春は受験のシーズンである。多くの生徒が受験に旅立ち、受験する。学校はもちろん、社会一般でも大きなイベントである。特に受験生を持つ家庭は、とても大変な春になるであろう。

 ゆとり教育から学力重視に教育のあり方が変わったが、受験戦争と言われた頃と比べると、現在の受験はかなり「広き門」になっているのではないだろうか?2018年問題と言われ、2018年頃から18歳人口が激減すると言われている。その影響なのか、今年の春から代々木ゼミナールの大半の学校が平行する。既に予備校では淘汰が進み、関西地区では老舗といわれる予備校まで次々と閉校していった。

 受験は2極化するとずっと言われてきた。少子化が進んで、誰でも入ることができる大学と、一部の難関校は難しいままであるという意見である。既に多くの私立大学で、定員割れが続いたり、入試が面接だけだったり、学力的な入試が科されていない大学も多い。さらに、高校のカリキュラムの特性もあるのだが、国公立大学や医学部でさえ、リメディアル教育という名の、低学力を補充するための補講が行われている。

  たとえ偏差値が高い大学に進んでも、現在は必ずしも言い就職先が見つかるわけではない。学歴はエントリーシートに書くべき内容としては重要かもしれないが、その後の面接党では、「コミュニケーション能力」の方が重視されるのが一般的である。

 日本の大学は入学試験や偏差値にはこだわってきた。実際入試の方式は、受験生を持つ親なら分かるだろうが、国立大学は大きな変更はないが、私立大学は受験の方式が何通りもあり、近年はインターネット出願ができるようになり、多種多彩というより、複雑怪奇である。多くの大学で地方試験が実施され、その動きは一部の国立大学でも地方試験で受験が可能である。

 大学を卒業しても、定職に就けない若者がたくさんいるのもまた事実である。困ったことには、このような若者はまじめで成績も良く、模範的な学生であった生徒も多い。簡単に言えば、大学の講義をまじめに受講し、きちんと単位を取得し、大学の指導に従って就職活動をしたが、就職出来ない者たちである。残念ながら、日本の大学は専門知識を身につけさせることも、社会が必要とする人材育成にしても、研究機関として研究者を養成することにしても、全て中途半端である。2018年以降、大学の門がさらに広くなれば、大学が受験生に対して何を提供でき、どんな専門的な知識・技術を身につけさせることができるのか、大学の質がさらに問われることになるであろう。

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