少年少女探検隊の記録第1弾
少年少女探検隊イリアンジャヤへ行く(1)


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0.少年少女探検隊とは何か

 1994年の8月,私たちは,酒村夫妻(現在福岡在住)とともにボルネオにあるキナバル登山を成し遂げた。登山途中の見晴らしのいい場所で休憩中,この隊に名前を付けようということになった。その時酒村隊長が,「そうねえ,少年少女探検隊やろね。」と福岡弁であっさりといいのけた。
 この時はキナバル登山後,ジャングル奥地に昔首狩り族であったイヴァン族を訪ねる計画であった。そこで酒村極限探検隊なんてかっこいいのではないかと私は思ったりしたのだが,その時の隊長のあまりに意表を突いた名前に,思わず私も「そうねえ。」ということで,決定された。
 4千メートルを越える東南アジア一の山に登るとはいえ,我々は素人。ガイドとポーターにしっかり引率?されての登山である。その時酒村隊長は,かっこいい名ではあまりにおこがましいと思ったのであろうか。または少年少女のように好奇心いっぱいの探検を,と考えていたのであろうか。ともあれ,いまでは私たちは,この名前が大変気に入っている。
 その後,メンバーの出入りはあったが,少年少女探検隊は,ジャワ・バリ探検,タイの北方からバンコクにいたる広域の探検,さらにマレイシア半島北部の車による探検,そして最近では,今でも石器時代の生活をしている人々が住むというイリアンジャヤの探検を行った。実際は探検というより旅行といった方が適切であるが,なにせ名前が探検隊ということなのでご容赦願いたい。(椎名 誠のあやしい探検隊の例もあるし)
 我々の探検の目的と特徴は,一つでも多くのものを見て体験することであり,計画はかなりハード。リゾートなんて目的ではない?
 それでは,まずは一番最近の,イリアンジャヤ探検を数回にわたって報告したいと思う。どうぞ途中で見捨てないで下さい。


1.何故イリアンジャヤに行くことになったのか

 イリアンジャヤ探検の目的は,今でも石器時代の生活をしているというニューギニア高地人に会うことであった。以前少年少女探検隊がインドネシアに行ったとき,彼らの絵はがきを偶然見つけたことがきっかけである。その絵はがきには,ほとんど裸同然の姿をした色の黒い男達が,ボディーペインティングをし,武器を持って戦っている写真が印刷されていた。そのとき,いつか探検隊はここに行かねばならぬといった使命感が隊員の心の中に芽生えた。酒村隊長の目は,遥かイリアンジャヤの地を夢見ていた。
 しかし他の計画(やっぱりバリに行きたいな等)を優先したこと,メンバーの入れ替わり,費用の問題などで,実現は1年後になり,参加者は我々と志村隊員の3名だけとなったのである。その時点では,酒村隊長は夢を果たせず,マレイシアでの任期を終え既に日本へ帰国してしまっていた。


2.イリアンジャヤ最大の町ジャヤプラへ

 イリアンの地は別名インドネシア領ニューギニア,ニューギニア島の西半分である。最終目的地はニューギニア高地のワメナという町。クアラルンプールからの距離は沖縄へ行くのとほぼ同じでかなり遠い。おまけにあまり飛行機の便もなく,旅行会社からは割引飛行機チケットがここは無いから高いよといわれた。実際,飛行機料金だけで一人3万5千マレイシアドルを越えた(14万円以上)。


 1995年10月29日(日)まずジャカルタに飛びジャカルタ観光後,21時にいよいよガルーダ航空でイリアンの地の中心都市ジャヤプラに向かった。夜の飛行である。途中スラウエシ島のウジュン・パンダン,先日津波で大きな被害を被ったビアク島を経由した。真夜中に,数度にわたる着陸,客の乗り降り,離陸,食事の4点セットで,この8時間にわたる飛行は極めてつらいものとなった。
 朝方,明るくなった外をあまり眠れなかった目をこすりながら眺めた。進行方向右前方はるかに高い山々が見える。5千メートルを越える山々である。ついにイリアンジャヤに入った。世界第2位の大きさを誇る大陸のようなニューギニア島を右手にしばらく飛行,いよいよセンタニ空港に向けて着陸態勢に入り,眼下にセンタニ湖が見始めた。

つづく


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1996,6,3更新