Rocket Newspaper
第参号
(2000年8月15日発行)

発行:ロケット新聞 出版部WEB課
編集者:Morry 森田 / 林 ヒデオ


ロケット新聞に新ボーカル加入!

 ロケット新聞に待望の新女性ボーカル、ユキが加入した。昨年秋より、林ヒデヲはタイに出稼ぎ、Morry森田は結婚そして新居購入。 そのどたばたの中で前ボーカル橋本久美さんが行方不明となった。橋本さんは留学するということを伝えていたのでおそらくイギリスにいると思われるが確認が取れていない。 メンバーは橋本さんのこれまでの協力に感謝しつつ次のボーカルを探すことにしていた。

 ロケット新聞としてはこれで3人目のボーカルとなる。ロケット新聞は歌い手に応じて演奏する曲目、バンドのカラーを少しづつ変化させるがこれは自分たちの音楽にとってボーカルがもっとも重要なパートを占めるというロケット新聞の大原則に由っている。いくら良い曲を作り、演奏したとしてもそれがボーカルに合っていなければよさが出てこないからだ。ユキの加入によってどのように変化していくか楽しみである。

 

Morry森田が結婚

 なんと、あのMorry森田(ロケット新聞のベース・ギター・ピアニカ奏者)が結婚していることが判明した。彼の友人は「まさか!信じられない」とはなしている。馴れ初めなど詳しいことは直接本人に聞いてもらいたい。

Morry森田のコメント
その、「まさか、信じられない」と言った友人なるH.H、あんたこそ、結婚できるんかいな?

橋本久美行方不明!

 ロケット新聞のボーカリスト橋本久美が音信不通、行方が知れない。昨年イギリスに留学するとの情報を得ていたのでおそらくイギリスにいるのではないかと思われるが確認は取れていない。他のメンバーは「橋本さんこれまでわれわれの活動に加わってくれてありがとう。もしどこかでロケット新聞のホームページを見たのならメールでも書いてください。」と話している。



ライブ解説

 今回は、ユキの人生における記念すべき初ライブです。ユキはこれまでの人生でバンド等の音楽活動を行わなかったことを悔やんでいたのです。その話を聞いたリーダーの林が彼女を引き込み歌ってもらっているという次第なのです。これで人生の後悔が一つなくなります。

 選曲はアコースティックな編成でできることを前提にしました。ロケット新聞は一応テクノ歌謡ユニットなので、ライブでも電気物の楽器をいろいろ持ち込みさらにリズムはテープ(実際にはMD)で流しています。しかし今回は演奏する場所的条件もありアコースティック編成で行うことにしました。「老木」は好評なので今回もすることにしました。ボーカルは林ヒデヲです。「ハイキングに行こう」は作詞:林、作曲:森田で、まるでキャンプファイヤーの時にみんなで歌えそうな雰囲気でありながらも、インド音楽を意識したサイケデリックフォークになっています。「恋の花咲く法善寺」は、CDに収録されているダンス系アレンジではなく、ギターの哀愁のあるサウンドを生かしたど演歌アレンジで演奏する予定です。

 当分の間、我々は、「歌謡サイケデリックフォーク」路線を開拓していこうと思っています。皆さん、今後のロケット新聞に御期待あれ!



今月のイチ押しミュージシャン

第一回 アンチオタキウス三世

 この枠では、ロケット新聞のメンバーが深く感銘を受けたミュージシャンを新旧アマプロ問わず紹介していく予定である。
今回はMorry森田が紹介を担当する。

アンチオタキウス三世、何故三世かは謎である。

http://www.pluto.dti.ne.jp/~antiotak/

が彼のページである。ここに、RealAudioの音楽が二十数曲置いてある。現在、彼の音楽が聞ける場所はここだけである。

 一番最初に配置してある「危ない!」のリンクをクリックしてみると、まるでパチンコ屋の音楽のようなイントロのあとに懐かしの歌謡曲のメロディ。そして危ない歌詞

 

♪昔の自動車はよく人を轢いたので

♪前を人が走って

♪危ない!危ない!危ない!  と

♪言う話はほんとかなー

♪それはほんとかなー

 

 この曲は、ワンコーラスごとに転調していく。さらに間奏の調性も唄とは全然関係なくまるで無理矢理嵌め込まれたかのような印象である。西洋音楽でいうトータルな「調性」感を一切くずしてしまっているかの如くである。転調を繰り返した後、ラストコーラスでは、キーが高すぎて歌い方そのものが破壊的になってしまっている。そして、西洋音楽を舐め切ってるかの如きチンドン屋ビートはまるで明治維新の「ええじゃないか」のようである。そうだ、アンチオタキウス三世の音楽は、まさに平成の「ええじゃないか」なのである。

「危ない!」を例にとってアンチオタキウス三世の音楽の素晴らしさを説明したが、その他の曲も甲乙つけがたいものがある。
主語と目的語を反転させ、述語を受動態に変えることによって楽しい祝日を恐怖に変えた「逆正月」、
小泉今日子のヒット曲からヒントを得たとおぼしき下品なロックンロールである「女のふんどし」、
恐怖政治の下、不条理な法律で人を相互監視させる「西空」、
音楽による風景描写が見事な「歳末セールの歌」「選挙の歌」等。

 どの曲も、日常生活に近い部分を歌ったものだが、見事にアンチオタキウス三世の脳味噌フィルタを通 した分だけヘンになっている。読者の皆さん、是非アンチオタキウス三世でトリップしてください。


 

Morry森田の暴言エッセイ

インターネットミュージシャンは音楽産業を駆逐するか?

 インターネットでは色々な人間が自作の曲を勝手に公開できる。そこにはオーディションもなにもない。極端にいえばアマチュアもプロもないのである。このような形で音楽を「公開する」「ダウンロードして聞く」というのがポピュラーになってくると、既成の音楽産業は意味ないものになってはこないだろうか?

 何億という資金を使って宣伝し、売り上げで何億という金を回収し、社長さんや宣伝部さんやプロデューサーさんやらが利益を得なければならない。しかし音楽は所詮音楽である。何故そんなに金がかかるのか?

 かけた金額と音楽の素晴らしさは比例しないであろう。そして、何万枚も売れて聞かれているCDがあったとして、それを買った人すべてが本当にいいと思っているのだろうか?いいと思っていること事態、宣伝という名の洗脳の結果や、評論家の意見を鵜のみした勘違いということはないのだろうか?

 音楽を聞くものがこのような疑問を持ちはじめたらそれは大変いいことである。音楽産業を養うために音楽を聞くのは実に愚かなのだ。もっと素晴らしい音楽がインターネットには無数にころがっているのだから。

 さて、既成の音楽産業などが、MP3で金をとって音楽配信を目論んでいるようだが、愚かなことである。MP3程度のクオリティで金をとってはいけない。しかも、聞くための媒体はパソコンになるのだろうが、内蔵の安物サウンドチップとミニスピーカーでは所詮CDラジカセレベルである。(勿論、高級オーディオ機器でMP3音源を再生させるのは意味がない)

 肥大化した音楽産業は資本と無駄な宣伝費を投入して一般市民を洗脳してクオリティの高いCDを売っていればいいのである。駄目になるその日まで。