おかえり.jp 酒と山頭火(ホーム) 山頭火の俳句 これが山頭火 山頭火の一生 尾崎放哉 管理人紹介

山頭火

山頭火の日記から


後ろ姿の山頭火

 山頭火には「日記魔」の一面もありました。ここでは山頭火の日記の一部をご紹介しながら、その人となりに迫ってみます。

 参考文献は 「山頭火文庫春陽堂 です。



         

昭和五年九月十四日

晴、朝夕の涼しさ、日中の暑さ、人吉町、宮川屋(三五・上)
 …(略)…
 単に句を整理するばかりぢゃない、私は今、私の過去一切を清算しなければならなくなってゐるのである、ただ捨てても捨てても捨てきれないものに涙が流れるのである。
 私もやうやく『行乞記』を書き出すことが出来るやうになった。

 私はまた旅に出た。
 所詮、乞食坊主以外の何物でもない私だった、愚かな旅人として一生流転せずにはゐられない私だった、浮き草のやうに、あの岸からこの岸へ、みじめなやすらかさを享楽してゐる私をあはれみ且つよろこぶ。
 水は流れる、雲は動いて止まない、風が吹けば木の葉が散る、魚ゆいて魚の如く、鳥とんで鳥に似たり、それでは、二本の足よ、歩けるだけ歩け、行けるところまで行け。
 旅のあけくれ、かれに触れこれに触れて、うつりゆく心の影をありのままに写さう。
 私の生涯の記録としてこの行乞記を作る。

まず、日記の一行目にある()内の意味です。
 山頭火は、その日に宿泊した宿屋の代金とそのグレードをほとんど必ず日記に書いています。この日は35銭で、居心地の良い宿屋だったことがわかります。

さて、あてのない旅に出てから5年目くらいの時の日記ですが、彼は過去に作った俳句を整理しながらいろいろ感傷に浸ったようです。山頭火はこれまでに何度か衝動的に日記を焼き捨てているのですが、ここではあらためて『行乞記』ということで日記を記録していこうと決意しています。
 「みじめなやすらかさを享楽してゐる私をあはれみ且つよろこぶ」という一節には、山頭火が流浪する自分をみじめと思いながらもそれを楽しむもう一方の自分がいる、という矛盾がよく表れていると思います。普通の人々のように暮らそうとしてもかなわず、僧として生きようとするのにも耐えられず、自らアウトローになってしまったことを否定も肯定も出来ずにただ漂う山頭火。日記の後半で詩情豊かに想像の羽根を広げようとすればするほど、その虚しさが深まっていくようにも感じられます。これから九州行脚の旅が始まるのです。


昭和五年九月十六日

曇、時雨、人吉町行乞、宮川屋(三五・上)
 けふもよく辛抱した、行乞相は悪くなかったけれどそれでも時々ひっかかった、腹は立てないけれど不快な事実に出くわした。
 人吉で多いのは、宿屋、料理屋、飲食店、至るところ売春婦らしい女を見出す、どれもオッペシャンだ、でもさういふ彼女らが普通の人よりも報謝してくれる、私は白粉焼けのした、寝乱れた彼女からありがたく一銭銅貨をいただきつつ、彼女らの幸福を祈らずにはゐられなかった、——不幸な君たち、早く好きな男といっしょになって生の楽しみを味わひたまへ!
 ……(略)……

一昨夜も昨夜も寝つかれなかった、今夜は寝つかれる(のは)いいが、これでは駄目だ、せっかくアルコールに勝てても、カルモチンに敗けては五十歩百歩だ。
 二三句出来た、多少今までのそれらとは異色があるやうにも思ふ、自惚れかも知れないが。——

 かなかなないてひとりである
  一すぢの水をひき一つ家の秋
  焼き捨てて日記の灰のこれだけか

今日は行乞中悲しかった、或る家で老婆がよちよち出て来て報謝して下さったが、その姿を見て思はず老祖母を思ひ出し泣きたくなった、不幸だった——といふよりも不幸そのものだった(。)彼女の高恩に対して、私は何を報ひたか、何も報ひなかった、ただ彼女を苦しめ悩ましただけではなかったか、九十一歳の長命は、不幸が長びいたに過ぎなかったのだ。

山頭火は、生活のために体を売らなければならない女たちにも共感せずにはいられません。彼女らは決して心まで堕ちているのではない、むしろ外見や世間体のみを気にする女よりも美しい内面があるのだよ、それを誇りにして生きていくんだよ...山頭火の仏心が光ります。 自分もそうあるべし、と言い聞かせながら。

日記の後半では、ふとしたことから老祖母への感慨を新たにします。 ——親父と俺が名家「種田」を潰れさせ、悠々自適の筈だった祖母の晩年を不幸の中に過ごさせてしまったのだ。そしてそれに対する恩を返す前に祖母は亡くなり、もう永久にこの罪は消えることはないのだ。——
 この業(ごう)を死ぬまで負わなければならないことを山頭火はひしと感じるのです。この荷物の何と重いことよ。 このような想いが山頭火の眠りを妨げているのでしょうか。 山頭火の酒は一時的に悩みを忘れさせ、眠りに導いてくれる安眠薬でもあったのでした。


昭和五年九月二八日

曇后晴、生目社へ。

お昼過ぎまで大淀 − 大淀川を東に渡ったところの市街地 − を行乞してから、誰もが詣でる生目さまへ私も詣った、ちっぽけな県社にすぎないけれど、伝説の魅力が各地から多くの眼病患者をひきつけてゐる、私には境内にある大楠大銀杏がうれしかった。
 ……(略)……
 今日はしっかり労れた、六里くらいしか歩かないのだが、脚気がまた昂じて 、足が動かなくなってしまった、暮れて灯されてから宿に帰りついた、すぐ一風呂浴びて一杯やって寝る。
 ……(略)……
 昨日、篤心らしい老人の家に呼びいれて、彼岸団子をいただいたこと、小豆ぬり、黄粉ぬり、たいへんおいしかったことを書き漏らしてゐた、かういふ場合には一句なければならないところだ。

これは闘牛児さんの話である。氏の宅の井戸水はおっとりとした味を持ってゐる、以前は近隣からもらいにくるほどの水だったさうなが、厳父がヨリよい水を求めて掘り下げて却ってよくない水としたさうな、そしてまたそれを砂利で浅くして、やうやくこれだけの水が出るやうになったとのことである、このあたりは水脈が浅いらしい、とにかく、掘りさげて水がわるくなったといふ事実は或る暗示を与へる、どん底まで掘ればいいが、生半端まで掘っ たところよりも、むしろ浅いところによい水が湧くこともあるといふことは知っておくがよからう。
 ……(略)……

 途上即事
 笠のいなごの病んでゐる
 死ぬるばかりのいなごを草へ放つ
 放ちやるいなご動かない

今夜同宿の行商人は苦労人だ、話にソツがなくてウルホヒがある、ホントウ の苦労人はいい。

ここでの山頭火の秀逸は、井戸水の話でしょう。

「どん底まで掘ればいいが、生半端まで掘ったところよりも、むしろ浅いところによい水が湧くこともある」ということは、すなわち何事も「ほどよい」ということがあるということでしょうか。人間も同じですね。
 また、人為的になんとかしようとしてさらにおかしくしてしまう、人間の愚かしさも暗に指摘しているようです。自然保護を謳いながら、結局環境を破壊してしまう河口堰工事とか・・・おっと話が変なところにいってしまいました。

この井戸水の話によって、自らも小賢しいことをあれこれ考えず、自然に生きよう、「如愚」に徹しよう、山頭火はそういう気持ちになったようです。
 それから「話にソツがなくてウルホヒがある、ホントウの苦労人はいい。」というところも、深い印象を与えてくれます。こう言われるようになりたいものです。


昭和五年十月一日

曇、午後は雨、伊比井、田浦といふ家(七〇・中)
 よう寝られて早う目が覚めた、音のしないやうに戸を繰って空を眺める、雨かも知れない、しかし滞留は財布が許さない、九時から十一時まで、そこらあたりを行乞、それから一里半ほど内海まで歩く、峠を登ると大海にそうて波の音、波の色がたえず心身にしみいる、内海についたのは一時、二時間ばかり行乞する、間違ひなく降り出したので教へられた家を尋ねて一泊を頼んだが、何とか彼とかいって要領を得ない(田舎者は、yes noをはっきりいはない)
 ……(略)……

労れて宿に着いて、風呂のないのは寂しくもあり嫌でもある、私は思ふ、日本人には入浴ほど安価な享楽はない。
 朝夕の涼しさ、そして日中の暑さ。
 今日この頃の新漬-菜漬のおいしさはどうだ、ことに昨日のそれはおいしかった、私が漬物の味を知ったのは四十を過ぎてからである、日本人として漬物と味噌汁と(そして豆腐と)のうまさを味わひえないものは何といふ不幸だらう(さういふ不幸は日本人らしい日本人にはないけれど)。
 酒のうまさを知ることは幸福でもあり不幸でもある、いはば不幸な幸福であらうか、『不幸にして酒の趣味を解し……』といふやうな文章を読んだことはないかしら、酒飲みと酒好きは別物だが、酒好きの多くは酒飲みだ、一合は一合の不幸、一升は一升の不幸、一杯二杯三杯で陶然として自然に同化するのが幸福だ(ここでまた若山牧水、葛西善蔵、そして放哉坊を思ひ出さずにはゐられない、酔うてニコニコするのが本当だ、酔うて乱れるのは無理な酒を飲むからである)。

今日、歩きつつつくづく思ったことである、− 汽車があるのに、自動車があるのに、歩くのは、しかも草鞋をはいて歩くのは、何といふ時代おくれの不経済な骨折だらう(事実、今日の道を自動車と自転車は時々通ったが、歩く人には殆ど逢はなかった)、然り而して、その馬鹿らしさを敢て行ふところに、悧巧でない私の存在理由があるのだ。
 自動車で思ひ出したが、自動車は埃のお接待をしてくれる、摂取不捨、何物でも戴かなければならない私は、法衣に浴びせかけられた泥に向かっても合掌しなければならないのだらう。
 ……(略)……

泊めてくれない村のしぐれを歩く
 こころつかれて山が海がうつくしすぎる
 岩のあひだにも畠があって南瓜咲いてる
 波音の稲がよう熟れている
 蕎麦の花にも少年の日がなつかしい
 労れて足を雨にうたせる

山頭火の日記の中でも、かなり山頭火の気持ちが表に出ているところではないかと思われます。

まず、山頭火は『田舎者』に対しては腹に一物あったようです。山頭火は都会暮らしがわりと多かったこともあり、田舎特有の「はっきりものをいわないこと」「よそ者にはつめたいこと」「道案内がへたくそであること」などを随所で言っています。大正末期から昭和初期の田舎の閉鎖的な社会に憤りを感じていたようです。後に、川棚温泉に庵を構えようとしてさんざんの目に遭い、『狡猾な田舎者』という表現までしました。

また、風呂、漬け物、味噌汁、豆腐というものを心から賛美している、純日本人的なところもあります。ここまで日本文化の悪い点、良い点について実に言い得て妙ではないでしょうか。

そして酒のことですが、ここでは名言が多いです。
 『酒のうまさを知ることは幸福でもあり不幸でもある、いはば不幸な幸福であらうか』
 『酒飲みと酒好きは別物だが、酒好きの多くは酒飲みだ、一合は一合の不幸、一升は一升の不幸』
 『一杯二杯三杯で陶然として自然に同化するのが幸福だ』
 『酔うてニコニコするのが本当だ、酔うて乱れるのは無理な酒を飲むからである』
などは、のんべえなら「その通り、その通り」とうなずくところでありましょう。酒を愛し、酒を飲み飲まれていた山頭火ならではです。

最後に、時代の流れに取り残されている自分を、自動車や汽車を使わずに自分の足で歩いていることになぞらえて見つめていること、しかしそういう自分をただ愚痴るだけではなくて、そういう現実をあるがままに受け入れようとする山頭火の真摯なところに、やはり私は惹かれてやみません。


昭和五年十月四日

曇、飫肥町行乞、宿は同前(注:橋本屋 三五・中)

長い一筋街を根気よく歩きつづけた、かなり労れたので、最後の一軒の飲食店で、刺身一皿、焼酎二杯の自供養をした、これでいよいよ生臭坊主になりきった。
 この地方には草鞋がないので困った、詮方なしに草履にした、草履といふものは無論時代おくれで、地下足袋にすっかり征服されてしまったけれど、此頃はまた多少復活しつつある、田舎よりも却って市街で売ってゐる。

此の宿の老爺は偏屈者だけれど、井戸水は素直だ、夜中二度も腹一杯飲んだ、蒲団短く、夜は長く、腹一杯水飲んで来て寝ると前に書いたこともあったが。
 ……(略)……
 夕方になると里心が出て、ひとりで微苦笑する、家庭といふものは - もう止さう。
 此の宿の老妻君は中気で動けなくなってゐる、その妻君に老主人がサジでお粥を食べさせてゐる、それはまことにうつくしいシーンであった。
 ……(略)……

今日は行乞エピソードとして特種が二つあった、その一つは文字通りに一銭を投げ与へられたことだ、その一銭を投げ与へた彼女は主婦の友の愛読者らしかった、私は黙ってその一銭を拾って、そこにゐた主人公に返してあげた、他の一つは或る店で女の声で、出ませんよといはれたことだ、彼女も婦人倶楽部の愛読者だったらう。
 ……(略)……
 行乞記の重要な出来事を書き洩らしてゐた - もう行乞をやめて宿へ帰る途中で、行きずりの娘さんがうやうやしく十銭玉を一つ報謝して下さった、私はその態度がうれしかった、心から頭がさがった、彼女はどちらかといへば醜い方だった、何か心配事でもあるのか、亡くなった父か母でも思ひ出したのか、それとも恋人に逢へなくなったのか、とにかく、彼女に幸あれ、冀くは三世の諸仏、彼女を恵んで下さい。

ああ、疲れたと言っては、刺身に焼酎で一杯と、なんとも呑気な山頭火です。 草履と地下足袋についてひとくさり言った後、例によって宿について一言。
 そんな山頭火も、夕方になり、宿の老夫婦を見るにつけ、やはり家庭というものに郷愁を抱いていることがわかります。 本当は帰りたい、でも帰れない。想いは巡ります。

そして、ここでの中心となるのが、行乞で出会った、対照的な女性たちです。
 主婦の友とか婦人倶楽部とかに怨みがあるのかは知りませんが、それらを愛読している典型的な奥様方の、横柄でとりつくしまもない態度は、さすがに山頭火も抑えてはいますが腹に据えかねるものがあったのでしょう。 我々にもなんともいえない不快なエピソードではあります。 そんな気持ちからの報謝など何の意味もないし、そのような汚れた銭は受けたくはない。 わかるような気がしますね。
 そこでホッとさせるのが、最後の話です。「どちらかといへば醜い方だった」などとけしからぬ本音もちらりみせながらも、その内面の美しさに感動し、幸せを祈る山頭火。 やはり彼も人を信じたい、生身の人間なのでした。


昭和五年十月九日

曇、時雨、工程三里、上ノ町、古松屋(三五・上)

夜の明けないうちに眼がさめる、雨の音が聞こえる、朝飯を食べて煙草を吸 うて、ゆっくりしてゐるうちに、雲が切れて四方が明るくなる、大したこともあるまいといふので出立したが、降ったり止んだり合羽を出したり入れたりする、そして二三十戸集まっているところを三ヶ所ほど行乞する、それでやっと今日の必要だけは頂戴した、何しろ、昨日は朝の別れに例のお遍路さんと飲み、行乞はあまりやらなかったし、それにヤキがなくてリヨカンに泊ったので、一枚以上の食ひ込みだ(かういふ世間師のテクニックを覚えて使ふのも、かういふ境涯の善し悪しだ)。
(中略)
 今日の道は山路だからよかった、萩がうれしかった、自動車よ、あまり走るな、萩がこぼれます。

昨夜の女主人公は楽天家だった、今夜の女主人公は家政婦らしい、子を背負うて安来節をうたふのもわるくないし、雑巾で丹念に板座を拭くのもよろしい。

一昨日、書き洩らしてはならない珍問答を書き洩らしてゐた、大堂津で芋焼 酎の生一本をひっかけて、ほろほろ機嫌で、やってくると、妙な中年男がいやに丁寧にお辞儀をした、そして私が僧侶(?!)であることをたしかめてから、問うて曰く、『道とは何でせうか』また曰く『心は何処にありますか』道は遠きにあらず近きにあり、趙州曰く、平常心是道、常済大師曰く、逢茶喫茶、逢飯食飯、親に孝行なさい、子を可愛がりなさい−心は内にあらず外にあらず、さてどこにあるか、昔、達磨大師は慧可大師に何といはれたか 、−あゝあなたは法華宗ですか、では自我偈を専念に読誦なすったらいいでせう−彼はまた丁寧にお辞儀して去った、私は歩きつつ微苦笑する外なかった。

まゝよ法衣は汗で朽ちた
 ゆっくり歩かう萩がこぼれる

朝から別れ酒を飲んで行乞をさぼったり、女主人を観察して評論したりと、まったくもってお気楽な山頭火です。

そうかと思えば、道の脇に咲く萩がこぼれないように、心持ち体が触れぬように注意しながら歩く、デリケートな感覚を出してみたり、自由闊達で陽気な一面が見てとれます。そういう横を、一陣の風を残して無粋に去っていく自動車に閉口しているのも微笑ましいところです。山頭火は、まわりの風景をないがしろにして通りすぎてしまう乗り物は嫌いでした。「歩行禅」を極めるためとはいいながらも、本当は歩くことが心底好きだったのでしょう。

さて、そんな旅の途中で、ユニークな問答が展開されてます。
 山頭火の回答はいかがなものでしょうか? まとめるならば、今目の前にある問題に没頭せよ、ということなのでしょうが、『道』とか『心』とか、ときには真剣に思い悩むこともあった山頭火も、酔いのせいか、エレガントに切りぬけているのがおかしさを誘います。山頭火と問答できたこの中 年男性がうらやましくも思えますね。


昭和五年十月十七日

曇后晴、休養、宿は同前(endoy注:梅屋(六十・中))

(前略)
 昨夜は十二時がうっても寝付かれなかった、無理をしたためでもあらう、イモショウチュウのたたりでもあらう、また、風邪気味のせいでもあらう、腰から足に熱があって、倦くて痛くて苦しかった。
 朝のお汁に、昨日途上でもらって来た唐辛子を入れる、老来と共に辛いもの臭いもの苦いもの渋いものが親しくなる。

昨日といへば農家の仕事を眺めてゐると、粒々辛苦といふ言葉を感ぜずにはゐられない、まったく粒々辛苦だ。
 身心はすぐれないけれど、むりに八時出立する、行乞するつもりだけれど、発熱して悪寒がおこって、とてもそれどころぢゃないので、やうやく路傍に小さい堂宇を見つけて、そこの狭い板敷に寝てゐると、近傍の子供が四五人やって声をかける、見ると地面にござを敷いて、そこに横たわりなさいといふ、ありがたいことだ、私は熱に燃え悪寒に慄へる身体をその上に横たえた、うつらうつらとして夢ともなく現ともなく二時間ばかり寝てゐるうちに、どうやら足元もひょろつかず声も出さうなので、二時間だけ行乞、しかも最後の家で、とても我慢強い老婆にぶっつかって、修証義と、観音経とを読誦したが、読誦しているうちに、だんだん身心が快くなった。

大地ひえびえとして熱あるからだをまかす
 いづれは土くれのやすけさで土に寝る
 このまま死んでしまふかも知れない土に寝る
  熱あるからだをながながと伸ばす土

前の宿にひきかへして寝床につく、水を飲んで(ここの水はうまくてよろしい)ゆっくりしてさへおれば、私の健康は回復する、果たして夕方には一番風呂にはいるだけの勇気が出て来た。
 やっと酒屋で酒を見つけて一杯飲む、おいしかった、焼酎とはもう絶縁である。 寝てゐると、どこやらで新内を語っている、明烏らしい、あの哀調は病める旅人の愁をそそるに十分だ。

たった一匹の蚊で殺された
 病んで寝て蝿が一匹きただけ

山頭火もなかなか危ない橋を渡ったことです。もっとも当時は行き倒れの死体が道の脇にみられるのは珍しくなかったようですから、ほんの二世代前のこととはいえ、世間師であることも大変であったようです。

それにしても不思議なのは、熱で歩けなかった山頭火を助けた子供らと、身体のことも忘れさせるほど読経に集中させてくれた老婆です。何か超自然なものを感じさせるものがあります。昔の日本には、安部晴明という魔法使いが居て、式神という子供の家来を侍らせていたそうですし、中国の仙人も、自らを子供の姿に分身させる術をもっていたということですから、案外山頭火の守護神が形を成したものかもしれません...まあ熱にうなされて見た幻影といったらそれまでですが。(さらには山頭火の創作といったかんぐりもないわけではありませんが、それは野暮というやつでしょう) それにしても自然の中に身を投げ出して天命に身を任せられた山頭火の自由さが危なげではあるけれどうらやましいところです。

ちなみに、農民の労苦に対する同情や、焼酎ぎらい(どうも臭いが合わなかったようです)といった山頭火のポリシーもここには素直に出ています。
 まあ、一番風呂に入り、新内を聴く余裕も出た山頭火、まずは、めでたしめでたし。


昭和五年十月廿日

晴、曇、雨、そして晴、妻町行乞、宿は同前(endoy注:藤屋)

果たして晴れてゐる、風が出て時々ばらばらとやって来たが、まあ、晴と記すべきお天気である、九時から二時まで行乞、行乞相は今日の私としては相当だった。
 新酒、新漬、ほんたうにおいしい、生きることのよろこびを恵んでくれる。

歩かない日はさみしい、飲まない日はさみしい、作らない日はさみしい、ひとりでゐることはさみしいけれど、ひとりで歩き、ひとりで飲み、ひとりで作ってゐることはさみしくない。

昨日書き落としてゐたが、本庄の宿を立つ時、例の山芋掘りさんがお賽銭として弐銭出して、どうしても受け取らなければ承知しないので、気の毒とは思ったけれど、ありがたく頂戴した、この弐銭はいろいろの意味で意味ふかいものだった。
 新酒を飲み過ぎて - 貨幣価値で十三銭 - とうとう酔っぱらった、ここまで来るともうぢっとしてはゐられない、宮崎の俳友との第二回会合は明後日あたりの約束だけれど、飛び出して汽車に乗る、列車内でも挿話が二つあった、一つはとても元気な老人の健康を祝福した事、彼も私もいい機嫌だったのだ、その二は傲慢な、そのくせ小心な商人を叱ってやった事。
 九時近くなって、闘牛児居を驚かす、いつものヨタ話を三時近くまで続けた、...その間には小さい観音像へ供養の読経までした、数日分の新聞も読んだ。
 放談、漫談、愚談、等々は我々の安全弁だ。

『歩かない日はさみしい、飲まない日はさみしい、(俳句を)作らない日はさみしい、ひとりでゐることはさみしいけれど、ひとりで歩き、ひとりで飲み、ひとりで作ってゐることはさみしくない。』というところは山頭火の思いが染み込んでいるような言葉です。
 これが本当の本音であるかどうかはわかりません。ひとり、ということにこだわってはいましたが、結局はそうなりきれないのも山頭火でした。この日の日記の後半をみればそれがわかります。しかし、ひとりでいることを忘れさせてくれるのものがこの3つであったというのも真実ではあったのでしょう。これらは、山頭火がもう一人の自分と会話できるときを与えてくれるものだったのですから。

山芋掘りさんについての話は補足が必要かもしれません。山頭火は、何回か彼と同宿あるいは同部屋だったことのですが、うるさく下品で、あまり良い印象を受けていなかったようなのです。これまでの経緯から、このような輩からは喜捨を受けることは予想していなかったし、されたとしても快く受けられない気持ちもあったと思います。
 そういう複雑な気持ちで受けた喜捨だったのです。まだまだ人間がこなれていない、悟りきれていない自分をちょっと気恥ずかしくも思ったのかもしれません。

そういう山頭火も闘牛児さんと再会し、なかなか楽しく時を過ごした様子。『放談、漫談、愚談、等々は我々の安全弁だ。』 宜なるかな。宜なるかな。


昭和五年十月三十日

雨、滞在、休養。(endoy注:坂本屋 三十・中上)

また雨だ、世間師泣かせの雨である、詮方なしに休養する、一日寝てゐた、一刻も早く延岡で留置郵便物を受け取りたい心を抑へつけて、-しかし読んだり書いたりすることが出来たので悪くなかった、頭が何となく重い、胃腸もよろしくない、昨夜久しぶりに過した焼酎のたたりだらう、いや、それにきまってゐる、自分といふ者について考へさせられる。

今日一日、腹を立てない事
 今日一日、嘘をいはない事
 今日一日、物を無駄にしない事

これが私の三誓願である、腹を立てない事は或る程度まで実践してゐるが、嘘をいはない事はなかなか出来ない、口で嘘をいはないばかりでなく、心でも嘘をいはないやうにならなければならない、口で嘘をいはない事は出来ないこともあるまいが、体でも嘘をいはないようにしなければならない、行持が水の流れるやうに、また風の吹くやうにならなければならないのである。
 行乞しつつ腹を立てるやうなことがあっては所詮救はれない、断られた時は、或は黙過された時は自分自身を省みよ、自分は大体供養をうける資格を持ってゐないではないか、応供は羅漢果を得てゐるものにして初めてその資格を与へられるのである、私は近来しみじみ物貰ひとも托鉢とも何とも要領を得ない現在の境涯を恥ぢ且つ悲しんでゐる。
 そして物を無駄にしない事は一通りはやれないことはない、しかししんじつ物を無駄にしない事、いひかへれば物を活かして使ふことは難中の難だ、酒を飲むのも好きでやめられないなら仕方ないが、さて飲んだ酒がどれだけの功徳(その人にとっては)を発揮するか、酒に飲まれて酒の奴隷となるのでは助からない。・・・

今日は菊の節句である、家を持たない私には節句も正月もないが、雨のおかげでゆっくり休んだ。
 降る雨は、人間が祈らうが祈るまいが、降るだけは降る、その事はよく知ってゐて、しかも、空を見上げて霽れてくれるやうにと祈り望むのが人間の心だ、心といふよりも性だ、ここに人間味といったやうなものがある。

いつも十二時の時計の下で寝かされる
 いちにち雨ふり故郷のこと考へてゐた
 夕闇の猫がからだをすりよせる
 牛がなけば猫もなく遍路宿で
 飢えて鳴きよる猫に与へるものがない
 どうやら霽れるらしい旅空
 尿するそこのみそはぎ花ざかり

けふまでまとまらなかったものがこれだけまとまった、これも雨で休んだためである、雨を憎んだり愛したり、煩悩即菩提だ、といへないこともあるまいよ。
 同宿の老遍路さんが耄碌してゐると思ったのは間違だった、彼は持病の喘息の薬だといふので、アンポンタン(いが茄子の方語)を飲んだためだった、その非常識、その非常識の効験は気の毒でもあり、また滑稽でもあった、-いづれにしても悲喜劇の一齣たるを免れないものだった。
 (後略)

雨は鬱陶しいです。邪魔くさいです。しかし、それも自省を促す天の与えた時間と前向きにとらえてようとする山頭火がここにあります。なんでもありがたい仏の御心であり、それを受け取れる心を持てない自分を省みるのです。
 「腹を立てない事」「嘘をいはない事」「物を無駄にしない事」、これらはとても難しいことです。とくに「心でも体でも嘘をいはない」ということがいかに難しいことか。相手に読まれる読まれないに関わらず、言葉だけでその場をつくろう日々の如何に多いことか。それが社会を円滑にやり過ごすためだという言い訳をしながら。自分にさえ嘘をつかない人生など本当に理想に過ぎないのでしょうか...
 「降る雨は、人間が祈らうが祈るまいが、降るだけは降る、その事はよく知ってゐて、しかも、空を見上げて霽れてくれるやうにと祈り望むのが人間の心だ、心といふよりも性だ、ここに人間味といったやうなものがある。」
 この文の中には、運というものに翻弄されていることをわかっていながらもそれをまず受けとめて、その中で最善を目指そうとする人間の純粋な成長しようとする意志があります。「人事を尽くし天命を待つ」といえばそれまでだが、天命があったとしても常に出口を求めて彷徨するのが人間の存在意義です。それを「人間味」という柔らかな言葉に置き換えている山頭火に、一つの昇華をみるのは私の思いこみのせいでしょうか。



☆本ページはリンクフリーです。酒と山頭火を心行くまで味わいましょう。