信仰に関するメッセージ

聖書の教える成功への道
人生に繁栄を生み出す。

 仕事で、事業で、人生で"成功"をおさめ、そこに繁栄を生み出すには、どうしたらよいのでしょうか。
 それには、道を切り開いていくための強固な"成功への信念"を持たなければなりません。信念のないところに、道は開けません。
 世界で最も古い書物――『聖書』は、激動の現代を生きる人々にとって、珠玉の成功哲学を教えてくれる書物です。とくに私たちは、『福音書』に記されたイエス・キリスト様の行動の中に、人生の成功の秘訣を数多く学ぶことができます。


成功のための主イエスの教え

 あなたは、自分と家族に、経済的、また精神的に潤いを与えたいと思っているでしょうか。
 あるいは、社会に繁栄をもたらし、人類に貢献できる仕事をしたい、と思っていますか。あるいは神様と隣人のために、何かのお役に立ちたい、と願っているでしょうか。
 生まれてきた以上、自分が生きたことによって、何か良いことを世界に残したい、と思いますか。自分の人生を通して、何らかの益を世界と周囲の人々に与えたい、という思いを持っていらっしゃいますか。
 もしあなたがそのような願いを持っているなら、あなたはこの短いメッセージの中に、少なからず示唆を得るに違いありません。
 テキストは、新約聖書・マルコの福音書六・三四〜四四です。「五千人の給食の奇跡」と呼ばれる記事で、こう書かれています。

 「イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教えられた。
 そのうち、もう時刻も遅くなったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。
 『ここはへんぴな所で、もう時刻もおそくなりました。みんなを解散させてください。そして、近くの部落や村へ行って、何か食べる物をめいめいで買うようにさせてください』。
 すると彼らに答えて言われた。
 『あなたがたで、あの人たちに何か食べる物をあげなさい』。
 そこで弟子たちは言った。
 『私たちが出かけて行って、二百デナリものパンを買って、あの人たちに食べさせるように、ということでしょうか』。
 するとイエスは彼らに言われた。
 『パンはどれくらいありますか。行って見て来なさい』。
 彼らは確かめて言った。
 『五つです。それと魚が二匹です』。
 イエスは、みなを、それぞれ組にして青草の上にすわらせるよう、弟子たちにお命じになった。そこで人々は、一〇〇人、五〇人と固まって席についた。
 するとイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて祝福を求め、パンを裂き、人々に配るように弟子たちに与えられた。また、二匹の魚もみなに分けられた。
 人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れを一二のかごにいっぱい拾い集め、魚の残りも拾い集めた。パンを食べたのは、男が五千人であった」。


5つのパンと2匹の魚をとり、天を
見上げて神の祝福を求める主イエス。
以下写真3毎©ビジュアル聖書「マタイの福音書」(ライフ企画)ビデオより


 この記事によれば、イエス様はわずか「五つのパンと二匹の魚」を、群衆が食べて満腹し、かつ余るほどの多くの食物に、増やされました。
 群衆の数は、(二〇歳以上の)成人男子だけで「五千人」でしたから、女子や子供らを合わせると、じつに二万人近くはいたでしょう。東京ドームの半分近くが埋まるほどの人数がいたのです。
 この箇所から、仕事や人生に"繁栄を生み出す"成功の秘訣を、七つほど学んでみることにしましょう。


サービス精神に基づく発想を持て

 繁栄を生み出す秘訣の第一は、サービス精神に基づく発想を持て、ということです。
 さきの記事によるとイエス様は、人々が、
 「羊飼いのいない羊のようであるのを」
 見て、深くあわれみ、いろいろと教えられました。時刻がおそくなったとき、弟子たちはイエス様に言いました。
 「みんなを解散させてください。・・・・何か食べる物を、めいめいで買うようにさせてください」。
 弟子たちは、イエス様に一つの"願い事"をしました。みんなを解散させて、食べに行かせてくださいと。
 弟子たちは、きわめて常識的な発想にしたがって、この願い事をしたのです。
 ところがイエス様の発想は、別のものでした。イエス様は、みんなを解散させてしまうことは良策ではない、とお考えになったのです。
 「羊飼いのいない羊」のようであった群衆は、いまやイエス様の教えに、熱心に耳を傾けるようになっていました。ここでみんなを解散させてしまっては、せっかく教えに親しみ始めた群衆を、元に戻してしまうことになるでしょう。
 しかも、イエス様ご自身の公生涯は三年半しかありません。時間は限られていますから、少しでも多く身近に群衆に接して、教えを説かなくてはなりません。そこでイエス様は、弟子たちに、
 「あなたがたで、あの人たちに何か食べる物をあげなさい」
 と言われました。"自分たちで彼らに食物を与える"ことを願いなさい、と。彼らにサービスをしなさい、と言われたのです。
 これは弟子たちにとっては、思いもよらない発想だったに違いありません。「自分たちで食物を与える」というサービス精神に基づく願いを持ちなさい、とイエス様は言われたのです。
 それは、人々の不便を解消し、人々の必要に応えるというサービス精神こそ、人生と事業に繁栄を生み出す最も基本的な原則だからです。
 最近ある人が、バングラデシュで"貧者のための銀行"を開設しました。
 バングラデシュといえば、貧乏な人々の非常に多い国です。彼はそこで、貧しい多くの人々がなかなか仕事につけないでいたり、高利貸しへの借金で苦しんでいる実情を見ました。
 ある老婆は、高利の借金のために首がまわらずにいました。しかしいろいろ計算してみると、数十万円のお金さえあれば、すべて返済できることがわかりました。
 そこで老婆のために、普通の銀行に相談してみると、その答えは、
 「アー・ユー・クレイジー?」
 でした。
 そのため彼は、自分で貧者のために、小額・低利の貸出しをする銀行を開設することを、思い立ったのです。銀行が開設されると、その前には、借りたい人々の列ができました。
 銀行といっても、りっぱな建物があるわけではありません。青空の下に机を一つおいて、その前に人々が並ぶ、といった簡単なものです。
 しかしある人は、そこから借りたお金をもとに、町で店を開き、一年後にはすべてを返済してしまいました。こうして多くの人々に、貧乏から抜け出すチャンスが提供されたのです。
 この銀行では、貸し出したお金の九八%を回収できており、黒字だそうです。サービス精神の発想によって開設された貧者のための銀行は、りっぱに成功をおさめたのです。
 人々を益するとき、人々はあなたを益するでしょう。サービス精神から、繁栄が生み出されるのです。
 イエス様は、私たちに対して、
 「あなたがたで、あの人たちに・・・・してあげなさい」
 と言われます。私たちには、サービス精神に満ちた発想が必要なのです。
 それはときには、人々の目に「クレージー」なものに映るかもしれません。「非現実的だ」と言われるかも知れません。しかし、そうした世間の常識を越えた発想にこそ、成功のタネが隠されているのです。


人々の必要に訴える

 成功したいなら、人々の必要に応じて自分でサービスするという、サービス精神の願いを強く持たねばなりません。願いがサービス精神に満ちているほど、成功の度合いは大きくなります。
 松下電器(株)を創設した松下幸之助氏は、若い時に日本の貧しい生活状況を体験して、
 「生活必需品を、水道の水のように安価で、無尽蔵なものとしたい」
 との願いから、事業を起こしました。彼は、明確なサービス精神を持っていました。そのために彼の経営する小さな電気屋は、ついには世界的な大会社に成長したのです。


「生活必需品を、水道の水のように安価で、
無尽蔵なものとしたい」とのサービス精神から、
松下電器の事業は発展していった。

 もしあなたが人生に繁栄を生み出したいなら、金儲けだけを目的とするのでなく"人類のために仕える"というサービス精神を、あなた自身が持たなければなりません。
 自分のためということより、人々のために何ができるか、を先に考えるのです。このサービス精神こそ、成功のタネであり、そこからやがて豊かな実がなるのです。
 欠乏しているところには供給を、困窮しているところには援助を、不便なところには便利さを、退屈なところには楽しさを、悲しんでいるところには慰めを、苦しんでいるところには助けを与えることを、真剣に考えることです。
 金儲けを第一に考えるのではありません。世の中の人は、金が儲かるというとすぐやりますが、そのような事業はいずれ廃れて、つぶれてしまうのです。
 つぶれる事業は、もともと人々のニーズに合っていないのです。だから、つぶれます。人々が本当に必要としている事業をする限り、つぶれることはありません。
 世の中が、また人々が必要としていることをすることです。人々が物質的に、また精神的、霊的に本当に必要としていることは、必ず実現します。
 キリスト教精神に基づいて聖隷福祉事業団を創設した長谷川保先生は、その信念で事業をおこした人でした。彼は、結核患者のための医療施設をつくり、看護婦の養成所をつくり、日本で最初のホスピスをつくりました。
 それらの事業はいずれも、当時は経済的には全く成り立たないと言われたものばかりでした。しかし、世の中が必要とし、誰も手を出さないでいる仕事は、自分がやるしかないと信じて、彼は突き進んでいったのです。
 ブルドーザーみたいに、どんどん開拓していきました。どんなに条件が合わず、たとえそのための法律が整備されていなくても、必要とされる仕事はどんどん手を出していきました。
 その開拓精神の根底には、「人々が本当に必要としているものは必ず実現する」という強い信念があったのです。
 「何事でも、人々からしてほしいと望むことを、人々にもその通りにせよ」(マタ七・一二)
 という主イエス・キリストの御教えに従うなら、必ず神の祝福があって、事業はやがて成り立つようになるということを、強く信じていました。
 実際、それらの事業は成功し、成り立つようになりました。そして当時、未整備だった法律も、あとで整備されるようになったのです。
 世の中が変わったら何かをするのではなく、自分が何かをすることによって、しだいに世の中のほうが変わっていったのです。
 創造的なサービス精神は、周囲を変え、世の中を変えます。またあなたの人生を、豊かなものに変えるでしょう。サービス精神、およびそれに基づく発想こそ、本当の成功の第一歩です。


「五つのパンと二匹の魚」をそろえよ

 人生と仕事に繁栄を生み出す秘訣の第二は、そのための"元手"を、すべて用意することです。
 イエス様のこの奇跡は、読めば読むほど、ユニークな奇跡です。
 聖書によれば、神の御子イエス様には"無から有を生じさせる力"があるのですから、彼は全くの"無"から、食物を造りだして人々に与えることもできたはずです。
 ところが、イエス様はあえて、全くの"無"から造り出すことはせず、弟子たちに「五つのパンと二匹の魚」を持って来させ、それを増やして食物を供給されたのです。
 じつはイエス様はこのことによって、私たち"イエスの弟子たち"に対して、人生の大切な秘訣を、教えようとされているのです。
 私たちはどんな仕事を始めるにしても、まず自分の"手もとにあるものを最大限に生かす"ことから始めるべきなのです。
 私たちの手もとには、だれであれ、人生に繁栄を生み出すための「五つのパンと二匹の魚」が、あらかじめ神から与えられています。
 神は地上にみわざをなす際に、"無"から事をなされるよりは、むしろ人々の手もとにある"元手"を利用されることのほうが、多いのです。あなたはまず、自分に与えられている"元手"をすべて見出さなければなりません。
 イエス様の語られたたとえ話の中に、「タラントの話」と呼ばれるものがあります。「タラント」とはお金の単位です。ある主人が、しもべたちに財産を預けて旅に出ました。そのとき、
 「ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを」
 預けました(マタ二五・一五)。五タラント預けられた者は、商売をしてそれを一〇タラントに増やし、二タラント預けられた者は四タラントに増やしました。しかし一タラント預けられた人は、何もせず、それを地面の中に隠しておいて、増やそうとしませんでした。
 主人は彼を、ひどく叱りました。彼が金を儲けなかったからではありません。彼が自分に授けられたものを、地面の中に眠らせておいて、生かそうとしなかったからです。
 同様に私たちも皆、神様から「タラント」を預かっていて、それを生かすことを求められているのです。
 神が私たちに授けられた「タラント」は、お金とは限りません。知性や、心や、肉体に授けられた「能力」も、神からの「タラント」です。あなたの内に与えられた精神的・肉体的能力は、すべて神からの「タラント」です。
 「タラント」から英語の「タレント」(talent 才能)という言葉が生まれました。日本では「タレント」というと、テレビや映画のスターのことですが、英語の基本的な意味は「才能」です。
 才能は、すべて神からの賜物であり、神があなたにお授けになった"元手"なのです。それは神に用いていただくべき、あなたの「五つのパンと二匹の魚」です。
 また神は、人に何か重要な仕事をお委ねになるとき、必ずその人の環境にも、仕事の元手になるものをお与えになります。それも、あなたに与えられた「タラント」です。
 あなたのそばにいる有能な「友人」「協力者」も、あなたに与えられたタラントかもしれません。あなたが置かれている「環境」や「状況」も、そのままタラントであるかもしれません。
 あなたは、自分のまわりをよく見渡してみなければなりません。そこには、あなたがなそうとしている事に役立つ元手が、きっとあるはずです。
 元手の全くない人はいません。あなたは何かの分野で、きっと秀でたものを持っているはずです。あなたのもとには、他の人にはない"何か"があるでしょう。
 それをあなたは、しっかり手に握りしめ、いかに生かすかを、よく考えなければなりません。それは主によって増やされ、やがて人々を潤すものとなる、あなたの「五つのパンと二匹の魚」なのです。


事業のための元手は、あなたの内に、あるいは周囲にある。
それがあなたの「5つのパンと2匹の魚」である。

 詩人の水野源三さんは、重い病気のために、手足の自由が全くありませんでした。歩くことも、書くことも、声を出すことも、全然できませんでした。
 彼が自由に動かせたのは、目だけでした。それにもかかわらず、クリスチャンになってからは、美しい詩を数多く残しました。
 自分の前に置かれた五〇音のひらがな表を見て、水野さんが目を閉じる合図をすることにより、どの文字かを示し、一文字ずつ友人に書き取ってもらって作成したのです。
 彼は、神の愛と恵みの素晴らしさを詩を通して語り、多大な影響を人々に与えました。彼は自分の内側と外側に与えられた、わずかな「五つのパンと二匹の魚」に忠実で、それを存分に用いたのです。
 あなたは、自分の内側や周囲に与えられた神のタラントを、すべて見出さなければなりません。あなたの「五つのパンと二匹の魚」を、すべてそろえるのです。そして主の前に差し出して、
 「主よ、用いてください」
 と申しあげて下さい。
 主イエスはまた、五千人の給食の奇跡をなさったあとに、残ったパンきれと、残った魚を皆に取り集めさせました。すると、パン切れの残りだけでも、「一二のかごにいっぱい」になったとあります。


あなたの「5つのパンと2匹の魚」をそろえよ。

 ヨハネの福音書によると、このときイエスは、
 「一つもむだに捨てないように集めなさい」(ヨハ六・一二)
 と人々に言われました。主は、こんなに多くの食物をもたらして下さった方なのに、パンきれの残りや魚の残りを一つも無駄にしようとはなさらなかったのです。
 ある人は「ケチくさい」と言うかも知れません。しかし、天から与えられたものを一つも無駄にしない、という気持ちこそが、偉大な事業をなす人の心がまえなのです。
 最初の「五つのパンと二匹の魚」は、もともと神が与えて下さったものであり、また最後に残ったパンきれと魚も、同様に神が天から下さったものです。
 それらを一つも無駄にしない――これが人生の成功の第二の秘訣です。


天から与えられたものを、一つも無駄にしない。



まだ見ていない事実を見よ

 人生と仕事に繁栄を生み出す秘訣の第三は、将来あなたが成功したときの姿を、具体的に"心のスクリーン"に描くことです。
 繁栄を生み出したいなら、あなたが将来あるべき姿を、自分の思いの中に"先取り"していなければなりません。人は、自分の"思う"ような者になっていくのです。
 イエス様は、弟子たちに命じて、群衆をそれぞれ組にして、青草の上にすわらせられました。イエス様の"心のスクリーン"には、そのときすでに、群衆の全員にパンと魚が配られる様子が見えていたのです。
 なにしろ女子や子どもを合わせれば二万人にもおよぶ人々が、おなかをすかせて待っているのですから、パンと魚が配られるとき、へたをすれば大混乱になってしまいます。それを"心のスクリーン"にあらかじめ見て取られたイエス様は、混乱のないよう、人々を組にしてすわらせられたのです。
 私たちも繁栄を生み出すためには、それが実現したときの姿を、具体的に"心のスクリーン"に描いていなければなりません。そして成功にふさわしい考え方をしなければなりません。
 思いの中に将来を創造し、心の中に「まだ見ていない事実」を、見るのです。聖書は言っています。
 「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認することである」(ヘブ一一・一)
 「事実」とは、ふつう"すでに起きたこと"をいいます。しかしまだ起きておらず、"まだ見ていないこと"を、「事実」として「確認すること」が信仰なのです。
 東京の町田市に、幼稚園から大学院までを擁する総合学園「玉川学園」があります。創立者は、知育・徳育・体育の調和を説く「全人教育論」で知られる、クリスチャンの小原国芳師です。
 小原師は大学時代に、美しい"一枚の学校の絵"を描きました。その絵は今日でも残っています。簡単なスケッチですが、絵の下には「理想の学校」と記されています。
 絵の学校は、きわめてオープンな学校です。正門はありますが、扉はありません。塀も柵もありません。
 ただ、入口近くには美しい池があります。学校全体は、小高い丘の上に建てられていて、多くの緑におおわれています。
 門からみて左側の丘には白い校舎があり、右側の丘の上には、礼拝堂と十字架が見えます。初めてこの絵を見た人は誰でも、玉川学園を、
 「写生したものだ」
 と思うでしょう。正門から見た光景に、あまりにもよく似ているからです。ところがこの絵は、まだ学園の影も形もないときに、描かれたものなのです。
 それは玉川学園建設の、数十年前に描かれました。まだ学園の土地が、誰も住んでいない丘陵地帯で、一面の緑だった時でした。しかもそれは、師が、無一文の学生だった時に描いたものなのです。


現在の玉川学園
(女子短大と、礼拝堂――丘の一番高い所の建物)


(正門付近)

 師は当時、学校の建設資金も、協力者も持っていませんでした。しかしその心にはビジョンがありました。夢があったのです。
 師の"思い"の中には、将来自分が建設する学園の青写真が、すでにできていました。
 イエス様の「五千人の給食」が奇跡であるなら、こうしたこともまた、奇跡の一種ではないでしょうかい。人間は思いの中に将来を見るとき、神の祝福があるなら、その思はやがて現実化するのです。
 私たちも何か事をなそうとするなら、"思い"の中に、将来を先取りしていなければなりません。"心のスクリーン"に、将来の姿をしっかり焼きつけていなければならないのです。
 あなたが何かをなそうとしているなら、あなたの仕事が完成されるまでの各段階を、あなたの心のスクリーンに、"ドキュメンタリー映画"のように具体的に描くことです。あなたにそれができた時、成功の半分は、すでにあなたの手中にあるのです。
 また、一〇歳の人は、自分が二〇歳になったらどのような人間になっているかを思い描きましょう。
 二〇歳の人は自分が三〇歳になったら、三〇歳の人は自分が四〇歳になったらどのようなことをしているかを、心のスクリーンに思い描きましょう。
 また、一〇年後だけでなく、二〇年後、三〇年後を思い描くのです。――できるだけ具体的に。
 三〇歳の人も、四〇歳の人もそうです。思いの中に未来を創造できなければ、現実世界でも創造できないでしょう。


主が増やし私たちが働く

 人生と仕事に繁栄を生み出す秘訣の第四は、あなたを成功に導く主権は主イエスにあるということを、心の中で明確に認めることです。
 「五千人の給食」の奇跡は、イエス様がパンと魚を裂き、弟子たちがそれを配る、という過程で起きました。"イエス様が祈ると大量の食物が急に天から降ってきた"というのではないのです。
 食物は、イエス様が裂き、弟子たちが配るという過程で、徐々に増やされました。弟子たちはこうして、イエス様の奇跡に参加したのです。
 ここに、繁栄を生み出すための最も大切な原則があります。すなわち"主が増やし、私たちが働く"のです。


イエスが渡し、弟子たちがそれを
配るという過程で、奇跡は起きた。

 「救世軍」の創始者ウイリアム・ブースの事業の場合も、その良い例でしょう。
 救世軍は、一九世紀にロンドンにいる多くの浮浪者を救うことを目的として、始まりました。ブースは彼らに、キリストの福音を伝えるだけでなく、今日の食物にも事欠く彼らに、物質的な援助もしたいと願ったのです。
 もともと彼に、沢山のお金があったわけではありません。食物があり余るほどあったわけではありません。
 しかし彼の意図に賛同した多くの人々の援助によって、その事業は次第に拡大していき、やがて世界的な大事業になりました。
 救世軍は、命令系統に軍隊組織を採用していますが、武器には、「キリストの福音」と「愛」をとりました。彼らは多方面の公共事業に進出し、貧しい人々の救済や医療、婦人の社会的進出などにも大きく寄与しました。
 救世軍は日本でも、「社会鍋」(歳末募金)や病院建設などで、知られています。その影響は、数えきれないほど多くの人々に及びました。
 救世軍は、なぜこのように、世界的な大事業を展開することができたのでしょうか。
 その理由は、「五千人の給食の奇跡」の場合と同じでした。"主が増やし、私たちが働く"の原則を実践したのです。


         街頭生活者に対する救世軍の給食活動(1985年2月 東京駅付近にて)

 しかも救世軍の奇跡は、「五千人の給食の奇跡」を、ある意味で上回るものでした。
 というのは、救世軍から食物の援助を受けた人々の数は、さきのイエス様の奇跡でパンと魚を与えられた人々の数より、ずっと多いのです。主イエス様は救世軍を通して、二千年前の時よりもっと多くの人々に、「給食の奇跡」をなさいました。じつに主は、
 「きのうも、きょうも、とわに変わりなく」(ヘブ一三・八)
 弟子たちを通して働いてくださいます。真の事業の拡大においては、必ずや主イエス様に、先頭に立っていただかなければなりません。聖書は言っています。
 「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」(詩篇三七・五)
また、
 「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの願いをかなえてくださる」(同三七・四)
 主イエス様に、あなたの事業の出資者になっていただくことです。全事業の総指揮者になっていただくのです。
 "主が増やし、私たちが働く"のです。主が主権を握ってくださることを喜び、それに信頼しようではありませんか。
 そのような事業は、決して失敗することがありません。なぜなら主が主権を握られるのであれば、それはもはやあなたの事業ではなく、神の事業だからです。
 事業主は神であり、あなたはその働き手です。主があなたを導かれることを、心から喜ぶことです。じつに主は、
 「私たちのうちに働く力によって、私たちが求めまた思うところの一切を、はるかに越えてかなえてくださる」(エペ三・二〇)
 かたなのです。


小事に忠実で大事をまかされる人になれ

 人生と仕事に繁栄を生み出す秘訣の第五は、主の事業の担い手として小事にも忠実な者となることです。
 イエス様は言われました。
 「小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして小事に不忠実な人は、大事にも不忠実である」(ルカ一六・一〇)
 どんな大きな事業も、細かな小事の積み重ねで成り立っています。小事に忠実でなかったら、どうして大事を、成功させられるでしょうか。
 もし弟子たちが、「五つのパンと二匹の魚」を持ってこなかったら、あるいはもし群衆を組にして草の上にすわらせなかったら、また裂かれたパンと魚を忠実に群衆に配らなかったら、イエス様の奇跡は起きなかったでしょう。
 私たちイエスの弟子たちが、小事に忠実に働かなかったら、大事は実現しないのです。もし日々自分の置かれている立場で、主がお与えになった一つ一つの課題をこなしていかないなら、主は私たちに大事をお任せにはならないでしょう。
 私たちは、小事に忠実に働き、大事を任せられる人にならなければなりません。主に信頼される人にならなければなりません。
 私たちは、誠実さと、勤勉とを養っていこうではありませんか。だれが怠惰な者に、大仕事を任せるでしょうか。
 あなたも、約束を守り、小事にも忠実で、信頼される人になろうではありませんか。主の教えを愛し、人を思いやり、人の立場に立って考えることのできる人になるのです。
 また、自分の責任を果たす人になることです。
 また、出来るかぎり有用な知識を積むことが、将来のために必要です。成功した人で、勉強をしなかった人はいません。中学しか出ていない人はいます。しかしそうした人も、学校でではなく、自分で勉学を積んだのです。
 大きなことをなすには、豊かな知識が必要です。あなたは若い時から、それを頭脳の中に蓄えなければなりません。
 あなたはまた、堅固な意志を持たなければなりません。あなたが心の中に持っている夢を、現実の世界に具現化するための、強い意志を持たなければなりません。
 あなたの前途には幾多の困難や、誘惑がやって来るでしょう。しかし小事をおろそかにせず、横道にそれずに、あなたは主の備えられた大道を闊歩していくのです。


主のために熱烈な願いを持つ

 人生と仕事に繁栄を生み出す秘訣の第六は、主のために熱烈な願いを持つことです。
 願いは、行動の原動力です。願いは夢を現実化する力なのです。
 神様も、私たちの内に願いを起こさせて、その願いを通して事を行なわれます。聖書に言われています。
 「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせて下さるのです」(ピリ二・一三)
 祈りを通して私たちのうちに与えられた「志」「夢」「願い」は、神からのものなのです。私たちは主のためには、熱烈な願いを持とうではありませんか。札幌農学校のクラーク博士は、
 「少年よ、キリストにあって大志をいだけ」(Boys, be ambitious in Christ.)
 と言いました。インドに宣教に行ったイギリス人ウィリアム・ケアリは、
 「神から大いなることを期待せよ。神のために大いなることを企てよ」
 と言いました。神は、私たちの燃え上がる願いを通して、「大いなること」をなそうとしておられるのです。


 願いのない人は、エンジンのない車のようです。それは外見は一応整っていても、走ることができません。
 願いのない人はまた、心臓のない人のように、生きた活動をすることができません。
 私たちに必要なのは、神のために、また人のために、心の奥に燃え上がる熱烈な願いです。かつて内村鑑三は、二五歳のとき、自分の持っている聖書の見返しのところに、
 「私は日本のために、日本は世界のために、世界はキリストのために、そしてすべては神のために」(I for Japan; Japan for the world; The world for Christ; And all for God.)
 と記しました。また彼は、
 「私は二つのJ――JESUS(イエス)とJAPAN(日本)を愛する」
 と言いました。彼は日本とキリストのために、「大志」を抱き、熱烈な願いを持ち続けたのです。


内村鑑三が25歳の時に、
自分の聖書に書いた英詩。
これは彼の墓碑銘としても、
そのまま刻まれている。

 私たちは神のために、キリストのために、大志を抱いているでしょうか。
 自分にはタラントがあまり与えられていない、と嘆いていてはいけません。私たちは熱烈な願いを持つとき、タラントが次第に与えられていくのです。
 願いを多く持つ者は、もっと多くのタラントが与えられ、願いを持たないものは、持っているタラントまでも取り去られます。


願いの中に神の力が流れ込む

 世界のすべての偉大な事業は、みな、人の心の奥に宿った"熱烈な願い"からスタートしました。人類の行なったいかなる高貴な、偉大な事業も、はじめは一人の人の心の奥に宿った"熱烈な願い"であったのです。
 一九四八年にイスラエル共和国が再建されたことは、二〇世紀最大の奇跡と言われます。この奇跡もまた、一人の人の心の奥に宿った熱烈な願いからスタートしました。
 一人のユダヤ人=テオドール・ヘルツェルの魂に、ユダヤ人の国家を再建しようという熱烈な願いが起こったのです。それはやがてシオニズム(シオン帰還運動)となって、大きなうねりを形成していきました。
 人間を導くものは、ビジョン、夢、また強い願いなのです。ヘルツェル自身は、心臓発作のために四四歳で死んでしまいました。しかし彼の理想は、多くの人々に受け継がれて、ついに一九四八年、ユダヤ人の国家が再建されたのです。
 ヘルツェルは、こんな言葉を人々に残しました。
 「イム ティルツー
 エイン ゾ アガダー
 もし、あなたがたが欲するならば、
 それはもはや夢物語ではない!」。
 神は、私たちの魂の内に宿る熱烈な願いを通して、ご計画を成就されるのです。
 すべては心に始まります。心の思いは、来たるべき未来を予感させるものです。心の思いは、神のみわざのもとに未来を創造する力を持っているのです。
 私たちは心の力を軽んじてはいけません。信仰に基づく心は、神の力と感応して、偉大な能力を発揮するのです。
 私たちが、信仰に基づいて心に熱烈な願いを持つとき、そこに神の力が流れ込みます。そしてその願いは、やがて"心のスクリーン"に描かれた未来を、現実化していくのです。神が共に働いて下さるからです。
 聖隷福祉事業団の創設者・長谷川保先生は、寝たきり老人を世話する日本で最初の特別養護老人ホームをつくった人です。
 そのときはまだ、そうした特別養護老人ホームに関する法律は全く整備されていませんでした。しかし、「法律の先を進め」が口ぐせだった長谷川先生は、法律に先んじて人々の必要とする事業に乗り出していったのです。
 彼の前に道はありませんでした。彼のうしろに道が作られていったのです。
 長谷川先生は、「エデンの園」という有料老人ホームも建設していきました。そして、あるとき専務理事にこう言いました。
 「私の残りの人生は、あと十年くらいだと思うが、全国にエデンの園をあと百か所造りたい。そうすると、一年に十か所ずつ造っていかにゃならん。一か所に十人から一五人の看護士、ヘルパーがいる。とすると、百人ずつ養成する学校を造らにゃいかん」。
 専務理事は、
 「はい、わかりました」
 と言って、その実現のために努力しました。しかし、百か所つくるとは言ったものの、結果的に実現できたのは一一か所でした。
 長谷川先生が召天する少し前のこと、専務理事がそれを言うと、長谷川先生は高笑いしてこう言ったのです。
 「一割できれば、大成功だぞ。人々は、いつも失敗せんようにと言って、ビクビクしながら仕事をするから、確かに失敗はせんかもしれんが、どれだけの仕事を残せるか。百か所つくるといって、一一か所できれば大したものだ。結果として、それだけのものが残せたじゃないか」
 と。どうでしょうか。私たちは失敗を恐れるばかりに、小さくまとまり過ぎていないでしょうか。
 九割は失敗しても、一割成功すれば、大きなことができるのです。
 成功は、多くの失敗の残骸の上に築き上げられます。私たちは夢の実現に向けた強い願いを、心の内に持ち続けましょう――神の栄光のために、そして人々の必要に応えるために。


若いときにスタートせよ

 最後に、人生と仕事に繁栄をもたらす秘訣は、これらの成功哲学を、あなたの若い時から実践することです。
 あなたが、少年少女時代や青年時代をどう過ごすかで、大人になってからのあなたが決まります。
 また、二〇代のときにどう生きるかで、三〇代以降の人生が決まります。
 ぐずぐずしていたら、光陰矢のごとし、時はあっという間に過ぎていってしまいます。気がついたら、ずいぶん年をとってしまった、ということになってしまうでしょう。
 人生は、若いときに何を考え、何を夢見、何を学び、どんな過ごし方をするかで半分以上は決まってしまいます。
 聖書に、
 「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ」(伝道一二・一)
 と言われているのも、そのためです。私たちは、自分の創造者なる神、すなわち天の父を若い時に知ってこそ、正しい歩みができるのです。
 「自分にして欲しいことを人々にもその通りにする」という愛の精神は、若い時から身につける必要があります。また、物事に積極果敢に取りかかっていく習慣も、若い時分から養わなければなりません。
 若いからといって、老人に軽んじられない歩みをしましょう。湯川秀樹博士も、アインシュタイン博士も、二〇代の若い時に、あの破天荒な科学理論を思いついたのです。
 コロンブスも、ザビエルも、若かったがゆえに、はるばる新大陸の制覇を志せました。年寄りだったら、あんな冒険の大旅行はできるものではありません。
 萩の片田舎で若い人々を指導していた吉田松陰は、二三歳のとき、国禁を犯してひそかに黒船に乗りこみ、アメリカに渡ってでも新しい知識を得ようとしました。


吉田松陰。23歳のとき海外渡航
を試みたが、捕らえられ、藩の獄舎に幽閉された。
獄中で、囚人の教育を行ない、その後、
萩の自宅で松下村塾を開いて子弟を教育。
その門下からは久坂玄瑞
(くさかげんずい)、高杉晋作(たかすぎしんさく)
前原一誠
(まえはらいっせい)、山県有朋(やまがたありとも)
伊藤博文
(いとうひろぶみ)など多くの俊秀を出した。
そののち安政の大獄に連座して処刑されたが、
享年わずか29歳であった。

 われらの主イエス・キリストは、三〇歳の若さをもって、世界を変えました。その若さあってこそ、あの奇跡的な行動もできたのです。
 若い年齢には、無限の富があります。年をとってからでは、したくてもできないことが多いのです。
 一〇代、二〇代、三〇代を、思い切り生かした人が偉人です。若い時代を、一日でも浪費してはいけません。
 何より必要なことは、青年であるうちに、霊的に目覚めることです。自分の造り主をおぼえ、自分の創造目的、人生の目的を知り、主イエス・キリストの救いを知って、その愛の生き方に目覚めることです。
 しかし、この霊的覚醒があるなら、たとえ青年時代を過ぎた年齢の人であっても、決して遅すぎることはありません。
 人は霊的に目覚めるなら、いつまでも青年でいられるのです。たとえ「外なる人」は衰えても、「内なる人」は日ごとに新しくされていきます。
 人生と仕事に繁栄を追い求めることは、あなたが何歳であっても始められます。神の祝福の力を知る――それこそ人生の醍醐味です。
 福音書の中に、イエス様が「ぶどう園のたとえ」を語られています。
 ある人は、そのぶどう園に雇われて、午前九時頃から働き始めました。ある人は一二時頃から働き始めました。またある人は、午後三時頃から、ある人は五時頃から働き始めました。
 ところが、そのぶどう園の主人は、九時から働き始めた人にも、一二時、三時、五時から働き始めた人にも、みな同じ賃金をくれたというのです(マタ二〇・一〜一六)
 神の国はこのぶどう園に似ている、とイエス様は言われました。人生の始めの頃にイエス様に仕えるようになった人も、人生の半ばから仕えるようになった人も、人生の終わり頃に仕えるようになった人も、みな、神様からの同じ報酬にあずかるのです。
 大切なのは、自分に与えられた人生の一時一時を、めいっぱい生きることです。残された人生を、無駄にすることなく、神の栄光のために生きることです。
 そうすれば神は、豊かな報酬を、豊かな恵みと祝福を下さるでしょう。


私の身によってキリストがあがめられるために

 もう一度、繰り返して述べましょう。
 あなたは、サービス精神から来る願いを持っているでしょうか。人々に仕え、人々の必要に応えるという、サービス精神に基づく発想を持っていますか。
 「あなたがたで、あの人たちに・・・・してあげなさい」
 という主のお言葉に応え得るものを、あなたは持っているでしょうか。金儲けを第一とするのではなく、人々が本当に必要としているものに応えようとしていますか。
 また、主があなたにお与えになった「タラント」「五つのパン」「二匹の魚」を見出していますか。元手となるそれを、大切にしていますか。
 それが最初は、どれほどわずかなものに見えようと、それを生かし、増やしたいという願いを持っていますか。
 あなたは、「まだ見ていない事実」を見ようとしていますか。まだ完全には見えなくとも、少しずつ現実感をもって見えてきていますか。
 あなたはビジョン、夢を持っていますか。そのビジョンの実現に向かって、方策を練っていますか。
 あなたは自分の仕事・事業・人生の主権を、主イエス様にゆだねていますか。"主が増やし、私たちが働く"のです。主とともに生きることを、心の喜びとしていますか。
 主とともに生きるなら、「主はあなたの願いをかなえてくださる」ことを、信じていますか。それに期待していますか。
 またあなたは、小事に忠実で、大事を任される人になりたい、と思っていますか。主のご期待にそえる人間になりたい、と願っていますか。
 主に用いられたい、と思っていますか。あなたはそのために熱烈な願いを持ち、日々、努力していますか。前向きに生きていますか。
 自分の名声のためではなく、
 「生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられる」(ピリ一・二〇)
 ことを目的に、生きていますか。もし、そのように生きているなら、主はあなたの願いにそって、やがて大きな仕事を任せてくださるでしょう。
 主は、あなたの仕事ぶりを喜び、あなたを豊かに祝福されるでしょう。そしてあなたの人生に、"奇跡"を生み出されるに違いないのです。



                                  久保有政(レムナント1997年8月号より)

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