Pumpkin Time  かぼちゃの時間 別館  雑記録Vol.3

雑記録2000

職業は性別に優先する


会社のフリーダイアルが、テレクラの番号に似ているらしい。間違い電話が、よくかかってくる。


未熟なものなどありはしない、ただそう感じる者がいるだけ
経験は過去
正しいものはなんですか、
大人は過去を語ります、子供は夢を語ります、青年は理想を語ります、少年は今を語ります、少女は愛を語ります


みんなが言うから、そのような理由で正邪を決定することは正しいのか


人通りのない道を恐れるのは、まだ人を信じているから


風は泣いているのだろうか、笑っているのだろうか、それとも風には感情などないのだろうか


誰も見てないことと、だれか見ていることは、ある意味で同義なのかもしれない。


 選挙結果に不満足であれば、選挙の結果に国民は責任を持たなくてもよいのでしょうか、どなたか民主主義の一般的な学説を教えてください。


土日も働くのは非国民だと思う。第一土日に仕事をすると曜日の感覚がなくなっていくじゃないか。


働けど働けど我が仕事増えるばかりじっとマウスを睨む


たぶん誰もリンクしていないこのページに、皆さんはどのようにして辿り着いているのでしょうか。一日約10件のアクセスがあるのは不思議です。


民主主義の敵は国際主義と民族主義です。結局、民主主義は囲まれた枠の中の多数決です。


 このサイトは最近はフロントページで作成しているが、テーマの設定なるものを「すべてのページ」で行ってしまい、全部の背景色がなくなってしまった。いま、せっせと背景を付けていますが、よく考えると、こんなデザイン性のないサイトには関係ないかと思い始めています。もうこのままでいいや。


いろいろ、つまらない事情からJavaScriptをいれてみたが、Netscapeで動かなかったので全部消した。


踊る代走左遷
どうして、どこで踊っているのだろう。どうやってこの題名がきまったのだろう。ステテコ君と同じぐらい気になる。


大魔人
うーん、負けちゃいましたね。昼休みに途中までみてたんですけど、佐々木をだせ、と狸うどんを食べながら言い合ってました。


名前は知らない
銀色の風がゆっくりと通りすぎるとき、金色の髪の女が名前を風に飛ばして、自分の名前を追いかける。名前など、いらないということに気がつくまで、彼女は名前を追いかけるだろう。彼女は名前を失った。誰も、彼女の名前を思い出せない。しかし、誰もと彼女は穏やかに言葉を交わしているじゃないか。ほら、また、銀色の風が、誰かの名前を北の果てか、南の果てに運んでいく。


なにも表現したいことがない。なにも伝えたいことがない。なにも感じることがない。語るべきことなど、なにもない。うーん、ホームページ作っていること自体間違いだな、と思うこのごろ


人は人生で3度、恋をする。最初は親と、次に自分に、そして最後の恋の行方は分からない。


トルシエ
いつも、なにをかんでいるのでしょう。噛みタバコ、ガム、スルメ、最後のだったらファンになろうと思う。



まるで、サーカスの始まりのように、目の前の鳩が一斉に飛び立ち、一人の幼児がぎこちない足取りで通り過ぎていった。


希望
どんなに深い暗闇も、たった一本のマッチの明かりに破られる。しかし暗闇の中でマッチを探し灯をともすことは難しい。だから、人々の嘲笑も気にせずに、光の中でも灯をともす。闇を恐れないように、闇にうち勝つために。


なぜ生きるのかを考えるほど贅沢ではない。生きる意味を考えるほど暇じゃない。


ホームページを作った理由、臆病と自己顕示欲。
ホームページを運営する理由、妥協と惰性。


読書感想文
読書感想文が嫌いだった。読書自体は好きだったが、それに伴う感情はなにもなかった。太宰の「人間失格」、有吉佐和子の「華岡青洲の妻」、ゴールディングの「蠅の王」、大江健三郎の「洪水は我が魂に及び」、村上龍の「コインロッカーベイビーズ」、野間宏の「野火」などは好きな小説だった。しかし、それについてのどんな感情もなかった。悲しみも、怒りも、喜びも、なにも感じない。「人間失格」について誰か、あんなのただの遺書だよ、とか言ったが、私は、精緻な技巧の結晶のように考えていました。きっと、太宰の本当の才能は、その精緻な技巧を、本人の遺書のように生々しく感じさせることなのだろうが、私は、その感性を持ち合わせていない。だからこそ、志賀直哉や村上春樹が嫌いなんだと思う(本人を嫌いなのではありません)。村上春樹の小説で、主人公が悲しい思いをしているだろう電話の相手に「わかるよ」と言うせりふが出たときに、私はひどい違和感を感じてしまったのです。感情表現がほとんどなく、快不快の表現だけであった主人公を、私は、感情がない登場人物と考えていました。そして、そのときに私が志賀直哉の作品群が嫌いな理由を知ったのです。人の感情を憶測することが嫌いなのです。誰が人の感情を知ることができるのでしょうか。知ることができるのは行動様式だけだ。だから、小説の中で感情を技巧の限りを尽くして仰々しく表現するものを好むのです。仰々しい感情には、大げさな設定が必要なものだ。だけど、それは感情を呼び起こすものではない。だから読書感想文は嫌いだった。どうせなら、感想ではなく、読書評論文と名前を変えてほしかった。


ロールバック

オラクルは、途中でキャンセルするとデータを全てロールバックしようとするが、そのロールバックの時間が長い。しかもロールバック中に再立ち上げなどすると、オラクル自体がぶち壊れる。ロールバックの最中に帰ってきたが、12時には電源が落ちる。どーか12時までにロールバックが終わっていますように。合掌。えー、無事、今日立ち上がりました。感謝。


URL

身近でもやたらとURLが目に付くようになった。名刺、チラシ、新聞、テレビ、半分はステータス、半分は宣伝てとこでしょうか。見る方も、詳しい情報がほしければインターネットでっていう気になっている。逆に、ホームページが無かったり分からなかったりすると、詳しい情報が知りたいときには、ちょっとむっとしたりする。しかし、いまだにオンラインショッピングは怖くてできない。世の中、他人を信用しすぎる。インターネットなんて存在そのものが夢幻、ヴァーチャル、バブルなんだから、その背景にある実体を値踏みしないとね。


選挙

誰が言ったのだろう、民主主義は四年に一度だけ実施されると。しかし、その四年に一度は大きく響く。政治は世論に大きく影響される。アメリカの選挙は最終的には国会で決定される可能性があるそうだ。事実上の議院内閣制になるわけだ。三権分立の確立したアメリカで内閣が国会によって選ばれた場合どうなるのだろう。国会と内閣の一致による強い政府ができるのか、国会のご機嫌を伺う卑屈な政府ができるのか。このフィリピンなみの混乱した選挙の果てに民主主義の限界と本質がある気がする。誰かが言った、老獪なアングロサクソンは幼稚な感情に時として支配されると。


テレホーダイ

テレホーダイはおたくを作ると考えている。23時になるとこそこそとパソコンの前でインターネットをやっている姿を思い浮かべると、周りから見るとネットおたくということになるだろう。IT革命とかいっても、夜中にしか電話代を気にせずに使えないのなら、インターネットを日常で使うまでには、まだまだだろう。日常で使うとは、たとえば、分からない言葉あるからインターネットで調べようとかいう世帯が少なくとも五割を越えるような状態である。今なら、電話代がもったいないから辞書を引きなさいとか言われるだろう。せめて、あと1時間早くからにできないものなのでしょうか。


うーん、相変わらず愛想のないトップページだ。絵が無くて楽しくてセンスのいいページってできないものかしら。


どこかをクリックすると、どこからか、かわいらしい熊さんや猫ちゃんが登場して、陽気にガスペルを歌いながら、コミカルで楽しいラインダンスをリズミカルに踊ったりする姿は、見られません。このページはIE5.5以上で1280*1024ピクセル以上で色数が32ビット以上でみる必要はありません。日本語のみですが、謝りません。


当ページへご訪問されたことを心より歓迎いたします。雑文ばかりで、質素な部屋ではありますが、存分におくつろぎくださいますことを、従業員一同、願っております。


誰かが私の噂をしているかもしれない。私には、それが誰かわからない。誰かが私を見ている。それが何故なのか私は知ることができない。私は深く長く静かに眠りたい。暗く冷たく、水滴が五つの呼吸のたびに反響する深淵の中で。身動きひとつ私の脳細胞は拒否しているのに、私の筋肉は動きつづけることを欲している。誰かが私を見つめている。それは私自身かもしれないが、そうでないかもしれない。


ネットおなべ

ネットストーカーが有名になってから、男の振りをしてホームページを作ったりという方が多くなったそうだ。性別について語らなければ、そこまでする必要はないのではないかと思うのですが。写真や性別がはっきり分かる名前を避ければ十分でしょ。ネットストーカーなんて、掲示板からが多いでしょうから、淡々と語れば、それで十分だと思うのですが。まあ、ネットのようなヴァーチャルな世界でプライベートの深いところまで語り合おうなんていうことが、間違いの始まりです。ヴァーチャルはヴァーチャルで割り切って、自分も老若男女を超えたヴァーチャルとして振舞いましょう。


とにかく、誰がなんと行っても、生産的な活動はしたくない。非生産的な活動でも、強制されるようなものは、やだ。でも働かなくちゃ、生活できないのよね。パラサイトなんかも、やだ。だから宝くじを買おう。ああ、また3億円あたらなかったらどうしよう。予定では、悠悠自適の引きこもり生活だ。テレビとCDとパソコンだけでいいや。とにかく、疲れたぞー。労働基準局は怠けすぎじゃないかぁ!


プログラマーは瞬発力、システム・エンジニアは持久力。どちらもやっている私は、いつも実感しています。


眠いぞ、眠いぞ、とっても眠くて、でもでも、まだまだ起きてなくちゃいけなくて、眠くて、眠くて、とっても眠いぞ。