凝視すること、生を、死を、その境を、そして繋がりを


−−内藤正敏『東北の原風景』展−−

(Ver. 1.0i)

 

中路正恒

 

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写真: 内藤正敏『東北の原風景』展から

(いずれも部分)

 

        

能除太子像       梵天帝釈天両部大日六霊権現像       能除太子像

秘所・東補陀落

 

 

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 はじめに二首歌を引いておこう。

 

  われはいま冥界にありて死者とゐるこのよろこびに夏茜さす

  月夜見のひかりのもとに腑分けせし内臓(むらぎも)を食(を)す荒吐神(アラハバキ)かも

        山中智恵子『風騒思女集』「月山」

 

 初日に、その午前中に、じっくりと見て回った。「ギャラリーRAKU」の右の壁から、向かいの壁へ、そしてそのまま左回りに左の壁を。そしてそれから奥の「芸術館」の展示へ。芸術館でも同じように左回りで回って見た。後で内藤さんに尋ねたところ、奥の部屋を奥の院に見立て、その中央に置かれる三体のミイラ像に向かってゆくように構成されているということだった。けれど、その構成にこだわることはないと思った。わたしが最も強い力を感じたのは、「洛」左壁奥半分に並べられた、色鮮やかな明王やら権現やらの顔を正面から見据えて撮ったものだった。凝視の力、これが内藤さんの写真の、最も強い力だ。その同じ凝視の力は、奥の院のミイラの写真にもあって、これが内藤さんの最も初期の写真だときくと、彼の本領が一貫してどこにあるのか、とてもよく分かる気がする。

 死と生の境目のあたりにすっと近づいてしまうこと。そうして生か死かよく分からないようなところから見える風景、それが東北の原風景なのであろう。内藤さんに山中智恵子の月山の歌を知っているか、と訊いてみた。山中智恵子も、月山に行って、すっと死者になってしまっているのだ。それが一首めの歌である。内藤さんは知らないと言っていた。今度コピーを届けよう、と思っている。

 しかし山中智恵子の歌の破天荒とも言える深みは、むしろ二首めに引いた歌の方に見える。殺されたある神の腑分けされた内臓を食べる神々の姿。これは『書紀』の月夜見神話が見ていたものだが、その神々の姿を山中智恵子は、ここ、この月山で、荒吐神の名のもとに見てしまうのである。この「アラハバキ」の姿が、内藤さんには見えるのだろうか、見えないのだろうか。・・・少し違う方向を向いている、とわたしには思える。内藤さんの写真は、何か、まだ、とても清潔なのである。

 しかし、内藤さんの凝視の力によって、今回の展覧会で教えてもらったことがある。それは「秘所・東補陀落」の写真だ。おそらく縄文時代のものであろう巨大なファリック・シンボルを、下から見上げるように撮った写真である。不動明王や愛染明王、それに大日六霊権現などの、禍々しい欲望の凝縮したような尊像の写真を見詰めた後でその「秘所」の写真を見ると、このファリック・シンボルの意味が分かってくるような気がした。それはこういうことではないだろうか。ひとはおのれのファロスによって、何かよいことを経験しえたならば、それを以ってみずからの生に納得し、みずからの死を受け入れなければならない、というような教えである。「よいこと」とは、ひとと快をわかつことができたり、子をなすことができたり、というようなことだ。縄文時代のそれも、そのような生死の掟を、ひとびとに語り聞かせるシンボルであったのではないだろうか。それは個人にみずからの死を受け入れさせるとともに、集団の成員皆がそれを受け入れることを誓い、そうしてその集団に継承される一つの至高の教えを語りつづけているのではないだろうか。そんなことを内藤さんに聞いてみた。個人のことであるとともに、集団的な象徴でもあるだろう、と(多分?)同意見だった。

 

 

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 このテクストは、2001年5月1日から13日まで京都造形芸術大学「ギャラリーRAKU」で開かれた
内藤正敏写真展『東北の原風景』の展評です。
はじめ『Raku』vol.25(2001年10月18日、京都造形芸術大学発行)に発表されました。


(c) masatsune nakaji, kyoto japan. since 7. 9. 2002.

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山中智恵子の歌については、エセー IndexPage へ 

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