破れ口に立つ者
神は、ご自身と人との間の「破れ口」を修復する者を、
捜し求めておられる。
〔聖書テキスト〕
「わたしが(神)がこの国を滅ぼさないように、わたしはこの国のために、わたしの前で石垣を築き、破れ口を修理する者を彼らの間に捜し求めたが、見つからなかった。
それで、わたしは彼らの上に憤りを注ぎ、激しい怒りの火で彼らを絶滅し、彼らの頭上に彼らの行ないを返した――神である主の御告げ。――」(エゼキエル書22:30-31)
〔メッセージ〕
預言者エゼキエルが、この御言葉を記したのは、イスラエル民族の「バビロン捕囚」の出来事が起きた時でした(B.C.6世紀)。
当時イスラエルは、南北に二分された「分断国家」となっていました。それは10部族からなる「北王国イスラエル」と、残り2部族からなる「南王国ユダ」とに、分断されていたのです。
すでに北王国イスラエルは、B.C.721年にアッシリア帝国によって、捕囚の民となっていました。事実上、滅亡していたのです。これは北王国イスラエルの罪に対して、神の裁きが下ったからです。
それから百数十年ほどたち、ついに南王国ユダにも、神の裁きの下る時がやってきました。上の御言葉は、このときの事に関するものです。神は言われました。
「わたしは、この国を滅ぼさないように・・・わたしの前で石垣を築き、破れ口を修理する者を、彼らの間に捜し求めた」。
と。神は、ご自身と人々との間の「破れ口」を、修復する者を、人々の間に捜し求められました。「破れ口」とは、人々の罪によって引き裂かれた、神と人との間の絆の「破れ口」をさしています。
南王国ユダ、そしてその首都エルサレムは当時、神のみこころに反して、ひどい罪に汚れていました。
彼らに対して神の裁きが下る前に、もし彼らの間に、人々のために神にとりなす者がいたならば、神は裁きをお下しにならなかったかもしれないのです。
しかし、神に向かってとりなしの祈りを捧げ、神と人との間の「破れ口」を修復する者は、結局ひとりも見つかりませんでした。
それで神は、バビロン帝国による侵略を許し、エルサレムを滅ぼされたのです。B.C.586年のことです。
また南王国ユダの人々を、しばらくの間バビロンに捕囚の身とすることを、お許しになりました。
神は、ご自身と人々との間の「破れ口」を修復する者を、人々の間に捜し求められるのです。バビロン捕囚の時は、そうした者は一人も見当たりませんでした。しかし聖書を見ると、いくつかの場合には、破れ口に立った者が現われました。
そこで、破れ口に立ったそれら幾人かの人物――ここではアブラハム、モーセ、アロン、使徒パウロの4人、そして最後に主イエスを取り上げ、くわしく調べてみることにしましょう。
アブラハム
アブラハムは、B.C.2千年頃の人で、イスラエル民族の「父祖」とされる人物です。アブラハムからイサクが生まれ、イサクからヤコブ――別名イスラエルが生まれ、このイスラエルからイスラエル民族が出てきたのです。
神はアブラハムを、選民イスラエルの父祖とするために、人々の中からお選びになりました。
なぜ、他の人ではなくアブラハムが選ばれたのか、ということに関して、私たちは次の記事の中に、その理由の一端を見ることができるでしょう。
アブラハムは、神に示されて故郷を出て、カナンの地(今のパレスチナ)にやって来ました。彼が住み着いた地の近くには、「ソドム」と「ゴモラ」という町がありました。
ソドムとゴモラは、暴虐と淫乱に満ちた罪の町でした。しかしそこには、アブラハムの甥であるロトと、その家族も住んでいました。
ある日「3人の人」(創世18:2)
が、アブラハムの所にやって来ました。彼らは、じつは神の天使たちでした。
神は、そのうちのひとりの天使を通じ、アブラハムにこう言われました。
「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおりに、彼らが実際に行なっているかどうかを見よう。わたしは知りたいのだ」(創世18:20-21) 。
こう言って、天使たちはソドムとゴモラの方へ、向かって行きました。それを見たアブラハムは、神に申し上げました。
「あなたは本当に、正しい者を、悪い者と一緒に滅ぼし尽くされるのですか。もしや、その町の中に50人の正しい者がいるかもしれません。本当に滅ぼしてしまわれるのですか。その中にいる50人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか」。
アブラハムはさらに申し上げました。
「正しい者を悪い者と一緒に殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもあり得ないことです。全世界を裁くおかたは、公義を行なうべきではありませんか」。
これに対し、神はお答えになりました。
「もしソドムで、わたしが50人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう」。
アブラハムは、さらに神にお聞きしました。
「私はちりや灰に過ぎませんが、あえてわが主に申し上げるのをお許しください。もしや50人の正しい者に5人不足しているかもしれません。その5人のために、あなたは町の全部を滅ぼされるでしょうか」。
神は、
「滅ぼすまい。もしそこにわたしが45人を見つけたら」
と言われました。
アブラハムは、そこでやめたでしょうか。彼はさらに神にお聞きしました。「40人なら?」「30人なら?」「20人なら?」「10人なら?」・・・。
アブラハムはへり下りながらも、神に尋ねました。「わが主よ、どうかお怒りにならないで、私に言わせてください」「今一度だけ言わせてください」と言いながら、神に尋ねたのです。
これは単なる「質問」ではありませんでした。彼はソドムとゴモラへの裁きを、もしくい止められるものならくい止めたい、という気持ちを持っていたのです。
彼は、自分でも気づいていなかったかもしれませんが、神と人々との間の「破れ口」に立つ者となっていました。もしそれを修復できるものならしたい、と強く願って、彼はこれらの質問をしたのです。
「もし10人いたら」――この質問に神はお答えになりました。
「滅ぼすまい。その10人のために」。
そう言って、神は去って行かれました (創世18:23-33)。
結果はどうだったでしょうか。
ソドムとゴモラには、結局10人の正しい者さえ、見いだされなかったようです。これらの町々は、天からの火と硫黄とによって、一瞬にして滅ぼされました。
しかし、そのときアブラハムの甥であるロトとその家族は、主の憐れみによって町から救出されました。天使たちが彼らに、のがれるように告げたのです。
けれどもロトたちは、ためらっていました。それで天使たちは彼らの手をつかみ、無理やり町の外へ連れ出しました。聖書は、
「これは主のあわれみによる」(創世19:16)
と記しています。こうしてロト一家は、破滅から救い出されたのです。
「神が低地の町々を滅ぼされたとき、神はアブラハムを覚えておられた。それで、ロトが住んでいた町々を滅ぼされたとき、神はロトをその破壊の中からのがれさせた」(創世19:29)。
ロト一家は、周囲の人々ほどに罪深くはなかったというものの、完全に正しい者たちだったわけではありません。
しかし神は、破れ口に立ったアブラハムを覚えておられ、彼のゆえに、ロト一家を救出されたのです。
モーセ
モーセは、イスラエル民族の「出エジプト」(B.C.1440〜1450年頃)の時の指導者でした。
イスラエル民族は、約400年の間エジプトで奴隷となっていましたが、神の預言者モーセの指導のもとに、エジプトを脱出したのです。
イスラエル民族は、エジプトを出たのち、紅海を渡り、シナイ半島にあるシナイ山のふもとへやって来ました。そこで、モーセは十戒を記した2枚の石の板を、神から与えられたのです。
しかし十戒を与えられたとき、モーセはシナイ山に40日間もいたので、民は落ちつかなくなっていました。民は不安になり、
「私たちに先立って行く神を造ろう」
と言って、なんと金の子牛の偶像を造りはじめました。彼らは、まだ奴隷根性から抜け出ていなかったのです。
そこに、モーセが戻ってきました。神はモーセに言われました。
「わたしはこの民を見た。これはじつに、うなじのこわい民だ。今はただ、わたしのするままにさせよ。わたしの怒りが彼らに向かって燃え上がって、わたしが彼らを絶ち滅ぼすためだ。しかし、わたしはあなたを大いなる国民としよう」(出エ32:9-10)
と。このとき、モーセはどうしたでしょうか。
自分を「大いなる国民としよう」と言われた神に、感謝したでしょうか。民に裁きを下そうとしている神を、ただだまって見ていたでしょうか。
いいえ、彼は神に嘆願してこう言ったのです。
「主よ。あなたが偉大な力と力強い御手をもって、エジプトの地から連れだされたご自分の民に向かって、どうして、あなたは御怒りを燃やされるのですか。また、どうしてエジプト人が、
『神は彼らを山地で殺し、地の表から絶ち滅ぼすために、悪意をもって彼らを連れだしたのだ』
と言うようにされるのですか。どうか、あなたの燃える怒りをおさめ、あなたの民へのわざわいを思い直してください」(出エ32:11-12)。
モーセの嘆願の言葉は、じつに知性を尽くしたものでした。彼は、もしシナイ山のふもとでイスラエル民族が滅びるようなことがあれば、きっと周囲の国々は、
「神は悪意をもって、民をエジプトから連れだしたのだ」
と思うでしょうと言って、神に迫ったのです。
またモーセは、かつて神ご自身が語った約束の御言葉をも、持ち出しました。
「あなたのしもべアブラハム、イサク、イスラエルを覚えてください。あなたはご自身にかけて彼らに誓い、そうして彼らに、
『わたしはあなたがたの子孫を空の星のように増やし、わたしが約束したこの地をすべて、あなたがたの子孫に与え、彼らは永久にこれを相続地とするようになる』
と仰せられたのです」(出エ32:13)。
モーセはこう言うことによって、神に、
「どうかご自身をウソつきにしないでください」
と語ったわけです。彼は「破れ口」に立ちました。神と人との間に「石垣をつくり、破れ口を修理する者」となったのです。
神はモーセの言葉を聞いて、不快に思われたでしょうか。いや、そうではありませんでした。神はむしろ、彼の言葉を快く思われたに違いありません。モーセはさらに神の前に進み出て、こう祈りました。
「ああ、この民は大きな罪を犯してしまいました。自分たちのために金の神を造ったのです。今もし、彼らの罪をお赦しくださるものなら――。しかし、もしも、かないませんなら、どうかあなたがお書きになったあなたの書物(いのちの書)から、私の名を消し去ってください」(出エ32:31-32) 。
モーセは、もし自分の願いがかなえられないならば、
「どうか私の名を、いのちの書から消し去ってください」
とまで言ったのです。彼は民のために、自分の命までもかけて、とりなしました。その日、民の犯した罪のために、約3千人が死にました(出エ32:28)。
彼らはモーセの最後の警告にも従わず、主に身を捧げなかった人たちです。しかし神は、ついに民全員を滅ぼすことは、なさいませんでした。
「主は、その民に下すと仰せられたわざわいを、思い直された」(出エ32:14)のです。
アロン
アロンは、モーセの兄でした。アロンも、出エジプトをした人々の中にいましたが、シナイ山のふもとで民と共に金の子牛を造ることを手伝うなど、優柔不断な面も持っていました。
しかし彼はあるとき、モーセと共に素晴らしい働きをなしました。出エジプト後、イスラエルの民が荒野にいるときのことでした。
民は、罪を犯したのみならず、モーセとアロンに不平不満をぶちまけて、つぶやいたのです。そのとき神罰が、民の間に始まりました。モーセはアロンに言いました。
「火皿を取り、祭壇から火を取ってそれに入れ、その上に香を盛りなさい。そして急いで会衆のところへ持っていき、彼らの贖いをしなさい」(民数16:46)。
アロンはモーセに命じられたようにし、火皿を取って、会衆の真ん中へ走って行きました。見ると、もう神罰が始まっていました。
おそらく、なにかの恐ろしい病気のようなものが、広がり始めていたのでしょう。すでに1万4700人が死んでいました。
アロンは急いで、民のために、そこで贖いをしました。彼は「破れ口」に立ったのです。聖書は記しています。
「彼が、死んだ者たちと生きている者たちとの間に立ったとき、神罰はやんだ」(民数16:48)
と。
パウロ
つぎに、キリストの使徒パウロを見てみましょう。
パウロは、もともと名を「サウロ」といい、イエス・キリストの信者に対する熱心な迫害者でした。彼は、クリスチャンたちを迫害する者たちのリーダーだったのです。
しかしある日、キリストご自身がパウロに現われ、彼の目を開き、彼をご自身の使徒として任命されました。
パウロはクリスチャンとなり、初代教会において、最も力ある使徒となりました。新約聖書中の多くの手紙は、彼が記したものです。
パウロが語ったキリストの福音は、おもに異邦人(ユダヤ人から見て外国の人々)のほうに、爆発的に広がっていきました。
彼はユダヤ人にも語ったのですが、回宗者は、異邦人に比べるとずっと少なかったのです。パウロはつねに、このことを心に痛みとして持っていました。彼はこう語りました。
「私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。もしできることなら、私の同胞、肉による同国人(ユダヤ人)のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです」(ロマ9:2-3)。
パウロは、もしできることなら、ユダヤ人の救いのために自分が身代わりになりたい、とまで述べました。これはまさに、かつてモーセが、
「もしも、かないませんなら、どうかあなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください」
と言ったのと同じ心です。パウロはそれほどに、ユダヤ人の同胞のために、その救いを願っていたのです。
このように願うパウロに対し、神は一つの啓示をお与えになりました。パウロはその啓示について、次のように語りました。
「兄弟たち、私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。・・・その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは、異邦人の完成のなる時までであり、こうしてイスラエル人はみな救われる、ということです」(ロマ11:25-26) 。
つまり、福音はまず異邦人に伝えられる。そののち、イスラエル人に回心の時が来るというのです。
神は、イスラエル人を捨てたのではない。キリスト再臨(再来)の時に、イスラエル人の間に神は、大規模なリバイバル(信仰復興)を起こされる。こうして異邦人もイスラエル人も、ともに主にあって一つの民となる、というのです。
パウロは、ひとりひとりの魂に対して、深い愛をもって伝道していました。人々の救いのためには、この身がのろわれることもいとわない、と言ったパウロの心は、すべてのクリスチャンが学ぶべきものではないでしょうか。
彼はつねに、「破れ口を修理する者」の心をもって伝道したのです。
また私たちは、ソドムとゴモラの人々のためにとりなしをしたアブラハムに、学ぶべきでしょう。さらには、罪を犯したイスラエル民族のために「破れ口」に立ったモーセやアロンの行為を、私たちは忘れるべきではありません。
神は今も、ご自身の前で「石垣を築き、破れ口を修理する者」を、人々の間に捜し求めておられるのです。
主イエス
最後に、私たちの主イエスについて見てみましょう。
主イエス・キリストもまた、人々のために「破れ口」に立ったおかたです。そしてイエスによる「破れ口」の修復は、全世界・全時代のすべての人のためでした。
主は、永遠において父なる神より生まれ出た「神の御子」であって、神人両性を持つかたです。このかたが、私たちを罪と滅びから救うために、世に来られました。
「ことば(神の御子キリストをさす)は、人となって、私たちの間に住まわれた」(ヨハ1:14)
と聖書に記されています。御子は、天において父なる神と共におられましたが、人間の肉体をとって、世に来てくださったのです。
それは神と人との間に立って、その「破れ口」を修復するためでした。イエス・キリストは、私たちのために「仲介者」(Tテモ2:5)となられたのです。
キリストは、罪人である私たちに神の裁きが下らないようにと、大手を広げて「破れ口」に立ってくださいました。それが、あの十字架です。
十字架刑は、当時のローマ帝国における極刑でした。それは最も悲惨な苦しみをともなう死刑として、極悪人にのみ使用されていました。
その十字架刑に、罪のない、清い神の御子がかかられたのです。キリストはその両手を大きな太い釘で打ち抜かれ、十字架の横木に打ちつけられました。
またおそらく足も、釘で木に打ちつけられたでしょう。キリストの十字架の両横には、ふたりの強盗が十字架につけられました。ひとりは右に、ひとりは左に。
こうしてカルバリの丘に、3本の十字架が立てられたとき、キリストは十字架上でこう叫ばれました。
「父よ(神よ)、彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)。
――この「彼ら」とは、誰だったでしょう。それは、直接的にはキリストを十字架刑に追いやったユダヤの指導者たちであり、ローマ兵たちだったでしょう。
また、ローマ総督ピラトが「この人を見よ」と言ってキリストを群衆の前に出したとき、「彼を十字架につけよ」と叫んだすべての人々をさしていたでしょう。
しかし、「彼ら」とはそれだけではないのです。ユダヤの人々は単に、キリスト当時のユダヤに、たまたま生きていたというにすぎません。
「彼ら」とはそのユダヤの人々だけでなく、全世界・全時代の、神に背いて生きるすべての人々をさしていたに違いないのです。すなわち、それは私たちをも含んでいました。
聖書は、
「このかたこそ、私たちの罪のための――私たちの罪だけでなく全世界のための――なだめの供え物なのです」(Tヨハ2:2)
と言っています。キリストはすべての罪人のために、身代わりとなって死んで下さいました。神と人との間の「破れ口」に立って下さったのです。そして、
「父よ、彼らをお赦しください」
と言って、私たちのためにとりなしの祈りを捧げて下さいました。これについて、聖書は言っています。
「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。・・・そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたはいやされたのです」(Tペテ2:24)。
キリストの犠牲の血潮のゆえに、私たちは「最後の審判」のとき、神の裁きから救われます。
私たちが救われるのは、私たちが正しい者、良い行ないをする者だからではありません。破れ口に立たれたキリストの血潮により、神の裁きは、私たちの上を過ぎ越すのです。
久保有政著
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