統一教会からの脱会と
福音的教会への導き
――主イエスとの出会い――
広島県 藤井宏司
これは、キリスト教の異端(いたん)の一つ「統一教会」に入信し、その後そこを脱出して、福音的教会に導かれたある人の、心の記録である。
主イエスとの出会いを語る時、私は神の素晴らしいご計画――人間の知恵では考えられない方法でイエス・キリストに出会うことができたことを、思います。私は心から神に感謝し、その気持ちを込めて書きたいと思います。
生きる目的がわからない
私は子どもの時、キリスト教の幼稚園に行き、高校は浄土真宗の学校に行きました。このように小さい時から宗教に接していましたが、宗教心は、全くといっていいほど持っていませんでした。
神なんかいない、物事は人間の努力によって、良くもなれば悪くもなる、という考えを持っていました。だから受験の時も、神社に行くことはありませんでしたし、宗教は老人や弱い人がするものだ、と思っていました。
高校を卒業し、予備校へ2年行きましたが、ちょうどその頃、私はある悩みを持ち始めていました。なぜ、何の目的で、人間は生きていくのだろう。死に向かって生きているだけなのに、人生の目的がわからない。
そう思うと、何か生きていくことへの希望というか、喜びがなくなってきました。このような心理状態の中で、偏差値を上げるための勉強だけに集中していかなければなりませんでした。
悩みはますます大きくなっていき、私はカッターで、自分の両腕を切り刻んでしまいました。今でもこの傷痕が、くっきりと、何か所も残っています。これを見るたびに、私は、
「ああ、何と自分はバカなことをしてしまったんだ。神がこの自分を造ってくださったのに、こんなことをして、神はどんなに悲しまれただろうか。
神は罪人である私を、泥沼から引き上げようとご計画されていたのに、私はそれを自分で断ち切ろうとした。死ななくて良かった。もし死んでいたら、イエス・キリストに出会う喜びを体験できなかった」。
イエス・キリストの愛を知った今、私はまた新たに、神の底知れぬ愛を感じざるを得ません。人生の目的を教えてくれた神のことを考える時、感謝の気持ちで心がいっぱいになります。
統一教会への入信
2年間の浪人の末、なんとか大学へ入ることができました。そして3年が経ったある日、私が通りを歩いていると、見知らぬ人がアンケートに答えて欲しい、と言ってきました。
私はその人と、「国際教育文化センター」(統一教会の伝道所)に行きました。これが人生の目的を知るきっかけになり、その後私は、イエス・キリストに出会うことになったのです。
最初は、ごく普通の世界情勢や、国際関係の内容でした。しかし少しずつ宗教色が出てきたので、行くのをやめましたが、結局また行き始めました。
なかなか神の存在を信じられなかったのですが、やがて信じられるようになりました。それからは自主的に勉強するようになり、心情的にも組織の一員となっていきました。
この組織――「世界キリスト教統一神霊教会」(統一教会=キリスト教の異端の一つ)は、その教えの「堕落論」で、性的な欲望との関係が罪の最大の根源であるとし、人類がすべて罪人だとしています。
「メシヤ論」では、この罪を消すために来られたのがイエス・キリストだったが、十字架にかかってしまい救いが完成しなかった、と説きます。
そして統一教会の教祖・文鮮明(ぶんせんめい)に、イースターの朝、イエス・キリストの霊が現われて、
「成しえなかった私の使命をついで欲しい」
と言った、というのです。「再臨(さいりん)論」では、文鮮明が再臨のキリストになっています。
統一教会の教理は難しいので、教理から入るよりも、文鮮明の飾られた経歴を教えられ、神のために命をも惜しまなかった人として感動して、洗脳されていきます。ここまで来ると、人生観や世界観が、180度変わります。
毎日、アンケート伝道、宿泊しての団体生活、ビデオや講義による勉強、珍味売り等、精神的・肉体的にクタクタになりましたが、毎日が充実していました。睡眠時間は日に日に短くなり、1日の睡眠時間は、3時間くらいになりました。
疲労と睡眠不足の日が続き、食事をしている時に、箸と茶碗を持ったまま眠ってしまうこともありました。大学に行くバスの中でも寝たり、講義中も寝ていました。
驚くことに、アンケート伝道をしている時、歩きながら寝てしまうこともありました。食べ物の量や栄養も、良いとは言い難く、しだいに思考能力が減退してきました。
アンケート伝道にはノルマがあり、人に声をかける数、アンケートに書いてもらう数、ビデオセンターに連れてくる数を決めます。そして20代の若者たちが集まり、
"死んでもやり遂げるんだ! 文鮮明が人類のために、神のために尽くしてこられたのだから頑張ろう! 神様が泣いておられる。かわいそうな神様を助けるんだ! 全世界のために、日本民族のために、先祖のために!"
というように、強い使命感を持ってやっていましたから、団結力はとても強かったんです。
統一教会の神観は、悲しみの神なのです。勝利の神ではありません。文鮮明の教えに忠実に歩むことが、第一でした。
洗脳が進むにつれて、私は統一教会の「報連相」(報告・連絡・相談)の生活に慣れていきました。心も管理されるようになりました。
自分一人で考えたり、判断したり、物事を決めたりできなくなりつつありました。常識が通じなくなり、外部の人の話が聞けなくなりました。
情報も、知らず知らずのうちに管理され、統一教会内部の情報しか、信用できなくなってきました。統一教会の言うことだけを、考え、話し、実行するようになり、疑問を持つと、白い目で見られるのです。
統一教会の教祖 文鮮明
福音的教会への導き
たとえ統一教会をやめたくなっても、簡単にはいきません。統一教会の真理を知ってやめたら、地獄に行く、というのです。
私の先祖たちは、自分たちの救いのために、私が文鮮明に出会って神の御心に従って歩んでいくことを、ずっと待ち続けていたのだ、だから私がやめると、先祖たちは皆地獄に落ちる、と教えられました。
この霊界の恐怖心が、いつも心の中にありました。私は大学を卒業し、会社に就職しましたが、学生の頃と違って、ますます時間的に苦しくなりました。
夜9時30分に仕事が終わって、統一教会に帰り、10時30分頃からアンケート伝道をします。この生活が、毎日続きました。
仕事中は、頭がボーとして大変でした。しかし不思議なことに、伝道の時間になると元気が出てきました。
就職して1か月と、数週間がたちました。その頃、私は社内で同僚に統一教会の教えを話したために、解雇されてしまいました。
というのは私の上司が、統一教会のことを知っていて、危険思想だというのがその理由でした。この事件から、私の両親が動き始めました。
神は、こうした私のために、ちゃんと"導き手"を備えてくださっていました。母親の友だちの親戚に、元統一教会員だったクリスチャンがいたのです。
このかたを通じて、統一教会の問題を扱っておられる牧師さんと、連絡をとっていきました。はじめ牧師さんの弟子のかたが、2度来られました。私は寝たふりをして、追い返しました。
またこの頃から、父親が勤めている会社の社長さんが、統一教会をやめるように説得に来られました。それも、私に土下座をされました。
つぎに親戚の人たちが、私を説得するために来ました。私は来る人、来る人を追い返しました。
このような状態が続き、父親は私が統一教会をやめるまで絶食する、と言いました。
これが1週間続きました。父親は見る見るうちに顔色が悪くなり、壁にもたれながら歩いていました。夜は夜で、父親の苦しそうなうめき声が聞こえてきました。
私は気が狂いそうでした。それで私は、毎日徹夜祈祷をしました。もう父親は、今にも死ぬのではないか、というような顔でした。
しかし私は、たとえ父親が死んでも、行かなければいけない、と思っていました。霊界に行けば、私が正しいことをしていたことをわかってもらえる、と固く信じていました。
なんとか絶食はやめてくれました。しかし父親は、まだあきらめていませんでした。
この絶食で体をこわし、点滴をしなければならなくなりました。体が良くなるまで数週間かかりました。
私はすきを見て、統一教会へ戻りました。1週間そこにいましたが、父親のことが気になって、家に電話をいれました。受話器の向こうから、
「帰ってきてくれ。お父さんが大変」
と母親の泣き叫ぶ声が聞こえ、私はとても辛かった。私は家に帰りました。
両親は私に、大阪の牧師さんに会ってくれと、30分くらい泣きながら私にしがみつき、拝むように頼みました。私は統一教会が真理だと確信がありましたので、「勝って帰るぞ」と思い、大阪に行きました。
「どっちが本当の真理なのですか」
そこには、1か月と数週間滞在しました。毎日、牧師先生の話を聞いていましたが、ある夜、神様に聞いてみようと思い、祈りました。
「神様、どっちが本当の真理なのですか。教えてください」。
なにげなく聖書を開いて、読んでいました。その時、私の心の目が、ある聖句から離れませんでした。それは、
「このかた以外には、誰によっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、与えられていないからです」(使徒4:12) 。
この神の言葉が、私の暗闇の心の中に入って、太陽の光のように明るく照らしてくれました。この瞬間から、言葉では言い尽くせない解放感がありました。
霊界の恐怖心からも解放されました。
「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」(ヨハ8:32)
という神の言葉がありますが、その通りになりました。心に平安がやってきました。
私は1985年12月22日に、洗礼を受けました。それだけでなく、統一教会脱会後も、主は私を、統一教会員救出の働きに用いてくださっています。
救われていく人たちを見るたびに、私は天にでも上った気分になります。私の人生の目的は、神の栄光のために用いられ、神を讃美し続けていくことです。
イエス様、あなたが天で崇められ、あなたの栄光が全世界であがめられますように。アーメン
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