キリスト


キリスト論
 キリストのご生涯とその事業、キリストの十字架、
キリストの復活・昇天・他


  イエスはキリストである。 
 ギルランダイオ画『聖ペテロと聖アンデレのお召し』

 イエス・キリストは、人を罪と滅びから救うために神がお遣わしになった、救い主である。彼は神のご計画のうちに降誕し、聖と義と愛の生涯を送り、十字架の死を遂げ、復活し、四〇日地上におられたあと昇天して、今も生きておられる。


一 イエスはキリストである

 救い主のことを、ギリシャ語で「キリスト」、ヘブル語で「メシヤ」という。これらはもともと「油注がれた者」の意味であるが、神から任命された救い主を表す称号として用いられている。
 イスラエルでは、王や大祭司はその任命式において、任命を表すために頭に油を注がれた。救い主イエス・キリストは、真の王、真の大祭司として来られたかたなのである。
 「イエス」は名前(固有名詞)であり、「キリスト」は称号である。たとえば「太閤秀吉」という場合に、「太閤」が称号で「秀吉」が名前であるのと同じである。「天皇裕仁」という場合も、「天皇」は称号で、「裕仁」は昭和天皇個人の名前である。そのほか、聖書に出てくる「パロ」はエジプト王の称号、「カイザル」はローマ皇帝の称号である。
 「キリスト」は神から遣わされた救い主を表す称号であって、イエスをキリストと呼ぶのがキリスト教である。


二 キリストの先在

 イエス・キリストは、「神のひとり子」(ヨハ一・一八)であって、今から約二千年前に肉体をとって地上に降誕する以前から、神のみもとで存在しておられた。これをキリストの「先在」という。
 キリストは、アブラハム以前から存在しておられた。「アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです」(ヨハ八・五八)
 また、宇宙創造の前から存在しておられた。
 「今、父(なる神)よ。みそばで、わたし(イエス)を栄光で輝かせて下さい。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください」(ヨハ一七・五)
 神の御子キリストは、降誕以前は霊の状態で、神と共におられたのである。それは人間となる以前だったので、まだ人としての姿形や性質を持っておられなかった。


三 受肉

 キリストは、今から約二千年前に、肉体をとり、人となって地上に来られた。これをキリストの「受肉」、または「降誕」という。
 「ことば(神のことば=キリスト)は、人となって私たちの間に住まわれた」(ヨハ一・一四)
 「人となって」の原語は、「肉体となって」である。彼は肉体を着て地上に来られ、天の御使いの指示により「イエス」と名づけられた(マタ一・二一)
 人の世界におけるイエスの両親となったヨセフとマリヤは、共にダビデ王の子孫であり、ユダ族出身であった。このことは、旧約聖書の中に予言されていた。
 「王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民はに従う」(創世四九・一〇 紀元前一八五〇年頃の予言)
 「シロ」は平和の意味だが、「彼」とも呼ばれているように、人物をさし、真の平和をもたらす者=キリストのことである。
 キリストが、ユダヤのベツレヘム村に降誕されることも、予言されていた。
 「ベツレヘム・エフラテよ(ベツレヘムの古名)。あなたはユダの氏族の中で最も小さい者だが、あなたのうちから、わたし(神)のためにイスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。・・・・は立って、主の力と、彼の神、主の御名の威光によって群れを飼い、彼らは安らかに住まう。今や、彼の威力が地の果てにまで及ぶからだ」(ミカ五・二〜四 紀元前七〇〇年頃の予言)
 さらに、キリストが処女を通してこの世に誕生されることも予言されていた。
 「主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける」(イザ七・一四 紀元前七三〇年頃の予言)
 イエス・キリストは、聖霊によってみごもった処女マリヤから誕生された。聖霊という"神のもの"と、処女マリヤの胎という"人のもの"の双方を通して、この世に誕生されたのである。
 これは、イエスが神性と人性を有する"神・人"であられるからである。彼が人の間に住まわれたことにより、「インマヌエル」(神われらと共にいますの意)の事実が成就した(ヨハ一・一四、黙示二一・三)
 キリストの受肉は、人々の間に、神を完全に啓示するためであった。
 「わたし(キリスト)を見た者は、父(神)を見たのです」(ヨハ一四・九)
 イエスは、神を私たちに身近にして下さった。彼は人間の苦しみも悲しみも、みな知り尽くしておられる。
 「私たちの大祭司(キリスト)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです」(ヘブ四・一五)
 キリストの受肉はまた、彼の働きにより、人々を神に立ち返らせるためであった。
 「あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分の魂の牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです」(一ペテ二・二五)


四 生涯

(1) 幼少の時代

 イエスは、幼少の頃から、ご自分がキリストであるとの意識を持っておられた。イエスは一二歳のときに、人の世界における両親ヨセフとマリヤに、
 「わたしが必ず自分の父(神)の家にいることを、ご存じなかったのですか」(ルカ二・四九) と言われた。彼は神を「自分の父」と明確に意識しておられたのである。


フランシスコ・デ・スルバラン『ナザレの家の聖母とキリスト』  
イエスの少年期を日常的情景として描くことは、
17世紀スペインで多く見られた。この作品は、
茨の冠を編むうちに指を刺した少年イエスの姿を見て、
来たるべき受難を予見した母マリヤが
悲しみの涙を流すという場面を描いている。


(2) 公生涯

 イエスは三〇歳の頃に公生涯に入り、約三年半におよぶ活動を開始された。
 「イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをなおされた(マタ九・三五)
 この聖句は、イエスのなさった三大活動が教え(教育)、宣教、また病のいやしであったことを示している。


ストロッツィ『ザアカイの回心』。
イエスの3大活動は、愛の教え、
福音宣教、病のいやしであった。

 はじめに"教え"について見れば、主イエスの教えの中心は、愛であった。
 「イエスは彼に言われた。『「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」。これが大切な第一の戒めです。「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という第二の戒めも、それと同じように大切です。律法全体と預言者(「律法全体と預言者」とは旧約聖書のこと)とが、この二つの戒めにかかっているのです」(マタ二二・四〇)
 イエスは、神への愛と隣人愛をお教えになった。イエスはまた、これをお教えになるだけでなく、その模範を示された。
 「わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハ一三・三四)
 つぎに、イエスの三大活動のうち"宣教"について見れば、主イエスの宣教は「御国の福音」の宣教であった。主は来たるべき神の国を宣べ伝えられたのである。
 「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい」(マコ一・一五)
 この「神の国」とは、何だろうか。
 「神の国」という訳語は、あまり適切ではなく、このギリシャ原語はむしろ「神の王国」と訳すべきものである。「国」というと、今日の私たちは民主主義の国を思い浮かべやすい。しかし「神の王国」は、神を王とする神政政治の国なのである。
 また「神の王国」のギリシャ原語は、「神の支配」とも訳すことができる。それは土地のことではなく、神の支配、また神の支配の及ぶ領域をさす。「神の国」の本質は、王なる神による全き支配である。
 地上は現在、神の全き支配の中にはない。もし地上が神による完全な支配の中に入れば、すべての罪人は即座に滅びてしまうだろう。神は義なる方だからである。
 しかし、神の全き支配はいずれ地上に臨まなければならない。その時は近いのである。だからキリストは、罪人が贖われる(救われる)道を開くために、世に来られた。
 「人の子(キリスト)が来たのは・・・・多くの人のための贖い(救い)の代価として、自分のいのちを与えるためである」(マタ二〇・二八)
 キリストは、やがて神の全き支配が地上に臨んだとき、人々が滅ぼされず、神に受け入れられて御国とその至福に入れるよう、その道を開くために来られたのである。
 その道とは、キリストの十字架死による「罪の贖い」と、彼の復活であった。これらのみわざにより、罪人が贖われて神の王国に入ることが可能になる。
 つぎに、イエスの三大活動のうちの残りである"病のいやし"すなわち奇跡について、見てみよう。


(3) イエスの奇跡

主要な奇跡は五つの時代に集中した。
 イエスは公生涯において、多くの奇跡・・・・とりわけ、病気のいやしの奇跡をなされた。ある人々は、「聖書は奇跡だらけだ」と思うかも知れない。
 しかし、実際はそうではない。聖書中、主要な奇跡がなされた時代は五つに限られる。


聖書に記された主要な奇跡は、5つの時代に集中した。

 第一の時代は、モーセとヨシュアの時代であった。エジプトへの災い、紅海やヨルダン川に道が出来ること、そのほか多くの奇跡がなされた(紀元前一四五〇年頃)
 第二は、預言者エリヤとエリシャの時代であった。らい病人のいやし、死んだ少女のよみがえり等の奇跡が行なわれた(紀元前八五〇年頃)
 第三は、南王国ユダの王ヒゼキヤの時代であった。このとき、日時計の影が十度戻るという奇跡があった(紀元前七〇一年)
 第四は、預言者ダニエルの時代であった。三人の人物が燃えさかる炉の中に入れられたのに、火傷一つ負わなかった等の奇跡があった(紀元前五五〇年頃)
 そして第五が、イエスとその弟子たちの時代である。病気のいやし、悪霊の追放、死人のよみがえり等、数多くの奇跡が行なわれた(紀元三〇年頃)
 もちろん、これらの時代以外にも奇跡的なこと──たとえばアブラハムの妻サラが九〇歳で子どもを産んだ、というようなことはある。また今日でも奇跡はある。しかし、聖書に記された主要な奇跡は、これら五つの時代に集中したのである。
 これらの時代は、いずれも特別な時代であった。第一の時代は、イスラエル民族が独立すべき大きな時代の転換期であった。第二、第三、第四は、いずれも民族の危機の時代であった。
 そして第五の、イエスと弟子たちによる奇跡の時代は、まさにそこからキリスト教が始まるわけで、大きな時代の転換期であった。これらの時期には、神の大きな介入が必要とされたのである。
 しかもこれらの時代は、それぞれ紀元前一四五〇年頃、八五〇年頃、七〇一年、五五〇年頃、紀元三〇年頃というように、その間隔を見れば、約六〇〇年、一五〇年、一五〇年、六〇〇年であった。すなわち、間隔の比率は四・一・一・四であり、これらの比率の数をすべて足すと、完全数一〇になる。
 これらの年代はみな、聖書の記述と考古学等により、一般的によく認められたものである(モーセの時代は紀元前一二〇〇年代との説もあったが、これは聖書の記述から見ると誤りである・・・・一列王六・一。また、これが紀元前一四五〇年頃だという説を裏づける考古学的資料も、多数出土している)
 したがって、イエスが多くの奇跡をなされた目的の一つは、人々に新しい時代の開始を告げるということにあった。


イエスの奇跡は、新しい時代の到来を告げるものであった。
                            ラファエロ画『奇跡の大漁』


メシヤであることの実証
 つぎに、イエスが奇跡をなされた第二の目的は、ご自身が来たるべきメシヤ(キリスト)であることを人々に示すためであった。
 ある日、バプテスマのヨハネが「おいでになるはずの方は、あなたですか」とイエスに尋ねたとき、イエスは答えられた。
 「盲人が見、足なえが歩き、らい病人がきよめられ、つんぼの人が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者には福音が宣べ伝えられているのです」(マタ一一・五)
 この言葉は、イエス到来の約七五〇年前に預言者イザヤが述べた、次の言葉に関連して言われたものである。
 「そのとき盲人の目は開かれ、耳しいた者の耳はあけられる。そのとき足なえは鹿のようにとびはね、おしの舌は喜び歌う。・・・・主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた」(イザ三五・五、六一・一)
 すなわちイエスは、ご自身がまさにイザヤの予言したメシヤであるという実証として、多くの奇跡をなさったのである。

神の国の宣教のために
 さらに、イエスの奇跡は、人々に神の国がどんなものかを見せ、神の国が近づいたことを実証するためになされた。
 読者は、病気のいやし等の奇跡をなされたのは、イエスの憐れみを人々に示すためであった、と思うかも知れない。たしかに、イエスは「彼らを深く憐れみ」奇跡をなされた、と福音書に記されている。だから、憐れみが、その人に奇跡をなす深い動機となったことは疑い得ない。
 しかし憐れみを示すことは、イエスが奇跡をなされた第一の目的ではなかった。なぜなら、それが目的ならば、イエスは全世界のすべての病人をいやさなければならなかった。しかし、イエスはイスラエル以外にはほとんど行こうとはされなかったのである。
 イエスの奇跡はむしろ、神の国がどんなところかを人々に見せ、その到来が近づいたことを実証するためであった。
 「わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです」(マタ一二・二八)
 病のいやしや、悪霊追放が行なわれるところに、神の国の生命の躍動、充実、また恵みに満ちた祝福は、すでにその姿を見せている。足なえが歩きだし、盲人が光を見、死人が生き返ったとき、彼らは、
 「来たるべき世の力を味わった(ヘブ六・五)
 イエスは、神の国とはどんなところかを示すために、奇跡という"視聴覚教材"を使われたのである。だから、イエスは弟子たちに奇跡をなす権威を授けて町々に遣わされたときに言われた。
 「行って、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をなおし、死人を生き返らせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出しなさい」(マタ一〇・七〜八)
 来たるべき天国が、いかに生命と祝福に満ちた国であるかを見せるため、また天国が近づいたことを実証するために、これらの奇跡をなせ、と命じられたのである。このようにイエスの奇跡は、神の国の宣教の一部として行なわれた。


(4) 踏み直しの生涯

 さらに、イエス・キリストのご生涯には、"踏み直し"の生涯としての側面がある。
 イエスは誕生後まもなく、領主ヘロデの迫害をのがれるため、両親に連れられてエジプトに行き、そこにしばらく滞在された。
 これはじつは、"真のイスラエル"であるイエスご自身が、かつてイスラエル民族のなしたエジプト滞在の経験を"踏み直す"ためであった。これについてマタイ二・一五に記されている。
 「ヨセフは立って、夜のうちに幼な子(イエス)とその母を連れて、エジプトに立ちのき、ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは主が預言者を通して、『わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した(ホセ一一・一)と言われた事が成就するためであった」。
 『 』内の言葉は、ホセア一一・一の言葉であって、直接的には、イスラエル民族の出エジプトの経験を言ったものである。ところが、これがイエスにおいて「成就した」と言われているのは、イスラエル民族の出エジプトが予型的性格をもっていたからで、イエスがこの経験をご自身の生涯において"踏み直された"からである。


ヨセフとマリヤは、幼子イエスを連れてエジプトへ
避難した。エジプトへのこの避難は、かつての
イスラエル民族の経験を踏み直すという意味を持っていた。

 また、かつてイスラエル民族は出エジプト後、紅海渡渉をした。紅海渡渉は、彼らにとって一種の「バプテスマ」の経験だったと、聖書は述べている(一コリ一〇・二)。こののちイスラエル民族は、四〇年におよぶ荒野流浪に入った。
 だから、同様にイエスは、真のイスラエルとして、イスラエル民族のこれらの経験を踏み直された。彼は公生涯に入ったとき、バプテスマのヨハネからバプテスマを受け、さらにその直後に四〇日におよぶ荒野滞在に入られた。
 「そして(バプテスマのあと)すぐ、御霊はイエスを荒野に追いやられた。イエスは四〇日間荒野にいて・・・・」(マコ一・一二〜一三)
 これは、イスラエル民族の経験を踏み直すためであった。イエスは、真のイスラエルとして公生涯に入られたのである。
 またイエスは、四〇日におよぶ荒野滞在ののち、サタンによる誘惑を受けられた。これはかつて、人類の始祖アダムが受けた誘惑の経験を踏み直すためであった。
 アダムは、禁断の実を「食べてはならない」という神のみことばを無視して、罪を犯した。しかしイエスは、サタンの誘惑を受けたとき、神のみことばを引用して、誘惑を退けておられる(マタ四・一〜一一)
 これによって第二のアダムであるイエスは、第一のアダムの犯した失敗を取り戻されたのである。イエスはその後も、神の御前に完全な義の生涯を歩いて見せられた。
 「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした」(一ペテ二・二二)
 アダム以来、そのような人間は、ほかに一人も地上に現われなかった。しかしイエスにおいて、完全な生涯を歩む人間が出現した。


主イエスが神の御言葉をもって
サタンの誘惑を退けたことは、
         アダムの失敗を取り戻すためであった。 
カール・ブロック画

 これは神の御前に、第一のアダムに代わってイエスが、人類の代表となるためであった。第一のアダムに結びつくすべての人が罪と死の中に閉じこめられたように、第二のアダムであるイエスにつくすべての人は、義と命の中に入れられるのである。


(5) 同化と限定の生涯

 イエス・キリストのご生涯には、同化と限定の生涯という側面もある。
 はじめに、イエスは降誕し、受肉された。彼はご自身を、人と"同化"されたのである。
 またイエスは、降誕後八日目に「割礼」を受けられた(ルカ二・二一)。「割礼」は、神がイスラエル民族のしるしとして定められたものである。割礼を受けたことは、イエスがご自分をイスラエル民族と"同化"されたことを意味する。
 またイエスは、公生涯に入られたとき、バプテスマのヨハネからバプテスマ(洗礼)をお受けになった。しかしヨハネが授けていたバプテスマは、「悔改めのバプテスマ(マコ一・四)である。なぜ、罪のない主イエスが「悔改めのバプテスマ」をお受けになったのか。
 本来、イエスにそれは必要ないはずである。イエスはそのときヨハネに、
 「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです」(マタ三・一五)
 と言っておられる。バプテスマの経験は、じつはイエスがご自分を罪人と"同化"するためだったのである。


ヨハネの授けていたバプテスマは、
「悔改めのバプテスマ」であった。にもかかわらず、
イエスがそれをお受けになったのは、
            ご自身を罪人と同化させるためであった。 
レオナルド・ダ・ヴィンチ画

 このように、イエスはまずご自分を人と同化し、つぎにイスラエル民族と同化し、さらに罪人と同化された。しだいにご自分を限定し、小さくしていかれたのである。これを「キリストの自己限定」また「キリストの自己謙卑」という。
 「キリストは神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです」(ピリ二・六〜八)
 キリストの自己限定、謙卑は、さらに極限にまで及んだ。その極限とは死である。死と無縁なおかたが、冷厳な極点である死にまでご自分を限定し、小さくしていかれた。
 しかもその死は、人々の罪に対する身代わりの死であり、刑罰を一身に引き受けるという死であった。彼は人間の悲惨の極限にまで、入って来られたのである。
 そして、ご自分を死と"同化"されたその三日後、彼は死を爆破して、復活された。


五 十字架の死

 キリストの十字架死は、偶発的出来事ではなく、旧約聖書の中に予言され、ご自身も予告しておられたことであって、私たちの救いに関して最も重要な意義を持つ。


ミケランジェロ作「ピエタ」。
キリストの死は、偶然の死でも、
単なる殉教者の死でもなかった。


(1) キリストの死は予言されていた。

 紀元前五五〇年頃、預言者ダニエルは予言して言った。
 「その六二週の後にメシヤ(油注がれた者)は断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません」(ダニ九・二六口語訳)
 また、預言者イザヤは言った。
 「彼が自分の命を死に明け渡し、背いた人たちと共に数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、背いた人たちのためにとりなしをする(イザ五三・一二 紀元前七五〇年頃)
 この予言通り、キリストは二人の盗賊と共に十字架につけられ、「背いた人たちと共に数えられた」。彼は私たちの罪の身代わりとなり、「多くの人の罪を負って」下さった。
 またキリストは十字架につけられたとき、周囲の人々のために「とりなしをして」言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのかわからないのです」(ルカ二三・三四)
 そのほか、キリストが銀三〇シェケルで売られ、その代価で陶器師の地所が買われること(ゼカ一一・一二〜一三、マタ二七・三〜一〇)、キリストが十字架上で言われる言葉(詩篇二二・一、一五、三一、三一・五)、人々が十字架上のキリストをあざけること(詩篇二二・七)、彼の着物がくじ引きにされること(詩篇二二・一八)、キリストの両側の盗賊の骨は折られたのにキリストの骨は折られないこと(出エ一二・四六、詩篇三四・二〇)、やりで突かれること(ゼカ一二・一〇)、彼の死によって罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれること(ゼカ一三・一)等も予言されていた。
 キリストの十字架の死は、キリストご自身も明確に予告しておられた。
 「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子(キリスト)は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます。そして、あざけり、むち打ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します。しかし人の子は三日目によみがえります」(マタ二〇・一八〜一九)
 当時、ユダヤ人の間では、死刑の方法は「石打ちの刑」に決まっていた。しかしキリストは、ご自身が石打ちの刑によってではなく、ローマ式の「十字架刑」によって殺されることを言明されたのである。
 キリストの死に関する旧約聖書、およびキリストご自身の予言は、聖書にある他の予言と同様、一つもたがうことなく、みなその通り成就した。
 キリストは、もし死を避けようと思えば、避ける力をお持ちであった。彼はゲッセマネの園で逮捕されたとき、弟子ペテロに言われた。
 「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。それとも、わたしが父にお願いして、一二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。だが、そのようなことをすれば、こうならなければならないと書いてある聖書が、どうして実現されましょう」(マタ二六・五二〜五三)
 キリストは、もししようと思えば、逮捕から逃れることも、十字架から降りることもできた。しかし彼はそうされなかった。それは旧約聖書の予言が成就するためだったのである。


エル・グレコ画「聖衣剥奪」。
キリストは、十字架からのがれるだけの力をお持ち
であった。しかし、それを行使されなかったのである。


(2) キリストはなぜ詩篇二二 ・一の言葉を叫ばれたか

 キリストは十字架上で、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタ二七・四六)
 と叫ばれた。ある人々は、この言葉をキリストの最後の言葉と思っているが、最後の言葉はこれではなく、
 「父よ、わが霊を御手にゆだねます」(ルカ二三・四六)
 である。しかし、キリストはなぜ、このように悲痛な言葉を叫ばれたのであろうか。
 この言葉は、ダビデの預言詩・詩篇二二篇の冒頭の句である。そこには、
 「わが神、わが神。どうして私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか」
 と記されている。キリストの十字架の死は、神から無限に「遠く離れる」ことであった。それは、神と一体であるキリストが、その親密さを引き裂かれて、霊的に神からの無限の遠きに追いやられることだった。これはキリストに、無限の悲哀をもたらした。
 クリスチャン殉教者にとって、死は神のみもと近くへ行くことである。だから殉教者たちは、みな喜喜として死に就いた。彼らの顔は希望に満ち、天国の平安と、殉教者となり得た光栄に輝いていたのである。
 しかしキリストの死は、単なる殉教者の死とは違った。それは私たちの罪を背負い、私たちの身代わりに、神からの無限の遠きに「捨てられる」ことであった。
 「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの自分かってな道に向かって行った。しかし主は、私たちすべての咎を彼に負わせた。・・・・彼らの咎を彼がになう(イザ五三・六、一一)
 「彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた」(イザ五三・五)
 「キリストは・・・・自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたはいやされたのです」(一ペテ二・二四)
 この身代わりの死は、キリストがご「自分から」志願されたことであった。しかし、幸福の源である父なる神から無限の遠きに追いやられることは、キリストに絶対的悲哀をもたらした。
 「わが神、どうして・・・・」――理由はわかっている。彼は、人々の罪の贖いのために犠牲の死を遂げようとしているのである。しかし、悲しみがあまりに強いとき、その悲しみは「どうして」「なぜ」という叫びにならざるを得ない。
 人が愛する母を失ったとき、「どうして・・・・」と叫ぶのは、理由がわからないからであろうか。人が愛する子を失ったとき、「どうして」と叫ぶのは、理由がわからないからであろうか。
 理由はわかっている。しかし、悲哀があまりに強いとき、それは「どうして」という叫びになってあらわれる。キリストはあの贖いの死の瞬間、激しい悲哀に追いやられた。
 神を恨んでいるのではない。たとえ自分から志願したにしても、愛する神から無限の遠きに行かねばならぬという絶対的悲哀が、そのままこの叫びとなったのである。
 人は、信頼している相手にでなければ、自分の苦悩を訴えたりはしない。キリストが単に「神よ」と叫ぶのではなく、「わが神」と叫ばれたところに、神への信頼があらわれている。


「わが神、わが神、なぜわたしを・・・」。キリストは
神を恨んでいるのではない。その言葉には、
私たちの身代わりに神からの無限の隔たりに
追いやられることの、絶対的悲哀が表されている。

 詩篇二二篇は、「神に捨てられた」と思えるような激しい苦難の中から救い出して下さった神への、感謝と讃美のうたである。十字架上でキリストが言われた言葉「完了した」(ヨハ一九・三〇)も、この詩篇の最後の言葉「主のなされた義」の「なされた」に関連して言われた言葉である。
 キリストは、詩篇二二篇にうたわれた壮大な救いが、ご自身の十字架死によって成就しようとしていることを示された。彼の死は、私たちを救うための身代わりであり、罪の贖いのための犠牲の死だったのである。


(3) 贖罪の死

 「あがない」すなわち「贖罪」とは、もともと"代価を払って買い戻す"ことをいう。
 私たちは、罪の奴隷となり、罪と死の世界に捕らわれていた。しかし、罪のないキリストが私たち罪人の身代わりとなって死なれたことにより、私たちは神のみもとに買い戻された。その際キリストの尊い血潮が、買い戻すための代価、また身代金となった。
 「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現わしなさい」(一コリ六・二〇)
 では、この「代価」は誰に対して支払われたものなのか。一一世紀以前には、この代価は人間に対して支配力を持つサタンに対して支払われたものだ、という説明がしばしば行なわれた。
 しかし、これは間違っている。サタンはやがて滅ぼされるべき者だから、神がサタンに身代金を払う必要は全くない。
 人間を救い出すためのキリストの血潮という代価は、むしろ神ご自身の義を満足させるために、神に対して支払われたものなのである。
 人間の罪は、創造者なる神の栄誉を汚していた。だからその罪のために、何らかの償いが神に対してなされなければならなかった。
 神の義は、人間の罪を放置することができない。罪人を罰しなければならない。もし神が罪を放置するなら、それはもはや正しい神ではない。
 そこで、罪のない神の御子キリストが、私たちの罪を負って身代わりに十字架上で死に、罪の代価を支払われた。私たちの罪は、キリストの十字架において罰せられ、償われたのである。
 十字架により、神の聖と義は全うされた。これによって神は、キリストに従うすべての人々の罪を赦し、義と認めることができる。
 すなわち、キリストの死は神の聖と義を満足させるための「なだめの供え物(ロマ三・二五)、また「和解」の死であった。
 「神はキリストによって、私たちをご自分と和解させ・・・・」(二コリ五・一八)
 「今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです」(ロマ五・九)
 身代わりに死なれたキリストを通して、私たちは義なる「神の怒り」から救われる。キリストの犠牲は、神の聖と義を満足させた。また神の愛を全うした。
 私たちは、キリストを救い主と受け入れ、彼に従っていくことにより、神の御前に罪を赦され、義と認められる。また神と「和解」し、「神との平和」を得る。キリストを通して、神の家族に立ち返ることができるのである。
 キリストの十字架の死には、神の愛が現われている。それは御子キリストの愛であるとともに、父なる神ご自身の愛である。
 「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」(ロマ五・八)
 「神は、じつにそのひとり子(キリスト)をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハ三・一六)
 キリストの十字架において、神の義と愛は互いにクロスした。そして、その双方が全うされた。キリストの十字架は、まさに「神の知恵」だったのである。
 私たち人類の罪は、積もり積もって無限の罪となっていた。それに対する罰は、無限の罰でなければならない。
 したがって、それを身代わりに受けることの出来る人物は、無限の人でなければならない。さらに、その人は自分自身に罪があってはならない。
 これらの条件を満たす人は、受肉した神のひとり子イエス・キリストのほかにおられなかった。キリストは私たちを神に立ち返らせるために、激しい苦難を耐え、この身代わりの死を遂げて下さったのである。


(4) キリストの死は誰のためか

 つぎに、キリストの死は、選ばれた者たちだけのためか、それとも全世界のすべての人のためか、という問題を見てみよう。第一ヨハネ二・二には、
 「この方こそ、私たちの罪のための――私たちの罪だけでなく全世界のための――なだめの供え物なのです」
 と記されている。この意味で、キリストは世界のすべての人の救いのために死なれた。すなわち、もしすべての人がキリストに従うなら、世界のすべての人は救われるのである。
 しかし、すべての人がキリストに従うわけではない。キリストの死はもともとすべての人のためであったが、それが有効となるのは、彼に従う者たちに対してだけである。
 キリストの贖罪は、神から人に与えられたギフトであり、プレゼントである。プレゼントには、差し出す者と、受け取る者とがいる。
 キリストの贖罪というプレゼントは、世界のすべての人の前に差し出された。しかし、それを受け取る意志は、各自が表明しなければならない。受け取る意志を表明した者たちだけに、そのプレゼントは渡される。
 また、こうも言うことができる。人が罪を犯して神に背を向けたとき、神も人に背を向けられた。しかし、キリストの贖罪がなされたとき、神は人に御顔を向けられた。したがって、あとは人が各自の顔を神に向けなければならない。各自が神への信仰に立ち返るとき、贖罪がその人に対して有効となる。
 このようにキリストの贖罪の死は、もともとすべての人のためであったが、それが有効となるのは信仰者に対してのみである。
 「すべての人々、ことに信じる人々の救い主である、生ける神に望みを置いている」(一テモ四・一〇)
 「神は私たちを救い、また聖なる招きをもって召して下さいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みによるのです」(二テモ一・九)


(5) 「共に死ぬ」十字架

 以上述べた事柄だけでなく、キリストの十字架の死は、さらに奥深い内容を持っている。キリストの十字架は、単に身代わりの死というだけでなく、私たちが「共に死ぬ」十字架であった。
 前章「民一論」で述べたように、"キリストの内に全クリスチャンが見られ、また各クリスチャンの内にキリストのかたちが見られる"。キリストとキリスト者とは、時空を越えて一体である。
 キリストは、第二のアダム、また真のイスラエルとなられた。父祖において起こったことは、その民すべてにおいて起こったものとみなされる。キリストにおいて起こったことは、彼の民すべてに起こったものとして見なされる。
 キリストの民は、キリストの内にあって、キリストの出来事をすべて経験したものとされる。あの十字架死のとき、私たちはキリストの内に取り込まれており、キリストと共に死んだ。
 「私たちの古い人がキリストと共に十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています」(ロマ六・六)
 「共に十字架につけられた」というのは、強制的につけられたのである。これはすでに神の側では事実となっているから、この事実は、人間が信仰によって受け取ることによって、その人のものとなる。
 さらに、私たちはキリストと共に十字架につけられたばかりか、キリストと「共によみがえらされた」(二コリ四・一四)。私たちはキリストの十字架の死と復活に、巻き込まれ、参加したのである。
 キリストの十字架は"身代わり"の死であるだけでなく、「共に死ぬ」十字架でもあった。私たちはキリストと共に死に、キリストと共に新しい命によみがえったのである。この事実は、信仰によってその人自身の体験となる。


(6) キリストの死に関する誤った見解

 ここで、キリストの死に関して人々の間に見られた誤った見解について、一べつしておこう。

偶発説
 これは、キリストの死は他の死すべき人間と同様のもので、偶発的出来事であり、意味を持つものではない、とする説である。しかし先に見たように、キリストの死とその意味は旧約聖書の中に予言され、キリストご自身も予告しておられたことであって、偶発的事件ではなかった。

殉教者説
 これは、キリストは単に殉教者として死んだ、とする説である。しかし先に見たように、殉教者たちの死が神の近くへ行くことであったのに対し、キリストの死は、私たちの罪を背負い、身代わりに神からの無限の隔たりに追いやられることであった(詩篇二二・一)

道徳的感化説
 これはたとえば、らい病患者を救うために一生の間らい療園地に入って伝道する宣教師のように、キリストは苦難を乗り越えて神の愛を私たちに伝えて下さったので、それに対する感動が人々を神に立ち返らせ、救うという説である。
 しかし、感動だけでは人は救われない。キリストの死は、私たちを罪と滅びから救うための実質を伴うものであった。彼は、私たちの罪を背負い身代わりに死んで贖いを全うされたのである。
 感動は人を悔改めと信仰に導くが、その信仰者を実際に救いに入れるのは、罪のないキリストが身代わりの死を遂げられたという事実なのである。

統治説
 この説は、キリストの身代わりの死は、単に罪は必ず罰せられるということを示して、人々に悔改めを起こすためだった、とするものである。
 この説はキリストの死が身代わりであったとは言うものの、それはたとえば一〇万ドル横領した人のために一人の無実の友人が一〇〇ドルの保釈金を払うことに似ている、という。それは私たちに、罪に対しては必ず罰があること、また律法への尊敬心を教えた。だから私たちは、神の律法の大切さを思って悔い改めるべきであり、その悔改めが私たちを救う、とする。
 しかし、この説は次の点で間違っている。キリストの死は、単なる保釈金のようなものではなく、全人類の罪の償いのためであった。彼の死において、全人類のすべての罪が罰せられたのである。
 これは、彼ひとりによって可能だった。なぜなら、たとえば誰かに一億円の負債があったとき、それを一円玉一億個をもって返済せずとも、たとえば一億円の小切手一枚、あるいはそれと同等の金塊等がひとつあれば、それだけで全部を返済することができる。
 同様に、人類の罪は無限に積もり積もっていたが、無限者なるキリストおひとりだけで、それらの罪の代価を全部支払うことができた。
 キリストは、わずかな保釈金を払って下さったのではなく、私たちの負債をすべて肩代わりし、帳消しにして下さったのである。
 「神は・・・・私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや私たちを責めたてている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました」(コロ二・一三〜一四)
 十字架の死は、私たちのすべての罪の負債を帳消しにした。これが「福音」であり、私たちはこれを信じて救い主キリストに従うとき、その福音が自分のものとなる。

失敗説
 これは、キリストの十字架の死における贖いは不十分であり、失敗だったとする説で、現代の異端の一つ「統一教会」などに見られるものである。
 しかし、キリストの贖いのみわざが充分なものであって、成功したことは、キリストご自身が死の間際に言われた宣言「完了した(ヨハ一九・三〇)が示している。
 また、キリストが復活されたという事実も、彼の死における贖いのみわざの成功を物語っている。預言者イザヤは予言していた。
 「もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する」(イザ五三・一〇〜一一)
 「末長く」は"永遠に"とも訳される言葉であって、もしキリストが十字架の死を私たちの「罪過のためのいけにえ」とするなら、すなわち贖いのみわざが成就し、成功するなら、彼は末長く永遠に「子孫を見ることができる」――復活する、という予言である。
 キリストの復活はこのように、十字架の贖いのみわざが成功したことを示していた。キリストはご自身の受難の「激しい苦しみのあとを見て、満足」されたのである。


(7) 正しいキリストの死の理解

 以上、キリストに死に関する誤った見解を幾つか見てきたが、正しい見解についてもう一度まとめておこう。
 神の義は罪人を罰しなければならない。しかし、神の愛は罪人を救いたいと願う。この神の義と神の愛の両方を満たしたのが、キリストの十字架死であった。
 すなわち、十字架のキリストの身代わりの死において、私たちのすべての罪は罰せられ、罪の代価は支払われた。私たちの罪は、創造者なる神の栄誉を汚していたが、キリストの死という代価によって、神に対する償いがなされたのである。
 これがキリストによる贖いであり、神はこの贖いが人々に及ぶために、一つの条件を定められた。それはイエス・キリストに対する信仰である。
 キリストに対する信仰を持つ者は、キリストの身代わりの死による贖いの恵みを受けることができる。そして罪の赦しと、義認を得る。キリストの十字架の死において、こうして神の義と神の愛が全うされたのである。

六 復活

 キリストは、十字架の死(金曜日)から(足かけ)三日目の日曜日の朝、よみがえられた。
 これは旧約聖書に予言され(イザ五三・一〇)、またキリストご自身も予告しておられたことである(ルカ一八・二三)。キリストの復活は、十字架の死と同様、私たちの救いに関して決定的な意義を持つ。


キリストの復活は、十字架の贖いが成功だったことを示す。
                                 
ブロック画。


(1) 復活の事実

 キリストは事実、復活したのであろうか。懐疑的な人々は言う。
 "主イエスの弟子たちは、十字架の出来事の後も、イエスが生きていて欲しいという強い願望を抱いていた。だから彼らは、やがて"イエスはきっと復活された"と言いだし、それがやがて"イエスは復活された"という信仰になって広まった"
 これは、弟子たちの願望がやがて復活の信仰となったとする説である。しかし、これは間違っている。復活の事実から復活の信仰が生じたのであって、その逆ではない。
 なぜなら、そう考えなければ、キリストの一二使徒たちや、初代教会のクリスチャンたちが迫害下で見せたあの勇敢さを説明することは不可能だからである。
 彼らはいかなる迫害をも恐れず、殉教の死を遂げてまで、勇敢にキリストの復活を宣べ伝えた。そのような勇敢さは、単なる願望信仰から生まれるものではない。
 キリストが復活し、四〇日地上におられてから昇天された後、使徒ペテロは、ユダの死によって一人分欠けていた一二使徒の座をうめようとして、皆に言った。
 「いつも私たちと行動を共にした者の中から、誰かひとりが、私たちと共にイエスの復活の証人とならなければなりません」(使徒一・二二)
 ペテロは、自分たちは「イエスの復活の証人」であると言った。使徒たちや初代教会のクリスチャンたちは、みな、イエスの復活が事実だと力強く語ったのである。
 彼らは命がけで、それを人々に伝えた。それは当時、ローマ帝国の支配下においては多くの場合、死を意味した。


ローマの円形競技場――ここで多くのクリスチャンたちが殉教した。

 使徒たちのうち、ヨハネを除く全員が、殉教の死を遂げた。使徒ペテロは、処刑されようとするとき、自分が主イエスと同じように十字架にかかるのは畏れ多いと言って、兵隊に願って、自分の頭と足を逆さまに十字架にかけてもらったという(逆さ十字架)。しかし、その最後の時まで、彼は「イエスの復活の証人」であった。


「聖ペテロの磔刑」(グイド・レーニ画)。
ペテロは、自分が主イエスと
同じ十字架にかけられるのは
畏れ多いと言って、自ら願って
逆さ十字架につけられて殉教した。
そして最後まで、イエスの十字架と復活を宣べ伝えた。
人は、ウソのためには命をかけられない。
ペテロ以外にも、初代教会のクリスチャン
たちはみな、死を恐れずに伝道した。
彼らはイエスの十字架の贖いの死と、
復活の事実に、命をかけたのである。

 そのほか、初代教会のクリスチャンたちが迫害下でいかに勇敢であったかは、よく知られている。ある者たちは、ローマの円形競技場において飢えたライオンの前に出されたが、主イエスの十字架と復活を宣べ伝えつつ、祈りながら平安の中に殉教の死を遂げていったのである。


円形競技場内部にたてられた
クリスチャン殉教者のための祈念碑。
彼らは、命をかけてキリストの復活を宣べ伝えた。

 人は、真実のためなら命をかけることができるが、うそと知っていることのためには命をかけることはできない。初代教会のクリスチャンたちが、イエスの十字架と復活を宣べ伝えることに命をかけられたのは、それが事実であり、真実だったからである。
 すなわち、今日キリスト教が存在していること自体が、キリストの復活を証明している。使徒ペテロは、こう書いている。
 「私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨を知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません」(二ペテ一・一六)
 使徒パウロも、こう書いている。
 「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、(旧約)聖書の示す通りに、私たちの罪のために死なれたこと、また葬られたこと、また聖書に従って三日目によみがえられたこと、またケパ(ペテロ)に現われ、それから一二弟子に現われたことです。
 その後、キリストは五〇〇人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。その後、キリストは(ご自身の弟の)ヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。そして後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われて下さいました」(一コリ一五・三〜八)


使徒パウロがつながれた牢。彼もまた、
死に至るまで「イエスの復活の証人」であった。


(2) 復活に関するその他の間違った諸説

 そのほか、キリストの復活に関する誤った考えについて見ておこう。

仮死説
 これは、イエスは実際には十字架上で死んだのではなく、仮死状態に陥ったにすぎないとするものである。
 しかし福音書の記録によると、イエスは十字架から取り降ろされる前に、その死を確実にするために、ローマ兵に、やりで脇腹を突かれている。やりで突かれて体内の血液を失った者が、仮死状態でいられるわけがない。
 「兵士のうちの一人が、イエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水とが出てきた」(ヨハ一九・三四)
 血液は、静かな状態に置かれて三〇分後くらいから、赤い血球部分と、透明な血清部分に分離し始める。イエスの体から「血と水とが出てきた」という表現は、これを指していると思われる。「血」が赤い血球部分、「水」は透明な血清部分である。
 イエスは午後三時頃に死なれた。それから数時間後の夕方になって、ローマ兵たちは来て、彼の死を認めたが、その死をさらに確実にするために、主イエスのおそらく心臓をめがけて槍で貫いた。
 しかし、このとき主イエスの心臓は十字架上の極度の苦しみのために、死の際にすでに破裂していたとさえ考えられる。それで、槍で突かれたとき「血と水」と表現されるような分離状態にある多量の血液が流れ出たのである。
 いずれにしても、槍で心臓を突かれて血液を失った人間が仮死状態でいることは、あり得ない。イエスの死は完全だったのである。

死体窃盗説
 これは、弟子たちがイエスの体を盗んで墓から取り去り、イエスは復活したと人々に言いふらした、とするものである(「窃盗」とは、こっそり盗むこと)
 この説を最初に作り出したのは、じつは、イエス復活の当時のユダヤ人指導者たちであった。こう記されている。
 「祭司長たちは民の長老たちと共に集まって協議し、(イエスの墓の番をしていた)兵士たちに多額の金を与えて、こう言った。
 『「夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んでいった」と言うのだ』。・・・・
 そこで彼らは金をもらって、指図された通りにした。それで、この話が広くユダヤ人の間に広まって今日に及んでいる」(マタ二八・一二〜一五)
 しかし、もし弟子たちがイエスの死体を盗んだのであって、復活がなかったのなら、弟子たちはその後、自分たちがウソだと知っている事柄のために命をかけて伝道したことになる。
 けれども、人はどうしてウソのために命をかけられるだろうか。命をかけられるのは、真実に対してだけである。弟子たちが命をかけてイエスの復活を宣べ伝えたのは、イエスが事実復活されたからである。

霊的復活説
 これは、弟子たちの見たものはキリストの肉体の復活ではなく、キリストの霊にすぎなかった、とするものである。
 福音書を見ると、キリストは復活後、弟子たちのいる鍵のかかった部屋に、スーッと入って来られたことがある(ヨハ二〇・二六「戸が閉じられていた」は、原語では"鍵をかけられていた")。これは、キリストが幽霊のように現われたことを意味するのか。
 そうではない。復活のキリストご自身が、こう言われたからである。
 「わたしの手や、わたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています(ルカ二四・三九)
 さらに福音書は記している。
 「それでも彼ら(弟子たち)は、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、『ここに何か食べる物がありますか』と言われた。それで焼いた魚を一切れ差し上げると、イエスは彼らの前で、それを取って召し上がった(ルカ二四・四一〜四三)
 イエスは、ご自分の復活が事実"からだの復活"であることを証明するために、魚を皆の前で召し上がったのである。

 ほかにも、キリストの復活に関して間違った説が幾つかある。しかし、どれも矛盾に満ちており、信じるに足りない。神の全能を信じる私たちにとって、最も理にかなった考えは、イエスが事実、からだをもって復活されたということである。


(3) 復活の記事の調和

 キリストの復活を信じない懐疑論者はまた、四福音書の復活の記事が、細部で食い違っているように見えることを指摘する。
 たとえば、マタイ福音書ではイエスの墓に来た女たちの前に現われたのは、ひとりの天使であったが(マタ二八・二)、ルカ福音書では、ふたりの天使ということになっている(ルカ二四・四)。
 しかし、これは矛盾ではない。福音書の記事を総合すると、復活当日の出来事は次のような順序で起こったと考えられる。

 一週の初めの日、すなわち日曜日の朝早く、二組の敬虔な女たちが、イエスに最後の葬りの油を塗ろうとして、墓に行った。
 第一組はマグダラのマリヤ、ヤコブの母マリヤ、サロメ、第二組は、ヨハンナと他の女たちであったと思われる(マコ一六・一、ルカ二四・一〇)
 第一組の女たちは、墓石が取りのけてあるのを見た。マグダラのマリヤは、体が盗まれたのだと思い、ペテロやヨハネにそれを知らせに戻った(ヨハ二〇・一〜二)
 残りの女たちは墓の中に入り、ひとりの天使から復活の事実を知らされ、また弟子たちへのメッセージを託された(マタ二八・一〜七、マコ一六・一〜七)。急いで帰る途中、彼女たちは第二組の女たちに会った。
 そこで皆は、もう一度墓に帰った。そしてふたりの天使から、再びより強い保証と指図を受けた(ルカ二四・一〜八)。女たちは、今度はすぐに町へ急いだが、その途上でイエスが現われた(マタ二八・九〜一〇)
 その間にマグダラのマリヤの知らせで、ペテロとヨハネは墓に走って行き、その事実を確かめた(ヨハ二〇・三〜一〇)。マリヤは遅れて着き、ふたりが園を出てからもそこに残った。その時イエスは、彼女にも現われた(二〇・一一〜一八)
 女たちはそれから皆で使徒たちのところに帰り、この出来事を知らせた。
 その日イエスは、ペテロ(ルカ二四・三四、一コリ一五・五)と、エマオ途上の二弟子(ルカ二四・一三〜三五)に現われ、その夕には、トマスを除いたほかの弟子たちにも現われた(ルカ二四・三六〜三、ヨハ二〇・一九〜二三)。・・・・

 このように、四福音書の復活の記事が互いに矛盾していると考える必要は、全くない。


(4) 復活後の四〇日間の目的

 主イエスは復活当日、エマオ町に向かう途上にあった二人の弟子たちに出現された。彼ら弟子たちは、イエスの御顔も御声もよく知っていた。ところが福音書の記事によると、そのとき、
 「ふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった(ルカ二四・一六)
 という。イエスはその彼らに対し、
 「(旧約)聖書全体の中で、ご自分について書いてある事柄を・・・・説き明かされた(二四・二七)
 しばらくして、食事のときになって、
 「彼らの目が開かれ、イエスだとわかった」。
 この「目」は、もちろん肉体的な目ではない。彼らの肉体的な目はずっと開いていたのに、イエスだとはわからなかった。しかし彼らの「目」が開かれると、その途端、
 「イエスは彼らには見えなくなった」(二四・三一)
 霊の目にイエスだとわかると、つぎに肉の目には見えなくなった。二人の弟子は互いに言い合った。
 「道々お話しになっている間も、聖書を説明して下さった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか」(二四・三二)
 イエスはなぜ、このようなことをされたのだろうか。イエスはじつは、復活後、地上におられる四〇日間を、
 "聖書からイエスについて知る"
 ことを人々が学ぶための訓練期間とされたのである。
 というのは、イエスがやがて昇天して、神の右の座に上げられる時が近づいていた。そのときにはもう、人々がイエスの姿を肉眼で見ることはできない。
 イエスが地上におられた間は、弟子たちはイエスを見て、さわって、御声をじかに聞いて知ることができたが、もうそれはできないことになる。したがって、今後はイエスを見たりさわったりして知るのではなく、"聖書からご自身を知る"ように、イエスは人々を訓練されたのである。
 実際、エマオ途上の二人だけでなく、ほかの弟子たちに対しても、イエスは常に現われたり、去ったりされた。十字架以前のようには寝食を共にせず、時々現われるようにされた。
 そして、現われたときには、聖書からご自身のことを説き明かされた(ルカ二四・四四〜四九)。これは、弟子たちが聖書を通してイエス・キリストを知るように訓練するためであった。


イエスは復活後、弟子たちに、聖書から
         ご自身のことについて説き明かされた。 
カラヴァッジオ画

 今日私たちは、イエス・キリストを、見たりさわったりしてではなく、聖書を通して知る。この方法は、もともとイエスご自身が指導されたものなのである。


(5) キリストの復活体はどのようなものだったか

 キリストの復活体は、十字架死以前の体と全く同じものだったのか。それとも、違うものだったのだろうか。
 キリストの復活体は、死以前の体に対して連続性を持っていたが、本質的に異なる体に変わっていた
 "連続性を持っていた"というのは、これがなければ「復活」とは言わないからである。復活体は、死以前の体と同じ身長、体重、容姿を持っていた。
 また、十字架のときの手の釘の跡や、わき腹の槍の跡を残していた。キリストはその跡を、トマスをはじめ弟子たちにお示しになった(ヨハ二〇・二七)
 しかし、表面上はそうであったが、本質的には以前の体とは全く異なるものに変化していた。
 以前の体が、死すべき「朽ちる」体であったのに対し、復活体は「朽ちない」体(一コリ一五・四二)であり、「栄光のからだ(ピリ三・二一)であった。それは不死の体だったのである。
 また、その体は地上界に存在できるだけでなく、そのまま天上界に移行することも可能なものであった。それは「天上のからだ(一コリ一五・四〇)だったのである。
 キリストが四〇日地上におられたのち昇天された時、彼は体を脱ぎ捨てて天国に帰られたのではない。体のままで、天国に帰られた。
 それは天上の体だったから、昇天の際に重力を無視して「引き上げられ、雲に包まれて、見えなく」(使徒一・九)なることができた。
 天国に帰られてからは、その体は天上の体としての本来の輝きを得て、まばゆいばかりに光り輝いた。キリストはやがて、ダマスコ途上にあったサウロ(のちのパウロ)の前に出現されたが、その御体の威光は、サウロの目をしばらく見えなくしてしまうほどであった。
 やがて世の終わりが近づき、神の国が地上にやって来るときになると、キリストは再臨して、体の姿で地上に降りて来られる。その御体には、釘や槍の跡がはっきり認められるであろう。
 「見よ。彼が雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たち(ユダヤ人)が、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く」(黙示一・七)
 このように、キリストの復活は不死の体、朽ちない栄光の体、天上の体への復活であった。したがって、それは非常に特別なものであった。
 じつはキリストは、十字架死以前に、三人の人々を生き返らせておられる。
 はじめに、ナイン町のひとり息子(埋葬途上 ルカ七・一五)、つぎに会堂管理者ヤイロの娘(死後しばらくして ルカ八・五五)、つぎにラザロ(死後四日目 ヨハ一一・四四)である。
 キリストが彼ら三人を生き返らされたのは、その後のご自身の復活という偉大な出来事を、準備するためであった。これら三人を通して、キリストはご自身が人を生き返らせる力をお持ちであることを、示されたのである。
 しかし、最初の三人は、生き返ったあと再び、いずれ死んだ。それは、彼らが以前と同じ体に生き返ったからであり、"蘇生"にすぎなかったからである。
 これに対し、キリストの復活は、もはや朽ちることのない不死の体への復活であった。それは、先の三人の蘇生をはるかに越える、偉大で、特殊な出来事だったのである。


(6) キリストの復活は「初穂」

 キリストの復活はまた、他の宗教とキリスト教を大きく区別するものである。それはキリストというおかたを、死者であるシャカや、マホメット、日蓮、親鸞等の教祖たちから無限に引き離している。
 キリストの復活は、キリストが今も生きておられることを教える。
 死者は、現実の世界に今生きている私たちの真の救い主にはなり得ない。生きておられるかただけが、救い主になり得るのである。
 聖書はまた、キリストの復活は「初穂」であると述べている。
 「アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です」(一コリ一五・二二〜二三)
 「初穂」というのは、収穫に先だって、畑の中で最初に実った穂のことである。初穂が見られれば、やがてすべての穂が色づいて実り、収穫される時が間近だということである。
 同様に、キリストの復活は初穂であって、やがてキリストの再臨の時になると、全キリスト者の復活がある。キリストの復活は、全キリスト者の復活の先がけであり、原型であり、保証である。
 キリスト者にとって、最終的な目的は、死後の霊的な世界としての「天国」に行くことではない。霊的世界としての天国は、キリスト者にとって単に中間状態にすぎない。最終的な状態は、キリストと同じく永遠の命を体現した「栄光のからだ」に復活することにある。
 「キリストは、(再臨の時)万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えて下さるのです」(ピリ三・二一)
 キリスト者は、やがてキリスト再臨の時に、キリストと同じ栄光の体に変えられる。そのとき地上にいるキリスト者たちは一瞬にして栄光の体に変えられ、またそのときすでに世を去って天国にいるキリスト者たちは、栄光の体を着て、キリストと共に現われる。
 キリストの復活は、終末のこの全キリスト者の復活が、必ず起きるとの保証である。それはキリスト者にとって、大きな希望であり、救いである。
 キリスト教のいう「救い」は、単に魂の救いではない。魂の救いはもちろんのこと、最終的に体も死から救われ、社会も、宇宙も生まれ変わるという教えなのである。
 仏教では、「仏舎利塔」というのを各地に建てる。仏舎利とはシャカの骨である。仏舎利塔にはシャカの骨が納められている、ということになっている。とはいえ、仏舎利塔の数はたいへん多いから、シャカ一人の骨がそんなに各地に分けるほどはないはずなのだが・・・・。


仏舎利塔。「仏舎利」とはシャカの
遺骨のこと。仏教では、死人を拝む。

 それはともかく、仏教では死人を拝む。しかし、私たちの礼拝する方は、今も生きておられるかたである。キリストは言われた。
 「恐れるな。わたしは最初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデス(よみ)との鍵を持っている」(黙示一・一七〜一八)


七 昇天

 キリストは復活後、四〇日地上におられたのち、エルサレムのオリーブ山から昇天された。
 「イエスは、彼ら(弟子たち)が見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた(使徒一・九)
 キリストは、弟子たちの見ている間を上げられていき、やがて雲に包まれた。雲に包まれたので、見えなくなられたが、それと共に天界に入られたので、誰からも見えなくなられた。
 キリストは、このとき宇宙の果てまで飛んで行かれたのではない。じつは天国は、肉眼では見えないが、私たちのすぐ近くにある。そのことは、旧約聖書に記された次の預言者エリシャの記事が教えてくれる。
 エリシャと共にいる従者が、ある日朝早く起きて家の外に出てみると、なんとその町を敵の軍勢が取り囲んでいた。彼は驚いて家の中に戻り、エリシャに、
 「ああ、ご主人さま。どうしたらよいのでしょう」
 と言った。するとエリシャは、
 「恐れるな。私たちと共にいる者は、彼らと共にいる者よりも多いのだから」
 と言い、神に祈って言った。
 「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください」。
 すると、「主がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた(二列王六・一七)
 従者の霊的な目が開かれたとき、その目には天国の軍勢が見えたのである。このように、天国は肉眼には見えなくとも、私たちのすぐ間近にある。


従者が見ると、天国の軍勢が彼らを取り囲んでいた。

 キリストが昇天されたとき、それは彼が宇宙の果てにまで飛んで行かれたということではなく、私たちのすぐ近くにある天国という別次元の霊的世界に移行された、ということを意味している。
 キリストは今、遠くにおられるのではない。阿弥陀仏のように「西方十万億土」のかなたにおられるのでもない。キリストは、私たちのすぐかたわらにおられるのである。


八 高挙

 キリストは昇天されたのち、「神の右の座」に着かれた。これを「高挙」という。
 「神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また今の世ばかりでなく、次に来る世においても唱えられる、すべての名の上に高く置かれました」(エペ一・二〇〜二一)
 「神の右の座」とは、神の次の位ということである。キリストは神の全権を受けて、支配の座に着かれた。そして神と共に、救いのご計画を地上に進めておられるのである。


九 再臨

 キリストは、時が満ち、世の終末が間近になったとき、悪を地上から一掃し、神の国を地上にもたらすために、地上に再臨(再来)される。
 キリスト昇天の際に、ふたりの天使が現われて、弟子たちに告げた。
 「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有り様で、またおいでになります」(使徒一・一一)
 このキリストの再臨については、のちに「終末論」の項で、詳しく扱うことにする。


十 第二のモーセとしてのキリスト

 先に、「民一論」の項で"第二のアダムとしてのキリスト"また"真のイスラエルとしてのキリスト"について述べたが、キリストにはさらに"第二のモーセ"としての側面がある。
 イスラエル民族の出エジプトの指導者モーセは、民に語って言った。
 「あなたの神、主は、あなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のようなひとりの預言者をあなたのために起こされる。彼に聞き従わなければならない」(申命一八・一五)
 このモーセが預言した「私のようなもうひとりの預言者」とは、モーセの後継者ヨシュアのことではなかった。申命記の終わりに、
 「モーセのような預言者は、もう再びイスラエルには起こらなかった」(三四・一〇)
 と記されているからである。
 民は、モーセのようなもうひとりの預言者を待ち望んだ。主イエスの時代になって、人々はバプテスマのヨハネを見て、
 「あなたはあの預言者ですか」
 ――モーセの預言した「あの預言者ですか」と聞いた。ヨハネの答えは、
 「違います」(ヨハ一・二一)
 であった。しかし、イエスの弟子となったピリポは、イエスに関してナタナエルに言った。
 「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです」(ヨハ一・四五)
 また、イエスの説教を聞いていたある人は、イエスについて、
 「あの方は、確かにあの預言者なのだ」(ヨハ七・四〇)
 と語った。そしてイエスご自身、ご自分を「預言者(マタ一三・五七)とも呼び、さらに、
 「モーセが書いたのはわたしのことである(ヨハ五・四六)
 と言明された。
 イエス・キリストは、いろいろな側面を持っておられる方である。彼は救い主であるとともに、主であり、王であり、大祭司であり、師であり、また「預言者」であられる。また、私たちの兄であり、友であり、さらには、しもべにさえなられたかたである。
 イエスは、モーセのように解放者としての性格を持った預言者であられた。モーセはイエスの予型的人物のひとりであり、イエスは"第二のモーセ""モーセを超えるモーセのような預言者""救い主"なのである。

(1) かつてモーセは、「」をもって多くの奇跡を行ない、イスラエル民族を出エジプトさせた。同様にイエスは、「鉄の杖」をもって、クリスチャンたち(霊によるイスラエル)を罪と死の支配から解放して下さる。
 「この方(キリスト)は、鉄の杖をもって・・・・牧される」(黙示一九・一五)
 「鉄の杖」とは、鉄のように堅固な支配権という意味である。


モーセは、杖をもってイスラエルの民を導き、出エジプトさせた。
同様に再臨のイエスは、「鉄の杖」をもって、クリスチャンたちを
この悪世から脱出させ、約束の御国に導いて下さる。


(2) また、かつてモーセは「過越の小羊」を定めて、それをほふり、災いがイスラエルの民に及ばないようにした。災いをもたらす天使は、その小羊の血を見て、イスラエルの民の上を過ぎ越していった。
 同様にイエスは、ご自身が「過越の小羊」となって死に、その血によって審判がクリスチャンの上に及ばないようにされた。
 「私たちの過越の小羊キリストは、すでにほふられたのである」(一コリ五・七)
 「御子イエスの血は、すべての罪から私たちをきよめます」(一ヨハ一・七)


イスラエルの人々は、家の入り口に、
過越の小羊の血を塗った。これは、
私たちのための過越の小羊キリストの予型であった。


(3) かつてモーセは、イスラエルの民を荒野において四〇年間導いた。同様にイエスも、荒野のようなこの世を歩む私たちを導いて、ついには約束の御国に連れて行って下さる。
 モーセに率いられた民は、荒野のあちこちでキャンプ生活を送った。新約聖書は、そのキャンプを「荒野の集会(使徒七・三八)と呼んでいる。この「集会」の原語はエクレシヤであり、「教会」と同じ言葉である。
 モーセが荒野の集会――エクレシヤを導いたように、キリストはこの荒野のような世にあって、教会――エクレシヤを導かれる。

(4) かつてモーセは、荒野の民が飢えたとき、神に祈って「マナ」という食物を彼らに与えた(出エ一六・三一)。同様にイエスは、群衆に食べ物がなくなったとき、数個のパンと魚を増やす奇跡をなし、五〇〇〇人を満腹にされた。この奇跡は、群衆にイエスこそ"第二のモーセ"だと確信させたものである。
 またイエスは、ご自分について、
 「わたしは天から下ってきた生けるパン(ヨハ六・五一)
 だとも言われた。永遠の命を人々に与える真のマナだと、言われたのである。

(5) かつてモーセは、民が荒野で水を欲しいと叫んだとき、岩から水をふき出させる奇跡をなして与えた(民数二〇・一一)。同様にイエスは、心の渇いた私たちに、ご自身の生命の内から「生ける水」をわき出させ、私たちを潤してくださる。
 「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は・・・・心の奥底から、生ける水の川が流れでるようになる」(ヨハ七・三七〜三八)
 この「生ける水」とは、聖霊のことである(七・三九)

(6) かつてモーセは、民が荒野の蛇にかまれて次々に死んでいったとき、神の命令を受けて青銅の蛇の像を作り、それを棒の先にかかげた。すると、蛇にかまれた者も、それを仰ぎ見るとみな生きたという(民数二一・九)
 同様に、私たちはみな、サタンなる蛇にかまれた者たちである。そして同様に、みな死すべき者たちである。しかし、十字架にかかられたイエスを仰ぎ見るだけで、誰でも罪と滅びから救われる。
 「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子(キリスト)もまた(十字架上に)上げられなければなりません。それは信じる者がみな、人の子にあって永遠の命を持つためです」(ヨハ三・一四〜一五)
 何の理屈もいらない。ただ仰ぎ見れば救われる。信仰の目を向けることによって救われる。
 「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ」(イザ四五・二二)
 クリスチャンとは、十字架のキリストを仰ぎ見て救われた者たちである。

                              久保有政(レムナント1996年2、3,4月号より)

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