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雑記録2001


01/01/27
なにも確実なことはなく、なにも予測できない。

01/01/26
大事なことは、具体的なイメージを思い浮かべることができること。具体的なイメージが抽象的な言葉から引き出せるのであれば、自分のものにしたといえるだろう。イメージを伴わない抽象的な言葉で満足出る人に、実現の能力はない。


01/01/25
ビジネスホテルで、朝、目が覚めたときに、朦朧としながら枕元のテレビのリモコンをとってテレビをつけたら、あっあっああっ、とかいっているアダルトビデオが映った。ぼうっとしながら身動きできずにいると、試写時間が過ぎましたのメッセージ画面になった。はっとして、リモコンを見ると、チャンネルボタンの下に、有料チャンネルボタンが付いていた。
01/01/23
明日から三日間、出張です。ふぅっ。全部、打ち合わせ、しかも、初めての業務の。できるわけないでしょ。まあ、相手の言いなりになりそうな気がするな、だって分からないのだもの。
01/01/21
人間は、どうしょうもなく犬型であり、猫型の人間などいない。私は猫型よ、なんていうのは、単なるわがままなだけな場合が多い。猫と犬の特徴の大きな違いは、孤独に耐えられるか、一人で生きていけるかということである。猫は、ネズミを捕るプロフェッショナルであり、集団など必要なく、飼われている場合でも、猫にとっては餌があるからたまたまそこにいるだけなのではないでしょうか。私は猫型よ、という方は、今、収入も財産もなくなったとしても、誰一人頼らずに生きていけるのでしょうか。媚びを売るのは猫も犬も同じです。猫の強さとは媚びを売ったとしても、それは何時捨てられても、充分生きていけることを前提としてなのです。

01/01/20
占いなんて信じない、朝、テレビでは水瓶座の運勢はよかったのに、今日は最悪だった。それとも、私の知らないうちに、幸運が通り過ぎていったのでしょうか。あうぅぅ。


01/01/20
池に10円玉を投げ入れているおじいさんがいたので、不思議に思って近づくと「鯉の餌、10円」と書かれた看板が横にあった。
01/01/19
残業は慣れだが、10時過ぎの残業が続くと徐々に疲れてくる。これは、多分に仕事に対する、興味の有無から生まれるものだろう。好きであれば、残業も苦にならないものだし、好きでない仕事であれば辛い。好きであること、それがエネルギー源であると思うが、そうそう好きになってしまうのも悔しい気がするのは、私がひねくれ者なのでしょうか。
01/01/17
ある夏の昼前のこと、片田舎の駅のホームで、向かい側のホームに母と娘の二人づれがいて、娘は5,6歳ぐらいだった。母親が、ねえ、ジュース飲もうか、と自動販売機の前で娘に呼びかけると、その5、6歳の女の子は「ダメ、もったいないでしょ」と母親を叱った。母親は、もう、この子は本当にケチなんだから、と愚痴をこぼしていた。
01/01/17
インパクでしたっけ、一度もクリックをしない森総理で、裏社会で話題のCMは。一億ビューを目指しているそうですが、それが達成できたとしても、目的はなんなのでしょう。結局は公的機関を中心としたリンク集でヤフーとかでは、とっくの昔からやってるぞ、という感じ。まあ、公的機関が関心を持ってくれることには評価しますし、徐々にではあるが、電話代が下がっていっていることも評価していますが、一般の方への普及には役立たないでしょうね。あのCMに惑わされる人がどれほどいるのかしら。
01/01/15
雪は大変。携帯が朝から混雑して繋がりませんとか表示していたので、悪い予感がして、直ぐにカーテンを開けて外を見ると雪がうっすらと積もっていました。今日は、バスは諦めて原付で通勤しようと思ったのです。熊本で僅かでも雪が積もると、朝のバスは、いつもは一時間かからないのが四時間ほどになってしまうのです。原付の雪での運転のこつは、両足は補助輪の代わりにして、滑らせることです。タイヤが滑っても転けない程度のスピードを保ちましょう。でも、今回の雪は勝手が違って、路面が凍り付いていました。滑る滑る、途中からは、滑りやすそうな場所は押しては、運転を繰り返していました。事故車を一つ見つけました。救急車のサイレンが至るところから鳴り響き続けていました。途中、バスが前にいて、横の幅があいていないところがあり、幅があかないかな、歩道にあがれるところまで(原付は歩道を押していけるのです)進まないかなと、植木があって、あと3メーター進めば歩道にあがれたのですが、20分間、微動だにしませんでした。
01/01/13
阿片に心を委ねるのは、この世に楽しみがないから。退屈が心を占めるから。気力のない輩は、退屈という悪魔に飲み込まれ、魂と引き替えに快楽を得るだろう。
01/01/12
学生の過激派など、遊びだ。暴走族と右翼と左翼は、同じものだ。目的も希望も真実もなく、身勝手な自由や理想と悪ふざけを繰り返す。冷たい思考はなく、熱い情熱は空回りし、涼しい感性は煤けて、暖かい情感は失われる。計画、実現性、予測という目的達成のための言葉を知らない。顔を隠し永遠の子供を目指す。大きな湖の向こうに行こうとするなら、グライダーを選んではいけない。ゆっくりと岸辺を歩いていこう。確実に穏やかに。
01/01/11
仕事は人格を磨くというが、仕事は多分、知能を低下させていく。どんなに複雑な業務でも、脳細胞の限られた機能しか使用しない。仕事しかせずに、ニュースも見る暇がないときに、今日なにがあったかを、ここで思い出そうとするときになにもなかったことに気づかされる。さあ、さっさと風呂入って寝よう。
01/01/11
広末涼子さんのコマーシャルで、変わりたいと思ったことはありませんか、というのがあるが、SPというのは、それほど格好いいものなのでしょうか。立派な職業だとは思いますが、ファンもいるのですね。なにからなにまで揃えていたらしいですね。コスプレマニアとしては、多分、行き過ぎではないとは思いますが、まあ、変わる相手が悪かったようです。今度は、SEに憧れて見てはいかがでしょうか。多分、逮捕はされません。
01/01/09
いまだに拡大を続けるイスラム教。酵母に豚を使っただけで逮捕されるなんて、なんたることでしょう(成分には関係ないのに)。現在、拡大を続けている宗教はイスラム教だけといわれています。宗教、道徳、生活、法律の全てが一致し戒律が明確であることが、その理由だといわれています。これを守れば、こういう御利益があるという御利益宗教なのが、分かりやすく、入りやすいのでしょう。キリスト教は戒律がありません。聖書に書かれていることは、人の心の中の問題が多く、外部の行動を制御するようなことがないのです。もっとはっきり書けば、全てが例え話であり、主観による解釈でどうにでもとれるのです。仏教はもともと、戒律が厳しいのですが、日本にきてなくなりました。鑑真和尚が失明してまで日本にきたのは戒律を届けるためです。三蔵法師が孫悟空を連れて旅をしたのは、戒律を取りに行くためでした。でも、日本では、全ての戒律は消滅しています。神道も御利益宗教ではありますが、決められた戒律はありません。修行、信仰に対する報酬であり、決められた生活が義務づけられてはいません。
01/01/08
成人式なんかいらないと思う。大人かどうかなんて、年や儀式で決定されるものじゃないでしょ。半人前が、一人前になるために必要なものは、実績と実力、つまり、世間が大人だと認めることであって、成人式で暴れたり、おふざけのすぎた人は、とっとと追い出して、逆らったら、暴行罪かなにかで一晩、豚箱に泊まったらどうでしょうね。大人とは、過程ではなく、結果に責任を持つことだと思っています。大人になるには、一人一人別個の道のりを経ることでしょう。
01/01/08
桜の枝が白い花のように積もる雪の重みでしなっている。新幹線も不通になった雪は、まだ降り続けているのだろうか。地に落ちない枝の上の雪は汚れることはない。愚行と過ちに踏み固められ汚れていく雪は、私たちの生活だ。しかし、地に落ちた雪は、枝の上の雪を憧れることはない。天使も悪魔も寄りつかない、枝の上に何の興味があるだろう。私たちは、土に汚れ踏みにじられ、やがて、土に帰るだろう。

01/01/07
朝起きるときに、目覚まし時計に起こされると、不機嫌な朝が始まる。眠くて寒くていつまでも布団の中にいて、ベッドから降りることができない。しかし、休みの時などは同じ時間に(目が覚める時間は、とても規則正しくだいたい休みでも同じ時間に目覚めてしまう)目が覚めても、直ぐにベッドから降りられるのは、自然に起きたとの差だけではなく、気分の問題が大きいとは思う。


01/01/05
なにものも、私を知ることはない。誰であれ、私が知る人はいない。人は誰も孤独であるが、一人では生きられない、どうしょうもなく、群に生きる動物。光合成もできなければ、読心術も知らない、孤独の集団である。
01/01/04
仕事始めだった。今年からは懸命に仕事しよう。どうせ、一月は納品が多くて忙しいく、のんびりできないので、この目標は一ヶ月はもつだろう。
01/01/03
生活感のない部屋を目指して大掃除を続けてきましたが、まだ終わりません。これからも継続して、部屋から生活感を消していきたいと思います。
01/01/02
退屈にまかせて文章を書く人もいるらしいが、「徒然なるままに」という感じで書ける人が、少しうらやましい。なんだか、時間を削って書いているように思える文章になってしまいましたが、そういうわけでもない。合間をみて、テレビを見ながら、ビールを飲みながら、軽く書いている。世の中、余裕がなさすぎる。余裕を持つことが、座右の銘ではあるが、それほど大物でもないので、いっぱいいっぱいで書いているのも事実だ。
01/01/02
今日は雨だ。ベランダの雨樋が壊れていて、ベランダの掃除に水を流すと下の階のベランダに飛び散るので、ベランダの掃除はまだ終わっていなかった。さあ、どさくさに紛れてベランダに水を流すぞ。
01/01/01
生きる意味は考えないと決めていたのに、21世紀になると、思わず考えてしまう。なぜ、ここにいて、どこに行けばよいのだろう。このままでよいのだろうか。自分は、この世界に産み落とされた意味はあるのだろうか。いなくてもよいのではないのか。私は、世界にとって代わりのいる、置き換え可能な存在ではないのだろうか。1000年に一度の大世紀越えに、どうしようもなく考えてしまう。

01/01/01
熱帯魚を飼うのを止め、ハムスターが死んで、今まで自分は一人で生きられると思ってきたほどに、自分が孤独が好きではない、強くはない人間だと気づいた。それほど愛情を掛けていたつもりはないが、小さな命に心を支えられていたのだと思い知らされる。