▲Pumpkin Time▼ 小説・俳句

 図書館で勉強の後に家に帰ると私の部屋のドアの前に父からの伝言が書かれた紙が貼ってあった。今日、お母さんを病院に入院させるから、遅くなるという内容だった。何一つ相談も連絡もなかった。毎日今年の最高気温を記録している時期に母は入院した。いない間にいなくなっていた。家は研究室のように落ち着いた静寂に戻っていた。父も戻ったときにはいなかった。

 心地よい孤独の中で自分が本当に孤独であることを感じていた。雑踏の中のボヘミアンだ。

 誰もいない家の中を夕食を求めて冷蔵庫とか戸棚を探し回った。

 

     遺体と散歩すると

     死骸がこっそり話しかける

     きょうもいい、闇夜でございます

     遺体は死骸に返事する

     墓からでるのにいい天気

     月は満月、星は流れる

     誰も誰も生きてる人は出歩かない

     ほんとに、ほんとにいい天気

     ところで、ところで、一つお尋ね

     なんだね、死骸さん

     あなたの隣の相棒は

     生きているのじゃないですか

     私の隣の遺体は答える

     いえいえ、この方、生ける屍

     死んでいるのも同じでおじゃす

 

 

 待ち合わせの公園は夏の朝からは人もいなかった。どうしてこんなところで待ち合わせなのだろう。強い日差しは公園の縁取りをする高い針葉樹や照葉樹から何者も溶かすような木洩れ日を見せる。蝉の声と車の排気音が蒸し暑く響く。木の間からサーフボードを上に乗せた紺色の四輪駆動の車が止まっているのが見える。あの中に人がいたら熱射病で死んでしまうだろう。割と広い公園だが誰がやっているのか草は全て引き抜かれ露わになった土で数羽の鳩が砂浴びをしている。鳩の群は公園の日向や日陰に散らばって蹲っている。車のドアが開く音がして鳩が飛び立った。見ると金髪に染めた男が出てきて続いて恵理華が出てきた。

 「茜ちゃん、来てたんだ」と恵理華が甲高い声で呼びかけてきた。

 私は憮然とした声で「いつからいたの」と訊いた。

 「ついさっき来て、話しながら待ってたの」と恵理華は近づいてきた。

 隣まで歩いてきた恵理華に小声で「誰よ、あれ」と訊くと「友達よ、言わなかったっけ」と答えた。

 「女の子だとばかり思ってたわ」

 「あらそう、車の中にもう一人いるわよ」

 私は車の方を見たが車の中はよく見えなかった。「私行かないわよ」私は断言した。

 「ええっ、せっかく誘ったのに」 

 そのやりとりを聴いていたのか車の外にでていた金髪男が「どうした」と苛立った声を上げた。金髪男は身長はそれほどでもなかったが小太りで目が細く吊り上がっていて発情期の豚と密かに私は名付けた。両耳に銀色の輪のピアスを3っづつしている。発情期の豚は「どうしたんだよ、とっとと行こうぜ」と言いながら恵理華と私の間に体を入れ、私の背中に手を回し自動車の方に押し私の上半身は体勢を崩し転けそうになった。私は体制を立て直しながら発情豚を睨んだ。発情豚は笑いながら気が強そうだなといい恵理華の顔をみた。恵理華はいいから行こうと私の手を引いた。私は車の中に拉致された。恵理華は助手席に座り私の横には発情豚が腰掛けた。

 私の前の運転席の男が、じゃ行くよといいエンジン音が小刻みの振動と共に響いた。窓を下げると風が髪にじゃれつく。鬱陶しくなって窓を途中まであげた。コンクリートの建物が続く。コンクリートの隙間に生える木々が途轍もないスピードで後方に吸い込まれていく。発情豚が陽気にプライベートについて訊いてきたり、サーフィンについて説明したりする。おまえも風に乗ってフィリピンあたりに飛ばされてしまえ。運転席の男はバックミラーで見たところ身長は普通に思えたがとても痩せて見えた。手足が長くて顔がこけているせいだろう。ガラガラ蛇と命名してやろう。

 ガラガラ蛇と恵理華はずっと無口だった。発情豚はガラガラ蛇に、なにいつまで拗ねてんだよ、ときっと私が話しに取り合わないから怒鳴るように言った。なあ、こいつ、中学生の保護者やるのを、どうして俺がって思ってんだよ、いいじゃねえか、中学生でも女は女なんだから、ずっと不機嫌なんだ。発情豚の話に誰も答えなかった。発情豚は暫く黙って、また私にお喋りを始めた。

 聞きもしない話をするのを発情豚が止めた頃に私の側の窓の風景が海岸線に変わった。覗き込むと波がテトラボッドにぶつかっては白濁した泡となり収まっていく。波は白い縞となり蛇のようにのた打ちながらテトラボッドに向かう。水平線は仄かに白い雲の中に消えた。

 

 水平線から細い波がゆっくりと進み徐々に太くなり動く壁になりながら足下に崩れ落ちる。どうして海というとみんなビーチバレーやりたがるのだろう。ビーチバレーはこの芋の子だか鴨の子だかに例えられるほどの人混みの中でかなり面積を取り人格を疑われる。恵理華が波を撥ねる。ボールが外れて波に上下する。私は溜め息を吐きながらボールを拾う。昔だったらもっと燥いでいることだろう。ビーチボールにも飽きて発情豚はもう一人の男を誘ってサーフィンを沖で始めた。ガラガラ蛇と発情豚を見ながら私たちは砂浜に仰向けに寝続けた。日焼けするのがいやだったし蛸焼きの他にアメリカンドッグにマスタードをたっぷりかけて食べて眠くなったので顔にタオルをかけて本格的に寝ることにした。

 私は自室で詩を書いていて内容は分からないが楽しい詩を書いていて窓ガラスがノックされ窓を開けると彼女が喚きながら入ってきたので窓までは梯子が掛けられているのが見えたがその梯子を登ってきたのだろうと思い彼女は部屋の物を全て窓の外に放り始め甲高い私の心臓を爪を立てて掴むような声で、ここはあたしの家よ、出て行ってよ、と彼女は叫びエチオピアが彼女に擦り寄り彼女はエチオピアの尻尾を掴み上げ窓から放り出し私は何をするのよ、と言いながらエチオピアを見つけるために窓から首を出すとエチオピアは直ぐ前の屋根の上で私を呼ぶように鳴いているのが目に映り私も右足を掴みあげられ窓から放り出され私はサッシにどうにか手を掛けてぶら下がったがエチオピアが私の頭に飛び乗った。

 起こされ、タオルを顔からとったときには陽は穏やかになっていた。目を細めて上半身を起こした。発情豚が斜め後ろで足を投げ出して座っており、なにせっかく海まで来たのに不貞寝してんだよ、と笑い、まったく、こんなガキどものお守りすんじゃなかったよ、と醜悪な表情をした。ガラガラ蛇は発情豚の私を挟んだ向かい側で片膝をついてそうした声に無関心に海を眺め続けた。恵理華は私の横で俯せに寝ている。

 「茜ちゃん、起きたの」恵理華が俯せのまま声を出した。「うん」私は座ったままタオルを被った。「退屈?」「別に」波に腰まで埋めた小学校低学年ぐらいの男の子がビーチバレーとかしている中を一人で走り回っている。「怒ってる?」「何を」「怒ってるでしょ」私は黙った。発情豚が、俺たちじゃ不足かよ、と不機嫌に言った。まったく、ガキのお守りして感謝してほしいぜ、と吐き捨て、まったく最近の若いもんは礼儀っちゅうものを知らん、と老人の真似をして自分で高笑いした。走り回っていた男の子はビキニのビーチバレーのグループに捕まり一緒に暫く遊んでいたがビーチバレーのビニールボールを奪って走り出した、ビキニの集団は行方を目で追いながら、寄り添い何か話している。ボールを抱えた男の子は海水浴場の端まで波打ち際を走って人混みの砂浜を目隠しで障害物を避ける蝙蝠のように駆け寄ってきた。私は立ち上がり、近くまで走ってくるのを待って、ほら、捕まえた、と言いながら細くて柔らかい腕を握った。ずっと目で追っていたビキニの集団の一人が歩いてやってきた。すいませーん、その子のボール、私たちのなんです、と鮮やかな愛想笑いをした。大人になると、こんな笑顔も覚えなければならない。発情豚は、急に立ち上がり、ねえ、女の子ばかりなの、と訊いた。そうよ、あそこにいるでしょ、と仲間を指差した。おっ、ラッキー、一緒に遊ぼうぜ、おい、タカヤ、おまえもいいだろ、とガラガラ蛇に呼びかけた。ガラガラ蛇は、ああ、いいよ、と素っ気なく答えた。ええっ、連れがいるんでしょ、悪いわ、と科を作った。いいんだよ、中学生だぜ、保護者代わりにとっ捕まえられてるだけだぜ。じゃあ、と私と恵理華をビキニが見下ろしたので私は小さく頷いた。ちょっとみんなと相談してくるわ、と海に向き直った。発情豚はガラガラ蛇に目で合図して二人でビキニに付いていった。

 「ねえ、茜ちゃん」

 「なあに」

 「佐上純子って合ったことある」

 「出てきてもないのに、あるわけないじゃない」

 「どうして、休んでるか知ってる」

 「登校拒否だって聞いたわ」

 「それが、違うの」

 「佐上さんの母親は病気だって言ってた」

 「病気ね、病気とは普通言わないわね」

 「どういうこと」

 「妊娠したのよ、産むみたいよ」

 「嘘、中学生よ」

 「ほんとみたいよ」

 「すごいね」

 「まあ、それも人生よね」

 「相手は」

 「いろいろ噂があって分からないわ」

 「どんな噂」

 「うちの学校の教師だとか、アルバイトで知り合った高校生だとか、野球部の誰かだとか」

 「つらいよね」

 「幸せなのかもよ」

 「そうね、どんな子、だったの」

 「明るくて、元気、病気なくらい陽気、ちょっとお調子者かな」

 「陽気に子供産むんだ」と私は答えた。子供を産むなんて簡単なんだ、と思った。子供を産んだ詩人が、子供なんて排泄物と一緒だと言っていた。そんなものだろう。人間は誰も汚らしく世界に捨てられる。ぞんざいに育ち見窄らしく死ぬ。神様が日本の神様のような悩み苦しむ神様ではなく、唯一神、全知全能のキリスト教のような神様がいるのなら、人間は次々に産まれるのか、未来も知り、現在も知る神様がなぜ私たちに苦悩を与えるのか。もし誰かが言うように悩みの中での人間の成長を企んでいるのだったら最初から成長した人間を作ればいい。もし、作れないのなら神様は全知全能ではなく他の宇宙を支配する法則の中で動いているだけだ。仏様の手の平の上の猿と同じだ。全知全能の神様が人間を作ったのなら、それは退屈しのぎにすぎない。退屈しのぎに葛藤や啀み合いを作り見物している、ヴァーチャルペットを育てるのを楽しむように。神様の残酷な慰み者にならないためには退屈に生活することだ。なにも悩まず、どんな感情も捨てて。神様は存在自体が最大に呪われている。

 海の果ては大陸に続いているのではなく空に繋がっている。濃い青が薄い青になるとき、雲が生まれる。カモメらしき鳥が空を回っている。私たちの周りを何千人かもしかすると何万人の水着姿の人々が取り囲んでいた。