後ではその後を体験することはできない。

生は有限であり、死後の連続性はない。

しかし、DNAは、あるいは遺伝子は死後も連続しています。

38億年間、連綿と生き続けています。

 

 

 

○食糧と食料と食品 農業の行く末

 

 日本の食糧の自給率が50%を切ってから久しく、いまはカロリーベースで40%ぐらいだという。

日本国内には食糧(主食となる食品、米や麦のこと)や食料(主食以外の食品、食品材料)があふれていて、それが当たり前の社会になり、飢える心配もないほど過剰の食品備蓄もあります。

経済的に豊かな国は他国の食料を金にものをいわせて買い取ることができます。

家畜を飼育するために大量の穀物も消費されています。

しかし、本当に現状は豊かなのでしょうか。

将来にわたって安定して暮らしていけるのでしょうか。

食糧自給率の低いことによる国の維持の危うさについて考えてみたい。

 

 技術が発達し、次から次へと工業製品の改良が進み、新製品であふれています。

すばらしい製品を作り、国の基幹部分を整備すること、あるいはそれに必要な技術を進歩させることはある程度は必要でしょう。

 

 もし食材が不十分であったとしたらどうでしょう。

今のところ、ヒトは食料なしには生きていけません。

その食材はほとんど生物由来です。

狩猟・採集される部分も残っているが、ほとんどは栽培したり家畜化したりして生物を育て、それらを食べています。

簡単には栽培・飼育はできませんが、いずれにしても他の生物を食べていかない限り生きていけません。

 

 人が生きていく上で何が一番大切かを考えた場合、たとえば衣食住の中で何が大切か考えると、あたりまえのことですが、食抜きには生きていけません。

衣も住もなくてもあるいは乏しくても食があれば生きていけます。

エネルギーもインフラもなくてもとりあえず食があれば生きていけます。

食がなければ、ヒトは絶対に生きていけません。

食の基本はヒト以外の生物と真水です。

飢えで苦しんでいる貧しい国々の現状を見れば簡単にわかることです。

狩猟・採集だけで生きていけるヒトの数が限られているのは、隣の国を見てもわかるでしょう。

したがって、適度に栽培・飼育をしない限りある程度の人口は養えないわけであるし、人口が爆発したのも安定した食糧の確保が最大の原因です。

 

 ここで、極端な話を想定してみましょう。

 

 「自然」命の「化学物質」一切ダメ、の人たちの意見を聞き入れ、食品添加物、農薬を一切廃棄した場合、すなわち、すべての農産物の生産をいわゆる無農薬栽培、有機栽培、有機飼育に限定し、収穫後の流通過程も加工にもいっさいの食品添加物をつかってはいけないようになった場合、どんな社会になるでしょうか。

 

 農薬が使えなくなれば、植物の収穫量は一気に低下します。

野菜によっては今の数%ぐらいしか収穫が見込めないのもあります。

仮に収穫量が数割になった場合。どうでしょうか。

また、食品添加物の使用が禁止されれば、加工食品もまったく作れなくなります。

素材としての生野菜や家畜や魚がそのまま流通することになります。

しかも、感染症にかかったままの殺菌もされないナマ素材のみしか流通できません。

当然、遠隔地への運搬は不可能になります。

 

 実際いままで人口が爆発に増えてきた段階で、食料の量産は難しく一部再開墾して、農地面積を広げることで対応してきましたが、これには限界があります。

もちろん、今後広げることはほとんど不可能でしょう。

そうなれば、単位面積あたりの収穫量を上げるしかありません。

その方向で研究が進められ、数十年で大きな成果が上げられました。

そのおかげで、人口爆発にも耐えうる食料の生産が可能だったのです。

 

 しかし、ここで農薬禁止となれば、もとの低収穫農業に戻るしかありません。

収穫量は減る一方でしかも安定した流通もできず、加工保存もかなり限られることから、食糧が不足し、飢えで死ぬヒトが続出するでしょう。

当然人口は激減します。

これは地球環境にとってはいいことではあるが、、、

 

 仮に10億ぐらいだけが生き残ったとしよう。

なぜそれほどまで減るかといえば、無農薬で栽培できる品種は限られており、栽培できたとしても収穫量が少なくなるからです。

さらに、たとえば野菜や穀物に農薬を与えず有機栽培を続けていくと、なるべく害虫などに強い作物だけを育種することになるでしょうから、そうなると本来野性株が持っていた有害物質を作るように変化します。

そうすると、人間にとっても害になる物質が増えるわけで、ますます寿命が短くなって人口が減る結果になると予想されます。

つまり、食料の減収、および食料の有害化が進むことになります。

 

 このような社会でいい、今の人口の5分の110分の1ぐらいで寿命も先進国のような80歳代なんて長すぎる寿命ではなく、40歳代ぐらいから50歳代ぐらいの適正な寿命でいい、というのであれば、あるいはそのような社会を目指す理想および覚悟があるのであれば、農薬禁止、食品添加物禁止、有機栽培促進を唱えてもいいでしょう。

もしその覚悟も展望もなく、一時の金持ちの道楽での発言なら、やめた方がいいでしょう。

 

 今の社会で、有機農業といった道楽としかいえないような農法は一部の金持ちにだけは成立するでしょうが、世界の大多数の人にとってはまったく無縁のものです。

しかも、近代化された農法であってさえ後継者不足で作る人がいなくなっている現状で、もっと重労働を強いられる農法を進んで取り入れる奇特なひとはそういないでしょう。

 

 それが有効な手段でより安全性が高いのであればいいが、実際には、野生化を促進することにもつながるため、有害物質を多くする農法でもあるし、感染しやすい体質に変化することからも安全性に疑問が持たれるし、なによりも食中毒の可能性が高まることになります。

そのようなメリットのなさそうなものに対して、大金をはたいて手に入れようとするのは、そういないでしょう。

 

 このように、無農薬無添加が世界で一斉に義務づけられたならば、人口が激減します。

問題はその人口構成でしょう。

今のままの人口構成で人口が減るとは思われません。

日本の現状を考えれば、もしかしたら日本が真っ先に滅ぶかもしれません。

日本の人口は世界の2%ぐらいですが、世界の農産物の貿易高では約1割も占めています。

特に豚肉は世界貿易の半分以上を日本が占め、牛肉、トウモロコシなども20%を越えています。

しかも貿易相手国は少数の国に限られています。

 

 現在、日本はこれらの貿易相手国と仲良くしていますが、生産量が減少すれば輸出国にも余裕があるわけではないため、日本にとって輸入はほとんど見込めないことになります。

食糧の配給が足りなくなった場合の危機管理マニュアルが農水省により公表されています。

農地以外の土地の農地への転換、配給制や物価統制などが書かれているが、この程度では当然12千万人の人は養えません。

無農薬社会になれば、案外日本が真っ先に滅ぶかもしれません。

 

 もう少し一般的に見てみましょう。

無農薬社会になれば、まず、食料が手に入らなかった人たちから滅んで行くでしょう。

といって、金持ちだけが生き残るとは限りません。

当然、食料の完全人工化はできないので、栽培・飼育・狩猟は誰かがやらないといけません。

全員金持ちだけで誰も作ったり採ったりしないのであれば、当然のことながら全滅してしまいます。

したがって、人口がたとえば10分の1になったとしても、搾取する方とされる方の分化は起こるでしょう。

今の金持ちがそのまま搾取する方にまわるとは限りません。

巨大な農業大国であるアメリカでも人口に占める農業従事者の割合は2%です。

 

 少なくとも肥沃な土地を多く持っているところが有利になることは間違いありません。

つまり、昔の日本で米の収穫量が多いところが有力な殿様であったように。

また多くの農業生産者をかかえていて、その有力な指導者がいるところが栄えて行くでしょう。

あるいは肥沃な土地をめざして、戦争が起こるでしょう。

世界史を見ればよく分かるように、土地の拡大を目指しておこなわれた数々の侵略や植民地化の最大の目的は食糧の確保です。

ならば、食料が全世界で不足するわけだから、当然肥沃な土地をめぐって争いが絶えないことになる(食を軸にした世界史というのもおもしろいかも)。

 

 こうなると、くらしをよくするための技術やエネルギーの確保云々などいっている場合ではなくなります。

今の社会では生活に余裕があり、ということは食料に余裕があるときは、技術開発などと生存にとってそれほど必要でないことにエネルギーを使う余裕もあるでしょうが、食糧がなくなればそんな道楽のような技術開発などやっている暇はないはずであり、とにかく今日、明日の食糧の確保が最優先の社会になることは目に見えています。

 

 自然環境保護団体、自然派の人たちは、上記のような社会を本当に望んでいるのでしょうか。

何事も適正に利用できるものは利用するのがやはりいいのではないでしょうか。

農薬も食品添加物もそれぞれメリットは有り余るほどあります。

 

 

 

○生態系の破壊 自然は守るべきか?

 

 農薬などの化学物質が、人体への影響だけでなく、環境への影響が心配されるなどといった意見もあります。

しかし、環境保護といった場合、いったいどの環境を保護するつもりなのでしょうか。

生態系の破壊が懸念されるというが、いったいどの生態系を守るつもりなのでしょうか。

 

 地球環境を人間が破壊できる範囲は、たかがしれています。

過去、地球をおそった、何度もあった大量絶滅の規模に比べたら、通常の人間のくらしで関与できる破壊などたかがしれています。

だからといって、人間が環境を破壊することを免罪されるわけではありませんが、人間だけが悪者ではないし、自然の持つ巨大な破壊力、包容力、修復力、恒常性を何とか保とうとする力などを充分に把握し理解する必要があります。

 

 環境を守る、地球を守る、などといった傲慢な態度であり続ける限り、実は環境問題など語る資格はないと思われます。

やさしくしたり守ったりできるのは、上位のものから下位のものにしかできません。

どう見ても人間が地球より上位であるはずがありません。

このことをもってしさえ、地球環境保護運動がいかにうさんくさいかがわかります。

 

 さらに「生態系」ももっとうさんくさい言葉です。

いったいどの生態系を守るつもりなのでしょうか。

水田が減ってきて、アメンボやメダカが減ってきた。

たしかに減ってきたでしょう。

でも田圃はどう見ても自然でないし、自然の対極でしょう。

農業を行っている場所であれば、野菜・果物・畜産であろうと、いずれも開墾し人間が自然を破壊した結果できあがった人工的な土地を使って栽培などをしているわけですから、これはまともな生態系とはとても思えません。

 

 人間が暮らしていくということは、必然的に環境を破壊することにつながるわけで、また、それまでにあった生態系を乱すことにも必然的につながります。

環境破壊の元凶は人間の存在そのものであることはわかり切ったことです。

その上でなお守らないといけない自然や生態系があるというのでしょうか。

 

 おそらく自然保護系の人たちにとって、「里山の自然」といった言葉に対して、違和感を持たないでしょう。

人間を「里山の自然」を不自然に思うか思わないかに分類することもできるかもしれません。

いずれにしても、両者の間で議論がかみ合うことはおそらく永久にないと思われます。

 

 里山とは当然人間が入植し、自然を破壊し、人間が暮らしやすいように改良し、植林をし、開墾して田畑を作り、当然住むための家を造り、それぞれに必要な材料を調達するために自然を破壊し、そうした人間活動を通じて本来あった自然を壊すことによってできあがった人工的な場所であるはずです。

そうであるなら、当然のことながら、このような土地は自然ではあり得ないことになります。

自然と人工に分けるのであれば、どうみても里山は人工そのもので自然な存在とはいえません。

それでいて、里山の自然といって何ら違和感を持たないようであれば、このような人が語る自然保護、地球にやさしく、環境を守ろうといったスローガンをいくら唱えようと、むなしく響くだけでしょう。

一体全体、守ろうとしている環境なり生態系なりは何なのでしょうか。

どこにあるのでしょうか。

 

 里山から過疎で人がいなくなった。

その結果起こることは、荒れ果てた自然、ということになろうか。

奇妙な言葉です。

人が作った里山から人がいなくなると荒れる。

どうやら人がいなくなった環境は自然に帰るわけではなく、人が手入れしなくなった荒れ地であるらしい。

 

 外来種が海外からやってきた。

もとの生態系が壊れた。

元に戻すべきだ。

破壊してはならない。

一見もっともらしいことに見えますが、では、生態系の乱れは人工の場合だけなのでしょうか。

ちょっと考えればわかることであるが、自然の行いにより生態系の乱れや環境破壊はいくらでもありますし、人間が関与できるよりはるかに強力に自然は環境破壊を引き起こすことができます。

まして、地球誕生以来、地球が一切変化せず定常状態を保っていたことなどないわけで、つねに変化してきており、生物が誕生してからも、生物相、生態系はつねに変化し続けています。

それにもかかわらず、人間の関与する生態系破壊だけが罪なのでしょうか。

 

 守るべき生態系とはいったい何なのでしょうか。

地球上のどんな場所であっても生物がいる限り単独で存在することはなく、種々の生物間でいろいろな相互作用の元で、すなわち食物連鎖により存在しています。

いかなる生物であっても、食物としては他の生物に依存しないといけません。

植物がエネルギー源として光を利用したり、大気中の成分を利用したりすることはもちろんあります。

なにより、生物の大部分を占める水はもちろん環境などから摂取することになります。

 

 このような無機物を除けば、有機物はもとよりあらゆる元素は他の生物から供給されないといけない仕組みになっています。

この仕組みのため、ある一種の生物だけが単独で生きていくということは共食いしない限り生きていけません。

もちろん、共食いだけでは、種は存属も繁栄もできません。

生物相が貧弱であれば特定の生物に頼らなければならないこともあります。

実際、多くの生物は特定の他の生物に依存して生きています。

その相手となる生物もまた別の生物に依存して生きています。

こうして、お互いに依存し合いながら別の言い方をするなら、殺し合いをしながら生きていることになります。

生態系といっても、あるいは相互依存などといっても、結局は生物種どうしの殺し合いになります。

他の生物を殺さずに生きていくことはできません。

 

 人間とて例外ではありません。

人間のような大型生物のなかでヒトは地球上で最も繁栄している種でしょう。

それなりの大型化した生物を維持し繁栄させるためには当然多くの食料を必要とします。

そのため、というか食料が安定して手にはいるからこそ繁栄したのではあるが、この安定した食糧を手に入れるために農耕を始めました。

そこには狩猟中心の生活とは大きく離れた生活が待っていました。

 

 食料を野生に依存するのをやめて、農耕・牧畜を始めました。

はじめは農地を開墾するだけでも大変であったでしょう。

収穫量も少なく、何より安定せず、収穫のある年とない年の差はかなり大きかったはずです。

また、栽培するとしても何を栽培するかその選択を誤れば収穫を見込めません。

実際、偶然の産物も大きいでしょう。

野生の実を食べ、その種をかためておいておくと、芽が出てやがて育っていくことを偶然観察したこともあるでしょう。

そのような比較的強く育つ作物から農耕が始められたのではないでしょうか。

 

 このように人にだけある重大な特徴、自分で食べるものは自分で育てるという行為を覚えて以来、食物連鎖からヒトは離脱したことになります。

栽培するとはいえ、もちろん栽培植物は食物連鎖に組み込まれているわけだし、それを食べるヒトも連鎖の中に組み込まれているともいえます。

しかし、ヒトが他の植物をターゲットにしたり、ヒト自身が他の生物の食料となってターゲットになったり、ということもあったでしょう。

 

 ところが、安定して食料が生産できるようになると、次の問題が出てきます。

すでにある生態系を壊さないといけない点、新たな大規模な生態系を作ってしまう点などがあります。

また、人口も食料に比例して増えていくわけですから、農地も住居も増やさないといけなくなります。

そうなるとますます既存の生態系の破壊、新規生態系の拡大が起こることになります。

 

 さらには、単なる食糧の増産にとどまらず、林業にも手を出すようになり、いわゆる里山が誕生することになります。

この段階まで来ると、人を中心とした大規模な新しい生態系が確立することになります。

人が作る農産物などに群がる多くの生物も、またその中に組み込まれることになります。

 

 さて、環境問題として保護団体が取り上げる守るべき生態系とはいったい何になるのでしょうか。

自然の、すなわち人間が関与していない生態系はもちろんふくまれるでしょう。

しかし、元々人間が関与しないのであるからには、これをことさら守らないといけないといった運動をする必要はなさそうです。

実際、人間が関与していなければそれほど問題にはならないでしょう。

しかし、前人未踏の地であっても、その環境は刻々とかわるし、大災害にも見舞われやすいであろうし、さらには人間が関与していなくても多くの種の絶滅も起こっているでしょう。

しかし、環境保護団体にとって、自然による自然の破壊は問題にしていないようです。

人間による破壊のみが問題のようです。

 

 実際のところ、この自然による自然破壊、といっても自然は破壊しようとしているのではなく単なる変化であろうが、この変化の方が、人間が関与する場合に比べてはるかに大きいでしょう。

自然の前に立てば、人間の影響など微々たるもののはずです。

しかし、とにかくこの点は不問です。先に行きましょう。

 

 ここで問題となるのは、人間の関与する環境でしょう。

人間の手で守ろうとか優しくなどと甘言を弄してことさら強調しながら訴えるからには、人間が壊した生態系や人間が新たに作った生態系がふくまれるのでしょう。

しかし、以上に見てきたように、人間が新たに作った生態系とやらは、純粋な自然の生態系ではないのであって、人間が勝手に作った生態系であろうから、これを守ろうというのはおかしなことになります。

最近、田園風景が減った、小川がなくなった、アメンボやメダカが減った、などと環境が破壊されたといわれているが、しかし、田園風景は元からあったわけではなく、あきらかに人間が作った人工環境でしょう。

その人工環境の風景がさらに人間の手により変えられていくだけであって、別段自然との関係という点から見ると問題になるとは思えません。

勝手に作ったのをまた作り替えただけであり、あるいは勝手に作ったのを必要なくなって破壊しただけであったりするわけであり、守るべき自然・生態系には当てはまらないように見受けられます。

 

 一方、人間が自然を破壊してしまった元の環境はどうでしょうか。

新たに純粋な自然を破壊した場合、これは反対したり保護を訴えたり修復を呼びかけたりするのにある程度妥当でしょう。

たとえば、前人未踏の奥地で木材の調達のためあるいはエネルギー源あるいは有用動植物の捕獲などを行った場合、たしかにその環境は崩れることになります。

このことでしょうか。

 

 以上、環境・生態系を三つにわけで考えました。ひとつは前人未踏の地で、自然による破壊はあるがとりあえず無視する環境。

保護しようにも人が分け入るわけにはいかないので関与しようがない。

ふたつ目は太古から人間が関与して開発してきた環境。

これはいわゆる里山もふくまれる。大規模な都市ができるまでの農村は世界各地にあったわけで、有史以来人が破壊しまくって作った環境です。

その中には、農地のみの田園地帯もあります。

田園地帯は一件自然に近いと思いがちであるが、そこで暮らしている多くの生物たちはもちろん人間が作り上げた新しい環境に適応した新たに参加した生物群であるはずです。

もちろん、破壊して作ったからには、その前にあった生態系を破って作ったわけであるから、以前の生態系に組み込まれていた生物群もいたわけで、人の作った生態系にも加わっているものもあるであろうが、有史以来連綿と続けられた破壊された土地での生産活動によって、破壊する前の環境など跡形も残っていないわけであるから、以前の姿など想像することすらできない。

そのような田園地帯であっても、この環境は守らないといけないのでしょうか。

この環境というのは、人工的であるとの認識の元、守らなければいけないと唱えている人たちはこの人工環境を守ろうとしているのでしょうか。

 

 古き良き時代としてメダカのいる環境がいいという意見もあるが、それすら人工環境であるのであれば、何をがんばって守ろうとしているのでしょうか。

 

 三つ目の環境として、新たに破壊した環境があげられます。

都市空間はそれに該当するであろうし、山林の積極的な破壊、とはいっても多くの場合植林していてもとの環境はなくなっている場合もあるであろうが、あるいは、海岸線の破壊などがあげられるでしょう。

日本にあっては前人未踏の地などあまりないであろうが、それでもまだ開発されていない土地というのも僅かではあるが、存在するであろうかことから、そのような環境を新たに破壊する行為は問題にされてもしかたがないかもしれません。

そこで、この破壊行為と開発、環境保護とのかねあいが問題になるわけでしょう。

 

 ところで、実は解決策はひとつあります。

ヒトは動物の一種です。自然の一部です。自然の一部であるヒトの行いすべては自然です。

人工はありえない。人工もないのであるから里山も自然です。と。

 

 

 

○野菜の生食

 

 ここ30年ほどのあいだで、ナマで野菜を食べる日本人が増えてきました。

なぜナマで食べるかといえば、そのほうがヘルシーで栄養価があって、とっても健康的だと思っているからでしょう。

でも本当にそうでしょうか。

 

 日本人以外の人々はあまりナマで食べません。

日本人は特にナマが好きらしい。

日本人以外はヘルシー指向がないのでしょうか。

そんなことはありません。

 

 実際、ナマで食べない理由ははっきりしており、ナマで食べる方が危険だと経験的に知っているからです。

植物にはもともと有害物質が含まれているのだから、それらをナマでとるよりは調理して解毒してから食べるほうがいいに決まっています。

それに、一番怖いのは食中毒。ナマで食べるのは食中毒になってくださいといているようなものです。

日本でも食中毒がしょっちゅう起こりますが、ナマ食でも意外と少ないのは、冷蔵庫などの保管用の機器が普及しているし、食品添加物などの適正な使用が効いているし、流通過程で金をかけている点も大きいです。

 

 海外のレストランなどで日本と同じようにナマの野菜や魚を要求する人もいて、当然レストラン側は中毒をおそれて断る。

オレはナマしか食わないとかいって、駄々をこねるのが意外と多いらしい。

こういう人は、きっちり寄生虫にでも感染してもらって、痛い目に遭わないと理解できないでしょう。

 

 ナマで食べることの弊害として、食べる量の問題もあります。

野菜をナマで切って出すと、結構カサがあるため、食堂などではコストをかけずに見栄えがいいメニューを作るのに生野菜がよく使われます。

食べる方も、ボリュームがあるように勘違いしてしまいます。

しかし、たとえばキャベツの千切りなどは思ったほどの量はありません。

すき焼きなどの鍋物をすればよくわかりますが、野菜を鍋一杯に入れても、しばらくするとシュンとなって、ほとんど体積を占めなくなります。調理して食べると栄養価が失われるというが、調理した方が実際たくさん量の野菜が食べられることから、結局栄養はより多くとれることにもなります。

しかも調理により解毒もされます。

 

ナマで食べると、どうしても量が少なくなります。

見栄えがあるだけに、食べた気になって満足してしまって、どうしても量をとらなくなります。

 

 日本人でも戦前ごろにさかのぼっただけでも生野菜はほとんど食べていなかったわけですから、ナマ食をするようになったのはほんの最近のことです。

ナマで食べられるのは、ヘルシー指向の人が嫌う農薬や食品添加物が適正に使われているおかげです。

ヘルシー指向の人が好む無農薬、無添加、有機栽培の野菜はナマでは食べられません。

 

 ヘルシーって何でしょうか。

 

 

 

○美容と健康 コラーゲン配合サプリメントと化粧品

 

 コラーゲンやコンドロイチン硫酸を配合したサプリメントがはやっています。

別にコラーゲンでなくても普通のタンパク質とれば良さそうなものです。

なにかカタカナの名前がついていると、いいものに見えるのかもしれません。

 

 「コンドロイチン硫酸による6千倍の保水力」、といったトンデモな話はとりあえず脇に置き、ここではコラーゲンの話をします。

コラーゲンを使った商品に大きく2種類あります。

コラーゲン配合のサプリメントで、食べたり飲んだりすることで摂取するものと、化粧品に配合してあって肌などに塗るタイプです。

 

 まず、コラーゲン配合サプリメントを検討しましょう。コラーゲンタンパク質は実は栄養素としてのタンパク質源としてはあまりおすすめできない。

タンパク質の重量あたりでみると、コラーゲンの必須アミノ酸の割合は少ないからです。

実際、コラーゲンのアミノ酸組成は、グリシンが3分の1、プロリンが20%強と、このふたつの非必須アミノ酸が極端に多く、必須アミノ酸の割合がそのぶん少なくなります。したがってコラーゲンはタンパク質としての栄養素的には失格です。

 

 健康食品関連サイトの説明によれば、コラーゲン中にプロリンが多いため、コラーゲン合成に必要なプロリンが不足するから、コラーゲンを食べてプロリンを補った方がいいというのもあります。

しかし、プロリンは必須アミノ酸ではないので、特に摂取しないといけない理由はありません。

コラーゲンは生体内で一番多いタンパク質で、生体のさまざまな構造物がきちんと機能する上で一番大切なタンパク質であるから、コラーゲンを栄養としてとる効果があるという説明もあります。

コラーゲンは、骨や関節にたくさんある、臓器の結合組織にもたくさんある、血管にも重要な働きを持っている、などなど、構造というものには必ずと言っていいほど顔を出すタンパク質であるとのことを盛んに強調します。

で、食べればこれらの機能をきちんと補ってくれて重要な働きにとって補足的なサプリメントとしてとっても大切だとの説明があります。

 

 ところが、コラーゲンを食べただけでは、胃の中に入り、そこから分解吸収されるにすぎないことがあまり書いてありません。

ひどいのになると、食べたコラーゲンがそのまま吸収されて役に立つとの認識のサイトまであります。

ここまでくると本当にホラー話になります。

 

 また、吸収されるためには大きなタンパク質分子のままではだめなので、ペプチドにまで分解し、それを食べることで吸収を助けるという説明のあるものまであります。

これでどうやってコラーゲンタンパク質としての機能を持たせようというのでしょうか。

食べた後また再構築されるとでもいうのでしょうか。

 

 もし食べたコラーゲンがそのまま使われるのであれば、どのようなことが起こるでしょうか。

食べたコラーゲンは部分的に分解されています。

したがって、たとえば皮膚に潤いを与えるとかいった機能が本当にあれば、であるが、もしあったとしたら、本来ヒトコラーゲンでその機能が一番発揮されるところに食物由来のコラーゲンも利用できるのであるなら、モザイク状になるだけでなく、おそらく強度の面でも弱くなるであろうし、まともな機能を持たなくなるでしょう。

 

 もし真皮のコラーゲン合成に食物由来のコラーゲンが使えるのであれば、豚や鮭など、いろいろな生物由来のコラーゲン繊維ができ、おそらくしわだらけの潤いどころではない皮膚ができあがるものと思われます。

実際、そのようなことが起こらないのは、当然のことであるが、食物由来のコラーゲンが真皮合成に使われないからです。

 

 もし、遺伝子組換え技術により、ヒトと同じコラーゲン分子が作れる豚を誕生させ、ブタの各組織からヒトと同じ構造の多様なコラーゲンが全部調達できるようになったとしよう。

たとえ各型のヒトタイプのコラーゲンが手に入るようになったとしても、これをどのようにしてヒトに移植するのでしょうか。

健康食品としてそこまでする必要はないでしょうが、もし彼らの言説を何とか生かすような商品を作るのであれば、当然このような組換えクローンブタを作らないといけなくなります。

そこまで技術があれば、移植も簡単にできるかもしれないが、医療用になってしまって、とても健康食品の分野ではなくなってしまいます。食べただけで機能性のタンパク質が摂取できるなど、とにかく夢物語です。

 

 もうひとつ、機能性のタンパク質なりペプチドなりをとるというのではなく、分解産物が栄養となるという話もあります。

吸収されやすいようにかなり小さなペプチドにまで分解させ、吸収されやすいように粉末化したものも市販されています。

彼らの言い分は、コラーゲンには特殊なアミノ酸が使われています。

グリシンが一番多いが、その次に多いプロリンやその修飾された誘導体が多数含まれています。

先に述べたとおり、グリシンは3分の1、プロリン類は4分の1ぐらい含まれています。

 

 したがって、これらのアミノ酸が不足気味になるので、それを効果的に補うのにコラーゲンを食べるのが一番適していると主張しています。

なぜなら、体を構成しているタンパク質のうち3分の1はコラーゲンです。

もちろんこのコラーゲンは全タイプの合計であるが。

このようにタンパク質のなかでも、とてつもなく多い割合で含まれているのであるから、これらを作るのも大変です。

骨にしても結合組織にしても真皮にしてもつねに作りかえられています。

古いのを壊しては新しいのを作っています。

その新しいのを作るのにどうしても材料不足に陥るというのが健康食品を売っている人たちの言い分です。

 

#ただし、古いコラーゲンのアミノ酸が再利用されることは、もちろん計算には入っていない。

#おそらく忘れているのでしょう。

 

 とにかく、新しいコラーゲンを作るのには新たにアミノ酸が必要だとの考えから始まっています。

そうであるなら、食べ物から補わないといけない。

ふつうの食べ物のタンパク質では足りない、コラーゲンをとるのが一番効率的である、という論理です。

もちろん、間違っています。

 

 しかも、そのコラーゲン、ブタの表皮からとってきたものなど、当然のことながらヒト以外の生物由来です。

ヒトとアミノ酸配列が異なっているのであるから、機能も全く同一というわけではない。

さらにいうなら、コラーゲンにはいろいろなサブタイプがあります。

 

基本的なT型V型や基底膜に多いW型をはじめ、30種類以上の型が知られています。

当然のことながら、それぞれ機能が異なり、さらに発現する場所も異なります。

全身くまなく発現するものもあれば、部分的に発現されるものも当然あります。

 

 市販されているコラーゲン剤が、他の生物由来でありかつどのタイプだかわかりません。

おそらく最も多く含まれるT型でしょうが、いろんな組織から抽出されたのであれば、当然混合物になっていることになります。

もちろんコラーゲン以外のタンパク質も含まれているでしょう。

 

 多種多様な機能があり、重要な役割をいろんな場所で担っているのはコラーゲン分子の多様性のおかげであり、またコラーゲン遺伝子を多数含みそれぞれの組織ごとに巧みにコントロールされているからこそ、多様な機能が発揮されまたそれが維持されることで恒常性が保たれています。

 

 実際にはグリシンもプロリンも必須アミノ酸ではないので、当然のことながら他の物質から自分で代謝機能により合成することができます。

いちいち食物から補う必要はあるなせん。

とはいっても、代謝しなくても食物から補った方が早くて便利な気がします。

この発想から、アミノ酸サプリが売られていて、タンパク質をとらなくても、そもそもその原料のアミノ酸にまで分解されてものを直接とった方が効率がいいのではないか、いや、絶対いい、栄養素系サプリとしてももっとも効率がいいものだとの推量から、アミノ酸がいまやサプリだけでなく飲料水にまで配合されています。

 

グルタミン酸ナトリウムが悪者になった頃の騒ぎに比べると隔世の感があります。

ともかく今はアミノ酸流行りです。

もしそうならば、コラーゲンを作るのにプロリン類が不足するというのであれば、プロリンを食べればすむことでしょう。

しかし、実際には、アミノ酸サプリを多量にとることは、代謝のバランスを崩すなど問題点も多い。

 

 本来代謝機能や自身のタンパク質の分解産物から得るものを外界から得ることになります。

これがいいことがない。

代謝経路にはいろいろ微妙な調節が多数働いています。

どれかが異常に多い量蓄積されるならば、あるいは多量摂取により特定物質のみがだぶついてきたならば、多くのフィードバック作用などが働き、実際にはフィードバック作用しなくてもいいけれども結果的にたとえば生成物阻害などのメッセージが伝わることになるため、代謝系が乱れることになります。

 

 いろいろ害もあるが、いずれにしても、彼らがいうところのコラーゲンをとらなければならない理由に一番適した対策としては、アミノ酸サプリをとることでかなえられることになります。

もしそれ以外のメリットがないのであれば、高いブタなどの何製かわからないサプリをとるよりは、工業生産物として安定的にかつ不純物の少ない。

おそらくは安価なプロリン剤を飲む方がよほど経済的かつ効率的ということになります。

 

 少なくとも、高級食材であるフカヒレから高級コラーゲンを摂取すると若い肌によみがえる、なんて事にはなりません。

万一効果があったとしても、フカヒレはブタよりヒトから遠いです。

アミノ酸配列の相同性もブタよりかなり悪い。

タンパク質としての機能もブタより違いが大きい。

これらの考えをふまえて、各社のWeb記載の能書きを読んでみるならばなかなかおもしろいことに気がつきます。

 

 アミノ酸サプリの話のついでに、食品添加物の話を少し。

 タンパク質やアミノ酸がらみの食品添加物として、蛋白加水分解物と調味料(アミノ酸等)があります。

調味料として使われるアミノ酸のほとんどはグルタミン酸ナトリウムです。

うまみ成分として多量に使われています。

味覚をぶっ壊す最右翼の化合物です。

最近のアミノ酸ブームのおかげで、食品添加物に調味料(アミノ酸等)と書いてあって、ラッキー、アミノ酸入りだぁ、といって好んでこの食品添加物入りを買う人もいるらしい。

世の中いろいろです。

 

 これと同じくらい味覚をぶっ壊す食品添加物として、タンパク質加水分解物があります。

あるタンパク質を酵素で分解したものと塩酸で加水分解したものがあるが後者がよく使われているらしい。

実験的には酸素を抜いた条件で 6 M塩酸、110℃で6時間ぐらい反応させることでタンパク質のすべてのペプチド結合が切断されます。

食品添加物として使う場合には、実験的な定性や定量性は問われないことから、もっと雑な反応で分解されていると思われます。

 

 この加水分解物にはペプチドやアミノ酸がたっぷり含まれていることになります。

これが食品添加物として多くの食品に風味を作り出すために使われています。

 

 

 

○リスクってなに?

 

買ってはいけない 食べてはいけない 危ない化学物質

 

<<二水素化酸素>>

水素と酸素の化合物。

 

健康な成人男子(68 kg)でも一度に摂取(140 g/kg 体重)すると、死に至ることが確認されており、その致死量が算出されている。動物実験においても、その半数致死量(50%致死量)が算出されている致死性の有害化学物質である。

高い気化熱や大きな比熱容量を持つことから、生物から熱を奪うなど、化学的な悪影響を及ぼす例が知られている。特に気化熱は2,250 kJ/kgという、とてつもなく異常に高いエネルギーを持っていることがわかっている。また、比熱容量も4.2 kJ/kgKと高く、この値は金属などと比べても、文字通り桁違いに高い値である。

また、凍結・融解することにより、細胞に物理化学的にダメージを与えることができ、凍結・融解を数回繰り返すだけで、細胞膜を破壊させ、あらゆる細胞を完全に死滅させる能力を持っている。

この物質はすべての食品に大量に含まれていることがわかっており、特にキュウリの果実部分には98%も含まれており、このような有害な野菜は絶対に買ってはいけない。

溶媒としてもかなり優秀で、多くの有害化学物質を溶解させる能力を有している。ある食品に本来有害物質が含まれていなくても、この高い溶媒能を持つ物質が含まれていることにより、この溶媒に溶けた有害物質を摂取することが頻繁に起こることも確認されており、まさに背筋が寒くなる毒物である。

現在、大手スーパーや有名百貨店で世界各地から取り寄せた各種銘柄が市販されており、コンビニなどでも簡単に手に入る。

政府はこの有害化学物質の危険性にかんする研究を全くやっておらず、販売を規制する動きすらない。

わずかでも危険性が確認されたものは市場に出すべきでない。

いち早く住民運動を盛り上げ、即時回収を強く政府に働きかける必要がある。

 

 

このような文章を一般の人が見たらなんと感じるであろう。憤慨するであろうか?

実はこの文章、オリジナルではあるが、以下の話がヒントになって創作したものです。

(いろんなバージョンがインターネットに氾濫しています)

 

http://www.snopes.com/toxins/dhmo.htm

1997年、ゾーナー君が14歳の同級生にDihydrogen monoxide の害に対するレポートを回覧した。

 

 

一酸化二水素を禁止しろ!

 

一酸化二水素(DHMOdihydrogen monoxide)は無色・無味・無臭で、年に数千もの人の命を奪います。その死因の多くはDHMOの事故による吸入であるが、DHMOによる被害はそれで終わりではありません。固体の状態のその物質に長期間接すると、組織に対して損傷を引き起こします。DHMO摂取による症状として多発汗・多尿がみられ、鼓脹症、嘔吐、体電解質アンバランスを起こします。その依存症の人にとって摂取を中止することは間違いなく死を意味します。

またDHMOは別名をヒドロキシル酸として知られ、酸性雨の主成分で、地球温暖化に貢献し、大やけどの原因になり、自然景観を浸食し、多くの金属の腐食と錆を促進し、停電を起こし、自動車のブレーキの効果を減少させ、末期癌患者の摘出組織からも見つけることができます。

DHMOは全米の河川や貯水池に見つかる。汚染は地球規模で南極の氷にもある。企業はDHMOを河川や海に垂れ流し。政府も、当面はDHMOを禁止しないみこみ。(などなど、以下続く)

 

同級生50人のうち、禁止に「賛成」したのは43人、「わからない」としたのは6人で、ひとりだけはDHMOが水(H2O)だとわかった。

 

 

 生命にとってなくてはならない一番重要な「化学物質」は水です。

一般に「化学物質」というとき、人工的な毒物の意味で使われます。

これを皮肉って毒物としての「化学物質」である水を取りあげました。

ウソは書いてありません。

どんな「化学物質」でも危険をあおるように書くことはできます。

 

 他の「化学物質」にない水の特徴は、生命にとってなくてはならない機能です。

DNAやタンパク質は水無くしてはその働きを発揮することはできません。

細胞の中は水で満たされており、多くの分子は水に溶けた状態でさまざまな反応を起こします。

 

 生物には多くの水が含まれており(ヒトなら約70%)、水が大切だからといって、水が人間の言葉や音楽を理解し、結晶の形で返事をするほどの能力はもっていません。

水の特殊能力を主張する江本勝の「水からの伝言」(波動教育社)はファンタジーとしてはおもしろいですが、科学ではありませんし、「水は答えを知っている」(サンマーク出版)わけでもありません。

 

この程度の話に引っかかるバカはいないと思っていても、実際、このレベルの話に引っかかる例は実に多い。

テレビや新聞など一見、良心的と思えるマスコミなどでもこの手の話にだまされることがあります。

どんな化学物質であろうとも、たとえそれが水であっても、その化学物質の危険性を強調し恐怖心をあおることは実はかなり簡単なことです。

上記のようの例では一応ウソは言っていません。その点では実は良心的かもしれません。

ウソは入れずにいかにも科学的であることを装う文章はいくらでも書けます。

たちの悪いのは明らかなウソを入れることでしょう。

これを意図的にやるのも、もしかしたらまだいいほうかもしれません。

 

一番たちの悪いのはウソをウソとわからず間違っているにもかかわらず、本当だと信じ切って書いている文章でしょう。

このような例は実は市民団体のアジテーションだけでなく、テレビや新聞にも出てくるので要注意です。

 

ダイオキシンや環境ホルモン、あるいは危険な水道水、といって不安をあおる文章の中には、先の「二水素化酸素」の例と五十歩百歩で、いかにも科学を装いながら、しかももっともらしいデータもいろいろ引用しながらも、データの解釈を誤って、変な結論に導いてしまうことがよくあります。

同じデータであったとしても、危険をあおったり、安心していいという文になったりします。

 

科学的な解釈というのは本当のところ簡単なはずです。

なぜ間違えてしまうかといえば、これも簡単なことで、基礎知識がないからです。

そして、科学的な思考力がないからです。

 

科学的な思考力はあらゆる場面で強力な武器になります。

 

 

 

○有機食品と農薬

 

 化学肥料や合成殺虫剤を使わないで栽培された作物から有機食品が作られています。

環境保護という大義名分のもと、科学をあまり知らない人たちが推進しているようです。

有機食品は高価なのに喜んで買う消費者も多い。

一種の金持ち病でしょう。

貧乏人には手が出ないのがせめてもの救いです。

食品全体に占める割合がごく一部しかないのも救いです。

 

 一部の「自然教」の信者たちは、自然なら安全、自然は健康にも環境にも優しい、と思いこんでいます。

高価なら質もよいという幻想もあります。

「自然」教にも利点はあります。

一点しかありませんが、普通の果物は若い内に収穫し、植物ホルモン(エチレン)で熟させるのに対して、有機栽培では完熟品を収穫するため味がよい。

通常長持ちしないので、取れたてを食べることになります。その分、味もよい。

 

 実は、天然肥料を使う有機作物は、普通の栽培作物より危なことがわかっています。

家畜の糞尿中の細菌が汚染しやすい。

アメリカCDCによれば、残留農薬で死んだ人はゼロなのに、天然物由来の食中毒で年に何百人もの命を落としています。

天然物信仰が行きすぎると、何を注意していいか見誤ってしまいます。

 

大腸菌O-157の汚染だけで2万人が倒れ、250人が亡くなりました。

有機食品だけを食べる人は、そうでない人に比べて大腸菌O-157に感染する率が8倍も高いというデータもあります。

添加物を使わず、殺菌をしていないわけだから当然でしょう。

 

 通常の食事で、天然毒素(通常の野菜・果物に含まれている物質)を日に1.5 gとります。

この毒素量は合成農薬の1万倍以上多いことがわかっています。

 

Proc. Natl. Acad. Sci. USA., 87, 7772-7776 (1990).

Ames, B. N., Gold, L. S., Chemical carcinogenesis, Too many rodent carcinogens.

 

Proc. Natl. Acad. Sci. USA., 87, 7777-7781 (1990).

Ames, B. N., Profet, M., Gold, L. S., Dietary pesticides (99.99% all natural).

 

Proc. Natl. Acad. Sci. USA., 87, 7782-7786 (1990).

Ames, B. N., Profet, M., Gold, L. S., Natures chemicals and synthetic chemicals, Comparative toxicology.

 

天然毒素は有機栽培作物の体内のほうが多いわけです。

残留農薬のように洗い流せるわけではありません。

何世代もの有機栽培を続けると、さらに天然毒素が増えることも確かめられています。

植物は害虫に立ち向かうため、天然の殺虫剤を自分でつくって防御しています。

品種改良というのは、野生の植物の毒素を減らす営みでした。

加熱調理する目的のひとつは、天然毒素の一部を分解し解毒することでもあります。

これらのことから、あぶない天然毒素のことを気にかけずに、実害のほとんどない合成農薬におびえるのはおかしいことがわかります。

合成農薬対策に膨大なお金と人手をつぎ込みすぎです。

 

 有機食品と遺伝子組換え食品とを対比してみてもおもしろい。

有機食品は細菌に汚染されやすいし、高価だし、天然毒素も比較的多い。

遺伝子組換え食品は通常の食品と比べて特に危険性が高いとの証拠は今のところありません。

栽培時の農薬使用量も比較的少なくてすみます。

農薬量、労働量などが削減できるため、比較的安価に栽培でききます。

 

 アルコール飲料にはエタノールが含まれています。致死量は約400グラムで、発癌性もあります。

致死量があって発癌性があるからといって、販売が禁止されているわけではありません。

最新有機合成農薬はヒトや動物に対する毒性が著しく軽減されています。

環境中で容易に分解し、作物にもほとんど残留せず、生物濃縮もほとんどないものが開発されています。

適正に農薬を使うことにより、栽培効能が著しく向上し、単位面積当たりの投下量が著しく減少しています。

環境へ放出される農薬量が減少し、低投入型の農薬に転換されているわけです。

有機農法を自然に親しむためにやるのならいいでしょう。

しかし、それは12千万の日本人、66億人の地球人を養う農法ではありません。

 

 

 

○遺伝子組換え食品と農薬

 

 除草剤耐性遺伝子組換え作物に使われる除草剤のひとつにグリホサートがあります。

グリホサートの毒性は食塩の毒性より弱い。

精密機器がないとはかれない微量な残留農薬に怯えながら、それより毒性の強い食塩はグラム単位で平気で摂取しています。

もし、農作物に残留するグリホサートで健康被害が生じるのであれば、多量に存在する農作物自身が持つ天然の毒素で即死しているでしょう。

この喜劇が多くの国民には伝わっていません。

 

 グリホサートは農薬として多量に使われるため、よく反農薬キャンペーンのターゲットにされます。

たとえば、中里博泰氏による反グリホサートキャンペーンはいまだに取りあげられています。

歯科医師の中里氏によれば、歯科医院への受診者や小中学校の集団検診の結果などから、永久歯が一、二本足りない子どもが急増するとのデータを得て、その原因はグリホサートであると推測しています。

氏は、その結果を日本医薬品情報学会の第6回日本医薬品情報学会総会・学術大会で発表しました(2003622日)。

単に学会発表だけなら話題になりませんが、発表前の2003611日付の産経新聞が1面で報道したことから、この事件が広く知られることになりました。

 

 「市民バイオテクノロジー情報室」で「農薬汚染 除草剤で永久歯が生えない子ども急増」と題して産経新聞の記事を引用しています。

腸のお掃除専門店『おなか元気笑店』の「永久歯の生えない子供急増!!」ではその記事の詳細を読むことができます(著作権は大丈夫なのだろうか?2004年と誤記している)。

20051117日(木)には「第8回 志魂塾「 永久歯の生えてこない子供たち」」と題する講演をしており、氏のプロフィールを見ることができます。

 

 この話題は、20064月刊行の天笠啓祐氏の「遺伝子組み換え作物はいらない!広がるGMOフリーゾーン」(家の光協会)でも取りあげられています。

「食品としての安全に疑問が」という項目で遺伝子組換え作物の食品としての危険性のデータのひとつに、この子どもの永久歯不足を引用しています。

ただし、産経新聞の記事をそのまま引用するだけです。

ついでに、中里氏の肩書きを間違っています。

 

 この事件から得られる教訓は、われわれは専門家の肩書きに弱く、新聞記事を妄信することの危険性です。

学会発表程度では、本来、内容に信頼性がないので裏を取るなどの取材が必要ですが、新聞記事になってしまうと、どんなトンデモ理論でも「事実」に格上げされてしまいます。

子どもの永久歯不足は本当に急増しているのか、たとえ急増していたとしても子どもの永久歯不足とグリホサートとの因果関係はあるのか、そもそもなぜグリホサートが犯人として浮かび上がったのか、簡単な疑問を調べるだけで、この理論が簡単に崩壊することがわかります。

しかし、この事件の場合、新聞の1面記事になるというお墨付きだけで、市民団体など「進歩的文化人」たちによって、検証されることなく「事実」として広められてきました。

 

 専門家が言うのだから、全国紙の1面に載ったのだから、本に書いてあるのだから、テレビで取りあげられたのだから、といった単純な理由だけで多くの国民はトンデモ理論でもすっかり信じてしまいます

 

 

 

○RNA新大陸発見

 

 遺伝子にかんする話題をひとつ取りあげます。

本書の遺伝子の記述はこれから述べる「RNA新大陸発見」の話を意識しながらも無視しました。

話がややこしくなるからです。

 

 20059月のScience誌に、日本の理化学研究所などの国際的な研究グループにより、画期的な発見が発表されました。

彼らはその業績を「RNA新大陸発見」と呼んでいます。

 

 の発見は、これまでの遺伝子の概念にたいして大きく変更を迫るもので、このマウスでの発見が広く生物界に適応できるのであれば、すべての教科書を大幅に書き直す必要があります。

本書も例外ではありません。

狭い意味での遺伝子はゲノムの中のタンパク質に翻訳される部分をコードしている領域です。

その部分はゲノムの中に2万数千箇所散在していますが、そのすべてを足し合わせてもゲノムの1%強にしかなりません。

 

 ひとつの遺伝子には、多くの場合タンパク質に翻訳されない領域としてイントロンや両端の非翻訳領域と呼ばれる領域があります。

これらをすべて足した形でゲノムからmRNAの前駆体として転写されます。

RNAにはこのmRNAのほかにtRNArRNAがあり、さらに多くの短いRNAが見つかっています。

これらのゲノムから転写されるすべてのRNAを足しても、ゲノムに占める割合は3割程度です。

ゲノムにはRNAに転写されず、機能がよくわからない多くの遺伝子間領域があり、もしかしたらなにも機能していないかもしれないと考えて、その機能未知の部分を「ジャンクDNA」などとも呼ばれていました。

 

 ところが、ゲノムはもっと多彩かもしれないことがわかりつつあります。

新しいRNA新大陸の発見はマウスを使って検証されました。

その見解では、RNAに転写される領域は、ゲノムの70%を占めるとされています。

これは膨大な領域です。遺伝子の概念も少し変わってしまいます。

 

 転写単位として3つの概念が提唱されています。

従来から見つかっていた選択的スプライシングされる転写単位群。

ひとつの転写単位に複数の転写開始領域があることによる複数の転写物ができる群。

もうひつとが、あるひとつの転写単位が逆向きにも転写される群。

 

 いずれのグループも数多くの例が見つかりました。

そのことから、ひとつの転写単位がひとつの遺伝子でひとつのタンパク質をつくるといったかなり古い概念は完全に崩壊し、ひとつの転写単位から種々の転写物が合成されることがわかってきました。

これらの新発見が正しいのなら、生物のゲノム単位での解析の考え方を大きく変える必要があります。

ゲノムレベルでの解析には、主として塩基配列や遺伝子部分の相同性を調べるだけでなく、タンパク質に翻訳されない膨大なRNAやそれらの複雑に絡み合っていると思われるネットワークまで解析することに目を向ける必要が出てきました。

 

 遺伝子組換え食品などをつくるときの遺伝子の挿入部分も考慮する必要が出てきます。

なぜなら、従来の考えでは、いわゆる「ジャンク」の領域に挿入するのなら、ゲノムに大きな影響はないと考えられていましたが、新大陸の発見により「ジャンク」領域が狭められたことから、挿入部分が限られてきます。

 

 

 

○小説の中のバイオテクノロジー

 

 もう古くなってしまいましたが、「ジュラシックパーク」は大変興味深い本です。

映画のできには、かなりガッカリでしたが、原作はさすがにしっかりと書かれています。

 

 原作の中には映画で全く触れられていない科学に対するクライトン流の痛烈な批判が随所に見られます。

前期の授業で取り上げた転写・翻訳といったセントラルドグマから生殖までの話が、物語の中でうまく説明されている傑作でもあります。

 

 作品の中に、ある遺伝子の塩基配列が延々書いてあるページがあります。

この配列に書いてある遺伝情報は実は簡単に調べることができます。

今までに世界中の科学者が調べた塩基配列がデータベースとして管理されており、誰でも簡単に利用することが出来るようになっています。

このデータベースとクライトンが書いた恐竜の遺伝子の配列を比べることにより、クライトンがどのようにしてこの配列を「創作」したかが簡単に調べることも可能です。

この結果、クライトンが恐竜の遺伝子を創作するのにどんな「手抜き」をしたかがわかってしまいます。

実は、原作の「ジュラシックパーク」にはこんな楽しみ方もできるのです。

 

 日本人の手で書かれた同様のジャンルの本に「パラサイトイブ」がありますが、分子生物学に正確さを要求する余り、少し物足りなさを感じました。

これに対し、「リング」「らせん」は傑作です。

映画やテレビは最悪の駄作でしたが、これも原作はしっかり書かれています。

何度も読み返し、その神髄を存分に味わってもらいたい本のひとつです。

 

鈴木光司がこの2作で表現したかった内容を理解するためには、分子生物学を知っているか知らないかで、大きく違ってきます。

現実のウイルスと「リングウイルス」のアナロジーが理解できれば、数倍楽しめる作品になっています。

前期の勉強で得た知識を基に、読んでみると絶対に楽しめます。

残念なことに、鈴木光司のその後の作品「ループ」「バースディ」は並以下の作品になってしまっています。

人気作家の宿命なのか?

彼の作品は初期のものに限る。「光射す海」(新潮文庫)も傑作です。

優生遺伝するハンチントン舞踏病。遺伝の法則がわかりやすく解説してあります。

ゲノムの中にこの無慈悲な遺伝病の原因がどのように書かれているか、想像しながら読むと数倍楽しめます。

 

 「ジュラシックパーク」のようなことは、今のバイオ技術の力ではまだまだ実現不可能です。

しかし、SF作家も想像すらしなかった奇妙な、驚異的な成果がバイオ技術により達成され、あるいは達成されつつあります。

後期の授業では、現実に応用されているバイオ技術を歴史的に見ていき、それら技術に内包する社会的な諸問題についても考察します。

 

 

 

○ヒトの命とは

 

 遺伝子が関与する病気や遺伝子の多型に起因する様々な表現型をみたとき、何がわかるでしょうか。

これまで述べてきた例を考察しながら、総合的に判断してみて欲しい。

 

 生物学的には当然、人間も動物の一種です。

しかし、人間だけは他の生物と違って特別な存在だと思いたがるものでもあります。

社会的ないきもので、思考力を持った特別な存在だと認識したがります。

しかし、ヒトは動物の一種であることは間違いないわけですし、また、いろんな多様性もあります。

 

 差別がいかにバカバカしいものであるかは、遺伝子を基準に考えれば簡単にわかるのではないでしょうか。

人としての尊厳も必要でしょう。

しかしそれ以前に生物としての存在も認識するべきではないでしょうか。

 

 人はさまざま技術を開発し、地球上の未踏地はほとんどなくなり、宇宙にまで有人飛行し、技術面では他の生物が全く持たない技能を獲得しました。

しかし、人がどうしても叶えられない技術があります。

 

 それは生物を作ることです。

 

 すでに存在する生物を改良するすべは持っています。

この技術で多くの栽培品種や飼育種や愛玩種を作ってきました。

しかし、生物以外の物質からたとえ単細胞であったとしても、まだ生物を作ることはできません。

技術力で何でもできると思いがちですが、生命の創造となると、とたんに人の無力さをかみしめなくてはならなくなります。

 

 人は、ヒトをはじめいかなる生物も作ることはできません。

ここに、新たな倫理が創出します。

 

 すべて生物は他の生物を食べない限り生きていけません。

つまり他の生物を殺してそれを摂取しない限り生きていけません。

だからといって、無益な殺生をするべきでもありません。

人は単細胞の生物1匹すら作ることはできません。

人は生物の創造に関しては全くの無能です。

このことを謙虚に考える必要があります。

 

 ならば、人はなぜ人を殺してはならないのか。

 

 答は簡単です。

 人は生物の仕組みをいろいろ解明してきました。

しかし、いまだに簡単な生命すら作れません。

たとえゲノムDNAの合成が可能となったとしても、DNAのみでは生命は作れません。

 

生命を網羅的に解析するようになってきました。

ゲノムGenomeGene ome をつけた造語です。

同様にタンパク質を網羅的に集めたものを Protein ome をつけてProteomeという。

転写されたmRNATranscriptomeともいう。

ゲノム研究からプロテオームの時代に入ったといわれる。

しかし、それでもまだまだ分子のレベルの理解にとどまっています。

人が細胞を、生物をつくることなどまだまだ先のことです。

 

 

 

○ヘビースモーカーの環境保護運動

 

 200643日のテレビ朝日系列の夜のニュース番組におもしろい特集があった。

 

 倉本聰氏環境保護にかんする活動を元プロテニスプレーヤーの松岡氏がレポートしていまいた。

倉本氏は富良野市において富良野塾を主宰し、自然保護に力を入れています。

 

 ゴルフ場を自然にかえす、という崇高な目的の下、植林などの活動をされているとのレポートであった。

確かに一般受けするテレビらしい企画です。

しかし、この番組内容から何を教訓とすればいいのでしょうか。

実際、富良野市のような生活を12千万の日本人がするのは不可能です。

彼の理想とする生活は、それはそれでいいが、その生活を12千万の日本人、あるいは66億人の地球人に強いることはできません。

富良野は富良野でいいし、都会は都会でいいはずです。

氏による都会を完全否定する感覚がわかりません。

 

 しかし、この番組、表向きの制作者の目的とは違う楽しみ方ができる、楽しい番組でもありました。

 #実は以下のことを本当は訴えたかったのかも。

 倉本氏は三度の飯よりタバコとコーヒーが好きであるという(ウィキペディアより)。取材中も引切なしにタバコを吸っており、その映像が流れていました。随分皮肉な話です。

 

 自然を守ろうと、植林したりするのも、結果が見えて映像ニュースとしてはインパクトがあっていいかもしれません。

しかし、その崇高な活動のボスがヘビースモーカーでは、その崇高な目的の説得力に欠ける結果になります。

 

タバコやコーヒーはその毒性だけでなく環境や南北問題の要素でもあります。

タバコやコーヒーを主に栽培しているのは貧しい途上国です。

その途上国で本来途上国民の栄養になる作物が作れる畑に、金になる輸出向けの作物を栽培しています。

タバコの葉の栽培そのものが環境破壊を招いています。

タバコの葉の乾燥用の薪を取るために森林喪失が進んでおり、環境破壊を招いています。

タバコの栽培は途上国の児童労働問題にも直結しています。

貧困層の人たちのタバコ中毒も問題です。

彼らの家計の支出に占めるタバコ代の割合が高く、貧困をさらに悪化させています。

これらを見ただけでも、嗜好品の栽培というのは、環境破壊と南北問題の大きな課題のひとつであることがわかります。

 

 タバコやコーヒーといった、先進国の金持ちの嗜好品は、嗜好品であるから本来なくてもかまわない商品です。

この嗜好品を作るために、環境破壊や途上国の飢えを生んでいるのは間違いありません。

ゴルフ場に植林するという目に見える活動もかっこいいかもしれません。

しかし、タバコをやめる方がもっと環境破壊や途上国の食糧問題の解決の手段としては効果的であることも考えるべきでしょう。

 

 その点をふまえて、先のテレビの特集映像を見直せば、タバコを引切なしにプカプカさせているひとが、いくら環境保護を訴えたところで、説得力ゼロであり、これを恭しく報道しもっともらしいコメントをするニュースキャスターって、いったい何なのでしょうか。

われわれはこの程度のマスコミしか持ち合わせていない。

 

 

 

○豆をナマで食べるとどうなる?

 

 200656日のTBS系列の夜の番組で「白インゲン豆ダイエット」方法が紹介された。

 

 この手の番組で実験と称して様々なデータが紹介されるが、まともなデータが提示されたことはない。

どのようなデータかはTBSWebサイトでも紹介されているので参考にして欲しい。

「検証」以前の問題です。

テレビによるこのようなお遊びも問題ではあるが、それ以上に問題なのは視聴者がこのインチキ番組を信じてしまうことでしょう。

 

 テレビで紹介されたダイエット法は、白インゲン豆を3分ほど煎ってから粉末化し、ご飯にまぶして食べるだけという簡単なもの。

この番組が放送されてから数日の間に少なくとも1000件もの苦情がテレビ局などに寄せられたという。

いずれも下痢や嘔吐などの健康被害を訴えるもの。

苦情を直接テレビ局などに訴えた人の数が650件であるから、実際、健康被害にあった人はもっと多いであろうし、このダイエット法を実践した人は莫大な数いたことになります。テレビの威力はやはり凄い。

 

 テレビで紹介されたからといって軽率にそれを実行する国民がたくさんいるということに今更ながら驚かされます。

この手の番組はインチキであるという認識がどうして持てないのでしょうか?

健康被害にあった人はおそらく何度もこの手のインチキ番組にだまされているのでしょう。

テレビ局に苦情を訴えたと言うからには、単に下痢をした嘔吐したという報告だけでなく、多くの人はテレビ局に抗議したのでしょう。

しかし、抗議する前に、この手の番組を妄信するという姿勢を正すのが先でしょう。

テレビ局にまともな番組を作ることを期待するのは無理です。

 

 一般の人の食品、特に植物性の食物に含まれる天然の植物由来の毒素にかんする知識の低さはやはり問題です。

多くの人は農薬や食品添加物に関心を持ち、それらを危険なものと認識しています。

しかし、残留農薬や食品添加物より数万倍多く含まれている天然植物毒素を毎日摂取していることには関心がない。

この関心のなさが今回の事件でも露呈しました。

 

 小学校などで栽培したジャガイモを調理して毎年のように食中毒事件が起こるのと同根でしょう。

 

 豆類の種子には貯蔵タンパク質が多量に含まれています。

このタンパク質目当てに人類は多くの豆類を栽培して食品としてきました。

しかし、あたりまえのことですが、豆類はヒトに食べてもらうために種子を作っているのではなく、自身の子孫を残すために作っています。

豆類の立場になれば、動物などに種子を食べられるのは死活問題ですから、生き残るために様々な工夫をしています。

動物などに食べられない工夫のひとつがプロテアーゼ阻害剤(タンパク質)の生産です。

プロテアーゼはタンパク質分解酵素でその酵素の阻害剤が種子に多量に含まれています。

種子をナマで食べると、このプロテアーゼ阻害剤の効果で食べた動物が消化不良を起こします。

学習した動物はその種子を食べなくなります。

その結果、豆類は生き延びます。

 

 インゲン豆にはこのほかにアミラーゼ阻害剤が含まれています。

アミラーゼはでん粉を麦芽糖などに分解する酵素です。

このアミラーゼが阻害されるとでん粉などの多糖類の消化が不充分になります。

その結果、麦芽糖からさらに分解されて作られるぶどう糖の量も減ることから、これを利用してダイエットに使えるかもと目をつけられたのでしょう。

もちろんそんなに単純は話ではなく、このアミラーゼ阻害剤によるダイエット法自身に効果がないことは多く報告されているところです(今回のテレビ番組はこれを軽率に利用した)。

 

 種子はこのほかにレクチンを蓄えています。

今回の犯人は、白インゲン豆の3分間の煎り方が不充分でレクチンが残り、このレクチンによる健康被害だと推定されています。

もちろん、豆をナマに近い形で食べればレクチン以外の原因により健康被害が生じるのはあたりまえのことです。

 

 ついでに、遺伝子組換え食品反対派がその食品としての危険性を主張するデータとして大切にしているレクチン組換えジャガイモを使ったラットの免疫不全事件と関連づけてみましょう。

いわゆる「プッシュタイ事件」です。

これはジャガイモにレクチン合成酵素の遺伝子を組み込み、それをラットに食べされると、そのラットは免疫不全が起こり臓器の発育不全も起こったというもの。

この結果からなぜか遺伝子組換え技術そのものが危険であるとの解釈となり、このデータが遺伝子組換え作物の食品としての危険性を唱えるときに盛んに引用されます。

しかし、検体数が少ないことや適切な対照実験を行っていないことなどから、この実験そのものが実験として成り立っていません。

それ以前に、レクチン合成酵素の遺伝子を入れるというそもそもヒトなどに障害が生じるとわかっている遺伝子を組み込むという実験設計自体問題です。

危険な遺伝子を組み込んだらやはり危険な組換え体ができたというだけのことです。

レクチン組換えジャガイモは市販されていないし開発計画すらありません。

 

今回のダイエット事件で表面化したレクチンの威力を、遺伝子組換え作物反対派の人たちはどのように受け止めたのでしょうか?

 

 

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無断転載を禁じます。 ashida@msi.biglobe.ne.jp・芦田嘉之

2008215() 更新

 

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