悲哀の使命
新渡戸稲造
(語り手)新渡戸稲造〔1862・1933年〕
明治・大正期の教育家・農学者。
札幌農学校教授、京都大学教授、第一高等学校校長、東京大学教授、東京女子大学学長、国際連盟事務局次長などを歴任し、そのキリスト教的平和思想は、多くの人々に影響を与えた。
「5千円札の顔」でもある。
〔聖書テキスト〕
「私(使徒パウロ)には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります」(ローマ9:2)。
「ごらんなさい。神のみこころにそったその悲しみが、あなたがたのうちに、どれほどの熱心を起こさせたことでしょう」(Uコリント7:11)。
〔メッセージ〕
キリストは聖書に「悲しみの人」(イザ53:3) と記され、ゲーテはキリスト教を悲哀(ひあいの宗教と称したことを観(み)ても、いかにキリスト教が「悲哀」に重きを置き、かつ、悲哀の観念に打たれて心細く思う人、淋(さび)しく感ずる人、すなわち悲哀の人々に、偉大な慰藉(いしゃ)を与えるかがわかる。
「苦しい時の神頼(かみだの)み」
という諺(ことわざ)は、悪い意味に取られやすい。さんざん悪事を働いたため、世間に見棄(みす)てられると、「苦しい時の神頼み」とくる。
いかにも「苦しい時の神頼み」は、人の心の弱く、また卑(いや)しいことを言ったように思われるが、じつはこの諺は人の卑しい心ではなく、ただ弱い心を表しているものである。
気が弱い、力がないと言うと、卑しいように聞こえるが、じつは自分で弱いと思う人は強く、自分は強いと思う人はかえって弱い。
おそらく自らのつまらなく、頼み甲斐(がい)のないことを感ぜぬ人は、あるまい。あれば、その人は真(ま)人間ではない。
幾たびか 思い定めて 変はるらん
頼み難(がた)きは 人こころなり
英雄であれば英雄であるほど、自分の弱きを感ずる。聖人であれば聖人になるにしたがって、悲哀が深くなる。
「神はいらない。おれは傑(えら)い」と思う者は、真(ま)人間でない。熊か八か(くまさん・はっつぁん=無教養の者)、いずれ馬鹿に違いない。ビスマルクは、
「ドイツ国民は、神のほか何者をも恐れない」
と議会で叫んで大喝采(かっさい)を博(はく)したが、当時日本の留学生の一人がこの言葉を引いて、
「日本国民は神をも恐れないぞ」
と威張(いば)っていた。こんな馬鹿を言う者は、日本人ではない。これは熊か八の思想である。
ビスマルク
真に国を憂(うれ)うる日本人は、胸に手を置き、これからどうしようかと情(なさけ)なく思うのが当然であって、かような悲哀を覚えない者は、強いどころか不具者(ふぐしゃ)である。・・・(中略)
キリストは悲哀の人で、聖書は彼の笑ったことを記していない。
モーセも、やはり泣き面(つら)の人である。十戸を北海道に植民することさえ大変であるのに、百万の民衆を連れて、40年も放浪したその植民事業は、いかに彼を苦しめたか知れない。
牛の像を拝んだり、水がないと叛(そむ)いたりした民衆を率いて、雲煙も迷う大砂漠を、40年の長い間――40年の間には結婚もあり、出生もあり、死亡もある――彷徨(ほうこう)した彼の憂苦(ゆうく)はいかばかりであったろう。
彼の植民事業は、とうてい人間業(わざ)とも思えぬくらいに、たいしたことである。モーセが悲哀の人であったことは、もっともである。
リンカーンは、人の前では道化(おどけ)たが、誰もいない時には泣いてばかりおった。彼もまた悲哀の人である。
ショーペンハウアーは「人相は何もしない時に表れる」と言い、ソクラテスは「人の性質は物言うとわかる」と説いたが、リンカーンの物言わぬ顔は、じつに憐(あわ)れな有り様であった。憐れは、偉大なる霊魂の特徴かも知れぬ。
すべての人にある悲哀
しかし、泣き面(つら)する人が英雄だと言う論にはならぬ。
人と会うときに、自分の悲哀を他人に負わせるのは、禁物(きんもつ)だ。否、われわれはかえって、他人の悲哀を、自分に分かつように努めたいものである。
地球上のあらゆる物も、人の霊魂に満足を与えない。物質界と、精神界との間には食い違いがある。そこに悲哀も湧(わ)けば、不満も起こる。
霊魂に悲哀のない人は、宇宙に呑(の)まれた熊か八の輩(やから)にすぎない。たしかな霊魂は、いかに身を綺羅(きら)(美しい衣服)でまとっても、胃袋を充(み)たしても、悲哀を消すことができない。
さればとて、この悲哀を感ずる人はみな偉人かと言うに、必ずしもそうではない。私は何か遺恨(いこん)でもあるように「熊か八」にアタッたが、彼らにもこの悲哀はある。
悲哀のない者は不具だ。不具は例外であるから、当たり前の者はすべて悲哀を感ずる、と言って差し支(つか)えない。
こんな話がある。幇間(ほうかん)(酒宴の興を取り持つ男)と、芸妓(げいぎ)(芸者)とが夫婦になった。あるとき幇間が言うには、
「お前は、なぜそんな苦(にが)い顔をしているのだ。お前はお座敷ではおもしろく歌ったり、騒いだりしていたので、これは愉快(ゆかい)だ、こんな陽気な女を女房(にょうぼう)にすれば、自分の陰気も消えるだろうと思って嫁にもらったのに、いつも陰気な顔をしているのは、どうしたのだ」。
ところが芸妓も、
「私もお前さんをお座敷で見たときには、おもしろい事を言う坊主だ。こんな陽気な男を亭主に持てば、私の淋しい性分(しょうぶん)も晴れるだろうと思ったが、お前さんこそなぜ陽気にならないの」
と答えたそうである。今までの両人は、歌も空(そら)、おしゃべりも空、踊りも空でやっていたわけである。
誰にでも悲哀はある。
それも、一生を探(さぐ)る必要はない。人生の行路(こうろ)で、ちょっとすれ違った人にも、悲哀の原因を持たぬ者は一人もない。
「悴(せがれ)がありましたが死にました」「夫が途中で逐電(ちくでん)(かけおち)しました」「奉公していた娘が病気で臥(ふ)せっております」――かような悲哀は、われらが旅行して行く先々の宿屋で、飯(めし)を給仕する婢(はしため)より、必ず聞くことができる。
諸君にも、何かの悲哀があるに違いない。老若男女(ろうにゃくなんにょ)の区別なく、人という人はみな悲哀を感ずる。
ユーゴーの『レ・ミゼラブル』のみ悲哀の歴史ではない。電車の車掌にも、自動車上の令(れい)夫人にも、位(くらい)高き大臣にも、『レ・ミゼラブル』の一章は必ずある。
何事でも、聞けば悲しい。同情に堪(た)えぬ事のみ多い。宇宙全体が悲哀に満ちたものではあるまいか、とも思われ、人類の歴史は悲哀の歴史ではなかろうか、とも疑われる。
ゆえにゲーテは言った。
「汗をもってパンを食べ、あるいは終夜眠らずして悲哀に泣いた者にあらざれば、いかなる天賦(てんぷ)の力が悲哀の中にあるかを知り得ない」
と。本当だ。人の悲哀が偶然でないなら、悲哀には"悲哀の使命"があるに違いない。
天は人の泣き顔を見るのを嫌うならば、悲哀には、何か意味が潜(ひそ)んでいるはずである。悲哀の意味を知らぬ人は、いまだ人生の真相を解していない。
ゲーテ
物の哀れ
悲哀は、要するに先天的、かつ普遍(ふへん)的である。
私はここへ来る途中、喫茶店に寄って、出入の人々を眺めていた。やがて一人の紳士が、満1歳くらいの赤児を、子守に負わせて入ってきて、柔らかい食物を赤児に食べさせた。
赤児は食べながら、泣きだした。なぜ泣くのかと見れば、これは「食物を子守にもやれ」という意味であるらしい。私は「赤児はかわいいものだなあ」と、しみじみ思わずにはいられなかった。
自分が食べて甘いから、人にも食べさせたい――これは同情の念である。シテ、同情は悲哀の表顕(ひょうげん)である。
自分の所有だから人にも与えたい、自分は暖かいが人はさぞ寒かろう――この観念は、すでに悲哀の第一歩である。
悲哀は満1歳の赤児にもあるほどに、その芽を発することが、はやい。私はこの赤児を見て、良い教訓を与えられたと思って来た。
人は完全ではないにしても、よく出来た者だ。どうしても人は、鬼の拵(こしら)えたものではない。
かような微妙な観念は、歳を経るにしたがって増すのだから、何事についてもわれらの心の中に悲哀が起こるのは、無理はないことである。
「武士は物の哀(あわ)れを知る」と言うが、武士ばかりではない。誰でも物の哀れを知っている。これを知らぬ者は、人間ではない。
貧乏人を見ても不憫(ふびん)だ。金持ちを見ても気の毒だ。世間には金持ちを見ると、あたかも自分の財産でも奪うた者のように恨み、
「彼奴(きやつ)は金の奴隷だ」
なぞと無闇(むやみ)に憎む者がいるが、かくのごとき人こそ金が欲しいと見える。
金だって、やはり土塊(つちくれ)の類(たぐい)ではないか。金持ちは、土や石をたくさん積んで心を労しているのに、なぜ「憎い奴だ」と罵(ののし)る理(ことわり)があろう。・・・(中略)。
慈悲の心には憎悪(ぞうお)がない。キリストはそこに達した人である。彼はエルサレムの繁栄を、憐(あわ)れに眺めた。迷える人間を気の毒に思った。
そう言えば、富豪も大臣も気の毒な人だ。巡査に家を守られていることからして、じつにかわいそうである。
悲哀の人生に生まれたわれらは、人生のあらゆる方面に悲哀を観(み)る。かく悲哀は、一時的でないより考うれば、その内には何か意味がありそうだ。
悲哀は普遍的であるから、その内には何かあるべきはずである。われらは悲哀を、神の悪戯(いたずら)として断じ去ることはできない。
キリストは、エルサレムを見て涙を流れた。
(1)悲哀は人を真理に導く
悲哀の使命の一つは、他の道ではわからない、すなわち学問や哲学は言うまでもない、常識などでも到底わからないところの真理を、知らしむるにある。
ある女が、釈迦(しゃか)のもとに来て、死んだ子どもを甦(よみがえ)らしてくれと頼んだ。
釈迦は快(こころよ)く承諾して、その女に、まだ死人の出たことのない家へ行ってその家の庭にある木の葉を持って来い、そうしたら生き返らせてやろうと答えた。女はひじょうに喜んで、さっそく諸所を尋ねた。
木の葉はおやすい御用(ごよう)でくれたが、どの家族においても死を知らぬ者がなかったので、ついに女は釈迦のもとに帰り来て、もはや子どもは甦(よみがえ)らさなくてもよい、愛する者を失うことは人生に随従(ずいじゅう)していることがわかった、決して天を怨(うら)まず人も咎(とが)めませぬ、と告げたそうである。
この女は、愛する子どもの死によって悲哀の真理を知るを得たが、それまでは誰がなんと教えても、これを認むることができなかったのである。
本読みは私の職業だが、かような話はどの書物にも多くある。悲哀を鍵にすれば、知識的研究も達しあたわぬ真理の蔵(くら)を、開くことができる。
ある夫婦者が、愛する女児を失った。夫は自暴自棄(じぼうじき)になり、ただただ酒ばかり飲んで仕事を休み、妻は失望落胆やる方なく、仕事も手につかなくなって、お定まりの夫婦喧嘩が始まった。
ついに離縁(りえん)に決し、夫婦争いながら荷物を分けるあいだに、子どもの弄(もてあそ)んだ人形が出てきた。
夫も妻も、しばし人形を見つめたまま、何も言わずして立った。ややあって、両方手を出して握手し、再び共に生活を営むように約束した。
すなわち、悲哀によりて離れたる心が、悲哀によりて結ばれた。心理学上の議論なぞでは、この真理はわからない。
ただ悲哀の鍵によって、はじめてこの真理が会得(えとく)される。悲哀の使命の一つは、たしかにここにあると信ずる。
(2)悲哀は勇気を生む
悲哀は勇気を生む。悲哀という基礎のない勇気は、これ匹夫(ひっぷ)の勇(思慮もなく血気にはやるだけの勇気)だ。お祭り騒ぎの勇にすぎない。
不憫(ふびん)な者だと憐(あわ)れんで救おうとする気がなければ、真の勇でない。貧乏な国民を助けんため政治界に身を投じ、己(おのれ)を棄(す)てて身を致すのが、本当の勇気である。
しかし、名利心(みょうりしん)に駆(か)られて、太鼓叩(たいこたた)いて(人のご機嫌を取って)内閣を乗っ取ろうとするための勇は、匹夫(ひっぷ)の勇である。
この意味において、大塩平八郎は、じつにおもしろい男であった。権力ある者に虐(いじ)められている人々がかわいそうだ、と憐れんで起(た)った、これ真の勇気である。
真の英雄主義(ヒロイズム)は、悲哀がなければ成り立たない。悲哀とはベソをかく事ではない。否(いな)、精神を披瀝(ひれき)して、かの民をいかにせんと奮起する事である。
キリストの英雄主義(ヒロイズム)はそこだ。ピラトを憎むのではない。ローマ帝国をどうするのでもない。
この民をいかんせん、この民をいかんせんであった。キリストの勇気は、悲哀より湧(わ)き出(い)でた。
(3)悲哀は人を事業に駆り立てる
悲哀の観念は、事業を企てる。事業を企(くわだ)てるのは、ふつう金を儲(もう)けるため、名誉を得るためだが、私のいわゆる事業とは、清められた動機の事である。悲哀は要するに、事業の動機を清めるものである。
乃木(のぎ)大将が学習院院長になったのは、名誉や金銭のためでなく、まったく自分の子に悲哀を持っていたからである。
小説『不如帰(ほととぎす)』に現われた信者の老婆(ろうば)子川某は、自分の子供を失ってからすべての人を子供と思い、夫と別れてから深い意味で人を愛し得るようになったと告白したが、じつに世人とはその動機が違っている。
乃木大将は私に、
「語らじと 思う心も さやかなる
月にはえこそ 隠(かく)さざりけれ」
と揮毫(きごう)して下さったが、大将にこの悲哀があってこそ、子弟教育の事業にも従うことができた。
大森兵蔵氏の夫人は、米国人でありながら、亡夫(ほうふ)の遺志(いし)をついで体育事業に奔走(ほんそう)している。
夫人が言葉も知らず、風俗も違うわが国の体育のために日夜尽力(じんりょく)されるのは、まったく夫と別れたという悲哀が、その動機を清めたからである。
悲哀は自己を清めたうえに、その動機を清め、もってその事業にあたらしめる。
(4)悲哀は同情を呼び起こす
「身をつめて、人の痛さぞ知られける」で、悲哀は同情を呼び起こす。
自分が悲しんでのちに、他人の悲しみがわかる。他人の同情を受けてから、他人に対する同情が深くなる。フランスのバザン(20世紀初頭の作家) は、
「労働者に必要なのは、金銭でない。説教でない。政府の保護でない。ただ同情である」
と言うた。同情をもって労働者を慰めなければならぬが、悲哀がなければ同情は起こらない。
ただ、同情はややもすれば、嫌気(いやけ)を起こさせることがある。日本語に「虫が好かぬ」という言がある。シテ、日本人には同情よりもこんな心が多い。
ゆえに、米国に人種の偏見があると罵る日本人は、かえってシナ人(中国人)を排(はい)し、朝鮮人を斥(しりぞ)けている。日本人は、西洋人よりもよほど他国人に偏見が多い。
西洋人には日本人を歓迎する者がはなはだ多いが、日本人で西洋人を朋友(ほうゆう)とする者が、何人あるか。外人を見ると、異人(いじん)だと罵(ののし)る。外国人ならまだよいが、日本人同志が
「人を見たら盗人(ぬすびと)と思え」
と言って、相排斥(あいはいせき)し合っているような始末。かように心の狭い国民が、どうして発展しえよう。
3日前に、20〜30人の人が路傍(ろぼう)に集まっているので、何かと思って立ち寄ってみたら、怪我人を囲んでいた。車に轢(ひ)かれた、否、馬に蹴(け)られた、いや転(ころ)んだのだと、みな研究はよくするが、誰も助けない。
水を飲ませろ、薬がよい、それより医師を呼べと、よく発議(はつぎ)はするが、誰も手を出さない。こんな時には、なによりも実行的同情が必要だ。この同情の来る道は、悲哀よりほかにない。
すなわちここが、キリスト教の大切なところである。キリストは悲しみの人であり、キリスト教は悲哀の宗教である。
悲哀の意味や使命を知り、かつ行なうには、キリスト教の根本原理なる「犠牲」の観念に遡(さかのぼ)らなければならぬ。
悲哀が人世宇宙に満ちているということは、やがて人生宇宙に犠牲が充(み)ちている、という意味である。この意味がわかると、犠牲もわかれば、悲哀もわかる。
ねがわくは、われらは自己の悲哀の経験を聖なる祭物(そなえもの)として神に献(ささ)げ、その聖旨(みむね)を承り、もって天を怨(うら)まず人を咎(とが)めぬ生活を営むことを、期(き)したい。
大となく小となく、すべての苦しみ悲しみ、嘆(なげ)き憂(うれ)いを聖なる祭物(そなえもの)として神に献(ささ)げ、もって血を滴(したた)らして祈祷したゲッセマネのキリストの精神を学びたい。
悲哀のために自暴自棄になった者もいれば、かえって、真の生活を辿(たど)るを得た者もある。悲哀のために、人はどうにでもなる。
この悲哀が、悪魔より来たか、神より来たかを断じ得ない者は、いつまでも地獄に迷っているほかはない。
われらにしてキリストの精神と、自己を犠牲にする覚悟あらば、いままで述べた祝福の天降(あまくだ)りすることは、期して待つべきである。
久保有政著
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