「その掌に死ね」といふこと


--- 再考・「『なめとこ山』の山の神」 --- 
 

中路 正恒
Masatsune NAKAJI
nomadologie



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   ◇◇◇ はじめに

 「山の神とはだれか」という本誌特集の問いに対して、宮沢賢治の『なめとこ山の熊』を中心に考えをまとめてみたい(1)。そこでは猟師や山の生きものにとっての山の神の考察が中心になるであろう。その「山の神」は、毎年時期を決めて田の神と交替するといわれる「山の神」とどう関係するのか? あるいは鉱山師たちの祀る「山の神」とどう関係するのか? しかしそのような問題には本論では立ち入らないことにしよう。本論では山の生き物を殺すという猟師たちの営為に山の神はどう関係するのか、という問題に考察を限ることにしよう。しかもそれを限られた観点から論ずるしかない。山の生きものを殺すことに山の神がどう関係するか、その問題に対する答えは、山の生きものを殺すひとびとの心の奥底にそれぞれの仕方で存在しているはずである。ひとはみずから何らかの仕方でこの殺す者、あるいは殺される者の立場に立つことなしには、「山の神」を、その影さえ、感じ取ることができないであろう。山の神は殺生という営みの根底に住まう。そして、ここですでにわたしの考えを述べさせていただけば、山の神はその殺生をする生の営みを、許容し、可能にさせ、そして庇護してくれる。宮沢賢治の『なめとこ山の熊』はそのことを語っているのではないだろうか。そこでは山の神の分身ともいうべきひとりの熊がしずかに猟師小十郎の家の前で倒れていてくれるのだから(2)。  しかし「山の神」という謎の下に隠れているより深い問題は、生きものに対して「死ね」と言い、「死ね」をおこなう実行に関わる問題である。実際それを言い、それを行なうことなしには、われわれの生はほとんど維持することができない。本稿のテーマはこの「死ねといふ」ことの問題になるであろう。

   ◇◇◆ 「死ね」と言うこと

 猟師にとって山の神が問題になるのは、基本的には山の生きものを殺すことの正当性にかかわる問題においてである。山の獲物は山の神からの贈与であるという論理がこの殺生を正当化する、としばしば言われる。そして山の神から贈与を授かるために、しばしばきわめて厳しい禁忌が猟師によって守られてきた。獲物という山の神からの贈与、それを得る資格としての一定の禁忌の厳守。猟師たちの山の神に対する態度の多くはこの図式によって説明されるであろう。しかしながらこの図式のもとにあるであろう心情的な基礎は一体どのようなものなのだろうか。その問題に多少なりとも分け入ってゆくことにしよう。
 現代を代表する歌人のひとりである山中智恵子さんのある歌の引用からはじめよう。それは次の歌である。

   ただよひてその掌(て)に死ねといひしかば虚空(こくう)日月(じつげつ)夢邃(ふか)きかも
                                    『虚空日月』

 ここでは「その掌に死ね」と言うことが問題になっている(3)。 猟師が、あるいはひとが、山の獲物に対して、鉄砲の引き金を引く時、そのひとはその生きものに対して「死ね」を実際におこなっている。しかしその時彼は、同時に、口に出してにせよ心の中においてにせよ、「死ね」と言っているのであろうか。この殺しにおいて、その殺しをみずからの行為として自覚することはあるのだろうか。それとも、その自覚もなくて、むしろ機械的に、「死ね」をおこなうだけなのであろうか。実際にはどちらの場合もあることであろう。そしてそれはひとによりけりであろう。
しかしいずれにせよひとが動物を殺す時、ひとは「死ね」をおこなっている。その時同時に「死ね」を言うのであれば、ひとはみずからが「死ね」を実行したことを自覚することになるであろう。その時、少なくとも、この殺しに、「わたしが殺した」ということが付け加えられることになるであろう。それはこの殺しを、殺し主のない出来事から、殺し主のある出来事へと変質させるのである。それゆえ、「死ね」と言うことは、その死の出来事に、そしてその死んだ生きものに、少なくともひとつの意味を与えるのである。この贈与によってひとつの単なる生きものの死の出来事が、わたしが殺したひとつの殺しの出来事に変わるのである。ここにわれわれは責任性の、responsibility の、最初の契機を認めることができるのではないであろうか。単なる死の出来事に対しては、誰も、どのような責任も引き受けはしないからである。

   ◇◆◇ 「その掌に死ね」と言うこと

 ところで、前掲の歌が「その掌に死ね」というとき、その掌とは、その死を言われた者の生死の意味を引き受け、満たしてくれるべき存在である。そしてこの歌が「その」というとき、この「その」はまず第一義的には「わたしの」ではない、ということを意味している。そしてまたその「その」といわれる者が誰であるかを、わたしも死を与えられる者も、ともに一定程度了解している、ということが含意されている。すなわち、言われているのは、わたしがあなたに死を与えるとき、わたしはあなたがあなたの生と死の意味を、わたしとあなたが互いに了解している「その者」から与えられることを望む、ということである。「その者」すなわち「その掌」の主は、神か仏か、そのような存在であろうが、それは、わたしがあなたに死ねというと同時に、あなた自身もみずからのそれへの帰依を明確にする、そういう存在である。わたしは、あなたに死ねと言うことによって、あなたを、あなたが帰依する存在の掌のもとに、その庇護の下に、送りつけるのである。 山の神もそういう存在なのであろうか。山の獲物、われわれはその代表として熊を考えたいのだが、その熊を撃ち取るとき、その熊の生死の意味を自分みずから引き受けようとする狩猟者は恐らくいない。狩猟者が死ねを言い死ねをおこなうとき、彼がする恐らく最も敬虔な行為は、その獲物の生死の意味を山の神が十分に与えてくれることを山の神に祈願することである。その獲物に、山の神の意志にかなった生を生き、死を死んだ、という認証を、山の神が与えてくれることを祈ることである。それは「その(山の神の)掌に死ね」と言うことである。しかし、山中智恵子氏の洞察が深く、的確なものであれば、われわれはこう言いつつも、つまり山の神にこう祈願しつつも、なお「虚空日月の邃い夢」の中にあるはずである。この「邃い夢」の中にさらに分け入ってゆこう。

   ◇◆◆ 『なめとこ山』の山の神
 

 注視すべきはここに切り離しの契機が存在していることである。「わが掌に死ね」と言うのではなく、「その掌に死ね」と言うということである。わたしはこの「死ね」の意味をわが身に引き受けないのである。しかしそれはどういうことなのだろうか?  さらにここで考えるべきことは、宮沢賢治の『なめとこ山の熊』において、猟師小十郎は熊に死を与えるとき、「その掌に死ね」の儀礼をおこなっているのであろうか、ということである。むしろ小十郎は「わが掌に死ね」をおこなってるのではないだろうか? わたしがその死の意味をお前に与えるという立場で「死ね」をおこなうとき、その者はみずから「暴虐な神」になる他はない。なぜならその者は相手に対して、死とともに、死の意味をもみずからが与える立場に立つからである。小十郎は、おのれの、猟師という営みを続けざるをえない宿命を、悪因による悪果として理解していた。その点で熊という存在も、同じく悪果として理解されている。「おれは……仕方なしに猟師なんぞしるんだ。てめへも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生れなよ」というわけである。熊に死を与える理由として、ここには山の神への訴えのようなものは少しもない。因果という仏教思想による理由づけ、それがすべてである。  しかしながら、この物語の中に山の神が姿を示していないわけではない。それは例えば次の所である。「そしてその広い赤黒いせなかが木の枝の間から落ちた日光にちらっと光ったとき小十郎は、う、うとせつなさうにうなって谷をわたって帰りはじめた」。この熊の背中に落ちかかる日の光は、この熊が山の神の恵みを受けて今生きていることの徴しである。
 また次の箇所ももちろんそうである。「そばに寄って見ましたらちゃんとあのこの前の熊が口からいっぱいに血を吐いて倒れてゐた。小十郎は思はず拝むやうにした」。小十郎が「思はず拝むやうにした」のは、そこにまさに神的なものが顕現していたからである。この神的なものは他ならぬ山の神であろう。熊が、みずからの死を小十郎に与えに来たのは二年前の約束の履行である。しかしこの約束とその履行を成り立たせているものは山の神の恵みをうけたその熊の生活であり、それは山の神の意志そのものである。それゆえこの熊の死の贈与を前に「思はず拝むやうにする」小十郎は、そこに正しく山の神を見ているのである。
 他方で熊もみずから山の神の恵みを理解している。そしていわば山の神の恵みの中にある死に方も理解している。そしてその恵みに対する感謝としてみずからの死を小十郎に与える。
 このように物語の中に山の神ははっきりと姿を示しているのだが、小十郎自身はみずからが死を与えた熊たちに対して、その死の意味の授与を山の神に委ねるような語り、つまり「その掌に死ね」という語り、をしないのである。それでは、みずからが死を与えた熊たちに対して仏教的な因果を説き含めるような語りをするとき、彼はそれ以上の正当化の理由をもっていないのであろうか? それとも、「なめとこ山あたりの熊」に好かれる小十郎には、その死の贈与においても熊たちに納得されるものがあるのだろうか? 彼が熊に好かれる理由について考察を進めよう。

   ◆◇◇ 熊と小十郎

 小十郎が熊に好かれる理由のひとつと見えるものは、彼が自分と熊とをむしろ同類視しているところである。先述したように、小十郎は自分と熊たちを、ともに悪果を身に受けた存在として今生を生き耐えていると理解している。しかしその場合、相手に死を与えることはどう理解されるのであろうか? 小十郎は、熊に撃たれ、みずから絶命するとき、「熊ども、ゆるせよ」と消え行く意識の中で思う。この思いの言葉はどう理解されるであろうか? そしてそれは山の神とどう関係するのであろうか? 
 この言葉は、何をゆるせと言っているのであろうか。それは今まで熊どもを殺してきた自分の存在をゆるせということなのであろうか? そうではない。「ゆるせ」とは、今自分が死んでしまうことをゆるせと言っているのである。もし小十郎が死なないならば、あるいは不死であったならば、小十郎はみずからが殺してきた熊たちに、これからも感謝の念をもちつづけ、それを与えつづけることができるのである。それが、今絶命の時を迎えざるをえないゆえに、今や自分の殺してきた熊たちに以後感謝を与えることができなくなってしまうのである。それゆえに彼は「ゆるせよ」というのである。彼の死とともに、殺された熊たちに感謝を贈る者がいなくなってしまうのである。そしてそれとともに、その熊たちの存在の記憶も、この虚空日月の宇宙から消えてしまうのである。
 これが「暴虐の神」である。あるいは何と優しい神であろうか。わたしには、小十郎はみずからがひとりの神でありつづけようとしたと見えるのである。神という資格で、みずからが殺した熊たちに、その死の意味を引き受け、それを与えつづけるのである。しかしそれができるのも、彼が生きている限りのことである。
 小十郎は、「その掌に死ね」と言わなかった。「因果だ」と言った。そして「わが掌に死ね」と言った。しかしこの後の二つのことはどのように関係するのであろうか? そしてさらに、熊たちが体現している山の神は、そこにどう関わってくるのであろうか? われわれは恐らく宮沢賢治の思想の最も秘教的な部分に入り込んでいる。
 小十郎は、みずからが殺した熊たちに、その死の後、存在を与えていた。この関係の中に山の神は関与しない。おそらく山の神は、山の生きものたちにその生を恵むのである。その生において恵みを与えるのである。しかし死後、その生きものたちは、他の生きものたちの食料となり、そういう仕方で、山の神の大きな配慮のもとに、山の他の生きものたちの生のために役立てられる。しかし、恐らくそこには、死した個体の魂に存在を与えるような配慮はない。山の神の配慮の中には死した個体とその魂についての記憶も存在していない。ただ小十郎のみが、獲物となった山の生きものたちを死の間際の生きざまとともに脳裏に刻み込んでいるのである。そしてそれらの生きものたちの死を、それらの生きものたちの恩恵として、それゆえまた山の神の恩恵として、受けとっているのである。この意味で、小十郎とその家族が生活を続けていることは、山の神の恵みを受けとっていることである。しかしその死んだ生きものたちに死後の存在を与えているのは小十郎の記憶だけである。彼らの死後の生はただ小十郎の生とともにだけあるのである。それゆえ小十郎は、みずからが絶命するとき、彼らにゆるしを求めなければならないのである。彼らもまた小十郎の死とともに、虚空日月の夢の中に消えてゆくほかないからである。
 しかし、猟師であることは果たして悪果であろうか? 小十郎自身「おれもこんな商売が因果だ」と語っている。彼自身猟師であることを望ましくない宿命と捉えているのである。しかしそもそも仏教も、取り立てて悪果というべきものがあるのではないと語っているのではないだろうか。仏教はむしろ、すべては因果によって結ばれており、この因果の系列の中にあること自体が望ましくない宿命だと語っているように見える。仏教的な因果の思想によれば、熊であることも猟師であることもいつかはわたしに回ってくる生き方の一つなのである。それゆえ熊であることも猟師であることも、わたしの可能性の一つに他ならない。先に見た小十郎の熊との同類視は、このような仏教的な因果の思想によるものであろう。そしてこの小十郎には、宮沢賢治自身と同じように、ひとつの徹した因果的な生の理解があるようにみえるのである。
 しかしそうだとすると、彼が「わが掌に死ね」と語るとき、こう語っているのはむしろ因果思想であることになるのではないだろうか。そしてそれはどういうことなのであろうか? 

   ◆◇◆ 山の神・因果・忘却

 アウグスチヌスは『告白』の中で、時間の中にあるものはただ神の記憶の中においてのみ真実に存在しているという思想を語っている。これに似た関係が熊たちと小十郎の間にも存在しているようにみえる。熊たちにとって小十郎の存在は特別である。それは同じ山に生きる仲間同士という単なる友情的な関係とは違ったものである。彼には、山の神にもなしえないものがあるのである。それは何か? 
小十郎はみずからが殺した熊の魂の慰霊を山の神に委ねない。彼はその「オカベトナエ」(4)において、熊の死を正確に因果の思想に位置づけ、熊にもその因果の理解を求める。彼にとって「わが掌に死ね」と言うことは、世界の因果を理解せよと言うことと同じことである。しかしその上で彼は彼の手にかかって死ぬ熊たちを、そのありのままの姿で自分の記憶にとどめる。そしてその姿を、因果の世界の同胞の姿として、その共感と慈愛をもって記憶にとどめ、そしてまた山の神の恵みを自分とその家族に与えてくれた存在として、感謝をもって記憶にとどめるのである。これが山の神にすらなしえぬことである。このことを熊たちは充分以上に理解しているのではないだろうか。
物語の最後のシーンで、熊たちは小十郎との死別を惜しむ。それは小十郎が熊たちにとって特別の存在であったからである。恐らくは他の猟師たちと異なり、ただ彼だけが、みずからが殺した山の生きものたちの慰霊を山の神にゆだねず、それをみずから引き受けようとしたのである。それゆえ熊たちもまた、その豊かではない記憶力の中に、小十郎の姿を焼きつけようとしたのである。自分たちの中で死後も、しばしなりとも小十郎を存在させるべく。熊たちに取り囲まれ、小十郎の死骸が半分座ったようになって置かれていたのは「その……いちばん高いところ」だった。それは、主神(doninus deus)のようなものではないにしろ、自分たちに死の意味としての因果を教え、また少時とはいえ自分たちに死後の生を与えてくれる有り難い存在の置かれて然るべき位置である。虚空日月のただなかで展開される忘却の邃い時間のなかの、それはしばしの夢の祭りなのであろうか。

  注 
(1) このWeb原稿はもともと『東北学』第10号「総特集 山の神とはだれか」の寄稿論文として書かれた。以下の「注」はオリジナルのままのものである。
 筆者は宮沢賢治の『なめとこ山の熊』についてすでに短い論考をまとめている。次の二稿を参照していただければ幸いである。「『なめとこ山』の山の神」(『[GENESIS]京都造形芸術大学紀要6』2001年。Http://www2.biglobe.ne.jp/~naxos/tohoku/nametoko.htm)。「なめとこ山の死の贈与」(中村生雄編『狩猟と供犠の文化誌』(仮題)、森話社、2004年発行予定)。本稿はこの両稿を踏まえて書かれている。
(2) これは前掲(1)の拙稿「『なめとこ山』の山の神」で論じた観点である。本稿ではそれをさらに「死ねと言う」という決断と実行の問題に関係づけて論じたい。
(3) この歌については前掲(1)の拙稿「なめとこ山の死の贈与」において分析をした。詳細はそちらを見ていただきたい。
(4) 青森県下北地方畑(はた)の猟師の頭領、岩崎五郎氏によれば、下北地方では山中で殺した熊の慰霊をするときの称え言葉を「オカベトナエ」と呼んでいた。学者はそれでは意味が通らないからと「ウカベトナエ」と言い換えて伝えているが、実際には決してそうは呼ばなかったと岩崎氏は言う。わたしは山中で称える称え言葉という意味で「オカベトナエ」という呼称がありうると考えている。そう考えればそれはかえってアイヌの「ホプニレ」の概念と近づくのではないだろうか。

このテクストは、はじめ同じタイトル、同じ副題で、
『東北学』第10号「総特集 山の神とはだれか」
(2004年4月30日 東北芸術工科大学 東北文化研究センター発行)
に発表したものです。
それをこの問題に関心をもつ方々、宮沢賢治の思索に関心をもつ方々方の便宜のためにHTML化しました。

ここで展開されている思索は、
ジャック・デリダの「死を与える」(
"Donner la mort")の思想を、
乗り越えることをめざしています。
デリダは贈与の概念を純粋化し、それを実現不可能なものというパラドクス的な場所に追い込みました。
しかし贈与において重要なのは、
それと気づかれないような「純粋な贈与」ではなく、
まさにそれと意識され、人々に負い目の感情を与えつづける贈与だとわたしは考えています。

こうしてデリダの仕掛けた罠を越えて、
ニーチェが分析した「疚しい良心」の問題に立ち戻ることが、
現代の哲学を再び正しい場所に立たせることになるとわたしは考えています。

結局このテクストでわたしは、わたしが
「ポスト構造主義と宗教 ---ジャック・デリダと死を与えること---」
『宗教の根源性と現代』第3巻、晃洋書房、2002年所収)
および、『梅原猛著作集6 日本の深層』解題」(小学館、2000年)
で予備的・予告的に主張してきたことを、更に二歩進めて示したことになります。
それらの予備的な仕事も参照していただければ幸いです。
また、第5回「供犠論研究会」の発表要旨
には、この一連の思索の展開のエッセンスが記されています。
これもご覧いただければ幸いです。

このテクストは、直接には注(1)に記した
「『なめとこ山』の山の神」
(『[GENESIS]京都造形芸術大学紀要6』2001年)
を踏まえて書かれています。ご覧いただければ幸いです。

また
「なめとこ山の死の贈与」
(中村生雄編『狩猟と供犠の文化誌』(仮題)森話社、2004年発行予定)
において、
わたしは「死」と「贈与」の関係について考察しました。
そこに本テクストの前提になる思索が展開されています。
未だ発行の見通しが立たないようなので、
別の仕方でご覧いただけるように考えてゆきます。

またアイヌ民族のイオマンテの問題を、
わたしは
「イオマンテという送りの思想」
(『神々のいる風景』(シリーズ いくつもの日本 VII)岩波書店、2003年)
で、
子熊がいつ神になるかという観点から考察をしました。
参考にしていただければ幸いです。



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