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短歌

poèmes
Dichtungen

Version: le 1. mars 2003




aus
Paul Klee: Die Zwitscher-Maschine, 1922


élégie (エレジー)



Deleuze

by Masatsune Nakaji


Paris sans toi,
si douloureuse,
que je ne peux pas rester deux jours.
Hölderlin disait:
Wo nehme ich, wenn
Es Winter ist, die Blumen. *
Le monde semblait entrer dans l'hiver permanent,
avec la funeste mort de toi.
Où puis-je trouver des fleurs?
Nulle part ! ......

(le 25 nov. 1995)



ドゥルーズ


あなたのいないパリは
辛くて、
居られない。
ヘルダーリンは言っていた、
「冬ならば、どこに花を求めよう」 と。
あなたが死んで、
世界中が冬に入ってしまったようだ。
一体どこに花を探せるのだろう、
どこにもない。・・・・・・・

(1995.11.14)

* Hölderlin: Hälfte des Lebens



HERBSTTAG(秋の日)



HERBSETAG


by Rainer Maria Rilke

Herr: es ist Zeit. Der Sommer war sehr groß .
Leg deinen Schatten auf die Sonnenuhren,
und auf den Fluren laß die Winde los.

Befiehl den letzten Früchten voll zu sein;
gieb ihnen noch zwei südlichere Tage,
dränge sie zur Vollendung hin und jage
die letzte Süße in den schweren Wein.

Wer jetzt kein Haus hat, baut sich keines mehr.
Wer jetzt allein ist, wird es lange bleiben,
wird wachen, lesen, lange Briefe schreiben
und wird in den Alleen hin und her
unruhig wandern, wenn die Blätter treiben.


秋の日


ライナー・マリア・リルケ
Japanese translation: Masatsune Nakaji

主よ: 時が来ました。この夏はとても偉大でした。
あなたの影を日時計の上に落とし、
そして野面に、幾多の風を吹き放ってください。

最後の果実たちに豊かに実るように命じ、
そしてそれらに、南方の暖かい日々を、二日だけ与えてください、
それらを完成へと至るように急き立て、そして最後の甘みを狩り立てて
重たい葡萄の実の中に入れさせてください。

今家をもたない人は、もう自分の家を建てることはないでしょう。
今独りでいる人は、ずっと独りでいることでしょう。
夜にめざめ、本を読み、長い手紙を書くでしょう
そして、落葉が舞い散るときには、あちらこちらと
並木路を、定めなくさまようことでしょう。

(1997.11.10)



Hälfte des Lebens(いのちの半ばに)




Hälfte des Lebens


by Friedrich Hölderlin

Mit gelben Birnen hänget
Und voll mit wilden Rosen
Das Land in den See,
Ihr holden Schwäne,
Und trunken von Küssen
Tunkt ihr das Haupt
Ins heilignüchterne Wasser.

Weh mir, wo nehme ich, wenn
Es Winter ist, die Blumen, und wo
Den Sonnenschein,
Und Schatten der Erde?
Die Mauern stehn Sprachlos und kalt, im Winde
Klirren die Fahnen.


生の半ばに


フリードリッヒ・ヘルダーリン
Japanese translation: Masatsune Nakaji

黄色く熟れた梨の実とともに
そして、野薔薇に満ちみちて
陸は湖水の中へ落ちかかる、
汝ら優美なる白鳥たち、
そして、接吻(くちづけ)に陶酔して
汝らは首(こうべ)を浸す
冷ややかなる神聖の水の中へ。

ああつらい、わたしはどこに求めよう、もし
時節が冬であるならば、花々を、そしてどこに
太陽のかがやきを、
そして大地の影たちを?
冷たく 言葉なく
囲壁が立ち、風にはためいて
風信旗が カチャカチャと鳴っている。

(1995.11.25)



Wann war ein Mensch ...
(いつひとりの人間が・・・)




Wann war ein Mensh ...


by Rainer Maria Rilke

Wann war ein Mensch je so wach
wie der Morgen von heut?
Nicht nur Blume und Bach,
auch das Dach ist erfreut.

Selbst sein alternder Rand,
von den Himmeln erhellt, --
wird fühlend: ist Land,
ist Antwort, ist Welt.

Alles atmet und dankt.
O ihr Nöte der Nacht,
wie ihr spurlos versankt.

Aus Scharen von Licht
war ihr Dunkel gemacht,
das sich rein widerspricht.

Muzot, gegen den 23. Februar 1922



いつひとりの人間が……


ライナー・マリア・リルケ
Japanese translation: Masatsune Nakaji


いつひとりの人間が、今日のこの朝ほどに
目覚めたことがあっただろうか? 
花ばかりでなく 小川ばかりでなく、
屋根までもが喜びを感じている。

その古びてゆく縁さえもが、
天空に、明るめられて、---
感じている: わたしは 大地であり、
答えであり、世界である、と。

すべてのものが呼吸し、感謝している。
おお、おまえたち、夜の苦しみたちよ、
何と跡形もなく、おまえたちは没してしまったことか。

無数の光の粒たちから
その闇はつくられていたのだ、
純粋な自己矛盾であるその闇は。

ミュゾット、1922年2月23日ころ (translation: 1996.12)



「黒い夜」には耳をすませて

松田典子に



Friedrich Nietzsche
aus
Zar. I - 23, Von der schenkenden Tugend. 2

Tausend Pfade giebt es, die nie noch gegangen sind; tausend
Gesundheiten und verborgene Eilande des Lebens. Unerschöpft
und unentdeckt ist immer noch Mensch und Menschen-Erde.
Wachet und horcht, ihr Einsamen ! Von der Zukunft her kommen
Winde mit heimlichem Flügelschlagen; und an feine Ohren
ergeht gute Botschaft.



フリードリッヒ・ニーチェ

『ツァラトゥストラはこう言った』
第一部
「贈り与える徳について」
より
Japanese translation: Masatsune Nakaji.


 まだひとが足を踏み入れたことのない幾千もの小道がある。幾千もの健康があり、
隠された幾千もの生の小島がある。人間と人間の大地は、いまだ汲みつくされれはおらず、
発見しつくされてはいない。
 孤独なものたちよ、目を覚まし、耳を澄ませなさい! 未来の方から、なつかしい
羽音をたてて、風がひそやかに吹いてくる。細やかな耳にはよき知らせが
聞こえるだろう。




夜に

by
masatsune nakaji


少しの空気が欲しかった。少しの空気が、飲みたかった。
車で、わたしは峠に出かけた。窓を開けて走る。

峠に着く。
道の傍らに車をとめて、エンジンを切った。虫の声。そして小さなせせらぎの水音。
この近くにせせらぎがあることを私は知らなかった。

夜の音が聞こえはじめる。夜の森の音が。
せせらぎの水音。そしてちらほら、虫の声。

時々車が通る。
ふたたびせせらぎの音。そして数々の得体の知れない音。
時にバキッと竹の折れるような音。足音、足音、すぐ近くに足音・・・

 少しの空気が飲みたくて、わたしは峠に来た。けれど、
 ほんとうは夜の音を聴きたかったのではないだろうか。ふるえながら。おびえながら。
そして少し、死に近づきながら・・・
                     (2001.7.25)






悼 長野隆 五首



岩木嶺(ね)をわれらみたりき空晴れて天まではれてみな若かりき

弘前の野をかなしみの広がりて漂いゆけり閉ざすものなく

とくとくと射精のごとく川流る野のかなしみをなぐさめあつむ

野辺は嗚咽のこゑを殺し隠し永久(とことは)にひとは津軽とぞ呼ぶ

蓬生(よもぎふ)の河原に水は流れゆき今生をいま君と別かるる

                  平成十二年九月五日

(友、長野隆、平成十二年八月三十一日、弘前市の自宅にて逝去。著書に 『抒情の方法』、思潮社1999、他。)






自選歌抄 一


「果無山」


沢の音のたぎつ夜なりき貴船川水のみ生れの刻に逢ひにき



独り世の終わるも知らずまなざしの爛々として経よむ性空



峠にはひだるの神の坐すといふ観音心咒歌ひて越えむ

月光の森を圧する夜の道にふとも動かぬもののありけり

うずくまりそっといねたる形してふとも動かぬこのいたち哀れ

道をゆき峠をゆきて月夜道たわを越えれば見えるあの山



今生の夢に光を賜ふとぞ月夜に笑まふ果無の山


『日本歌人』 2000年1月号





自選歌抄 二


「あそばずあれ」



上宮聖徳

まことわれによく似たるかな懼づるなく隋に書いたす上宮(じやうぐう)聖徳

無礼なる蛮夷の書には違(たが)はざれ〈日没する処の天子に書を致す〉

われ聖徳夷人(えびすびと)なり僻々の海の隅にて礼義を聞かず


稚魚

川中に稚魚らは遊び夕まぎるこの水際を爾(なむち)遊ばざれ

夕べには秋草ひたし水流るこの数刻を君遊ばざれ


三輪の水引

清まりてゆく道もあらむ空の道もののうれひを鶴に折りせば

神山(みわやま)のいとし水引遠つ世にわが目覚むればまたも逢ひたし

黙すれば憂い澄みゆく時の間を魔道と言はむその悦楽を


『日本歌人』 2000年2月号





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