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山頭火

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分け入っても分け入っても青い山


春から初夏にかけて、山並みの緑は日に日に濃くなり、日差しも強くなってきます。今回は山頭火の句の中でも最も有名なものの一つを。

この句を、何の説明もなく鑑賞する場合、初夏の山並みを旅する心地よさ、清々しさを詠んだような感じもしないではありません。この原因は「青い山」という表現にあるのではないかと考えています。
 しかし、「分け入っても」の「も」に注目してみましょう。 この「も」は、「…なんだけれど」ということであり、それを繰り返していることによって、「求めているものがなかなか見つけられない焦りやもどかしさ」が表されているように思えます。
 そこに「青い山」です。この明るいイメージの言葉は、「楽しげで生気に富んだものであるが山頭火の求めるものではないもの」を強調していると考えられます。それは人生の中の生業に打ち込む楽しみや家庭での幸せ、そして浮き世の華やかな快楽であり、普通の人々が生きている世界そのものなのかも知れません。けれども、山頭火の求めるものはあくまでそれではないのです。

それでは山頭火の求めるものはなんなのか。そしてそれはどのような情景に表現しようとしたのか。それはこの句の後に、永遠の余韻として残っています。 山頭火自身もまだわからない「何か」なのです。その「何か」を求めて山頭火は旅立つのでした。

この句は、『大正十五年四月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た。』というように山頭火が味取観音堂を飛び出し、あてもないさすらいの旅に出たときのものです。
 この句にあるのは、旅への決意、というよりも、むしろ目的ない旅へのとまどいや諦観がが表現されているのではないでしょうか。


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