次の学習指導要領では、「原則として英語の授業は英語で行う」ことが決まった。どう考えたら、このような原則が導かれるのか、非常に理解に苦しむところである。授業を英語で展開したら、英語が使えるようになると思っていると文部科学省が考えているのなら、現場のことが全く分かっていないと証明しているようなものである。

 早速、高校生たちに尋ねてみた。「今度から英語の授業は英語になるけど、どう思う?」生徒の反応は、「もし、英語だけの授業になったらとても理解出来ないので留年してしまう。」と困惑する者ばかりであった。文部科学省のお役人が生徒の姿を全く見ていないことがよく分かる。教育現場で「英語で授業を受けたい」生徒はほとんどいないのである。さらに、工業、商業、農業、総合性、林業など高校には多種多様な学校があるにもかかわらず、どんな高校でも英語で授業することに意味があると言い張るのであろうか?生徒のことを少しでも考えているなら、こんな馬鹿げた学習指導要領は世に出てこないはずである。

 英語の授業をすべて英語でコントロールすることはさほど難しくはない。英語の教師が大変だろうというのは取り越し苦労である。英語で授業を展開することは難しいことではないが、英語で授業をし、内容を理解させたり、生徒に授業に集中させることが難しいだけである。この10年くらい成人式がある度に、若者の暴走ぶりが報道されている。成人式に来た一部の者は、成人式の講演の内容も聞かないのである。日本語で授業を展開しても、なかなか生徒全員の集中力を惹き付けていることが難しい。教師は50分間全ての生徒に授業を聞かせるために、日夜努力を重ねているが、なかなかうまくいかないのも現状である。

 「英語で授業をすれば、英語を使えるようになる」と考えている役人に教壇に立ってもらいたいものである。文部科学省のエリートであれば、英語で授業をコントロールすることもたやすいであろう。1年間、工業高校や農業高校の教壇に立って教えてみると良いであろう。良い授業とは生徒が理解しやすい授業のことである。英語で授業をすることが生徒の理解に繋がるのであろうか?

 

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