神の父性と母性
神は単なる厳父ではない。慈母のようなかたでもある。
ラファエロ画
〔聖書テキスト〕
「あなたがたは荒野で、あなたの神、主が、人のその子を抱くように、あなたを抱かれるのを見た。あなたがたがこの所に来るまで、その道すがら、いつもそうであった」(申命記1:31)。
カトリックには、「聖母マリアへの信仰」というものがあります。これはプロテスタントには、ないものです。
とはいえカトリックにおいても、聖母信仰や聖母崇拝が、ずっと昔から正式に認められていたわけではありません。西欧のカトリック教会では、聖母信仰は正式・公式には、長い間認められていませんでした。
比較的最近の1858年になって、法王ピオ9世が、マリアの「無原罪説」(マリアには原罪がないとする説)を採用しました。
また第2次大戦も終わった1950年に、ピオ12世が「聖母被昇天」(マリアは死後、その肉体と霊魂が天使たちによって天に引き上げられたという説)を認めるようになりました。
カトリックでは、三位一体の神信仰にマリア信仰を加えた。
――フランスのカトリック教会にある彫刻。
このように聖母信仰がカトリックの正式教理となったのは、つい最近のことです。 それ以前は、聖母信仰はカトリック教会が黙認こそすれ、正式なものとしては採用していませんでした。
庶民の間には母なる宗教への根強い願いがあって、カトリックはやがてそれを取り入れざるを得なくなり、ついに聖母信仰を正式に採用したというわけです。
これについてあるカトリックの信者は、こう言っています。
「キリスト教は、父・子・聖霊の三位一体の神信仰に聖母信仰を加えることで、はじめて父の宗教と母の宗教の両方を兼ね備えるようになった。
『怒り、裁き、罰する』父の宗教だけでは、人間は辛くてたまらない。また『ゆるし、慰め、共に苦しんでくれる』母の宗教だけだと、人間はいい気になる。この二つが合わさって、我々の宗教心理は満たされるのだ」。
一方、プロテスタントの信者は、カトリックの聖母信仰についてこう言っています。
「母なる宗教への人々の願望は、理解できないものではない。また、マリアは良き信仰を持った、すばらしい女性であった。
しかしマリアに向かって祈ったり、マリアを崇拝の対象とすることは、偶像崇拝に等いことである。聖書は、神だけが礼拝されるべきであると言っている
(黙示22:8-9参照) 。
また聖書は、神と人の間の仲介者として、イエス・キリストだけを認めている(Iテモ2:5)。いかなる人間も、人間以上の者としての取り扱いを受けてはならない」。
こうしたプロテスタントの主張を聞くと、多くのカトリック信者がこう言います。
「なるほど、プロテスタントが聖母崇拝を認めないのには、それなりの合理的理由がある。しかし、母なるものを取り去ったプロテスタントは、何とも言えぬ寂しさが感じられてならない」。
母なるもの
以前聞いた話に、戦争中の日本兵たちの中には、息をひきとろうとする時に、
「お母さん」
と、かすかに呟いて世を去っていく者が少なくなかった、といいます。「母」は、多くの人にとって永遠の宗教的存在です。
人々は宗教の中にも、母なるものを求めるものです。私はカトリックの聖母信仰を認めるものではありませんが、聖母信仰は、そうした人々の宗教的要求に応えたものと言えるかもしれません。
こうした事情は、仏教でも同様のようです。仏像の中には、しばしば非常に女性的な姿をしたものがあります。とくに観音菩薩(観世音菩薩)などは、女性と思えるほどです。
しかしじつは、仏教の教理では、仏も観音もみな男性なのです。仏教研究家ひろさちや氏は、こう言っています。
「観音様はやさしい姿で、女性的です。・・・・けれども仏教の教理によりますと、菩薩はすべて男性です。したがって観音様も、基本的には男性なのです」。
このように観音が、本当は男性なのに、女性的な姿につくられているのは、宗教の中に母なるものを求める人々の心に合わせたもの、と言えそうです。
観音像は、女性的な姿につくられている。
しかし仏教の教理によれば、観音は菩薩であり、
菩薩や仏はみな男性なのである。
しかし仏教のことはともかく、ここでキリスト教における母なるものについて、考えてみたいと思います。
私は、先に述べたカトリック信者の気持ちが、わからないでもありません。宗教において、母なるものは確かに大切なものです。
しかしだからといって、マリアに祈ったり、マリアを崇拝したりすることは聖書の教えに反していると私は考えるので、聖母崇拝はしたいとは思いません。
私はむしろ、聖母崇拝というものが人々の間にあるのは、神ご自身に対する誤解に発していると考えています。
多くの人は、旧約の神は厳格で、怒りやすく、人々を厳しく裁くだけの神だと、誤解しています。神は単に「厳父」である、と思っているのです。
しかし、神を単なる「厳父」ととらえる見方は、神の一面しかとらえていません。旧約聖書の中に、こういう言葉があります。
「あなたがたは荒野で、あなたの神、主が、人のその子を抱くように、あなたを抱かれるのを見た。あなたがたがこの所に来るまで、その道すがら、いつもそうであった」(申命1:31) 。
これは、イスラエルの民が出エジプトをして40年間荒野を流浪したのち、カナンの地を目前にして、指導者モーセが民に向かって語った言葉です。
この荒野の流浪の時期に、イスラエルの民は、神からの様々の裁きを経験しました。その40年のあいだに、罪を犯したイスラエル人の多くが、神の裁きによって死にました。にもかかわらず、モーセはその40年の終わりに、人々に向かって、
「あなたがたは荒野で、あなたの神、主が、人のその子を抱くように、あなたを抱かれるのを見た」
と語ることができたのです。
「人のその子を抱くように・・・・」という言葉は、まさに、母が子を抱く姿を想像させないでしょうか。
ミケランジェロ作「ピエタ」――
イエス・キリストの遺体を抱く母マリア。
もちろん、父も子を抱きます。しかし子を、最も多く長い時間抱くのは、やはり母でしょう。私はこの句の中に、「慈母」としての神を感ぜずにおれません。慈愛深き母のようなかたとしての神です。
またイザヤ書では、
「母がその子を慰めるように、わたし(神)もあなたがたを慰める」(66:13)
と言われています。
私たちは神を、ふつう「天のお父様」と呼びます。主イエスも、そう呼ばれました。
しかし、神が「天の父」という言葉で呼ばれているのは、人間にわかる言葉にするためであって、本当は神は慈母のようなおかたでもあるのです。
つまり、神はすべてであって、父性的であるばかりでなく、同時に永遠に母性的なかたでもあるのです。
神の“母性”
神は、ご自身のかたちに似せて、人を男女にお造りになりました。
「神は自分のかたちに、人を創造された。すなわち神のかたちに創造し、男と女とに創造された」(創世1:27)
。
また、
「万物は神からいで・・・・」(ロマ11:36)
と記されています。つまり人の男女の起源が神の内の「かたち」にあるなら、神のうちには男性的なものと女性的なものの双方がある、ということです。つまり父性的なものと母性的なものとがある、ということです。
人において、女エバは男アダムから造られました。つまり人においては男が主体であるので、私たちは神を呼ぶとき、神を男性的に呼んで「天の父」と呼びます。しかし本当は神の中には、永遠に母性的な部分もあるのです。
詩人ゲーテは、
「神は永遠に母性的である」
と言いました。私はそれに同感です。私の人生をかえりみても、神が私を、ちょうど母が子を抱くように抱いておられたと感じたことが、何度もあります。
また旧約聖書の中に、こう記されています。
「主よ、あなたはあわれみと恵みに富み、怒りをおそくし、いくつしみと、まことに豊かな神でいらせられます」(詩篇86:15)。
これを祈ったのは、イスラエルの王ダビデです。彼はある日、大きな罪を犯し、神からの厳しい叱責を受けました。
しかし彼は、自分の人生をあとで振り返ってみたとき、慈愛に富む神の御手を感じ、上のように祈ることができたのです。これはもはや厳父としての神ではなく、慈母のようなかたとしての神です。
旧約の神は、厳父で怒りやすい神だというのは、誤解なのです。神は、旧約の時代も新約の時代も、「あわれみと恵みに富み、怒りをおそくし、いつくしみと、まことに豊かな神」でいらせられます。
また主イエス・キリストは、あるとき次のように言われました。
「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、私はおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう」(マタ23:37)。
エルサレムは、神の聖都としてたてられた都でありながら、そこでは多くの預言者の血が流されました。それを思い、キリストは、
「めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、私はおまえの子らを幾たび集めようとしたことか」
と嘆かれたのです。
何か危険が迫ったり、または寒い北風が吹きつけるようなとき、めんどりはひなを自分の翼の下に集めるものです。それは自分の子らに対する、一つの母性本能なのです。
「ああ、エルサレム、エルサレム。・・・ちょうど、めんどりが
翼の下にそのひなを集めるように、私はおまえの子らを
幾たび集めようとしたであろう」。
それと同じように、天におられたキリストは、ご自分の子らである人々を、ご自分のみもとに集めようと何度も努力されました。キリスト、および神は、一種の母性本能のような思いをもって、人々を愛しておられるのです。
同様のことが、旧約聖書にも記されています。
「エフライムは、わたし(神)の大事な子なのだろうか。それとも、喜びの子なのだろうか。わたしは彼のことを語るたびに、いつも必ず彼のことを思い出す。それゆえ、わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない」(エレ31:20)。
「エフライム」とは、イスラエルの分裂王国時代における、北王国イスラエルのことです。エフライムはイスラエル10部族のかしらの部族だったので、エフライムと言えば北王国イスラエル全体をさしたのです。ここで、
「わたし(神)のはらわたは彼のためにわななき・・・・」
と言われています。これは背信のエフライムに対する、神の「はらわた痛む」ような愛を告白したものです。
「断腸の思い」という言葉があるように、まさに神は、「はらわた痛む」「断腸の思い」をもって人々を愛しておられるのです。
子が罪の中を歩んでいれば、その父は、深い悲しみの中に閉ざされるでしょう。しかし母は、父以上の断腸の思いをもって、子を思うのではないでしょうか。食べる物も喉を通らず、あまりの辛さのゆえに、体に変調をきたすことさえあるのです。
神は、そのような母性的な思いをもって、人々を、私たちを愛しておられます。神は、永遠に母性的なかたなのです。
神は「はらわた痛む」愛をもって人々を愛しておられる
私は、次のような実話を聞いたことがあります。
ある若い男がいました。彼は不良仲間の感化を受けて、しだいに、ぐれた生活をするようになりました。彼の母親は、そうした彼の生活を見ながら、心を痛めていました。
彼はやがて、最も凶悪な犯罪を犯してしまいました。人を殺したのです。彼は警察につかまり、裁判にかけられました。証拠は歴然としていました。
裁判で人が、彼に不利な証言をするたびに、母のほうがより強く痛みを感じているようでした。
ついに、彼に対する有罪が決定し、死刑の宣告が下されました。人々はその宣告に満足しました。けれども母は、たじろがず、赦しを懇願しました。
それは、受け入れられませんでした。ついに刑が執行され、その後母は、遺体の下げ渡しを願いました。それも許されず、遺体は慣習にしたがって、監獄の庭に葬られました。
しばらくして母は亡くなりました。しかし彼女は臨終のとき、ただ一つ遺言を残しました。彼女はその遺言の中で、自分が息子のかたわらに葬られることを、願ったのです。
彼女は、自分が殺人犯の母と知られることをも、恥じませんでした。母には、このような愛があります。
「わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにいられない」(エレ31:20)。
北王国イスラエルの人々は、神に徹底的に背き続けました。しかしそのような人間を見ても、なお、神は、
「わたしは彼をあわれまずにはいられない」と言われました。これは先の母親と同じ心です。
どんなに出来の悪い子でも、どんなに大きな罪を犯した子でも、わが子のためには断腸の思いでその救われることを願う・・・・そうした慈母の心です。
今日も、多くの人々は神に背き続けています。しかし神は、同じように断腸の思いで、人々が神に立ち返るのを待ち望み、人々を心底愛しておられるのです。
「女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子をあわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしはあなたを忘れることはない。見よ、わたしは、たなごころ
(手のひら) にあなたを彫り刻んだ」(イザ49:15)
と神は言われています。神はこのように、父性的な面ばかりでなく、ひじょうに母性的な面も持ったかたなのです。
結局、神の中には、すべてがあります。私たち人間は、男性か女性かのいずれかですが、神はどちらかの性質にかたよっているかたではなく、その内にすべてを有しておられるのです。
久保有政著(レムナント1993年2月号より)
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