おかえり.jp 放哉 孤高の詩 一句拝掌(最新の俳句) 愛句連々(過去に紹介した俳句) 放哉年譜

愛句連々

尾崎放哉の俳句をイラストと一緒にご紹介します.



わが顔ぶらさげてあやまりにゆく

WAGAKAO.GIF

須磨寺時代の作品。

年をとると共に、人に頭を下げることがおっくうになる方が多くなっているようです。『実るほど頭を垂れる稲穂かな』と、親から子供に口を酸っぱくして言っていた時代も今は昔。虚勢を張って自分の誤りを認めず人の非ばかり責める親と、それを見て育つ子供と。
 『君子豹変す』という言葉も、本来は「本当の人格者は自らの誤りを素直に認めて改心することによりさらに人格を高めていくので傍目には極度に人間が変わっていくようにみえる」という意味なのに、「(良かろうと悪かろうと)周りの状況に応じてころころ変われるのが立派な人間なんだ」と誤解され、果ては心変わりの言い訳にもされている始末。まあ愚痴はこのくらいにして・・・
 この句は、なんとも子供っぽいというか情けないといおうか、放哉の「またやっちまった」という思いが一種ユーモラスに表れています。

どんな過ちをしでかしたのかはわかりません。深酒の上の失態か、檀家への何かの不始末か。それも一度や二度というものではありますまい。
 もう顔向けできない、という恥ずかしさ、自分に対する怒りと情けなさで、放哉は思います。この首から上についているものは、人間様の頭ではない、単なるまぬけな畜生のような無意味な頭がぶらさがっているのに過ぎないのだ。そう思ってとぼとぼと謝りに行く放哉。

人間、いくつになっても過ちはしでかします。自分の非ばかりでなく、自分の子、部下、教え子の為にやむを得ず頭を下げることもあるでしょう。そんな時にはこの句を思い出しながら、素直にその顔をぶら下げて謝りに行こうではありませんか。

もちろんそんな人の過ちを許すのもまた人の道。さてさて、この放哉が行った先の方は、すぐ許してくれたのでしょうか。


★放哉の他の俳句にもご興味のある方はこちらへ → 愛句連々(過去に紹介した俳句)

         


☆本ページはリンクフリーです。放哉を心行くまで味わいましょう。