Medical Management 1997年8月号この中で、「ネットサーフィンは時間の無駄」「優秀な図書館員の方が最新の図書検索システムよりよほど本探しの助けになる」「人と人との交流が薄まり現実への関心を失っていく」といったような記述はなるほどうなずけられる。
また、最近の経済誌には「インターネットはまだビジネスにならない」とのことから、プロバイダービジネスや仮想商店街などから撤退を始めたり、実際にコンテンツの更新をかけていない企業が目立つことが指摘されている。一時の流行として、「猫も杓子も」の状態から本当に目的を持ったコンテンツが存在価値を見出す成熟したネットワークへの過程なのかもしれない。
さて、我々医療の世界では、ご他聞にもれず私の新着メーリングリストには毎日毎日数件の医療機関や健康に関するホームページの新設が伝えられてくる。1年ほど前には全国でホームページを開いている医療機関のリストなどもまじめに医療雑誌に掲載されていたものであるが、もはや数えることは不可能に近い。これだけ多くの医療機関のホームページが存在すると、冒頭のストール氏ではないが、漫然とネットサーフィンする気も起こらなくなってしまうのが現状である。しかも、医療機関のパンフレットをそのまま掲示し、大きな画像ファイルで病院全景を掲示するものが多く、ダイヤルアップでインターネットにアクセスする場合、ストレスの割には情報に乏しいことが多く見られている。よその医療機関が載せているから遅れないようにとか、マスコミのインターネットなしでは世の中から取り残されるといった記述に強迫観念を持つことが多いせいかもしれない。ここで医療機関側でも、ホームページ掲載にいかなる目的意識を持つかということが、肝要とされるのではないだろうか。
インターネットの特徴として、今更言うのも後ろめたいが、そのオープン性がある。いつでも、誰でも、安価で世界に向かって情報を発信できるわけである。しかし、その裏返しとして、対象は不特定多数である。つまり、見る側にそれほどコスト意識、問題意識はなく移り気な対象である。さらに、見る側の数多くの経験から、「いい情報があれば儲けモノ」的な感覚で「のぞき」見られるわけである。マーケッティングからすれば、地域密着型である医療機関の場合、それほど広告媒体として有意義なものではないと思われる。そういった意味から、よほど駅や電柱の看板の方が広告としての意義深いものと考えなければいけない。全く同じ理由でインターネットホームページは、「利用者が自分の意志でホームページを選択し、情報を得る形であれば広告には当たらない」と、あの厚生省が昨年4月に、いち早く見解を出している。つまり、広告という意識で、インターネットにホームページを掲載することに意味はなく、コンテンツの外注で多額の費用をかけることは無駄であると思うところである。ちなみに、当院のホームページ原価は、プロバイダーへの法人契約料、月数千円(最近、安価な個人契約で、ホームページを掲載する医療機関が多く見られるが、これは企業としては反則であると思う)のみで、手作りであるためにその他の費用は一切発生していない。
そこで私なりに、インターネットの利用価値について触れてみたい。
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