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山頭火

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酔へなくなったみじめさはこほろぎがなく


今回は、秋に相応しいちょっとほろ苦い一句を。

私事で恐縮ですが、齢(よわい)三十を越える頃から酒量が落ちたことを実感するようになりました。今まで何でもなく飲めた一杯に逡巡したり、翌日に残ることが多くなったり、そんなことから次第に、飲む酒の種類も量も予め意識的に考えないといけなくなってきました。
 別に健康にこだわるつもりではありませんが、それでも長く酒を楽しむためにはそういう自己管理もやむなしというところです。
 「自己管理」。いやな響きです。

山頭火は、死ぬまで酒を愛し酒に溺れた男ですが、さすがに晩年には身体の衰えを感じ酒量が落ちていきました。
 心臓が弱ってからは好きな温泉も控えざるを得なかったようです。
 孤独の中で放浪していた山頭火を慰めていた酒や温泉といったものを、身体が受け付けなくなってしまっていることに気づいたとき、どれほどの寂寥を感じたことでしょうか。

「みじめさ」という言葉が、生きる証を失ってしまった山頭火の心情を訴えております。

彼は良くも悪くも酒に依存し、その中で秀句を残しました。山頭火が詠んでいるのか酒が詠んでいるのか判然としないようなところは、かの中国の酔仙こと李白に通ずるところがあるのではないでしょうか。

ぎりぎりのバランスで生きていた山頭火の肉体と精神がいつの間にか衰え、もはや生きる資格まで喪失したような哀しみを、単に「アルコール依存」ということで片づけるのはあまりに杓子定規でありましょう。
 「酔うてこほろぎと寝ていた」山頭火が、再びこおろぎとひっそり言葉を交わしているような、いとおしい句であります。

ここの「なく」、という言葉は、「鳴く」ばかりでなくて、「泣く」「啼く」「哭く」様々な意味を含んでいることは言うまでもありません。


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