脱原発が叫ばれている。誰のための脱原発なのであろうか?原発を全て止めてしまえば、深刻な電力不足に陥ることは誰にでも明らかなはずである。第一、すぐに全ての原発を止められるはずがない。幸い、国民の節電の努力によって、この夏の計画停電は回避されそうである。

 浜岡原発の停止にしろ、脱原発の問題にしろ、そもそも政府は電力会社に命令する権限はないはずである。それどころか、原子力行政の不手際を電力会社を悪者にして追わせてしまっているのではないだろうか?浜岡原発の停止も夏の電力事情の見通しのついた段階で実施すれば良かったはずである。わざわざ電力事情の厳しいときに、原発を相次いで止める必要があったのであろうか?首相が自分の任期中に、何とか支持率を回復させるために無理やり原発問題を作り上げていることこそ問題である。

 原発の正しいコストはもう一度様々な観点からの分析が必要である。ただ、産業界には電力の安定的な供給が見込めないのであれば、海外に進出しようとするところがある。電力の値上げもコスト高につながる。原発をやめてコスト高になれば、事実上の法人税アップだと主張する企業もある。加えてこの円高である。日本で物作りをする環境が政治のためにどんどん奪われているのではないだろうか?

 自分のことだけを考えて国家国民が置き去りにされている。復興する前から、増税のことばかり議論するのではなく、復興するために民間の投資をどうやれば導き出せるかを真剣に考えるべきである。国民から金をむしり取って、それを使って復興を図ることは簡単であるが、国民はそんなことを望んではいない。国民はまとまっている。今こそ国民の力を引き出し、復興から発展へと導くための政治が求められている。

 

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