果無の山
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中路 正恒
Masatsune NAKAJI
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 京都の東、白川通りを北に行き、花園橋の交差点を右に折れ、八瀬、大原を 通って滋賀へ抜ける道を走っていると、途中大原に近づくころから、前方に或る 山が見え隠れするようになってくる。それは京都の山の中では高度のある、まるく、 なだらかな、姿の美しい山で、柴山なのだろうか、遠目にもいただきが常緑の 緑に覆われてはいないことが分かる山だ。いつの頃からか、私はその山のことが 気になりだし、それをひそかに果無山(はてなしやま)と呼ぶように なった。

 最初にその山が見え出すのは、静原への道が左に折れるT字の交差点の辺りから だと思う。その辺りから、しばらく、正面遠方の右手に、その山はあらわれ、そして またすぐに隠れてしまう。あらわれるのはほんの数秒ほどの間なのだが、その わずかな時の間だけでも、最初の出会いの、よく正体のつかめないときめきを、 その山は与えてくれる。今見えていたのは何だったのだろうか? ------軽い 胸騒ぎが起こり、そしてある期待が生まれる。

 しばらく行くと、今度は寂光院への車道が左に別れて行くところの辺りから、 再びその山があらわれてくる。今度はその姿を確認する時間が充分にある。その 山の美しい姿を、しっかりと心に捉えることが出来る。それは遠くにある山だ。 何か、こことは違った、大原の村、人々の住み、生活するところとは違うところに ある山、何か異質なところのある山、そこから異質な世界、異界が始まる、そういう ことを語り、知らせているようなたたずまいの山なのだ。その山から別の空間が 始まり、その山の向こうも、山があり、また山があり、そうして果てのないひろがり をもった空間が、広がっている……。

 山は大原のバス停あたりまで見えつづけ、その先、大原の里を後にしてからも、 二度、三度、少しずつ近づきながら、その姿を現わす。そして大原から十分ほど 走ったところ、途中峠を越えたところで、ついにその姿を視野の前面に大きく 現わしてくるのである。

 多分この山には名前もあることだろう。私の調べた地図にはその名前は載って いなかったのだが。しかしその固有の名前が何であれ、私にとって、この山は、 果無山というべき山なのだ。果無山とは、そこから果てのない空間が始まる、 ということを、里人に知らせる標識になる山、という意味だ。そこから、無限の 空間が、山々として、広がる、と感じられ、考えられる、そういう標識となる 山のことを、私は普通名詞として、果無山と呼びたい。

 実際に「果無山」という名をもつ山が奈良県にある、ということを私は知って いる。その山を私は心して見たことはないのであるが、その奈良の果無山も、 この大原から見やられる山と同じように、そこから果てのない山々の空間が広がる、 ということの標識という意味をもっているのではないかと思う。現代を代表する 歌人のひとり、山中智恵子氏の歌に奈良の果無山を歌ったこのような歌がある。

くれなゐや(うしほ)のなごり果無(はてなし)の山みえとほく心在りたり
                    『虚空日月』

 この歌においても、果無山は遠くから見やられる山だ。そして果て無しの山と ともに、別の空間が、別の世界が、続いている。その山々は、〈私〉のひとつの 悲痛にかすかに語り掛けている。果て無しの山々が語り掛けるのは、多分、ある 究極の慰謝なのだ。その慰謝に、〈私〉は、いま遠い。なごりの思いが今は止め ようもなくつづく……。

 定住する人々にとって、空間(土地)は区分され、所有権のもとに分配される べきものとして捉えられる。テリトリー性が空間の本質として捉えられるのである。 他方、遊動的な人々にとっては、空間は果てのないものとして捉えられ、その 果て無しの空間の中で、みずからの(その都度の一時的な)位置づけがなされて ゆく。みずからが果て無しの空間の中で配分される。「舟の上に生涯をうかべ、 馬の口とらへて老をむかふる者」(『奥の細道』)は、こうした遊動的な人々の 中に数えられるであろう。

 しかし、定住民のなかでも、自分たちの土地とは異質な空間を、心にしっかりと 刻みつけている人々は、心をテリトリー性に拘束されつくすことはない。それは 村の〈外〉をもつ人々であり、村の外に、単に別の村々をではなく、果て無しの 山々の空間(或は果て無しの海、草原、砂漠、森etc.の空間)をもつ人々である。 この果て無しの空間は、しかし、天上に思い描かれる〈あの世〉とは、本性上 異なったものであり、それは〈あの世〉というより、〈別のこの世〉と言うべき ものなのである。こうした果て無しの空間を心にもっているということを、私は、 定住の身にある人間にとっても、大変大事なことではないか、と思うのである。

最近の沖縄音楽には、果て無しの空間としての海洋世界の姿を心にしっかりと 焼き付けているものがあって、それは開かれた空間で交流することの限りない 美しさと、人間の限りなく開かれた未来とを、わたしたちに教えてくれる のである。照屋林賢氏の率いるりんけんバンドの「走船(はいふに)」 (『アジマア』所収)は、その大変美しい作の一つとして挙げることができる であろう。海洋世界にとっての海は人々の果て無しの冒険空間であり、島々に 住む人々にとっての無限の外交空間であるに違いない。それは私たちを テリトリー性の束縛から解放してくれる思想である。私は、このような無限の空間の 思想の再発見を、目下の緊要の課題であると考えるのである。

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このテクストは、はじめ1993年、
立命館大学国際関係学部の日本文化論の授業で公開したものです。
後に1995年、『京都造形芸術大学 総合環境』の中で刊行されました。
今、これとほぼ同じものが、同じタイトルで、
中路正恒著『日本感性史叙説』(創言社、1999年)
に収められています。
手にとってお読みいただければ幸いです。

2003年6月12日

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