l 秩父宮の岩木山登拝(抄)


秩父宮の岩木山登拝(抄)(Ver. 1.0i)

by
masatsune nakaji

1996年7月16日



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写真1:岩木山山頂で皇居を遥拝する秩父宮
(品川弥千江『岩木山』東奥日報社、1968、より)

岩木山=カムイイワキ

昭和十一(1936)年八月十三日、当時、陸軍第八師団弘前歩兵第三十一聯隊第三 大隊長で あった秩父宮雍仁(ちちぶのみややすひと)親王は、隊の将兵約二百人を 引き連れて、青森県は津軽の 霊峰、岩木山に登拝する。登拝の日は、その前日から激しい風雨に見舞われる が、それにひるむことなく、一行は激しい風雨の中、完全な軍装のまま登拝を 試みる。その結果は、わずか三名の落伍者を出しただけで、見事に登拝に成功 するのである。秩父宮の並々ならぬ意欲と、周到な配慮を感じさせる出来事で ある。

ところで、その時山頂で撮影された写真が残っ ている[写真1(品川弥千江『岩木山』東奥日報社、一九六八による)]。 この写真を見ていると、わたしはある種の、とても痛々しい思いを感じてし まうのである。 それはどういうことなのだろうか。

東北の山は、わたしにとって、国家の〈外〉の最強の力に触れる霊地なので ある。中でも岩木山は、その最強、最高の身体、といったものであり、聖山 の中でもある種特別な聖山であり、特別な霊地なのである。国家の〈外〉と のかか わりの中に身を保ち、それによ って国家と抗することのできる思想を「つかのま的」に形成してゆくため に、岩木山は、わたしにとって、最終的な拠り所の ようなものなのである。------しかしこの写真においては、その岩木山が、 その神霊が、秩父宮の 足の下、刀の下に、身動きもならず踏み押さえられているように見える。こう して、岩木山山頂で、秩父宮が皇居を遥拝し、「大元帥陛下万歳」の呪言を唱え るとき、「カムイイワキ」の神霊(縄文以来の岩木山の神霊をわたしはそう呼 んでみたいのだが)もまた征服され、「大元帥陛下」への服従を誓わされたこ とになるのである。「征服儀礼」。------秩父宮の岩木山「登拝」は、何より も、カムイイワキの「征服」であった。

そしてそれは直ちに、全津軽の精神の掌握でもある。なぜ なら、岩木 山の神霊が足下に取り押さえられるとき、津軽にはもはや、抵抗の精神的拠点 がなくなってしまうであろうからである。かつて『陸奥国風土記』は、津軽の 人々を、最強の蝦夷(エミシ)として描いていたが、その津軽蝦夷は、こ の秩父宮の岩木山「登拝」によって、はじめて最終的に征服されたのではない だろうか 。おそらく秩父宮こそが、「津軽国風土記」に(そういう本があったとしての こと だが)、「チチブノミヤノスメラミコト」の名で登場して然るべき人物であったで あろう。ここには「秩父宮」という名が、ヤマトタケルの東征にちなんでつけら れた名だ、ということとの奇妙な符合があるように見える。わたしには、このカ ムイイワキの征服こそが、少なくとも日本本土における、「東征の完成」に見 える のである。岩木山山頂で撮影されたこの写真は、そのような征服のなまなまし い記録であり、その動かぬ証拠なのである。

そしてもう一つ痛ましいことは、この時秩父宮に従った第八師団の将兵たちが 、東北の精鋭たちであった、ということである。彼らは秩父宮とともに、岩木 山を足下に皇居を遥拝し、「大元帥陛下万歳」の呪言を唱えたのであった。 こうして彼らは、自らの首を絞め、精神的な誇りと自由を享受する道を、自ら 閉ざしてしまったのではないであろうか。もちろん、この風雨の中の登拝成功 は、国家に奉仕する人間として、大いなる壮挙であり、誇るべき壮挙であった であろう。それはそうなのだが、しかしそれはもはや、エミシとしての誇りと は別の誇りになってしまっているのである。ニーチェは哲学者を、国家にまさ る目的をもっている者として性格づけたが(「教育者ショウペンハウアー4」 )、ニーチェ的な意味で、エミシは哲学者であり、その誇りは哲学者の誇りであ るべきなのである。------ここにおいても秩父宮の戦略は巧みである。彼はエ ミシの末裔としての東北の精鋭たちに、「国家に奉仕する者」としての栄誉を 与え、そうしてエミシとしての誇りを忘れさせるのである。そうして彼らを、 国家の 〈外〉の誇りと価値を語り続けるカムイイワキの神霊を、国家の奉仕者へと仕 立て直す企てに、参画させるのである。------このようなことが、わたしがこ の写真から感じる痛ましさであろうか。もちろん私は、この征服事業によって、 カムイイワキのもっている強力な力のすべてが汲み尽くされてしまった、とは 思わない。その強力な力は、今、出口を閉ざされてしまっているのだ。わたし たちは多分、その出口を、その力の経路を、慎重に、再び開いてゆくことがで きるであろう。わたしには、やはり、岩木山は、特別な霊地なのである。

次にこうした問題について、もう少し正確にたどってみ よう。




このテクストは、東北精神史について、目下著書にまとめるべく書き 続けているものの一部です。
ご期待ください。


(C) masatsune nakaji, kyoto since 1996

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