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マスコミは何故腐ったか

権力は必ず腐敗する


有事法案の内容が分からない

 有事法は必要だが、今期に成立は望ましくないとのアンケート結果は私の意見にも一致する。案外、当サイトの意見というのも一般論なのかも。
 今期成立に反対なのは、よく内容が分からないから。成立反対ばかり唱えていないで、もっと建設的に取り上げてほしい。そんなことを言っている輩は、きっと自衛隊は違憲だとか言っている人達ではないかと思うが、黙っとけ。
 国民の建設的な意見は、法案に影響できるが、反対のための反対は法案の成立を遅らせることはできても内容を左右できない。基本は国防のために必要なのはどれで、不必要なのはどれかということだ。自由だ人権だというのは、本当に必要かどうかの論議を妨げている。不測の事態なので、ある程度の柔軟性は必要であろうが、それでも守らなければならない自由とは何か、不必要な制限や権限はないのか、他に決めておかなければならないことはないのか、そういう視点での議論や意見があまりにも少なすぎる。
 成立は、今回のアンケート結果が勢いをつけたので確実だろう。もうそろそろ憲法論議のような言葉遊びを止めて、国民の利益や安全のための議論を始めてっ!

マスコミの自覚とは何か

 マスコミは報道の自由、取材の自由をよく主張する。噴火の時には避難命令にかかわらず、必死に人々を非難させようと努力している人々の思いを踏みにじり無視して放送を続け、テロと戦う人を嘲笑うかのように人質を取ったテロリストたちとの接触を図る、それらは一般人では決して許されることではない。では彼らは何を持ってそれが許されると考えているのか。それは権力に対抗するアンチテーゼとしての権力としての特権によるものである。
 権力があれば、その権力に対応する義務がある。彼らの最大の義務は真実を報道すると言うことである。では、彼らが真実を報道しているという保証はなんだろうか。現在のところ存在しない。誤報は実は数多く存在する。彼らは、その特権を謳歌しながら特権に見合う義務と責任を背負ってはいない。
 前々回のサッカーワールドカップでの中田選手の報道も、そのほんの一例である。
 では、私たち小市民のWebMasterは、むしろマスコミのアンチテーゼとして存在するだけで意味があるのではないだろうか。(後略)

誰が国旗国歌法を作ったか

 国旗国歌法成立以前に、日章旗と君が代は正式な法律がないから国旗国歌ではないと言い張っていた人達、できたとたんに180度、意見を翻して国旗国歌は慣例法で十分とか言っている人達が国旗国歌法を強力に押し進めた原動力でしょう。バカは自分の言動が、どのような結果をもたらすか予測できないのです。自分の意見にどのように他人が反応するか思いやることができないのです。
 法を盾にして意見を押し進めようとするのは危険であり、法を逆手に取られる結果になります。今の憲法論議もそうでしょう。法よりも現実的に利益になるか害毒になるかを検討するのが主張としては大変安全であり、また柔軟です。

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