摂理論

福音は世界を一周する
キリスト教の中心はエルサレムに始まり
西まわりで世界を一周する




 キリストの福音は、2千年前にエルサレムに始まり、そののち地中海の沿岸地域に広まりました。
 やがてキリスト教の中心地は、西ヨーロッパに移り、イギリス、アメリカ、というように、西へ西へと中心地が移っていきました。
 いまや福音は、世界を一周しつつあります。それは来たるべきキリスト再来の時に備え、福音が全世界に宣べ伝えられるためなのです。


十字架と復活の場所はエルサレムでなければならなかった

 イエス・キリストの福音は、基本的に、十字架と復活の福音です。十字架の死と復活のみわざは、イスラエルの都エルサレムにおいてなされました。
 じつはキリストの十字架と復活の場所は、エルサレムでなければならなかったのです。他の場所ではいけませんでした。それには幾つかの理由がありました。
 第1に、エルサレムは、神ご自身が建てられた特別な都でした。
 「神である主は、こう仰せられる。『これはエルサレムだ。わたしはこれを、諸国の民の真ん中に置き、そのまわりを、国々で取り囲ませた』」(エゼ5:5)
 と聖書に書かれています。
 みなさんがもし地球儀を持っているなら、それをちょっと見てください。平面地図ではいけません。地球儀をみてほしいのです。
 それをいろいろな角度からながめてみて、自分の視界に陸地が最も多く入るような角度に、地球儀を向けてください。
 そうすればあなたの目には、きっとエルサレムが、ほぼその中心に位置しているのがわかるはずです。
 エルサレムは、全陸地の中心、万国の中心なのです。またそこは、黄色人種・白色人種・黒色人種のそれぞれが住む地域――アジア・ヨーロッパ・アフリカの「接点」にあたる地でもあります。
 その意味で、エルサレムは文字通り「諸国の民の真ん中」なのです。そして聖書は、「諸国の民の真ん中」にエルサレムを置かれたのは「神」である、と述べています。
 エルサレムは、すべての人に対して最も近い地です。したがって、「十字架と復活」という万人のための救いの御わざは、この地でなされるべきでした。
 この地でなされてこそ、それは全世界のすべての人への福音となるのです。





 キリストの十字架と復活の地は、エルサレムでなければならなかった

 第2に、神はキリストの十字架と復活の場所として、エルサレムを、すでに何千年も前に定めておられました。
 エルサレムは、かつて「信仰の父」アブラハムが、ひとり子イサクを捧げようとした所です。
 聖書は、イサク奉献の場所は「モリヤの地」だった、と記しています(創世22:2) 。これは、今日エルサレムの神殿が建っている丘のことです(U歴3:1)
 アブラハムは、将来神の御子が十字架にかかられる場所に行って、ひとり子イサクをささげよ、と命じられたのです。
 これはじつは、神がその2千年後に、私たちのためにご自身のひとり子イエスをお捧げになることの「予型」でした。
 またエルサレムは、かつてイスラエルの王ダビデが、神罰を止めるために祭壇を築いた場所でした〔Uサム24:18,25――祭壇の場所アラウナ (オルナン)の打ち場はモリヤにあった〕
 ダビデがそこに祭壇を築くと、その頃イスラエルの民に及び始めていた神罰が、やんだのです。
 この出来事も、後にイエス・キリストが、私たちへの神罰を止めるために十字架という「祭壇」にのぼられたことの「予型」でした。
 アブラハムによるイサク奉献という予型は、キリストの十字架のほぼ2千年前になされました。
 一方ダビデの祭壇という予型は、キリストの十字架のほぼ1千年前になされました。それらは共に、エルサレムでなされました。
 つまりエルサレムは、神が何千年も前から、キリストの十字架・復活の場所として定めておられた地だったのです。十字架と復活の地は、他ではいけませんでした。聖書・福音書にはこう記されています。
 「この時からイエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして3日後によみがえるべきことを、弟子たちに示し始められた」(マタ16:21)
 キリストは、ご自分が最後には必ずエルサレムに行き、そこで死と復活をとげるべきことを、知っておられました。そしてそれを、しばしば弟子たちに予告されました。
 十字架と復活のみわざは、万国の中心エルサレムでなされ、こうしてすべての人のための福音となったのです。


福音は西まわりで伝えられた

 キリストは、復活後、40日間地上にとどまられました。そしてしばしば弟子たちに現われ、ご自分の生きていることを示されました。
 そのとき、キリストは弟子たちにこう命じられました。
 「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。・・・もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです」(使徒1:4-5)
 弟子たちは、キリストの昇天後も、キリストのご命令にしたがって、エルサレムにとどまりました。
 キリスト昇天後10日たって、弟子たちがエルサレムの「屋上の間」で祈っていると、そこにいたすべての弟子たちに、「聖霊」が下りました。いわゆる「ペンテコステ」「聖霊降臨」です。
 聖霊は、「神の御霊」とも呼ばれ、父なる神が、キリストを通して人々にお注ぎになった霊です (使徒2:33)
 聖霊によってキリストの弟子たちは、キリストの持つ愛と、平安と、力と、聖潔と、命
を得ることができるのです。
 聖霊が下った時、事実上、「教会」が誕生しました。キリスト教会は、エルサレムに始まったわけです。
 以後キリスト教の中心地は、しだいに西へ西へと移り、ついには世界を一周します。それを見てみましょう。
 教会が誕生してしばらくたった時、パウロと呼ばれる人物が、クリスチャンになりました。彼はもとはクリスチャンたちを迫害していた人物なのですが、キリストから直接的な啓示を受け、クリスチャンになったのです。
 パウロは弟子たちの中でも、最大の伝道者になりました。彼はおもに、地中海の沿岸地域――すなわち当時のローマ帝国の領土内で伝道しました。
 あるときパウロは、東方に伝道に行こうとしました。ところが、イエスの御霊 (聖霊) がそれを禁じ、パウロは西方に伝道に行ったのです。こう記されています。
 「ムシヤのあたりに来てから、ビテニヤ (東方の地) に進んで行こうとしたところ、イエスの御霊がこれを許さなかった。それでムシヤを通過して、トロアス (西方の都市) に下っていった」 (使徒16:7)
 パウロは東のビテニヤ地方へ行こうとすると、聖霊によってそれをとどめられました。それで西方の都市トロアス (トロイのこと) に下って行ったのです。
 パウロはそこで神からの幻を見せられ、さらに西に向かい、マケドニア地方に渡って行きました。これは今日のギリシャです。
 このときから、パウロのヨーロッパ伝道が始まったのです。こうして福音は、西へ西へと伝わっていきました。
 私たちは、太陽が東から上ることを、知っています。すなわち、朝は地球を西へ西へと巡ります。福音もまた、西まわりで地球を巡るのです。
 もちろんこれは、福音が東方に全く伝わらなかった、ということではありません。使徒トマスなどはインド方面に伝道に行った、と言われています。トマスはそこで多くの実を得ました。
 しかしキリスト教の中心地は、大ざっぱに見れば、西まわりで世界を一周しつつあるのです。


福音は世界を一周する

 使徒パウロは、ギリシャに行った後、さらに西方のローマに行きました。やがて福音は、ローマ帝国全体に広がりました。
 クリスチャンたちは、多くの迫害にあいましたが、帝国の支配者たちにも福音が広がるようになり、数世紀後ローマ帝国はキリスト教化されました。
 中世になると、キリスト教の中心は、フランスやドイツ等の西ヨーロッパ諸国に移りました。
 近世には、さらに海を越えてイギリスに中心が移り、またアメリカ東部に伝播しました。中心地が、大西洋沿岸に移ったのです。
 そして20世紀には、中心地はアメリカ、韓国、フィリピンなどの太平洋沿岸地域に移りました。とくに日本のお隣の韓国では、現在、大きなリバイバル(信仰復興)が進行中です。
 また最近の中国でのリバイバルも、特筆すべきでしょう。中国は、今日共産主義のもとにありますが、その激しい宗教弾圧にもかかわらず、いわば「隠れキリシタン」が5千万人〜1億人もいる、と言われています。
 日本の総人口に迫るほどのクリスチャンがいるのです。このように日本の周囲でリバイバルが進みつつある今、日本でもリバイバルが起きることが期待されています。





 パウロは初め東方に行こうとしたが、イエスの御霊に禁じられ、西方のトロアスに向かった

 東南アジア、インド、アフリカ等のインド洋沿岸地域でも、リバイバルが進みつつあります。
 このようにキリスト教の中心地は、西へ西へと巡ってきました。やがてキリスト教の中心地は、再びエルサレムにもどり、そこで終結するでしょう。
 それはキリストが再来されるとき、ユダヤ人の間に、大きな回心の波がおこるからです。
 「その日、わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分が突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく嘆くように、その者のために激しく泣く」(ゼカ12:10)
 と予言されています。
 「自分 (ユダヤ人) が突き刺した者」とは、キリストのことです (黙示1:7)。キリストは、ユダヤ人の迫害によって十字架につけられ、釘で手足をいぬかれ、やりでわき腹を突き刺されたのです。





 キリスト教の中心地は、西まわりで世界を一周する

 ユダヤ人の多くは、現在キリスト教徒ではありませんが、キリストの再来の時、自分の先祖たちが十字架につけたかたが救い主であったことを知り、激しく泣き、回心し、クリスチャンになるでしょう (ロマ11:25-29)
 このようにキリスト教の中心地は、世界の中心であるエルサレムに始まり、西へ西へと移り、世界を一周してエルサレムで終結するのです。これは福音が、全世界に宣べ伝えられるためです。
 さらにキリスト再来以後、万物が過ぎ去り、新天新地が創造されたとき、そこには「新エルサレム」があり (黙示21:2) 、再び全地の中心、福音の中心となるでしょう。
 また、こうも言うことができます。福音は、イエスの最初の宣教地――ガリラヤ湖畔に始まりました。
 その後、死海沿岸 (エルサレム) →地中海沿岸→大西洋沿岸→太平洋沿岸→インド洋沿岸と、福音は西へ西へと巡り、やがて新エルサレムにある「いのちの水の泉(黙示7:17) のほとりにおいて、終結するのです。


福音を歴史的に見ると

 さて、福音の伝播について、私たちはこれまで地理的な面から見てきました。つぎに福音に対する人々の理解について、歴史的な観点からこれを見てみましょう。
 今から約2千年前、キリスト教が始まったばかりの初代教会の時代に、福音は全きかたちを保っていました。
 「聖書の福音」(良き知らせ)は、おもに5つのものから成っています。
 第1は、新生(または義認)の福音です。これはキリストの十字架と復活を信じる信仰により、すべての罪が赦され、神の御前に「義」と認められ、滅びから救われ、「永遠の命」が与えられ、「神の子」とされ、新しい人生が与えられる、という福音です。
 第2は、聖潔(聖化)の福音です。新生の際に罪赦されてクリスチャンとなった私たちは、日々、聖霊に満たされて歩むことにより、罪の力に打ち勝つことができる、という福音です。
 第3は、神癒の福音です。神はご自身を信じる人々のために、病を癒し、治してくださる、という福音です。
 第4は、供与の福音です。神の御教えにしたがって歩む人々のためには、神は一切の物質的・経済的・精神的必要を満たしてくださる、という福音です(マタ6:33)
 そして第5は、再臨の福音です。キリストは、やがて来たるべき日に再来され、地上からすべての悪を一掃し、ご自身を信じる人々のために至福の「神の国」を地上に確立される、という福音です。
 聖書の「福音」は、ほぼこれら5つの福音に尽きます。新生の福音は私たちの霊のため、聖潔の福音は心、神癒の福音は肉体、供与の福音は生活、また再臨の福音は社会、宇宙、そしてすべてのためのものです。
 福音は「五重の福音」であって、それは私たちの霊・心・体・生活・社会すべてに対するものなのです。初代教会の時代には、これらの福音が全きかたちで存在していました。
 しかし悲しいことに、福音は時代と共に、しだいに完全なかたちを失っていきました。
 たとえば4〜5世紀には、再臨の福音は、すでに純粋なものではなくなっていました。
 この時代に教父アウグスチヌスは、「『千年王国』(黙示20:6) とは教会のことである」 と説き、その後キリストの再来がある、としました。いわゆる「千年王国後再臨説」です。
 この「千年王国」とは、教会時代のことなのです。しかし聖書の述べる「千年王国」とは、キリスト再来後に確立される地上の王国です。
 聖書的に正しい説は、「千年王国前再臨説」なのです。この点でアウグスチヌスは、間違いをおかしました。
 彼はひじょうに素晴らしいクリスチャンでしたが、残念ながら教会に幾つかの間違いをも、もたらしたのです。
 アウグスチヌスの見解は、その後のローマ・カトリック教会の教義となりました。中世になってローマ・カトリック教会は、絶大な権力を持つようになりました。
 しかし、「純粋な福音」という観点からすれば、この時代は全くの「暗黒時代」となりました。新生の福音は失われ、新生の体験は、重要視されませんでした。
 ローマ・カトリック教会は、洗礼式や聖餐式などの儀式を強調するあまり、信仰をかろんじたのです。
 信仰による新生を体験していない多くの人々が、形式だけの「キリスト教徒」となりました。
 聖潔の福音も、説かれなくなりました。ローマ教皇自身の座さえも、権力欲や、賄賂、淫行、流血などに汚されました。
 神癒の福音、供与の福音も希薄化し、キリスト教会は、全体的に世俗化しました。再臨の福音も、ほとんど説かれませんでした。
 これは、この時代に純粋な信仰を持つ人が全然いなかった、ということではありません。
 一部には、神の御教えに純粋に生きようとする人々もいました。彼らは、全き福音をにぎっていました。しかし一般的には、中世のキリスト教会は、純粋な福音を失った状態にあったのです。


終末の時代に福音は完全に回復する

 けれども、そののち聖書の福音は、じょじょに回復していきました。
 まず16世紀初頭に、ルターやカルヴァンらによる「宗教改革」がおき、「信仰義認」が説かれ、新生の福音が回復しました。
 17世紀になるとピューリタン運動がおき、生活のきよさが目指されるようになり、また18世紀には、ジョン・ウェスレーなどが聖潔の福音を強く説くようになりました。
 そのほかロジャー・ウイリアムズ、ツィンツェンドルフ、ジョナサン・エドワーズ、ジョージ・ホイットフィールド、シュペーナー、ハリスなどが、民衆の中に力強い福音の復興をもたらしました。
 また今日、20世紀になって、神癒、供与、再臨の福音が回復されつつあります。一部には、いまだに「自由主義神学」(高等批評)に染まっていて、全き福音に目が開かれていない牧師もいますが、全体としては、全き福音・純粋な福音を重んじる伝道者は増えています。
 聖書を文字通り信じ、神からの啓示の書物として信じる人々が、教会に増えているのです。
 一時は、進化論や懐疑主義によってダメージを受けたこともありますが、そうした試練を乗り越えて聖書信仰を貫き、純粋な福音を重んじる人々が増加しています。これは今日の世界的な傾向です。
 教会は今、神の御前に整えられつつあります。福音の回復は、キリストの再来と世の終末をひかえた時代に、なくてはならないものなのです。
 「私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊 (キリスト) の婚姻の時が来て、花嫁 (教会) はその用意ができたのだから」(黙示19:7)
 と言える時まで、教会は福音的に整えられなければなりません。それが、いま進行中なのです。
 キリスト再来の直前の教会は、五重の福音が、完全に回復した状態にあるでしょう。逆にいえば、五重の福音が回復しない限り、キリストは再来できないのです。
 キリストはやがて再来して、整えられた花嫁(教会)と合一・一体化し、私たちに永遠の生命の体をお与えになるでしょう。私たちはその日まで、福音において整えられなければなりません。
 クリスチャンは、新生・聖潔・神癒・供与・再臨のすべての福音を信じるべきです。それは聖書の教えであり、唯一至高の神の教えなのです。
 神は、私たちの霊・心・体・生活・社会、すべてに対して、素晴らしく良い知らせを持っておられます。現代において最も大切なことは、聖書の全き福音を、しっかりにぎって生きることなのです。

久保有政

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