その他 

マハトマ・ガンジー
非暴力運動


 聖書の『山上の垂訓(すいくん)(マタイの福音書5-7)は、じかに私の胸に響くものがあった。・・
 『悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬(ほお)を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい』 (マタ5:39-40)
 という句にいたっては、私を限りなく愉快にした。・・・自己放棄(ほうき)こそ、私には最も強く訴えるものを持った、宗教の最高の形式であった」。
 はじめて聖書を読んだ時のことについて、マハトマ・ガンジー(1869−1948年) は、「自叙伝」にこう書いている。言うまでもなく彼は、「非暴力」運動によって、インドを独立へと導いた人である。
 ガンジーは、クリスチャンではなかった。しかし彼の「非暴力」の思想は、イエス・キリストの「非暴力」の教えから、決定的な影響を受けたものである。
 ガンジーは、キリストの「非暴力」の教えと、ヒンズー教の「不殺生」の教えを行動原理としていた。彼はそれを、一国の将来を変革する実践的な力に、みごとに応用したのである。


真理の実験

 ガンジーはどんな人物だったろう。彼は少年時代、ひどく「臆病者(おくびょうもの)」だったという。
 「暗闇は、私には恐ろしかった。真っ暗な中で寝ることなど、とてもできなかった」
 と彼は書いている。
 また彼は、ひどい引っ込み思案(じあん)であった。
 高校卒業後、イギリスに留学する彼のために、送別会が開かれた。彼はその席で話す謝辞の言葉を、メモに書きつけておいたのだが、
 「いざとなると、どもってしまって、ほとんど何も言えなかった。謝辞を読もうと立ち上がったとき、どんなに頭がくらくらし、全身が震えたかを、私は覚えている」
 と語っている。そのとき彼は、結局ほとんど何も言わずに座り込んでしまった。
 ところが大人になったとき、彼は見違えるほど立派な人物に変わっていた。暴力と不正に対して敢然(かんぜん)と立ち向かう、愛と勇気の人になっていたのである。
 彼は若い時から、「真理への情熱」が人一倍強かった。大胆な、強い人間になりたいと願った彼は、その情熱を通して、しだいに自己を変革していったのである。
 彼が人生において成し遂げようとしたこと――それは自己の完成、そして「真理の実験」を通して、神にまみえることであった。
 「私は神を、真理としてのみ礼拝する。私はまだ、神を発見するに至っていないし、また今も捜し求めている。
 この探究のためには、私にとって最も貴重なものでも、犠牲にする覚悟を持っている。たとえその犠牲が、私の生命であったとしても、喜んでそれを犠牲に供するだろう」。
 また、こう語っている。
 「前へと進んでいくうちに、私は時々、絶対の真実――神を、かすかながら見ることができた。そして神のみが実在であって、ほかの一切のものは非実在であるとの信念が、日ましに私の中に育ってきた」。
 彼は、ひとりの求道者であった。そして最も偉大な求道者のひとりだったのである。


非暴力による不服従運動

 ガンジーは、若い時にイギリスに留学し、法律を学んで弁護士の資格を得た。その後、しばらく南アフリカに行ったが、そこで有色人種に対するひどい人種差別を見た。
 そうした人種差別と戦う中で、ガンジーはしだいに非暴力の哲学と、その実践法を身につけていった。
 彼がインドに帰ったとき、インドはまだ、イギリスの植民地であった。インドは、イギリスからはやく独立できることを願っていた。
 イギリスも一度は、インド人による責任政府を置くことに同意した。インド人は驚喜した。
 ところが1918年になって、イギリス議会はローラット法を通過させ、インド人の夢を打ち砕いてしまった。独立と自由への夢は、遠のいた。
 インド人に対する様々な差別待遇も、改められなかった。インド国内には、イギリスに対する憎しみや怒りが、うずまいていた。
 ガンジーはインドの独立を、暴力によってではなく、イギリス人の良識に訴えることによって、獲得したいと願った。彼はインドをイギリスの悪法から救うために、立ち上がった。
 その方法は、イギリス政府の命令に従わず、税を納めず、サボタージュ(怠業)やストライキをやり、しかも決して暴力に訴えない、という新しい抵抗運動であった。
 彼に共感した多くのインド人は、各地で、非暴力による抵抗運動を組織した。彼らはイギリス警官の前に人垣をつくり、警官たちの進出をはばんだ。


ガンジーに指導された人々は、イギリス人の暴力に対して、
非暴力をもって抵抗した
(コロンビア映画『ガンジー』より)。

 インドのグジュラートでは、婦人たちが、鉄のたがのついた警棒を振り回す警官たちの攻撃の前に、敢然として耐えた。ペシャワールでは多くの人々が、弾丸の雨を浴びながら、暴力に訴えず耐え忍んだ。
 彼らは、敵の血を流すよりは、自分の血を流すことを選んだのである。
 ある所では、馬に乗って町になだれ込んできた警官たちの前に、人々が幾重にも人垣(ひとがき)をつくって抵抗した。打たれても打たれても暴力に訴えない彼らの勇敢さを見て、警官たちはついに出ていってしまった。
 インドのある外交官は、自分の目撃した非暴力運動の光景について、こう述べている。
 「私は若い時、イギリスの兵士たちが"いつでも発砲するぞ"とばかり銃をかまえているところを、ガンディージー(ガンジー)がサティヤーグラハ(真理把持(はじ)の意で非暴力のこと)の一隊をつれて、行進するのを見かけました。
 サティヤーグラハの人々が列を組んで行進する真正面から、イギリスの兵士たちが"この線を突破したら発砲するぞ"と立っています。
 第一列が撃たれれば、第二列の者が、少しも恐れず銃に向かって進んでいきます
 みんな真っ白な手織木綿(カーディー)を着て、婦人や青年や子供たちが、手をつないで軽々と進んでいくのです。・・・いかなる兵士といえども、この罪のない人たちを撃つことはできない。とうとう兵士の方が逃げだしてしまいます」(『ヴェーダンタ』誌1969年12月号)
 ガンジーはやがて、国民会議派の議長に選ばれた。そしてイギリスに対する、新しい「不服従運動」を展開し始めた。
 彼の指導によって、人々はイギリス商品をボイコットし、塩の政府専売にも反対した。また、イギリス系の役所に勤めているインド人たちは、そこを辞職した。
 こうした運動のために、指導者ガンジーはしばしば投獄されたが、長い非暴力運動と苦闘のすえに、インドはついに独立を勝ちとった。1947年のことである。
 ガンジーは79歳のとき、暴徒の手によって暗殺され、生涯を閉じた。しかしその非暴力の哲学は、今も多くの人々に影響を与え、その精神は生き続けている。


ガンジーの遺灰は、
このコモリン岬沖合に流された。

 アメリカで黒人の公民権獲得運動を起こしたマーティン・ルーサー・キング牧師の、非暴力運動も、その影響を受けたものである。
 キング牧師をはじめとする多くのクリスチャンは、ガンジーから非暴力の哲学と、その実践法を学んだのである。
 以下に、ガンジーの著書の中から、彼自身の言葉をいくつか引用しよう。


ガンジーの著書より

 「卑怯(ひきょう)か暴力のどちらかを選ぶ以外に道がないならば、私は暴力をすすめるだろうと信じています。・・
 けれども私は、非暴力ははるかに暴力にまさることを、敵を赦(ゆる)すことは敵を罰するより雄々(おお)しいことを、信じているのです。」

 「侵略者の暴力に暴力をもって応(こた)えるようなことはせず、侵略者の不法な要求には、死を賭しても服従を拒否する――それが非暴力の本当の意味です」。

 「赦しは勇者の資質であって、臆病者のそれではありません」。

 「怒りには愛をもって応え、暴力には非暴力をもって応えるという、永遠の法(のり)をよみがえらせることが肝要なのです」。

 「暴力が獣類の法(のり)であるように、非暴力は人類の法です。・・・人間の尊厳は、より高い法に、すなわち精神の力に従うことを要求します」。

 「非暴力は、臆病をごまかす隠れ蓑(みの)ではなく、勇者の最高の美徳です。非暴力を行なうには、剣士よりはるかに大きな勇気が必要です。臆病は、非暴力と全く相容(あいい)れません」。

 「復讐もまた弱さです。復讐の願いは、想像上の、あるいは実際上の危害への恐怖心から生じるのです。犬はこわがると、吠えたり噛みついたりするものです。
 地上の何者をも恐れない人は、彼を傷つけようとつまらぬ骨折りをしている者に対して、怒りの念を呼び起こすことすら煩(わずら)わしい、と思うでしょう。
 天は、自分に向かって土を投げつける子どもたちに仕返しはしません。子どもたちは、自らの行為によって自らを汚すだけです」。

 「(暴力を受けたり辱めを受けても)もし彼らが、心に報復の気持ちさえ感じずに、その恥辱(ちじょく)に耐えるだけの勇気を持っていたならば、彼らは少しも傷ついてはいません」。

 「非暴力の目的とするところは、つねに相手の内に、最もよいものを呼び覚(さ)ますことです。受難は、相手の善性に訴える力を持っています」。

 「剣を保持しようと望むうちは、人は完全な勇気に到達したためしはありません。みなさんが非暴力の剣で武装するとき、地上のどんな権力もみなさんを征服することはできません。非暴力は、勝利者をも敗北者をも高めます」。

 「武器は、人間の強さではなく、弱さのしるしなのです」。

 「(非暴力は)神への生きた信仰なくしては不可能です。非暴力の人は、神の力と恵みによらずには何事も成し得ません。
 信仰がなければ、怒りをいだかず、恐怖をいだかず、復讐心をいだかずに死ぬ勇気は持てないでしょう。
 非暴力は、"神はすべての人の心の中に宿りたもう。それゆえに神のいますところに恐れはない"という信念から生まれるのです」。

 「神を畏(おそ)れる者にとっては、死は恐怖ではありません。・・・勇気は殺すことにあるのではなく、死ぬことにあります。・・・人を殺さずに死ぬためには、よりいっそうの英雄心が必要です」。

 「わたしは次のような、絶対的信仰を持っています――人類は非暴力によってのみ救われる、ということです。そしてこれは、私が聖書を理解するかぎりにおいて、聖書の中心的な教えです」。

 「キリスト教徒は、精神力をもって物質の力に対応できなければならない、と今も考えております。
 キリストの福音から1900年もたっているというのに、個人の場合や小規模なグループを除いて、いまだにそれが実現できないというのは、考えるだけでも空恐ろしいことです」。

 「武力がもたらす平和は、墓場の平和です」。

 「もし国民の大多数が非暴力的であるならば、非暴力を基盤にして国家を統治できると、私は信じています」。

 「政府が望むなら、勝手に弾丸の雨をふらさせておやりなさい。けれども、地上のどんな権力も、もはやみなさんを隷属(れいぞく)させておくことはできないでしょう」。

 「わたしは以前、真理と非暴力のほかに神を見ることはできない、と言ったことがあります。・・・非暴力は、復讐の心なしに受難に甘んじる力と勇気を、言い換えれば、何の仕返しもせずに頬を打たれるだけの力と勇気を求めます」。

 「敵を傷つけたり、生命を奪ったりすることを望まない、というだけでは十分ではありません。
 自分の敵が殺されそうな目にあっているときに、黙ったまま手出しをせずに傍観(ぼうかん)しているなら、あなたがたは非暴力の者とは言えません。あなたは、生命を賭してもその者を護(まも)ってやらねばなりません」。

 「"自殺か敵を殺すか"の選択に迫られた場合には、私は迷わずに、自殺を選ぶべきだと信じています」。

 「もし国民の間に流血や乱闘がなければ目標に到達できない、というのなら、そのような目標は、努力して達成する価値はありません」。


〔参考文献〕
「わたしの非暴力」(ガンジー著 森本達雄訳)みすず書房

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