こういった事件を通して、いまこそ国(官僚)が監督を強めなければいけないといった議論が出てきていることははなはだ遺憾に思うところである。作家の堺屋太一氏は日本経済新聞3月17日号で金融汚職に対して、「官僚が法規を越えて地方自治体や民間企業や個人を圧迫してはいけない。官僚個人に対する罰則を含む公正行政法を作り、民業の圧迫を防ぐ必要がある。官僚の志気が落ちるのを心配する人もいるが、私は過剰な介入で日本を滅ぼす方を心配している」と述べている。
われわれ医療界に目を転じて、各々別の視点から、3つの構造的異常(!?)について提言してみたい。
しかし、法で規定されていない通達、細則、さらにはあえて通達すら無視して、行政機関の解釈により指導される場合がある。病床規制に始まり、訪問看護ステーションの設置、診療所の療養型転換、デイケアの設置など、新規事業の導入にあたっては「役所詣で」は欠かせない。さらに、行政と利益団体としての医師会、病院関係諸団体の利害がその強弱によって、あるときは対立し、あるときは機嫌を伺いながら手を取って新規事業の妨害に走る場合もある。
このような医療界の現状は、金融機関同様に護送船団方式といわれる統制社会である。統制の社会から、自由な参入へとなった場合に、競争により淘汰される医療機関は必ず存在することとなろう。しかし、品質が保証され、サービスがよく住民から支持される施設が生き残るのは必然である。このような方向性示されれば、自ずと医療機関の向上努力が生まれてくるものと思われる。
しかも、多くの公的病院は民間医療機関と競合する。最近の公的病院の新築ラッシュは、採算を度返しした事業としか見えない。公でなければならない事業は確かに存在する。すなわち、最先端医療の研究機関、無医村における僻地医療は必要である。しかし、多くの都市部の公的機関は、民間と何ら変わらない。公と民が同じ土俵で競い合う事業は医療と、最近ブームのように自治体が施設を乱立させている公衆浴場業、貸しホール業ぐらいしかないのではないだろうか。
民でできることに、公が公然と参入し、赤字を垂れ流す構造は日本においてだけではないだろうか。この点が、財政構造改革の一つの答えにもなるように思えてならない。
このような構造のもとでは、命令一下、すべての業種が従うという仕事に長けるかもしれないが、改善提案が生まれてくるものではない。また、管理者がふんぞり返っていたのでは誰も率先して新しい仕事に取り組もうとする意欲が湧くものではない。
ここであえて、管理者も汗を流すことを提案したい。当院において、本誌でも既に紹介した通り、この3年の間に診療材料や薬品の無在庫管理システム、検査システム、さらには統合オーダリングシステム、イントラネットシステムなどを短期間に、しかもローコストで立ち上げてきた。システム構築の戦略の策定後における時間とカネの節約には管理職が率先して汗をかかなければ成し得ないものと実感している。
実際、当院の200数十台のコンピュータシステムの端末設置の場面では、業者からは部品の一括搬入のみであり、当院の倉庫は、LANボードやメモリーの組み込み、配線、ソフトのインストール、各部署への設置とあたかもコンピュータ工場のようになった。この場面で管理職や医師、パラメディカル職員が時間外に汗を流してくれた。さらに、その後のトラブル対処などを通して全くの素人集団がコンピュータ技術者のように変わっていった。
ヒエラルキーを理論や言葉だけで崩していくことは容易ではない。管理者が汗を流す姿勢を示すことができれば、自ずと真の「チーム医療」体制が完成していくものと思われる。病院内の構造改革は意識改革から始まるといって他言ではないと思われる。