5月3日に憲法記念日を迎えたのだが、憲法改正が議論される中、憲法改正そのものよりも集団的自衛権の行使が話題の中心になっている。オバマ大統領が訪日した際も、集団的自衛権が話題となり、アメリカは容認する姿勢を見せたという。

 憲法の9条改正は安倍総理の悲願であるのだろう。当初はアベノミックスと共に憲法改正をスローガンにしてきた。安倍総理は経済政策を柱に、高い支持率を維持しながら、何とか憲法改正をしようとしているのであろう。次回の参議院選挙の際に、衆議院も解散し、衆参同日選挙を実施し、衆議院も参議院も3分の2以上の議席を獲得し、一気に憲法改正を目指すとも言われている。

 一方でいきなり憲法改正が難しいと判断すれば、強行に押し進めるのではなく、まず当たり障りのない憲法96条から改正し、憲法改正のハードルを下げようとしてみたり、憲法改正が難しいと判断すれば、今度は集団的自衛権の解釈変更に踏み切ろうとしたり、今度は国民投票の年齢を20歳から18歳に下げようとしている。あの手この手で憲法の屋台骨を揺さぶっている。

 戦後から70年を経過しようとしている、憲法も制定当時の理念と時代的に合わなくなってきているのであれば、解釈改憲ではなく、憲法そのものの改正が必要であろう。確かに日本国民は平和ボケしているのかもしれない。隣国が軍事力を背景に侵略を迫って来たときはどうすればよいのか?真剣に議論する必要がある。一方で、平和外交を続けた結果、中国と韓国を除けば、世界中に日本は信頼されていると言っても過言ではないであろう。同時に平和ボケしてしまうほど、テロとも無縁で、日本の津々浦々どこへ行っても、安全で平和な社会がある。どこで野宿しても、どの電車で眠り込んでも安全な国である。1億人も人口がいる国で、こんなに安全な国は世界広しと言えども日本だけである。平和憲法を持っているのでこれだけ平和なのか?憲法改正と論議と同じで、こちらも論議する価値があるのではないか?

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