同じように誤解をしている方がいらっしゃるかもしれませんので、ご返答させていただきます。
こんにちは、管理人です。
夜更かしは体によくありませんよ、連休最後なのに、寝不足で無駄に過ごしてしまいますよ。(私は三日ともお仕事でした)
きちんと読むと誤解が少なくなるかと思います。
コラムのような読みやすいところばかりでなく、本文もQ&A形式にして分かりやすく作ろうとそれなりに工夫しているつもりです。
コラムは楽しく読めるように、飲み屋での雑談のように
感覚的・感性的な書き方をしています。
「理論展開」と呼べるようなものは、あまりないかと思います。
ま、気楽に読んでください。
とりあえず、本流のネオ・ダーウィニズムの基本を理解しましょう。ネオ・ダーウィニズムも面白い学説です。
日本語だろうがヒンズー語だろうが英語の1単語だろうが
それを話すことができる能力は
明らかに生まれてから後に身につけたもので
環境が変われば身に付かなかったものです。
つまり、明確に「獲得形質」です。 獲得形質に「発見」などという言葉遣いは普通しません。
しっぽがケガでなくなっても、虫歯になっても獲得形質。
虫歯になりやすい体質や、しっぽが先天的にないのが遺伝形質。
理解しました?
「獲得形質は遺伝しない」とは、 親が虫歯になっても、虫歯にならなくても、 その子供の虫歯には全然関係ないってことです。親がもともと先天的に持っている「虫歯になりやすい(なりにくい)体質」だけが遺伝する、ってことです。頑張って秀才になっても、生まれた子供は頑張る前のまま。
ま、獲得形質も遺伝形質と入り交じってるし、進化学では相手にされていないので、明確で詳細な定義がなく、様々なパターンを考えると混乱してきますので、ざっと把握してください(ざっと説明しています)。「獲得形質の遺伝」は「用不用の法則」とペアになっています。よく使う器官は発達するし、使わないと退化する、ってことですね。使わないと退化するっていうのは、現在では完全に認められたといってよいでしょう。使うと進化するか、というのがネオ・ダーウィニズムとネオ・ラマルキズム(どこにいるんだかしらないが)の争点(相手にされずに一方的に主張しているのが現実ですが)です。
遺伝というのは、親から受け継いだものをそっくりそのまま、子供に引き継ぐもので、今、子供に遺伝子を引き継いだときの親の形質がどうだとか関係ないってことです。親からなにを受け継いだかだけが遺伝に関係するのです。遺伝が変化する可能性は突然変異だけが持っています。親から受け継いだものが変化するときは、でたらめに偶然に変化するのです。
ま、最初から例えが不適切であることは自分でも分かってます。 人類は進化の例えには向かないものです。 分かりやすいかなと思ってこういう例えにしています。
ちなみに800の英単語を使いこなすためには、
何千の使い方を覚えないといけません。
単語数を増やす方が簡単ですよ。
熟語はごっちゃになって難しい。
獲得形質の遺伝を語るときには 獲得形質が発生する種が対象となります。
単細胞生物でも環境変異(くどいようですが環境変異も獲得形質)や地域変異(偶然により、ある遺伝子が狭い空間に広がった変異)はあるでしょうが、大変小さいと考えるべきでしょう。
種の衰退に伴う正の自然選択は存在します。これは、不利な個体が一方的に滅んだために有利な個体(滅ばなかった個体)が、あいた空間に広がるために起こるものです。
疑問視しているのは狭義のダーウィン選択です。同種内でより多く子供を増やせる形質(生存力のアップももちろん含まれます、結果的により多く子孫を残せますから)は、より少なくしか子供を増やせない形質を圧迫して、やがて、より多く子供を増やせる個体だけになる、という自然選択です。これは、環境の変化がなくても継続して絶え間なく続く自然選択です。ただ増えるだけでは選択は行われません。増えると同時に、増えることによって他の個体を淘汰しなければいけません。
特に、同種内の自然選択であることを、内臓にまでしみこませて理解してください。他種との競争ではなく、同種内の競争がダーウィン選択です。
このように、環境の変化なしに恒常的に進化が休みなく今も続いているという説を漸進論と呼びます。典型的なものが赤の女王仮説ですが、これは、進化そのものが環境の変化となり、他種の進化が進化を発生させ連鎖するような構造になっています。この説も面白いのですが評価は低いようです。ダーウィン選択は同種内、赤の女王仮説は他種の影響ということに注意してください。全く別のものです。漸進論は保守本流であるネオ・ダーウィニズムでの主張ですので、進化にサイクルがあるというような説は傍流・亜流になります。
トンデモ学説の取り込みはこれからが本番です。(…いつになるか未定ですが)
まだ、この程度でツッコミは早い!
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参考文献等(WEB含む)は今となっては不明です、というか、さくっと作ったために自分の記憶がもとになっていますので、書くたびに文献を確認するという行為は行っていませんし、手元にもありません。もともと、知的所有権は権利を保護するためにできたものではありません。 それを保護することによって、技術を公開させることによる技術の向上・共有化のためにできたものです。学術関係であれば、なおさら学術の普及のためにも、たとえ参照文献が不明な場合でも公開の自由が認められるべきだと、個人的な意見を持っています。 モラルとか慣例の問題については人それぞれでしょうし議論する気はありません。とりあえず、最低限の道徳といわれる法律の範囲内で行いたいと考えています。
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