前十字靱帯物語


第一話
「この衝撃は何???」

2002年某月某日午後3時
昨日は八方、今日は五竜と、例年になく早いシーズンの始まりと、
とても良いコンディションのコブを満喫していた時それは起こりました。

この日もあっと言う間にラスト1時間となり、気合いを入れてラインを降り始めました。
10コブくらい降りた所でしょうか・・・コブの底に板が着いた瞬間、
ガツという未知の衝撃に襲われました。

訳も分からず、その場で転倒、しばらく左膝を抱える様にうずくまっていると
心配そうに集まってくるモーグラーの人たち。

恐る恐る立ってみると、そんなに痛くない。痛くないから降りよう♪っとしたら、
「あまり急に動かない方がいいですよ」と心配してくれるモーグラーさん、ありがとう。

下で待ってる仲間の所まで行き、今日はもう無理っぽいので、終了にしてもらいました。
自分では覚えていないのですが、この時、かなり痛そうな顔をしていたそうです。

ゴンドラ駅までルート3を降り(笑)、パトロールに行きました。
「どこが痛いですか?」
これといって痛くなかったので、膝全体に湿布をして帰りました。

この時は、また来週来れるだろう位の怪我だと思ってました
「来週は攻めない様にしないとね。」なーんて会話してましたから・・・。

あの衝撃は何だったんだろう・・・?



第二話
「診察」

翌日、膝が腫れてる気がする。
膝が曲げにくいというか、曲がらないというか、とにかく普通じゃないので、
ビッコをひきながら会社へ行き、会社の近くの大きな病院へ行きました。

レントゲンを撮ってみると、
「骨には異常ないね。」
と一安心。
したのも束の間、膝に大きな注射器をブスっと刺し、
ちゅーっと膝の中から液体を吸い取って行ゆきます。

い、痛い・・・。

痛いのもさることながら、注射器を満たして行く真っ赤な液体を見てビビるのでした。

針を残してもう一本の注射器をセットすると今度は、液体を注入し始めました。
「痛み止め注射したから、楽になると思うよ。」
元々痛くないから、麻酔を注入してる方が痛いです。

「レントゲンでは分からないから、MRIを撮って、もう一度診察に来てください。
 いつが良いですか?」

え?今、とっても忙しくて週のほとんどは金沢だからどうしよう・・・。
と思いましたが、身体優先と思い、出来るだけ早くお願いしました。
仕事はなんとかなるさ。多分・・・。



第三話
「MRI」

早速その翌日の夕方、
渋谷にあるMRIやCT専門の医院で、MRIを撮ることになりました。
JRは最近エスカレーターやエレベーターの設置を進めているので、これは良い事です、

が、会社のある駅では、その当時まだエレベータもエスカレータもありませんでしたから、
かなり恨みました。
自分が不自由な身体にならないと、こういう設備に気が回らないものですね・・・。
特に膝が悪いと、登りのエスカレータなんかより下りを作ってくれと思います。

それはさておき、小一時間ほど待たされると、
検査着に着替えさせられMRIの機械のある部屋に導かれました。
ヘッドフォンをさせられるとそこからは心穏やかになる様な音楽が流れてきます。
身体も毛布でくるまれ良い気持ちです。

そしてスタッフが部屋から出ると、轟音と共に撮影が始まりました。
20分くらいでしょうか、轟音にもかかわらず毛布でつつまれていたので、
うとうととしていたら終わりました。

「ごめんなさい。最後の方でシステムがダウンしちゃって・・・。
 今立ち上げ直してるんだけど、多分撮れてると思うけど、
 ダメだったらもう一回撮るので、このまま(検査着)待ってて下さいね。」

ふーん。こういう機会もシステムが落ちる時あるんだ〜と、
妙な所で感心しながら待っていると、どうやら無事撮れていた様でした。

MRIを撮り終わり帰路に着くと、ちょうど夕方のラッシュ時間でした。
山手線はかなり混んでいて、このまま乗って行くのは危険極まりないので、
原宿で降りて地下鉄に乗り換えて帰りました。

家に帰って、現像された写真を見てみるのですが・・・自分で見てもさっぱりです。
切れてなければいいな・・・。



第四話
「診断」

受傷後4日目の木曜日、
この病院では木曜日と金曜日が膝の専門の先生の外来担当です。

ブルガリのダイバーズウォッチをしたE先生はMRIの写真をシャーカステンに並べ、
もう一人若い先生と小声で話をしています。
若い先生「ああ、ここですね。」とMRIの写真を指さしてつぶやきます。
・・・やめて欲しい。医者同士で話すのは怖いんだから・・・。

E先生が、膝下を抱えて色々な方向に引っ張ると、続いて若い先生も同じ様に引っ張る。
実験台かっつーの。

そして、
「前十字靱帯が95%の確率で切れてますね。」
がーん!やっぱぴ?覚悟はしてたけど、ホントに切れてるなんて(泣)。

「前十字靱帯というのは一度切れてしまうと、特別な場合を除いては自然治癒しません。
 また、切れた箇所がモップの先の様になって、つなぎ合わせる事が出来ないので、
 人工靱帯をベースにした手術になりますが、どうしますか?」

どうもこうも手術する。するったらする。
と、切れていたら手術すると心に決めていた。なので、

「スポーツをしないのならばこのまま・・・」

と言われかけた所で、まだまだモーグルしたい自分は、「手術します!」と断言しました。

「では、日程を決めましょう。仕事は休めますか?」

休めます、休んでみせます。

病院では、この日も膝の液体を抜いて、手術の日程を決め、手術前検査(血液検査などなど)をして、
入院の予約をして会社に戻りました。

そして、会社に戻ると、プロジェクトのリーダと部長と関係者に、
「入院・手術する事になりました。ご迷惑をおかけします・・・。」
と報告し、ハマリかけたプロジェクトから合法的に足を洗う事が出来ました(^_^;)。



第五話
「入院」

靱帯を切って一ヶ月位は、急性期という状態で、
膝が血液混じりの液体で腫れてしまう状態なのだそうです。

この腫れが引くまでは手術が出来ないので、
約2週間装具という金属入りのサポーターを巻いて過ごしました。

そして入院当日、父親が運転する車で病院へ行き、母親と一緒に入院手続きをしました。
(久々に家族で車に乗ったなあ・・・。)

病室には相変わらずブルガリのダイバーズウォッチが光るE先生がいました。

病室の入り口で、がたいの良い兄ちゃんと話をしています。
「2週間ぶりに歩いた感じはどう?」
とか話してます。

後で聞くと、この兄ちゃんはラグビーの練習で右膝内側側副靱帯を切ってしまい、
靱帯の縫合手術をして、2週間ギブスで固定していたそうです。

手術後二週間で、やっと歩けるんだ? と入院はじめからビビらされました。

4人部屋の病室には、この兄ちゃんと、カーテンを閉め切っている50代とおぼしき人がいました。
そして、自分のベッドは、窓際の良いポジションにありました。
そこには、名札がかかっていました。



昨日まで普通に社会生活をしていたワケですから、入院してもかなりヒマです。

昼食をとって「笑っていいとも」を見たりして過ごしてます。
ああっ!祝日でもないのに、笑っていいともが見られるなんて、ちょっと嬉しいかも。
なーんてのんきに構える自分なのでした。

しばらくすると、再びブルガリの・・・(って、もういい?)E先生が来て、
膝を診てくれました。
「やっぱユルユルだな。それに関節固くなっちゃったから、手術前にリハビリ開始しよう。」

ここ2週間ほど、金属入りのサポーター(装具)を付けていたので、
関節が固まってしまったそうです。
そこで、CPMという機械で強制的に曲げ伸ばしの運動をすることになりました。

でも、この機械の運動、う、うーん?って感じです。
膝が思い切り伸びてるとも曲がってるとも感じないんですけど・・・。
動かす事に意味があるんでしょうか?

夜は9時30分で消灯です。
ってえ、眠れるワケないじゃん。
なので、窓の外に見えるオレンジ色にライトアップされた東京タワーを眺めているのでした。





第六話
「入院二日目」

今日は、明日の手術と手術後に向けて、
・車椅子の乗り方
・松葉杖の使い方
・手術の説明(インフォームドコンセント)
・手術に必要な物の説明(T字帯)
・レントゲン
・CPM
・麻酔科の先生からの説明
・手術前の入浴
がありました。

これを期にしばらくお風呂に入れなくなるのは辛いな〜。

それと列挙すると色々やっている様に見えますが、
個々はどれも短時間で終わってしまい、後は病室にいるしかないのでヒマです。
超ヒマなので、腹筋とか筋トレをしてますがそれでもヒマです。
プレステ2持ち込めば良かった・・・怒られるか(笑)。

説明から戻ってくると、隣の兄ちゃんが
「昨日、前十字の手術した人いるんですけど、かなり痛いみたいですよ。」
・・・手術前に不安な情報をありがとう。



第七話
「手術当日」

午後からの手術に向けて点滴が始まりました。
まず、左腕の手首から15cm位の所に点滴用の針を刺します。
この針につながっている管の先に色々な点滴をさせる仕組みになっています。



かなりの量の点滴と抗生物質の点滴がありました。

最後のトイレを済ますと、下はT字帯という”ふんどし”の様なのに履き替えます。

手術の20分前になると、麻酔が効きやすくする注射を腕に筋肉注射をうたれます。
これがかなり痛い。うった後も筋肉痛の様な痛みがずっと続く嫌な注射でした。

しばらくすると、ちょっとボーっとしてきて気持ちいい・・・。
と思ってると、ストレッチャーが病室に運び込まれました。

よくドラマとかで出てくる病院内を人をかき分け手術室に運び込むアレです。
病室を出る時に部屋の人に「頑張って」と声をかけられます。ちょっと励みになりました。

廊下で待つ母親に声をかけられ、エレベータに乗ります。ドラマでやっている通りです。
そして、中央手術室と書かれた部屋の自動ドアが開き、手術室へと入って行きました。
そこにはいくつも手術室がありました。

その一つに入り、ストレッチャーから手術台に移し替えられました。
人の幅ほどしかない手術台に乗り、辺りを見渡しました。

天井にはこれまたドラマで良く見るライト、床は黒っぽい床材、
ボンベやら機械やら並んでい。ました。

ここまでくるとかなり緊張してきます。(っていうか、ここまでこないと緊張しない自分。)

心電図のセンサー、血圧のセンサーなどが身体に装着されました。
ああ、いよいよ手術開始なんだ・・・。

まず麻酔についての説明がありました。
「背中を三回消毒した後、布をかぶせて局所麻酔します。そのあと腰に麻酔を入れます。」
との事なので、昨日麻酔科の先生の説明の通り、横向きになって膝を抱える体勢になりました。

背中全体に消毒薬を塗るので、ひんやりします。
そしてちくっとした痛みがあり、局所麻酔が終わりました。

「麻酔が効いてますから痛くないですよ〜。ぐいぐい押される感じなので我慢して。」
痛くないんだ・・・というか、もはやまな板の鯉なので、どうにでもしてくれって感じです。

確かに痛くはないですが、グイグイという感触が背骨に伝わってきて怖いです。

ん・・・なんか手間取ってる。
そのうち関係ない右脚に強烈な、まるで電気が流れたような感覚があって
ビクンビクンと右足が勝手に痙攣しました。

「大丈夫!?どうしたの!?」
「右足に電気が走りましたあ。」
と答えると、なんか麻酔医2人が話し合っています。
医者のひそひそ話ほど怖いものはありません・・・。

そして再びグリグリやり始めたのですが、再び激しく電気が走って痙攣しました。
もう不安で不安でたまらなくなってきました。

心電図から聞こえる「ピッピッピッ」っていう音の間隔がどんどん早くなってるのが分かります。

「余計な所に当たってるみたいだなあ。場所変えよう。」
・・・ってをい。さんざん、いじくり回して場所変えるのかよ!

またしても背中にぐりぐりと押し込められる感覚があったと思ったら、またまたビクン!

「血圧降下、70の34です。」
「そりゃまずいな・・・。」
って、をを〜〜い!
こっちはちゃんと意識あるんだから、不安にさせる事、堂々と言わないで下さい。マジで。

ようやく若い麻酔医師からもう一人の麻酔医師にバトンタッチし、ようやく麻酔は成功したようです。

「もう、いじらないから大丈夫。左脚が温かくなってきたでしょう?」
「・・・右のお尻が熱いです・・・。」
「ふむ・・・。」
何が、ふむだー。ちゃんと説明してよ(泣)。
時計を見ると手術室に入って45分が経過していました。

不安のせいか荒い呼吸でしたが、それでも麻酔が効いてきたのか左足が重くなり、
手術台に仰向けに寝かされ、両腕を縛りつけられ、マスクをつけられました。

左脚を膝立てさせられ何かしてる・・・
「眠くならない?」
「はい〜。」
と答えてましたが、ゆっくり呼吸してと指示を受けているうちに意識がなくなりました。

・・・・・・。

どれくらい経ったのでしょうか?
悪夢を見た後の感覚に見舞われ、ガバッっと起き上がろうとしました。

その瞬間、看護婦数名に押さえつけられ、自分がどんな状態なのか徐々に理解してきました。
そうか・・・手術を受けていたんだっけ・・・。
時計を見ると4時間が経過してました。
ボーっとした視界の中で、後処置が行われ、再びストレッチャーに乗せられて病室に戻りました。

途中、待機していた母親に声をかけられました。
「どうだった?」
「大丈夫、ありがとう。」
って会話をした様な気がしましたがあまり覚えてません。

ただ寒かった事だけが印象的でした。
病室では電気毛布に包まれ、小一時間ほど再び寝てしまいました。

暑さで目が覚めました・・・そりゃそうだ、電気毛布に包まれているんだもん。
喉が渇く・・・麻酔の影響だと思うけど、とにかく口の中がカラカラで、超唇カサ子になっています。
脚が自分の脚でない位痺れて感覚がありません。
その割には膝の裏から腿の裏にかけて、なんともイヤ〜な鈍痛があります。


酸素マスクを付けてただただ横たわるしかない状態です。
夜7時位でしょうか、流動食(つってもミロみたいなの)を看護婦さんが暖めてきてくれました。
ストローで飲むと、あちー!熱すぎです。
でも昨晩から絶食だったので、スグ飲んでしまいました。

この日は看護婦さんが数時間おきに見に来ます。
来ては左足先を触って、痺れてませんか?と聞きます。
しかし、すごく痺れてます。正座した足を触られている感覚です。

すると今度は、触ってる感触はありますか?と聞きます。
それは分かりますというと、
「気が付いた時でいいから、なるべく指先を動かして下さいね〜。」
と言って、熱を記録して戻って行く、という繰り返しでした。

痺れた感触がイヤで、とにかく指先は動かしまくりました。

鈍痛が苦しくて、ひたすら我慢していましたが、その我慢のせいか、今度は胃が痛くなり、
夜中に見回りに来た看護婦さんに告げると座薬を入れるとの事でした。

この時はもう恥ずかしいとかそういう事より、この苦痛から解放されればいいという気持ちで、
素直に受け入れました。

でもそんなに効かなかった・・・もう2度と手術なんかしたくない。
そう心の底から思いました。



第八話
「手術後1日目」

朝起きるとトイレに行きたくなりました。
腰には麻酔の管、膝にはドレーンと呼ばれる膝の中から余計な体液を排出する管、
あそこには尿管が刺さっているので、かなり不自由です。

看護婦さんからは、動いちゃダメと言われてますが、トイレ行くのにナースコールも
イヤだなーと思ったので、管一式をまとめ、首から下げ、車椅子に乗り移りトイレに向かいました。

トイレが終わる頃、看護婦さんが心配そうに来ました。
そこで、もう動けるから尿管外して欲しいと言って、尿管を外してもらいました。
しかし、それが痛いのなんの。これも、もう手術したくないと思う要因の一つです。

車椅子で病室に戻り、自由にならない痛い足をかばいつつも、
ひょいっと車椅子からベッドに乗り移りました。
すると看護婦さんが、
「軽快ですね〜。」
と言いました。
軽快?老人を相手にする方が多いからかな〜?とちょっと不思議に思いました。

朝はお粥を食べ、ひもじい思いですが、足が痛いので横たわっているとE先生が見回りに来ました。
「どうですか?」
「痺れてます・・・。」
「手術中ココ(腿)を縛ったから、痺れてるけど、しばらくすれば治りますから。」
そうなんだ。
「足上がりますか?」
と言われるままに、思い切り左足を上げると、
「おお!すごい。手術直後は思う様に動かないんですけど大丈夫ですね。」
と言って、手術後初めて包帯を取って消毒を始めました。
自分も初めて手術した後の左足を見ます。

ひえ〜、縫ってる所が気色悪〜、膝下なんかホチキスでとまってるよ〜。
かなりグロイです。消毒液の茶色も加わってあんまり見たくない光景でした。

「今日からリハビリをします。膝の上の筋肉に力を入れる様にして下さい。」
へー!?今日からリハビリなんだ。
痛いけれど早く復帰したいので一生懸命膝上の筋肉に力を込めました。
・・・込めましたがあまり力が入りません。
でもやれる気力がある限り力を入れる練習をしていました。



第九話
「手術後2日目」

この日から、再びCPMによる膝の曲げ伸ばしの運動も加わりました。
手術前あんなに何ともなかった膝が90度曲げるだけでも怖い感じがします。
まだ痺れてるし・・・。

この運動で包帯がゆるんだので看護婦さんに巻き直してもらう時、腿の裏を見たのですが、
真っ黒になってました。
手術の時、きつく縛った為にアザになっているのです。
看護婦さんも、これはひどいね〜。手術時間かかったからかな〜?って言ってました。

その後はやる事もなく、ぼーっとTVを見ていると、カーテンの隙間から見覚えのある顔が・・・。
はて・・・どこで見たんだっけと迷ってしまいました。
なぜなら、東京、ましてや病院で見るワケがないと、
キョトンとしてしいるうちに、はたと気が付きました。

なんとCさんが、奥さんと子供2人連れてお見舞いに来てくれました。

なんで分かったんだろーっていうか、なんで東京に?
という話をしました。
仕事で東京に来たついでに寄ってくれたそうです。

入院後、母親以外初めての来客なので、ビックリもしましたし、感激しました。
お茶と安倍川餅までいただいちゃって、ありがとうございました。

その他、入院中お見舞いに来てくれたみんな!ありがとう!



第十話
「病院・その後」

「手術後3日目」
腰の麻酔に続いて、ドレーンが取れました。
もう自分の自由を奪う管はくっついていないので、車椅子ではなく、
松葉杖で移動する事にしました。
左足も痺れは残っているものの、痛みもあまりなく動くには問題ないみたいです。

こーなると猛烈にお風呂に入りたいのですが、とりあえずシャンプー台でシャンプーだけ・・・、
なんですが、実はまっぱになって、左足をあげて、身体もシャワー浴びてました(^_^;)。

看護婦さんが回ってきて、「身体拭きましょうか?」って言われるのですが、
それがイヤだったのと、シャワーのが気持ちいいから。バレたら怒られますけど。

「手術後4日目」
この日から、リハビリ室でリハビリです。
最初は、足の筋トレという地道なリハビリから始まります。

リハビリ室では、同じ手術をした20代の男性が2人、10代の女性が1人いました。
2〜3日手術日が違うだけで、結構回復しているのを見ると勇気が湧きました。

「手術後6日目」
そろそろ世間ではクリスマスモードです。
病院の面会室のガラスにもサンタやトナカイが描かれ、植木には装飾が施されています。

夕方、館内放送が流れ、面会室で何やらイベントがあるみたいです。
病室にも手作りのクリスマスカードを看護学校の生徒が配って回っています。

時間になり、面会室に行くと、看護学校の生徒20名ほどでクリスマスソングの
合唱会が行われました。



こういの見ると、更に偉いな〜って思います。
看護婦さんってすごく大変そうだもん。



第十一話
「退院」

年も押し迫ったとある日、退院の日が来ました。
朝、CPMの運動が終わると、処置室で抜糸が行われました。

抜糸って痛そうですが、ちくっとした感じでほとんど痛くありません。
膝の下のホチキスもホチキス抜きでひょいひょい取って行きます。

消毒をして包帯をしてお終いです。とても簡単でした。

部屋の荷物をバッグに詰め、松葉杖を借りて、病室の人たちに別れを告げて
病院を後にしました。

親は迎えに来るって行ってたけど、道路混んでるし、
まあなんとか帰れるかな?って感じだったので一人で電車で帰る事にしました。

松葉杖をしてますが基本的に電車に乗っても基本的に他の乗客は無視ですね。
こっちも変に気を遣われるのがイヤなので、いいですけど・・・。

久々に家に着きましたが、なんとも階段が急な事!
入院前には気が付かなかった段差がとても気になります。
バリアフリー住宅が良く宣伝されるワケだな〜って思いました。



第十二話
「退院後のスキー」

スキーするなよって感じですが(^_^;)、やりましたとも。
退院後二ヶ月で蔵王(バカ丸出し)。

でも、本当は自分は温泉入りにいっただけなんですけど、目の前に雪山があると
ついついって、道具持って行くなって?ごもっともなんですが、せっかくだしー(何が?)
それに樹氷見るのに必要かな〜〜〜?って(笑)。

さすがに左膝はテープと装具で固めて、コブは避けてなるべく右足で滑りました。
なんとか滑れちゃうから感動でした。

しかし悲劇はスキーとは関係ない時に起きました。



第十三話
「痛い!痛いよー!」

術後4ヶ月も過ぎようとしているある日の事。
膝の状況は、すこぶる好調で曲げ伸ばしも全く問題ないし、
軽いランニングも出来る位まで回復していました。

病院の定期検診でも、スポーツ(スキー含)も様子を見ながらOK
という承諾を貰ってました。
なので、東京からはなれたリゾート地で数時間身体を動かし、
プールで1時間ちょっとクールダウンついでに泳いだりしていました。

プールを上がると、左膝の上がちょっと痛いのですが、
自分的は、筋肉痛かな?という痛みでした。

しかしその痛みは時間と共にどんどん強くなって行きました。
途中までは筋肉痛と軽く考えていましたが、夕食を終える頃には
歩くのも困難な程痛くなっていました。

膝が腫れてしまったのです。
ハッキリと分かる程膝がパンパンになっています。
こうなると痛くて仕方ありません。

とにかく明日一番で医者に行くことにしました。
その夜は、痛みでほとんど寝る事が出来ませんでした。

朝になりベッドからはい出すと、更に痛みは増していて、
左足を地面にふれるだけで激痛です。
右足でぴょんぴょんと飛びはね、ホテルのフロントで近くの整形外科を聞きました。

30分車を飛ばして、やっと整形外科にたどり着きました。

8時30分からなのですが、到着した8時35分には
待合室は多くの患者さんであふれていました。

検査だけの人がほとんどで、診察料70円とかを聞くと、
こっちは痛いんだけどな〜と思って、何度かひどい痛みを訴えてみても、
いてもこの状況ではどうにもならない様です。

なのでひたすら我慢し、順番を待ちました。
2時間ほど待ってやっと名前を呼ばれました。

そして、レントゲンを撮った後、診察室でおもむろに膝に注射を差し込まれました。
注射器に収まりきらない血は、シャーレにあふれ出します。

膝の周りを押して血をひとしきり抜き終わると、先ほどまでの激痛は
かなり収まった様でした。

湿布と飲み薬を貰い、その日は戻りました。
でも、あんだけの激痛を一晩感じ続けたからかなり炎症起こしているみたいで、
しばらく膝は痛かったです。

東京に戻り、主治医の先生に診てもらった所、
再建した靱帯がまだ定着してなくて、傷がついたんだろうの事。
腫れを引かせるのが第一だそうでした。

その後、4回4週に渡って血を抜くハメになりましたが、
今はやっと元に近い状態に戻りました。

リハビリの運動は控えめにした方がいいですね・・・はい。



最終回(多分)
「そして1年」

本格的に滑って来ました。それもカナダで(笑)。
なんですが、出国の一週間前になって何故か膝が腫れたんだです。
痛くは無いのですが、曲がらない・・・。
土曜日に病院に行くにも専門医がいないから、木曜まで放置です。

木曜日、病院に行った時には既に腫れが随分引いてました。
っていうか、E先生じゃないっ!E先生どうしちゃったんだろう・・・?

とにもかくにも週末出発のカナダが心配で、海外にスキー行っても大丈夫かどうか聞きました。
「遊びだよね?じゃあ加減出来るでしょう?ほどほどなら大丈夫だよ。」
とおっしゃって下さいました。
・・・しかし・・・自分にほどほどに滑る事なんか出来るんだろうか?
目の前に素敵なコブや急斜面やツリーランが待っていたら、
多分、いや、きっと全力で滑るに違いない・・・という心配よぎりました。

ま、実際は膝よりもシーズン初めの筋肉痛に苦しんだんですけどね(^_^;)。
膝はまあ、ちょっと腫れたので、帰国後病院に行ったら、20ccほど水が抜けました。

そして程なく日本でもシーズンイン。
エアは自粛してるし、ヒールキックとかなんとなく膝にヤバそうなのはしないで、
とにかくズラしまくって、抑えて抑えて滑ってます。
・・・これって、練習になるかもって思ったりして・・・ならない(笑)?



「2003-4シーズンを終えて」
正直な話、シーズン初めはかなり膝が心配でした。
左足が外側になる右ターンが怖くて怖くて、上手く滑れませんでした。
それに最初1本目は、膝の中に違和感を感じていて、ごまかしごまかし滑ってました。
2日目は少しはマシになるので、攻めることは出来たのですが、膝が腫れてしまってたのです。

膝の曲がりが悪くなって正座も和式トイレも無理なのですが、膝の医者のいる木曜日になると
かなり腫れがひきます。こんな状態で病院に行っても、シップされるだけか、
プンク(膝から注射器で液体を抜き取る)されたら余計痛くなるので、
病院に行かず、また週末にスキーに行くという事を繰り返してました。

3月頃でしょうか?
かなりせめても膝の腫れが無くなり始めたのは。
それからはケガする前と同じ位の気持ちに戻ってきました。「怖くない。」と。

とはいえ、一日コブを滑ると腫れはしないもの、膝のまわりが痛くなるのは残りました。
これは仕方ないのかもしれません。

でも、ほとんど元通りに滑る事が出来る様になって本当に嬉しかった。
そんなシーズンでした。



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