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山頭火

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よい道がよい建物へ、焼場です


今回は、『草木塔』の「旅から旅へ」という章から。
 実はこの句をどう受け止めたらいいのか、小生は長らくわかりかねていました。焼場(やきば)とは火葬場のこと。死者が火葬される厳粛な感じと、この句の妙な明るい感じとが、どうにも調和しない印象を受けていたからです。
 ここでは現時点で小生がたどり着いた解釈を紹介させていただきます。

今日も行乞の旅を続けている山頭火。ごつごつした田舎道を抜ければ、思わず整った広い道が目の前に現れます。
 これは歩きやすいよい道であることだ。わらじの歩が思わず早まります。ふと道の先の方を見やれば、細い煙突から煙がたなびく、周りの景色とは不似合いな立派な建屋が見えてきたのです。

さらに歩いてゆくと、その建物にどうやら喪服の人々が出入りしている様子。そうか、そこは死者が荼毘に付される焼き場であったのだ。そういえばあの煙も魂が天に帰っていく煙であったか。亡くなられた方は、わたしとは縁もゆかりもない方であろうが、ここでそういう場に居合わせたのも何かの巡り合わせであろう。道脇に歩を止めてそっと手を合わせて念仏を唱えるのでした。

・・・ところで、本サイトをご覧の方で、親類縁者あるいは知人が荼毘に付され、その骨を拾った経験のある方はどれだけいらっしゃるでしょうか。小生は、ここ数年で従姉、叔母、そして叔父を見送ることが続きました。言ってみればそういう年齢になったということなのですが、一番感じるのは「死」というものがそれだけ自分の人生のすぐ隣に存在しているという実感です。

だから、心臓が鼓動を止めて脳がその役目を終えた死体であっても、その肉体がこの世に存在している内は少なくとも生きているのと同じように敬意を払い話しかけたりして付き合ってあげたいと思うようになりました。
 そうなると、亡くなった方が安心してこの世に別れを告げて無事成仏してもらうためには、焼き場やそれに続く道というのは「よい」ものであることがむしろ当たり前であるし、「死」というものを忌避するべきものだとして無闇に日常から遠ざけようとすることの方が礼に反するように思えてくるのです。考えようによっては肉体から解き放たれ魂が旅立っていく場が焼き場なのです。だからこそ山頭火のこの句は明るさが垣間見える調子をもっているのでしょう。

もちろん人の死の有り様は千差万別でしょうし、決して一般化出来るものではないとは思います。ある意味微妙な位置にある俳句であることには変わりありません。皆さんはどういう風にこの句を受け止められたのでしょうか。


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