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日本福祉大学社会福祉学部保健福祉学科の二木立教授が発行するニューズレター |
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氏が定期的に購読またはチェックしている医療経済・政策学関連(長期ケアも含む)の英語雑誌(22誌)の最新号に掲載された論文のうち、独自に興味ある知見のサワリ(要旨の抄訳+α)や、氏が紹介・推薦するに値すると判断した国内外の医療経済・政策学関連(介護保険を含む)の新刊書情報。 |
二木立の近著 医療改革と病院―幻想の「抜本改革」から着実な部分改革へ
21世紀初頭の医療と介護―幻想の「抜本改革」を超えて 介護保険と医療保険改革
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2005年7号(3.1) |
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1.拙小論「混合診療問題の政治決着の勝者と敗者」 (「二木教授の医療時評(その8)」『文化連情報』2005年3月号(324号):28-29頁) 前稿「混合診療問題の政治決着を複眼的に評価する」を書いた直後に、ある医療雑誌の記者から、「今回の変更は、規制改革・民間開放推進会議側、各医療団体側のどちらに有利な結果になったと言えるのか?」との質問を受け、私は、即座に、勝者は厚生労働省、敗者は規制改革・民間開放推進会議だと答えました(『日経メディカル』2月号参照)。 厚生労働省は権限強化で一人勝ち 混合診療の全面解禁を阻止できたという点では、勝者は厚生労働省と医師会・医療団体の両方と言いたいところですが、私は敢えて「厚生労働省の一人勝ち」と判断しています。 その最大の理由は、今回の政治決着=特定療養費制度の拡大・再構成により、保険診療と自由診療の併用に対する中医協の権限が縮小され、厚生労働省の権限が大幅に強化されるからです。具体的には、現在は、高度先進医療の最終的な承認は中医協が行っているのに対して、新たなカテゴリーとして設けられる「高度ではない先進技術」と保険診療との併用には、中医協は関与せず、厚生労働省(保険局)が行うことが予定されています。さらに、同省は「高度先進医療についても[平成]18年の制度改正後は、高度でない先進技術の手続きと一元化させ、中医協の承認手続きをなくす考え」と報じられています(『日本醫事新報』4210号、本年1月1日)。 混合診療の全面解禁阻止という点では、厚生労働省と医師会・医療団体は同一歩調をとりました。しかし、私が5年前から「21世紀初頭の医療・社会保障改革の3つのシナリオ」説で強調しているように、公的医療費の総枠拡大を求めている医師会・医療団体と異なり、厚生労働省は、国民皆保険制度の大枠は維持しつつ、公的医療費を抑制するために、保険給付範囲と給付水準を制限・抑制して、それを超える全額自費の二階部分を奨励・育成する、医療・社会保障制度の公私二階建て化(厳密に言えば、「限定的」二階建て化)を目指しています(拙著『21世紀初頭の医療と介護』勁草書房、2001、序章)。厚生労働省が、今後、今回の政治決着をテコにして、この政策を推し進めるのは確実です。 規制改革・民間開放推進会議は3連敗 逆に、規制改革・民間開放推進会議が敗者というのは、混合診療の全面解禁が否定されたという意味にとどまらず、もっと深い意味があります。 2001年6月に閣議決定された経済財政諮問会議「骨太の方針」には、次の3つの新自由主義的医療改革改革が含まれていました。@株式会社の医療機関経営の解禁、A混合診療の解禁、B保険者と医療機関との直接契約(個別契約)の解禁。このうち、Bは2003年5月に解禁されましたが、現在に至るまで個別契約は1つもありません。@についても、「医療特区」での株式会社の医療機関経営を解禁する特区法改正が昨年5月に通常国会で成立し、昨年10月に申請受付が行われましたが、申請は1つもありませんでした。 規制改革・民間開放推進会議は、この2連敗を挽回する起死回生策として、昨年8月の「中間とりまとめ」で、混合診療の全面解禁を主張したのですが、それも否定され、3連敗を喫したのです。なお、規制改革・民間開放推進会議が特定療養費制度の大幅拡大という現実的な方針を捨て、敢えて混合診療の全面解禁を掲げたのは確かな勝算があったからではなく、逆に「玉砕戦法」に近かったことは、次の宮内義彦議長の正直な発言からも明かです。「できもしない目標を掲げるということになるかも分かりませんけれども、私どもとしては、今はそういう周囲の状況を考えると、相当、例年にない高いところで頑張ると。今のところは、それしかいいようがないわけですけれども、頑張りたいと思います」(昨年10月12日の記者会見)。 このように、新自由主義的改革の全面実施が否定された最大の理由は、これらの改革を行うと、企業の新しい市場が拡大する反面、医療費(総医療費と公的医療費の両方)が急増し、医療費抑制という「国是」に反するからです。私はこれを「新自由主義的医療改革の本質的ジレンマ」と呼んでいます(拙著『医療改革と病院』勁草書房、2004、21頁)。 混合診療の全面解禁は不可能、混合診療特区も困難 規制改革・民間開放推進会議が昨年12月24日に提出した「第1次答申」では、今後も混合診療全面解禁の「実現に向けて引き続き、積極的にとり組んでいく」と書かれています。しかし、これは「負け犬の遠吠え」であり、今後も全面解禁はありえない、と私は判断しています。 その根本的理由は、全面解禁のためには現物給付原則を廃止する健康保険法の抜本改革が必要ですが、それは政治的に不可能だからです。第2の理由は、今回の政治決着で、規制改革・民間開放推進会議が「中間とりまとめ」で示していた「混合診療が容認されるべき具体例」の大半に対応可能になったからです。第3の理由は、混合診療解禁の指示を出した小泉首相自身が、政治決着後の記者会見で、混合診療を「無条件で解禁したら、混乱が生じます」と全面解禁を明確に否定したからです(「毎日新聞」昨年12月16日)。この背景には、昨年12月3日の衆参本会議で日本医師会等の提出した混合診療解禁反対の請願が全会一致で採択されたことがあることは確実です。 同じく、「第1次答申」に書かれている「構造改革特区制度の活用」=混合診療特区も実現性はほとんどありません。なぜなら、これを導入すると、上述した特区法改正で認められた、特区で高度の医療を自由診療で提供する株式会社立医療機関の存立条件が消滅するからです(自由診療は混合診療に、価格=患者負担面で太刀打ちできないため)。それを避けるためには、株式会社立医療機関にも混合診療を認める特区法の再改正が必要ですが、そのような「朝令暮改」には医師会・医療団体が猛反対するだけでなく、小泉政権の政策的一貫性への信頼が失墜するため、政治的にほとんど不可能です。 2.2004年発表の興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(その3) |
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2005年6号(2.12) |
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1.拙論「混合診療問題の政治決着の評価と医療機関への影響」 (『月刊/保険診療』2005年2月号(60巻2号):87〜92頁) はじめに 昨年9月10日に小泉純一郎首相が、混合診療について「年内に解禁の方向で結論を出」すよう指示してから3カ月間、混合診療全面解禁を求める規制改革・民間開放推進会議や経済財政諮問会議と、それに反対する厚生労働省や日本医師会をはじめとする医療団体との激しい攻防が続きました。その結果最終的には、昨年12月15日、尾辻秀久厚生労働大臣と村上誠一郎規制改革担当大臣が、現行の特定療養費制度を「保険導入検討医療(仮称)」と「患者選択同意医療(仮称)」という「新たな枠組みとして再構成する」ことに合意し、それを小泉首相が了承することで、政治決着が行われました。 私は、小泉首相の指示の直後から、首相が「全面解禁」とは指示していないことに注目しつつ【注1】、次のように予測しました。「今後も混合診療の全面解禁はあり得ず、最終的には、昨年[2003年]の一連の閣議決定通り、『特定療養費制度の見直し』=拡大で、両者の(再)妥協が成立すると予測している。拡大の程度・範囲は、今後の日本医師会を中心とした医療団体の運動が国民の支持をどのくらい得られるかにかかっている」[1]。 今回の政治決着は大枠でこの予測通りと言えますが、私も特定療養費制度が廃止され、新制度に再構成されるとまでは考えていませんでした。そのためもあり、医療団体の政治決着に対する評価は一様ではなく、混合診療全面解禁を阻止したと「一定評価」するものから、混合診療の「実質解禁」と厳しく抗議するものまでさまざまです。それだけに、今回の政治決着は複眼的・多面的に評価する必要があると、私は考えています。 本稿では、それに先だってまず混合診療全面解禁をめぐる論争の本質について述べます。次に、今回の政治決着を複眼的に評価します。さらに、特定療養費制度の拡大・再構成=混合診療の部分解禁をしても、医療費・病院収益の大幅増加はない理由(傍証)を述べます。病院経営者の中には、それが病院の新たな収益源=経営改善の切り札になると期待している方が少なくないからです。最後に、混合診療解禁論争の2つの盲点を簡単に指摘して、本稿を終わります。 1.混合診療全面解禁をめぐる論争の本質 公的医療保険の給付水準理念の対立−「最適水準」説対「最低水準」説 私がもっとも強調したいことは、混合診療の全面解禁をめぐる論争の本質は、公的医療保険の給付水準についての理念の対立にあることです。具体的には、「最適水準」説と「最低水準」説との対立です[2:16]。厳密には、一部の社会保障研究者や運動団体は「最高水準」説を主張していますが、現実的影響力はないので省略します。 まず「最適水準」説とは、公的医療保険給付が「必要な最適量の医療を保障する」とするものであり、国内外の社会保障研究者の通説です。拙著『医療改革と病院』[2]では、地主重美氏・福武直氏(1983年)等の諸説を紹介しました。その後、日本で初めてこれを主張したのは藤澤益夫氏(1968年)なことを、権丈善一氏から教えていただきました[3]。ここで見落としてならないことは、昨年3月の閣議決定「医療保険制度体系及び診療報酬体系に関する基本方針」が、次のように政府の公式文書として初めて、「最適水準」説を確認したことです[2:15]:「社会保障として必要かつ十分な医療を確保しつつ、患者の視点から質が高く最適の医療が効率的に提供される」。 次に「最低水準」説は、規制改革推進派=医療分野への市場原理導入を目指す新自由主義派が主張しています。規制改革・民間開放推進会議の公式文書には、この表現は登場しませんが、八代尚宏同会議総括主査は、次のように明快に「最低水準」説を主張しています。保険診療で「生命にかかわる基礎的な医療は平等に保障されたうえで、特定の人々だけが自費負担を加えることで良い医療サービスを受けられる」ようにする[4:145])。八代氏の共同研究者の鈴木玲子氏も、「基礎的な医療サービスは公的保険で確保するとともに」「高所得者がアメリカ並みに自由に医療サービスを購入するようになる」と述べています[5:279,285]。 さらに、図(略)に示しましたように、規制改革・民間開放推進会議が2003年7月11日に公表した「規制改革推進のためのアクションプラン」の参考資料「『混合診療』の解禁の意義」では、混合診療解禁後保険診療(費用)が削減されることが明示されていました。なお、この図は少なくとも昨年12月上旬まで1年半、同会議のホームページに掲載されていましたが、12月10日前後に突如削除されました。私の勤務先(日本福祉大学)の大学院生が同会議事務局にその理由を尋ねたところ、「記載に誤りがあったため」とのことです。実は、この削除直前に発行された『週刊社会保障』12月6日号で、植松治雄日本医師会長が、混合診療解禁で公的医療保険が縮小する「動かぬ証拠」として、この図を引用しました[6]。私は、同会議事務局はこの批判に反論不能なため、この図を削除したのだと推定しています【注2】。 規制改革・民間開放推進会議は、混合診療の解禁により患者本位の医療が実現する、患者負担が軽減される、患者の多様なニーズに応えることができる、と主張しています。 しかし、彼らの「患者の視点」とは、患者一般の視点ではなく、「特定の人々」=「高所得者」である患者の視点と言えます。これは、支払い能力(貧富の差)にかかわらず平等な医療を受けられるとする国民皆保険の根本理念を否定する視点です。 特定療養費制度と混合診療との異同 次に指摘したいことは、特定療養費制度と混合診療との異同です。この点は、多くの医療関係者だけでなく、小泉首相や就任直後の尾辻厚生労働大臣も誤解していたようです。 特定療養費制度は、現物給付原則の枠内で例外的に混合診療を認めたものであり、管理された限定的混合診療と言えますが、混合診療「全面解禁」とはまったく異なります。 例えば、高度先進医療は新規技術の保険適用までの過渡的制度です。それに対して、八代尚宏氏が明快に説明しているように、混合診療では、「公的保険の対象となる医療サービスの範囲を明確化し、それを超える医療部分には保険を適用しないという単純なルール」が適用され、それと「現行[特定療養費]制度との大きな違いは、将来、保険給付に含まれるまでの時限措置ではなく、永続的なものとすること」です[4:146-147]。しかも、「混合診療が制度的に認知されるためには、…特定の診療のみに事実上の混合診療を認めている特定療養費制度を廃止することが基本となる」のです[4:146]。 そのために、混合診療の全面解禁は新規医療技術の保険導入を阻害します。しかも、自由診療のみでは新規医療技術は普及しないため、「医療技術の進歩が遅れがちになる」のです。東大・京大・阪大の3病院長が昨年11月22日に規制改革・民間開放推進会議に提出した要望書は、「特定療養費制度の適用認定には長期間を要し、医療技術の進歩が遅れがちになる」ことを理由にして、混合診療の導入を求めていますが、それは逆の結果を招きます。 混合診療解禁論の2つの不公正 この項の最後に、混合診療解禁論の2つの不公正について述べます。第1の不公正は倫理的不公正です。それの最たるものは、宮内義彦規制改革・民間開放推進会議議長の次のストレートな発言です。「[混合診療は]国民がもっとさまざまな医療を受けたければ、『健康保険はここまでですよ』、後は『自分でお支払いください』という形です。金持ち優遇だと批判されますが、金持ちでなくとも、高度医療を受けたければ、家を売ってでも受けるという選択をする人もいるでしょう」[7]。 この発言は、第二次大戦前には農村部の小作農や都市部の貧困層で常態化していた、重病人が出れば家どころか子女を売らなければ医療を受けられないという悲劇を予防するために公的保険制度が順次導入された歴史的経緯を無視した放言・暴言です。この発言は、現在(本稿執筆は1月17日)もオリックス証券のホームページに堂々と掲載されていますが、なぜかわが国のマスコミはまったく報じません。それに対して、私が大学院の講義(医療経済学特講)でこの発言を紹介したところ、韓国の留学生は異口同音に、「韓国だったらボコボコにされるか土下座なのに」と怒りを述べました。 鈴木玲子氏も、「混合診療の解禁によって、生命を救われる患者…は少なくない」と主張していますが[5:280]、これも混合診療を受けられない低所得患者の生命が救われないことを無視した非倫理的発言と言えます。 第2の不公正は経済的不公正で、高・中所得者が受ける混合診療の保険診療分の費用を低所得者も負担することです。この点については、李啓充氏が次のように、明快に批判しています。混合診療で「保険診療として給付される部分は、本来、自由診療分のコストを負担できない人々からも徴収した保険料が財源となっているのだから、『富める者には、皆から集めた保険料で援助する』一方で、『お金のない人からは保険料の取りっぱなし』になるのだから、これほど不公正な制度もない」[8:152]。 2.混合診療問題の政治決着の複眼的評価 次に、昨年12月15日の、尾辻厚生労働大臣と村上規制改革担当大臣との間で結ばれた「いわゆる『混合診療』問題に係る基本的合意」を複眼的に評価します。 評価すべき2点と功罪相半ばする1点 今回の政治決着でもっとも評価すべき点は、いうまでもなく、混合診療の「全面解禁」が、一昨年の一連の閣議決定に続いて、改めて否定されたことです。規制改革・民間開放推進会議は、昨年8月3日の「中間とりまとめ」で、「一定水準以上の医療機関において、新しい検査法、薬、利用法等を、十分な情報開示の原則の下で、利用者との契約に基づき、当該医療機関の判断により、『混合診療』として行うことを包括的に認める」ことを要求していました。しかし、これは、一般のものやサービスと異なり、医療では医師と患者の間に「情報の非対称性」があることを無視した空論です。 そのためもあり、最終的に全面解禁は否定され、現在の特定療養費制度を拡大・再構成して、新しい医療技術ごとに、個別に評価・承認した上で、個別の医療機関ごとの届け出制とすることとされました。上述したように、特定療養費制度(管理された限定的混合診療)と異なり、混合診療全面解禁が公的保険給付の引き下げ(究極的には「最低水準」化)を目的としていることを考えると、「全面解禁」が否定された意義はいくら強調しても強調しすぎることはないと思います【注3】。 もう一つ評価すべきことは、現行特定療養費制度の問題点とされていた、新薬(国内未承認薬)や先進技術の保険適用または特定療養費化の遅さが改善され、特定療養費化と「将来的な保険導入のための評価」が迅速に行われることになったことです。これにより、現行制度の不備を指摘し、「部分的な混合医療[診療]を認めてほしい」としていたがん患者団体の切実な願いが実現しました。なお、規制改革・民間開放推進会議は、患者団体の要求を混合診療全面解禁の大義名分にしていましたが、政治決着の直前に、患者団体の代表者は相次いで「完全解禁は望みません。医療に貧富の差がついたり、安全でない薬が使われるのは違うと思うからです」(「癌と共に生きる会」事務局長加藤久美子氏)等と表明し、全面解禁に固執する規制改革・民間開放推進会議とは一線を画しました[9]。 他面、高度先進医療以外の「必ずしも高度ではない先進技術を含めて」、「医療技術ごとに医療機関に求められる一定水準の要件を設定し、該当する医療機関は、届出により実施可能な仕組みを新たに設ける」とした点は、功罪相半ばすると思います。プラス面は、従来よりも多数の先進技術が多数の医療機関(厚生労働省の説明では、約100技術、約2000医療機関)で提供される結果、現行の高度先進医療に比べ、「保険導入の適否」の検討が迅速化される可能性があることです。マイナス面は、従来直接保険診療に組み込まれていたような「必ずしも高度ではない先進技術」までもが、いったん必ず「保険導入検討医療(仮称)」の対象にされるようになり、従来より保険導入が遅くなる危険があることです。どちらの側面が主となるかは、新しい制度の運用次第であり、日本医師会を中心とした医療団体と各医学会による監視と保険導入すべき根拠の迅速な提示が不可欠です。 もっとも危険な点と今後の火種になる点 逆に、今回の政治決着でもっとも危険なことは、「制限回数を超える医療行為については、適切なルールの下に、保険診療[と保険外負担]との併用を認める」とされたことです。政治決着の関連文書(厚生労働省「いわゆる『混合診療』問題について」)では、それの具体例として「腫瘍マーカー検査や追加的リハビリテーション」があげられています。 私は、20002年診療報酬改定でリハビリテーションの回数に1月当たりの上限が導入されたときに、次のように判断したことがあります。「今回のリハビリテーション回数の上限設定は、保険給付はこの上限以下に厳しく抑制する反面、上限を超えるリハビリテーションは全額自費で認めるという、リハビリテーション医療の公私二階建て医療(公私混合診療)化の布石と言える。もしそうなった場合には、リハビリテーション(医療)が目指している『全人間的復権』が、患者の支払い能力により制約を受けることになる」[2:201]。 不幸にして、この予言が部分的にせよ現実化してしまいました。ただし、大勢のしかも平等意識の強い患者が訓練に励んでいるリハビリテーション室で、患者の貧富の差により訓練回数を変えるのはきわめて困難であり、しかも医療従事者に強い倫理的苦痛を与ます。そのため、少なくとも当面は、高所得層対象の一部のリハビリテーション施設でしか実施されないと思います。 他面、保険給付の制限とそれを超える部分の自由診療化の対象は、将来大幅に拡大され、かつての「制限診療」(財政的理由による保険給付範囲の制限。武見太郎会長に指導された日本医師会の強力な運動により1962年に撤廃[10:217])が復活することも否定できません。この点では、今回の政治決着は混合診療「実質解禁」につながる危険を有しているとも言えます。ただし、今回の政治決着では、「適切なルールの下に」、および「医学的な根拠が明確なものについては、保険導入を検討する」という歯止めも加えられていますので、これにより一気に混合診療が拡大し、国民皆保険制度が空洞化することはないとも判断しています。 最後に、今後の火種となりうるのは、規制改革・民間開放推進会議が要求していた「国の基準を超える医師、看護師等の手厚い配置(基準を超える部分の人員サービス分)」の混合診療が「今後検討」とされたことです。この点について、厚生労働省が、上記文書で、「患者が保険外負担として多額の差額を求められていた付添看護の廃止前の状態に戻ることが危惧されることから、慎重な対応が必要」との正論を述べているのは評価できます。他面、規制改革・民間開放推進会議側からの圧力に加えて、私立医科大学協会が2003年2月に、中医協に対して、DPC方式の導入に対応して、「入院時特定療養費(仮称)を新設し、入院患者から毎日定額の料金を徴収できるようにする」要望書を提出したことを考慮すると、「今後高機能の急性期病院の経営困難の救済策として、承認される可能性は十分にある」と危惧しています[2:33])。 それだけに、日本医師会をはじめとした医療団体は、来年予定されている「医療保険制度全般にわたる改革法案」に、混合診療の実質解禁につながる条文が密輸入されないよう厳重に監視する必要があると思います。 3.特定療養費の再構成=混合診療の部分解禁でも、医療費・病院収益の大幅増加はない8つの理由 ここで視点を変えて、特定療養費制度を拡大・再構成し、混合診療を部分解禁しても、医療費・病院収益の大幅増加はない理由(正確に言えば傍証)を述べます。はじめにでも述べましたように、病院経営者の中には、それが病院の新たな収益源=経営改善の切り札になると期待している方が少なくありません。規制改革・民間開放推進会議も、先に示した図から明らかなように、混合診療解禁により保険診療を厳しく抑制する一方、保険外(自由)診療を大幅に増やすことにより、総医療費も増やし、それを企業の新しい市場にしようと考えています。しかし、これらはすべて幻想です。 4つの理由 私は、拙論「混合診療と特定療養費制度」(『医療改革と病院』所収)で、次の4つの理由をあげました[2:212-217]。第1は、わが国の現実の患者負担割合(GDP対比)は世界一高いことです。医療経済研究機構の推計によると、それはすでに1998年に21.7%であり、米国の16.8%を4.9%ポイントも上回っていました。その後2002〜2003年にわが国の法定患者負担は引き上げられましたので、日米の格差がさらに拡大していることは確実です。ただし、韓国の患者負担割合はわが国より高いため、「世界一高い」という表現は、先進国に限定しても不正確であり、訂正します。 第2は、国民の7割が平等な給付に賛成し、混合診療に賛成の国民は2割弱にすぎないことです(日本医師会総合研究機構「第1回医療に関する国民意識調査」等)。ただし、病院勤務医では混合診療支持が5割近いことも見落とせません。 第3は、介護保険法は公私混合介護を制度化しましたが、現実にはそれがほとんど進んでいないことです。具体的には、居宅サービス支給限度額を超える利用はわずか2%にすぎません。 第4は、1990年代に差額ベッドの規制緩和が進んだにもかかわらず、室料差額収入の医業収入に対する割合は漸減し続けていることです。医療法人病院では、1991年の2.0%から2001年には1.2%に低下しています。 4つの追加的理由 その後、特定療養費制度を拡大・再構成しても、医療費・病院収益の大幅増加はない理由(傍証)がさらに4つ付け加わりました。 第1の追加的理由は、川崎市の市民団体等の調査により、首都圏の老人病院(療養病床)の保険外負担が現在でも月平均10万円前後に達することが明らかになりましたが、意外なことにこの額は私が1992年に行った「老人病院等の保険外負担の全国調査」で得た数字と同水準なことです[11]。他面、同じ期間に1月当たりの法定負担は1.2万円から約7万円へと6倍も増加しているため、保険外負担と法定負担を合わせた患者負担総額は5割も増えています。このことは、所得水準が高い首都圏でさえ、患者負担が限界に達していることを示唆しています。 第2の追加的理由は、セコム損害保険が2001年に鳴り物入りで売り出した自由診療保険メディコム(主としてガンの先端医療対象の掛け捨て保険)の不振が続いていることです。この保険は明らかに混合診療解禁を見越して開発され、当初は販売から半年で30万件の契約を目標としていましたが、3年経った本年でも目標の1割の3万件の契約にとどまっています。 第3の追加的理由は、混合診療解禁派の鈴木玲子氏が行った「混合診療[全面]解禁による市場拡大効果」の試算です[5:285-289]。この試算では、「日本の医療支出[患者負担]の所得弾力性がアメリカ並みに上昇すると仮定した場合」、患者負担は85%も増加する反面、国民医療費総額の増加は12.6%にとどまるとされています。しかも、鈴木氏も、混合診療解禁の「弊害を防ぐために、解禁する医療分野を限定すること」等を提唱しています。このような混合診療の部分解禁では医療費増加は数%にとどまると思います。 第4の追加的理由は、混合診療の年金版と言える確定拠出年金(日本版401K年金)がわが国ではほとんど普及していないことです[12]。日本で3年前にこの年金が鳴り物入りで登場した背景には世界的な「自助努力=私的年金」重視の流れがあったとされますが、確定拠出年金の加入者は昨年9月末時点でまだ106万人と、厚生年金加入者のわずか3%にすぎないのです。年金ですら公私混合方式が普及しないのに、それに比べてはるかに生活に密着している医療で混合診療が普及するわけがない、と私は考えます。 例外は首都圏の民間ブランド病院 ただし、例外があります。それは首都圏にある高所得層対象の一部の民間ブランド病院で、これらの病院は特定療養費制度の拡大・再構成により収益増が期待できます。 他面、公費投入を受けている公的大病院が多額の差額を徴収しようとすると、議会・住民側から強い批判・圧力を受けることは確実です。また、都市部・農村部を問わず、大半の民間中小病院は、特定療養費制度が拡大・再構成しても収益増は期待できず、逆にそれに伴う保険給付費の抑制と患者減により、経営困難が加速する危険が大きいと言えます[13:76-78]。 おわりに−混合診療解禁論争の2つの盲点 最後に、本稿では紙数の制約のため触れられなかった混合診療解禁論争の2つの盲点に触れます。1つは、特に首都圏の老人病院(療養病床)で常態化している保険外負担が、実質的な混合診療なことです。私は、医師会・病院団体がこれの解決策を示さない限り、国民の支持は得られないと考えます。 もう1つは、社会保険診療報酬支払基金による医療費削減のための恣意的な「経済審査」です[14]。これへの反発から混合診療(患者からの安易な差額徴収)を感覚的に支持している医師(特に病院勤務医)が多いことを考慮すると、医師会・病院団体は、混合診療解禁反対時に、これの改革も掲げる必要があると思います。 【注1】読売新聞の誤報の罪は重い 読売新聞は、「小泉首相が、混合診療について『全面解禁する方向で年内に結論を出してほしい』と指示した」と2回も誤報しました(9月11日朝刊=無署名、10月25日朝刊=本田麻由美記者)。それだけでなく、私が担当者・関係者にその誤りを指摘したにもかかわらず、それを無視して誤報を繰り返しました。私はこの罪は重いと思います。なぜなら、一般読者だけでなく、医療関係者の中にも、この記事を真に受けて、「総理裁定で混合診療が全面解禁されるのではないか」と不安を抱いた方が少なくないからです。 【注2】混合診療解禁により保険診療費が増加する可能性 図に示したように、規制改革・民間開放推進会議は混合診療解禁により、保険診療を厳しく抑制できると期待していますが、私は医療経済学的に考えると、逆に保険診療費(公的医療費)が増加すると考えています。その論拠は以下の通りです。 「仮に[混合診療解禁の]国民合意が得られたすると、まず高度の医療を求める高・中所得層の患者ニーズに応えるために、自由診療(実際には私的保険が給付)の医療価格が高騰し、それに引きずられる形で、低所得者用の公的保険診療の医療価格の引き上げも必要となり、結果的に総医療費も公的医療費も増加することになる。なぜなら、医師・医療機関は、機械的に自由診療の患者のみに高レベルの医療を提供し、公的保険の患者には低レベルの医療のみを提供することは不可能だからである。実はこれは、私が1991年に『アメリカでは、全国民を対象にした公的医療保障制度が存在しないにもかかわらず、公費負担医療費が巨額な理由』について立てた『作業仮説』の一つであるが、翌年のアメリカ留学で、それが現実であることを確認した」[15:68,16:53]。なお、日本医師会医療政策会議も、「混合診療は確かに短期的には公的保険の財政状況を緩和する可能性もあるが、長期的には、国民は質の高い医療を求める以上、より高い水準に合わせて医療費全体の水準を押し上げる可能性が高い」として、アメリカの例をあげています[17]。 【注3】混合診療全面解禁は今後もあり得ない 規制改革・民間開放推進会議は今回の政治決着に不満を持ち、今後も混合診療全面解禁の「実現に向けて引き続き、積極的にとり組んでいく」としています(「第1次答申」昨年12月24日)。しかし、これは「負け犬の遠吠え」であり、今後も全面解禁はありえない、と私は判断しています。 その根本的理由は、全面解禁のためには現物給付原則を廃止する健康保険法の抜本改革が必要ですが、それは政治的に不可能だからです。第2の理由は、今回の政治決着で、規制改革・民間開放推進会議が「中間とりまとめ」で示していた「混合診療が容認されるべき具体例」の大半に対応可能になったからです。第3の理由は、混合診療解禁の指示を出した小泉首相自身が、政治決着後の記者会見で、混合診療を「無条件で解禁したら、混乱が生じます」と全面解禁を明確に否定したからです(「毎日新聞」昨年12月16日)。この背景には、昨年12月3日の衆参本会議で日本医師会等の提出した混合診療解禁反対の請願が全会一致で採択されたことがあることは確実です。 [本稿は、2004年12月3日の第3回日本医療経営学会学術集会・シンポジウムT「患者の視点に立った医療と経営」での私の報告の一部に、その後の混合診療問題での政治決着を踏まえて、加筆補正を加えたものです] 引用文献 1) 二木立「後期小泉政権の医療改革の展望」『社会保険旬報』No.2223,2004年10月21日号. 2) 二木立『医療改革と病院』勁草書房,2004. 3) 藤沢益夫「医療保障における現金と現物」『週刊社会保障』No.451,1968. 4) 八代尚宏『規制改革』有斐閣,2003. 5) 鈴木玲子「医療分野の規制改革−混合診療解禁による市場拡大効果」.八代尚宏・日本経済研究センター編『新市場創造への総合戦略』日本経済新聞社,2004. 6)植松治雄(インタビュー)「社会保障の理念を確立し皆保険を堅持」『週刊社会保障』No.2311,2004年12月6日号. 7) 宮内義彦(インタビュー)「規制改革で日本を世界の負け組から勝ち組にしよう」『週刊東洋経済』2002年1月26日号(「オリックス証券・宮内義彦ジャーナル」に再掲。http//www.orix-sec.co.jp/brk_jour/mj_11.html). 8) 李啓充『市場原理が医療を亡ぼす』医学書院,2004. 9) 樫田秀樹「混合診療にだまされるな」『サンデー毎日』2004年12月19日号。 10) 有岡二郎『戦後医療の50年』日本醫事新報社,1997. 11) 二木立「首都圏の長期入院患者の平均保険外負担は1月当たり10万円前後」『文化連情報』No.321,2004年12月号. 12) 山口聡「『401K』世界の憂うつ−伸びぬ加入”自助努力”は幻想?」『日本経済新聞』2004年12月27日号(朝刊). 13) 二木立『90年代の医療と診療報酬』勁草書房,1992. 14) 橋本巌『医療費の審査』清風堂書店,2004. 15) 二木立『21世紀初頭の医療と介護』勁草書房,2001. 16) 二木立『複眼でみる90年代の医療』勁草書房,1991. 17) 日本医師会医療政策会議「平成9年度報告−高齢社会における社会保障のあり方」1998. 2.ニューズレター5号(5.私の好きな名言・警句の紹介)の記載の訂正・補足 ○(6頁)アインシュタイン「真実を探求する権利には義務も含まれる。真実と認められたものはその一部たりとも隠してはならない」:出所は「毎日新聞」2005年1月4日朝刊(日付が抜けていました)。 ○(7頁)アルフレッド・マーシャルの正確な言葉は「冷静な思考力を持ち、しかし温かい心をも兼ね備えた(cool heads but warm hearts)」:最後の1文<なお、同氏[権丈善一氏]によると、ケインズもandと誤って引用しているそうです(『人物評伝』)>は、以下のように訂正します。<同氏によると、ケインズはマーシャルの評伝で正しくandと記載しているにもかかわらず、大野忠男訳『人物評伝 ケインズ全集第10巻』(東洋経済,287頁)では、なぜか「冷静な頭脳と温かい心情」と訳されているそうです。>私が権丈氏からいただいた情報を誤って理解して、紹介してしまいました。たいへん失礼しました。 ○(7頁)マーク・トウェイン「嘘には3種類ある。何でもない嘘、しらじらしい嘘(damned lies)、それに統計だ」の初出:「正しくは1985年のLeonard H Cortney卿の言葉」は、「正しくは1895年の…」の誤植です。二木コメント(追加)−YahooJapanで検索すると、マーク・トウェインの言葉として、「嘘には3種類ある」の2番目の嘘を「本当のことを黙っている類のウソ」と紹介している方が少なくありません(例:浦島充佳氏、坂本二哉氏、宮川公男氏)。しかし、原文のdamned liesはこうは訳せないと思います。damnedをdammed(dam:感情の流れを抑える、せき止める)と取り違えたための誤訳かもしれません。 3.私の好きな名言・警句の紹介(その2)−統計・数字編 ○佐久間昭「[統計的]有意症(significantosis)」ー「統計的に有意ということは生物学的、医学的に集団としての体重の増分が有意義だという内容を含まないし、5%で有意よりも1%で有意の方が、体重の増分が大きいのだという直接的な内容も含まない。…体重増分の程度は、推計によって検討され、その解釈は実質科学的な知識をもとに行われるべきである。有意であることは、作業仮説段階での体重の増加の作用機序の統計的な証明と考えることも危険で、たかだか、データは作業機序と矛盾しないという程度であり、その証明は、統計学ではなしに、医学、生物学の固有の問題である。…この辺のsignificance of significantの誤解を症状とする病気を“有意症”significantosisという」(『薬効評価−計画と解析T』東大出版会,1977,51頁)。二木コメント−これは佐久間先生(東京医科歯科大学教授・難治疾患研究所臨床薬理学部門)の造語で、先生の十八番でした。30年前と異なり、現在では統計学の基礎知識がなくても、パソコンで統計ソフトを用いて手軽に統計処理できるようになった結果、この病気の罹患者が増加していると思います。次のGIGOについても同じです。 ○「GIGO(garbage in, garbage out)」:「ゴミを入れても、ゴミが出てくるだけ」、元になるデータが悪ければ、いくら精緻な統計処理をしてもマトモな結果は得られないという揶揄。私は、1972年の第12回臨床試験における統計セミナー(日科技連主催)に参加したときに、佐久間昭先生から初めて教えていただきました。別の方からは、GIGOはgigolo(ジゴロ)のもじりで、[ジーゴ]と発音すると教えられましたが、これは真偽不明です。 この言葉は、私の手持ちの統計学辞典等には掲載されていません(東洋経済新報社版『統計学辞典』1986、新曜社『統計用語事典』1984、朝倉書店版『社会調査ハンドブック』2002等)。谷岡一郎『「社会調査」のウソ』(文春新書,2000,23頁)では、社会調査方法論の世界の言葉として紹介されています。同氏は、この種のゴミを一番出しているのは「学者」と「その予備軍とされる大学院レベルの研究者」と主張されており、私も同感です。 意外なことにこの言葉は、普通の英和辞典には載っていますが、そこではこれはコンピュータ用語であり、しかも「不完全なデータの結果は信頼できない原則」あるいは「入力が正しくないと、出力の情報もやはり正しくないという経験則」であると、上述した意味より狭く説明されています。発音も[ガイゴウ]とのことです。 ○D・メインランド「標本の大きさに関してこれ[小標本は統計学者にとっては無意味なものであろうという誤解]とは逆の型の批判もまた聞かれる。それは小標本(20ないし30例)からえた統計学者の結論などは、数百例を取り扱う臨床家の経験と比べるととるに足らないものであるという類いである。この種の批判は、“われわれは1000回も同じ誤りをおかし、それを‘臨床経験’と呼んでいるのだ”という臨床家の言葉には注意を払っていないのである」(『医学における統計的推理』東大出版会,1962,138-139頁)。 ○志井和夫(日本共産党委員長)「政治家の仕事としては現場第一…質問するにしても(現場の)一人ひとりの顔が頭に浮かんでくるような気持ちでやるのか、それとも現場の実態を統計でしか知らないで質問するのか、これはずいぶん違ってきます」(「しんぶん赤旗」2004年11月28日:FMラジオ番組「永田町カフェ」に出演時の発言)。 ○清水佑三「数字にも感情があることを知っている…数字は生きたものの投影、射影である。生きたものの構造を映していない無理な数字の組み合わせは、それを見抜ける目には異様な感じに映る。ヘン、アブナイと直覚する。粉飾はわかるのである。/数字が『痛い、痛い』と泣いている。数字にも感情がある、これがその真意である。それがわかるだけだ」(『数字と人情』PHP新書,2003,98頁)。 ○難波洋三(銅鐸鑑定人)「遺跡や遺物に執着し、そこからどれだけ多くの情報をつかみ出すか。まあオタクですよ。でも数多く見るだけではだめ。感覚が必要です」(「朝日新聞」1996年12月17日朝刊「ひと」)。 ○三須田健「数値の内容は自分の五感で確かめるのが原則である。…孫引きは失敗のものである。数値についての誤植や錯覚を発見するのは難しいことである。/数値に含まれている情報は、一般にごくわずかなものである。そのわずかな情報が大きな価値を持つのは、既知の科学的・技術的知識に付け加えられるときだけである。いいかえれば、背景に関して十分な知識と洞察力を備えているものが数字を見れば、わずかな数字から重要な事実を発見できるのである」(武谷三男編『安全性の考え方』岩波新書,1967,168-169頁)。 ○丸山博「衛生統計学は、いつも血と汗でつづられた人生の結晶である」(『公衆衛生(復刻版)』医療図書出版社,1972,152頁)。二木コメント−純私的ことですが、この本は私が1972年4月に社会人(病院勤務医)になって最初に読んだ本で、読書ノートを書きながら熟読しました。この本に興味を持ったのは、私の友人の結婚式で、私の母校東京医科歯科大学の柳沢文徳教授(難治疾患研究所疫学部門)が「公衆衛生学の最高の基本文献」と激賞して、「常のこの本に立ち返るように」とその友人にプレゼントしたからです。この本は1950年に三省堂から出版された直後に、GHQによって発禁処分を受けたそうです。私はこの本により、上述した統計学の精神だけでなく、歴史を学ぶことの大事さを知りました。 |
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2005年5号(2.1) |
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1.拙小論「混合診療問題の政治決着を複眼的に評価する」 (「二木教授の医療時評(その7)」『文化連情報』2005年2月号(323号):26−28頁) ※ 「混合診療問題の政治決着の評価と医療機関への影響」を包括的に検討した拙論を『月 刊/保険診療』2月号(2月10日発行)に掲載予定で、これはそれのサワリです。 昨年9月10日に小泉純一郎首相が、混合診療について「年内に解禁の方向で結論を出」すよう指示してから3カ月間、混合診療の「全面解禁」を求める規制改革・民間開放推進会議や経済財政諮問会議と、それに反対する厚生労働省や日本医師会をはじめとする医療団体との激しい攻防が続きました。その結果最終的には、昨年12月15日、尾辻秀久厚生労働大臣と村上誠一郎規制改革担当大臣が、現行の特定療養費制度を「保険導入検討医療(仮称)」と「患者選択同意医療(仮称)」という「新たな枠組みとして再構成する」ことに合意し、それを小泉首相が了承することで、政治決着が行われました。 私は、本時評(その2)(本誌昨年10月号)で、次のような予測を行いました。「私は、最終的には、政府内で、昨年[2003年]前半の一連の閣議決定通り、特定療養費制度の拡大で合意・妥協が成立すると予測しています。どの程度拡大するかは、今後の運動にかかっています」。今回の政治決着は大枠でこの予測通りと言えますが、私も特定療養費制度が廃止され、新制度に再構成されるとまでは考えていませんでした。それだけに、今回の政治決着を複眼的に評価する必要があると感じています。 評価すべき2点と功罪相半ばする1点 今回の政治決着でもっとも評価すべき点は、いうまでもなく、混合診療の「全面解禁」が、一昨年の一連の閣議決定に続いて、改めて否定されたことです。規制改革・民間開放推進会議は、昨年8月の「中間とりまとめ」で、「一定水準以上の医療機関において、新しい検査法、薬、利用法等を、十分な情報開示の原則の下で、利用者との契約に基づき、当該医療機関の判断により、『混合診療』として行うことを包括的に認める」ことを要求していました。しかし、これは否定され、現在の特定療養費制度を拡充して、新しい医療技術ごとに、個別に評価・承認した上で、個別の医療機関ごとの届け出制とすることとされました。特定療養費制度(管理された限定的混合診療)と異なり、混合診療「全面解禁」が公的保険給付の引き下げ(究極的には「最低水準」化)を目的としていることを考えると、「全面解禁」が否定された意義はいくら強調しても強調しすぎることはないと思います。 もう一つ評価すべきことは、現行特定療養費制度の問題点とされていた、新薬(国内未承認薬)や先進技術の保険適用または特定療養費化の遅さが改善され、特定療養費化と「将来的な保険導入のための評価」が迅速に行われることになったことです。これにより、 現行制度の不備を指摘し、「部分的な混合医療[診療]を認めてほしい」としていたがん患者団体の切実な願いが実現しました。なお、規制改革・民間開放推進会議は、患者団体の要求を混合診療「全面解禁」の大義名分にしていましたが、政治決着の直前に、患者団体の代表者は相次いで「完全解禁は望みません。医療に貧富の差がついたり、安全でない薬が使われるのは違うと思うからです」(「癌と共に生きる会」事務局長加藤久美子氏)等と表明し、「全面解禁」に固執する規制改革・民間開放推進会議とは一線を画しました(「混合診療にだまされるな」『サンデー毎日』昨年12月19日号)。 他面、高度先進医療以外の「必ずしも高度ではない先進技術を含めて」、「医療技術ごとに医療機関に求められる一定水準の要件を設定し、該当する医療機関は、届出により実施可能な仕組みを新たに設ける」とした点は、功罪相半ばすると思います。プラス面は、従来よりも多数の先進技術が多数の医療機関(約100技術、約2000医療機関)で提供される結果、「保険導入の適否」の検討が迅速化される可能性があることです。マイナス面は、従来直接保険診療に組み込まれていたような「必ずしも高度ではない先進技術」までもが、いったん必ず「保険導入検討医療(仮称)」の対象にされるようになり、従来より保険導入が遅くなる危険があることです。 もっとも危険な点と今後の火種になる点 逆に、今回の政治決着でもっとも危険なことは、「制限回数を超える医療行為については、適切なルールの下に、保険診療との併用を認める」とされたことです。政治決着の関連文書(厚生労働省「いわゆる『混合診療』問題について」)では、それの具体例として「腫瘍マーカー検査や追加的リハビリテーション」があげられています。私は、2002年診療報酬改定でリハビリテーションの回数に1月当たりの上限が導入されたときに、次のように判断したことがあります。「今回のリハビリテーション回数の上限設定は、保険給付はこの上限以下に厳しく抑制する反面、上限を超えるリハビリテーションは全額自費で認めるという、リハビリテーション医療の公私二階建て医療(公私混合診療)化の布石と言える。もしそうなった場合には、リハビリテーション(医療)が目指している『全人間的復権』が、患者の支払い能力により制約を受けることになる」(拙著『医療改革と病院』勁草書房、2004、201頁)。不幸にして、この予言が部分的にせよ現実化してしまいました。 しかも、保険給付の制限とそれを超える部分の自由診療化の対象は、将来大幅に拡大され、かつての「制限診療」(財政的理由による保険給付範囲の制限。武見太郎会長に指導された日本医師会の強力な運動により、1962年に撤廃。有岡次郎『戦後医療の50年』日本醫事新報社、1997、217頁)が復活する危険も否定できません。この点では、今回の政治決着は混合診療「実質解禁」につながる危険を有しているとも言えます。ただし、今回の政治決着では、それに「適切なルールの下に」、および「医学的な根拠が明確なものについては、保険導入を検討する」という歯止めも加えられていますので、これにより一気に混合診療が拡大し、国民皆保険制度が空洞化することはないとも判断しています。 最後に、今後の火種となりうるのは、規制改革・民間開放推進会議が要求していた「国の基準を超える医師、看護師等の手厚い配置(基準を超える部分の人員サービス分)」の混合診療が「今後検討」とされたことです。この点について、厚生労働省が、上記文書で、「患者が保険外負担として多額の差額を求められていた付添看護の廃止前の状態に戻ることが危惧されることから、慎重な対応が必要」との正論を述べているのは評価できます。他面、規制改革・民間開放推進会議側からの圧力に加えて、私立医科大学協会が2003年2月に、中医協に対して、DPC方式の導入に対応して、「入院時特定療養費(仮称)を新設し、入院患者から毎日定額の料金を徴収できるようにする」要望書を提出したことを考慮すると、「今後高機能の急性期病院の経営困難の救済策として、承認される可能性は十分にある」と危惧しています(上掲『医療改革と病院』33頁)。 それだけに、日本医師会をはじめとした医療団体は、来年予定されている「医療保険制度全般にわたる改革法案」に、混合診療の実質解禁につながる条文が密輸入されないよう厳重に監視する必要があると思います。 2.西村周三氏と私との対談「医療制度改革の何が問題なのか」(『月刊/保険診療』1月号:3-13頁)のご案内 論点は、@日本の医療費抑制政策、A高齢者医療制度、B診療報酬の包括化、C混合診療の4つです。拙論には書いていないことも含めて、率直に語りあっていますので、お読みいただければ幸いです。 3.最近出版された医療経済・政策学関連図書(洋書)のうち一読に値すると思う4冊の紹介 ○『[新規医療技術の公的]医療保険導入の決定−国際比較研究』("Health Care Coverage Determinations -An International Comparative Study" Ed. Jost TS, Open University Press, 2005) わが国で昨年9〜12月に行われた混合診療解禁論争では、新規医療技術の保険導入のあり方が1つの焦点になりました。このことを国際比較的視点から考える上で、たいへん参考になる本が出版されました。 それが、新規技術の公的医療保険(保障)導入の制度、手続き、基準について、8カ国の詳細な「事例研究(case study)」を行った本書です。その8カ国とは、オーストラリア、カナダ、ドイツ、オランダ、スペイン、スイス、アメリカ(メディケア)、およびイギリスです。事例研究では、特にこの政策決定過程で利益集団(interest groups)や国民の関心が果たす役割を検討しています。さらに、4種類の新規技術の医療保険導入についての8カ国の違いとその理由を検討しています(PET、高圧酸素療法、慢性骨髄性白血病の新薬、インフルエンザの新薬)。その結果、各国とも新規技術の保険導入では根拠に基づいた科学的評価を重視しているが、保険導入には政治的考慮も関係し、特に利益集団が大きな影響力を有していることを確認しています。最後に、本書は、国民の利益を増す視点から、技術評価(technology assessment)を新規医療技術の保険導入の決定に際して「慎重に」用いることを提唱しています。編者のJost教授はアメリカの医療分野の法学研究者、他の執筆者は各国の医療経済学、医療政策学等の研究者です(以上は裏表紙のサワリ+α)。 本書は全11章(本文265頁)で構成されています。第1章では、まず、先進諸国は医療費の急増に直面しており、その主因の1つは、既存技術に比べて高額であることが多い新規医療技術の継続的な開発と普及にあるという認識が示された後、分析の方法論が公共選択理論(規制制度を市場と同様に扱う)を中心に示されています。第2〜9章は8カ国の事例研究です。第10章では事例研究が総括されると共に、それから得られる教訓が8点あげられています(252-255頁)。この8点は、わが国における新規技術の保険導入や「混合診療」部分解禁について考える上で、特に参考になります。例えば、第1の教訓は、技術評価は当初医療費抑制のために用いられると恐れられていたが、ほとんどの国では、現在でも新規技術の保険導入に際しては費用よりも効果の方が重視されていること、特に重篤な疾患の救命技術は保険導入されやすいこと(「救命ルール」)です。また第6の教訓は、新規技術がいったん私的保険や研究機関に限定して導入されると、そのことが公的保険への導入に対する強い圧力となることです。最後の第11章(結論)では技術評価が新規医療技術の保険導入で果たしている役割が検討され、それの今後の改善点が示されています。 なお、私は、少なくともわが国では、医療費増加(正確には医療費水準=医療費の対GDP比の上昇)の主因が技術進歩であるとは言えないと判断しています(拙著『日本の医療費』医学書院,1995,第2章V技術進歩は1980年代に医療費水準を上昇させたか?)。 ○『医療政策と経済学−機会と課題』("Health Policy and Economics - Oppotunities and Challenges" Ed. Smith PC, et al. Open University Press, 2005) 本書は、今やヨーロッパにおける医療経済学研究のメッカとなったヨーク大学医療経済学センター(1983年開設)の創立20周年記念カンファランスがベースになった本です。3人の編者はいずれもヨーク大学所属の医療経済学研究者です。医療経済学が医療政策にどのように寄与できるかを示すことを目的として、先進国の医療制度が共通に直面している一般的政策課題を検討しています。ただし、分析の焦点はイギリスの医療政策です。 全14章(本文279頁)で、マクロレベルからミクロレベルまでさまざまなテーマを扱っています。主なものは、費用効果的な治療の決定法、医療の公正な分配、組織と労働者の成果測定とインセンティブ、医療制度の分権化と国際化等です。最後に編者は、経済学的視点がすべての医療制度の効果、効率と公正を改善する上で中心的な役割を果たすと主張しています(以上は裏表紙と第1章のサワリ+α)。 本書は医療経済学の初級教科書でも、単なる研究論文集でもなく、「医療経済・政策学」の中級教科書です。市場志向の強いアメリカの医療経済学と違い、政策志向の強いイギリスの医療経済学はわが国の医療政策を検討する上でも参考になるため、難しいが挑戦しがいのあるある本と言えます。 ○『医療経済・政策学(第3版)』("Health Economics and Policy Third Edition" by Henderson JW, South-Western Educational Publishing, 2005) 医療経済学の基礎理論と医療政策の経済分析を統合したユニークな教科書の最新版です。全5部18章(本文466頁)の大著ですが、アメリカの教科書としては平均的厚さです。第1〜3部(保健・医療の経済学の適切性、需要側の考慮、供給側の考慮)は通常の医療経済学教科書と同じですが、第4部ではアメリカの医療費を増加させる特殊要因(confounding factors)、第5部では医療提供の公共政策が検討されており、文字通り「医療経済・政策学」と言えます。 アメリカの大半の医療経済学教科書が医療技術を正面から論じていないのと異なり、本書の第4部第13章医療における技術(Technology in Medicine)では、医療技術の包括的な経済分析が行われています。それは、医療技術の普及、臓器移植技術の事例研究、製薬産業の3本柱で、第1の柱では、「技術進歩の経済学」、「技術の諸レベル」、「技術の普及における保険の役割」が簡潔に説明されています。 本書のもう1つの魅力は、各章の最後に高名な医療経済学研究者の簡潔なプロフィルが付けられていることであり、これらだけでも一読に値します(アロー、ポーリー、フェルドスタイン、ラインハルト、シュワルツ、ベッカー、スローン、フュックス、ダンツオン、ニューハウス、イグルハート、ゴドマン、カリヤー、エントーベン)。 ○『政策過程を理解する−福祉の政策・実施の分析』("Understanding the Policy Process
Analysing Welfare Policy and Practice" by Hudson J and Lowe S, John
Hudson & Stuart Lowe, 2004) (1) 最近知った名言・名句 |
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2005年4号(1.8) |
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今回お送りするのは、『文化連情報』1月号に掲載した拙小論「『介護ビジネス進出の実務』を読む」です。 その前に、本ニューズレター第1号のHealth Affairs誌23巻6号の紹介について補足します。同誌の主要論文にはそれに対する「コメント・批判論文」(Perspective)が付けられており、1号で紹介した4論文のうち、最初の2論文にはそれがあります。特に、2番目に紹介した論文「疾病管理(diesease management)は医療の質を高めて医療費を削減できるか?」のPerspective(pp76-78)では、Crosson FJ等が、この論文の意義を高く評価しつつ、費用節減(cost savings)の定義が一般に用いられているものよりもはるかに厳しい等の疑問・批判を呈しています。なお、この論文で検討されている4疾患とは、冠動脈疾患、心不全、糖尿病、気管支喘息です。 「二木教授の医療時評(その6)」『文化連情報』2005年1月号(322号):32−33頁. 『介護ビジネス進出の実務』を読む 大内俊一『中小建設業・工務店の強みを活かす介護ビジネス進出の実務』(日本実業 出版社、二〇〇四年七月発行、二二〇〇円)は、来年度に予定されている介護保険制度改革の議論の盲点を衝く本で、サラリと一読に値します。 著者の大内俊一氏は、かつて全国社会福祉協議会に勤務したこともある、「福祉とビジネスの両方の現場を知る」異色の経営コンサルタントです。この本は、そんな著者が全国三百カ所(!)で開いた建設業向けの介護ビジネス進出セミナー(介護ビジネス創業支援セミナー)で出された受講者からの要望と、著者自身が創業した要介護者対応住宅改修工務店の経験を踏まえて書かれています。 本書は、以下の四章から構成されています。第一章(建設)業界に吹き荒れる逆風を順風に変える!、第二章大チャンスをもたらす厚労省の新たな方針、第三章「介護保険」は入札も談合も不要な公共事業、第四章サービス別の介護保険指定事業者になるための手続きはこうする。最後の第四章は全体の八割を占め、建設業者が介護保険指定事業者になるための実務が「申請書・添付書類の記載例」つきで詳細に書かれています。 医療関係者が一読に値するのは第一〜三章で、これを読むと、著者や中小建設業界の介護保険に対する本音・期待、特に公共事業の削減にあえぐ中小建設業界にとって介護保険市場が救世主であること、がよく分かります。例えば、「『過剰知らず』の介護ビジネス」(19頁)、「介護保険は入札も談合も不要な公共事業」(51頁)、「利用者との相対取り引きに支払われる九割の『公金』」等です。また、中小建設業界が、来年度の介護保険法「改正」で制度化される予定の「新しい『住まい』」、「第三類型」を大変なビジネスチャンスととらえていることも、よく分かります(おわりに等)。これらの大前提として、著者は「介護保険は福祉ではない」と何度も繰り返しています。 私の専門とする医療経済学では、「供給者(医師・医療機関)誘発需要」がキーワードとされています。これは、一般の市場では消費者が商品・サービスの購買を決める「消費者主権」が存在しているのに対して、医師と患者の間に大きな「情報の非対称性」がある医療市場では、医師・医療機関が患者(消費者)に代わって需要の相当部分を誘発しているとするものです。 本書を読むと、この供給者誘発需要は、介護保険市場にもそのまま通用することがよく分かります。しかも、需要誘発に対して曲がりなりにも医療倫理による歯止めがある医師・医療機関と異なり、営利企業には歯止めがありません。そのために、厚生労働省や市町村がどんなに規制を加えても、今後、それらと事業者(特に営利事業者)との「いたちごっこ」が続き、介護保険給付費が今後も急騰し続けることは確実だ、と感じました。 実は、これの一端は「日医総研ワーキングペーパー」一〇一号(二〇〇四年七月)の「介護サービス事業所の運営実態と拠点展開−『株式会社』を中心に」(前田由美子氏・他)でも示されています。具体的には、厚生労働省「平成一四年介護事業経営実態調査」によると、営利企業の訪問介護利用者一人一カ月当たり売り上げ単価は五・〇一万円で、他の開設者より相当高いのです(医療法人四・一九万円、社会福祉法人三・四三万円)。しかも、営利法人は、訪問介護一人一カ月当たり費用も高くなっています。この結果に基づいて、ワーキングぺーパーは、営利法人は「効率化によるコスト削減をする以前に、より高い単価の顧客をより多く獲得しようというインセンティブが働く場合もある」とコメントしており、私もこれは妥当と思います。 なお、建設業界の事情に詳しい友人によると、介護保険制度創設で一番喜んでいるのは国土交通省(旧建設省)であり、建設業界に対して「高齢者住宅をドンドン作れ。高齢者の世話は介護保険の責任だ」と、無責任な号令をかけているとのことです。
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2005年3号(1.7) |
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今回お送りするのは、少し古いですが、The Economicst誌2004年8月21日号)のChina's growing pains - Special reports on pollution and health care「中国の増大する痛み−大気汚染と医療に関する特別レポート」中のChina's health care「中国の医療」(20-22頁)の抄訳です。 この特別レポートでは、中国のめざましい経済成長の影の部分として、大気汚染と崩壊しつつある国営医療制度の2つがあげられています。このレポートは学術論文ではありませんが、社会主義市場経済下の中国医療の最新の動向と問題点がリアルに活写されています。特に、自由主義(リベラリズム)の立場に立つ「エコノミスト」誌が、このレポートの最後で、「中国は市場メカニズムだけでは良質な医療を提供できないことを発見しつつある」と書いていることには、考えさせられます。 私の勤務先の21世紀COEプログラムでは、中国の医療の研究も行っており、しかも私の大学院演習(医療福祉計画論演習)には中国・韓国からの留学生が多数参加しているため、このレポートを1度、その演習で勉強しました。以下の抄訳は、山本美智代さん(本学大学院社会福祉学研究科博士後期課程)が抄訳したレポートに、私が添削を加えたものです。 なお、このレポートは、本学内外の中国人研究者・院生にも紹介して意見を求めましたが、ほとんどすべての方が、ここに書かれていることは事実・妥当と認めていました。 「中国の医療−患者はどこに?」抄訳(The Economicst Aug 21st,2004,pp20-22) リード:中国が資本主義へと激変する中、医療制度と環境問題が置き去りにされている。以下では医療制度について考察する。 両親がむくみに気づいたのは、ロンロンの生後間もなくのことだった。両親は村の診療所(village clinic)と田舎の診療所(rural clinic)に連れて行った。両診療所とも、子供が深刻な栄養失調であることを発見できなかった。れんが工場で働く父親の収入の2ヶ月半分に相当する料金を請求したのだけれども。おそらくこの遅れが、ロンロンの命取りになった。両親が都会の病院(city hospital)に連れて行ったとき、そこでは適切な診断がなされたのだが、ロンロンは危険な状態にあった。数日後にはさらに給料の3ヶ月分の請求が来て、ロンロンは死亡した。 【以下、各パラグラフ冒頭の1文とそれ以外の重要な記載を訳出】 ○その赤ちゃんはAnhui省の村出身であった。中国では、過去数ヶ月間に劣悪な粉ミルクを飲み、深刻な栄養失調になる赤ちゃんが少なくとも200人発生し、一部は死亡しているが、そのうちの1人であった。 ○4月にスキャンダルが明らかになった後、政府は上述したような子どもは無料で治療が受けられると発表した。 ○ロンロンの両親は、他の遺族と同様に、自治体から賠償金を受け取った。12,000元(1,450 ドル)は、ロンロンの父親の2年分の収入に相当した。 ○しかし悲劇はロンロンの母親に襲いかかった。今では母親自身が、治療が必要な状態で ある。 ○批判は、いたるところにある偽のまたは劣悪な製品の販売に集中した。しかし大きな問 題は、医療制度そのものにある。 ○毛沢東はひどい失敗もあったが、医療を供給する点においてはよかっただろう。彼の時代には国民の9割は、有名な“裸足の医者”が経営する診療所へ受診することができた。 しかし過去20年間の中国の絶え間ない資本主義への移行の中で、医療制度は崩壊した。農村部では人口の90%が無保険者である。都市部でも約60%が無保険者である。 ○WHOが4年前に191ヶ国の公的医療制度をランク付けしたとき、中国は144位であり、 いくつかのアフリカの貧しい国々よりも低かった。インドは国民1人あたりGDPが中国の半分であるが、112位にランクされた。評価基準には、医療へのアクセスの公正性、負担金の公正性が含まれていた。 Better to live on the coast−沿海部に住むことがベター ○平均寿命、乳児死亡率、死産率で評価すると、中国の数値はかなり良いようにみえる。 ○しかし大きな地域差がある。上海近辺のようなより豊かな地域では、健康指標は多くの欧米諸国並みに良い。 ○最初の30年間の共産主義の強力な推進以降、健康指標は過去25年ほとんど変化していない。過去20年間における1年あたりのGDPの平均成長率が9.7%という驚異的な経済 成長にもかかわらず。 ○世界銀行によると、中国では過去20年で4億人が深刻な貧困から脱した。しかし何百万人もの人々が、貧困状態に逆戻りした。他の何百万人の人々は、医療を受ける経 済的余裕がなく死亡した。3年前の政府の調査では、農村部に住む60%の人々が、費用が理由で病院を受診しないことが明らかになった。 ○状況はさらに悪くなるかもしれない。ここ数年のうちに、高額な医療費を家族や友人か ら借りて工面するという中国のやり方は、人口に占める高齢者の割合が急増するにつれ てより困難になるだろう。国連は2040年には、中国では60歳以上の高齢者1人を労働者2人が支えることになると予測している。2000年は6.4人である。先進国においては高齢化が一般的であるが、戦略・国際研究センターは最近のレポートで、中国は国が豊かになる前に高齢化が進む最初の主要国になると述べている。 Too nervous to spend−消費するには不安が大きい ○医療制度の崩壊に関する国民の不安は、中国の高い貯蓄率に表れている。中国の国有銀行は危険な状態であるにもかかわらず、近年個人預金が急速に増加している。医 療費や教育費の急激な上昇についての心配−私保険の不足や他の低リスクの投資機会の 欠如がそれらを相殺しているかもしれない−が消費者需要を抑制しており、それが中国の長期的な経済成長を危うくしている。 ○このことは医療制度改革が、中国の開発戦略にとって決定的であることを意味する。 ○昨年のSARSの発生は政府の関心を集めただけでなく、伝染病の管理について断片的な記録しかもっていない国からの潜在的な健康への脅威という点で世界の注目を浴びた。 ○危機に直面し、政府もこのことに気づき、国民に対しSARSの治療費は払う必要がない といって安心させた。 ○SARSの発生により、医療制度がいかに脆弱で危険になっているかが証明された。政府関係者は突然、HIVのような放置されてきた健康問題に関心を向け始めた。 ○胡錦涛国家主席と温家宝首相にとって、医療制度を改善することは、共産党に対する悪 いイメージを払拭する政治戦略の一部となっている。 ○しかし最近では、単に1人あたりGDPを上昇させることから、よい健康状態にあるといったより幅広い豊かさの基準を達成することを強調するようになった。 ○しかしそれを達成するのは、GDPの成長を目標にするよりもはるかに困難である。過去20年間、政府の医療制度に対する財政負担は減少している。都市部の病院−その多くは依然として国有であるが−の公費負担はわずか約10%である。残りは、薬の販売や検査などから収入を確保しなければならない。 Even immunization isn’t free−予防接種でさえ無料ではない ○農村部の病院では、財政状況はさらに悪い。 ○予防接種ですら有料にしなければならない。WHOによると中国は、患者が児童期の予防接種の費用を利用者が負担する西太平洋の中で唯一の国である。 ○国有企業はかつて、病院運営を含め、基本的な医療に対して重大な責務を負っていた。 ○公的医療の慢性的な財源不足は、中国の病院に皮肉(cynicism)と汚職の文化を作り出した。治療を受ける前に全額支払わなければならないだけでなく、よい医療を受けるためには、医師や看護師への謝礼を支払わなければならないと患者はしばしば不満をもらしている。 ○SARSの発生に悩まされていたころ、当局は、農村部の人々や貧しい人々が基本的な医療にアクセスできるように努力した。 ○農村部では新協同医療システムが試されおり、2010年までに全国的に展開する予定がある。資金は民間団体、地方自治体と中央政府によって負担される。加えて、深刻な病気の費用をカバーするため、都市部と農村部の最貧層の家庭には、中央政府・地方自治体によって支払われる保険が導入された。 ○しかし双方のプロジェクトとも、重大な欠点がある。地方自治体は、特により貧しい地 域では、必要な負担金を支払いたくない。個人も、ただちに必要としていないサービスに対し、お金を支払いたくない。 Can market forces provide the answer?−市場メカニズムは問題を解決できるか? ○中国には他にどのような選択があるか?市場を万能薬とみなし、政府は撤退し価格は競 争に任せよと主張する政府関係者もいる。最近多くの都市で、病院を民間出資者に売却したり貸し出したりしている。いくつかのケースで、投資が状況を改善するのに役立ったのだが、医療価格が低くなったという証拠はほとんどない。 ○都市部では、いくつかの病院は私的資金で建てられたり、民間企業がかつては国有企 業が経営していた病院の一部の経営を引き継いだ。 ○民営化の是非については、論争が続いている。2年前、中央政府はすべての市が少なくとも1つの国有病院を保持しなければならないと命じることによって、その傾向を食い止 めようとした。しかし多くの市では、中央政府の明確な承認なしで改革を推し進めた。 ○新郷は河南省にある市であり、大規模な病院売却を行った。最も議論の余地があるうちのひとつであった。今年の前半に、5つの主要病院の経営権の大部分を国有の製薬会社であるチャイナワールドベストグループに売却した。 ○多くの医療専門家は、この動きをある独占から別の独占への移行ととらえており、上海では製薬会社と病院間のそのような契約を禁止した。 ○しかし、中央政府が医療制度改革について、今までよりは首尾一貫した政策をとるよう に努めている兆候がある。4月上旬に開催された医療問題に関する会議で、保健省は都市 部の医療における政府と民間セクターとの役割について概要を述べた秘密文書を配布した。その文書に精通している専門家によると、政府は第一階層病院の経営権は維持するが、第二階層の病院については民間の所有・経営にすることが提案されているという。ある専門家の推計では、都市部の病院の60%が民営化になるという。 ○一見すると、良い考えに聞こえる。中国の問題は、医療施設の不足ではない。 ○現在、病院管理者の収入は、実務経験2−3年のセールスマンと同じくらいである。医師のやる気をなくさせることは間違いない。 ○しかし、もし多数の人が依然として治療を受ける経済的余裕がなければ、改革は裕福な 人々のためだけのよりよいシステムづくりとなるだろう。結局は、中国が最も必要としているのは、機能する健康保険制度である。これには、現在は存在しない私的な治療に対する保険も含まれ、患者に施設の選択肢を広げ、病院における私的投資を刺激する。 ○換言すれば、特に農村部や出稼ぎ労働者に対して政府はもっと財政負担すべきである。 ○中国の医療制度が失敗した理由のひとつには、中央政府の税収入が過去20年落ち込んだことがある。 ○税金の減免といった強力なインセンティブが、私企業の非営利目的での病院経営を促進 するためには必要である。 ○大都市でみられるような、富裕層や保険加入者を対象とした海外資本が経営する病院は、きわめて例外である。多くの農村を含む貧困地域では、政府は主要な供給者であり続ける必要がある。 ○これを達成するためには、優先順位の変更が必要となる。社会的威信を高めるような計画も断念される必要があるかもしれない。 ○そしてそれがうまく機能するためには、現在中国に不足している効率的な管理システムが必要となるだろう。 ○病院経営から中央・地方の負担金のあり方にいたるすべてにおいて、抜本的改革が必要である。中国は市場メカニズムだけでは良質な医療を提供できないことに気づきつつある。
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2005年2号(1.5-1.7謹製) |
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2004年発表の興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(その2) 前号に続いて、昨年1年間に発行された医療経済・政策学関連の英語雑誌(22誌)に掲載され、私が興味を持ってコピーした実証研究論文のうち、日本医療の実証研究を行ったり、今後の医療政策・改革を考える上で、役立ちそうな以下の16論文のサワリ(要旨の抄訳+α)をまとめて紹介します。 「論文名の邦訳」(筆頭著者名:雑誌名 巻(号):開始ページ−終了ページ):要旨の抄訳+αの順で、発行年はすべて2004年です。論文名の邦訳の[ ]は私の補足です。 文献選択は私個人の興味と関心に基づいており、包括的でも「客観的」でもありません。各論文に興味を持たれた方は原著論文をお読み下さい。私のまとめに誤りを発見された場合は、お知らせ下さい。 <今回紹介する16論文> ○「私的負担(private finance)はどのように公的医療制度に影響を与えるか?−OECD加盟国の経験から引き出される根拠の整理」 ○「メディケアのアップコーディングと病院の所有形態」 ○「ホスピスの所有形態とケアのパターン−全国ホスピス調査の結果」 ○「費用と地域貢献(commitment and locality)−非営利・営利医療保険の比較」 ○「台湾での包括払い方式導入後の、病院の所有形態と[自院]外来への誘導(transfer)との関 連」 ○「医薬品の価格と入手可能性(availability)−9カ国調査からの証拠」 ○「ナーシングホームの規模の経済」 ○「[アメリカにおける]医療分野の組織改革(organizational change)の20年−我々は何を学んだのか?」 ○「事前指示(advance directives)と終末期の治療」 ○高齢者のための統合的保健医療(integrated health care)の増大する痛み−PACE拡大[の制約]の教訓」 ○「患者の自己負担が[医療の]適切な利用と健康状態に与える影響−高齢者についての研究のレビュー」 ○「精神医療のマネジドケア(manged mental health care)転換後の刑務所へのコストシフティング」 ○「[急性期]病院病床の削減が残された病床の利用に与える影響−欧州10カ国の比較調査」 ○「普遍的[医療保障]制度下の医療貯蓄口座(medical savings accounts)−夢想(wishful thinking)と証拠との交差」 ○『入院・外来医療費と死亡までの期間−[スウェーデンにおける]死亡率低下が将来の医療需要に与える影響」 ○特集「技術評価を医療における優先順位決定と結合する」(International Journal of <各論文のサワリ> ○「私的負担(private finance)はどのように公的医療制度に影響を与えるか?−OECD加盟国の経験から引き出される根拠の整理」 (Tuohy CH, et al: Journal of Helth Politics, Policy and Law 29(3):359-396):公的医療保障制度の下での私的負担(患者の自己負担と民間医療保険による負担の両方を含む)の影響は、公私負担の関係(公私の境界の引き方)により異なる。本研究では、まず、公私負担を次の4つのモデルに分類している:@公私医療制度の併存、A患者自己負担と民間医療保険による負担、B人口集団別に公私負担を変える、C医療分野別に公私負担を変える。その上で、5カ国(イギリス、ニュージーランド、オランダ、カナダ、オーストラリア)の事例研究とOECD加盟国の集合的データを用いたさまざまな回帰分析をおこなうことにより、公私負担の動的関係を検討している。その結果、医療費中の私的負担割合の増加は部分的には公的負担を代替するが、それらにはさまざまな要因が関与することが明らかにされている。最後に著者は、公的医療保障制度が私的負担に依存することは、全体としては利点よりも欠点が多いと主張している。二木コメント−本論文の著者3人はすべて、高水準の医療保障制度(ただし無料なのは医師・病院サービスだけ)を有するカナダのトロント大学所属。そのためもあり、前号で紹介した、ヨーロッパの経験をまとめた『医療財源論』(光生館,2004)と、事実認識と価値判断が共通しています。「問題設定というものは、ほとんど結論部分まで直線的につながる論理を含みもっている」ためです(権丈善一『再分配政策の政治経済学』慶応義塾大学出版会,2001,p.7)。 ○「メディケアのアップコーディングと病院の所有形態」(Silverman E, et al: Journal of Health Economics 23:369-389):アメリカでは、1990年代に多くの病院がメディケア償還額を増やすために、DRGの「アップコーディング」(より高い点数のコードへの置き換え)を行ったと告訴された。1989-1996年のデータを用いて調査したところ、この7年間の、肺炎・呼吸器疾患のもっとも償還額の多いDRGへのアップコーディング率は非営利病院で10%ポイント、営利病院で23%ポイント、非営利から営利に転換した病院で37%ポイントも増加していた。非営利病院のアップコーディング率は、営利病院のシェアが高い地域にある病院で高かった。 ○「ホスピスの所有形態とケアのパターン−全国ホスピス調査の結果」(Carlson MDA, et al: Medical Care 42(5):432-438):営利ホスピスは過去10年間に4倍も増えており、この増加率は非営利ホスピスの6倍に達しているが、ホスピスの所有形態がホスピスケアに与える影響は知られていない。1998年の全国ホスピス調査の個票(患者数2080)を用いてロジスティック回帰分析を行ったところ、営利ホスピスの患者は、非営利ホスピスの患者に比べて、有意に少ない種類のサービスしか受けていなかった(調整済みオッズ比0.45)。この理由は、営利ホスピスの患者は、メディケア規則が「非中核的」・裁量的サービスと規定しているサービスを、非営利ホスピスの患者に比べて少ししか受けていないために生じていた。 ○「費用と地域貢献(commitment and locality)−非営利・営利医療保険の比較」(Solutions T: Inquiry 41:116-129):ニューヨーク州の医療保険調査により、非営利・営利の医療保険の間には、保険料、管理費用およびセイフティネット医療への関与面で、大きな差があること−非営利保険の方が良好なこと−が改めて明らかになった。ただし、営利保険が主流の市場で営業している非営利保険は、営利保険と同様の行動をとっていることも示唆された。 ○「台湾での包括払い方式導入後の、病院の所有形態と[自院]外来への誘導(transfer)との関連」(Lin H-C, et al: Health Policy 69(1):11-19):DRG類似の包括払い方式が導入されている台湾の全国データを用いて、3つの診断群(帝王切開、ヘルニア手術、痔核手術)について、病院の所有形態と患者の退院後の外来への誘導との関連を調査した。その結果、営利病院は公立病院に比べて、3診断群とも、平均在院日数が短いだけでなく、退院後自院外来へ誘導する確率が非常に高いことが明らかになった(制度諸変数で調整済み)。この結果は、台湾では包括払い方式の下では、患者の医療ニーズではなく、病院の利潤動機が外来への誘導を促進していることを示している。 ○「医薬品の価格と入手可能性(availability)−9カ国調査からの証拠」( Danzon PM, et al: Health Affairs Web Exclusives W3:521-W3:536):カナダ、チリ、フランス、ドイツ、イタリア、日本、メキシコ、イギリスの8カ国の医薬品価格(米国価格に対する相対価格)を調査したところ、日本の医薬品価格は米国よりも高く、それ以外の7カ国の価格は米国より6〜33%低かった。二木コメント−わが国では、1994〜1995年にわが国の薬価(特に新薬)が先進国中もっとも高いとする浜六郎氏・大阪保険医協会の調査結果の信頼性をめぐって大論争がありました。本論文の著者であるダンゾン氏は、当時、日本の薬価はアメリカやドイツに比べて低いとの別の調査結果を発表しましたが、今回の調査によって、氏自身がかつての浜六郎氏らの調査結果を追認したと言えます(当時の論争の詳細は、浜六郎『薬害はなぜなくならないか』日本評論社,1996,第8章参照)。 ○「ナーシングホームの規模の経済」(Chen L-W, et al: Medical Care Research and Review 6(1):38-63):1994年の全米ナーシングホーム調査の個票を用いて、ナーシングホームの費用関数を推計したところ、メディケアの急性期後ケア(postacute care)については規模の経済が存在し、弾力性は-0.15、最適規模は約4000人日年(patient days annually)であった。チェーン所属のナーシングホームは、独立型ホームに比べて短期営業費用が低いわけではなかった。このことは、ナーシングホームの水平統合(チェーン化)が費用対効果の向上以外の目的で行われていることを示している。 ○「[アメリカにおける]医療分野の組織改革(organizational change)の20年−我々は何を学んだのか?」(Bazzoli GI, et al: Medical Care Research and Review 61(3):247-331):1980〜1990年代に病院・医師組織の再構築の大波が起こり、買収、合併、組織内再構築、新しい組織間関係等が記録的ペースで出現した。それに対応して組織改革の原因や結果を究明する研究も進んだが、改革努力により何が達成されたかについての一致した結論はまだ得られていない。本研究では、過去20年間に発表された、3種類の組織改革−@病院の水平統合(horizontal consolidation and integration)、A医師組織の水平統合、B医師組織と病院との垂直統合−についての約100の実証研究(量的研究と質的研究の両方)をレビューし、多様な研究結果の合成を試みている。二木コメント−85頁の長大総説。3種類の組織改革別に、各研究のポイントが大きな一覧表にまとめられているのは便利で、アメリカにおけるこの分野の実証研究の進展ぶりがよく分かる。それにもかかわらず、明らかになっていることはごく少ないことも分かる。 ○「事前指示(advance directives)と終末期の治療」(Kessler DP, et al: Journal of Health Economics 23:111-127):事前指示(終末期に判断能力を失ったときの治療方針を患者が事前に書面で指示しておくこと)の影響を評価するために、1985-1993年に死亡したメディケア加入老人患者を対象として、次の3種類の患者の治療を比較した。第1は患者の事前指示の遵守を法制化している州の患者、第2は事前指示を行っていない患者の終末期に医療代理人(health care surrogate)の指名を法制化している州の患者、第3は両法制ともない州の患者である。主な結果は以下の3つである。@事前指示の遵守を法制化している州では、急性期病院での死亡確率が有意に低かった。A医療代理人の指名を法制化している州では、終末期に急性期医療を受ける確率が有意に高かったが、非急性期ケアを受ける確率は低かった。Bどちらの法制も医療費の節減はもたらしていなかった。 ○高齢者のための統合的保健医療(integrated health care)の増大する痛み−PACE拡大[の制約]の教訓」(Gross DL, et al: The Milbank Quarterly 82(2):257-282)…障害高齢者が地域生活を継続できるように医療と長期ケアを統合的に提供しつつ総費用の節減をめざす「高齢者のための包括的保健医療プログラム」(PACE)は、アメリカ・サンフランシスコのOn Lok(世界最大の中国人街)で始まった。1997年にはメディケアのモデル事業から正式事業に昇格したが、その後の普及は遅れている。本研究は、全米27プログラムの関係者へのインタビュー調査に基づいて、それの普及を妨げる16の障壁を見いだしている。主な障壁は、競争(多くの組織がこの事業への参加を検討しているが、将来競争が激化することを恐れて、実際の参加を躊躇している)、PACEモデルそのもののの特性、利用者を紹介する側のプログラムへの理解不足、事業拡大資金の欠如である。この経験は、高齢者のための統合的保健医療を提供するための重要な教訓を提供している。二木コメント−PACEについて詳しくは、近藤克則「オンロック/PACEモデルにおける医療福祉統合」(『病院』60(2,3),2001)を参照してください。 ○「患者の自己負担が[医療の]適切な利用と健康状態に与える影響−高齢者についての研究のレビュー」(Rice T, et al: Medical Care Research and Review 61(4):415-452):高齢者に対する自己負担増加が医療サービス利用と健康状態に与える影響を検討した実証研究のレビュー論文。対象は1990年以降発表された22論文であり、16論文は薬剤費自己負担増加の影響を、6論文は医療サービス自己負担増加の影響を検討している。ほぼすべての研究は、自己負担増加が医療利用と健康状態の両方または片方の低下をもたらしたと結論づけている。ただし、大半の研究は横断データと回答者の自己評価に依存しているという限界がある。二木コメント−本論文には、22論文のポイントを簡潔にまとめた一覧表が付けられており、しかもそれぞれの「研究の限界」も明示されているため、この分野の英語論文の総説の、現時点での決定版と言えます。 ○「精神医療のマネジドケア(manged mental health care)転換後の刑務所へのコストシフティング」(Domino ME, et al: Health Services Research 39(5):1319-1401):アメリカ・ワシントン州キング郡で、メディケイド(医療扶助)受給者の精神医療をマネジドケアに転換した前後のメディケイド医療費、刑務所利用率、郡負担の精神医療施設外来費用等を比較した。その結果、マネジドケアへの転換後、郡の精神医療施設の外来医療費は大幅に減少した反面、メディケイド受給患者の刑務所利用確率が著名に増加し、前者から後者へのコストシフティングが生じたことが確認された。 ○「[急性期]病院病床の削減が残された病床の利用に与える影響−欧州10カ国の比較調査」(Kroneman M, et al: Social Science & Medicine 59:1731-1740):ヨーロッパでは急性期病院の病床削減が病院費用抑制の手段の1つとされている。病床削減が残された病院の病床利用に与える影響を明らかにするために、北・西ヨーロッパ10カ国のOECD医療データセットを用いて、マルチレベル分析(多水準のカテゴリーごとで推定値が異なるモデルの分析)を行った。病院利用の指標としては、病床利用率、平均在院日数、入院率の3つを用いた。その結果、病院への財政インセンティブの違いは病床削減後の病床利用に多少影響していたが、有意な変化は病床利用率と入院率でのみ生じていた。医師への支払方式の違いは有意な影響を与えていなかった。 ○「普遍的[医療保障]制度下の医療貯蓄口座(medical savings accounts)−夢想(wishful thinking)と証拠との交差」(Deber RB, et al: Health Policy 70:49-66):カナダ・マニトバ州の医療費データを用いてシミュレーション分析をしたところ、医師・病院サービス費用はすべての年齢層でバラツキが非常に大きいため、医療費抑制を目的として医療貯蓄口座を導入しても、逆に公的費用と患者自己負担の両方が相当増加するという結果が得られた。医療費の現実の分布を考慮すると、医療貯蓄口座のような「需要ベースの」医療費抑制手法の効果はごく限られている。しかも、国民の大半は比較的健康であり医療サービスをまれにしか利用しないため、全国民にミクロレベルでの医療費節約を求めても、マクロレベルでの大幅な医療費削減は生じない。 ○『入院・外来医療費と死亡までの期間−[スウェーデンにおける]死亡率低下が将来の医療需要に与える影響」(Batljan I, et al: Social Science & Medicine 59:2459-2466):従来の将来医療費推計は、現在の年齢階層別医療消費が将来もそのまま続くと仮定している。しかし、医療消費は死亡前に集中していることが過去30年間の膨大な研究でに明らかにされており、しかも各国の死亡率は着実に低下している。本研究では、この点を考慮した入院・外来医療費(急性期医療費)の予測モデルを開発し、それを用いてスウェーデンの2000-2030年の医療需要を予測した。その結果、今後の死亡率の低下を無視した単純な推計に比べて、医療需要の増加は約37%少ないことが明らかになった。二木コメント−本研究でも引用されていますが、「年齢と医療費との関係が将来とも一定であるという仮定」に基づいた将来医療費推計の誤りを最初に指摘し、死亡率の低下を組み込んだ将来医療費を推計したのはアメリカの医療経済学者フュックス教授です(江見康一・田中滋・二木立共訳『保健医療の経済学』勁草書房,1990,pp.134-139)。 ○特集「技術評価を医療における優先順位決定と結合する」(International Journal of Technology Assessment in Health Care 20(1):1-101):全14論文。最初の総説に続く4論文がイギリス、フランス、オランダ、スウェーデンの4カ国レポート。9論文がそれらに対する政治学者、社会学者、経済学者、倫理学者、公衆衛生学者、イギリスの一般医、臨床医、患者、製薬企業からのコメント。総説の結論は医療技術評価を政策に応用するのは非常に複雑な作業であること、および過去20年間の医療技術評価の進歩にもかかわらず、上述した多様な領域の人々は、それの政策形成への影響は限定的であり、また適切に行われているとは判断していないこと。
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2005年1号(1.4) |
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(出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、無断引用は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見等をいただければ幸いです) Health Affairs誌23巻6号(2004年11・12月号。特集「[私的]医療保険の将来」)より …同誌は医療経済・政策学関連の専門誌のうち、アメリカでもっともよく読まれています。なお、同誌2004年増刊号「[医療費]地域差の再検討(variations revisited)には最新論文20が掲載されており、この分野の研究者必読です。しかも、これらはすべて同誌のホームページから無料で閲覧できます。 ○「プロフェッショナリズムの再検討−小規模診療の医師に対する支払い」(Cunningham C.pp36-47.評論):管理競争は企業化医療に基づいた新しいモデルを提起したが実現しなかったし、医師の意思決定に代わる消費者の能力もまだ証明されていない。診療規模についての諸調査は、医師も患者も、医師が患者の代理人であることが明白な、小規模診療を好んでいることを示しているし、小規模診療が存続し続けていることは、医療分野のプロフェッショナリズムが今後も医療システムの中核であり続けることを示唆している。その場合には、伝統的な支払い方式[出来高払い方式]を医療の質を高めるように改善する方が、抜本的改革より適切であろう。二木コメント−世界最高の医療経済学者のフュックス教授も、「競争と規制のどちらも、あるいは両者の混合も、医療の社会的規制のための適切な基礎とはなりえ」ず、「専門職規範が決定的に重要な第3の要素だ」と主張しています(拙訳「医療経済学の将来」『医療経済研究』8:91-105,2000)。 ○「疾病管理(diesease management)は医療の質を高めて医療費を削減できるか?」(Fireman B,et al.pp63-75.定量的実証研究):ノースカロライナ州にあるグループ診療組織は過去10年間包括的な疾病管理を導入している。代表的4疾患の1996-2002年の質指標、医療利用、費用のデータを解析したところ、医療の質は相当向上していたが、費用は削減されていなかった。これは、医療の質が向上し死亡率が低下することによる費用削減が、医療の質向上に伴う費用増を上回っていなかったからである。 ○「医療の所有形態(営利・非営利)に対するアメリカ国民の期待・判断(public expectations)」(Schlesinger M, et al. pp181-191.定量的実証研究):アメリカ国民が医療の所有形態(営利・非営利)をどのように考えているかについて、1985〜2000年に行われた先行調査と2002年に報告者が行った独自調査に基づいて、包括的に検討している。それによると、大半のアメリカ人は、医療のさまざまな側面から所有形態は重要な問題だと信じている。具体的には、彼らは非営利の病院や医療保険は、営利の病院や医療保険と比べて、より信頼でき、より公正で、より人間的だが、質は落ちると考えている。また所有形態についての情報をより多く持っている国民ほど、非営利組織のパフォーマンスを高く評価している。 ○中華人民共和国における私的医療に対する国民の判断」(Lim M-K, et al.pp222-234.調査報告):国連とWHOが、中国保健省の協力を得て、2000年に中国の3つの州で、公私の外来サービスについての世論調査を行った。それによると満たされないニーズ(unmet needs)は16%存在し、その主因は国民が医療費が高すぎると感じているからである。71%の国民が無保険者であった(農村部では91%、都市部でも51%)。国民の33%は直近の診療を私的医療機関で受けていた。公的医療機関に対する広範な不満(主因は自己負担の高さと職員の態度の悪さ)が、国民が安価ではあるが劣悪で、ほとんど公的規制を受けていない私的医療機関に走らせている。 最近出版された医療経済・政策学関連の図書(広義)のうち、次の2冊は一読に値すると思います。 ○一圓光弥監訳『医療財源論』光生館,2004.10.20,\3400. 2002年に出版された、名著"Funding health care: options for Europe" (European Observatory on Health Care Systems Seriesの1冊)の待望の翻訳です。共訳書であるにもかかわらず、訳語・訳文は統一がとれ、全体としては大変正確かつ読みやすい本で、EU内での共同研究の進展ぶりがよく分かります。特に、すべての市民に公平で効果的な医療を効率的に提供するという社会的合意の上に建設的な議論がなされていることは、混合診療全面解禁「狂想曲」が吹き荒れるなど、医療制度改革の基本的枠組みについての合意が形成されておらず、いまだに不毛な「イデオロギー論争」が続いている日本からみると、うらやましい限りです。 特に、第1章は大変バランスがとれており、白眉です。また、民間・任意医療保険や患者負担を批判的に検討している第4〜6章は、日本の医療保険制度改革を考える上でも参考になります。例えば、以下のような記述です。「民間医療保険は、医療の財源を調達するうえで、効率的なやり方でも公平なやり方でもない」(117頁)、「医療費に占める公的支出の割合が一般に低下した…にもかかわらずそれが任意健康保険の需要の着実な増加を導くことはなかった」(147頁)、「概して、EU加盟国の中では、任意健康保険の拡大が支持されるような条件を見いだせなかった」(179頁)、「多くの医療政策分析者はん、医療の資源配分における効率性と公平性という目標を達成するうえで、患者負担は効果の乏しい手段であると考えている」(211頁)。 ○伊藤周平『改革提言 介護保険−高齢者・障害者の権利保障に向けて』青木書店,2004.12.10,\2200. 著者の伊藤周平氏(現・鹿児島大学法科大学院教授)は、最新の情報・文献を用いて、継続的に介護保険の批判と提言の「現代のテキスト」を出版され続けており、本書はそれの最新版です。要介護者(高齢者・障害者)の権利保障という法学的観点から、昨年夏時点でのデータと情報に基づいて、介護保険制度の@法的性格・仕組みと特徴、A問題点、B法的課題と改革案を、詳細に論じています。引用文献も豊富です。終章では、医療制度改革を含めた、社会保障制度改革全体についても包括的に検討されています。
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