森友問題に引き続き加計学園の問題が大きくなっている。森友学園の問題でも安倍婦人が疑惑をはらんだまま、何の弁明もすることなく、安倍政権も安泰である。

 加計学園の獣医学部の問題については、総理自身が加計学園の特区の創設について政治的な便宜を図ったと報道されている。金銭の授受がなければ、贈収賄などの罪に問われることはないのであろうが、加計学園の関係者が総理大臣の古くからの友人で、総理の近しい人に便宜を図ったというのであれば政治的な責任は免れないところであろう。

 アメリカではトランプ政権に対して司法省が特別検察官を任命した。トランプ政権とロシアとの癒着を操作するためであるが、特別検察官を任命したのはFBIの長官が解任された後であった。トランプ政権による捜査妨害が疑われると、司法省はすぐに動いた。トランプ氏のロシアへの外交機密流出も問題視されている。

 アメリカでは大統領は国民から直接選挙され、絶大な権力を持っている。最高裁の判事もFBIの長官も任命も解任も出来る。トランプ氏が大統領就任直後に大統領令を連発したのは記憶に新しい。その絶大な権力を持っている大統領に対しても、アメリカのチェックアンドバランスはきちんと働いている。大統領だけが権力を好きなままにできるわけではない。

 一方の日本では総理大臣は国民から選挙で選ばれるわけでもなく、国会の信任の上になっており、国会が不信任決議を出せばすぐに首が吹き飛んでしまうかもしれない、制度的には総理大臣の権力は、アメリカに比べると非常に脆弱なものである。それ故、小泉政権の後はほぼ1年ずつ総理大臣が代わっている。その日本で、総理大臣の疑惑を晴らすどころか闇に葬ろうとしている感さえある。チェックアンドバランスはきちんと機能していないのか?国会の国政調査権はきちんと発揮されているのか?報道機関の役割は?

 日本がきちんと政治的にも成熟した国であれば、もし総理大臣が不正を犯したのであれば、たとえ軽微なものであったとしても、きちんと正すべきは忠、国民に報告すべきは報告し、総理大臣の責任をきちんと問えるような司法、国会、行政のあり方を考えていかなければならない。

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