戦争は外交の最終手段である
戦争は平和のための手段である。
神よ、神よ、何故私たちにこのような苦しみをお与えになるのですか。何故、この苦難を軽々と乗り越えられるような知恵と勇気をお与えにならなかったのですか。
神よ、貴方のお与えになった苦難を運命だとすれば、私たちは運命に従うしかありません。
しかし、運命に従うとは運命に流されることとは違います。与えられた運命の中で、この苦難に、貧弱な勇気と頼りない知恵で戦うことです。私は運命を受け入れます。この苦難に戦いを挑みます。
たとえ、それが全て過ちで、この魂が煙火の地獄へと落とされようとも、それは運命の結果なのです。地獄の底で、私は神をたたえる歌を歌い続けます。
戦争の理由 |
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戦争の理由は基本的に二つ、勝てるから、と勝たなければ滅亡するから、である。戦争の目的は勝利のためである。従って、戦争を止める方法は、相手に勝てないと思わせることと、自分たちを攻めてこないと信じさせることである。だから大国同士はなかなか戦争をしない。第二次世界大戦での英国の参戦とかは例外かもしれませんが。 |
革命と生命 |
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戦争は命を奪うから反対という人が、命を奪う革命を支持している場合があるのは何故でしょう。 |
中立政策 |
中立国で有名だったのはスイスとスウェーデン。孤立政策とか呼ぶこともあります。もちろん、中立・孤立というのは経済や文化のことではなく、軍事的なことです。軍事的中立、軍事的孤立、すなわち同盟関係を結ばないと言うことです。同盟というのは軍事的同盟しかありませんから、同盟・連盟とか呼ばれるものは全て軍事同盟です。経済だと協力、文化だと交流で、経済的同盟とか呼ばれると経済制裁を集団で行うためのものという基本的に軍事的敵対を前提とした意味合いになります。もちろん国連も軍事同盟です。だからスイスとかは総会のある本体には加盟せずにユネスコなどの周辺の経済的・文化的な機関にのみ加入していました。 中立政策をとるためにはどのような条件があるでしょうか。スイスは列強ではありませんでしたが山岳地帯で、経済的には豊かであり、国民の自衛意識が高く、実際に戦争となると侵略するのは困難であったろうといわれています。ナチスドイツと対峙したときは、スイスは通行を妨げないことを条件に戦闘を回避しています。したたかさも併せ持っていると言うことですね。スウェーデンは、列強のまま中立政策に転換しました。植民地政策よりも国内の工業の能力の高さを生かしたほうが得策であるという判断によります。軍事力・経済力・工業生産能力と地理的なことから考えてもスウェーデンの脅威はロシアのみでした。そして、そのロシアとはフィンランドをロシアが支配下におくことを黙認することにより妥協ができたといって良いでしょう。つまり、中立政策に必要な条件は、相手に躊躇させるほどの軍事力、地政学的なしたたかな外交政策、それと高い経済力ということになるでしょう。列強でもポルトガルのように弱体化するとイギリスやフランスの支配下に転落してしまいます。 |
決戦主義 |
第二次世界大戦後、何故戦争は終わったのか。それは、第二次世界大戦が大日本帝国とナチスドイツという決戦主義の国家を相手にしたからだと考える。 第二次世界大戦が人種と貿易を巡る争いであったことは、第二次世界大戦や世界史に興味を持ったならば誰でも最初に辿り着く結論である。この結論は、昭和天皇も持っていたし、数多くの評論家や学者も持っているということを最近知ったが考えると当然だ。私のような素人でさえも到達するような結論など誰でも到達するものだ。 さて、この人種と貿易を巡る闘争は、決戦主義の国を作ることになる。人種的な問題は国民の存在意義を否定するし、貿易は国家経済を破綻させる。国家の存亡と存在を賭けた戦争になる。それまでは、決戦などはそれほど多くはなかった。領土の一部や利権を巡る戦争、宗教戦争にしても相手の国家の滅亡を計るとか、国家が滅亡するまで続行するとかではないようだ。 決戦主義の国家を相手にすると、膨大な神経戦を要求される。いつ終わるか分からない、相手からの妥協はない、何をしてくるか分からない。多大な疲労が国民や兵士に降りかかってくる。 具体的に決戦主義になった理由を推測してみよう。 ナチスドイツが決戦主義になったのはヒトラーの性格上の問題だろう。併合を前提とした戦争をしていたのだから、結果、相手の国の主権を破壊する決戦主義になる。 大日本帝国が決戦主義になったのは外交能力の不足からだろう。有利な時期に和睦するという発想自体が何故か日本にはなかった。日露戦争の時は米国に働きかけて和解に持ち込むなど、割と政治的だったのにどうしたのでしょう。これが軍事独裁というものの愚かさなのでしょうか。第二次世界大戦で、調停が可能だった国は、唯一、旧ソ連のみ。他の有力な国は全て戦争の当事者。後半からソ連も戦争に巻き込まれましたが、前半に戦争を調停する責務があったのはソ連です。そのソ連は、対岸の火事は黙って見とくという姿勢を崩しませんでしたし、最後には火事の家には押し込め、という教えを守って崩壊寸前の日本に参戦してきます。 決戦主義は総力戦であり、国家に多くの犠牲を強います。決戦を避ける姿勢は、湾岸戦争でも、ヨーロッパ各国が見事に示しました。アメリカは弱小国家には決戦主義で挑もうという傾向が出てきていますが、アラブには決戦主義の思想は希薄です。総力戦が不得意な民族性なのかもしれません。 |
田中真紀子 |
このかた、外務大臣なんですよね。そうですよね。 台湾が中国の一部と臆面もなく発言したそうです。なんて重大発言を軽々しくやるのでしょう。台湾の最大の恐怖、それは中国との併合です。台湾の歴史を知っていますか? もしかして、テレビと朝日新聞でしか知識がないとか、いやおうなく大国の一つに数えられる日本の外務大臣がおっしゃいませんよね。 このかた、つい数年前、スマスマで、大臣なんて勉強がいやでやりたくないとかほざいていましたが、あれはジョークじゃなかったんですね。 台湾は明治維新の頃までは、清(今の中国)からは野蛮人の島として軽蔑の対象になっていました。そこに、帝国主義を目指す日本がいちゃもんをつけて問題を起こし、清(今の中国)に対して、どうするんだと迫ると、あんなの、うちの国じゃないよと、軽く見捨てたのです。 そこに、アジア最大最強の国家、日本の「台湾は中国の一部」発言・・・ かわいそうに、日本びいきの台湾人の恐怖と怨嗟と失望の叫びが聞こえてくるようです。 |
太平洋戦争は避けられたか |
いろいろ諸説あるようですので、私の知っている太平洋戦争を避けられた可能性をまとめてみませう。 まずは、日英同盟さえ保っておけば、あのような事態にはならなかったのではないか、という説があります。アングロサクソンの外交能力の高さは定評があります。英国との関係を保っておけば、日本は外向的失敗を英国の忠言に従って避けることができたというのは説得力があります。その後、多くの政治家が反対の意志を示していたのにかかわらず世論に押されて日本はドイツと同盟を結んでしまいます。 次に、日華事変から始まる日中戦争を避けられたら、あの戦争に参加せずにすんだというものです。まあ、この戦争が日本の孤立化を進め現実的には米国を敵に回す直接の原因と言っても良いのですから当然の考え方です。私も日中戦争がどのような目的で開始され継続されたのか理解できていません。 参考サイト:日華事変 ここの記述をどこまで信用して良いものか・・・。ただまあ、右側の人々も日中戦争に意味がなかったこと、いたずらに国際関係を悪化させたことを認めているわけです。渡部 昇一氏だったと思いますが天皇の統帥権侵犯の問題で政府が軍部に歯止めが利かなかったことをあげています。当時、事実上、明治憲法は立憲君主制として働いていたにも関わらず、文言上は神権君主制であったため、政府が軍部に口出しすることは天皇の統帥権を侵すものだと軍部が主張しそのため政府が軍部の暴走を止められなかったというものです。 最後にハルノート(米国ハル国務長官の最後通牒、日本の全ての国外の財産の破棄を求めていたと伝えられる)は交渉によって回避できたのではないかというものがあります。なるほど、これは盲点でした。ハルノートのあとに外交交渉で妥協を見いだすというのは、考えてみれば当然で、翌日に戦争を決定するというのは、確かに外交音痴と言われても仕方がない、反省いたします。それで、本当にアメリカの妥協を(アメリカから石油を止められたら戦争しかない状況でしたから)を引き出せるかどうかは別として、まずやるべきであったことでしょう。アメリカでは当時、反戦ムードでフランクリン・ルーズベルトも戦争は行わないことを公約として当選しています。交渉次第では、石油を確保できた可能性は十分あるでしょう。 |
イラクテロ日本人外交官殺害事件 |
時事問題なんて扱うもんか、世間が醒めてからおもむろに語るんだ、と何故か間を外してしか批評をしないこのサイトですが、今回は気が向いたので早めに語ってみましょう。 このような事態になりまして、正直、日本はどうすればよいのか、多分、首相官邸と同じように私も思考中でございます。基本的には純ちゃんと同じで、対米関係、国益のために、まあ人が死ぬ可能性が少ないのであれば派兵した方がよいかな、ということです。韓国とかは米国の要請となれば、あれほど反米感情が強い国でありながら、必ず出兵させます。それは、もちろん対北朝鮮ということがあるからです。米国から手を引かれるのは、もう恐怖そのものです。 しかし、日本の場合は米国は手を引こうと思っても、そう簡単にはできないし、する気もないでしょう。米国も日本との関係が絶たれると困るのです。それは、もちろん日本が経済大国であるからです。トップの国が二位と三位の国の合計を越えて安定が保たれると言われます。しかし、今、日本とドイツのGNPを足すと米国を越えてしまいます。ここに、日本とアメリカの関係が世界で最も重要な2国間の関係だとクリントンが言った理由があります。日本が米国を支持することで米国の圧倒的な影響力が保持されるわけです。 しかし、アングロサクソンは幼稚な感情によって支配される「民主主義」の国です。そんな政治的なものばかりで関係が保たれるわけもありません。感情的な共感が必要なのです。そのために、手っ取り早いのが連合して戦争すること、そういうことです。そして、この関係は外交能力が著しく乏しい日本の国際関係に良好に作用します。これが、日本が、実際の戦争を想定した場合と合わせて米国との関係を維持しなければならない理由だと私は考えています。 今回のイラク派兵は、対米関係をどれほどの犠牲と引き替えに守らなければならないかという計算に基づかなければなりません。米国は多分、韓国が軍事的危機に陥ったとき、いかなる犠牲を払っても韓国を守り通すでしょう。米国とはそういう国だと思っています。 自国民が関係のない、責任のない戦争に巻き込まれ戦死者がでるのはいたたまれないことです。アラブの全ての問題は欧米が無責任な国境を引いたことに始まります。いつまでも列強支配の植民地時代が続くと考えた彼らの責任です。 以下略(眠いから寝る) |
続・イラクテロ日本人外交官殺害事件 |
第九条が示すのは「国際紛争解決手段としての戦争」、他国内の国内紛争や、テロリズムに対しての効力は文言通りに解釈すると無くなってしまいます。憲法想定外の出来事。遂に日本も国際テロリズムを本気で考えるときが来てしまいました。 ここで、問題になるのは日本はあくまでも人道支援のために行くということで、それでも、テロリズムにそれだけで巻き込まれてしまうということです。 政治とは感情です。対米関係の維持などという政治的な理由だけで、国民は理屈では納得しても、感情的には納得できません。命をかけるだけの感情的な理由が必要になります。米国には報復という理由があります。まだ、ラディンの首を取ってないのですから。テロの報復のために支援する国家ごと潰すという新しい報復戦争の形態を作り上げてしまいましたが、ラディンの首を取るまで次々に国家を潰すつもりなのでしょうか。 この報復の連鎖、復讐の輪廻に対しての解決方法はまだ存在しません。近代戦争は報復戦争です。第二次世界大戦はドイツのベルサイユ条約に対する怨念により発生しました。ソ連の日本への侵攻は日露戦争の復讐です。その報復の連鎖を止めるために生まれたものが、復興支援です。領土の移動も賠償金もなくなりました。それもこれも、報復を恐れたためです。これが、新しい戦争であるテロリズムに対して力を発揮できるのか、不明です。 今回は、アメリカが真面目に復興を考えていなかったために混乱が発生しました。戦争や政治をアメリカは甘く見過ぎています。ソ連を潰すためにジーパンを空から撒こうとか提案された国ですから、アメリカも政治の延長としての戦争に対しては戦争音痴と言うことができるでしょう。 以下略(もしかしたら続く) |
自衛隊の自衛力 |
まず法律的にということですが、法は人のためにあり緊急特例により、事後承諾を国会で行うということにすれば、まあ、そのような場合に文句はこないでしょう。厳密にはいろいろあるかもしれませんが、文句を言う人がいなければ(国民が支持すれば)大きな問題にはならないでしょう。それはそれで問題のある国家なのかもしれませんが。 装備についてですが、領土拡大主義を潜在している国家は中国とロシアぐらいではないかと思います。日本の自衛というのは安保条約を前提として、米軍が駆けつけるまで占領を防ぐのを目的としています。占領されてしまっては米軍も手出しに躊躇するでしょう。いったん占領されると奪回は困難です。逆に言えば海に囲まれた日本を占領するには相手は多くの犠牲を覚悟しなければならないということです(10倍の軍事力が必要という説もあるほど)。つまり日本の自衛力というものは相手に攻撃を躊躇させることが大きな役割だとも言えます。 |
戦争は平和 |
現在の戦争は、平和を目的として発生する。不安定な状況、つまり、宗教対立・思想対立・経済対立などの状態が殺戮を引き起こすか、引き起こす可能性が濃厚だと多くの人が考えるような状態になった場合に発生する。平和とはテロリズムや偶発的衝突が発生しない状況であり、このような状況を解決するための手段として成立する。決して戦争そのもの、言い換えれば領土拡大や支配権の確立を目的としては誕生し得ない。 それは、やはり、戦争が報復戦争としてのみ発生するようになった時代の大義名分なのだと思う。報復をするのは感情を解決するためだが、理性と良心を解決するためには平和を目的としなければならない時代となったのだろう。 ほらほら、米国もイラクの復興計画を本気で立てて早く石油ビジネスを復旧させなきゃ、テロリストがレジスタンスと呼ばれるようになっちゃうよ。 |
自己責任、自己責任って、うるさい |
だいたいだ、自己責任とかいうのは、誰の責任でもなく自分の責任において行動し結果に対して他人のせいにしないってことだと思っている。拉致された当人が政府の責任だとか言っていない限りは、それはそれで自己責任を負っていることになると思う。 費用を払えとか言うのは論外、自国民の保守の義務を国家は負うものだ。費用については法治国家として法を定めた後に発生した事例にのみ適用される。 自己責任を問うなら、年金の運用に失敗した役人や税金を注ぎ込ませた銀行の頭取を豚箱にぶち込んでからだろ。 |
なんかなぁ |
勧告を無視して危険地域に行った人に対して、費用を取るとか言う法案が出るとか。 でもね、じゃ日本国家は外国で危険に陥った人に対してどんな義務を負うの? 今回、直接的に救出に努力したのは、はっきり言って米国でしょ。情報力もない、軍事力を行使する意志もない日本政府が、どの面下げて費用負担だの言えるわけ? せめて外国でのテロに対しての特殊部隊ぐらいは作って、派兵の法的整備をしてから、そんな寝言は言ってほしいな。川の対岸で火事を見ているような態度しかとれないままじゃ、だめっしょ。 |
過渡期の混乱 |
カンボジア海外青年協力隊殺害事件の時には、PKO派遣の自衛隊のせいにしていた世論・マスコミも、今や自己責任として片づけようとしている。まあ、これも成長ということなのだろう。ただ、今度は冷たすぎる。人間の盾としていった人もいて、確かに、いい迷惑だよ、と思わないことはない。だけど、それでも、どんな思想でも、どんな目的でも、自国民、同民族が危険を冒して世界に貢献しようとしての結果に対して、自分でやった結果でしょ、迷惑かけないでよね、という態度は民族国家、近代国家、国民国家としての日本人に相応しいとは思わない。 戦場カメラマンが戦場で死んだ。私たちは冥福を祈り、平和を祈るしかできない。 |
平和としての勝利 |
イラク拉致解放から、もはや日本はテロリストとの裏取引を疑われないために自衛隊引き上げという選択肢を失ってしまった。私たちにとって勝利とは平和である。戦乱のまま、あの地を去ることは敗北である。平和のために、イラクの未来のために、一定の業績を残して勝利者として帰還をする他はない。 |