この連載も最終回になった。はじめに山中智恵子の最終歌集『玲瓏之記』からその巻末の歌を確認しておこう。
千年の歌のちぎりの
「すばる満時」
山中智恵子は千年の歌とちぎりを結んだ。これはひとりの先人もない孤独な営みであった。そのことを確認しておきたい。
◇ 佯狂
この原稿を書き始めるや『山中智恵子全歌集』下巻が届いた。それによってわたしはまた幾つかの素晴らしい論考に触れることができた。いまはその栞の中の高橋睦郎氏の論に触れよう。「佯狂の極み」というその小論は、山中智恵子の歌行の裏を読み解いていて実におもしろいものである。佐美雄を真似た佯狂、そしてその佯狂を持続するためのよすがとしての村上一郎への師事。そして古典および古典以前の歌魂の発見による自立。およそそういう論旨である。実際山中智恵子の『斎宮志』正続を繙いてみれば、斎王が斎宮制度を娯楽する仕方としては佯狂して託宣を下すに勝るものはないに違いないからだ。【女+專】子女王の託宣事件についての山中さんの楽しそうな叙述は、みずからへの佯狂疑惑も大いなる楽しみに化してしまうに違いない(注1)。
しかし高橋氏の説でわたしにとってとりわけ新鮮で目を開かれたものは、智恵子がみずからの歌の道を発見することを確認し、「その事実を見届けたかのように村上一郎は自死する」というこの論理である。というのも、山中智恵子の畢生の歌のひとつ、
ただよひてその
『虚空日月』「虚空日月」
の歌に、みずからへの「死ね」というメッセージを読み取った者のひとりとして村上一郎を想定する読みを、この高橋説は可能にしてくれるからである。
師の逝去に対するものとしてはややよそよそしいと思える歌を『青章』から少し引いておこう。
魂よ反れ 否反らざれうつそみのきみはやすけくなりたまひたり (「滄浪ぞ清める」)
〈ひとの世の
滄浪ぞ
ここに慟哭のようなものを読み取るのは困難だろう。更に一首。これは屈原の「離騒」をパラフレーズしたもので、ひとはここに『みずかありなむ』の「離騒」との関わりを読むであろう。
『虚空日月』の「たちよそふ鴨」をも連想させる歌だが、「清狂」はやはり熟れない言葉だとわたしは思う。
さらに論を進めよう。
◇ この掌に死ねといふべきを
最終歌集『玲瓏之記』のなかで山中智恵子はこう歌っている。
わが言葉の射程のみゆるその果をいくその人の歩みゆかむか
『玲瓏之記』「扇空間」
この歌集の最終部は、みずからの死の姿ないしは形を整えようとする歌にみちているが、この歌もそのひとつである。「わが言葉の射程」という。誤解してはならないのはこの「射程」が決してこころざしのことを言っているのではないということである。そうではなく、その拓きえた理のことなのである。山中智恵子が、先人の誰にもまして遠くまで拓いたその理の空間の果て、その届いたところのことを言っているのである。そしてその果ての空間をしかしその後に続く幾人かは踏み越えてゆくだろうという期待をこの歌は語っている。そして、わたしは、山中智恵子の言葉が拓いたその射程の先端は『虚空日月』の次の一首に極まると繰り返し言いたい(注2)。
ただよひてその
この歌はいうまでもなく後悔の歌である。「私」は「わが掌に死ね」と言うべきだったのである。しかし実際に「その掌に」と言ってしまった。そのことの帰結をひとは終生負いつづけるであろう。最終歌集『玲瓏之記』の、
同床異夢の
もまた、その問題にかかわり、その反対の面を歌っている。そしてよるべなく、智恵子はそのみずからの存在の最終的なポジションを、夢見のうちに見出すであろう(注3)。
われは夢見るゆゑにわれ在るすぎゆきを月山にありて夢に見たりき (同前)
あの『風騒思女集』に歌われた月山での一連の経験のなかに、智恵子はみずからの拠り所とするリアリティーを見出すのである。夢において存在するリアリティーをもっともリアルな存在として歌うのである。
◇ 虚空日月
しかしとはいえ、智恵子の魂の最も高い調子は『虚空日月』において歌われている。その切迫ののっぴきならない激しさにおいて、この歌集のとりわけ二つの「虚空日月」にまさるものはない。何首かの歌を引いておこう。
ひさかたのあめのひかりに
ふぶく夜のことごとく咲き散りぬるを雁ゆきしかた月に忘れぬ (「虚空日月」)
陽はめぐりなむ虚空青山
在らざらむこの夜ののちを言はなくに天心秋をひたす面影 (「虚空日月 二の抄」)
鳥急に
われらことばの肉を恃まず一陣の夢に散り敷く沙羅の花はも
草ひばりいのちに向ふ夢みきとさめてののちをいふよしもがな
そして
在りけりと思へばゆふべあそびせむもみぢの
石ひとつあらはれわたる月よみの世の夕ぐれをあきらけくこそ
二つの「虚空日月」においては、存在が、在るということが、われわれによって互いに認知される共有の場で考えられていたことがわかるであろう。それだけに「在る」ことと「在らざらむ」ことの違いは切実である。しかしやがて山中智恵子はもっとも真実な存在を夢の深みのなかに見るようになってゆくのである。といって山中智恵子に現実の認識がなくなるということではない。挨拶のようなこと、人に対しても、物に対しても、言葉に対しても、そして思い出に対しても、そのようなことが欠けるわけではない。ただ真直ぐに向かう相手を見出せなくなるのだ。
佐美雄師に肩抱かれし夢みしか喜寿にして成る恋のごとしも
『玲瓏之記』「西城の夢」
にはその消息が、つまりこの晩年の時期の智恵子の思考の形が明確に見て取れるであろう。『玲瓏之記』は山中智恵子の「今生のわかれ歌」集なのである。
そして真直ぐに向かう相手が見出せないとは、
かくしつつ時は過ぎなむ 〈すさのを〉われといふひともなく
『玲瓏之記』「秋天の傷」
の歌に端的にその思いの形が示されている事である。この能因の象潟歌(後拾遺集)にも似たたゆとうた調べの中で「すさのを」待望が歌われるのである(注4)。「われは〈すさのを〉」と自称する人を待っているかのようである。しかしここには、レヴィナスが語るような、ほんとうの「他者」が欠けている。かつての日の、鳥髪に追いやられたあの神の姿は存在しないのである。一応掲げておこう。
行きて負ふかなしみぞここ
『みずかありなむ』「鳥髪」
◇ うしほなすもの・果無山
わが心の
『玲瓏之記』「扇の風」
この歌は『虚空日月』の、
くれなゐや
を先行歌としている。潮は恋の思いの満ち引きのことである。押し寄せる波のごとき時と、引いてゆく時。その二つの契機を繰り返すもの。恋の心の満ち引きはわたしの制御を越えていて、それは鎮めがたいものである。それは始まりも終りもなく繰り返すものの本質である。かつて中世のはじめの時に藤原定家は次のように歌っていた。
わたつ
「うしほなすもの」は宇宙の時間の本質である。はじまりも終りもなく、上昇と下降の二つの契機をもってつづいてゆくものである。それは恋のこころそのものである。山中智恵子は恋のこころの潮のような満ち干に、この宇宙そのものの本質をみるのである。狂気に対してもこころの抑制なく入ってゆく『星醒記』以後の山中智恵子にとって、みずからの恋のこころの内に見出されるものは原初的な生命力そのものであり、欲望そのものの動きでもある。比喩的な言い方をすれば山中智恵子は「果無し山脈」の中に歩み入るのである。
扇
『青扇』「月山の合歓」
それはかつては仰ぎ見るものであった。
(2007.08.19)
注
(1)『続斎宮志』六七〜八一頁、参照。
(2)この歌の解釈については拙稿「『その掌に死ね』といふいこと」(『東北学』Vol.10、二〇〇四年、作品社)を参照していただきたい。
(3)岡井隆は「作者老境の言葉あそび」(『山中智恵子全歌集』下巻、栞)で、「人間に興味を失つたら、言葉、とりわけ文字化された言葉をもつて遊ぶ外にないではないか」と語る。だが、「人間」と「言葉」をこのように対比させるのは正しくない。山中智恵子にとって存在論的に「人間」と対比されるのは「夢」であり、「言葉」は精神的生を可能にする端緒として、それらの存在の前提になっているのである。
(4)能因の象潟歌を上げておく(後拾遺集、五一九)。
よのなかはかくてもへけりきさかたのあまのとまやをわがやどにして